ラヴェル:ラ・ヴァルス

デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ

デルヴォーの変態性が全面に出た演奏で、とにかく派手派手で、ねちっこいフレージング、ポルタメント多用の下品な節回し、恣意的な操作の数々、聞いたことのない異常なテンポ変化の付け方はとてもウィンナーワルツではないし、ワルツですらない。スヴェトラーノフは変態ではなく大熊だが、デルヴォは間違いなく変態である。まあ、察してください。オケの音色、表現が見事にデルヴォーの意図を汲んでいる。
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ラヴェル:道化師の朝の歌

デルヴォ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ

稀少LP盤で知られていたものの他録と同じという説もあるものをfrがCD-R復刻したもので、音は極めて良く、値段を厭わなければこちらだけを購入しておいても良いと思われるほど、まとまったラヴェル集となっている。嚆矢を飾るこの曲は派手なデルヴォーの響きはありながら、むしろ華々しさによってこそ曲のラテン風味が活きてくる。残響多なので誤魔化される部分もあるかもしれないが、艶のあるオケが良い。

プロコフィエフ:交響曲第5番

フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1958/3/3パリlive放送

派手で個性的なブランコらしい演奏。オケがついていってない、そもそも練習不足のような事故(二楽章最初のほうのズレなど大事故)が頻発するが、色々主張させてインパクトの強い演奏にしようとするブランコの意志が反映され、この手垢の付いた、解釈の幅もなさそうな曲に耳を再び向けさせる面白みはある。主情的な演奏というのは久しぶりに聴く気がする。二楽章の遅さは特筆すべきか、オケのコンディションにあわせて落としたような感もある、しかしリズムの刻みのザクザクするところは激しく重く独特のスケルツォ感。四楽章もヴァイオリンがぜんぜん弾けてない、木管ソロはテンポに乗れてないのに、乱暴な指示を加えリズムは狂わせず流れは強引に響きは派手に、なかなか録音では捉えられづらいプロコフィエフ独特の変な合いの手や装飾音がばちりと聴こえてきて、立体的で内声に配慮の行き届いた、なかなかこの作曲家を理解してやっている感が清々しい。縦はズレまくり事故多発するも、何とかテンポを落としてはリズムを揃え直し、主軸をぶらさないようにはしている。ライヴということで許容できるところはある。フィナーレのある意味阿鼻叫喚ぶりは必聴。プロとして良いのか?しかし客席はブラヴォこそ飛ばないものの盛大な拍手。推して知るべし演奏。モノラルだがエアチェック盤のステレオ機器起こしのようでステレオで聴くと気持ち悪い揺れがある。ノイズなどボロボロなところもあるが、個性を評価。

シベリウス:弦楽四重奏曲「親愛の声」

パスカル四重奏団(forgottenrecords)1955/7/9live放送エアチェック

音質(当然モノラル)のせいもあって小粒で地味感があり、この後期ロマン派の延長上に、チャイコフスキーを遥かに越えた不規則なフーガ構造の多用に代表される、室内楽的ではないほど異様に作り込まれ盛り込まれた現代的な創意に対し、隈取を強く付けて印象付けるのではなく、あっさりめで流れるような演奏をなしているため、モノラルだと折り重なるように波のように長く短く押し寄せるようなフーガが、単純に単線的であるかのように聞き流されてしまうなど勿体無い。しかしながら古い演奏としては手堅いブダペスト四重奏団がメンバーチェンジを繰り返しながらやたらと録音しているのに比べ、圧倒的なファーストの音色の魅力、暖かな響、柔らかな雰囲気の合奏には替えがたいものがあり、解釈にではなく音色とフレージングにオールドスタイルの魅力がある。ライヴなのに熱しない、フォルテッシモを出さないところもパスカルらしいが、いきなり軽い飛ばしで入って面食らう終楽章の後半ではさすがに乱れるほど力は入っているようだ。あっさりしていても、味のある演奏。

