ウォルトン:バレエ組曲「賢いおとめたち」(原曲バッハ)

フレモー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)CD

 

ウォルトンの「お仕事」系の最たる作品で、編曲技術の陳列といったふう。中プロに現代作品を、と思った選曲担当が困ったとき権料をおいても選ぶたぐいの無難な編曲作品(ストコフスキより数百倍無難である)。軽くて聞き流せるがバッハ原曲の数学的な構造の面白みをちゃんと適切に拡大して配しており、ごく一部にウォルトンらしい派手な音も入るが、この演奏は特に無難ではないか。

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ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)

ハルスカ(Vn)モニエ指揮ベルサイユ室内交響楽団(dts)1997/2/4live映像

ビデオ起こしらしいものが動画共有サイトにあがっている。この曲のプロフェッショナルなライヴ映像は珍しい。ハルスカは荒っぽく、激して音にならないところもある。高い音を指をずらしてとるときがあり、ヴォーン・ウィリアムズのように正確な音をしっかり取るのが重要(音を詰め込まないかわりに厳選し計算している)な作曲家には向かない。ただ、現代的な精緻なスタイルには決してできないものがここにある。弦楽合奏(上手い)とややずれる場面もあるがそれでもこれはライヴで、ラプソディックな「野外のヴァイオリン」なのだ。この曲は新古典主義の立場をとりつつ、揚げひばりと同じものを志向している。聴き応えはある。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

ベイヌム指揮LAフィル(DG)1957/12live・CD

珍しい組み合わせではないか。ベイヌムはラヴェルを比較的振っているが響きは充実してバランスが良いものの、解釈は実直でいささか面白くない。これも同じ。他の人がやらないところで妙な音量操作をすることもあるが、他の人が少しは溜めるようなところをむしろダッシュで駆け抜ける。インテンポでもないが、何かつまらない。重心の重い響きは舞踏リズムを強調して良い。だが全般舞踏のブの字もないかんじ。オケが精度に問題あるもののカラフルなのでラヴェルらしさを感じさせ、この人がコンセルトヘボウで振っているときと同じくオケに補完してもらっている感がある。といっても厳しく律せられた演奏であり、アマチュアのものではない。この豪速球は当時のアメリカ好みのものだったのだろう、大喝采が食い気味で入る。ロス・フィル百周年記念ボックスのおまけ収録。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

クレンペラー指揮LAフィル(DG)1945/12live・CD

録音はえらくパチパチ塗れだがスピーディーで意外と聴ける演奏。クレンペラーなので揺らしたり当意即妙な演出は一切しないが、カラフルが持ち味のオケは映画音楽で培った腕なのかウィーン風の生ぬるい響きも持ち込んで一味加えている。常時よりも引き締まり精度の上がった演奏ぶりはクレンペラーとの相性か。まだ古いクレンペラーのスタイルを楽しみたいなら。ロス・フィル百周年ボックスのおまけ収録。

ドホナーニ:組曲嬰ヘ短調

ロジンスキ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/4/2live

オケが俊敏で重くならないのはロジンスキにとってもメリットだ。このロマンティックな曲から現代性を浮き彫りにしトスカニーニに中欧的な色彩を加えたような優れた演奏になっている。20世紀初頭の作品なので同窓バルトークの後年の作品のようなものは期待できないし、ドホナーニはそういう作曲家でもないが、この頃多かったリヒャルト・シュトラウスの絶大な影響下で爛熟した響きを使いながら、変に壮大にせず締めるとこ締めて軽妙な表現をなしている非常に職人的な良さのある作品。原曲はピアノだと思うが単なる編曲ではなく、ブラームスというよりロシア国民楽派の作品の野心の見せ方のようなものがあって極めて平易で楽しめる(四楽章冒頭はラインの終楽章かと思うが)。オリエンタルな旋律のあらわれる三楽章もリムスキーより遥かに洗練され中欧化され隙きが無い。また、ロジンスキーがただ力で押すだけの演奏をしたと思ったら大間違いなことがわかる。この人も職人的な人で、カラフルな曲はカラフルにスマートにやってのけるのだ。録音が30年代にしては針音程度のノイズでしっかり聴けるのでサージェントより古いものが聴きたければぜひ。わりとハリウッド映画風なので気軽に。

※gooブログの移転を検討しています

使い勝手が悪くなったので、ログデータが拾えるうちに他へ移ろうかと考えています。長期的に考えているものですが。。もしくはFC2(まとめブログ)を本番サイトとするか。何がいいだろう。アフィタグはログへの悪影響をかんがみ減少の方針で。

