ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)

冒頭ホルンソロから塩。音色も表現もさらさらして引っかかりがない。ただ全体の響き等の調和はきわめて繊細にとられており、中間部になると管と対話する弦の表現の振幅が大きく響きも重く、依然神経質なほど細かく制御されているのだが、対比ははっきりしていて、計算的にやっていたことがわかる。ふたたび主旋律に戻ると小川の流れるようなさらさらしたテンポに戻り、そっと終わる。小洒落た人は好むだろう。冷たく感じた。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

ロジェストヴェンスキー指揮ロシア交響楽団(dirigent)2012/5/23live

スカスカでグズグズの冒頭から落胆。瓦解寸前。ソヴィエト末期以降スヴェトラーノフ時代にすでにそうであったのだがこのオケの弦楽の弱体化が今だ続いていることに、またそんな状態のオケをフォルムのハッキリしない莫大な表現、無理に整えたような緩いテンポで不格好に響かせようとする御大にも眉をひそめてしまう。ただ、攻撃的なリズムより叙情性に主眼を置いており、この曲にも通底するヴォーン・ウィリアムズの哀しく美しい響きが、緩徐部においてはよく捉えられ示されている。オケが弱いからテンポの遅い場面は丁寧に整えられているだけのようには感じるが、再びしゃっちょこばった三楽章の激しい音楽に入ると、6番でも出てくるのだが、少しジャズがかったRVWのスケルツォの附点音符付きリズムを巧く(管楽器は上手い)面白く聴かせてくる。これはライヴだからという面もあろう。三楽章からフィナーレは、精度は低いがロジェストヴェンスキーらしい「表現主義的解釈」を楽しめる。これは独自のものであり、米英独ではこんな(変な)演奏はありえない。休符はおろか詰まった音符の間にも風が通るような軋みは収まらないが、だいぶん解釈が板についてきてから、すれっからしとしては楽しくなる。大きなカタルシスは得づらいが刹那的な、細かい操作を楽しめるのは、弦の音色にはその残滓すら無いが、ロシアオケとのコンビならではのもののように思う。ひたすら大言壮語(やかましいということ)で長々しく続くので飽きるかもしれないが、曲に慣れていたら聴いていい演奏。慣れていないなら無難な英国のものを。敢えてテンポを落として整え横の流れを重視するというのは、バーンスタインに少し似ているかもしれない。拍手は少ないがブラヴォが入る。放送レベルの優秀録音。エアチェックらしく薄く砂ノイズは入る。5番というデータは誤り。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD

スピーディーでダイナミックな聴きばえのする演奏で、オーソドックスなやり方というか、同曲の激しいめの解釈を現代最高峰のオケで磨いたかんじ。なので緩徐楽章より両端楽章のほうが面白い。この曲を感じ取るには適切な新しい録音でもある。もっとも、なぜか私の盤は四楽章後半で音飛びする。新しい録音にしてはけして音質がよくはない。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番

ハイティンク指揮LPO(EMI)CD

旋律的でドラマティック、響きも明瞭に整えられ面白く、曲の真芯をとらえている。ザッツがメロウで鋭さに欠けるところもあるが録音の残響、拡がりがそう感じさせているだけかもしれない。細かなところでアンサンブルに甘さが感じられるのも優秀録音がゆえきこえてしまうという難点か。終楽章でひたすら刻み動き回る弦の細部がイマイチ揃わないところもあるが、それほど重要ではない内声のことなので看過。ここでの比較的ゆるやかなテンポはこの曲の難しいところを整えようとしたということだろう。この曲にエキセントリックさを感じる人はハイティンクのわかりやすい表現で聴けば、ヴォーン・ウィリアムズらしいくすんだ響きの移ろいや、明確なメロディの魅力をよく味わうことができる。リズム要素ばかり強調されがちだが、しっかりメロディアスなのだ。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団(fkm)1970年代live

既出と同じか。流れ良さとドラマでグイグイ聴かせてゆく。ドヴォルザークの最もブラームス的な交響曲として民族性をことさら煽ることはなく抽象度は高い。新世界のような曲に臭みを感じる向きは(3楽章の舞曲を除けば)聴きやすく感じる曲で、それに加え熱気も孕んだ演奏として実演の聴衆同様大喝采を浴びせたくなるだろう。ただ、弦楽器は決して統制が行き届いているわけではなく、難度の問題もあるがバラけたりライヴなりの精度になってしまっているところもある。

