ブリテン:青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲)

マルケヴィッチ指揮ワルシャワ・フィル(accord)1962/1live・CD

力量あるオケによって統率力に定評あるマルケが厳しく仕留めた演奏。これは子供向けの楽器紹介音楽ではなく立派な管弦楽曲になっており、ピーターと狼的な優しい場面ですらめくるめく大管弦楽の饗宴に組み込まれひたすら力感をもって疾走するのみである。そのような解釈のせいもあるが、作曲意図のためにブリテンのウィットに富んだ作風はほとんど浮き立たないものの、真剣な音楽としても十分に成立することをあきらかにしている。
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ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

○ケンペ指揮ドレスデン・シュターツカペレ(ds)1976/1/28-29・CD

ケンペの最後の録音の一つ。オケ起因と思われる響きの無骨さ(不協和音が必要以上に強調されて全体の調和を損なってしまったり)や一種ぎごちなさはあるものの、2楽章から3楽章へいたる流れ、そのうえでのロマンティックで雄大な盛り上げは耳をひくものがある。この曲は自作自演に勝るものはないと思うが、こういうドイツ的ともいえる角張った表現も面白いものだと思った。○。

ブリテン:序奏とブルレスク風ロンド

○リヒテル、作曲家(P)(decca?)1967/6/20(1966/9/15?)live・CD

ブリテンのピアノ曲では著名なものだが、カーゾンとの録音にひけをとらない演奏になっている。

ブリテン:チェロ交響曲

○ロストロポーヴィチ(Vc)作曲家指揮モスクワ・フィル(放送)1964/3/12初演live

透明感のある陰鬱さが支配する曲で、プロコやショスタコを想起するものがあり、じじつショスタコを意識しているようである。大管弦楽を用いながら大部分は限られた楽器によるとつとつとしたアンサンブルで、スケール状の音をひたすら奏でるロストロポーヴィチは派手さはないがしっかり己の音で曲を弾ききる。気軽なスケルツォをはさむこともなく曲は進み、暗さに嫌気がさしてきた四楽章後半、明るい主題と響きが唐突に現れるがこれもブリテンらしい構成ではある。のんべんとした響きの奔流を鞭などが辛うじて引き締めて終盤に導く。ところどころイギリス近現代の作曲家であることを思い出させる洗練された表現がみられるものの、ロストロポーヴィチの名技を堪能するにはやや派手さのない曲ではあるが、ブリテン好きなら聞いて損はない。

ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」より四つの海の間奏曲

○マリナー指揮ストラスブール・フィル(DIRIGENT:CD-R)2010/5/27ストラスブールlive

ダイナミック。力強く、繊細さには欠けるようにも感じた。ブリテンの外面的な派手さが強調されたようだ。

ブリテン:連作歌曲集「ノクターン」

○ピアーズ(T)作曲家指揮イギリス室内管弦楽団(ica)1964/12/20live・DVD

最小限の楽器による硬質の抒情、歌い手のみがロマンティックなうたを歌い上げる。じつに息のあった演奏だが曲がひそやかすぎるというか夜の冷えた空気が感じられるというか、地味である。ブリテンの中では余り録音されるほうではないのもうなづける(実演はそれなりにある)。終わりである8曲めだけがそれまでの空疎な響きとは異なるベルクのような重い響きでクライマックスをつくり、アルマ・マーラーへの献呈作品であることを思い出させる。ブリテンファンならどうぞ。

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

○作曲家指揮南西ドイツ放送交響楽団(hanssler他)1956/12/1スタジオ・CD

わりと面白くなかった。硬くて冷たい音、それほど精度の高くないオケ。ブリテンにはたくさん自作自演があるので、この擬似ステ録音をとる理由はないかも。○にはしておく。

ブリテン他:エリザベス朝の主題による変奏曲

○作曲家指揮南西ドイツ放送交響楽団(hanssler他)1956/12/1スタジオ・CD

エリザベス二世戴冠式記念にブリテンの呼びかけで複数の作曲家とともに作り上げたもの。ブリテン作品というにはいささか現代的すぎる曲もあり、擬古典とも言い切れない作品になっている。このブリテン指揮によるシリーズ録音中ではしかし皮肉なことに一番面白い。ブリテンの作風が職人的過ぎるのもあって、他の作曲家の手が入ることによって面白い曲、面白い演奏になったとも思った。○。ティペット、ウォルトンも参加している。

