ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」

ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(capitol)1953

快速ストレートな演奏で最初軽量級かと思うが、音量変化が大きくクライマックスでは異様な迫力を出してくる感じ。これは各楽章同じで、4楽章は見事な構成感というか、前半部分に盛り上がりを作ってしまうのではなくきちんと最後まで持っていくようにテンポを緩めず進めている。聞きごたえはなかなかあるが、モノラルなので小粒に感じる。これは音量を大きくして聴かないと真相がわからない録音。オケはこのオケなりの最高水準。
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カリンニコフ:交響曲第1番

ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(chandos)1987・CD

だいぶ昔に録音してなかっただろうか?あるいは今出ているこれが再発なのか。交響詩との組み合わせだった記憶があるのだが。さて何でも振るがゆえに一律性急でそつなく感じるものもある父ヤルヴィのイギリスオケものである。イギリスオケらしくやや冷たく精度と引き換えに熱量が下がり、人工的な振幅の大きい解釈に対してどことなくよそよそしさを感じさせるが、普通の耳からすれば凡百の録音よりよほど感動的なロシア交響曲を楽しむことができるだろう。音のトーンが変わらないのでニ楽章の冬の日のしんしんとした雪を感じさせる音楽はあまり際立たないし、四楽章冒頭も音量が小さめの感はある。

グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番(1998)



<最近ショスタコーヴィチを聞き直している。久しく聞いていなかった「レニングラード」などに改めて感服したりなぞしている。緩徐楽章にブルックナーやマーラーのエコーが聴こえるたびに、ああ前の世代を否定する事により成り立っていた「モダニズム」の、「次の」世代なんだな、と思う。音楽院時代の師匠にして個人的恩人でもあるアレキサンダー・グラズノフは、ロシア五人組、とくにボロディン・リムスキー=コルサコフの継承者として約束された道を歩んだ。外来の音楽家や、チャイコフスキーらモスクワ音楽院の折衷派とも活発に交流したが、踏み外す事を許されぬ道はそのままペトログラド音楽院長へと続き、表向き闘争する側に回ることも許されなかった。結局作曲家としては殆ど忘れられることとなり(寧ろ指揮者だった)、困窮の亡命者という末路は「破滅」だったと言ってよいかと思う。

グラズノフの才能はどのみち限界に当たったのかもしれないが、最盛期までの流麗な佳曲の数々に触れるたび、時代の波に翻弄された帝政ロシアの「最後の波(byブラームス)」に同情する気を抑えられない。音楽的系統樹を切り倒す暴風~ゲンダイオンガク~への防波堤となったグラズノフは、ストラヴィンスキーやプロコフィエフという異能と対立する事もあったが、あくまで個人的趣味の上に留め、その才能についてははっきり認めていた。寧ろ自分の耳がロートルなのかもしれないという発言は、マーラーがシェーンベルクに語ったこととよく似ている。それゆえ「潰す方向」に動く事は決してなかった。ソヴィエト時代の権力的音楽家が真の才能を持った音楽家を押さえつける構図とは全く異なる。ショスタコーヴィチの才能はこの暖かな温床の上にすくすくと芽を伸ばした。程なく大輪の花が開く。そして半世紀以上にわたり花が付き続けた。世界中に種を撒いた。あの鉄の壁の向こうから、壁など無いかのように力強く響く音。音楽史の流れからいえばそれはとても先端のオンガクではなかった。だが現在20世紀が終わるにあたって、この世紀において最も才能に満ち溢れ、しかも真摯であった作曲家が誰かと考えてみると、DSCHの4文字が浮かんでくる(多様さを否定する無闇な順位付けなど意味の無いことだが)。オネゲルではないが伝統の「幹」がなかったなら「枝葉」など生える事は無い(これは新古典主義のことだったか、ショスタコーヴィチも新古典の流れ上にいる作曲家だ)。かといって枝葉を張らない幹は枯れ果てるだけなのだけれども。・・・

