オネゲル:交響曲第4番「バーゼルの喜び」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1959/3/7ボストンシンフォニーホールlive

音が悪いかと思ったが最初だけ晦渋な曲のせいだった。このてのものにしては良好なステレオ。ディスコグラフィーになく初出と思われる。ミュンシュは同曲の録音自体ほとんど残していない(正式には67年のerato正規録音、ORTF)。50年代の録音では音楽の凝縮しリズミカルな最も油の乗り切ったミュンシュが聴けるが、まさしくこれもそうで、テンポの弛緩もなく即興的な揺らしもない(そういうことを許す隙あるスコアを書く作曲家ではないが)。切り詰められた音の詰まり交錯する新古典主義のパズルが、安心して聴けるものに仕上がっている。完璧主義者の作品はスコアだけ見ても楽しめるが、逆に演奏の優劣が如実にわかってしまう。これは安心である。ミュンシュは優れている。三楽章にあらわれるかなり露骨なポリリズムが完璧に揃っているのはミュンシュには珍しい。さらに面白いのがこの時代の良い音だけあって、ステレオセッション録音のラヴェルなどに聴かれる不協和音の、鋭敏でバランスの素晴らしい響きを、ここにも聴くことができることだ。不協和音は不協和音なりにバランスが必要で、オネゲルの場合ラヴェル同様にしっかり響くはずのバランスがいちいちある。ミュンシュが単純剛速球指揮者ではない証拠だ。ザッヒャーのためのこれは抒情的な曲であり、翳りある表現は殆ど手法的に部分に使われているだけで戦後的な愉しさや、50年代アメリカ風の垢抜けた前向きさ(トランペットなどはジャズ風のフレーズで必要以上に出してしまってるかも)、そこに末尾に象徴されるウィットが加わって、ハードなオネゲルを求めるなら肩透かしがあるかもしれない。逆に一般客には受けるだろう。ミヨーの1番を大人向けに構造的に書き直したようなものである(いやミヨーの散文的な牧歌とは別物だが)。客席反応は普通だがフェラスのブラコンが控えているからか。もっと嬉遊的なカラッとした演奏もできそうだが、ミュンシュの得意中の得意であったオネゲルの交響曲において、ズシッと重い触感はその5曲の流れにおいて全く妥当である。
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ウェーベルン:5つの楽章op.5

マデルナ指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団(SLS)1967/10/11live

元気溌剌のウェーベルン、というのも違う気がするが音がステレオですこぶる良いので覇気が漲ってきこえるだけだろう。緩徐楽章ではマデルナらしい現代音楽への見識を響きできける。このての音楽は「とにかく新しいものが聞きたい!」という需要にこたえるためにあり、この作品も演奏もその点で、現代の耳からすると半端なところはある。マーラーなのか、コンテンポラリーなのか。後者寄りの鋭敏で繊細な響きの演奏でないと、これだけ明晰でももやもやした印象しか残らないか。

シベリウス:交響曲第1番

○バルビローリ指揮ヘルシンキ・フィル(SLS)1965/9/13ロイヤルフェスティヴァルホールlive

inta grioからヴァイオリン協奏曲と7番は出ていたが(データ記載は不明瞭だが同じだろう)同時に演奏されたこれは初出か。モノラルで録音が悪くノイズが気になるが内容は良い。オケは不安をかんじさせるのはパワーがもっと欲しい最初のほうだけで、技巧的にも、雄渾なスタイルでドライヴしていくバルビの特訓の成果的にも素晴らしく結果を出している。圧倒される音表現、細部まで解釈され尽くしたさまを弛緩なく明確に、弦の細かい動きにすらミスの一つもあらわさず、これはバルビがニューヨーク時代に残した秘蔵音源と言っても通用するくらいの一流ぶりだ。凡百の指揮者がギクシャクさせるであろうメロディの揺れ、音圧の強弱の激しさを、バルビはまるでそう書かれているからやっただけ、とばかりにあまりに自然に描く。刻々の気まぐれでやっているのでは決してない。このオケのまさに北方的な熱を帯びない色のない音がロマンの生臭さを払拭しているのも大きい。その音だからの音響バランスのすこぶる良いところは四楽章で認識できる。ドラマティックなほうのバルビローリであり、同時期の様々なスタジオ録音のような客観性は無い。客席反応は良いようだがよく聞き取れない。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ロストロポーヴィチ(Vc)ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ICA)1962エジンバラ音楽祭live・CD

