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ブラームス:交響曲第1番

ホーレンシュタイン指揮ORTF(m&a)1957live・CD

ライヴの王様ホーレンシュタインここにあり、といった佳演。このオケにここまでブラームスらしいブラームスを精緻に、かつ強固に作り上げさせた力量は並ではなく、客も沸く。スケール感が素晴らしく時代柄けして良い録音ではないが、その音をもってしても、一躍名を挙げたマーラーの8番を思わせる威容を示すことができている。同曲を単なる旋律音楽、勢い任せの耳馴染み良い交響曲として処理せず、ホーレンシュタインらしく構築的な演奏であり、そこにライヴならではの緊張感が加わるとこうなる。このオケとは思えない。
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ブラームス:交響曲第1番

○カイルベルト指揮ケルン放送交響楽団(WEITBLICK)1967/3/31・CD

噂に違わぬ名演で驚いた。というかこの指揮者の得意分野じゃない曲ばかり聴いていたのが悪いのだろう。ブラ1を掌握しきったさまは、例えばロジンスキなんか何だったんだ、という迫力に結実する。ただ音を強く出していればいいのではない。フォルム重視のいわゆるドイツ的な重厚な演奏ではない、ステレオだからなおさら感じられる偉大なる表現とともに、音楽の迫真味を追求したライヴ感は四楽章後半の畳み掛けるような、あるいは走ってしまうくらいの勢いが凄く、楽団の限界やライヴ(なのだろうか)なりの精度の甘さなど問題にする気が起きない。いや、これはステレオで残っていてよかった。やはり両端楽章をおすすめする。

ブラームス:交響曲第3番

フルトヴェングラー指揮BPO(EMI/MYTHOS/PASC他)1949/12/18ティタニア・パラストlive・CD

普通に聴けば全体構成からいっても後半のほうが面白い。大前提としてフルトヴェングラーベルリン・フィルの集中度の高い素晴らしいコンビであるというレベルから俯瞰して、冒頭はずわーんという感じでザッツが雑というか柔らかい印象もあるし、それは中音域以下の響きを重視するドイツ流儀でもあろうが。むしろ弱音部に魂が宿る。入りが優しい。ブラスなど明確に底深い響きを放ち、毅然とした演奏なのに楽想の変化にけしてディジタルな動きはつけない。すこし雑味のある弦楽器より木管に聴くべき箇所か多い。大きな流れの中に自在に取り込まれすぎてわからないほど板についたテンポ操作など、この人の特徴であり他が聴けなくなる人もいるだろう。3楽章はこの曲の有名部分、感情的でも俗謡的な歌い回しを持ち込まず純音楽的に、雄渾なほど描ききった緩徐楽章はフルトヴェングラーを特徴づける名演。四楽章はその勢いもあいまって満足度は最高度に達する、末尾の弱音までもが勢いに取り込まれるようだ。けして私はこの曲が得意ではなく、飽きるほうだけれど、後半楽章は何度も聴ける。変にいじらないほうがこの音源は良いと思う。そんな綺麗に整形された演奏ではないはずだ。

ブラームス:交響曲第4番

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(lys他)1938-39・CD

冒頭から僅かつんのめり気味に漲る音、目の詰まったブラームスの書法にオケはやる気十分に、だがあくまでクーセヴィツキーの毅然とした、情を交えない表現に沿って進んでいく。ブラ4を中年男の悲哀とか枯れ葉の落ちるような冒頭とか形容することがあるけれど、ここには只の男らしさしかない。フルートなど巧みな木管楽器の音色に艶があるのみで、ブラスは破裂するような発音で弦のアンサンブルを援護射撃する。そのような調子なので、三楽章の舞曲に突入しても唐突感が無い、即物主義的である。だが四楽章になると表情の変化が顕著になる。テンポは落ち、音響が途端に深みを増してくる。構成された情緒的な揺れがクーセヴィツキーらしさを一気に醸す。変奏はけしてカラフルに転換されていくわけではなく、一本調子ではあるのだが、結末に向かってしっかりフィナーレとして意識された演奏ぶりで、やや作為的にも感じるところはあるが、最後は割とあっさり終わる。クーセヴィツキー自身はそれほど思い入れている感じはないものの、どこもそうなのだろうが、オケはブラームスとなると、他のよくわからない新作をやるのとは意識が違うようだ。