収集がつかなくなってしまいました。この曲はグラズノフの室内楽では最も良く書けているといわれる。交響曲のところでも書いたが、中央ヨーロッパ的な後期ロマン派音楽の枠組を総括したうえで、旋律と和声という「音楽の重要なファクター」についてだけロシア音楽を取り入れている。配合具合が独特のため個性的に聞こえるが、耳ざわりが悪くなる事は決してない。フーガに始まる1楽章は強い力を持ち、4番四重奏曲で試みられた古典音楽回帰の傾向が、より消化された形で魅力的な旋律群を飾っている。2楽章は典型的なロシア国民楽派のスケルツオであるが、テンポの遅い演奏で聞いてみるとブルックナーやマーラーの舞踊楽章を思わせる深刻な色をにおわせる。さらに8番交響曲の暗い幻想に繋がるような儚い3楽章は死に行く白鳥を思わせる味わいを持ち、祝祭的な終楽章は緊密な対位構造や複雑なポリフォニーによって、その長さを感じさせない程ヴァリエーションに富んだ内容を聞かせる。ブラームスからベートーヴェン果てはバッハまでも取り入れて、この秀逸な流れは昇華洗練されてショスタコーヴィチに確実に受け継がれている。ストラヴィンスキーですら初期にはグラズノフ的な曲を書いた。アマルガム作曲家であっても影響力は強い。手法の探求され尽くした時代の芸術のありようが、ここにも先駆的に示されている。(またいつかしっかり書きます。すいません中途半端でした)>2000記


◎ショスタコーヴィチ四重奏団(melodiya)
○リリック四重奏団(meridian)
ダーティントン四重奏団(pearl)
シシュロス四重奏団(melodiya他)

これらを聞き比べると余りの印象の違いに改めて「懐の深い曲」なのだなと思う。無論オーソリティのショスタコーヴィチQにかなうものはないと思うが、民族音楽的趣が少し苦手の場合は後者の演奏に触れるとよいと思う。ショスタコーヴィチQのヴァイオリンは独特のロシアスタイルで、折衷派グラズノフをおもいきり五人組の世界に引き戻すようだ。あやふやな音程感も左手の柔らかい演奏スタイル(コブシのきいた細かく沢山のヴィブラートをかけることにより、素朴だが艶やかな音色を出せる)上、仕方ない。単純な技術でいえばダーティントンのほうが上に聞こえるかもしれないが、この解釈は軽すぎる感もある。また生硬だ。リリックの終楽章は面白かった。シシュロスは奏法はショスタコーヴィチQに似るがファーストの音が金属質で細く、堅牢な楽曲自体の魅力は十分伝わるが、情趣の面で劣る気もする。名前の近似でショスタコーヴィチ四重奏団との混同を疑ったが、異なる演奏でファーストはシシュロフではなくシシュロスという別人だと思われる。他、グラズノフ四重奏団のカット版SP録音(断片別録もあり)、従来は初録音と思われたレニングラード音楽院四重奏団(後年のタネーエフ四重奏団)のものなど古い演奏でも結構な数がある。新しい録音も比較的多い。

※2004年以前の記事に2017年加筆したものです

マーラー:交響曲「大地の歌」

ヘフリガー(T)メリマン(Msp)クレツキ指揮ORTF(ina配信)1964/5/7放送live

比較的良好なステレオ。マーラー歌いとしてヨッフム盤では同じタッグで取り組んだヘフリガーとメリマンの余裕安定の歌唱に対し、クレツキは交響的でダイナミックな指揮でオケを盛り上げる。これは交響曲的演奏であり連作歌曲集的な繋ぎ合わせ感、あくまでバックオケとしての薄い響きのアンサンブルという観点はない。ちょっと音色が一本調子で中間楽章のニュアンス(アイロニカルな色とでも言おう)に欠けるところがあり、音楽の起伏のわりにすんなり聞けてしまう点は長大な告別でも変わらない。静かな終わり方の曲なのでブラヴォも後から少しずつ増える感じだが、これらがあくまでソリストに向けてのものであることはかんじとれ、クレツキもこの弱いオケをよく引っ張ったのに、と思うところもある。マーラーをやるにしてはやはりちょっと弱い、音色的にも。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

