フレンニコフ:交響曲第3番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/SCRIBENDUM)1973・CD 73年作品。いきなり攻撃的に始まるがなかなかカッコイイ。いや、フレンニコフは実はカッコイイんだけれど、効果的な旋律が書けないのが最大のネックなのだ。ここでもシニカル怪奇な変な旋律が派手にぶっ放されているが、書法がかなり充実してきているため、多少とりとめなく掴み所がなくても否応なく引き込まれる。これは緩徐楽章も同じで、こうやってくれると感動できるんだなあ、という感じ。ロマンティックで哀しい映画音楽を聴くようで、実に美しく、現代的でもある。プロコぽいが一歩現代へ進んだ感じだ。スウ゛ェトラの一糸乱れぬ壮絶な演奏のおかげもあろう。終楽章もなかなか。充実した響きが矢継ぎ早に現れる楽想を万華鏡のように彩る。下手に感傷を入れずに律動し続けあっさり終わるのもよい。スウ゛ェトラでなくても聞かせる力があるし、スウ゛ェトラの個性が比較的出ていない演奏のようにも感じたが、○は十分付ける価値はある。,
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フレンニコフ:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/SCRIBENDUM)1978・CDスクリベンダムもいいかげんなところがあり(ロシア関係はなんでいいかげんなんだ)このCDジャケのスヴェトラの写真とされているものはあきらかにスヴェトラじゃない。恐らくフレンニコフだとは思うが若い写真しか知らないので不明。フレンニコフは3つの交響曲を書いているが最初の二作は第二次大戦前中に書かれた比較的若書きのものである。このスヴェトラの全集は1、2番と3番(73年作品)を比較して聞くことができるので貴重だ。この2番は怪奇趣味入ったロマン派音楽。民族的な主題を使ってプロコを狙ったが才能が足りなかった感じ。強引なスウ゛ェトラの腕でそれなりに聞けるようになっているものの、オーケストレーションがそれほど上手いとは思えず、対位法的な書法も常套的。ブラスの多用で派手さを演出してはいるが個性があまり感じられない。カバレフスキー的だがあれほど無節操な多彩さもないし、緩徐楽章では特にこの時代の典型以外の感想が湧かない。うねるようなスウ゛ェトラの表現で起伏が演出され、陳腐な旋律にちょっと変なアレンジの加わるフレンニコフ節が鮮やかに浮き彫りにされるが、わかりにくい変容を繰り返し、だらだら冗長に続く面はいかんともしがたい。スウ゛ェトラならではのテンション芸は、俊敏でこの曲唯一の才気溢れる3楽章で開花する。スケルツォ的な軽い躍動が続く不思議なアレグロを攻撃的な表現で最後は段階的に壮大な響きを施し盛り上げることに成功している。終楽章は派手でダイナミックだが主題がはっきりせず、途中極めて美しい旋律も現れるが、概ね「社会主義レアリズム」調の軍国怪奇な世界を逡巡するだけで終わる。スヴェトラの演奏に対する評として○。作品はあまりよくないと思う。,

フレンニコフ:交響曲第1番

ガウク指揮モスクワ放送管弦楽団(MONITOR)ガウクは引き締まった非常に集中力の高い演奏を繰り広げている。しかしそれだからこそ曲の底浅さが見えてしまう感じがした。ガウクの演奏は娯楽性が低い。ムラヴィンスキーと似ているのはあたりまえのことだが、曲の表面的な面白さ、珍奇な響きやアクロバティックなアンサンブル、叙情的な旋律を強調して聞かせるような演奏は行っていない。反じて言えばこれはそういう部分が聞かせどころの曲で、強いて言えばミャスコフスキー晩年の交響曲から旋律の魅力を半分取り去った感じ。カバレフスキーから諧謔を取り除いた感じ。ショスタコーヴィチから個性を抜き去った感じ。ロシア・ソヴィエト産交響曲としてはけっして出来の悪いものではないとは思うが、並み居る気鋭の作曲家たちの交響曲に比べれば聴き劣りがするもの。ガウクの演奏で聞くと凝縮された楽想と極限まで削ぎ落とされた構造が際立ってしまい、面白くもそっけもなくなる。さすがソヴィエト連邦作曲家同盟第一書記、かなり合理性を追求しているようだが、その結果至極単純なオーケストレーションに落ち着いている。ガウクの指揮ではその詰まらなさも剥き出しにされてしまう。各セクションが単純に分割され、弦が半音階的なフレーズを刻む上でブラスが吹きまくり続けたり、低音楽器が通奏低音をかなでる上で高音の木管楽器が速吹きでアンサンブルを演じたりする(まるでグラズノフの時代のアンサンブルだ)。馴染み易いところはある。楽想はおおむね焦燥感に満ちた時代の精神を反映し、にぎにぎしく騒いだ結果何とか地鳴りのようなベートーヴェン的勝利に行き着く(あまりに即物的なやり方なのだが、これこそ社会主義リアリズム?)。ストコフスキ、オーマンディ、ミュンシュなどが取り上げたのもその時代性を鑑みれば肯ける(焦燥感に満ちた時代の産物として)。でも、はっきり言って凡作です。ちなみに2番は名曲とされている。最後に、この録音は悪いです。擬似ステレオ?,