ラヴェル:弦楽四重奏曲

パスカル四重奏団(forgottenrecords)1956/11/24live放送

エアチェックだろう、途中混信のような喋り声の入る音源。同じ盤のシベリウスも冒頭から混信が入る。しかしこのラヴェルはいい。パスカルは落ち着いたテンポであるがオールドスタイルのフレージングや解釈を施して、ラヴェルの感傷性をよく引き出して聴かせてくる。楽団のアンサンブルも安定して音色も表現も調和し、ライヴなのに乱れない。熱気が出ないのに感情的、なおかつ終楽章の五拍子リズムを非常に正確に取っているところに象徴されるように、情に流された演奏ではないところが凄い。低音が少し無個性で弱い部分もあるが、ファーストが音色の魅力で持っていってくれるのでそれを支える役目でいるところは違和感はない。これは録音の問題がなければ勧められた。

ホルスト:合唱交響曲

ボールト指揮LPO&cho、パルマー(EMI/warner)CD

宗教色と民謡調の神秘的な融合をみせる深情的かつダイナミックな大曲で本質的にはこういうRVWと同じ方向を向いていた作曲家なのかとわかるし、合唱を主軸に置いているがゆえの単純な書法に、惑星を期待して面食らう向きもいるかもしれない。前奏曲と四つの楽章、事実上5楽章の曲で音楽的に組曲ないし連作歌曲集的だと思うが楽章no.が明示されている。今はホルスト録音集としてまとめてwarnerの安箱で出ている中に入っている(私は現物が入手できずデジタル配信で買ったが、圧縮音であることを差し引いても原音起因もあろうが録音が粗くまた茫洋とし、薄く靄のようなノイズが気になるので1985年のデジタルリマスターの甲斐のある盤買いをおすすめする)。薄い美観の中に木琴鉄琴の打楽器を入れてくるのはRVWとは異なるところで、激しい歌では民謡と同時にモダンさが立ってきて(このへんこの演奏では木琴がややついていけないなど鈍臭さがある)耳馴染み良いコード進行、独特の半音進行による旋律表現や音響的な派手さは惑星と同時にウォルトン熟年期のあざとさを想起する(惑星よりもユニゾンが目立ちさらに楽器法が単調にきこえるのはあちらが複数人で作り込んだためで、ホルスト自身はあの曲でもピアノ版から起こす時点ではこの位を考えていたのだろうか。単に長いからそう感じるのか)。管弦楽の工夫より、合唱のストレートな訴えかけを聴く曲で、だから合唱交響曲なんであり、表題もあまりはっきりしたものはないが、これはしかし「うた」なのである。たとえばボールトのイマジネーション溢れる音世界が生きてくるのは管弦楽なので調和の意味ではそこまで評価できない演奏だとしても、自発的に合唱が主張してくるよう、ホルストが書き込んだスコアの意味が、進むに連れてよくわかってくる。四楽章フィナーレにいたってつまりは、これはオラトリオだということだ。迫力ある音響で打ち出される、あの惑星でも多用された不可思議な音進行がこれはホルストなのである、と主張し、映画音楽的な轟を残しRVW的な静かな海へと帰ってゆく。いや、海というか、この神秘はやはり、宇宙なのだろうな。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

ジャニス(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(forgottenrecords)1957/12/27live放送

何度も聞きたくなる録音にはもうほとんど出くわさない。これは非常に珍しいケースだ。力強く大きな流れを作って、技術力ではなく、ラフマニノフの音楽の包含する最も良質なロマン性というものを楽団とともに作り上げていくジャニス/ミュンシュの音楽性にいたく感銘を受けた。悪いモノラル録音で1回性のコンサート記録だから演奏精度も細かい部分はわからないが、十分に腕は動き指はまわり音響的にもともと分厚すぎる部分はノイジーに感じるところはあるがほとんど細部のニュアンスに至るまで神経が行き届いてそれをちゃんと音にしている。技巧の継ぎ接ぎではなく技巧を承前として、必要な動きや流れを取り出し聞かせていくからわかりやすい。もちろん音を減らしてごまかすようなことはない。若いならではの演奏でもあるがブラヴォが普通なのが不思議なくらい、響いてきたのはピアノがしっかり前で捉えられかつオケもちゃんと聞こえてくる程度にはバランス良い録音のせいかもしれない。瞬間的にステレオになるのは??

