ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

トゥルトゥリエ(Vc)バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1963/1/29マンチェスターlive・CD

新発掘の放送用音源でモノラルライヴなりの音。正直良いとは言えない録音でこもっている。バルビローリ協会盤だからバルビローリの指揮に力点が置かれているし、演奏もバルビローリのドヴォルザークというイメージに薄い演目(交響曲の7~9番は録音し協会もCDにまとめているが)ということでソリストは二の次に聴いてしまう。バルビローリ自身がチェリスト出身で、トゥルトゥリエクラスではないとはいえ知り尽くした楽器、かなり融和度は高く、とくに自然な流れの作りかたがうまい。バルビらしい歌いかたも特異な解釈もソリストの表現を超えるものはなく、ただ音色の美しさが際立つ。木管ソロなどイギリスの上質の音を提供して穏やかな気分になる。さて、ソリストは線が細くヴァイオリン的な軽い指回しがいい意味でも悪い意味でも目立っている。後者の例というとたまに音程が悪い。不思議と不安定感はないが線の細いからこそ音程はシビアにきかれてしまう(太ければその幅のどこかが正確な音程にあたるのだ)。1楽章で、こんなところでなぜ、という半音ずつの下降音形の乱れがきかれ、ライヴだから手を抜いたのか、とすら思った。ただ音色はニュートラルなのでバックオケとの相性はいい。下手ではない、指も弓もよく回るのでミスを指摘して捨てる気にはならない。だが面白くはない。バルビマニア向けだろう。
スポンサーサイト

ドヴォルザーク:交響曲第7番

○セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

モノラルだが迫力の演奏に圧倒される。セルのドヴォルザークは凄いのである。しかもニューヨーク・フィルは(ミスもするが)分厚く、ヨーロッパ的な重心の低い演奏も上手い。1楽章からして引き込まれる。フォルテの表現は…ひたすらフォルテの表現はこの曲の劇的要素をただただ強調し、鼓膜に叩きつけ続ける。2楽章ですら何か「聴かせよう」という意志の強さで、末尾の弱音部も綺麗なのだけれど、全般には緩徐楽章ぽくない。3楽章も舞踏らしくリズムが切れている。緩やかな主題の歌謡的なフレージングと激しい三拍子の動きがメドレーのようにつながっていく。楽団の厚さがやや悪い録音でも関係なく音楽の楽しさをダイレクトに伝えてくる。メカニカルゆえスリリングなアンサンブルも楽しみの一つであるこの曲の、そのスリリングなところをセルは非常な求心力をもって聞かせにかかる。誰も臆することなく気が絶えない。四楽章も緩やかに始まったかと思ったら駆け上がる主題でいきなりテンポアップ。結構テンポ変化があるが、瞬間沸騰的なものはすくなく、聞かせどころでしばらく少しテンポダウンする、といった、おおむねスコアの書き込みどおりということで、それの再現度がたぶん、凄まじい。弦楽器主体の楽曲にNYPの「やる気になった」弦楽セクションはうってつけだ。ブラームスをわかりやすくしたような作品を、さらにわかりやすく歌で繋いでいく。悲劇的で渋い色調の楽曲もこういう力づくスタイルの前には、ダイナミックでアポロ的な印象を与える。矢鱈の弦楽パートの掛け合いなど、セルだから曖昧にはならずに構造的な楽しみもあるのでメカニカルに聴きたい向きにもあっている。以前出ていた気がするが、この音質でもお勧めしたい。生だとどんな凄い演奏だったろう、ブラヴォの嵐。

ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

物凄い意思的な演奏で、ゴリゴリ力づくで押し進めるスタイルはトスカニーニよりトスカニーニ。時折面白いテンポルバートをかけたりするけれど、冒頭から最後まで一パートも曖昧な表現は許さず全力で音を出させ、フォルテからフォルテテテテテテテッシモまでの間でドラマを創る、いやドラマだと言い切る。清々しいくらい情緒がなくリアルで、だがアメリカのオケではなくこのオケであるところがソロの音色やオケ全体の明るく柔らかな響きによって辛うじてドビュッシーであることをわからしめている。個人的には個性的で好きだが、これだけ爆弾を投げつけるような音を破裂させながら聴衆は普通の反応、まあ、ミュンシュと同じ力感をミュンシュと対極の残忍な棒さばきで表現したわけで、海ではないか。録音は意外と聴けるレベル。