クレツキ指揮ORTF(ina配信)1970/6/24放送live

これは安心して聴いていられる。マーラー前期に合っているのだろう。ブラヴォこそ困惑混じりの感もあるがラストのカットのせいだろう、このカットは他でも稀に聴かれるもので、肝心のクライマックスで足をすくわれるが、それでも全体として起伏も激しくしかし均整は失わずに音響的には素晴らしく調和し和声変化が明確でカラフルだ。タイタンのスタンダードと言ってもいい~ラストのカットと、オケの非力を除けば。三楽章はしっかり弾く方をとっている。クレツキらしい。

プロコフィエフ:交響曲第5番

クレツキ指揮ORTF(ina配信)1965/12/9放送live

壮麗。力任せの猪突猛進ではないプロコフィエフの「娯楽作」を聞かせてくれるが、イメージ的に透明感や構築性を旨とした演奏をするクレツキが、ここではさすがに機を見て隈取濃く激しくやっている(四楽章は弦楽器がついてけないほどドライヴしてる)のを聴いて、そういえばこういう演奏もしていた、と思い出した。客席大ブラヴォ。音は放送レベルのまずまずのステレオ。クレツキは微細なルバートをひんぱんに掛けさせて、ソロが乱れてるように感じさせるところがあり、よく聞くと構造重視でいながらけっこう個性的なのです。和声は美しいが明確な描き分けはここでは無い。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ

サンクト・ペテルブルク四重奏団(DELOS)CD

伝統的なロシアのやり方で、現代の精度をもって演奏したスタンダードたる演奏。発音はショスタコーヴィチ四重奏団などを思わせる縮緬ヴィヴラートや情趣を湛えた音色で、しかし四本がしっかり同等に主張し、グラズノフの作曲手腕を活かしアンサンブルとしてとてもまとまった、統一された演奏になっている。曲ごとのムードの違いも(グラズノフ自身が書けた範囲で)明確で、やはりワルツの甘やかさにとても惹かれた。長さを感じさせない優秀録音。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番

A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(warner)CD

超廉価全集+にもかかわらず内容の良さで買いの、今やRVWのオーソリティとして実演でもおなじみアンドリュー・デイヴィスの6番である。何と言ってもこの人らしい垢抜けた派手なブラスがぶっ放される三楽章などが聴き映えはするのだが、本領は四楽章にあらわれる。ロンドン大空襲後の廃墟、もしくは核戦争後の地上を照らす月光を思わせると言われる(本人は例によって抽象的思考の産物という主張を曲げなかったようだ)突然の怜悧な静謐。しかしここにデイヴィスは美を見出す。他にもそうしている指揮者はいるが、不安な音線を慰める響き、ゆっくりたちのぼる田園ふうの旋律、これは救いの音楽なのかもしれない、、、それが死という救いだったとしても。曲が指揮者にマッチし、また技巧的だが個性的でない硬質のオケも曲にマッチした、なかなかの演奏。

グラズノフ:弦楽四重奏曲第2番

ユトレヒト四重奏団(Mdg)CD

全集+の一曲で雄弁で隙がなく構成的にも素晴らしい(音色がニュートラルで硬いのが玉に傷)壮麗なフィナーレが聞きものの演奏。ショスタコーヴィチ四重奏団の録音が唯一であった同曲を再評価するのに十分で、ローカルな魅力、情緒的表現を音色にまで徹底させた後者のそのまま裏返しの弱点が(音程狂いをそのまま録音したりしている)完全に払しょくされているが、情緒的要素には決して欠けていない。この曲はボロディンの2番と見事な相似形をなし、あれに民族色をさらに融合させ緻密に、それでも簡潔に構築している名曲だ。メロディも美しく、少し暗さのある、重みある響きは中欧ふうでもある(この盤はドイツ製だ)。後年より素直に才能が発揮されていて変な民族主義やアカデミズムが顔を出さない、ただちょっと長いと感じる人もいるかもしれないが、チャイコフスキーほどくどくはない。ボロディン2番を意識したようにソロ楽器にろうろうとメロディを演奏させほかの楽器が沈み、それがかけあったり数珠つなぎされていく点で「アンサンブルの魅力」でいうと躊躇する団体が多いのか演奏機会もほとんどなく(むかしyoutubeにあったが今は断片しかない)でもやってみてボロディンの2番より数十倍アンサンブル曲であるから単なるイメージだろう。ヴィオラソロを導入部に長々と挿入する後半楽章はとても聞きごたえがあり旋律にも連続性があっておすすめだが、前半楽章、1楽章は「スラヴ」を思わせる恥ずかしい演歌だけど、2楽章はボロディンとチャイコフスキーのスケルツォを掛け合わせたようなトリッキーかつ熱情ほとばしる曲でよい。この演奏はちょっと前半おとなしい。