シベリウス:交響詩「エン・サガ(伝説)」

コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live

推敲を重ね改訂までして創り上げられた緻密な交響詩で、明確に構成的であるのにテクストに基づかないのはとても理解しづらいのだけれど、国民楽派シベリウスの真骨頂としてカヤヌスを皮切りにそうそうたる名指揮者がレパートリーにしてきたこともあり、この演奏もそうだが「有無を言わさない」。迫力あるシベリウスらしいドラマはコンドラシンの北方的な力感にマッチしており、オケも国民楽派なら中欧ロマン派音楽のうちにあるので音響やリズムに戸惑わされることもなくしっかり、威勢よくやっている。両端の陰鬱さがドライで心情的な部分に訴えてこないのはシベリウス自身の若き悩みが反映された作品として演出力に欠けると言えなくもないが、それでも一気に聴けるのは逆説的に曲がよく出来ているからでもあろう。この個性的な作品をマーラーが振らなかったのは残念。

ラヴェル:スペイン狂詩曲

コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live

荒い。録音も荒いが演奏も粗があり、もはやロシア流とも言いきれない個性が確立されているのだとは思うが、やはり管楽器の発音がいちいち強く、録音バランスが悪いのもあって抑揚の抑の方が聴こえなくて、吹けていないように聴こえたり、ちょっと推せない。ただ終楽章は凄まじい。ミュンシュの迫力に似ているのだがもっと北方的な脂のない筋肉という感じもする。とにかく指揮者もオケもフランス物において音色で売る感じではないので、ミュンシュとは比べられないが、しかし最後のド迫力と盛大なブラヴォ拍手は、この曲をレパートリーとして録音も多く残るコンドラシンの面目躍如といったところだろう。

プロコフィエフ:チェロ協奏曲第1番

ジャンドロン(Vc)マッツェラート指揮ヘッセン放送交響楽団(meloclassic)1956/2/23フランクフルト放送スタジオ録音・CD

ジャンドロンが呆れるほどのっており、音は細くてロストロポーヴィチほどグイグイ持っていく力はないが、ミスがほとんど無く、とくにこの難曲を特徴づける高音がまるで名ヴァイオリニストのような美音で仰天させられる。モノラルでややこもってはいるが、ジャンドロンの「そうは感じさせないほど巧緻な」腕前を愉しめる。プロコフィエフらしくないといえばらしくない作品で、三楽章も終盤になるまで(とつとつとリズムを打ってくるところからはプロコフィエフの才気が爆発する)音楽が根無し草のようにふわふわし、甘くも辛くもなく、しかしジャンドロンで聴くとイギリスの曲のようなジェネラルな魅力が出てきて、これは破棄するには惜しい特異な作品で、更に言えば改訂して協奏的交響曲としたものとは全く異なる「小品」であるように感じる。そう、プロコフィエフからは一方的に「借りのある」ウォルトンの協奏曲に似ているかもしれない。いずれジャンドロン向きなのだろう。

ベン・ハイム:永遠の主題

クレツキ指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1966/2・CD

打楽器を駆使した派手な組曲で、疑似ステレオ臭い録音だがこの箱(イスラエル・フィル創設80周年)収録の古い録音にしてはしっかり高音まで伸びている。現代的な部分は少なく同時代アメリカ音楽に近く、しかし弦楽合奏による協奏的な部分(この演奏は少しバラける)を含む管弦楽にはヒンデミットを消化して娯楽的要素や民族的要素を取り込み融和させた、独自の音楽表現が光る。クレツキはこのオケとは創設期から録音を残しているが、他のオケにはない主情的な音色を出して聴かせる(ともすると往年のミステリーテレビドラマ音楽に聴こえる曲でもあるがそこは高潔に処理している)。鋭い音響~冒頭からの高音打楽器など~にはクレツキらしい硬質なところも出るが、バーンスタインとは言わないまでも、あのような自在な表現が曲の格を一つ上げている。

ベン・ハイム:ヴァイオリン協奏曲

パールマン(Vn)バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(IPO,helicorn)1968/5・CD

パールマンの美音、大小ヴィヴラートをかけまくる類のものではなく純粋に深く美しい(少し高音が硬質)、技術的には似た音のフランチェスカッティを凌駕する、世代交代を感じさせる。。素晴らしい演奏ぶりが聴ける。楽曲のこの作曲家にしては前時代的な分厚い響きに対しバンスタの伴奏をつける腕、オケの威力が発揮され、もっとも三楽章あたりは何をやりたいのかわからない逡巡ぶりが楽曲の知名度の低さに繋がっているのがわかるものの、前期ブロッホのお鉢を継いだようなベン・ハイムの、他宗者にとってみればまさに「呪術的な」音線にゾクッとさせられるところが独特に気持ちがいい。一楽章こそ渡米後のブロッホ的というか、ヒンデミットの新古典主義(しかも分かりやすい作風のほう)の影響が非常に強いがニ楽章以降はその感じは薄くなる。ヒンデミットよりウォルトンぽい垢抜けた、アメリカふうの雰囲気も軽く混ざり、本来高音の技巧をひけらかすヴァイオリンを使ったわりに音域が低めで、これはウォルトンのヴィオラ協奏曲のもつ内省的な内容に近い。ベン・ハイムは私もあまり知らないしここにはストコフスキの断片録音の記事のみ載せた記憶があるが、探せば割りと出て来るし、前期ブロッホほど古くはなく、シマノフスキ並にはわかりやすいので、機会があればどうぞ。