ブラームス:ハンガリー舞曲第5、6番

シュワイコフスキー指揮ハルビン交響楽団(columbia/sony)1939・CD

ハッキリって緩い。技術的な問題もある。だが勢いはあり、解釈自体はテンポ変化をしっかりつけ悪くなく、演奏者側の問題だったのだろう。ヴァイオリンのポルタメントが気持ち悪い。音程の取れない人がポルタメントを先に覚えてしまうとだめなんだよなあ(自己嫌悪)。第6番のほうが変化に富んでいて、一般にも耳なじみが薄いから比較対象が無いのも含めかえって聴ける。5番よりも凝った感じのする曲だ。テンポの著しい変化にも何とかついていっている。とはいえ、この時代のオケでしかも78回転盤の悪録音での再生となるとそう聞こえるだけで実際そこまで同時代的におかしな演奏ではないかもしれない。

ブラームス:交響曲第1番

バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(rare moth)1954プロムスlive

ハレ管と侮るなかれ。タイタンの録音で見せたダイナミックで重厚な演奏ぶりが聴ける。時期的なものだろうが、この頃のバルビは表層的な歌謡性(だがこれを徹底させるのはバルビにしかできない離れ業)に拮抗すべきブラスや打楽器への緻密な配慮、バランスの非常に良い構成、そのうえで全体の凝縮力と重心の低い響きから中欧音楽を表現するのにふさわしい構造的なアンサンブルを見せつける。ソロ楽器を聴けばよい中間楽章はとばして終楽章だ。弦楽器の旋律表現はもはや歌謡的とも言い難い分厚くスケールの大きなうねりで圧倒してくる。ブラ1はこういう流れで聞かせるべきだ的なものは全てそなえた上を超えてくる。一番盛り上がるところで瞬断があるのが実に惜しいし、終始シャカシャカノイズが入るエアチェック音源で、時折聞くに堪えない録音撚れがあるのは残念だけれども、終止音直後大ブラヴォは納得の出来である。これがハレ管というのが驚きだ。モノラルだがリバーブなどかけずマスの迫力を味わった方が録音の悪さも気にならなくていいだろう。音の情報量はそれなりにある。

ブラームス:交響曲第1番

ロジンスキ指揮NYP(SLS/columbia)1945/8/2-22・CD

原盤はテストプレスで実際に発売されたものではない模様(流通しているものは録音年月が違う)。状態は推して知るべし、ノイズにまみれボロボロで、SLS直販のCD-Rでも日本焼きCDでもまったく差はない。ロジンスキにしては直線的な推進力のみならず粘り腰の表現もきかれるが、世界史的にきわめて重要な時期に行われた録音~広島長崎への原爆投下と第二次世界大戦終結~だという特別なものは一切感じられない。いつものロジンスキスタイル、というか重量感の無い録音のせいかむしろ軽さすら感じさせる即物的なものだ。四楽章冒頭からなどいつもの引き締まった筋肉質のスタイルが緩んでいるように聞こえる。これはオケのせいだろうとは思うが、音は美しい、技術もそれなり、でもどこかよそよそしい。ブラスが音を重ねつらねヴァイオリンの主旋律に入るまでのくだりは、音がぜんぜん重なった感じが無く、数珠つなぎに吹いているだけで、何の盛り上がりもない。録音のせいと思いたい。弦楽器はたかまりを伝えてはくるし、木管も綺麗でうまいが、中音域以下があまりに弱い。加えてテンポも性急に流れがちで、変な焦りがある。あのロジンスキのセッション録音とは思えない緩い演奏だ。軽々しく旋律を撫でていくだけで、戦前のSP録音かと思うような「想像力を要求される」代物。終盤でやっとブラームスらしいアンサンブルの妙味が伝わってくるものの、この曲ではそのくらいはどうやっても伝わってくるものである、遅い。思い入れとかそういうものとは無縁、ロジンスキの志向が近現代の大曲でいかに自分の棒さばきを魅せるかにあり、古典志向の曲は後期ロマン派であっても、こういうことをすることがあるのだろう。影のない、でも明るく吹っ切ったわけでもない、ただの思い入れの無い録音。太平洋戦争への痛烈な皮肉か、という皮肉を書きたくもなる。