ICAはあまり新譜を出さないが時折、完全初出のライヴや希少音源を発掘してくるので侮れない。メロウでねっとりしたジュリーニ、穏健なテンポ設定にロストロポーヴィチも合わせたように丁寧に弾いていく。技巧的には何の不安もないが、この盤はデュ・プレがメインとはいえ、「おまけ」扱いの音源である理由は録音の悪さだ。モノラルは言うに及ばずその中心点が左にずれ、環境雑音があり籠もっておりかつ一楽章に非常に耳障りな小さなパチパチノイズが入り続ける。パチパチというより圧縮失敗したデジタル音源のような嫌な音だ。ダイナミックで激しい演奏なら気にならないが緩やかテンポのカンタービレの指揮者のスタイルに沿った、一歩引いた演奏となるとそこに耳が行かざるを得ない。ボウイングの妙を「じっくり」聴かせるニ楽章はジュリーニとのセッションならではで、憂愁の音楽の演出はうまくいっている。ジュリーニのオケ繰りの上手さも光るが、陶酔的なテンポ設定に反してイタリアというよりドイツ風の堅牢な響きも特徴的。ドヴォルザークだからという面もあろう。録音ノイズも少ない。三楽章はノイズ復活するが、音楽が激しくなるとノイズが大きくなるのは圧縮音源にありがちなのでこれも元は圧縮音源なのだろうか。ただ一楽章ほどではない。ロストロポーヴィチの技巧を「じっくり」堪能できるテンポで、こういう解釈はスタジオでは詰まらなくなるのだが、ライヴだから一回性の緊張感がそうさせない。チェロが大きく捉えられているので細かく聴きたい向きでも他の録音瑕疵を押して聴く価値はある。オケも張り切った音が清々しい。このテンポだがライヴなので一、三楽章で各一箇所音を曖昧にとってしまったりニ楽章で一箇所とちったりはしているが、気づいたのはこのたった三箇所である。前者はマイクの問題かもしれない。三楽章はひたすらメロディを堪能すべし。コンマスとの絡みでのオケの量感が絶妙でここは絶品。フィルハーモニア管弦楽団の力量を知らしめ、他の指揮者がいかに無頓着に「二人のソロの絡み」にしてしまっているかがわかる。陶酔からしっかりテンポアップしてブラヴォのうちに終わる。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

D.オイストラフ(Vn)メータ指揮ロス・フィル(SLS)1970/3/12ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルスミュージックセンター)live

