ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

デュ・プレ(Vc)メータ指揮BPO(melo classic)1968/8/4ザルツブルク音楽祭live・CD

meloclassicはすっかり年一回程度のラインナップ追加になっているが、戦後中欧放送音源メインの秘蔵音源にはマニアックなものからビックリのビッグネームのものまで含まれ大手量販店の取り扱いもある。多く買うのでなければ量販店を利用したほうが良い、というのは今年のラインナップでは不良品が多かったようで、直販は個人での対応はめんどくさいし、円安でメリットも少ない。これは今回目玉のひとつだろう、デュ・プレ詰め合わせ。ドヴォコンの往年のビッグネーム発掘はフルニエの判で押したようなライヴくらいしか出ないから、デュ・プレはslsが一枚出してきたが、壮年メータにベルリン・フィルなこともあり興味深い。meloはインディーズCDの発掘では音質は良いと思う。デュ・プレはロストロポーヴィチほどの迫力や解釈のダイナミックさはないが一楽章がオケ含め少し停滞する感じがあるほかは美音が際立っている。しなやかなボウイングも癖がなく、かといってダイナミズムは流麗に描き出され、フィナーレはカタルシスが得られる。上品さはあるがネルソヴァのように大人しくはない。隠れた名演。
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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

ヴォルフ指揮デンマーク国立交響楽団(SLS)1962/7/8放送live

ヴォルフの持ち味の勢いはちょっと抑えられ、ハルサイ風に浮き立つ場面でテンポの落ち着き気味なところはマルティノンやロザンタールの整える方向。ただトロンボーンやホルンというルーセルならではの重心の低い響きを単純なリズムにのせるところはオケの馬力をフル活用している。音も美しい。

ラヴェル:シェヘラザード

メリマン(A)アルベール・ヴォルフ指揮デンマーク国立交響楽団(SLS)1962/7/8放送live

78歳にして生命力に満ちた指揮ぶりをみせるヴォルフ、録音のせいで細部不明瞭であるものの美しい歌唱を操るソリスト、オケはとても精巧で上手い。ヴォルフの同オケ録音はLPがあったが放送録音としてはフランク、ラヴェル、ルーセルの組み合わせの同日のものは初。ルーセルも独特の表現がある。

ヴォーン・ウィリアムズ:舞踏のための仮面劇「ヨブ」

◯ボールト指揮ボストン交響楽団(SOMM)1946/1/26ボストンシンフォニーホール

放送用ライヴ、拍手なし。ボールトのボストン客演では初出か。鄙びた音はオーケストラの音色を一色になめして聴きやすくする。演奏精度は言うこと無いので、ボールト得意の曲で、ヴォーン・ウィリアムズにとっても管打を効果的に使う作風への変化を示した作品で、このCDの目玉としてふさわしい。「なめされた」ことによって良い録音では結局得意な弦楽の印象が耳に残りがちであるところ、このくらいの録音だと凸凹なく並列的に各シーンのテーマや調子を聴くことができ、どれも民謡に立脚した統一的なものであるとともひさらに耳馴染み良く仕立て上げる手腕が円熟したことを実感させる。海の交響曲など自著等で指摘されたという「パクリ」のようなものは、民謡は別として、ドビュッシー風フレーズがなくはない。依然として生硬だとは思う。この頃のボールトはトスカニーニ風にドライヴして、流れで持っていってくれる。怪奇趣味は減退するが聴きやすい。

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ

イゾベル・ベイリー(sp)アストラ・デズモンド(ca)ベヴァリッジ・ホワイト(t)ハロルド・ウィリアムズ(b)BBC交響楽団&合唱団(SOMM,ariadne)1946/9/29放送live・CD

30年代のRVW脂の乗り切った時期の作品を管弦楽伴奏にアレンジしたもので、人気作であり、ボールトも正規録音を残している。前半は軽やかで初期ドビュッシー感が否めないが、もともと重厚なロマン派的作風だったRVWらしく安定感のある響きが程よく配合される。モノラル録音で訴えかける力はそこまでないが、曲自体の魅力は伝わる。

ヴォーン・ウィリアムズ:感謝祭の歌(勝利のための感謝祭)

エルシー・サダビー(SP)ヴァレンタイン・ダイヤル(ナレーター)ジョージ・ソールベン=ボール(org)トーマス・コラム・スクール児童合唱団、ボールト指揮BBC交響楽団&合唱団(SOMM,ariadne)1945/5/13放送live・CD

ここにまとめられたこの曲と音楽へのセレナーデ(管弦楽と歌唱編曲)、ヨブはいずれもボールトとしては正規で録音がある。題名からもWWⅡ終結(5月なので太平洋戦争ではない)に起因した祝祭的な曲調は推して知るべし、悪くはないがRVW戦後作品特有のオーダーメイド感は否めない。演奏及び歌唱は立派。

ミヨー:交響曲第2番〜Ⅰ、Ⅱ.