(追記)
うーん、おひとりしか反応がない時点でSNS的な存在ではないので、gooブログは向かないのかな。往年を思うとさびしいものです。何度も停止宣言してるせいもあります(そのつど離れられた)。

筆跡はこのとおりですがなんかイモージェンさんが代筆してるっぽい。

先行事例を探しましたがWordPressへ移行したという、同じ人の記事とおもわれるものしか出てこないですね。gooブログのマイナーが故の困惑。画像リンクは直書きされてるので諦めるかな。それにWordPressは商用じゃないかぎりやる気にならない。SVも必要だし更新もめんどくさくて意味ない。普通にテキストのログデータを落とし込めるどこかにするか。。FC2ブログみたくコメントがほとんど反映されないのはいやだけど、ほとんどコメントないし見直すこともないし、そこはデータとしてローカル保存だな。。まあ、gooメールは使っているので、抱き合わせでここは残ることは残ると思います。

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ディーリアス:五つの小品(フェンビー編曲)

デュラン(fl)フェンビー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(EMI)1979初出・CD
奇怪にぎくしゃくした「小さな少女のためのマズルカ」印象派的な陰影だけの「小さな少女のためのワルツ」は尖鋭さが出やすい小規模作品らしい音楽。すこしウィーン風の「ワルツ」はさらにディーリアスらしくないが、ぎくしゃくした動きと半音階的な進行はディーリアス。「今の子のための子守唄」はデュランがフルートソロを吹いているが、旋律は優しい、でもその裏で弦楽器がじつに妖しい和音を揺らがせており、異常な雰囲気がある。次第に落ち着いては来るが、フェンビーの編曲のクセもあるのだろう。半音階の多用はともすると尖鋭になりすぎるが、この曲は長い和音の各音を単純に弦楽器の各パートに置き換えることでちょっと生硬になっている。快活なトッカータは題名通り新古典主義で、弦楽合奏では驚くほどディーリアス的でない。現代的な和音進行が混ざる部分のみだが、それなりに魅力はある。演奏はすんなり聴けるものだとおもう。

ディーリアス:二つの小品(フェンビー編曲)

デュラン(fl)フェンビー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(EMI)1979初出・CD

「ラ・カリンダ」をフルート協奏曲にするという荒業は違和感を禁じえない。原曲もディーリアスらしさという点で初期的な面がある作品だが、オケの粗さ、フルートの技巧及び音色の限界が曲の自然な爽やかさを損ねている。「アリアと舞曲」はむしろディーリアスの典型的な分厚い音楽で、アリアの方は夕景をロマンティックに彩るようなもので細かい技巧を要求する部分はなく、不協和ぎりぎりのハーモニーや独特の進行が編曲をものともしない個性を発揮している。最後のフルートのトリルは良い。舞曲もディーリアス的な不格好な田舎踊りで、リズムの重さと響きの軽さ、旋律線の平易さは末尾でフェンビーの薄い個性が出てしまってるところもあるが、こちらもフルートを徒に使わずききやすい。

ウォルトン:オラトリオ「ベルシャザールの饗宴」

〇トマス・アレン(B)プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団、グリーンウッド指揮フィルハーモニア合唱団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD
作曲家臨席のコンサートのメイン演目で、合唱だけを見ても度肝を抜かれる巨大編成である。オケもこれだけいれば目の詰まった音に満ち、これは素晴らしく一期一会の記録と言っていい。演劇的要素のある大曲にビジュアルは必要だ。トマス・アレンの独唱もきれいだが混声合唱の迫力やパーカスの野蛮な打ち鳴らしの前にはややおとなしく聞こえる。プレヴィンも汗したたらせて熱演だが、ジャズ風のものを含むリズムのキレがいい。そっちの音楽をやっていた人ならではだ。後年の曲もいいが脂の乗り切った時期のウォルトンは一味違う。一つのアイデアをこねくりまわすのではなくいくつものアイデアを繰り出してくる。歌劇「トロイラス」はさすがに飽きるが、この時期のイギリスの大作曲家には協力者の存在が見え隠れする。トロイラスは間に合わない部分を補筆されたときくが、この曲は他の手が入っている感じがない。壮麗なエンディングにブラヴォが飛び、ウォルトンの興奮する姿がうつる。同曲を語るに欠かせない記録だ。
 

ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲

チョン・キョンファ(Vn)プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD

顔色の悪い作曲家がブラヴォと言っているのが見える有名な記録で、80歳コンサートの白眉だったのではないか。このコンビで別のライヴもたしか音で出ており、セッション盤はこの曲をリヴァイヴァルさせるほどヒットした。多分この時点でこの曲をちゃんと認識していた外国人はおらず、これをもって皆演奏するようになったのだろう、激烈スタイルが似通っている。荒いのは荒いが技巧が荒いのではなく気迫に押されて音が撚れるだけだ。プレヴィンは小粒のスタイルで(オケの編成もだいぶ小さい気もするが改訂のせいか)器用にさばくが、一か所どうしてもミスにしか聞こえない音があり、ほかにもあるかもしれない、ライヴなりの精度ではある。若いコンマスのチョン・キョンファを見つめる鋭い目が怖いが、最後はやりきった感の前に牙を収めている。最初に聞くには向くが、個人的には凝縮力のあるハイフェッツがききやすい。

 

ウォルトン:戴冠式行進曲「宝玉と杖」

プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD

作曲家80歳記念コンサートの映像で、よく知られたものとなっている。最晩年の作曲家臨席のうえオールウォルトンプログラムが組まれ、国歌と何かの間奏曲のあと前プロとしてこれが演奏されている。映像収録目的のせいかステレオであるものの音響バランスに違和感のあるところもあり、またイギリスネオロマンチシズムの泰斗・・・すでにそうとうに衰えが見える・・・を迎えての異様な雰囲気がそうさせているのか、荒く力んだこのオケらしくない派手志向の演奏になっている。もともとの音質にそれがあわずスカスカで痩せて聞こえるところもある。中盤エリザベス二世の戴冠式映像が入るのが、翌年亡くなってしまう作曲家と、その映画音楽の影響を受けたハリウッドSF映画が一世を風靡していた時代、さらに現在女王は元気に国の行く末を見守っていることを思い、時間の不思議な交錯に少し感傷的にもなる。プレヴィンは若々しい。老けてしまい、亡くなってしまった。

 

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ストコフスキ指揮LSO(decca)1970/6・CD

遅くてもっさりしてるのが何よりの違和感だ。楽器によって俊敏に吹かせたり、瞬間的に全体が盛り上がることはあっても、響きを壮麗に聴かせようという意思が強すぎ、重くて遅いだけの大きな演奏という印象が大部分を占める。物語的にこの曲を聴かせるというのは、そもそも録音史上最も古くからドビュッシーに取り組んできたストコフスキーはずっとそうやってきたので、今更ブツブツ何をか言わんやだが、それでも二楽章終盤など一部の異様にイマジネイティブな表現を除けば、三楽章の異常にねっとりした中間部や音響的迫力にしても、松やシェヘラザード同様に音量ほどに響いてこない。まして編成をいじり記号をいじり録音をいじりもしているであろうことを考えると、これはストコフスキ作曲「海のようなもの」として、後期ロマン派作品のように聴くべきか。音響への関心が異常な反面、和声やメロディの起伏への関心がおざなりなことも海にはマイナスに働いている。個人技の牧神など面白いが、海はもともと面白いので、過度にやっては醒めるし、過度に突き放しては現代曲的な頭の音楽に押し込めることになる。三楽章は人によっては雄大な世界をハリウッド的に楽しめるかもしれない。元々はコンサートホールの理想的な響きをお茶の間に、から始まったのがストコと技師の録音技術の探求だったはずで、たしかにストコフスキサウンドの再現にはこのバランスの録音しかなかったかと思うが、それにしてはこの曲はいじり過ぎだ。ラストの物凄く引き伸ばされたクレッシェンドはストコフスキーの独壇場。スヴェトラーノフくらいしか上らないけど。
Leopold Stokowski - Complete Decca Recordings
音の魔術師ストコフスキー没後40周年記念ボックス!
Decca

ドビュッシー:前奏曲集第一巻~10.沈める寺(ストコフスキ管弦楽編曲)

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1930/4/30・SP


イマジネイティブな主題をピアノという楽器の世界だけで壮麗に描き出した名曲、それをまんま管弦楽に置き換えて、ブルターニュ伝承の鐘の音はそのまんま鐘に鳴らさせたり、とにかく即物的だが、一瞬「あれ?これ誰の曲?奇麗」と思わせるほど楽曲としては成立しており、まあ、いきなり海底から大聖堂が飛び出し、すぐにズボンと引っ込んで、ズルズルと続くような感じも、この短い時間でこの大編成ではしなくもないが、録音の悪さを脇に置けばそれなりに聴ける。ガストン・プーレか誰かもこれをやっていたような気がする。それだけ魅力的な作品なのだろう。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅰ.雲