オイストラフには「出してはならない時期の録音」というものがあって、これは最晩年のそういうものである。かなりヤバイ箇所があり、二楽章は弾けてるのに両端で音程がメロメロというのは下手ではない、他の理由でそうなっているのは安定感のある音からも明白なのだが、この状態の同曲の録音は他にもあり、ひょっとすると同じものかもしれない。シゲティが蘇演し成功をおさめて作曲家も喜んだという、独特だがプロコフィエフ最盛期の精華が現れた名作であり、技巧的にウォルトンがパクるほどの特徴的な叙情性をいかに演じるかだが、オイストラフはもとから「弾け過ぎ」のため同曲の意図して煮え切らないメロディや殆ど装飾的な音符でしか構成されていないフレーズとか前半期プロコフィエフ特有の「前衛性」を、どこが前衛的なんだか、普通の曲じゃん、という印象に変えてしまう。シゲティ後年のカスれて何の音を出してるのか解らない箇所だらけの録音が良いとは言わないが、楽曲には不思議と合う。とにかくハイフェッツしか知らない西側の人々の前に、巧すぎる刺客としてソビエト連邦から現れたこの人、作曲家とも共演しているとおり認められてないわけはなく、上手すぎても問題ないのだが、音楽にはやはり何かしらプラスとともに「マイナス」も必要なのだ(曲によって)と思うこともある。しかし、こんな演奏でも普通に拍手だけで送り出す暖かい聴衆に、この人の受けてきた賞賛の残り香を嗅げることは嗅げる。この曲めあてで同盤を買うことはおすすめしない。カップリングは亡くなってしまったスクロヴァチェフスキとのベトコン。時期的にベトコンというと誤解されそうだがベートーヴェンのコンチェルトです。版は知らない。

ヒンデミット:序曲「キューピッドとプシュケ」

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1968/4/18セヴェランス・ホールlive

セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。

ドビュッシー:管弦楽のための映像?Ⅱ.イベリア

アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1959/3/19シャンゼリゼ劇場live

前へ向かわない遅いテンポはアンゲルブレシュトのこの曲の解釈であり、引き締まったリズムパート、無機質的な透明感がアク抜きされたラテン風味を引き立てる弦楽器、時にからかうような時に情感を引きずるような管楽ソロ陣、バラバラのベクトルを持った演奏様式がアンゲルブレシュトのむりやり縦を揃える方法により纏まる、いつもの解釈ではある。第一部でやや危なっかしいところがあり精度的には別にこれを取り立てて聴く必要はなかろう。情緒的で、第二部のネットリしたところや第三部の散文的な構成(決して弛緩はしない)は強引さを感じさせない強引さで聴かせてしまう一種豪快さが楽しい。客席反応は普通。録音はモノラル、やや悪い。第二部に瑕疵あり。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/2/17シャンゼリゼ劇場live

驚きの演目で否応にも期待が高まる。アンゲルブレシュトの構築的で透明感溢れる芸風が前衛的な曲にあっているようにも思える。が、結果、情緒的であった。もちろんアンゲルブレシュトも手練なので、特に得意のドビュッシーで曲によりアプローチを変えるのは当然なのだがモントゥとまでは言わないまでも結構この時代(録音は篭もって悪いモノラル)このような、バレエ音楽的な演奏は録音されてもいて、そこから離れたものにはならない。でも録音さえ良ければ普通に楽しめるレベルではあると思う。オケはORTFらしい少し無機質だが技巧はフランスでは高い方のそれ。ソリストによっては時代なりの懐かしい音はする。次に収録されているイベリアがいつもの客観性を感じさせる引いた演奏なだけに一際アンゲルブレシュトはバレエ音楽であったことを意識してやっているんだな、そしてあまりこの曲を好きではなかったのかもしれない、と思った。

ドビュッシー:映像第2集?Ⅰ.葉ずえを渡る鐘(コッポラ管弦楽編曲)

コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD

Warnerではオケ名を管弦楽団のままとしており原盤表記はおそらくそうなっているのだろう。この時代の楽団表記はマストではなかった。曲があまり編曲されないたぐいの繊細なものであるからしてこの前のグラナダよりもさらに静かな編曲で、とりとめもない感じもする演奏となっている。コッポラ自身の編曲だから同じようなソリストを繋いでいくような形であるが、趣はすこし異なる。

ドビュッシー:版画?Ⅱ.グラナダの夕べ(コッポラ管弦楽編曲)

コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD

ビュッセルの編曲とは違うコッポラ自身によるもの。即物的なコッポラらしさは希薄。曲の穏やかさと編曲の妙で雰囲気音楽的であり情緒的である。職人的なわざで換骨奪胎とでも言うべき厚みある音楽を作り出している。ギター模倣のフレーズを担うハープなどソロ楽器が効果的に活用されているが、ファリャが賞賛したスペイン風のところはあくまで技法的に中東風のものが入っているというだけで、完全にフランス的な上品さのうちに収まっている。いや、肯定的な意味で書いている。昭和初期の録音でこれだけ幻想を味わえれば十分。オケも良いのだろう(Warnerではオケは無名となっている)。

ドビュッシー:喜びの島(管弦楽編曲)

コッポラ指揮交響楽団(lys他)CD

ビニェスの初演もかくありなんというスピードと水際立った音の弾け方、南欧的な明るさが素晴らしい。SPでこれを実現したのはコッポラや楽団もさることながら録音・プレス側の腕も優れていたということにほかならない。冒頭からしばらくはつんのめるようなテンポ感がありSP期特有の揺らぎが気持ち悪いが、後半は気にならなくなる。いや、この高速インテンポはコッポラの短所にもなりうるのだが、この曲はこれでいいのだろう。旋法的な動きを際立たせて雰囲気音楽に持っていくには明確すぎる輪郭を持っており、やや浅くも感じさせるだけに、勢いが大切だ。この編曲もいっそ南欧風のカラッとした感じがしてファリャを少し思わせ、モリナーリの編曲としたらドビュッシーの指示も確実に入っているのだから、正しいのだろう(コッポラの編曲かもしれない)。サティと違ったストレートなシテール島への船出、楽しい航海、である。

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サティ:ジムノペディ第1、3番(ドビュッシー管弦楽編曲)

プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon)CD

ふつう。「この曲でどうやったら個性的になるんじゃい!」と言われそうだが、表出意欲の強い演奏ならもっと古い録音にある。これは平穏なサロンミュージックで、引っかかるところがない。それが意図でもあろう。ドビュッシーの繊細さと乱暴さの同居する奇妙な編曲もサティの原曲の情緒を損ねずに、まるでもとからそうであったかのように聞きとおせる。プレートルの職人性が表れている。原曲は3,1番の順番になる。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon)CD

大人しい。この曲はそれでいいのだが穏やかで、一部表現にプレートル独自のものが出ていなくもないのだが、ごく一部であり、ソリストの個人的表現の範疇にとらえられなくもない。正規録音なので神経質に音質にこだわる人でなければ、この曲を最初に聴くのには向いているかもしれない。曖昧模糊とした「印象派」なるものを実感できるだろう。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

ソリアーノ(Vn)ダルレ(P)(meloclassic)1960/1/8放送用スタジオ録音

一楽章、シゲティ的な掠れのある、弓圧に頼らない私の好きな音系なのだがぶっきらぼうな発音や荒い表現がきかれるのはその系統の特徴なので仕方ないか。但し奏法(というほどのことではないが)を使い分けていて単調にはならない。部分部分の解釈に感傷は宿らない。全体、流れの作り方、プラス前記のようなところから他の演奏家にはあまり無いたぐいの懐しさをはらんだものが滲み出てきて、余情が残る。鄙びたモノラル録音であることも手伝い、松葉のない棒のような弾き方でも違和感はそれほどないし、ピアノも含めて雰囲気が出ている。二楽章はそのやり方が通用しないようなところがあり、楽曲に特徴的なブルースを演奏で効果的に仕上げることは出来ていない。切り替えなく一楽章と同じやり方だ。精密機械としてのラヴェルとはまた違う方向を志向している演奏なのでこれはこうでいいのだろう。ピアノの正確な粒だった音が光っている。しっかり主張してくることでラヴェルであることをわからしめている(ピアノはどうやってもラヴェルになる)。他楽章の要素が複雑に絡み合う三楽章ではソリアーノのやり方が功を奏する。激しい表現は民族的ですらあり盤石の技巧の上で荒々しさを発揮して、ただ荒いのではなく、荒さを弾いているのだと和音の完璧さを示して終わる。なかなかの演奏だが正統かどうかはわからない。

マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

ハロルド・バーンズ指揮ハンブルグ北西ドイツ放送交響楽団(forgottenrecords)1955/6/27-29放送用録音

モノラルで音は普通。バーンズはアメリカでマーラー演奏に貢献した指揮者でアルマとマーラー生前未発表曲の演奏にかんして直接交渉したことで知られるが演奏は知られていない。さもありなん、つまらないのだ。あまりに予想どおりで、譜面をただ音にしたような演奏ぶりであり、型式ばった演奏はドイツ系のやり方といえばそうなのかもしれないが(父クライバーとレオ・ブレッヒに薫陶を受けている)音にはドイツ系の響きにあるべきパワーがなく、かといって超客観主義のスワロフスキーのように透明に振り切ったところもない。まるで中庸でまるで魅力の語りようのない、曲自体の魅力で聴かせるだけだ。2,3楽章を入れ替えているのはバルビローリなど同時代やっている指揮者はいるので珍しくもなく、稿が違うようにも聞こえない。悪しざまに言ってしまったがただ一言で済ますなら「普通」。期待過剰であった。オケは必要十分といったところ。いや、ふつうなりに2(通常3)楽章など聞かせますが。

ディーリアス:イルメリン前奏曲

ライナー指揮シカゴ交響楽団(SLS)1954/2/10シカゴWGN-TVスタジオ

放送用録音の放送起こしか。録音は籠もり鄙びた音がするからライヴかと思った。その鄙びたところが冒頭からラストまでひたすら繰り返される動機を担う数々の楽器をもって懐かしくもハッキリと、これがディーリアスの曲であることを示している。ディーリアス好きからすると響きが薄いので満足できない曲かもしれないが、手軽な五分半という長さであればディーリアンならずともその世界の良さを味わうに程よく、これで音が良ければ、ライナーの曖昧さのない捌きがむしろディーリアスの考え抜かれた懐深さを浮き彫りにして良いと思う。ほんと、ボロディンふうの世界からここまで達するのに苦心があったろうというか、リヒャルト・シュトラウス等の楽器法と和声の巧みなところを取り込んで、民謡風のメロディを自然に軽やかに引き立てることに成功した(ゆえマンネリズムを持ち味にしてからは好悪別つと思われる)ディーリアスのロマンスに触れるには良い小品。前衛的な晦渋さに凝りだしてからの作風が好きな向きは物足りないか。ライナーのディーリアスは知る限りこれが2つ目だが、データ不整合なものの同一かどうかは確かめない。面倒なので。

マルタン:クラヴサンと小管弦楽のための協奏曲

ネフ(clv)ウーブラドゥ指揮パリ室内コンサート協会(forgottenrecords)1955live放送

LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。これはいかにもこの時代の前衛の響きを嗅いだ保守的な作曲家の作品という様子で、昔よく聴いたたぐいの半端な不協和音に半端に晦渋な書法、だが、クラヴサンという楽器の爽やかな響きによってそれらの「曇った要素」が比較的取り除かれているのがポイントだ。なのでずっと聴いていられる。このソリストの腕なのか楽器に工夫があるのかわからないがとても大きく響き、また実に細かく動き回り、終いにはシンセサイザー協奏曲を聴いている錯覚に陥る。録音の古いせいもあるだろう。編成を絞ったのは新古典主義を狙ったというよりクラヴサンとの音量差を無くすための配慮だろうが、この演奏はバランス良く聴けた。楽しめるかどうかは曲との相性次第。わたしは二度聴くことはないかな。七分半と十二分の二楽章構成だが二楽章はカデンツァを挟み4つの部分に分かれる。