ブラームス:交響曲第4番

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive

生命力に満ちたブラ4で、トスカニーニっぽいと思う人もいるかもしれないが、オケが決定的に異なる。弦楽器は言うに及ばず、ロシア式の良い部分を押し出したパワフルなブラスも聞き所。どっちも、あの音色で歌う歌う。まるで一人一人がソリストであるかのように音色を主張し、我先にと重なり轟く。オケがこの曲をとても愛しているのがわかる(直前のバルトークとの違いは明らかだ)。二楽章の心根を揺り動かされる美しさ、三楽章のリズムと音色の饗宴は素晴らしいの一言。四楽章の本来もつ古典的な佇まいは、強奏部においてはあまりに表出意欲が強すぎて軋みを生じてしまっているが、そのたぐいのことはムラヴィンスキーのライヴ全般にあることで、ロシア式とも言え、ライヴならではの魅力と捉えるべきである。音色の不統一感も音楽を分厚くすることはあるのだ。ダイナミックだが休符を効果的に使って音楽を引き締め、ラストへ突き進んでいくさまは圧倒的。ムラヴィンスキーのブラームスは素晴らしい。録音は放送レベルのモノラル。

ブラームス:交響曲第4番

チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団GH-0017 greenhill

モノラルの古いCD。さらさら流れる軽量級の演奏。流麗さやリズム良さは一瞬だけC.クライバーを想起した。全く揺れず陰もなく、統制されているがぎちぎちには感じさせない。

ブラームス:交響曲第1番

◎カサルス指揮プエルト・リコ・カザルス音楽祭管弦楽団(GRANDSLAM他)1963/5/31live・CD

度肝を抜かれた。フルヴェン以来の衝撃の名演だった。むろん、弦が物凄い。音色もアンサンブルも表情付けも素晴らしい、しかも独特の色が付いている、ここが肝心だ。カザルスの指揮は集中力がハンパないことはいつものこととして、この手垢まみれの曲をこう独自の表現で、感情のうねりをぶつけて来られると圧倒されまくり。一楽章でまずそのテヌート気味の音の連射にやられ、恐らく一番の聴かせどころである二楽章でのドルチッシモな法悦。三楽章は軽く流すが四楽章ではアゴーギグ弄り倒してなおテンポは突き進み、弦だけでなくブラスの迫力もそうとうなもの。全て演奏レベルもそこそこありアンサンブルに問題はない。これはフラブラ仕方なしか。◎!

ブラームス:交響曲第1番

○フルトヴェングラー指揮北ドイツ放送交響楽団(EMI,tahra)1951/5(10?)/27・CD

太筆書きで描き切った、という演奏で、その雄渾さは他の誰とも違うものである。ロマンチシズムよりも力強さが勝り、イギリスのヤワな抒情的演奏とか、クレンペラーのカタブツ的即物性とか、トスカニーニのこじんまりとした演奏とか、それらとは明らかに非なる。揺れ無く一直線の演奏ぶりなのに、なぜこんなに印象的なのか、説明するのは難しい。しいて言えばこの指揮者だからこそやる気を奮い立たされるオケのため、というしかない。私はこの演奏を決して◎にはしないが、久しぶりにフルヴェンを聴いた、凄い、という印象でこの文を〆る。

ブラームス:交響曲第4番

○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ARTISTS)1973/4/28・CD

うーん。1楽章は意思的な変化がつけられ管楽器にも突出するようなロシア的な表現がみられるが、楽曲が進むにつれ抑制的な方向に行っている感じがする。2楽章はまあまあ、3楽章はこんなものだろう、4楽章はそれまで精彩に欠けた弦がレニフィルらしい力強い合奏をみせそのあと緩徐部ではロシア臭のない平穏な世界を演出しているが、ブラスが引っ込みがちで、最後いきなりぶわーっとまるでソビ響みたいなぶっ放し方で終わるのを除けば、ちょっと抑制しすぎの感もある。1楽章など面白かったのだが、最初レニフィルか?と疑ったくらい本数の少なげな音だったこと含め、マイナス含みの○。

ブラームス:交響曲第4番

○コンドラシン指揮NHK交響楽団(KING、NHK)1980/1/16live・CD

最初ぱっとしない。二楽章まではまるでイギリスの演奏のように薄味だ。律動的な三楽章からキレが出てくる。重量感のあるN響の響きがコンドラシンによって磨かれかがやきを増してくる。そして四楽章は新古典の観点からは外れるがギチギチに引き締まった現代的な音楽で、キレも半端ない。ドイツ的な響きはブラスの咆哮にも聞き取れる。これは名演。○。