ラヴェル:ボレロ

○パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

高速軽量級、やる気漲るパレーの十八番ボレロ。アンコールないし末尾にやられることが多かったようだ。このリズムでは軽すぎるとしても、響きや音色は美しく華やかに統一され、このオケだからひときわソロの魅力が際立つ(ホルン除く)。また弦のピチカートが粒立って激しく轟き軽量級なりのリズムの打ち出し方をしているのも面白い。ひたすら揺れのないテンポはボレロはこのままで完成されていることを実感させる。全奏部に至っては独特の短い発声のペットと強靭な打楽器群が高らかに軍隊を鼓舞し、それ以外の楽器はまったく同じ調子を続けているのに音楽はしっかり大きな山になっている。阿鼻叫喚まではいかないが振り切ったパレーに盛大なブラヴォが浴びせられる。録音はモノラルで音場が狭いぶん録音瑕疵はさほど気にならない(はじめの方で大きく放送エアチェックノイズが入るのは残念)。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

エアチェック音源らしく音の欠落や全編砂ノイズに塗れて聴きづらい。オネゲルとルーセルにはさまれて収録されているがこれが一番静かな曲のせいか耳障りが悪い。演奏は陶酔的で、ノイズがなければ浸りこむことができただろう。ミュンシュの同曲の解釈に幅はないのだが、オケが清澄な音を出すせいだろう音楽もねっとりしたものではなく、ニュートラルに聴こえる。拍手はほとんどカット。オネゲルがDAのものと同じとすると収録の三曲中唯一の初出になる。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

驚きの記録でパリ管との最後の録音の10ヶ月前のシカゴ響との実況である。この次の「牧神」は半年後の実況録音が出ているしルーセルの3番は公式には2日分の編集盤が、非公式には同日のものが出ているので、シカゴとの演奏としては初出になろう(同月NYPとの実況録音なるもの(DA)があり、この時期にしてはノイジーでも録音状態はこちらのほうが格段に上で(DAは客席録音ぽい、共にステレオ)単純比較はできないが、同じものの可能性がある)。ミュンシュの終生振り続けた曲であり、ギチギチと軋む弦楽合奏がつづいたうえで高らかなトランペットで開放される曲構成もカタルシスを得やすいし、パリ開放を思い出せるから好きだったのだろう。だが演奏スタイルはかなり変化しており、この頃にはテンポが落ち集中力に欠ける演奏が聴かれるようになる。ギチギチが要の曲なだけにそれは致命的で、この演奏も残念ながら第一には推せない。ただ、オケは良いのである。一糸乱れぬ弦楽アンサンブルは振ってきた他のオケとは違うものがあっただろう、一楽章はライヴなりにではあるがこれがミュンシュかというようなトリッキーな装飾音型もビシッと揃えてきてビックリする。二楽章の表出力も素晴らしい、チェロソロがボリューミーだ。だが、三楽章が遅い。新古典主義の構造的な書法を楽しむには、あるいは演奏するには遅いのである。無理してテンポを抑えているようなシカゴ響弦楽セクションには「もういいから暴走して力を遺憾なく発揮してくれ!」と言いたくなる。弛緩して雑味を呼んで、、、と思いながらも流石にギチギチ感が出てきて偉大なクライマックスでのっぺりしたトランペットを聞いて、あざとさの最後にミュンシュの唸り声、ブラヴォの渦。終わり良ければ、か。

フランク:交響曲

○アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/3/17シャンゼリゼlive

びっくりの音源で、演っていても不思議はないが録音が出てくるとは思わなかった。また同時期のドビュッシーなどにくらべ一楽章あたりはダイナミックでかつ、ミュンシュのような滑らかな表現でロマンティックな、国民楽派交響曲のように進めていく。ほんとにアンゲルブレシュト?というような、SP期の短い曲で聴かれた主情的な表現はクライマックスあたりでもブラスの露骨な音色に現れてくる。だが、この三楽章冒頭は均整感を重視した構築性があらわれ、やはりアンゲルブレシュトだと確信させる。清々しい透明感のある響きはあるものの、曲に忠実にロマンティックな点はダンディの交響曲を録音したときと同傾向といえば同傾向のスタイルでもある。突進するたぐいの演奏ではない、ミュンシュやパレーとは違うが、プレートルに通じる部分はあるかもしれない。期待しなければ聴けるギリギリの音質。もちろんモノラル。個人的には同曲をドロドロにしないでかつチャイコフスキーみたいにやってのけているのは好み。