ジョリヴェ:トランペット協奏曲第2番

デルモット(trp)ウーブラドゥ指揮パリ室内コンサート協会(forgottenrecords)1957/2/10live放送

LP起こしというがライヴであり独自発掘かもしれない。管楽器、ピアノ、打楽器とトランペットのための協奏曲第二番というのが原題であきらかにストラヴィンスキーの野蛮主義からきたお得意のエキゾチックな乱痴気さわぎ、三楽章ジオコーソは曲も演奏も出来がよくブラヴォも出るが植民地主義へのブーイングの方が多い。ミュートしたトランペットが旋律をとなえ(この曲はきほんソリストが高音で断続的なメロディをかなで、そのずっと下の音域で他が騒ぐ構造になっている)、一楽章は何も見なくても戦後ジョリヴェとわかるような騒ぎっぷりでジャズの要素はその後の楽章にも現れ諧謔的な雰囲気を支配的にするが、これは好きな人は楽器が絞られているぶん洗練されて特に好き、嫌いな人はまたかよという感じだろう。二楽章は東洋的なフレーズも表れる三分半、ジョリヴェが騒ぐだけではないという見本(支配的な位置の高音楽器がトランペット以外にもまわってくる)。三楽章はパーカッションの腕の見せ所でもはや何の何処の音楽を聴いているのかわからない。娯楽的でもスリリングでもある。悪くはない、赤道協奏曲のようにでかくて長ったらしいものを聴くより、限られた楽器によるこの曲で打楽器主義を娯楽的に楽しむのは悪くない。三つの楽章計で13分くらい。音色も腕も良いが録音が古いためパーカッションが派手に叩くと絡んでくる管楽器が小さくてバランスがとれない。それが原因で全般やや抑えめの演奏に聴こえなくもない。ところで指揮者は必要なのか、とふと思った。

ホルスト:組曲「惑星」

サージェント指揮BBC交響楽団(bbc/IMP)1965/2/3live・CD

サージェントらしい緩急ついたダイナミックな惑星で、トスカニーニスタイルよりもしっとりしているところはしっとりしているものの、おおむね客受けしそうな演奏で、オーソリティの地味なボールトやスペクタクル系のオーマンディよりも「惑星」そのものを楽しむのには向いている。録音瑕疵があり放送ノイズやステレオ録音の偏りが気になる個所が散見されるので、サージェントの惑星として決して上には置けない。火星でのブラスを中心とする「とちり」は看過できないほど多い。ただ、後半は安定してくる。BBC交響楽団ならではというものは何もないが、サージェントはおそらくイギリスの同時代指揮者でいちばん惑星が巧かったので、ほかで聞くのもいいと思う。

※最近の更新方法について(2018/7)

※転載・画像流用・無断引用・無断リンク禁止



というわけで素っ気ないブログですいません。(笑)

利用上のご注意」にこまごまと記述しておりますが、最近のここの更新の仕方について改めてご説明をば。

(1)データに○をつけている盤はよほど凄いと感じたものです。過去に比べ聴く量がかなり減っており、自分の中の基準が一定しなくなったので、◎や×等の分類はやめ、極端に振れたときのみ○をつけることにしました。楽曲そのもの、録音状態も込みでの評価というのは過去と変わりません。音盤では不可分と考えています。

(2)「カテゴリ」はgooブログの制約により分けていない記事が多いです。「まとめブログ(fc2ブログ)」にミラーリングしておりまして、あちらですとカテゴリ数上限もなく、表題も含むフリーワード検索が(精度は高くないのでいくつかワードを試していただければ)可能です。作曲家名によって完全にカテゴリ分けしております。もし過去記事をご参照の際はあちらのほうが便利かと思われます。

※あくまでミラーなのでアクセスログも見ておりません。記事への反応はこちらのほうが助かります。

(3)こちらの記事の後日アップデート(情報修正等)はしません。影響が広範な場合、gooブログの仕様上修正が無理なためです。誤情報、後から判明した事実や、新たな情報は基本的に前掲「まとめブログ」側の情報を更新していきます。私が知らない内容は当然反映されていません。すいません。
(例)読み間違いの訂正「ルフューブル」→「ルフェーヴル」:直していません