マーラー:交響曲第9番

バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(vibrato)1985/9/12live

これでバンスタ/IPOのマーラー9番来日公演のすべてが出揃ったわけである。前回の「伝説の公演」の酷い状態に比べ、良い座席だったのか声部間のバランスがよく、放送録音かと思えるほど安定しており、数倍聴きやすい。擦れた部分もあるが、依然きわめてノイジーなモノラル録音ではあるが、これなら60年代の放送エアチェック音源と言っても通用するだろう。演奏は均整が取れており過度なデフォルメが目立たない。客観的に見れている感じである。圧倒的に重厚壮大な四楽章はともかく、テンポが早めな印象を与えるのも、録音バランスの(帯域も幅も十分)良いところからくる「聴きやすさ」に起因していると思われる。一楽章など私は一連の記録の中で特記していい「統制が取れバーンスタインの解釈をきちっと具現化した演奏」だと思う。戦闘的な中間楽章も素晴らしい。四楽章は延々と続くような詠嘆の表現には至っていないが、これも均整が取れていて、生演奏はともかく、こうした記録として聴くにはむしろ良い。お約束の沈黙のあと長々と拍手やブラヴォまで入り、翻って各トラックほどよく編集されていることから、もともとはしっかり全公演を録音できている(つまり前回のように心持ち尻切れるような音源ではない)と思われる。邪魔な砂ノイズは何とかできそうだ。情報量はある。80年代中盤なんて放送エアチェックですらまだまだ依然モノラルでテープ録音していたような人は多かった。私は90年代のスヴェトラーノフの放送すらMD録音時間の制約でモノラルで録音していた。況やインホール録音をや。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

モントゥ指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1964/3・CD

同じレーベルから出ている1964/3/7録音と同じようだが印象が違った。分厚く重くてねっとりした、まるでコンセルトヘボウ管の如きオケ相手にモントゥーが懸命にドライヴをかけているような演奏。噎せ返るような響きはいいのだがそれが足枷になり、また肝心の木管が上手くなく、フィラデルフィア管の華々しく開放的な音とも違い、録音が悪いせいもあるのだがとにかく、ラヴェル向きではない。そのぶん「いつものモントゥーとは違う」悪戦苦闘ぶりと、闘争の結果として生まれた何とも言えない独特の音楽はスキモノは面白く聴けるだろう。録音がクリアならもっと面白かったかもしれないがいかんせん、篭ってモノトーンなのは痛い。80周年を迎えるイスラエル・フィルのまだまだ垢抜けない時期の演奏ぶりを楽しめる。この音はマーラーには向くんですよね。

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」

作曲家指揮イスラエル・フィル(helicorn,IPO)1962/9・CD

大変引き締まった演奏。ストラヴィンスキーの指揮の評価は(当時は否定的な言説が多かったようだが)両極端に別れるが、ここで聴かれる演奏は立派で聴きごたえがあり、このオケの性質が重心の低いロマン派音楽向きだったこともあろう、ちょうど「境界」にあたる作品と相性が良かったのもあるかもしれない。末尾は短く切り詰めた新古典的に編じられた音楽だがリズムがびしっと決まってちょうど良い。火の鳥の旋律美や物語的展開を追いたい向きには物足りないかもしれないがそれは組曲化した時点でおおかた失われているのである。もっとも、大昔この譜面を見たときわっかりづらい独特の譜面だなあと思ったおぼえもあるので、「ロマン派音楽」ではもはやないのだろうが。アメリカオケのゴージャスさはないが、充実した中欧的な響きは魅力大。瑕疵も弛緩もない周到な準備のうかがえる演奏。ただ、モノラル。

ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ

フックス(Vn)バルサム(P)(SLS)1969/11/17live

インホール録音らしくモノラルで籠もり、ヴァイオリンの高音が伸びないのは痛い。「アカデミックな協奏曲」の激烈な録音が思い出されるフックスだが、さすがに70の老境となると元々強靭なスタイルなだけに指が弱ってしまったとたん音程がメロメロになり、ポルタメントに逃げるところもヴォーン・ウィリアムス的に違和感はある。ただ、メニューイン兄妹などの細く柔らかい音で親しんできた身からすると、野太い音でしっかり演奏されると、こう明確なフォルムを持った、ほかの晩年作品に通じる成熟した作品だったんだ、と目から鱗が落ちる。ニ楽章は僅かに師ラヴェルのソナタの中間楽章を思わせる部分さえ聴き取れる。野太いだけではなく三楽章では音色を変えて弱音部が悲痛に響きコントラストが明確となる(末尾の一楽章の再現部からカデンツは録音のせいで音色が歪み分かりづらいが)。主題にそれほど魅力のない変奏曲はマンネリな音楽に陥りがちだけれども、有無を言わせぬ圧迫感がそうはさせない、もっと若い時期のセッション録音を聴きたかった。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(m&a/NAXOS)1941/4/19live・CD

m&a盤は原盤状態が悪いらしく二楽章の派手な音飛び(のレベルではない…)を始めとして、終始ノイジーかつ篭った音なのは、もう聞く側で何とかするしかない(とはいえ度を越したパチパチノイズは板起こしとはいえ鼓膜が痛い)(NAXOSはましとのこと)。前半楽章は高音が伸びないばかりか最強音で低音が全く聞こえず、上り詰めた先突然スカっと抜けてモヤモヤする。トスカニーニの悲愴としては3年前の綺麗な録音復刻をおすすめするが、特徴としてはそれより心持ち直線的であるもののリズミカルで、二楽章の歌い込みは独特の節回しが前に立ち堂に入り説得力がある。音符を短く切ってハッキリとした演奏を目している。翻って一楽章は4番交響曲を思わせる劇性が引き立ち、メンゲルベルクのような特殊なものではないがヴァイオリンの僅かなポルタメントがトスカニーニにしてはかかりまくっているようだ(茫洋としてわかりにくい)。それも歌謡性のうちにある。三楽章は時代的に皮肉にも「軍隊的」で、ここにきてティンパニーもしっかり轟き、叩きつけるような表現で最後まで突き通す。これはもう派手派手に、しかし筋肉を緩ませることのない素晴らしいものだ。比較的落ち着いた拍手が入り、いったん絞られ、改めて四楽章が収録される。強いパチパチノイズが気になるものの、トスカニーニらしく、秘められた情念を抉り白日のもとに晒し出した悲劇的なフィナーレ。意外と暗いトーンが録音状態に合っていて、それは演奏家の意図的なものではないが、驚く。終演後戸惑い気味の拍手がパラパラ入りかけたところでトラックは終わる。トスカニーニの悲愴は40年代までだろう。

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ドビュッシー:歌劇「アッシャー家の崩壊」(オーリッジ編・補筆完成版)

ミューラー指揮ゲッティンゲン交響楽団他(PanClassics)2013/12live・CD

フランス近代音楽の研究家にしてコレクターでもあるオーリッジ氏のドビュッシー補筆完成プロジェクトについては既に何人もの方が言及されているし、「成果」発表会の一部をYouTubeで閲覧することもできる。ほんの五線の欠片からも1つの管弦楽曲を仕立ててしまう、前に鐘楼の悪魔について触れた通りそれら(氏が発掘し買い集めた断片的作品が含まれる)の要素にはオーリッジ氏が意思的に「作曲」したものが非常に多く含まれている。「現代にドビュッシーが生きていたらこう作曲したであろう」というと前衛手法を駆使し異化されたものを想像されるかもしれないが、氏のスタンスはあくまで「ドビュッシーの時代において「聴ける」音楽」の範疇にとどまる。これはかなり巧く、「聴ける」もので、この盤もそうだが演奏家に恵まれると音楽的に楽しむことすらおおいに可能だ。ただ、例えばサティにおけるカビー版とオーリッジ版の違いがどうなっているかはわからないがそれはマーラーの10番シンフォニーの補筆完成版においてクック版とカーペンター版が違う、というレベルの違いではないだろう。元は考証的であり、この盤(完成版の初演メンバーだが初演記録ではない)などほぼ完成されプレートルらの録音した部分を除いたところを聴く限りも、これほどの編曲ができるのならばクックがマーラーにおいてなしたこと(初版は最低限の管弦楽配置に留まっており盤でも聴ける、つまりアルマへの配慮もあろうが非常に分析的なところから始まったプロジェクトではあった)より余程巧緻な作曲センスの発露がみられる。ただ、繰り返すが、やはりドビュッシーが「完成していない」後半部の大部分に関しては、ドラマチックに過ぎる。現代の耳からすれば半端な前衛性、耳新しさに欠けた、いうなればカプレに構想だけ伝えられたものが没後に書かれたくらいの感触であり、管弦楽は迫力があるが(「遊戯」に似た本人筆の部分とは異質の明瞭さを示すも有機的に繋がってはいる)、歌唱が陳腐というか、フランス的ではないようにも思う。テクストは完成しているはずなのだが、そのうえでペレアスのような歌唱と管弦楽の完全に融和した流れはなく、単なるオペラ編曲になっている。いや、しかし、これはオーリッジ氏の作品としては最も良くできているドビュッシーだとは思う。…室内楽など、さすがに…らしい(聞いたことはない)。YouTubeに別日の録音が全曲あるし、レヴァインだったか、断片的なものもあるので、CDを求める前にそちらで試してみてください。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲

ドラティ指揮ミネアポリス交響楽団、セント・ポール・マカレスター大学合唱団(mercury)1954/12/4

ちょっと驚くほど良い演奏でびっくりした。心持ち短く寸詰まりの発音をさせ、小股の切れ上がった演奏を仕立てていく。設計も上手く、いわゆる第二組曲にあたる「朝」の冒頭があまり盛り上がらないかと思うとそれは最終的に合唱を伴い最強音にいたるまでの大きなクレッシェンドなのである。楽団もかなり鍛えられており木管、フルートあたりはややどうかという吹けなさだがモノラルなので最後の方を除けばあまり気にならない。モノラルなので合唱の押しが弱く残念だがスピーカーでいじりまくった音で聴いていただきたい。セッション録音を聴くと、録音状態の問題はかなり大きいなと思う。一気に聴ける。

サティ:スポーツと気晴らし

ヴァージル・トムソン(解説、朗読)マッセロス(P)(SLS)カーネギーホール1969/12/19live

レクチャーのあと笑いを交えた原詩朗読とピアノ演奏が進む。マセロスはうますぎてサティ屈指の名作の奥まで聴かせてきて、かなりスピーディーでもあり技巧的な曲のように演っているのが、サティファンには情緒がないと思われるかもしれないが、上手いのは上手いのである。こりゃドビュッシー同時期の前奏曲集にも匹敵する名作だわ、と思わせてしまうのは、指回し過ぎかもしれない。まあ、舞台でどういうようなスタイルでやっていたのかによるので、1つの演劇のような構成の中のものだし、このくらいの曲なのでマセロスも片手で弾きまくりながら何か視覚的なこともやっているのだろう。絵画と散文を配しサティが得意のアルカイックな書体でしるした楽譜からして総合芸術的な装飾性を示しており、このような形式の上演はただ音だけ取り出して聴かせるより原意を異化して汲んだものとして正統だろう。残念なことにモノラル。しかし瑞々しさは伝わる。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/1/8live

彫刻は深いがあっさり直線、いわゆる新即物主義である。粘りが一切なくスピードが速すぎる。しかし音の一つ一つ明瞭でドビュッシーのリリシズムとドラマを音楽で表現するのに不足はない。二楽章末尾のきらびやかさは波濤の朝陽に煌めくがごとく美しい。分厚くうねるような三楽章の表現はそれまでよりもっとドラマチックだ。インテンポ傾向は残るが音響と音量に確信に満ちた、確立された解釈を聴き取ることができる。音響への配慮は素晴らしく、ミュンシュを求めて揺れのなさに聴くのをやめるのは勿体無い。録音時期からも録音側の問題も斟酌すべきだろう。ブラヴォが飛んでいる。ノイズを残す方針のレーベルなので鼓膜をお大事に。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

モントゥ指揮ボストン交響楽団(melusina)1961/8/19live

キンキンするノイジーなステレオ。環境雑音も気になる。直截な表現、整えたような解釈、押さえるところ押さえて聴き映えはするのだが、「それ以外」のところが弛緩。とくに弦に求心力がないというかやる気が薄いというか一楽章から「え、こんな剥き出しのところで音程がバラバラ…?」といったふうで、最初ミュンシュと勘違いして聴いていてピンとこなかったのは晩年傾向のせいかと思ったらこんなことはミュンシュでは絶対ない、と確認、モントゥーだった。うーん。よく鳴り、よく彫刻され、完成された読みだが、何か手抜き感のある新即物主義的演奏。3楽章終わりで盛大な拍手となり、口笛まで。収まって「シーッ!」という声から終楽章。何故かこれが客席がシンとなるロマンティックでかつ透徹した演奏という。。

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