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1929/5/2・SP

ねっとりした独特の節回しのあるドビュッシー。ドビュッシー好きなら絶対嫌うストコフスキーだが、さすがに録音時期も古く、そのわりにオケはしっかりしてフランスのもののような貧弱な録音、ばらける演奏にはならない。解釈を加えてなお乱れず、そのため十分南国の果実のような腐りかけの魅力を味わうことができる。音が古いので、腐りかけとまでは感じないだろう、だから機会があれば、どうぞ。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

ワイエンベルグ(P)プレートル指揮パリ管弦楽団(SLS)1970/4/16live


このピアニスト、私は好きなのですが、とにかく明るくて軽く、また時折おそすぎる。技巧的にも少し衰えがでてきてたのかな、というところが無くはないがこの録音ではほとんど気にならない。柔らかい音を出すのもポイントで、ガツンとくるチャイコフスキーはここにはない。柔らかく、明るい。そういう演奏です。ステレオ。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

マルコヴィチ(Vn)ストコフスキ指揮LSO(decca)1972/6/14,15live・CD

十年あまり前に書いた「無編集盤」の、ホンモノの方である。これをセッション録音だと思って看過していたがPhase4のボックスに収録されていたので見たら14日ロイヤル・フェスティバル・ホール60周年ライヴとかかれている。ライナーのデータは2日ぶん書かれていたので、編集有無以外にも「無編集盤」と差異があるものとみなして別項に書く。前の印象とはかなり違う第一部。丁寧で奇麗な音だ。テンポは遅めだがストコフスキー自身も国民楽派でこういう遅い演奏をすることがあり、磨かれた録音もあいまって違和感はない。だが第二部に入って音程がどんどん外しがちになっていく。磨かれた録音のために調整された音もあると思うが、その調整が至らないほど外していた可能性がある。テンポももどかしくなってくる。オケのほうが煽るくらいになる。しかしステレオ録音はじつに美しい。息切れしたようなラストにかぶって拍手が入る。ラストの印象は一緒だった。
Leopold Stokowski - Complete Decca Recordings
音の魔術師ストコフスキー没後40周年記念ボックス!
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番~全楽章からの断片

バーンスタイン指揮NYP(UNITEL)1966/1/5放送live・BD

ヤングピープルズコンサートの中の「ショスタコーヴィチ誕生日トリビュート」より。還暦。7番の1楽章主題再現を軽くやったあとはほぼ全部を9番の解説と断片演奏に費やしている。ベートーヴェン第九との対比など、ショスタコーヴィチのパロディの気質も、この曲自体が「第九」のイメージへのパロディになっていることを含めているのである。解説がやや長く、曲が分断されがちで総体的に楽しみづらいが、膨大な編成で軽交響曲をやるということ、たとえば木管ソロを繋いでいったり弦楽器とかけあいをやったり、ジャズ風とまで言えそうなやりとりによってその意味を視覚的に理解できる。演奏はけっこう攻撃的でNYPの実力が発揮されているが、ショスタコーヴィチは個々の楽器は部品化してやりにくそうに見えて合奏としてはまとめやすいのかもしれないという印象も受ける。7番の解説を聞きたかったがタイミングというのはこういうものだし、子供向けの番組なのだ。この回まで白黒。
 

コープランド:バレエ音楽「ロデオ」~ホウダウン

バーンスタイン指揮NYP(UNITEL)1965/12/14放送live・BD

 

ヤングピープルズコンサートの「オーケストラのサウンド」からフィナーレとしての全曲。おじいさんばっかりのNYPでも若々しい曲をそれなりにできるのは「適切なサウンドを出させているから」ということが主旨で、この点わたしはあんまり重要だと思ってないのだが、ハイドンもコープランドも同じ音で弦楽合奏させてはだめだ、という今でいうピリオドの観点も説明してしまっている。書法は新古典主義でもコープランドはフィドルの奏法が根底にある。この奏法についてはドビュッシーやガーシュインの断片でも説明されているが、楽器によっては言われるほどあきらかではない。奏法というよりアクセントやボリュームだろうというところも、ブラスでは思う。ハイドン、ベト、ブラームス、ドビュッシー、ストラヴィンスキーそしてガーシュインとコープランドの流れは鮮やかではあった。このシリーズの常として正規録音より音が立っていてオケもノリがよい。ホウダウンの原曲版は編成の大きさにより鈍重になってしまうが、ここでは重厚な響きながら楽しく力強く聞けた。

 

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番~全楽章からの断片及びⅣ.

