グラズノフ:弦楽四重奏曲第4番

○タネーエフ四重奏団(melodiya)LP

俗っぽい悲恋話を背景にしているとの伝説のある、グラズノフにしては珍しい一貫して晦渋な作品で、構造的な書法が目立つこともその印象を強くしている。交響曲第8番2楽章あたりの近代ロシア的な陰鬱さに通じる。グラズノフは形式音楽におけるスケルツォ楽章を、他の楽章との対比的なものとして完全に独立した異なる楽想により描くべきである、ということをどこかで公言していた記憶があるが(直接聞いたわけじゃない)、この曲においては3楽章がそうで、ボロディンふうの軽やかな楽想がチャイコフスキーふうの構造に昇華された妙に明るい民族的楽章となっているが、これを別とすれば他楽章はいずれも重厚な雰囲気を持ち、関連する動機や(頻繁に揺らぐけれども)ハーモニーを用いており、バッハやベートーヴェンの模倣といった古典回帰の傾向を強く打ち出している(ベートーヴェン指向は5番でより強くなる)。

グラズノフを強く印象付ける要素としてのポリフォニックな書法がここにきて全面に立ってくるのは特筆すべき点と言える。4本が重音でユニゾン主題を奏でる部分でのオルガン的な音響など余りグラズノフでは見かけないものも聴かれ(視覚から聴覚にシフトしてみた)、そういった作り込みがアンサンブル好きや演奏者サイドにとっては他の単純な室内楽に比べて魅力的になっているとも言えよう(「いえよう」と書かないところが、さるお方との違いを示しているのだ。・・・こういう「いちいち」な書き口、やっぱり読みづらい、やめたほうがいいです<誰に向かって?)。

かといって2、3番から離れて複雑になったわけでもない。終楽章など3番同様ファーストが弾きまくるだけの部分もある。寧ろその点更に円熟した技巧の投入された多彩且つ壮麗な5番が別の場所に頂点を築くわけだが、3番のように民族楽器表現の模倣に終始したり1、2番のようにボロディン的な世界を追求した、より単純で軽やかな作品とは一線を画していることは確か。タネーエフQがこの4,5番を録音演目に選んだ理由はなんとなくわかる。

で、演奏なのだが、やっぱりプロの室内楽士としては技術的な限界も感じる。裏板に響かない金属質で細い(でも柔らかい)音のファーストがどうにも私は好きではない。他のパートとの音響バランスが悪いのだ。予め設計上手を入れすぎているのではないかというところが気になるのは、この曲の録音が殆どショスタコーヴィチ四重奏団のものしかなかったからそれとの対比で、ということでもあるのだが、全般とにかく遅いし、1楽章で特に気になったのはやたらと音を切ってニュアンスを変え主題を際立たせようとしているところ。グラズノフはきちんと書いているのに、却ってわかりにくくしている。事前設計上冒頭のテンポを極端に落としコーダまでに徐々にアッチェルしていく、というやり方が両端楽章で聴かれるが、板についた表現になっていないので生硬さだけが印象として残り、ただでさえ上記のような余りよくない印象があるのに、更に下手な楽団であるかのような錯覚を覚えさせてしまう。

面白い。シシュロフもこんな4番はやらなかった。だが、3楽章においてもあまりの遅さに辟易としてしまった(ショスタコーヴィチ四重奏団が速過ぎるということなのだが冒頭に書いたグラズノフの主張からすれば緩徐楽章に挟まれたスケルツォの対比的な表現として正しいテンポだと思う)。

ファースト批判ばかりしているわけではなく、他の楽器も人工的な変化を人工的とわかるように入れており、同じようなものではある。痙攣ヴィブラートでちょっと民族的な音を出している場面もありこれはボロディンQとは異なるタネーエフQの個性だろう。ただショスタコーヴィチ四重奏団はもっと露骨に印象的にやっている。ミスの有る無しという子供みたいな観点からはショスタコーヴィチ四重奏団は最高音の音程を外すなどやらかしているところがあるがこれは左手を柔らかく使う奏法からくるものでもあろう。それに比べてタネーエフ弦楽四重奏団はミスが録音されていない。これは人によっては重要な点かもしれない。
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ヴェルディ:弦楽四重奏曲~Ⅲ

○アマール四重奏団(特典盤)1928・CD

ディスクユニオンの2008年初春特典盤で復刻。同時期きっての技巧派で知られた鋼鉄の指40本のアマールQによる演奏で、懐かしき音色を跳ね返るようなスケルツォ主題にのせて完璧に演奏してみせるアマールには舌を巻く。伴奏だけのヒンデミットらも現代でいう「ノリ」をリズムに激しく表現している。この曲はわりと同時代(ヴェルディはギリギリ20世紀まで生きた)の演奏家によってやられていたようである。イタリアというより王道ロマン派弦楽四重奏曲。

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ステンハンメル:弦楽四重奏曲第3番

○ボロディン四重奏団(TELESTAR/Barben)1958/6/7・LP

最近はステンハマルと表記されることが多い。未だ19世紀的な国民楽派の範疇にいたことが如実にわかる曲で、特殊なリズムと清澄な旋律を除けばチャイコフスキーの弦楽四重奏曲に非常に似通っている。一部シベリウスの「親愛の声」を思わせる構造的書法が伺えるものの、基本的に単純なロシア国民楽派的作品と言えよう。だからボロディン弦楽四重奏団で聴くとまるきりチャイコに聴こえてしまうのだ。緊密なアンサンブルの中にノンヴィブ奏法を織り交ぜひたすら正確な音程で音楽の本質を自然に抉ろうとする。結果、この作品が人好きする素直な要素はあるものの、浅薄な部分の存在も否定できないことがわかる。いや、旧ボロディンQがストックホルム訪問時にこの作品を選んで録音していることはその得意分野を考えれば自明であろう。ステンハンメルを聴くなら5番あたりかと思うが、ロシア国民楽派が好きで旧ボロディンQに愛着があるなら聴いて損は無い。○。