ラフマニノフ:ヴォカリーズ

ミトロプーロス指揮NYP(SLS)1955/5/8シアトルlive

この指揮者に未だ未発売音源が残っていたのかと驚いた。発掘され尽くした挙げ句、モノラル悪録音しかない骨董指揮者の宿命で忘れ去られたものと思っていた。シアトルのホールからの実況録音で、ボロボロではあるもののミトプーのライヴにしては悪くない。ねっとりした無言歌、甘やかで諦念も感じさせるこの仄暗いメロディの伸び縮みする歌い回しを楽しむことができる。手兵だったオケも、人によってはグズグズになる弦楽器が結集して実力を発揮している。久しぶりに聞いた曲だが、例えばストコフスキのような人工的な造形ではなく滑らかに連続した歌となっているので、同じ恣意的なスタイルでも自然に入ってくる。最近あまり聴かれる曲ではないが、アメリカで演奏されたものとしては、バーバーのアダージョと共に二十世紀を代表する弦楽合奏曲といえる。このあとプロコフィエフの五番、カバレフスキーのコラ・ブルニョン序曲とアメリカで人気のあったロシア音楽が続く。ロジンスキ、トスカニーニがよくやった曲だ。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(HMV)1934/10/22

三度目の全曲録音か(この時代では考えられない)。SPに慣れた向きは十分楽しめるし情報量もある音。迫力あるキレキレの音で、ストコらしい細かい操作もあるが基本的に新世界のサウンドとしての面白さをそのままストレートに伝えてくれる(4楽章冒頭のリタルダンドは何度聴いても慣れないが)。フィラデルフィア管弦楽団黄金期の、とくに弦楽セクションの分厚さ。どういう録音方法をとったんだというようなボリュームのある捉え方をしている。録音状態的に音色は楽しめないが管楽器もノーマルに力強くしっかりしている。やはり2楽章のようなしっとりした楽章より3楽章のようにリズム、律動だけの音楽の方がパワーオケの特質をよく示しており楽しい。4楽章の遅さ、しゃっちょこばった表現はストコの解釈なので仕方ない。おかしなバランス、作為的なルバートも全部ストコをストコたらしめているものだ。メンゲルベルク同様、必然性などあまり考えないほうが良い。この時期にこの録音なら満点だろう。ラストまで普通ではない。音楽として楽しめるかどうかは趣味次第。

ラヴェル:道化師の朝の歌

フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

数少ない正規録音の中でも作曲家縁のラヴェル集の中の一曲。ライヴ同様ハデハデ、リズムは気まぐれ感がある。ひとつひとつの音にニュアンスは籠めないけれども音の堆積には色彩味が溢れ、自由に力強い。まっすぐに力強いミュンシュとは違う。オケにメリットのある録音にもかかわらず独特の引き締めの緩さがあり、そのあたりモノラルであることとも相まって余り取りざたされなくなったのだろうか、しかしこの人の演奏はつまらないということがない。現代の理知的で精緻な演奏を求めるならそもそもモノラル時代のものには手を出すべきじゃないが、ピリオドうんぬん言うならラヴェルが聴いていた音を聞くべきであり、このポルトガルの指揮者のとくに適性を示した南欧的な楽天性をもつ同曲を、当時の劇場でナマで聞くように楽しんでもいいのではないか。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

さすがにラヴェルの覆面指揮者を演じた人だけありブランコのラヴェルには余人を許さない表現の壮烈さが感じられる。原曲の劇的要素と舞踏要素を激しい音のコントラストと部分に拘らない全体の派手さで煽り、録音が悪いのが難点だがスヴェトラーノフのような終わり方でブラヴォが飛びまくる。「全員の踊り」が思ったより前に向かわずオケの弱点が露呈するバラケ味に肩透かしにあうものの、まあ、この日の最後の演目ということもあるのだろうし、客観的に言って事故だらけで生演奏ならではの傷の絶えないものではあるが、聴いて楽しくなる。これと比べミュンシュの何とスマートなことか。常に置いておきたい演奏ではないが、一回性の粗野な記録としては良い。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅰ、Ⅱ

フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

ブランコらしく「祭」はリズムがグズグズだが音のボリュームと音色の変化がはっきりしていて非常にわかりやすく、雲ともどもこの指揮者が「ライヴ向きの指揮者」であり、ライヴでこそその「名人芸」を発揮できたんだと思う。リズムのグズグズ感は何もこの曲に限ったことではなく、セッション録音のボレロの異常な遅さ(いくらラヴェルが指定したとはいえ踊りの音楽だ)にも「メロディと音響を聴かせることに全力を尽くす」姿勢が清々しく聞いてとれる。まあ、アンサンブルの乱れやアマチュアぽい「ヤル気」は、つんのめるようなテンポ感と共にオケのせいだとも思えるが、ブランコは著名オケにこだわった人ではないし、これは個性として消化しておくべきだろう。変な打音で終わると盛大な拍手。録音は悪い。

ヴィラ・ロボス:アマゾナス

フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

ファリャのようにカラッとした始まりから混沌としたアイヴズのような世界が明確に春の祭典の影響下にケバケバしく展開されてゆく。この現代的な色彩にあふれるラテン音楽はブランコの独断場とも言える。交響詩というか音詩に近い印象派音楽で、メロディやリズムに特徴的な民族性が表れるのはかなり後の方。断続的なリズム、ノイジーな細かい音の堆積の方に耳がいってしまうが、これはそういう音楽なのだろう。このあとにドビュッシーが演奏されるのも道理。この前はファリャのスペインの庭の夜(タリアフェロ)だから一貫していると言えなくもない。やがてオネゲルの突進する汽車のような直線的な音楽に収斂していくが、簡潔に磨かれるオネゲルとは違い拡散的でノイジーな音響は、南方的で拡散的なミヨーよりもさらに現代的。どうもブランコのせいか、ピッコロやスネアがアイヴズのクラスター音楽のそれにとても似て聴こえる。破天荒さは娯楽的には正しいが、精度を大事にするとまた変わると思う。何か描写的な意味を持って落ちて終わる。拍手は普通。録音は悪い。

ブロッホ:シュロモ~ヘブライ狂詩曲

ネルソヴァ(Vc)作曲家指揮LPO(decca/pearl)1950・CD

ブロッホの代表作。二十世紀のチェロ協奏曲の代表作のひとつでもある。ユダヤ音律の支配するかなりクセの強い作品だが、ネルソヴァはほぼ旋律的な崩しや指のズラしを使わず正確に音をとっていくことにより、この音階の特質をイデオロギーと切り離して聞く者に問うてくる。もちろん作曲家晩年の指揮がバックにあっての演奏で、晩年はそれほどこだわらずアメリカの新古典主義に立っていたブロッホの、過去作品に対峙した解釈と理解することもできる。録音的には正直勧められるものではないが、ネルソヴァのブレない演奏ぶりや、見本的な全体設計を聴くにはよい。

ブロッホ:神聖祭儀(アボダシ・ハコデシュ)

○作曲家指揮LPO&cho.、ロスミュラー(b)ボンド(sp)コワン(ca)(decca/pearl他)1950・CD

ダイナミックでロマンティックな「ユダヤ祭儀」である。これが大好きでLPしかなかったころミヨーの似たような作品とともにやたらと聴いていた。イギリスオケのせいかイギリスのオラトリオふう作品、ヴォーン・ウィリアムズの周到な作品に似て耳馴染みがとてもよい。当たり前だが宗教曲だから悪い音はなく、ユダヤ音階などもヨナ抜きに慣れた日本人にとって特に引っかかる要素はなく、しかもイギリスオケとあってイギリス民謡的にも全く違和感がないものだ。かつ、これはブロッホの民族主義の後半の作品となり、新古典主義の洗練が民族の独創性を簡素化、というか漂白し、西欧音楽の語法の上でもすっかり「普通」となって吸収された、まるでマーラーほども普遍的な歌謡性を持ち合わせたものになり、祭祀にふさわしいのかどうか、20世紀音楽の娯楽性をしっかり発揮した大作として先入観なく聴くのが相応しいように思える。体臭のない指揮ぶりがまた面白い。職人だ。歌手もしっかり仕事している。マーラー聴くと思って聴いてほしい。