(4)記載される媒体種類・レーベル名(レコード会社名)は参考です。他社による再発やリマスター盤、ネットのデジタル配信やパブドメ音源、権利の怪しい音源まで含めると原盤特定や網羅的記載は困難です。基本的には手元にあるものを記載します。媒体(CD、LP、デジタル配信、youtube、ビデオ、DVD、BD等)についてはいちいち書かない場合もあります。出元の怪しい音源は元の媒体を推測し、手元のものとは異なるものを記載することもあります。また「ina配信」のように書いてあるものは例えば「ina.frのwebサイトでデジタル販売されている音源」です。最近のCD-R(裏青盤)は媒体名特記していません(権利的に怪しいものが多いためのトラブル回避用)。

(5)録音時期による楽団名、演奏家の苗字等の変遷は細かく検証せず、音盤記載のまま、もしくは個人的にわかりやすいものに統一していることがあります(例:ニコレ=アンリオ→アンリオ・シュヴァイツァー)。わかる範囲の注意点や疑義はそのつど書き添えていますし、あとから問い合わせ結果等を反映する場合もあります(繰り返しになりますが過去記事は基本「まとめブログ」のみ修正)。

(6)作曲家、作品紹介はしません。すいません、初心者向けではございません。ジオシティーズのホームページ(旧サイト)ではある程度行っておりましたが、現在Wikipediaをはじめネット上にいくらでも情報が転がっている状況をふまえ省略しています。

古い記事は特にソースについてあやふやで、伝聞や記述当時の風潮からの「通説」を書いていることがあり、原典があっても古くて今や覆されている説に基づいていることもあります。昔の雑誌は情報不足から想像に基づく嘘や、聴いてもいない演奏評を載せることもありました。否定されていることでもまことしやかに語られていたことを、20年以上前の記事では書いてしまっています。敢えて直しません。ただ、これを防ぐために最近は敢えて避けています。

ここは基本「音源評」で「印象論」です。あやふやなことも書いてしまうことは否定できません。一方、長文をつづることでお定まりの凡庸な評論風を書いてしまったり、叙述的に書いていくうちぼやけていき本来の意図からずれていくのが嫌なこともあり、短文で、どう感じた演奏なのかはっきり書き残したいという意思があります。単純に個々の手間を最小限にして、そのぶん記事数を増やしたい意志もあります。

楽章単位ですらなく全曲トータルで、かつ演奏団体(演奏者)の「マス」としての印象のみで、個々の部分がどうのこうの、スコアのここでどうのこうの、個々の楽器がどうのこうのということはあまり書きませんし、大編成の楽曲のほとんどにおき感想をのべるうえで、そのての指摘に意味が無いと思っています。

その他楽語の不使用、楽曲分析的な観点の無視、背景の無視、作曲・演奏意図への考察の削減、経緯があってこういうブログになっています。下手なりに演奏、手探りなりにリスニング、インターネットの音楽愛好家界隈だけでも20年のやりとりを重ねた結論です。ブログを長続きさせるための秘訣です。

(7)名前など日本語表記の統一を1記事内でもしていない場合が多くありますが、敢えてそうしています。「検索用」です(まとめブログ向け)。慣用的に使っていた名前について、例えばWikipediaが最近になって表記を統一しても、従来の訳文ないし慣用的表記に従う場合も多くあります。直していたらきりがないこともありますし、一過性のことで膨大な記事の全部を直す必要性を感じません。(例)スクリャービン→スクリアビン

(8)同じ音源の感想を再度記述することがあります。多くは10年越しレベルで忘れているだけ、また、音源のリマスターや私の耳の状態等による印象変化があるためです。表題に☆がついている記事は再アップ記事(リマスター版同一記事)です(まとめブログにはありません)。

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