ブラームス:交響曲第2番

○マックス・フィードラー指揮BPO(BIDULPH/BEULAH/PASC/POLYDOR、grammophon)1931・CD

マックスのブラームスは4番にかんしてはダウンロード含め多数復刻されており容易に聴ける。ナイとのピアノ協奏曲第二番、大学祝典序曲とあわせて正規スタジオ録音のすべてとなるがCDならびにPRISTINEダウンロード販売の復刻はいずれもSP起こしで状態はピンキリ。ほかピアノ協奏曲第一番がブラームスの生徒たちと題したCDで現役、ヴァイオリン協奏曲も現役。いずれパブドメとして無料配信されたことがある。さて、マックスはブラームスがその演奏を直接聴いた二人の録音残存指揮者の一人として有名だ。もう一人はワインガルトナーである。4番は良い原盤が少なくPRISTINEでさえキンキンしてノイジーだ。対してこの2番は何故かノイズも軽く聴きやすい。何故か復刻もネット配信も4番より格段に少ないが、一つには演奏が「まっとうすぎる」ことが挙げられるだろう。4番の止揚する音楽とは異なり、ワルターよりも揺れないくらいだ。4番はオケの格が落ちて音がばらけ下品に響く。そのぶん人の耳をひくだろうし、また、歌劇場オケのためマックスの解釈をよりビビッドに過激に反映できたのかもしれない。ベルリン・フィル相手の正規録音では無茶はできなかったろう。これは普通に楽しめるし過激ではないが歴史的記録として聴いておいて損はない。○。

ブラームス:交響曲第3番

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1946/3/31

音源が怪しいのであるいはデータは違うかもしれない。音はノイズまみれで音場も狭く、悪い。演奏は溌剌として聴きやすく、オケもきびきびと動き、3楽章ではしっとり聴かせてくれる。トスカニーニのブラームスは過度な思い入れは無いが必要十分の音楽の魅力を引き出しており、音さえよければ万人向けの演奏として推奨できよう。この演奏がライヴだとすれば演奏精度的にもすばらしい。○。

ブラームス:交響曲第2番

○バルビローリ指揮BPO(TESTAMENT)1962/6/6コヴェントリー大聖堂live・CD

第二次大戦中多大な被害を負ったコヴェントリー大聖堂の再建にかんする逸話は有名だが、これは完成した聖堂にて敵国であったドイツの名門オーケストラとの和解を示した記念碑的演奏会の記録だそうだ。2011年来日記念盤とされている。私は初めて聴いた。同オケの常任ではないにせよ幸福な関係を結んでいた英国人指揮者バルビローリがタクトを振っており、その歌謡的な表現が常任指揮者であった歴々とはまったく違う表情を引き出していくことが期待された。が、録音が悪い!レンジが狭く、レストアも無理に起伏やひろがりを出そうとして、結果色彩感のない硬質な音になっている。演奏は重くて粘る。四楽章になってやっと曲に引っ張られるように躍動しだすが、正直三楽章あたり飽きる。録音のせいでBPOらしさが伝わらず、バルビらしさも粘り腰以上の派手なものにはなっていない。記録としての価値に○をつけておく。裏青レベルの音源だろう。立派な店があきなう盤ではない。この一曲だけ収録、拍手もカット、、、

ブラームス:交響曲第2番

○ストコフスキ指揮シカゴ交響楽団(PASD)1958/1/2シカゴデビューコンサートLIVE

PRISTINEのWEB配信。割れまくりのエアチェックで非常に聞きづらい。しかしどこのオケでも(とくに弦)むせ返るようなストコフスキサウンドにしてしまうのがストコフスキの凄さだ。耳が極端にいいのか極端に悪いのかどちらかだろうが技術的な面のすぐれた部分は認めるべきだろう。ストコフスキのブラームスは外しがない。雑味の混ざる隙間が作品にないからだ。ハデハデな響きにはブラームスらしからぬ世俗性も宿るが、軋みは生じず、まともに聞きとおせる・・・四楽章以外。四楽章は私は好き。スヴェトラみたい。逆か。○

