スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲

マリー・クレール・ジャメ五重奏団(erato/rca)1976版

フローランが残した楽曲のなかで最も同時代フランス風の作品ではないか。美しく均整のとれた、簡潔ですぐれた技巧の反映されたアンサンブル曲である。ジョリヴェのハープ室内楽から不協和音や変則リズムを取り除いたような作品。ラヴェルではバックに徹していた弦楽器がここではしっかり主張しており、とくにヴァイオリンの音色は懐かしく、サロン風の同曲にいっそうロマンティックな色を添えている。ラルデのフルートも中音域にて確かでありながらはみ出さない繊細な配慮の行き届いたもの。調和的な演奏にジャメもことさら自分を押し出すことはなく、模範的な流れに乗っている。四楽章はいくぶんフローランらしい前時代的な持って行き方で盛り上げるもので、弦楽器に僅か雑味はあるがほぼ完璧な演奏。同曲はパリ器楽五重奏団が初演したが、そのハーピストがピエール・ジャメ(父)である。
スポンサーサイト

フローラン・シュミット:イン・メモリアムop.72-1「供養の石柱(墓標)」

プレートル指揮ORTF(ina)1960/11/22live

これが知られていないもののフローランではよく演奏される演目で、マルティノンが1970/4/22録音している(モノラルで動画配信サイトに上がっている。他の指揮者でも「イン・メモリアム(思い出に)」の題イコールで14分程度の同曲が上がっている)。1935年師フォーレ追悼のために作曲された。木管の暗い絡みから重々しい管弦楽の叫びへ、そこから夢見るような、まるでフランス映画のような美麗極まりない旋律が浮かび上がり、再び中欧的な響きに沈み、静かに銅鑼が鳴る。プレートルは時代に先んじたのか遅きに失したのかわからないような、まだ気持ちの落ち着かないフローランのこの音楽から、フォーレのエコーである浮遊感を掬い取るようにけして悲痛さを強調せずに和声を組み立てる。それが中間部では非常な感動を呼ぶ。この前のドビュッシーではブラヴォだったがここでは力強い拍手、次のフランセの協奏曲では大ブラヴォ後ブーイングとの壮絶な混淆を聴ける。最後は新世界である。この一連のプログラムはAmazonから配信されている。ステレオだが薄く放送ノイズが入り続ける。

参考
イン・メモリア厶について「フォーレ追悼」

フローラン・シュミット:詩篇第47番

マルティノン指揮ORTF他、アンドレア・ギオ(SP)(ina配信)1973/10/31live

やかましい!という音響が延々と続くベルリオーズ的な作品で、オルガンや合唱を含む誇大妄想的な音楽はワグナー風でもあり、またウォルトンが似たことをしているが(旋律などほとんど似通った作品がある)、何か他のものを真似て作品を仕立てる職人的な技を発揮している、ある意味フローラン・シュミットらしいところは好き嫌いが別れるだろう。マルティノンというとフローラン・シュミット、というイメージはORTFとのEMIセッション録音盤がもたらしていると思われるが、これは録音が巨大な音響を捉えきれずノイジーになっている点ふくめ余り魅力を感じなかった。それなりの長さなのに楽想、書法に変化のない作品に飽きてしまう。飽きさせてしまうのがこの演奏の悪いところだろう。ina.frからは小品と、人気のサロメの悲劇が配信されている。

フローラン・シュミット:3つの狂詩曲~Ⅲ.ウィーン狂詩曲

ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(timpani/naxos配信他)1929-33・CD

いきなりマーラー五番かと思ったらあっさり擬ウィンナーワルツになる。多彩な才能を持ち合わせたフローランらしい展開への創意もこめられてはいるが、フローランらしいパッとしない風味もあらわれてしまっていて、こんなものか、という古風な印象。ヴォルフはカラフルにやっているが曲の趣向に合っているかは??