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サティ:バレエ音楽「メルキュール」

ロザンタール指揮ORTF(forgottenrecords)1961/6/6パリlive

ノイジーなモノラル録音で放送の板起こしか。ステレオ復刻だが左右が揺れる。ロザンタールらしくもなく?前進的で、生命力のある力強い表現は場面場面ではなく全体の一貫性をしっかり持たせ、重い音響(バレエ音楽で重いのもあまりよくないが)、どうも軽快なサティの管弦楽に聴こえない。この曲が人気のない所以かも知れないがサティは「慣れすぎた」。響きの奇矯さや突然の繊細さや、ゴツゴツしたデジタルな変化はかなり抑えられ、凡庸な世俗音楽の流れに少し山葵が加えられた程度の擬古典的な音楽である。セッションであればもう少し透明感と客観性を持たせた演奏をなせただろうか。最後も盛り上がって終わる凡庸性、しかしまあ断ち切り感はある。ブラヴォが飛ぶからサティとして聴かなければ良い演奏なのだろう。

ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー~一幕への前奏曲

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7live

ナチが士気高揚のため工場でフルヴェンに振らせようとこの曲の価値は些かも揺るがない。全曲はしんどいが祝祭的な内容が凝縮されたこの序曲は全曲中もっとも価値が高い。作曲家自身が何を言ってですら音楽の構造物としての堅牢な美観はいささかも傷つけられない。そして旋律と構造にはそれでも可塑性がありいろいろなタイプの演奏が可能なところが、また名曲たるゆえんである。トスカニーニは音の強弱や密度変化は「劇的」ではあるが、緩徐主題などカンタービレっぷりを聴き取れる、それでもインテンポではないがスピードで押し切るこれはもはやスポーツであり、スピードスポーツであり、軽いと言われても筋肉質なので楽器の発音のキレが悉く厳しく短く、木管の隅まで前のめりのリズム感をそこなうことなく同化しようと必死である。対位法が駆使される場面、この極めて悪い音であっても各声部の交錯し組み合うさまがはっきり聴こえ、きわめて立体的で、変に旋律や合奏力で盛り上げるより圧倒的な印象をのこす。キッパリ終わるが、これが軽く聴こえるのはたんに録音のせいだろう。客席の反応はまあまあ良い。

ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲(ラッブラ管弦楽編曲)

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7放送初live

ハフナーのあと、ロフラーの音詩の前というへんな位置に演奏された大曲(最後がマイスタ前奏曲である)。なぜこの曲を大管弦楽編成で編曲しようとしたのか…とも思うがそこがイギリス人らしい楽究癖、マニア魂というか、結果としてトスカニーニが好んだというから良かったのだろう。程よくブラームスらしい響きも残しつつ、ピアノ原曲の単純さからここまで華美で、しかし余計なロマンティックなものを付け加えず何ならユニゾンも厭わない簡潔な音楽を編み出せたのはラブラの腕だろう。ラブラはこの曲だけで演奏史に名を残したようなものであろう。22分台というなかなかの早さだが、交響曲として聴くなればけっこうズシリとくる。楽器の使い方が単調にならず見せ所を散りばめて、トスカニーニは的確にそれらを描き出す。まあ、正直ひどいノイズに弱い音なので、おすすめはしないが、今でもネットのどこかに転がっていると思うので、パブドメ沼でも探されたら見つかるかもしれない。トスカニーニの歌声は最後の方で聴かれる(かなり盛り上がる)。

チェレプニン:ピアノ五重奏曲

mercier(P)パスカル四重奏団(forgottenrecords)1962/5/23live放送

大御所を揃えた自作自演も残されているチェレプニン先生の比較的著名な作品で、まず前衛に立った当時最先端にあったであろう音楽。ストラヴィンスキーほど独特の室内楽ではないが、新ウィーン楽派の目指す音楽に非常に近いものがあり、フランス的なものは一切存在しない。ただ洗練された無駄のない書法がパリ楽壇にいた(いる)ことを暗示するのみである。点描的というような、装飾的要素を排した禁欲性すら感じさせる音楽を、意外とこの楽団は正面からやってのけてみせている。始終聞いていたい音楽ではないが(不格好な形式で少々長い)思考の邪魔をしない、余計な要素のない音楽をちゃんと提示している。聴衆は少し困惑気味。モノラル。

ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品

パスカル四重奏団(forgottenrecords)1962/5/23live放送

モノラルだがステレオ再生機できくと位相が変。はいいとしてメロウな発音による一楽章から始まるが通常抑えられるスピードはここでは速く保たれている。ファーストの律動と低音打楽器的な下三本の「コントラスト」は明確ではない。まとまってはいる。この調子で2,3楽章といくと哲学的というより心象的な演奏になってきて、地味目ではあるが、パスカル四重奏団にとってこの曲の解釈は「ここまで」なんだな、という感も否めなかった。ほんらいエキセントリックな曲なのだ。

シベリウス:交響曲第2番

ロスバウト指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1956/1/11liveジュネーヴ放送

録音はモノラルで残念ながら良くはないが、リバーブをかければ十分迫力が出る。統制が厳しく張り詰めたような雰囲気の中、音響バランスへの配慮が行き届いておりシベリウスらしさが明確で、全体としては一本調子でキビキビしたスピーディな演奏なものの、他の要素でのドラマチックな起伏は十分つけられている。響きのメリットはこの透明感を売りの一つとするオケの力も大きいだろう。技術力はさすがアンセルメのオケだ。ニ楽章の、スピードは早めインテンポの箇所が多いながら楽器同士の交錯する響きの明瞭さ、音量的な変化の仔細にわたる配慮が、即物主義的印象を与えながらも音楽そのものの包含するドラマツルギーを浮き彫りにし、そこにここぞのルバートがかかることによってワグナー的ですらある重みが加わってくる。三楽章は冒頭から大音量で弦の刻みがフィナーレの予言を大声で告げてしまうが、フィナーレ主題を暗示する緩徐部での木管のやり取りも実のある表現で強く印象付けられる。2番は凝りまくるシベリウスとしてはそこまで書き込まれた作品ではないがロスバウドのいちいち抉り出す内声部はいずれも必然性を主張し、結果分厚く豊饒な響きが生まれる。かえってフィナーレ冒頭が薄っぺらくなってしまう独特の書法(譜面上の音量指示はここが頂点ではない)が不思議な浮遊感を産む。やや違和感はあるが、この冒頭が構成的に一番の盛り上がりどころではないことをちゃんと示している。新即物主義的というような力強く一本調子な印象の進行の中で緩徐部での透明感のある響きから生まれる沈潜する雰囲気はコントラストをつけてじっくり味合わせている。ソロミス一箇所、珍しい。この後からの畳み掛けるような持って行き方は計算され尽くしたようにインパクトがあり、テンポは早めインテンポなのにブラスが割れるような音量で爽快というか焦燥感(早く終わりたい?)で持っていくところは独特だ。弦の音の切り詰め方や管楽器の吹き回し方、よくよく聴くと上の独特のスピードと音響のために神経質な指示をしたような痕跡がみられる。凸凹のない充実した響きがあるからこそ苦難のドラマ、転調から終盤へ向けての高らかな凱旋の声が印象的に伝わり、ブラヴォの渦を呼んでいるのだろう。

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

ダルレ(P)オーバン指揮ORTF(forgottenrecords)1951/2/5live放送

いやー、凄い。録音が悪いのは置いておいても冒頭から不安定な重音のずらし方で始まりまあ軽くて鐘の音のしないラフマニノフ、残響は使わずかえってそれで明らかになるミスだらけの弾きっぷり、それでもフランソワ的な何かを持っていて、粒だったフランス式の発音でラフ2をやるとこうなるんだ!というのは聴ける。とんでもないスピードで始まる3楽章はパレー式に突き通せば良い、と思うも変にシナを作ってきたり外連味を持ち込んで、オケもそうなのだが、まあ、正直これはコンディションの問題だと思うのはラストの締め前の指のまわりっぷりで、単純だからとはいえここで回るくらいなら他に力を…とも言いたくなる。大見得を切るフィナーレはロシアの大物たちに対抗したのか?あまりに軽くて小さすぎる。ライヴとあるが拍手がないので放送用録音かもしれない。