ブラームス:交響曲第4番

○ロスバウト指揮ACO(richthofen:CD-R他)1950年代live

既出盤と同じ模様(CD-Rではlanta fe)。トスカニーニの即物性に近いが、トスカニーニ同様に外様オケを使ったライヴであることがネックとなり、バラケ味を醸していて、部分的に聴きづらいほど薄くなったりテンポがずれたりして聴こえる。ただこの人特有の、というか前衛音楽指揮者特有の人工的ルバートに独特のケレン味があって、後半楽章において特に顕著である。音量や音色にかかわらずただテンポ的に終止音を異様に伸ばしたりする、ブラ4ではなかなかこれがちゃんとハマって聴こえる。2楽章は重過ぎる気もするが、腰の据わった響きと速いスピードでじわじわ盛り上げるスケルツォから終楽章のスケール感は比較的こじんまりとした表現をなしがちなロスバウトでも面白い見識が伺える。録音がかなり悪く、けしてお勧めはしないが、マニアなら。○。ブラ4らしさ、というと違う気もする。

ブラームス:交響曲第3番

○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代

作為的なところや音色への配慮以外に、客観主義的な部分はほとんど感じられないのがロスバウトのライヴだが、この演奏もイメージと実際の乖離を実感させる柔軟なものだ。終楽章で作為的な表現が感じられはするもののおおむね自然で、ドイツ的な重厚な響きよりもウィーン的な軽やかな流麗さすら感じさせるのが更に意外でもある。ただ手兵ではないせいかライヴのせいか、瑕疵が無いわけではなく、相対的に雑に感じられる要素もある。それは録音のせいかもしれないが。良演。

ブラームス:交響曲第1番~Ⅱ.

○フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(serenade等)1924・CD

全曲あるのかどうか知らないが多分無いのだろう。このレーベル以前にもCDで出ていた気がするが目下手に入るのはこれだけだろう。演奏は纏綿とした魅力があるものの、テンポの揺れ、アゴーギグ、そういったところは思ったより露骨にはなっていない。メンゲルベルクが冷静になったような、音はロマンティックだが表現は割りと安定したもの。楽曲構成に加え録音が古いのでソロアンサンブルに聴こえてしまうのはご愛嬌だが、それでも不自然さはない。

ブラームス:交響曲第3番

○エリアスベルク指揮ソヴィエト国立交響楽団(vista vera)1948/4/19・CD

荒々しいオケを相手に引き締まった音楽をひたすらインテンポでドライヴしていくが、両端楽章の強靭でリズミカルな処理の巧さと3楽章のカンタービレの纏綿としたさまが聴きもの。エリアスベルグの叩き出すものはけして大きなスケールの演奏でもムラヴィンスキーのような抽象度を高めた演奏でもなく比較的直球ではあるが、1楽章の弱音部で若干生硬さが出ている以外はとにかくリズム、これに尽きる。設計的に突き詰めたものでもなく、クライバーのような感覚的な処理が活きているように感じた。ロシアの演奏としては特徴的表現だと思う。オケの個人技や力強さ、その半面バラケ味の妙もちゃんと聴くことができる。このシリーズ復刻は音質が比較的よく、値段は多少上がるが興味があれば手に取って損はない。○。もちろんモノラル。荒さからライヴかとも思われるが拍手はなく、メロディヤの性質からいってスタジオ録音もしくは放送用音源だろう。


Karl Eliasberg Conducts Brahms / Karl Eliasber, USSR State SO, David Oistrakh, etc

ブラームス:交響曲第1番

○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio)1972/6/15、ロンドンデビュー60周年記念live(一回目?)・CD

指揮者には弦楽器型と管楽器型がいる。おうおうにして弾けるメイン楽器が何なのかに限らない(他に歌謡型もいて、弦楽器型に似て非なる厄介な演奏を仕掛けたりするけど・・・ピアノ弾きに多い)。ストコは管楽器型に見えて、案外弦楽器を中心にしっかり組み立ててから表面をごてごて盛って膨らませていく古風な感覚を維持しており、曲によっては厳しく統制された弦楽アンサンブルを志向する。ストコは確か合唱指揮出身だが同時に弦楽器弾きだったと記憶している。そうなるとこれはメイン楽器に忠実な演奏ということになる。