フローラン・シュミット:詩篇第47番

デュヴァル(sp)テシエ(vn)デュルフレ(org)ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団他(EMI)CD

正規セッション録音ゆえモノラルではあるが状態は素晴らしく良い。とりわけ合唱とソロが明瞭に大きくとらえられ、楽曲本来の姿をしっかり示している。総体として迫力があり、部分として創意に満ち、ワグナーの影響はほぼフランス音楽的な清新な響きの中に吸収され、力強くも、彫刻の内部まで見通し良いはっきりした演奏となっているのはツィピーヌの実力を示すものと言っていいだろう。フランスEMIのCDにおいてはアナログ盤では味わえない、混じりっ気のない純粋な音の饗宴が、この作曲家の明るく開放的な一面を前面に押し出して、さまざまな要素が過多に詰め込まれたようなところを全く感じさせない。モノラルでなければ、スタンダードな名演として推せる演奏。

フローラン・シュミット:交響的練習曲「幽霊屋敷」

プレートル指揮モンテカルロフィル(EMI)CD

ポーの原作による。ロマンティックでうねるようで大仰な、フローランとしてはまだ作風が前時代のものをひきずっており、後年の凝りまくった創意はあまり注ぎ込まれていない。ロシアの作曲家、とくにワグナー風という点ではスクリアビンの中期管弦楽作品などを想起する。後半部の活き活きとした音楽はストラヴィンスキーというよりルーセル盛年期の作風を彷彿とさせる。演奏は派手でやや舞台演劇風のライヴ感のあるもの。

フローラン・シュミット:詩篇第47番

アンゲルブレシュト指揮cho&ORTF他(ina配信/french bro system)1964/3/19放送 live

派手派手、からひたすら前向きな賛美の音楽、情報量、「圧」がすごすぎて引いてしまう。隔世的に影響されたと思われるウォルトンのベルシャザールの饗宴(小品にも似た楽器の使い方がみられる)と比べてどこが「魅力的じゃない」のか、と思うと、あまりに早すぎた出世がゆえの作品に残る「古臭さ」、末流ロマン派へのこの人のこだわりも含めて、現代の耳からするとわかりにくいのである。とにかくいろんな工夫をとことん詰め込む人で、スコアがものすごい事になってるピアノ協奏曲とか、もうちょっとマニア以外にも受けることを考えて作れなかったものかと。ラヴェルより前を行くくらいの気持ち前衛派にもかかわらず作品はあまりに鈍重で、20世紀フランスというのは前衛の擁護者を自認する「老人」が多かった国なのかなあ、とケクランやミヨーあたり思い出すも、かれらはかれらの新しい語法で時代をしっかり抱いていた時期がある、比べてフローランは前の時代の語法の範疇でひたすら新しい技術を生み出すばかりで常に時代から離れていたように見える。とりとめもないワグナー的世界の理念を南欧に持ってきて、フランス化したみたいな。。

ようは、わたくしこの人むかしから苦手です。

アンゲルブレシュトのこれは録音が弱いせいもあってブチかました演奏には聴こえないが、イギリスの20世紀オラトリオなんてこの後塵を拝し続けていたんだなあ、くらいにはその清新な音楽を楽しむことはできたし、聴衆反応も凄かった。全編無料で聴ける。 fbroの放送LP音源は同じものと推定。

フローラン・シュミット:ロカイユ風組曲

quinteto tournier(youtube)live

この作曲家には珍しい典雅な室内楽だが手練らしくめくるめく色彩変化が楽しめる。演奏はライヴなりの精度、でも楽しむには十分。いい意味で何の引っ掛かりもない朝のひととき向けの映像。

https://youtu.be/jUX3gZjwUHI

フローラン・シュミット:flとVn、Va、Vc、ハープのための「ロカイユ風組曲」Ⅰ、Ⅲ、Ⅳ

(fbro)Ortf。ロココ風の意。人気曲でデュカス的鈍重作風とは違いドビュッシー後発イベールらサロン的室内楽。聴きやすい。技術的にも音質的にも現代的な良い演奏。

フローラン・シュミット:協奏的交響曲

セルメ(p)モンテカルロフィル(AV)殆んど唯一の録音。複雑で多様式、構造の中に音が詰め込まれ、独特の音線も異様な印象を与える。オネゲルを思わせる部分もある。スクリアビンの影響という点ではシマノフスキと同源だが、同名曲の新古典主義とは程遠い。

フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

○フレイタス・ブランコ指揮ポルトガル国立交響楽団(STRAUSS)CD

私はデュカが得意ではないのだが、デュカ的な劇性にドビュッシー的な色彩を加え、ルーセル的な(とくに印象主義から脱した頃の)重厚壮大さを反映させたようなこの作品もまた、どうも得意ではない。確かに隙が無く無難に聴けるが、何かに似ている、ここはあれだ、あそこはこうだ、という以上のものが聞き取れない。名演が少ないというのもさもありなんな、例えばルーセルの蜘蛛の饗宴のように代表作なのに名演を決めかねる位置づけのものに思える。この録音は一連のブランコ放送録音の中に含まれてCD化されていたものだが、管楽器がいかにもファリャ的というか、スペイン・ポルトガル圏のオリエンタルな雰囲気をかもし、ちょっと不思議な軽さを感じさせる。フローランはもっと重くスクリアビンと逆側から中欧音楽を眺めたような音楽・・・だが曲にはあっている。合唱はつかず全曲でもないが、このコンビはけして上手とは言えない録音も多く、その中ではよく描ききっており、特にバレエ音楽ふうの愉悦的表現、躍動感と色彩性は特筆すべき聴き所だろう。変化を愉しむ曲でもあり、そのうえでは終始同じ明るさに包まれすぎているようにも思えるが、まあまあ、と思います。○。

フローラン・シュミット:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ORTF(EUR MUSES/INA)1962/6/13・CDうーむ。古い。フランクあたりで止まってしまったかのようなロマンティックで重い作風。同時代ではミヨーに近い気もするが、気のせいだろう。こういう曲は構えて聞かないと楽しめない。フランス音楽の軽くて鮮やかなものを求めて聴くのはまったくお門違いです。よくよく聞けば和声などに特徴的なものがあるような気もするが、気のせいだろう。すいません、ぜんぜん惹かれなかったんです。無印。 ,

フローラン・シュミット:チェロとピアノのための悲歌

○フローラン・シュミット三重奏団のメンバー(CIBELIA)LP

いかにも悲歌な小品だが嫌味や重さのないそつないさまがいかにもこの中庸の作曲家らしい。演奏は長短なし。

フローラン・シュミット:ピアノ三重奏によるソナチネ

○フローラン・シュミット三重奏団(CIBELIA)LP

初期ウォルトンの室内楽のように清新だが生硬なドビュッシーの影響をざっくりのっけたロマンティックなサロン曲。フランセの小品のように楽しめる。短いし。四楽章からなるのも新古典指向で、新味はないがそつなく楽しむにはうってつけだ。演奏はこなれていて聞きやすいし楽しい。○。

フローラン・シュミット:サロメの悲劇

○作曲家指揮ストララム管弦楽団(EMI他)1930・CD

この時代にしては驚異的な音質でかつ演奏様式もまるでトスカニーニを思わせるものがある。オケ自体は悪い意味でフランス的なのだがフローランは厳しく各声部を引き締めて的確に構造を表現させてゆく。リヒャルト的な、もしくは前時代のフランス的な構築性と、ドビュッシーやルーセルといった同時代の作曲家と歩調をあわせたような幻想的リリシズムが不可分に絡み合い、独特の先進的でも後進的でもある作風にあらわれているのがまた如実にわかる。とくにルーセルとの近似性は、ルーセルが一種マンネリズムの穴(作風の確立ともいう)に落ちているのに対して開放された作風として、たとえばタンスマンのようなコスモポリタンの感覚の存在を感じさせるところもあり、そこが掴みづらく折衷的と思われる部分かもしれないが、逆に論客で知られたフローランはアンテナが高く前衛にも敏感だったのであり、よく聴けばこの古い録音からその萌芽くらいは感じ取ることはできるだろう。◎にしてもいいくらいだが、まあSP復刻CDでは○か(SPのままなら違うかも)。

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い

TREview『音楽・映画・テレビ』ブログランキング
プロフィール

岡林リョウ

Author:岡林リョウ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
カテゴリ
TAG

ストコフスキ 四重奏団 フィテルベルク ミュンシュ トスカニーニ コンドラシン バルビローリ 作曲家 モントゥ アンセルメ 作曲家演奏 ブール エネスコ ガウク ミトロプーロス ロスバウト サージェント オイストラフ フランセ ワイエンベルク ORTF アンゲルブレシュト サモスード デゾルミエール イワーノフ ゴロワノフ ムラヴィンスキー ピエロ・コッポラ モイセイヴィチ ベーム セル クーベリック カルミレッリ シュヒター バーンスタイン ビーチャム パシャーエフ ツィピーヌ アルベール・ヴォルフ パレー ウォレンスタイン アラール オーマンディ サモンズ 山田一雄 ロストロポーヴィチ シェルヘン モートン・グールド ギレー モイーズ 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。