フレンニコフ:交響曲第1番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM/MELODIYA)1973派手にやらかすことによって曲をその本質より大きく押し上げる、スヴェトラーノフの技のみせどころです。その音響、旋律の歌わせかたに思わずミャスコフスキーの晩年交響曲を想起するが、より壮大で現代的な即物性をもった楽曲であることがわかる。この演奏は開放的な手法によって曲のスケールをぐんとアップさせており、1楽章、3楽章(ちなみにこの曲はアダージオを挟んだ3楽章制)は思わずのめりこませる魅力を持っている。とくに3楽章後半、いったん落ち込んだ後一気にたたみかけるコーダの開放感はちょっとショスタコの「革命」を思わせるほど面白い(ほんのちょっとだけだが)。2、3番とカップリングでこのたび良好な音質で復刻されたのでご興味があればぜひ。ソヴィエト体制側作曲家の才能を測って楽しむ事も出来ます。,

フレンニコフ:軽騎兵のバラードよりアダージオ

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立(放送?)交響楽団(LUCKY BALL:CD-R)1983/10/20LIVEオケ表記が放送響となっているが怪しい。ショスタコの「革命」のアンコール四曲目。美しい響きはこの人にしては抒情性が浮き立ち聞きやすい。いかにも社会主義レアリズムの曲だ。スウ゛ェトラらしいなめらかな美しさに感傷がやどり、なかなか面白い。だが余り残るものがない。無印。 ,

フレンニコフ:交響曲第1番

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1954/11/14LIVE

フォード社主催のコンサート記録でボストン初演か。MELODIYA盤と同一の可能性あり。音はエアチェックだがずっとクリアで硬質。焦燥感が叙情と皮肉のはざまにただよういかにもな曲で、20世紀前半的なロマンチシズムがミュンシュと相性いいようだ(ルーセル後年作品にちょっと似ているところもある)。統制が行き届き力強く、音色は多彩だが中身の単純なソヴィエト音楽ならでは生きてくるさばき方を心得ている。煌めく色彩味にはフランスものをやるときのあの強くはっきりした、一種鈍重さが示されている。ショスタコに献呈され確かにショスタコに近似したパセージもあるのだが、ヒンデミットによく似た職人的な構造性の寧ろ目立つ曲なので、ライプツィヒ出のミュンシュは見やすいやりやすいのかなとも思った。物凄い勢いの終演とともに大拍手とブラヴォともブーともつかない声が鳴り響く。○。

フレンニコフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

○L.コーガン(Vn)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)

フレンニコフが諸所でやけに目に付くと思ったら先月亡くなったそうで。。。前に紹介したDVDなど見直すことをお勧めする。48年の有名な「批判」でのプロコなどに対する糾弾は悪名高いがこの曲などほとんど、平易な作風に落ち着いた晩年のプロコが美しく力強い旋律を駆使して多少長めに作り上げた、といったふうの作品である。このあたりの作曲家の間には大した距離はなかったのだ。後年擁護の言をとったというのも当たり前かもしれない。この聞きやすさの裏にある目覚ましい機械的な構造は後年のカバレフスキーの余りに民族に阿った作風よりよほどショスタコ・プロコふうにとんがっている。シェバーリンの弟子という位置づけにあるがいろいろな想像を生む話でもある。これは初演メンバーによる演奏である。コーガン最盛期ってこのあたりなのだろうか、すさまじく正確でそれでいて憂いまで帯びたような演奏振りは、この旋律だけで突き通された楽曲を非常によく弾きこなしており、むしろコンドラシンのバックが鈍重と思えるくらいだ(終楽章のピッコロなどひどい)。非常に聞きやすいのに新鮮な感触の味わえる、円熟味の感じられる曲であり、構造的な単純さはともかく、いい演奏で聞けばカタルシスは得られよう。それにしても、ソヴィエトはほんとうに、遠くなった。