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ライタ:弦楽四重奏曲第7番

○パガニーニ四重奏団(DECCA)LP

テミヤンカ、ロッセールス、フォイダート、ラポルテのメンバー。多産の作曲家はわりとそれぞれの作品は水準以上で平易にもかかわらず情緒的な意味でも強いインパクトのある曲がひとつもなかったりする。この作品も聴きやすい。ロシア国民楽派の影響を新世代の作曲家の立場から強く受けており、チャイコフスキーの室内楽を思わせる人好きする聞きやすさが印象的。喜遊的で無邪気ですらあり、むしろソヴィエト時代になってからの体制側作曲家の室内楽に近いかもしれない。ハンガリー特有のものと言うほどではないが特殊な新しい響きの感じられるところもなきにしもあらず。楽団が多少お仕事的で少し乱れたりするのはご愛嬌。ヒナステラ1番とのカップリング。○。ライタは1892年生まれだからショスタコなんかと同じような世代。

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ヴェルディ:弦楽四重奏曲

○パレナン四重奏団(VEGA)LP

ロマン派バリバリの曲をロマン派バリバリの押せ押せスタイルでやっている、パレナンなのに!オペラティックとはいえけっこうちゃんとした型式感のある楽曲であり、なかなかしっかりした演奏ぶりで聴きとおせる。音色の爽やかさがそうさせているのかもしれないが。ただ、後期ロマン派共通の問題として、長い!!

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アファナシエフ:弦楽四重奏曲第1番「ボルガ」

○モスクワ放送弦楽四重奏団(melodiya)LP

演奏は鋭く立派なのだが、

もんのすごーくロシア。

って感じの曲。それもそのはず、ニコライ・アファナシエフは(ピアニストじゃないですよ)1821年生まれの古い世代の人で、この作品にかんしては「ロシア民族楽派初の弦楽四重奏曲」と呼ばれるほどなのだ。これは「追随者」のものではなく「先駆者」のものに近いんですね。ロシア音楽協会コンペの第1回優勝作品だそうで。民謡旋律に貫き通された楽曲はボロディン2番に通じる簡明さとチャイコに通じる鮮やかな手腕が感じ取れ、「追随者じゃなくて先駆者ですよ」と言われれば「えっあのまだまだ中欧的なチャイコ以前の作曲家が活躍していた同時期にこんな作品が??」と驚き賞賛する気持ちもわかる。グラズノフみたいな変な臭気もないしマニアックな作為もない、垢抜けた民謡音楽です。個人的には聞き飽きたたぐいだがロシアマニアにはたまらないでしょう。○。1898年に亡くなっているのでチャイコとほぼ同世代といっていいのかな。

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リーズ:弦楽四重奏曲第2番

○パガニーニ弦楽四重奏団(Liberty)LP

比較的新しい作品ではあるが現代音楽ではない範疇で非常に特徴的であり、中国出身というこの作曲家の特異性を意識せざるをえない。いきなり低音だけで始まる焦燥的な気分を煽るリズムに恐らく中国的な響きを取り入れた(ものの殆どそれを感じさせない)斬新な音や旋法が載り、いかにも戦中戦後の周辺国の殺伐とした気分をかもす(西海岸の実験主義ともフランスの香りをかいだアカデミズムとも違う)。しかし緊密で適度に抒情的でもありバルトークを更に灰汁抜きしたような鼻につく民族性は排されており、人好きはしないが同時代他作曲家のカルテット作品との共通点も多く聞き取れる。ゴリゴリのカルテットマニアは聴いておいてもいいと思う。パガニーニ四重奏団はストラディという楽器の特性上ちょっと音線が細くそれを力で補う(個人的にはそういう力づくで出た弦の金属音は嫌いである)感じもあるが、「意図的な不安定さ」がないとカルテットというのはまるでデジタル音楽的な「つまらなさ」に昇華されてしまうので、こういうスタイルは決してバカにはできない。○。

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ダイアモンド:弦楽四重奏曲第3番

ギレー四重奏団(concert hall)LP

悲歌ふうの両端楽章がミヨー的な中間ニ楽章を挟むある意味無難な作品ともいえるが、ウォルトンのようにわかりやすい透明な美感を常に響きに秘めながら、とくに悲歌の楽章においては親友を悼んで作曲したというその意図が如実にききとれる。最初フォーレと聴き間違ったのは雰囲気としてはありえない話じゃなかったんだなあと思った。ギレーはやや録音のせいかヒステリックに聞こえる箇所もあるような気がうするがつねに緊張感と張り詰めんばかりの力感を抱いて演奏しており、やはりここでも巧みなところを見せる。ナディア・ブーランジェの薫陶を受けたアメリカの作曲家は悉くミヨーになってしまった、というのはかなり言いすぎだが、この人については当たっている部分はあると言わせてもらおう。中間楽章の表現はミヨーの特徴的なプロヴァンスふう牧歌のエコーを感じさせる。牧歌といってもスケルツォやアレグロの少しけたたましいものではあるが、ミヨーほど複雑ではないので聞きやすい。1946年の秋から冬にかけて作曲された、新しいわりに古風な一曲ではある。

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