ブリテン:弦楽四重奏曲第2番

○ゾーリアン四重奏団(HMV)作曲家監修・SP

晦渋のひとことの曲で、両端楽章の統一感に僅かに光明がさす程度。演奏は精度が取り立てて高いわけではないがロマン性の感じられる重さがあり、硬質の曲に僅かな起伏をあたえている。悪くは無いので○。

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム

○カンテルリ指揮NBC交響楽団(DA:CD-R/PASC他)1953/1/3カーネギーホールlive

カンテッリ唯一の指揮記録とされるもの。Pristine配信データはキース・ベネット・コレクションのテープから起こし周到なリマスタリングを施したもので、いつものことだが極めて良好で迫力のあるものとなっている。私はMP3で聴いているが形式やメディアを指定することもでき安価ゆえお勧めである(ただリマスターの都合でラインナップが遅遅として増えないのと一部権利的にどうなのかというものがある(解決はしていると思うが))。この音源自体はDA以前にCDで出ていたことがあると思うが、手元にすぐ出てこなかったので今回再びダウンロードして聴いてみた。改めて音質というものは印象を良くも悪くも正確な方向に軌道修正する。これはカンテッリというトスカニーニの申し子が慣れない曲を才気と流儀で立派にやりきった演奏であり、それ以下では決して無いが、それ以上でも無いというものである。ガンガン叩きつける重量感を伴うインテンポで突き進む感じはトスカニーニに更に一味加えた新鮮な印象を与えるが、2楽章で前のめりに機関銃を乱射するような十六分音符の連打がそれほど活きずテンポがやや沈滞する様子、3楽章終盤のロマンティックな幻想が(ブリテンの書法の問題でもあるが)音色のリアル感により損なわれてしまっているところは凡百の演奏に接近していて、完成された指揮者ではやはりない、という最終的な印象に帰結する。しかし全体として充実感はあり、この時代のアメリカならではの無茶に詰め込んだプログラムの中でのこの曲、ということを鑑みても悪い位置には置けないが。ちなみにDAはプログラム全曲で出していた。Pristineは未完成とリエンツィ序曲の三曲のみにまとめている。それぞれのサイトで確認できるのでググってみてください。○。

ブリテン:連作歌曲集「イリュミナシオン」

○ダンコ(Sp)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(CASCAVELLE)CD

ブリテンの代表作のひとつで女声向けに編まれたものだがよく男声でも歌われる。ランボーの詩文に拠り、(ブリテンにその影響が無いわけではないが)象徴主義の香りを好んだフランスの作曲家たちの作品に似た軽い響きに飄としたシニシズムを前面に押し出した曲と思いきや、重く中欧的で、ショスタコに近い。メロディのわかりやすさや職人的な無難な構造を除けば、意味内容的なところも含めて共通点を強く感じる。もっと壮大でロマンティックでマーラー的でもあるが、それらはむしろイギリス伝統の大規模歌唱曲にみられる要素を背景としたものであろう。シニカルなことは確かだがそれも自国ウォルトンよりショスタコに似ている。「出発」はマーラーの「告別」に似た余韻を残すが、あのような幻想的な希望ではなく暗黒の闇である。悲愴に端をはっした手法と思われる心臓の鼓動による終局は、横溢する英国人らしいシニカルな側面がもっと汎世界的なものへ昇華されたような、そして時代の不安を映したと言って恐らく正解であろうもやもやした感情を沸き立たせる。アンセルメはモノラル時代においてはわりと精力的な指揮を行い、これも積極的にアンサンブルを盛り立てて歌唱と拮抗させている。ドイツ的な力強さがあり、またオネゲルの楽曲のようにこの構造をとらえ、表現しているのだなとも思わせた。スイス・ロマンドならではという感じは余り無いが上手い。何とダンコが歌っているのだが、少し余裕があり過ぎ、表層的で単調。但しここは即物的な意味合いの強い詩文として、即物的に歌っているだけなのかもしれない。○。