いずれにせよweb配信販売もされているので、定額制とかやられているならぜひ!聞いてください。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

ノリントン指揮スイス・ロマンド管弦楽団(eternities)live

とにかくホワイトノイズバリバリの音の悪さは何とかならないものか。最近の放送エアチェック音源だろうがこれはきつい。SPで鍛えられた脳内ノイズリダクションを発動させなんとか聞いてみる。さっさと進み思い入れのない音に一楽章、落胆する。指揮者ではない、このオケが「ただ鳴っている」、それを良しとする楽団なのだと思ってしまう。スケルツォになると楽想に変化があるせいか、ヴァイオリンが繊細で美しい表現をきかせ、アンサンブルはすみやかに組み上がり自然に聴ける。ただ、ノイズのせいで肝心の高音楽器がきれいに聴こえない、いや、不明瞭でそもそも聴こえない。ところが急激な音量変化とマイクの拾え方の問題か、三楽章はわりとよく聴こえる。誰がやっても印象的なRVWの世界だ。この頃になるとオーケストレーションにブラスのダイナミックさが加わり、万人受けする音楽、深い祈りを届けられるようになっている。が、ちょっと、このオケはやっぱり醒めてるなあと、思わせるところがやはり音色に出ているのは気になる。RVWには珍しいフィナーレらしいフィナーレは教会音楽ふうの旋律から始まるが、ノリントンらしく音響バランスは非常によい。古典的な印象を与える少し引いた感じの整え方だ。スピードは早めインテンポだが楽想次第でデジタルに表情を変えさせており、統制の厳しさ故か軋みを生じているところもあるし、そもそも弦楽セクションが薄いようにも思うが、先人たちの偉大な演奏にはおよばないものの、スコアに立ち返り表現すべきものだけを表現しているさまは賛同は得られるだろう。そのわりに構造的な部分がそれほどきっちり聴こえないのはイマイチ弾けないオケの醒めたところからきているか。あるいは録音の悪さからか!このオケにヴォーン・ウィリアムズを弾かせただけでも良しとすべきか。

ブラームス:交響曲第3番

コンドラシン指揮ACO(eternities)1971/1/14live

力強いが羽目は外さずしっかりやる。縦にリズミカルでスピードをいたずらに上げることもない。オケがコンセルトヘボウであることも手伝ってロシア式の発音もありながらも基本線はしっかりブラームス、構造をしっかり意識し音にしっかり中身を持たせ集中力の高い演奏に結実させている。かつてスヴェトラのロシアオケによるブラームスを聴いて「羽目を外したブラームス」に耳を楽しませたものだが、本来ブラームスはいじってはならないほど書き込んでいて、変に表情をつけたり楽器を突出させてアピールさせたりすると不恰好極まりなくなってしまう。コンドラシンは晩年にいたってはちゃめちゃなラフマニノフもやってはいるが、スピードもきちんと制御して最後までいく。音量変化もオーソドックス。発音は激しめなので、オーソドックスという言葉に惑わされぬよう。