バーンスタイン:ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」抜粋

○ゴーバーマン指揮管弦楽団、ラリー・カート、キャロル・ローレンス他オリジナル・ブロードウェイ・キャスト(sony)1957・CD

第一幕(前半)を中心に編まれたオリジナルキャストによる録音。オリジナルではバーンスタイン自身は振っていない(複数ある録音もシンフォニックダンスが殆ど)。音こそ古びて色彩的な派手さがないし歌も素朴、管弦楽もこの頃の雑味を帯びているが、生のままというか、リズムを中心とした粗野な味わいは劇音楽というより劇そのものを直接感じさせる。歌いながら踊っているわけでそこも評価に加味せねばなるまい。平易な英語なのでわかりやすいのも、これがダンス・ミュージカル、「アメリカのミュージカルの真の誕生」であることを実感させる。舞台では啓蒙的であろうとしたバーンスタインが、劇の構成要素であるプエルトリコからの舞踏音楽をジャズの要素と巧みに織り交ぜて、通俗的だが永遠に残る伝説的な素晴らしい歌のメドレー、「トゥナイト」「アメリカ」など(各々さほど長く何度も歌われるわけではない)、踊れるダンス、「マンボ!(体育館のダンス)」「クール」などといった曲でのはっきりしたリズムの連環という形で構成している。コープランド的な「アメクラ」の部分はあるのだが、バーンスタインにとってそれは同時代の風物として「中に取り込む相手」であり、明るく空疎な響きと複雑なリズムだけに純化されたそれとは違い、厚みある響きや色濃い旋律表現によってバーンスタイン化されており、他の要素も同様で、全部を見事に構造的に融和させている。世俗性は何も客受けだけを狙ったわけではなく、たった2日の間に大都会の底辺で起こった、対照的な移民系の若者同士の悲劇を、「刹那的なもの」の連続によって「ロメオとジュリエット」のフォーマットを使い表現したということだ。これは「アメリカ」を代表するミュージカルであるとともに「アメリカ」に問題提起する、今もし続けているミュージカルである。シェークスピアのフォーマットを使って若者を取り巻く社会問題を音楽化したというと、ディーリアスのケラーによる「村のロメオとジュリエット」があるが、ここではディーリアスの時代から半世紀を経、より肌につくような内容が語られている。ケラーは美談を書いたわけではないがディーリアスは世紀末の雰囲気そのままに二人の死を美化してしまった。バーンスタインは、トニーだけが死んで終わる。日常の続きまで描く。このオリジナルキャスト抜粋版では美しい高音でディミヌエンドはするが、あまりにあっけない、現代の悲劇は一瞬で終わると言わんばかりの「銃弾一発」(ま、筋書きはローレンツだが)。さすがに全編聴くのはしんどいが、バーンスタイン自身の豪華盤は話題にもなり、当時はよく聴かれていた(それすら全曲ではない)。ダンスを楽しむには舞台であり、音ではどうにもこうにもだが、それでも、バーンスタインの作曲の腕をもってこの録音くらいなら聴かせる力がある。けしてシリアスなバーンスタインの作風ではないが、ユダヤの出自を押し出した交響曲などよりある意味結局は「アメリカ人」である(トニーのような)自身を素直に投影した作品として聴くことも可能である。

アイアランド:前奏曲「忘れられた儀式」

ボールト指揮LPO(LPO)1970年代live・CD

アイアランド初期の人気作。例によって古代の島嶼部の風景を写した音詩になるが、かなり素直で、ドビュッシーの影響を穏健に受け、しんとした情景での管楽ソロやメロディアスなところの和音の重厚な揺らぎにディーリアスの影響が聞いて取れるが、僅かな部分にはヴォーン・ウィリアムズに近いものも存在する。つまりこの二人の得意とする心象的な表現を狙っている。そこにハープなど少し特殊な音を織り交ぜ独自性としている(それすらホルスト的ではある)。1912年当時としては作風が古かったと思われるが、アイアランドはこのような穏健な作風と呪術的な複雑さのある作風を後年使い分けたようである。題名は祭礼(RITE)としているものの、後者の作風はまだ全く無い。おしなべてロマンティックで壮大な、なだらかな丘のような構成の、とても清々しく美しいワグナー風の厚い響きをも持つ作品だ。ボールトには1965/12のlyrita録音が知られるがこれはそれより後のライヴで、状態は残念ながら悪い。この繊細な世界を味わうには不利である。何人かの指揮者が録音しているので新しいもので静寂の中、聴けば楽しめるとおもう。