Britten: Les Illuminations Op.18, War Requiem Op.66; Berg: Sieben fruhe Lieder / Ernest Ansermet, SRO, Suisse Romande Radio Chorus, etc

ブリテン:悲歌的マズルカ

カーゾン、作曲家(P)(PEARL)1944/3OP.23-2。ちなみに有名な「序奏とロンド・ブルレスケ」OP.23-1も同じ組み合わせで録音されている(パール他)。だが曲的には23-1よりかなり落ちる。魅力的な旋律はあるにはあるが、マズルカという形態がそもそもブリテンの作風にあわない感じがした。渋すぎる。あまり印象的ではなかったので無印。 ,

ブリテン:序奏とロンド・ブルレスケ(1940)

カーゾン、作曲家(P)(PEARL)1944/3,

ブリテン:序奏とロンド・ブルレスケ(1940)

◎リヒテル、作曲家(P)曲想は親友ショスタコーヴィチの大規模な曲に似ているが、歌謡性に富み遥かに聞きやすいものである。全編を焦燥にも似た感情が支配しており、時折おとなう諦念が印象的で、浅薄な様子は無い。短い曲だけに、凝縮された才能の発露を感じさせる名作だ。自作自演はカーゾンとの若いセッションも残っているが、このライヴは二人の巨匠の手より滴り落ちた類希なる結晶として、永遠の価値をもつだろう。,

ブリテン:弦楽四重奏曲第1番

○ガリミール四重奏団(ONTREPOINT)1951/1清澄なフラジオと低音ピチカートのアンサンブルから始まる機知に満ちた曲。楽章が進むにしたがって明快で調性的になっていき面白味も増す。独特の書法が駆使されているが、おおまかにはリズムもハーモニーもウォルトン的といえるだろう(註:カルテットについてはウォルトンのものはブリテンの1、2番より数年遅い、ここではピアノ四重奏などと比較して、ということで)。終楽章は機械的なテクニックが駆使されとても効果的な盛り上がりを見せる。ガリミールQは技巧的にはいささか激しいこの曲を激烈な集中力と金属的な発音で乗り切っているが(苦しいところも若干ある)、即物的な表現様式は曲にマッチしている。ラヴェルの作曲家監修盤をはじめバルトークやミヨーなど一貫して(当時の)現代音楽を取り上げ続けたガリミールQのテンション高い音楽は独特の密度の濃さをかもし、好き嫌いはあるだろうが特異な存在であったことは確かである(ちなみに私は苦手)。この曲、主題はやや地味だが簡潔で面白い曲なので機会があればどうぞ。緩徐楽章の渋い叙情もなかなか。私の手元の盤は雑音が酷すぎるが元の音源はクリアそうだ。,

ブリテン/マクフィー:バリの音楽(編曲)