ウェーベルン:夏風の中で

ノリントン指揮スイス・ロマンド管弦楽団(eternities)live

リヒャルト・シュトラウスを灰汁抜きしたような曲で周到に管弦楽配置され隙はないが反面中身のなさというか、どこが夏風というようなドイツドイツの交響詩である。リヒャルト・シュトラウス初期に近いくらいの10分半ほどの長さがあり、シェーンベルク初期のようなブラームス的な癖こそないものの、中欧では相対的に穏やかな曲、という感じであることを念頭に聴かないとノリントンですらずしっと重く感じてしまう。フランス的にもっともっと軽くやるほうがいいんだろうが、ブラスの充実した書法だとなかなか難しいだろうか。オケがかつてはフランス的であったことのメリットは比較的残ってはいる。技術的な問題はない。問題とすれば、ノリントンが普通すぎ。ノリントンで聞く意味はあるのか。

オネゲル:ピアノ小協奏曲

チッコリーニ(P)クリュイタンス指揮NYP(forgottenrecords)1957/11/17live放送

六人組!というミニアチュールで、単一楽章で十分に満たない。ミヨーを思わせる世俗性から低音ブラスを使った重層的な晦渋さを混ぜていき、だが前進性を失わず、まさにオネゲルの映画音楽的なモダンさが支配的になる。ピアノがトリッキーではあるが面白みを維持し曲をきっちり進行させていく。後半の凝り方が前半とのギャップをみせ、オネゲルの立ち位置をはっきりさせる。退えい的な終わり方も個性的だ。この頃のチッコリーニはパキパキに指が回りテンポが滞ることもなく牽引していく。録音さえ良ければ!

ドビュッシー:ポエム・リリーク「選ばれし乙女」

サヤーオ(SP)フォレスター(CA)クリュイタンス指揮NYP、ウェストミンスター合唱団(forgottenrecords)1957/11/17live放送

クリュイタンスは隈取りはっきり、でも透明感のある響きで聴きやすいフランス流儀というものを聴かせる。ローカルな色が相対的に薄いためこのオケとの相性もよい。フォレスターが歌っているのは驚きだが尚更フランスフランスしないニュートラルさが曲の初期的な薄っぺらさを構造的にしっかり補うのに一役買っており、技術的な不足も全体に言えることだがまったくない。惜しむらくは録音で、放送音源の発掘だからやむを得ないが、途中で右しか聴こえないのはモノラルなのだから復刻の問題だろう。これがなければ実に聞きやすい演奏、指揮者唯一の演奏として推せた。

ルーセル:フラマンデ狂詩曲

マルティノン指揮ORTF(forgottenrecords)1957/10/3放送live

暗い序奏からキッチュな舞踏リズムの主部という展開は四番交響曲を思わせる。そのあと序奏とおなじくルーセルとは思えないロマンティックな緩徐部になり、ここの甘く美しい旋律はしかしルーセルとしては異例で別人の作品のよう。ただ、次第に盛り上がり再びキッチュで単調な縦ノリで終わる。ルーセルは20世紀前半のフランス作曲界を代表する一人で、比較的長生きだったにもかかわらず、知られた曲は代表作くもの饗宴を始めミュンシュの録音を残した3、4番交響曲、バッカスとアリアーヌと2つ程度の管弦楽組曲しかない。こういう曲は弟子マルティノンならではの選び方と言えそうで、たしかに上記の曲にほとんどの要素が含まれてしまう代物ではあるが、書いたとおり終盤の感傷的な、現代性を無視したところに折衷的な面白みがあったり、まだまだ発見のありそうな作曲家ではある。名曲だったらとうの昔にミュンシュがとりあげてそうなので、それは期待できないにせよ、やや生硬ながらマルティノンの秘曲実演記録がもっと出てくることを願わずにおれない。