※本稿ではフランスの国営放送オケの表記は例外的に音源表記関係なくORTF(フランス国立放送管弦楽団)で統一しています(新しい録音を除く)。LP期に「国立管弦楽団」とだけクレジットされているフランス盤はイコール放送管弦楽団なのでORTFとしています。「リリーク」「協会」などの言葉を交え細かく別れたものは総称としてこの名にしています。実態的に明瞭に分けることができないと判断しているからです。但し文章で特記ある名称や、一般的に実態は同じとされるものでも明らかに違う名前(シャンゼリゼ劇場管弦楽団など)が記載されているものは音源表記に準じます。これは経緯的なものがあって統一性をもたせるための特例です。

ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編)

ベニー・グッドマン(cl)アール・ワイルド(p)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(arkadia他)1942/11/1live・CD

冒頭ベニー・グッドマンはイヤらしい音で睨めあげるし、アール・ワイルドは呆れるほど回る指あふれるセンスで曲をスウィングさせてゆくが、やはりトスカニーニである、つまらない。キッチリして堅苦しくて、かといって精緻な分析を施した演奏でもなく、ライヴで録音が悪いせいもあるが、楽想そのもの以上に盛り上げる要素はなく、飽きてくる。スピードと正確さと技巧だけでは、この曲はただの底浅いセミクラシックなのだ。二人のクレジットされたソリストのみならず音色には本場のアメリカのジャズ風のものが聴かれるが、それとて際立ってアメリカを主張するものではなく、上品志向は否めない。客席は大ブラヴォなので、これは録音が悪いせいということにしておこう。

プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

パスカル四重奏団(forgottenrecords) 1962/5/23live放送

このコンサートの主題は現代ソヴィエト音楽だったようで、プロコフィエフ1番、ストラヴィンスキー三つの小品、ショスタコーヴィチ1番とチェレプニンの五重奏という、ほとんどもう聴けないような貴重なプログラムになっており、とくに最初の三曲は個人的に、それぞれのこの分野における紹介的作品で極めて分かりやすく、なおかつ隙きのない引き締まったものだと思っていただけに驚きの並びである。プロコフィエフはカバルタ主題の2番ばかりが演奏されるが旋律の美麗さ、簡潔だが特有の書法の魅力、構成の完成度はこちらの方が明らかに上で、旋律がひたすら弾きまくりバックは入れ代わり立ち代わりながらも基本的に律動を表現するのみという前ニ楽章が2番より劣るという評価になるのかもしれないが、アンサンブルとしてのやりづらさと曲としての価値は別物で、一般人は2番はすぐ飽きると思われる。格別の雄渾な主題からいきなり入る一楽章はミスを誘発しやすい粗野な部分はあり、スピードを落として整える録音は多いが、これはライヴゆえか思ったとおりのスピードを堅持し頼もしい。弓の荒れた弾き方も格好がいい。ニ楽章は要で、フーガの錯綜する上行音形の嵐のギチギチするような伴奏は旋律よりも聞き所となる。ここも瑕疵を厭わずとにかく弾きまくり、旋律楽器はそれに負けないよう必死で太い音を出す、そのさまはこの曲のあるべき姿を正面から提示している。やはりスピードは肝要だ。三楽章は民謡ふうの単純なほの暗い音楽で子守唄のように堕ちて退嬰的に沈む、これは謎めいているというか何か暗示しているのか、しかしあざといくらいの効果を上げる。この演奏では、そのコントラストはそれほど強調はされない。総じてライヴ記録としても貴重であり、このスピードじゃなきゃ駄目なんだ、という考えを再確認した次第。