○マクフィー、作曲家(P)(PEARL)1941・CD

正確に言うと編曲者はマクフィーのほうで、原曲はバリ島の民族音楽そのものということらしいが、マクフィーというマイナーな名のもとに書くには余りに特徴的で面白い曲のため、ブリテンの名で書いておく。連弾だが音は非常に限られていて、オスティナートなリズムがひたすら奏でられる上に、ドビュッシーに啓示をあたえた所謂五音音階に基づく旋法的なメロディが乗っていくスタイル。ピアノ連弾というところがミソで、頭の中でバリの楽器にあてはめながら聴いてみるとまぎれもなくバリ音楽なのに、純粋にピアノ曲として聞くと、コンサートホールで奏でられるたぐいの楽曲、モンポウあたりのピアノ曲に聞こえてくる。その異化の手法が非常に洗練されているというべきか。ここに支配的なミニマルな趣は非常に新しい感じがするが、陶酔的なものすら感じさせる単純なリズムが何より印象的で、リズムに全面的に乗ったハーモニーも美しく気持ちがいい。5曲中にはどことなくバタ臭い曲もあるが、あからさまにケチャみたいなパッセージも織り交ざって飽きさせない。10分弱の小組曲だがぜひ聴いてみてください。単純なのに面白い、作風はぜんぜん違うがヴォーン・ウィリアムズのピアノ曲のような曲です。演奏は初曲がやや不揃いで、どちらかの演奏者があきらかにヨタっている。ので○にとどめておきます。1曲め:ペムングカー(影絵芝居への序曲)2曲め:レボン(影絵芝居より「愛の音楽」)3曲め:ガムバンガン(間奏曲)4曲め:ラグ・デレム(影絵芝居からの音楽)5曲め:タブ・テル(儀式音楽)。,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(EMI)1984水際立った指揮ぶりは颯爽としているが、いかんせんオケ、とくに弦が弱い。もっとヴァイオリンが前面に出てこないと、打楽器音楽のようになってしまう。解釈は壮大だ。スケールが大きい。でも、客観的と言おうか、今一つノリきれない演奏になってしまっている。落ち着いた演奏、と言う事もできるが、強烈な力感、迫力に欠けるのだ。一楽章はいまいち地味。二楽章はもっと急いた感じがほしい。三楽章は「歌」よりも「曲」重視で作り上げられており、食い足りない。作曲家20代の作品を20代の指揮者が指揮した、という点ちょっと魅力を感じるが、音楽的にはまだまだ!,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

クーベリック指揮シカゴ交響楽団(LIVE SUPREME:CD-R)1983/11/3LIVEこのライヴ盤(1983/11/3)全般に音が篭っており低音が必要以上に響いてくるので非常に聞きにくい。それを押して聞いた。虚飾のない表現で、自作自演盤に非常に似ている。ただ、ディエス・イレーの二楽章が少々落ち着きすぎだ。この楽章はひたすら突進するようなイメージで、両端楽章の陰うつとのコントラストが付けられているのに、それがもたもたするようではダメである。とくにブラス、何故かたどたどしい。冗漫なところもある。3楽章の平安はふたたび自作自演に良く似た佳演。総じて無印。,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

クーベリック指揮シカゴ交響楽団(CSO)1983/11/3&4LIVE前掲(CDーR)の演奏に翌日の演奏を加えて編集されたシカゴ響自主制作盤(むっちゃ高い!)の中の一曲。CDーR盤にくらべ格段に音質が上で、比べ物にならない。この盤で聴くと、ますますブリテン自身が指揮した演奏に似た、率直な演奏にきこえる。だがやはり二楽章はあまり焦燥感を感じさせず比較的落ち着いたものになっており、クーベリックの個性が辛うじて見える。まあまあの演奏である。,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

○ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団(bbc,carlton,imp)1981/6/4鹿児島liveロジェスト何でも振っているなあ。。イギリスとも縁深いロジェストらしいこれはわかりやすい演奏だ。音楽の横の流れを重視した演奏であるため構造が疎かになりがちだが、良く鳴る派手な音響は耳を惹く。この人の演奏のわかりやすさは独特で、歌謡性に重点を置いているかと思えば結構内声部を充実させた目の詰まった音作りもするし、雑然と紙一重のかなり錯綜した音響を創り出すのも好きなようだ。細かい部分に拘泥しないのはロシア人らしいところだが、ロシア系指揮者にしてはかなり要領がよくテクニックもあるため、他国の音楽をやっても一様にある水準を保った演奏を仕上げてしまうところにこの人の凄さがある。本国の文化省オケのように薄く透明なオケを使うとかなり大人しい演奏になるのだが、たとえばこのBBC響との短い密月期間のライヴ記録はこの人がほんらい目していた演奏~ごつごつ骨張っていながらもかなり豊穣な響きのする情熱的な演奏~をしっかり伝えてくれる。洗練されたブリテンの様式から離れた素朴な響きが違和感を感じさせなくも無いが、3楽章のやや速いテンポの中で紡がれるとてもやさしい旋律は、ジョン・ウィリアムズの映画音楽のように感傷的なひびきをもって伝えられる。本質的な部分に触れているかどうかはわからない。メリハリが明瞭でないため、だらだら流した演奏に聞こえかねないところもある。しかしこのいささか派手な感情の表出が心に響かないと言ったら嘘になる。響きの面白さ、旋律の魅力を最大限に引き出す職人的な技を堪能しよう。○ひとつ。静寂がもう少し深ければよかったのに。,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