ブラ1はとくに両端楽章において弦楽アンサンブルができていなければ成り立たない(中間楽章は木管ソロも・・・この演奏はコンマスソロが硬質ではあるものの異常に美しいが)。ぶっきらぼうなブラスの扱いに増して目だっているのは、纏綿とした音色を駆使した旋律よりも縦を厳しく揃えリズミカルな流麗さを求め、音色は二の次といった弦楽表現で、終楽章はテンポ的にも決してただ求心力が強いたぐいのトスカニーニブラームスではないものの、娯楽的でもバンスタ的でもなく(同じか)自身の予め設定した独特のアーティキュレーション(とブラス増強とか)を伴う解釈に基づいた苛烈な要求をオケに対してなした挙句、オケがどの程度反せたのか、それが演奏の程度に直接結びつくものとなっている。終楽章展開部でオケがやっと疲弊したのか冗長さが感じられるしコーダ前の瞬間湯沸かし器的疾駆で弦楽がばらけたのが惜しまれるものの、ここまでストコにしっかりつけられた弦楽器、そしてその結果がけして情に溺れる演奏ではないという事実に、終演後の盛大なフラブラを納得して受け止めることができる。

この録音は邦盤が初出だったらしい。日本人はブラームスに物凄く思い入れの強い種族で、愛ゆえに非常に凝り固まった解釈表現しか許さないところがある。しかしここまで凝縮された演奏に優秀録音では、ストコの「改変」ブラームスを無視はできないのではないか。ブラームスのスコアのどこに手を入れる場所がある?と言うのは小物の戯言。音が全てを物語る、それが音楽だ。これは多弁な演奏ではない。しかし野武士のような強靭さと説得力がある。一定の評価を与えるべき。○。

intaglio盤を参考にした。CALAが60周年ライヴとして出しているCDと聴き比べていないが、CALAの硬質で整形過剰な復刻ぶりからいって板起こしによるintaglioと大した違いがないものと思う。この二つが同日異演奏(チケットが足りず異例の同日二回公演となった)とか、この録音自体が68年のものであるという情報もあり(こちらはネット情報で嘘ぽい)、敢えてintaglioとして挙げた。

ブラームス:弦楽六重奏曲

スペンサー・ダイク四重奏団、ロッキア(2ndVa)、ロバートソン(ロビンソン?)(2ndVc)(NGS)1925/5・SP

だんだんとよくなってくるが1楽章冒頭からのぎごちなさの印象を払拭するまでには至らない。ダイクが他でも見せている、旋律のままに伸縮しようとしたりボウイングが弓に支配されてぎごちなく、短い音符にヴィブラートがまったくかからないなどまるでスムーズさがなく、同曲のような旋律重視の曲には致命的である。低弦が聴こえない録音としての難点もあり、いくら後半楽章できびきびした律動性とプロフェッショナルな演奏家としての意地をオールドスタイルの名のもとに示せているとしても、やはり1楽章がよくなくては。移弦の試金石のような曲がブラームスは多いですね。無印。セカンドチェロは恐らく浄夜と同じJ.E.ロビンソンと思われるが表記上はJ.E.ロバートソンとなっている。ネットで非公式に配信されている音源(権利切れではある)。

ブラームス:交響曲第4番

○エリアスベルク指揮レニングラード・フィル(LANNE:CD-R)1960/5/9live

一見まるでムラヴィンスキーしかいなかったかのような「レニングラード」オケだが、そのじつ数々の知られざるロシアの名匠、もしくは後年西側に出てきて初めて知れ渡ったような大物が振ってきたオケであり、旧くはニキシュの時代より西欧から招聘された名指揮者が振ってきた歴史ある、比較的西欧色の強いオケである。中欧オケ同様歌劇場との結び付きが強く、もちろん別組織ではあるのだがメンバー的に重複したり、時代によっては歌劇場陣は事実上二軍オケというのも多聞に漏れない。ただ細かいことについては私もあんまり覚えてないのでマニアに聞いてください。そういう経緯で時期により指揮者により音が違うことも多く、レニングラード・フィルと称して録音していながらもムラヴィンスキーが”本国で”振っていた「一軍」とは違う、バラケ味のある(コンドラシンが振った時を除く)モスクワのオケのような音をさせることもままあった。ガウクが日本でムラヴィンスキーのかわりに指揮した悲愴などは寧ろ指揮者の個性に起因する「グダグダ」と「強引さ」があったとも言えるので(寧ろソヴィエト国立を思わせる音になっていた)オケだけの理由で音が変わるわけでは無論ない。