ディーリアス:春初めてのかっこうを聴きながら

バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(pye/Dutton他)1956/6/21・CD

「牧歌」を中心に5曲PYEレーベルへ一日で録音された中の一曲だがこれが最もバルビローリの美質を表した、また個性を発揮したトラックと言ってよいだろう。別項にも挙げた新しい音源ではなおさらそうだが、もはやディーリアスかどうかよりバルビローリの弦楽器に対する偏愛~チェリストであった(バッハの無伴奏抜粋はCDにならないのだろうか)~がいかに曲と同化して感傷の極みを聴かせられるか、といったものであり、しょうじきマーラーなど金管が表面に立つ曲では裏目に出ることもあるのに対して、けして典型的イギリス人として生きたわけではないディーリアスが、自らイギリス民謡への偏愛をはじめとしたその情景への憧憬を抱えていたことは音楽が語っており、フランスに生きた(同時にドイツは血の故郷であり出世までの重要な支持国であった)ことが作品の機械的構造に影響したことは否定できないが、「北国のムード」でさえグリーグの北国ではなくスコットランド国境っぽい、バルビローリもまたイタリア歌劇に並みならぬ適性を示しそのルーツもはっきりイタリアなのに、RVWやディーリアス(ホルストはほとんどやらなかったがボールトがいたせいか・・・ディーリアスもビーチャム存命中はほとんど記録を残していない)には「そこまでやらなくても」という「イギリス演歌」というような「イギリスこぶし回し」がきいていて、いや、変なイメージは植えつけるまい、これを聴いてその世界から抜け出せなくなる人が出たこともうなづける「ディーリアンの理想とするディーリアス」を体現した演奏になっている。没入具合もさることながら木管、カッコウの声の模倣ですら具象性を失い音楽に耽溺してしまう。ほめすぎたが、さすがにこれをながら聴きできるほどイギリス嫌いではない、私も。

ディーリアス:イルメリン前奏曲

バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(pye/Dutton他)1956/6/21・CD

LP時代の名盤で永らくPYEレーベルの事情によりお蔵だったが今では各レーベルが盤にしている。ステレオ初期で良い音とも言えない音源だが、ダットンなど少しデジタルな加工が音を硬くしている感もある。LPとは少し違うイメージだ。バルビローリの慈しむような弦楽器の扱い(弦楽器だけ注力してあとは木管がソロをきれいにやれば、法悦的なディーリアスはできあがってしまう)が音色にまで及んでいることを、きちんと聴くには復刻状態も重要な要素だ。この曲は前時代的なロマン派で和声的な特徴も少なく、メロディ一本槍。そこがバルビローリ向きだ。メロディだけでもディーリアスであるところがまた、おもしろいところではある。

ミヨー:交響曲第1番

アラン・フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(cpo)CD

パキパキした発音で明晰な構造とリズムを打ち出してくる、抽象性の高い演奏で、客観的に整えたようなスタイルではあるが、終楽章などなかなか暖かな情趣を醸し出し、対位法を効果的に使って「踏み外さないミヨー」の抽象音楽における名作であることを直感させてくれる。クライマックスを除きやや音量の起伏が少ないが、構造を聴かせる趣向なのだろう。晦渋な楽章をそうと感じさせず楽しく聴かせるのも腕か。プロヴァンスの牧歌的交響曲といえばこれを聴くべし的な曲です。

ラヴェル:スペイン狂詩曲

デルヴォ指揮コロンヌ管弦楽団(COMMAND/forgottenrecords)1961/5パリ

このfrのラヴェル集は解像度もよく内容も素晴らしいので、他に買うものがあればぜひ、かつては幻のLPとされた音源をCD-Rで手軽に楽しんでほしい。瑞々しく派手でリズムの切れている、それは録音のせいだけではない、演奏が良いのです。ラヴェル唯一の純粋な管弦楽曲、さらに得意とし思い入れもあるラテンのものであるからして、冷徹さより熱気を重んじるところもあるが、そこを重くならずカラッと揚げているデルヴォーに乾杯。

ミヨー:弦楽四重奏曲第8番

パリジー四重奏団(naive)CD

三楽章制のミニアチュール、典型的なミヨーのプロヴァンス牧歌だが、メロディが弱く色彩がくすみ、聴き応えがない。全盛期ミヨーの作品は大衆的なメロディアスな曲とシェーンベルクなどに影響された人好きしない晦渋な曲に別れるが、これは少し後者に傾いている。特に聴く必要はない。演奏はそつがない。
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