◎ブリテン指揮ストックホルム放送管(decca/EMI,MONO)(バルビローリACO盤評参照),

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

◎ブリテン指揮LPO(EMI)(バルビローリACO盤評参照),

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

◎ブリテン指揮LPO(BBCライヴ(CD化?))(バルビローリACO盤評参照),

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

○バルビローリ指揮ACO(testament)1969/1/22live・CD

”7月19日(1940年)光輝ある日本建国、二千六百年祭を奉祝する「奉祝楽曲」は、世界一流の作曲家達により献呈される筈であるが、そのうちのリツヒアルト・シユトラウス作曲の「祝典音楽」及びジャック・イベエル作曲の「祝典序曲」が夫々到着した。(中略)八月十日頃にはイギリスのベンジヤミン・ブリテンの新作が到着し、九月にはイタリアの巨匠ピツエツテイの大作が完成される予定である。12月16日「紀元二千六百年奉祝音楽祭」の為のリツヒアルト・シユトラウスの「祝典音楽」(中略)の総合練習演奏会は、午後六時より赤坂三会堂で行われた。(中略)ベンヤミン・ブリテンの曲は、都合により中止された。”

その当の曲がこの「シンフォニア・ダ・レクイエム」、ブリトゥンの傑作純器楽交響曲である。大日本帝国政府は、祝典にレクイエムとはなんたること、と受け取りを拒否した(異説アリ)。結局初演はニューヨークでバルビローリにより行われた(CD化、別項参照)。一方、シュトラウスは早々と豪華装丁の総譜に慇懃無礼ともとれる長々しい献辞を付けて送って来た。

”全体の基調をなす日本的主題には十四個の低音ゴングが指定されている為、打楽器奏者により特に池上の本門寺、音羽の護国寺、芝の青松寺、鶴見の総持寺、浅草の妙音寺などから夫々ピツチの異なる秘蔵の鐘(いずれも江戸の名鐘として音に聞こえたもの)が借り集められた。”

シュトラウスの曲は、こんなスクリアビン紛いのバチアタリなやりかたで初演された(放送と共にコロムビア録音された。別項参照)。ほんらい鐘の音に送られるべきなのは死者の魂である。シンフォニア・ダ・レクイエムには低音のゴングは無いが、亡父母への追慕の情が時には綿々と、時には激しく、遂には清らかな眩い響きの中に綴られていく(3楽章”レクイエム・エテルナム”は同曲のクライマックスである。透明な情緒に満ちた哀しい祈りの音楽であり、余りに美しい。瀕死の苦しみより開放され、神の楼閣へ昇華してゆく愛する人たちへの想いがひしひしと、痛いほどに伝わってきて、終了後も暫くの沈黙を与えるほどに感動的・・・)。個人的感情が露になったこのような忌曲を送り付けた、ブリトゥンの節操の無さをどうとらえるかは人それぞれだろう。皮肉屋のイギリス人らしいファシズム国家への屁ひりとするには、いささか名曲に過ぎる。寧ろ真摯な作曲家として其時最も書きたかったものを書いた、たまたまのタイミングで東方の小島から依頼があった、それだけのことだったのではないかと思う。カサルスだったか、ブリトゥンが聴衆にあわせて即興で曲をしつらえ演奏したことを、オーダーメイドと批判し、あれほどの才能を持った作曲家が何故そのようなことをするのかと言ったという。