ムラヴィンスキーが個々の奏者の派手な技巧に強烈な力感を放散するような音楽ではなく、ひたすら内圧を高める全ての凝縮された音楽を指向したのはいうまでも無いが、レニングラード・フィルの歴史に残る”脇役”エリヤスベルクの解釈ぶりもけして拡散的になるものではない。ザンデルリンクの数少ない録音は既にやや横長の作りが出ていたが、比べてニュートラルで速いテンポに強い求心力と割とわかりやすい。とにかく実演で酷使された指揮者特有のストレートで強靭なスタイル、デトロイトのドラティのスタイルをちょっと思い浮かべたのだが、割と音の切れが悪く歌謡的な繋ぎ方をするところがあり雑味を呼び込む、そういう少々のアバウトさもある。3楽章などは曲のせいもあるが・・・しかしこの3楽章はこういった気を煽るも響きの重い舞曲であるべきなのかもしれない。クライバーより正統なのかも。ブラームスの楽曲自体がどうやっても堅固であるので、寧ろその雑味が重厚でメカニカルな書法に血の通った筋肉を加え俊敏さと感情豊かさの両方を倍加させることに成功している。ムラヴィンスキーの禁欲性もいいが、こういった程よく感情的な演奏もいいだろう。

ただ録音は最悪。特に1楽章は左に音が偏り、後半はノイズがひどい。放送か板起こしか、後者であることは間違いないようにも。○。

ブラームス:大学祝典序曲

○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代live

よく鳴り明快な音楽になっているが、いささか明るく軽く感じる。このコンビというとペトルーシュカの名演を思い浮かべるが、寧ろああいう現代的且つ非ドイツ圏の音楽にあっているのではないかと思うことがある(ロスバウトのラヴェルもなかなかしっくりくるものである)。ブラームスでさえロスバウトにとっては「単純すぎる」のかもしれない。○にはしておく。インパクトは余り無いが聴衆反応はフライング気味でいい。

tag : ロスバウト

ブラームス:悲劇的序曲

カンテルリ指揮NBC交響楽団(stradivarius)1951/1/15live引き締まった音が耳に心地よく突き刺さる。録音状態が悪いためあまり薦められないが、普段このての曲を聞かない私でも、これはタノシイかも、と思った。久し振りにヒゲジョを聞いた、という感じだった。,

ブラームス:悲劇的序曲

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(scora)1958/5/30ロシアLIVE重量感の有る響きで力に溢れた演奏を繰り広げているが、どこか明るい。曲にそのケがあるせいかもしれないが、充実したブラームスの書法を満喫できる中身の詰まった演奏でいながらどうも明るいのである。古典的な形式美を追求したんだ、とか言い方はいろいろできるとは思うが、○は確実につけねばならない秀演ではあるものの、物足りなさを感じた。いや、管弦楽の響き的には物足りなさなど口が裂けても言えない物凄さなのであるが。とくにヴァイオリンの弓を叩き付けるような演奏ぶりはロシア式にも匹敵するものだ。終演後の反応はふつう。,

ブラームス:大学祝典序曲(1881)

ワインガルトナー指揮ロンドン交響楽団,

ブラームス:大学祝典序曲(1881)

◎ヒンデミット指揮シカゴ交響楽団(CSO)1963/4/7LIVE驚愕した。この異様な集中力、強靭なリズム、迫力溢れるフレージング、重量感ある音、疑いなくヒンデミット指揮記録の最高峰であり、貴重なライヴ録音といえよう。男性的な荒々しさがあり、ただ荒々しいだけではなくしっかりと発音ししっかりと休符するメリハリがきいているから雑味は感じない。シカゴ交響楽団は申し分ない演奏技術を見せつけている。「大祝」とは思えない、まるでコンドラシンのような力強さはまったく予想外で、面くらってしまった。無論これが絶対とは言わない。ヒンデミットの解釈であり、大祝にはブラームスを得意とする専門指揮者による模範的名演が他にいくらでもある。でも、ヒンデミットが作曲やヴァイオリン/ヴィオラ奏者としてだけではなく、指揮においても非凡な才能を持っていたことを知らしめるものとして価値を認め、◎をつけておく。クレンペラーがいかに馬鹿にしようとも、この演奏の尖鋭性は揺るがない。録音の古さも粗さも問題外と感じさせるほどの、類希な演奏。,

ブラームス:交響曲第4番(1885)

ワルター指揮ニューヨーク・フィル交響楽団(1946/3/10),
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