フレンニコフ:交響曲第1番

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MELODIYA)1959/11ボストンlive・LP

珍しい録音でモスクワ録音とされたこともあるようだがボストンと明記されている。メロディヤではモノラルだが原盤はRCAでステレオの可能性が高い。モノラル末期の比較的良好な録音だがライヴなりのぼやっとしたところは残り、裏面の協奏曲(コーガン、コンドラシン)のほうが数倍クリアである。最初から最後まで焦燥感に満ちたえんえんと続く激しい愚痴、といった曲だがソヴィエトのリアリズム作家に典型的な作風が発揮されているともいえる。ただ、オケが洒落ているのと指揮者が統制力のある人であるために曲の価値が数倍上げられている感があり、ソヴィエト特有のお定まりの盛り上がりもショスタコ的な骨ばったものではなくかといってピストンやらアメリカ・アカデミズムの平易で安易なものでもない、「フレンニコフってなんだかんだいって独特の才能があったんだなあ」とまで言わしめる起承転結を曲想にあわせしっかりつけた演奏になっており、ブラヴォー大拍手も「いつもミュンシュが浴びているたぐいのものではなく」真にこの珍曲を名曲に仕立て上げたミュンシュとBSOへの賛辞と受け取れる。けしてミュンシュは洗練された指揮者ではないと思うのだがここではやはりロシアの指揮者と比べて数段スマートでまとまりいい演奏をする人、という印象が残った。○。


フレンニコフ:交響曲第2番

◎コンヴィチュニー指揮ベルリン放送交響楽団(MEMORIES)1955/4/21スタジオ・CD

音質きわめて良好なモノラル。けっして巧いオケではないし解釈自体は四角四面のコンヴィチュニー、彼なりの即物主義というか唯物的客観性が発揮されイマジネイティブでは全くなく実にリアルな音の交歓で、純粋に音を表現しているだけで、そこに情緒が醸されるのはやっと緩徐部に入ってからである。3楽章以降の凄絶なアンサンブルの力強さはとにかく聞き物だが、表現の振幅という部分では実直の一言だ。ベルリンのオケにしかできえない部分もあり、重心が低く縦に重く苛烈な発音でこのソヴィエトソヴィエトした曲をドイツのやり方で整え異常な緊張感をもって表現している。ちょっと独特の魅力がある演奏で、スヴェトラとかとは対極にあるようでいて、地力の強い演奏振りには共通する部分もある。力感が録音リマスタリングで増強され聞きやすい。透明で機械のような演奏、という近現代東側指揮者の一種「現代音楽指揮者的なイメージ」とは離れており、そこが魅力でもあろう。ロシア情緒はほとんどない、ドイツだ。この曲の演奏をまじめに聞こうと思ったらひょっとしたら第一にきくべきものかもしれない、変なフィルターがかかってないから。

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フレンニコフ:交響曲第2番

○コンヴィチュニー指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)LP

引き締まった演奏で聴きやすい。拡散的なスヴェトラよりよほど本質を理解しやすいだろう。この人はまだご存命だが周知の通り「戦犯」であり、ショスタコの寿命を縮めポポフやシェバーリンの命運をたった人である。本人によればそれも時局柄仕方がなかったという言い訳になる。ただ一つ、フレンニコフは決して才能がなかったわけではない。ここにきかれるのは悪名高い「社会主義レアリズム」の手本ではあるが、凡作ではない。耳なじみよく、なおかつ控えめな響きの面白さ(まシロホンくらいだけど)も盛り込まれた秀作なのだ。冒険することだけが芸術の目標ではない、確かに社会の比較的低い位置にいるかたがたの耳を楽しませることは重要であり、それを伝統楽器を使って表現することには何の問題もない。フレンニコフは自分ひとりでやればよかったのだが・・・歴史は翻らない。しょうがない。コンヴィチュニーがこれを振ったのも恐らく上からの命令だろう。だからといって(個性的な構築性は聞かれないが)手を抜かない。力強いロシアの響きがコンヴィチュニーの一歩引いた感じ、ドイツ的な重さを軽減し、前進的にまとまる方向に持っていっている。私などスヴェトラ盤より求心力があり余程わかりやすかったのだがいかがだろうか。曲的にはカバレフスキーの交響曲を想い起こせばそれである。○にしておく。傑出してはいないし、演奏家の個性的なものもないが、悪くはないというレベルである。ドイツのスタジオ録音がある(MEMORIESで復刻)。
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