デゾルミエール指揮ORTF(SLS)1947/10/30パリ

これは聞いたことがない録音。中途半端な前半だけの録音で、状態もかなり悪い。ミヨーが大交響曲に取り組んだ二曲目もやはり牧歌的なムードから始まるが、これだとよくわからない。

オーリック:バレエ音楽「船乗りたち」

デゾルミエール指揮ORTF(SLS)1949/3/7パリ

22分あまりの長い録音だが、一貫してバレエ・リュスのためのオーダーメイド作品と感じる。サティのパラードの規格に沿って、より音楽的に精緻な工芸品を量産した始めの方というか、通俗的すぎて飽きる。赤い風車の下で聴いているようで、古い録音に演奏的にも危ういところがあり、デゾルミエールの室内合奏をまとめる手腕もここではいまいち。

ブルックナー:交響曲第9番「原典版」

ハウゼッガー指揮ミュンヘン・フィル(PASC/HMV他)1938・CD

聴力が正式に弱まっているそうで、これ一曲をお盆前から聴いていた。原典版をうたった初の録音で、演奏も良く録音も良い。ロマンティックな解釈に向かわず、シンプルな迫力を導き出している。

ミヨー:エクスの謝肉祭

デゾルミエール指揮ORTF(SLS)1947/10/30パリ・CD

戦中も民謡録音を敢行し続けたデゾの開放された戦後録音だが、とてもマニアックなのでなかなか復刻されなかった。20年以上眠っていたSP録音の寄せ集めがyslsで先月出た。音はもちろん良好(好みはある)。40年代はどこの国のSPもそれなりの音だが、オケが好調なのは喜ばしく、デゾルミエール得意の室内楽的編成がこの曲では素晴らしく楽しめる。12曲の南米風パレードを胸がすくようなキレと音色でたのしめる。

ソーゲ:蝉と蟻

デゾルミエール指揮ORTF(SLS/LYS)1941/12/18パリ・CD

SP復刻。フォンテーヌのアリとキリギリス(もともとセミとアリ)に基づく小品で、いかにも六人組全盛期のパスティーシュを量産した世代の、牧歌的な美品。ミヨーの灰汁抜きされた世界というか、こういうのは六人組でもタイユフェールやオーリックが造作もなく作るのかもしれない。セッション録音のせいだろうデゾルミエールとしては色彩的で締まっている。

マーラー:交響曲第4番

テンシュテット指揮LPO、カヒル(sp)(ETERNITIES)1986/3/25ロンドンlive

安定したニュートラルな演奏で、テンシュテットの記録でこれを選ぶ必要性は感じないが、マニアなら。

チャイコフスキー:交響曲第5番

パレー指揮ORTF(ina,SPECTRUM)1970/11/25シャンゼリゼ劇場live・CD

戦前から活躍していたのに晩年になぜか母国で絶賛されるようになった、その晩年ライヴ(同盤全部ステレオ)。チャイコフスキー5番はストレートにやると判で押したように同じスタイルに聴こえる。ムラヴィンスキーとまでは言わないが力強く押し出していきつつ、ほとんど揺らぎなくスコアそのものの言いたいことだけ伝える。個人的にはつまらない。最後までフランスオケに厳しく引き締まった演奏をさせてブラヴォーを呼ぶのは名人芸。

ブラームス:交響曲第3番

パレー指揮ORTF(ina,SPECTRUM)1964/5/12シャンゼリゼ劇場live・CD

パレーはmercuryの網羅的録音があんまりにも力づくの同じトーンで統一されているゆえに、直線的な面白みのない解釈でスピードだけ速い、と思ってしまうが、8割がそうだとしても時期やオケによってはしっくりくる正統的な演奏をなしていることもある。この演奏は意外と聴き応えがある。オケもよくパレーにこたえ、色彩感もアメリカオケと一味違う。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ハイティンク指揮RCO(CR)1980/5/18プラハの春live・CD