ミヨー:交響曲第4番

アドラー指揮VSO(SPA/forgottenrecords)1954

フランス二月革命百周年委属作で、ミヨーの大交響曲としては最高傑作として良いのではないか。古典的には自作自演しかなかった同曲にこのセッション録音が復刻された意味は大きく、ウィーンのチャールズ・アドラー(アメリカ人)の現代音楽LPレーベルSPAより一度きりしか発売されず、frはそれを単に板起こししたにすぎないとしても、手に入りやすい形となったわけで、貴重な記録としてもっと聞かれて良い録音だと思う。合唱を取り入れたり迷走した後のミヨーの以降委託交響曲(ほとんどの大交響曲は委託によるもので後期は交響曲の名すら外してしまう)のフォーマットとなった作品でもある。型式的にはいずれも完全に四楽章制の古風な佇まいを堅持し管弦楽のみによる。一楽章は行進曲風の進行の中に革命歌の旋律を取り入れ、そこに複調性をうまく融合させたものとして極めて取り付きやすい。4つの楽章には「蜂起」「共和国の犠牲者たちへ」「自由の回復の静かな喜び」「1948年の記念」という表題がつき、その通りの内容であるうえ、交響曲としての形式にもぴたりと当てはまり、内容を意識しなくともカタルシスの得やすい全曲構成。マーラー最後の弟子アドラーの指揮はそれほど強い印象を与えはしないが、癖のあるオケを使いながら純度の高い音でローカル色を排し、このいかにもフランス的な交響曲を戦闘的に、偉大に、力強く聞かせにかかっており、キッパリしすぎた終わり方でありながらも、しっかり大曲を聴いた感をのこす。モノラルなのは惜しい。

ミヨー:バレエ音楽「世界の創造」op.81a

ロスバウト指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(forgottenrecords)1955/7/16live放送

録音が古ぼけて精緻な統制ぶりと的確な響きを引き出すテクニシャンぶりがほとんど伝わらず、耳を澄ませて集中して聴いて初めてこれがとても良くできた「クラシック」であることに気付かされる。ロスバウドのメシアンなど精緻であってもただ音符をオケの性質のそのままに音にしただけのような、モノクロームで魅力のない演奏になっているが、ミヨーにかんしてはほぼほぼジャズとして書かれているところを、ジャズに思いっきり振り切って吹かせておりまずはそれが単に楽しい。ガーシュインを先駆けたといわれるのもわかる。ロスバウトなので型に嵌められる堅苦しさはありドイツの重く渋い音の範疇ではあるが、それが逆にミヨーのアマルガムとわかるように書かれたアマルガムを、純粋なクラシックとして仕立て直し、きっちり纏めている。同曲をセミクラシックとしか認識できない向きは一度聞いてみるのも良いかもしれない。フランス物にはフランス物ふうの美しい演奏もなしたロスバウド、ここではそのての美観はなく、ジャズが主役である。

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番(ピアノとトランペットのための協奏曲)

ベルグマン(P)ロスバウト指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(forgottenrecords)1956/7/23live放送

何でも振ってしまうなあというロスバウトで、ショスタコのシニカルな雰囲気をかもす薄い書法、スピーディで軽い協奏曲の雰囲気を重要視せずウィリアムテルからの剽窃すら抽象化してしまい、色彩感を排した音の饗宴、古典的なピアノ協奏曲として(トランぺッターもクレジットされているものの)重量感を持たせビッチリ、オケを統制して聞かせてくる。ロスバウドはあくまで職人的にきっちり仕立てたふうで曲にはあまり思い入れはなさそうだが(聴かせどころを作るようなことはせずスコアの再現に専念する)、旋律より構造に力点を置いた特徴的な演奏といえる。オケは指揮者のきびきびした指導のもとに、トランペットソロを含め全く危なげなく極めて明瞭にやっているが、ノイジーでかなり擦れた録音で、さらにバランス的にオケが引っ込んでいるため、細部はわからない。ソリストは技巧的で安定しているが殊更に特徴はない。あきれるほど巧いトランペットがかえって小粒感を煽ってしまう不思議。

オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1960/2/11live

意外と深刻な音楽でびっくりする。晴明とした楽想が現れるとツィピーヌ的な明るさは顔を出すが、ミュンシュ張りの緊張感をもって曲をザクザク切りすすめ、掘り下げている。この両指揮者の演奏との共通点を感じる、「正統な演奏」というふうで、ブランコ独自の娯楽性やラテン的なノリ、リリカルな余韻はあまりないが、ルーセル4番とこの曲という取り合わせを考えてもこの日のコンサートの性向がわかるというものだろう。リアルなレの発音による終わり方はミュンシュ的。意外とおすすめである。モノラル。
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