バーンスタイン指揮NYP(UNITEL)1965/11/29live・BD

ブルーレイ化の進むヤングピープルズコンサートの中の映像。四楽章は全てを振っているが正規録音より迫真味がありハーモニーも良いんじゃないかという出来。バンスタはこの曲は評価しており、ここでは音程の説明の最後に転調の効果的な例としてピアノをまじえ同曲の解説をしている。熱気をもってバンスタが伝えようとしていることを客席の子供はたぶんあんまりわかってないが、ヴォーン・ウィリアムズの音のクセ、この曲で珍しく現れたシニシズムを早口で説明してしまっており、ヴォーン・ウィリアムズが本来はこんなにベートーヴェン的展開をさせる人ではないが(第九の解説を書いてるわりにベートーヴェン嫌いだった噂もある。とまれ派手でオーケストラの力を緻密にぶちまけるこの音楽はバンスタには魅力的だったのだろう)、とても理知的で「悩む」人だったことを端的に教えてくれるのが愉快だ。ジャズのリズムを模したところをまったくクラシカルにやっているのも可笑しい。スピーディーで集中力の高い四楽章は見もので、sonyのステレオCDを聴くならこれを見たほうが感動する。
 

シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」

ブロヤ(P)ヴィト指揮ワルシャワ・フィル(ica)2009/11/19live・DVD

同曲としては大変に珍しい正規の映像記録となる。やや弱いオケ、折り目正しい棒で、熱狂し突進する迫力はないが、細かな部分に独特の書法が施されとても「やりにくそう」なところを含めて楽しめる。ピアニストとしても作曲家としても「若きポーランド」の中で突出した音楽家だが、生涯における作風の変節と長命に恵まれなかったことから世界的には数曲を除いて殆ど知られていない。ただ、プロコフィエフに始まる新古典主義協奏曲の系譜に連なるこの曲は民族主義を露骨に掲げるとともに、中欧からの影響より始まったシマノフスキのキャリアを想起させる安定した壮麗な響きと、印象派やスクリアビンの影響に始まった奇矯な個性の発露があいまって、初耳で捉えられるわかりやすさほどには簡単ではない、だから浅薄に思えたとしても映像を目を凝らし耳をすませば聴こえてこないようなところに面白い要素が散在しており、その意味でDVDで見る価値はある。ソリストは上手いが実直さがあらわれ、三楽章では恣意的に横に揺らしてくるが、わりと縦にリズムを取り正確さを重視するスタイル。ヴィトはNAXOSにも録音がありこの演奏はそれに近いものを感じさせた。一楽章は音域が高く管楽に無理をさせているような感じがある。ソリストもまだ硬くさほど惹かれなかった。しかし二楽章はラヴェルの両手の二楽章が演奏されるさまを想起させる、じっくりと聴かせてくる。一楽章でもそうだったがフルートがとても旨い。黄金に輝く楽器から美しい音を誘い出し、一楽章の印象的なモチーフを立ち上らせる。ここではヴァイオリンソロも美しい。シマノフスキはピアノに非常に力を入れた曲作りをしていてどこが協奏的交響曲なんだというピアノ協奏曲ぶりだが、弦楽器の使い方がもともと上手く、この曲では部品化させられる場面が多いものの、二楽章のコンミスソロは感傷的で訴えかけるものがある。録音があまりバランス良くなく三楽章への雪崩込みが今ひとつ音としては際立ってこないが、この三楽章は映像としては今見ることのできる最もよくできたものだと思う。曲もひときわ単純にリズムをあおり短いフレーズを対位的に絡ませるような王道ぶりだから、クライマックスでドイツ的な大きな音響を繰り広げるまで何にも考えなくても楽しめるが、スピードがもっと欲しい他はあまり悪口が思いつかない。あ。カメラワークが凝りすぎてすごく見づらい。ピアニストの足元から鍵盤越しの天井を見上げるアングルは何が見せたいんだ。
シマノフスキ:交響曲 第3番「夜の歌」/交響曲 第4番「協奏交響曲」 [DVD]

ラファウ・バルトミンスキ,エヴァ・マルツキ,ポーランド合唱団,ヤン・クシシュトフ・ブロヤ,ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
圧倒的なものはないが、ルービンシュタインのような音を犠牲にして音楽を作るようなのは今は通用しないのだろう。拍手は通り一遍。
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