そう、あれほど。ブリトゥンは二十世紀を代表するオペラ作曲家であり、イギリス近代音楽史最後の巨人であった。揺るぎ無いその地位は、ピアノや指揮の並ならぬ技によってさらに確固たるものとされ、今も語り継がれる。この曲にも(2楽章”ディエス・イレ”)ショスタコーヴィチのように鮮やかな走句が駆け抜ける場面があるが、二人は音楽家として国境を越えた親友関係にあり、1楽章”ラクリモサ”の陰うつな雰囲気にマーラーの残響を聴く私は、同時にこの曲の全体がマーラー=ショスタコーヴィチを分かりやすく纏めて提示したもののように感じる。旋律の単純な流れに皮相的なものを感じる向きもあるだろう。ひたすらの単旋律による歌謡的な曲。バルビローリ盤をふたつ掲げたが、情緒纏綿な演奏様式ではいささか辟易もしくは違和感を感じる位だ。だが、ブリトゥン自身の指揮によるLPO盤、ライヴでもスタイルはほとんど同じだが、冷たい響きの美しさがレクイエムの清らかさを一層に強調し、繊細なまでにコントロールされた各声部は、無感情のようでも、聴くうちに教会音楽の如く心の深いところにそくっと染み入ってくる。作曲から暫く経った演奏のせいか客観が勝る演奏だが、最近CD復刻されたストックホルムのほうはオケのせいかいくぶん情緒的であり、私はこのくらいのバランスの方が好きだ。ここでの2楽章ディエス・イレーの凄みは気に入っている。

(参考文献:二十世紀の音楽(掛下慶吉著)、新興音楽出版社S17/9)

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の盤は初演指揮者バルビによる晩年のライヴ演奏。ニューヨークを振ったころよりもいくぶん落ち着いた感もあるが、最初の強烈な打撃からして衝撃的、重々しくひきずるようなラクリモーサの陰うつさはバルビの別の面を垣間見せる。オケが充実しており、繊細なハーモニーと強烈な叫びをバルビはうまく使い分けている。とにかく、暗い。ディエス・イレーになると、フルートの警句に呼び覚まされ、ブラスや弦が疾走しはじめる。このあたりの構造が透けてみえるようなまとめ方は上手だ。ハーモニーがじつに綺麗。バルビの悪い癖である「遅さ」がないぶん気分を高揚させる。ただ、ひとつひとつの音に拘泥されすぎる感もある。総体としての音楽より、短い分節ごとのまとめ方にこだわっているかのようだ。などと言ってはいるもののぜいたくな物言い、これはじゅうぶん佳演とされるに足る仕事だ。レクイエム-エテルナムは注意深く始まる。既にして天国にいるかのような平安のひびき。亡くなった両親のためにかかれた作品であり、そのあたりのブリテンのメンタリティを想像するに誠に心打たれるものがある。これは無論ブリテン個人的な感傷であるが、歌詞がないぶん、聴くものに大戦で亡くなった膨大な数の人間達への挽歌という想像を許すものとなっている。ヴァイオリンがせつせつと歌い上げる追悼の響き、このじつにロマンティックな盛り上がりは、注意深く挿入された低音楽器の上で天を仰ぎ、救いを請う。旋律の連環が中低音域で続き、音楽はゆっくりと下降してゆく。最後にマーラー的な(10番くらい)不安の音楽が一瞬ヴァイオリンによってかなでられ、終演。拍手は普通。,

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

○バルビローリ指揮NYP(初演ライヴ1941)(バルビローリACO盤評参照),

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

○バルビローリ指揮BBC交響楽団(1967/8/8BBCライヴ)(バルビローリACO盤評参照),

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(1940)

○チェリビダッケ指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1946/11/10放送ライヴ これは独特の演奏だ。ベルリン・フィルの巧さ・味わい深さにまず舌を巻くが(管弦ともに集中力が凄い)、それ以上にチェリの強烈な個性がにじみ出ている。私は何枚かの自作自演やバルビローリ盤で親しんできたが、そこで形作られたどこかイギリス的な繊細な曲という印象が、ここには皆無だ。暴力的で叩き付けるような発音、ささくれだったリズム、異様な前進力、若干の瑕疵はあるにせよ、尋常ではない何かを突きつけられ、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。2楽章ディエス・イレーは恐ろしいほどの名演になっている。3楽章レクイエム-エテルナムは天国の平安を描いた気高い音楽だが、最初ヴァイオリン・ソロの提示する何ともいえないやるせない祈りの旋律は、音像のはっきりとした録音のせいかかなりのドラマ性を打ち出している。個人的には「世の終わりのための四重奏曲」の終楽章のような消え行く祈りを描いた演奏の方が好きだが、この演奏のような「リアルさ」はいかにもドイツといった気もしなくはない。終戦の翌年、旧枢軸国ドイツで演奏された旧連合国イギリス屈指の作曲家のレクイエム、そう思うと少し感情移入したくなる演奏だ。,

ブリテン:オーボエ四重奏のためのファンタジア

ガリミール四重奏団のメンバー、ゴムベルク(OB)(ONTREPOINT)1951/1ブリテン最初期の曲だが清新なひびきは既にあらわれている。かっこいいリズムが耳を惹く。あまりオーボエと弦が絡まず、書法の生硬さを感じさせるが、オーボエ本来のメランコリックな要素が目立たず、極めて叙情的でいながら終始モダンで透明な風情が漂うのは面白いところだ。構成的にはあまりうまくない。演奏は精一杯やっているといったところか。オーボエが弱い気も。録音マイナス。,

ブリテン:シンプル・シンフォニー

○ボイド・ニール弦楽合奏団(decca/dutton)1939/3/10・CD

驚異的な音質で復刻されている。もっとも音色がどの程度正確かは疑問である。擬古典のていをなしながらも中身はプロコの古典シンフォニーのような新古典のものであり、2楽章のピチカートだけのアンサンブルからしてチャイコ4番3楽章のほうが近いんじゃないかというロマン性を秘めている。引き締まった、この時代にしては演奏精度の高く揺れのない、アグレッシブで前のめりの表現が終始とられている。30年代には多かった艶めいた表現はなく、ソリスティックな突出が一切無いのがボイドニールらしい。曲が軽いのでそれだけだと空腹感が残り・・・○。

ブリテン:ピアノ協奏曲

○アブラム(P)ストコフスキ指揮NYP(DA:CD-R)1949/11/27

重厚長大、シニカルな旋律を織り交ぜた現代的なロマンチシズム溢れる曲。ブリテンの職人性が出た単純さゆえに(もともと単純さを個性に昇華させた人だけど)、明らかに影響を受けたと思われるプロコフィエフ(特にピアノ協奏曲第1番によく似ていて、三楽章の旋律や進行にも近似性が見出せる)の上澄みだけを掬ってフランス風の音響を副えたようなところは否めないが、同時代のウォルトンのシンフォニア・コンチェルタントの立ち位置に寧ろ似た、脇の甘い「英国風アレンジ」の協奏曲として楽しめるものではある。バルトーク晩年の3番にも若干似た響きを持っている。とにかく長い。平易だが長いので飽きるとおしまいである。だからストコくらい派手にぶっ放し、軍楽隊の行進を思わせる終楽章など楽天的過ぎるくらいやらかしてくれていれば問題ない。ソリストの打鍵は非常に確かで重すぎもせず、確かに難しくはなさそうなんだけど、音楽をしっかり牽引している。演奏的にはなかなか素晴らしくまとまっている。録音難あり。
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