リヒャルト・シュトラウスの交響詩は明確に理知的構成をとっているがゆえこの曲など冒頭がピークで尻すぼみの印象をあたえる。演奏はどうしても一定の技術レベルを必要とするのでブラスが弱かったりするととうてい曲にならないか、この盤に特別に記載もされているハイティンクは世界最高のオケのひとつであるオランダのオケ相手に派手すぎず観念的すぎないバランスの取れた演奏をやってのけている。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

ジュリーニ指揮VSO(CR)1975/5/28プラハの春live・CD

ドヴォルザークはメロディの才能がずば抜けていて、ずば抜けているためにメロディ作曲家のように扱われ新世界のイメージからセミクラシック扱いすらされる。しかし鉄道マニアだったことからも伺える通り極めて理知的で構造に則った作曲をする。国民楽派の代表格でありスケルツォの民族舞踏にとくに泥臭さはあり、それも含めブラームス的なことは否定できないが譜面はロマン主義の観念的なものではなく、そのまま音にすると曲になるようなもの。7番は8,9に比べ旋律面で地味さがある。しかし指揮者的には魅力があるものらしく、ジュリーニは集中的に演奏録音している。三楽章までは重く遅い。オケが特徴的な音をしているが精度は落ちる。しかし弦楽器に負荷がかかるフィナーレは段差をつけて高速になり、オケがよくこたえている。拍手はまあまあ。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

バルビローリ指揮チェコ・フィル(CR)1960/5/24スメタナホール(プラハの春)live・CD

いまどきバルビローリの蔵出し盤は珍しい。日付違いは確かある。演奏精度に難があるが、基本的にはニューヨークでの演奏と同じ解釈でバルビローリ好きなら聴く価値はある。チェコ・フィルだと板についてない感はあるので、音色やパートごとの熱量のばらつきが気になる。テンポ設定が遅かったり人工的と感じるときもある。拍手は普通。

ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ORTF(ina,belle ame)1966/1/10バーデンバーデンlive・CD

久しぶりのミュンシュの海。多分ブートのデータがあやふやなどれかと同じだと思う。演奏様式は晩年のそれでスピードが遅く、そのぶんねっとりフレージングするのが好き嫌い別れるだろうし、客席反応も静かだ。引っかかりのない録音というか、一期一会の迫力はない。

ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」

作曲家指揮19人のソロイスツ管弦楽団(EMI他)1932/2,3パリ・CD

ガーシュインの時代のジャズを露骨に使った今ならミュージカルとも言えそうな世俗的な内容のもの。リズムの繰り返しのしつこさはバレエ曲だから当然かもしれないが、ミニマルな趣もある。比較的近似したメロディや音形は後年の作品にも現れる。ミヨーが多作というのは長い円熟期に焼き直しとまでは言わないが似た作品をオーダーメイドで仕立てたものが含まれるので、此の作品の頃までをミヨーの全盛期としそこで止まったとすると割と一般的な数になる。これは代表作だが、当時の録音事情から一発で盤面に詰め込んだ(さらに録音上工夫された)ものとして聴くべきで、リズムが強い割に揃わなく聴こえるのはデッドな残響など理由は他のSP録音のオケもの同様、セクション毎ばらばらに聞こえるのもそれぞれの音を別々に拾って1つに刻んだのだろう。ミヨーは演奏においては達者だ。

ラフマニノフ:交響曲第2番

プレヴィン指揮LSO(eternities)1979/6/17live

晩年のプレヴィンがモーツァルトを振りに来日したとき、京都の寺の縁側で庭をじっと見つめるさまを見ると、ラフマニノフを始めとする当時の秘曲や近現代の大作をさかんに振っていた壮年期が信じられない。ここで聴かれる倍音ふんだんの響き、うねるようなキャッチーな表情付けはこのあたりの曲ならではのわかりやすさをさらにわかりやすくするもので、ジャズプレイヤーとしてはさほど面白くないという人もいたが、透徹した響きと室内楽的なアンサンブルへの傾向は「クラシカル」なもので自然だっただろう。加えて時代のロマン回帰傾向にも載っていて、ちょうどストコフスキー晩年であることも偶然ではないか。ラフマニノフを原典的に演奏しつつ、現代よくきかれる演奏スタイルからはややもすると古いように感じられるかもしれない。大ブラヴォーで終わる。
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岡林リョウ

Author:岡林リョウ
ネット歴も長くなり、気が付けばもう終わろうかという気分になっています。

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