コープランド:静かな都会

バーンスタイン指揮NYP(DG)1985live・CD

3番シンフォニーと組み合わされているが何れも穏健な作風に依っており、こちらはしんとした空気感を持つ劇音楽からの編曲で、コーラングレのための、とも書くがコーラングレとトランペットの対話のような、ソロを中心とした音詩。高音をひたすら分厚くし低音域(ここでは弦楽のみ)は1パートしか受け持っていない、そういう空疎な響きがアメリカ的なるものを、カラッと晴れた西部の荒野に吹きすさぶ風のようなものを感じさせる(これは「市」だけど)。バーンスタインにしてはすこし冷たく感じるのは曲のせいか、このころのニューヨーク・フィルの持ち味か。特筆すべき派手さはなく、旋律もぱっとしないが、劇音楽として意味を考えて聴けば面白みもあるかもしれない。

ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(マヌリ一部補筆)

ロト指揮レ・シエクル(ASM/warner)2012/2/2パリ(世界初録音版)・CD

三曲目「夢」以外は完全な草稿が見つかり(ピアノ連弾版は既に知られる)、びっくりの「ピリオド演奏」による初稿版海とともに発売されたばかりの音源が、早速Warnerに融通されて全集の一部として発売されている(海は未収録)。成人したばかりの学生時代の作品とはいえ同時期にすでに「春」「小組曲」が発表されており、期待は高まる。しかし30分の印象は後ろ向き。ワグナーというよりロシア国民楽派だ。ワグナーの和声や管弦楽の影響があるとすればリムスキーを通じてくらいのものではないか。ロマンティックで、穏やかで書法も自然で、「春」が好きなら勧められるが、ドビュッシーを求めるならかなり聴き込まないとダメである。まさかグラズノフの交響詩みたいなものが出てくるとは思わなかった。まあ、ロシアの革新あってドビュッシーの革新があった証拠ではあるか。補筆された三楽章はひときわ凡庸感が強いので、それを気にする必要はない。四曲目は仰々しくも清々しい響きの盛り上がりをしっかり作っている。各曲の題名は素晴らしくドビュッシーだ。以下


バレエ

行列とバッカナール

演奏は透明感があり神経質なほど響きとアンサンブルのまとまりを重視している。フランス往年のオケの持っていた雑味のなさがこのような曲だとすこし逆に、飽きをきたさせるところもある。スコア外の色の変化をも求めたくなる。木管や弦楽はいいがブラスが単調な曲なので派手に鳴らされる箇所はウンザリするが、これこそロシア節からの影響なのだろう。

ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(改訂版)

○デュシャーブル(P)プラッソン指揮トゥルーズ・キャピトル国立管弦楽団(warner他)CD

ステレオの良い録音だが音質的には少し古びて聴きづらいところもある。「改訂版」によっており、warnerのドビュッシー全集ではフェヴリエの「原典版」と並べて収録されている(後者モノラル、ともにEMI音源か)。原典版のほうが単純に長い。詳細は省略。明るい音で危なげない演奏をくりひろげ、ミュンシュとアンリオのものなんかに比べるとソリストもそれを含むアンサンブルも技巧的にすぐれているように聴こえる。また全体設計もしっかりできており巨視的にまとまっていて、長ったらしい同曲をちゃんと聞かせるように配慮が行き届いている。だらりとしたテンポの冒頭からは想像できないほどスピーディーでかっちり噛み合った演奏に仕上がっていくさまは圧巻だ。音色は明るくフランス的で、ソリストの透明感もまさしくそういったところだが、指がよく回り緩急も即興ではなくきちんと理由のある付け方をして上手い。セッション録音なので細かな音響的仕掛けも聴き取ることができ、クライマックスの三楽章は聞きもの。どうせならフェヴリエではなくステレオの新録音と並べてほしかった(差がわかりにくい)。
プロフィール

岡林リョウ

Author:岡林リョウ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
カテゴリ
TAG

ストコフスキ 四重奏団 フィテルベルク ミュンシュ トスカニーニ コンドラシン バルビローリ 作曲家 モントゥ アンセルメ 作曲家演奏 ブール エネスコ ガウク ミトロプーロス ロスバウト サージェント オイストラフ フランセ ワイエンベルク ORTF アンゲルブレシュト サモスード デゾルミエール イワーノフ ゴロワノフ ムラヴィンスキー ピエロ・コッポラ モイセイヴィチ ベーム セル クーベリック カルミレッリ シュヒター バーンスタイン ビーチャム パシャーエフ ツィピーヌ アルベール・ヴォルフ パレー ウォレンスタイン アラール オーマンディ サモンズ 山田一雄 ロストロポーヴィチ シェルヘン モートン・グールド ギレー モイーズ 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード