プーランク:二台のピアノのための協奏曲

フェヴリエ、作曲家(P)ブリュック指揮ストラスブール放送交響楽団(ina)1960/6/21live(7/24放送)

ina配信とAmazonデジタル配信は同じと思われる。生前はよくこのコンビで演奏された。データとアナウンスと混乱しているが一応こうかな、ということで第一をフェヴリエとして記載しておく。プーランク自身はすでに指がよく回らなくなっていたはずである。じっさい一楽章冒頭では両者混乱しまくりでミスタッチもテンポの乱れも頻発、バックオケがすぐれているために崩壊はしないがこれは一般的な商業ラインにはのらないだろう。しかし3楽章になってくると(主としてフェヴリエだろうが)腕がさえてきて、というか、センスがさえてきて、プーランクは決して縦の音数が多くなく、指を旋律に乗ってならすことが主眼となってくるがゆえテンポが気まぐれに揺れがちなところ、発音の明瞭さでしっかりくさびを打ち、代表作ともいえるこの曲をセッション録音をほうふつとさせるしっかりしたつくりで最後まで聞ききらせる。ここはなかなか。ただ、ミスは残るようだ。拍手は別マイクのようだが盛大ではあるものの、ブラヴォは目立たない。会場が大きいせいかもしれない。この前がルーセルの1番シンフォニー、このあとがダラピッコラのけっこうな曲、そしてニグとボリュームのある演目(すべて放送収録販売されている)。
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プーランク:バレエ音楽「牝鹿」組曲

デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団(cherry他)1951/6・CD

デゾの戦後録音は病気のせいもあって少ないが旺盛な活動の甲斐もあってこのように同曲の古典的名盤となっているものもある。スピードもリズムも切れがありモノラルという点を除けば実直に音符を音にしたような戦中までの録音活動と違ってスマートですらある。プーランクはオーケストレーションなど癖があり、気まぐれともとれる即興的表現から変なむずかしさがあって上手く演奏できない向きもあるが、これはよくできたバレエ音楽で、舞踏用としてオーダーメイド作品のように、きっちり構造的にもできているから単品の管弦楽曲としても「無害な小品として」新古典主義音楽の妙味を楽しむことができる。新古典主義時代(擬古典的作風)のストラヴィンスキーを極端に簡単にしたような作品。

プーランク:田園コンセール

作曲家(P)アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送

オケが鈍重で構築的過ぎる。こんな力感と壮大さを持ったプーランクの(ハレの方の)音楽の演奏はあまり聞いたことがない。強弱の弱がイマイチ、録音バランスの問題もあると思うが、プーランクがこのときは調子良く流れるように長大なメロディにコードの綾を付けてのりまくっているというのに(ヴィニェスの弟子、メイエル同門のプーランクは本来はバリ弾きのタイプのはずだが、戦後録音になると肩肘張って指がうまく回らなかったり強い音を倍音響かせて鳴らせなかったりする記録が多く思う)、アンゲルブレシュトの「型を作って進行させてゆく」方法は、プーランクの非構造的で数珠つなぎの旋律音楽(まあ演奏するのが好きな人はいるんだろうか、いるんだろうが)にはそぐわないというか、一楽章のはじめの方から、特に剥き出しの管楽ソロがピアノのスピードについていけなかったり、テンポのズレはオケとしても散発してしまっている。アンゲルブレシュトの強引さ、分厚い響きがムリヤリ聴かせてくれるところもあるから、この種のプーランクの「軽々しい音楽」を好まない向きには勧められる。私はもっとプーランクのソロのエスプリ、間断のない爽快な弾きっぷりを愉しみたかったが、録音なので聴こえないところはあっても仕方ない。ブラヴォの飛ぶ終演。(ina.fr PHD89036093)

プーランク:オーバード

フェヴリエ(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/1/14放送live

小編成オケを伴うピアノ小協奏曲でもともとのバレエ音楽として認識されるのは稀のコンサートピースである。朝のイメージが強いがむしろ重苦しい空気のある(筋書きが悲観的なものである)、プーランクのもう一面を顕したものとも捉えられる。ここでは加えて録音がおもわしくなく、ステレオだがくすんでノイジーで分離が悪く、ピアノの繊細な動きが十分に聞き取れない。フェヴリエは十分に手練れであるが正直その個性も「表現する技巧」ですらも、よく聞き取れないのが本音である。木管の素晴らしいアンサンブルのいっぽうブラスは少しふるわない。聴衆反応は良い。

プーランク:ピアノ、オーボエ、バスーンのための三重奏曲

作曲家(P)ラモーレット(Ob)デリン(Bs)(columbia/pearl他)1928-34・CD

10分あまりの小品だが、新古典主義にのっとって三楽章にきちっと収めたプーランク六人組時代の個性の粋を感じられる作品。暗く鐘の響くような序奏から突如いつもの朝っぽいプーランクのあけっぴろげな本編、そのあとは予想通りのマンネリではあるが、懐かしくも格好いい和音進行など楽しませながら、相互の絡みは少ない方だが各楽器の見せ所はそれぞれしっかり見せていき、二楽章では少し深みを、三楽章ではいつもの爽快なフィナーレを聴かせる。クラリネットのように表情のある音を持つラモーレットを中心に、まだ元気に指の回るプーランクの名技性とデリンの最適なバランス感覚により、最小限編成としてのトリオをちゃんとアンサンブルとして聴かせることができている。

プーランク:チェロとピアノのためのソナタ

フルニエ(Vc)フェヴリエ(P)(EMI/brilliant)1964-71・CD

素直に洒落た音楽で、プーランクのメロディに対して音域的にチェロがはまって聴こえる。四楽章制のフィナーレがやや硬派な響きをともなうが、それを除けば旋律や絡み、さらに楽曲構成がわかりやすく、一発聴きでもすぐ掴まれる。ヴァイオリン・ソナタでみられたプーランクらしい半音階的な動きもここではあまり目立たず自然である。技巧的にも難しすぎない。効果的で立派なコンサートピースとして使えるだろう。フルニエの音はうってつけの品と技術の安定ぶりを示し音色は柔らかく美しい。フェヴリエとの相性もばっちりである。

プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ

メニューイン(vn)フェヴリエ(P)(EMI/brilliant)1964-71・CD

ステレオ時代のメニューヒンやシゲティは音程は二の次で音色が第一、と思わないと聴いてられない神経質な方もいるだろう。ただでさえ不安定な音線、半音階的なゆらぎを交えた曲(この曲の冒頭のように)は音程第一でないと真価がまったく伝わらないが、あのような激しく諧謔的なフレーズなど置いておいて、旋律を途切れずに歌う場面での甘い音色表現は評価して然るべきだろう。プーランクの甘やかな夢を語るにふさわしい。重音を交えた技巧的な部分でセッション録音でも音程揃わないというのはさすがにどうかという、重音が無造作な不協和音にきこえてしまうのは不味いが、この曲はプーランクにしては異例の弦楽器を前に押し出したものだけあって、いつもの分裂症的なパッチワークを目立たせず比較的穏健なつながりの中に音を並べていくため、大雑把な中では少しゴミが混ざる程度のもので、メニューインの音そのものが、二楽章ではやさしげなフレージングとともに魅力的につたわる、ただそれだけで染みる。ひたすらの歌、不協和に哀しいものも含む現代的な抒情を湛えたこの楽章は技巧的ではなく、それだけにソリストの「味」が剥き出しになるから、同曲が一部のヴァイオリンマニアに受けるのもわかる。そしてメニューインがやる意味があるのだ。間奏曲と名付けられてはいるが、炎のようなアレグロと悲劇的なプレストに挟まれた、この楽章は音色派はむしろアピールすべき楽章。三楽章後半では調性の変転ぶりがプーランクらしい非常にカッコのいい旋律を伴い聴きどころとなる。このあたりもヴァイオリンマニアに受けるところだろうし、プーランクがやりがちな方法とはいえ、ピアノの強い打鍵で断ち切れたあと、短いカデンツふうのフレーズというか、メシアンのように地に臥したヴァイオリンを見下ろして、ピアノが音を散発したらサティのように終わる。このあたりもまたプーランクらしい諧謔ではあるが好き嫌いが別れるだろう。断ち切れたらすぐ終わる、もしくはその前のまま綺麗に終わらせる、そういうことをしていないので、思索的雰囲気が発生し、メニューインの音量や左手を制御しきれない(弓はシゲティよりずっと確かである)危なっかしいところが却って隠されて良いのかもしれない。フェヴリエは手慣れた演奏で気品のある表現に徹しており、ラヴェル演奏などの少し固い表現はしておらず、かといってプーランク張りのエキセントリックさはないので聴きやすい。プーランク苦手派にはまあまあ聴けるほう。

プーランク:三つの無窮動

作曲家(P)(sony)1950/2・CD

ソニーでなかった頃から有名なサティ演奏などとの組み合わせの自作自演。時代を考えても音は良くはなく、残響が多くパーペチュアルな感はわりとしない。プーランクのピアノはクセが強くもつれるような表現がもどかしいところもあるが、そのぶん味のようなものが醸される。3つの楽章もおのおのがおのおのの味を情緒的に引き出され、3つめにかんしては技術的問題が気にならないほど印象的な、感傷をもたらす美しい演奏となっている。時代の空気をもったプーランクらしい世俗性がなくはないが、古臭いとかそういったところはない。華やかさや旋律性をことさらに強調せず単線的に、そこをとても細心をはらって表現しているからこそだろう。プーランクらしさは、たいてい曲集では次に入っている夜想曲のほうが(クセの強さも含めて)たくさん詰め込まれているが、サティ的とでもいうべきか、これは簡潔に才能を音にした、曲であり演奏である。

プーランク:三つの無窮動

タッキーノ(P)(EMI/brilliant)CD

非常に明瞭で力強く、あくまでスピードに重点を置いた目覚ましい演奏。わたしはプーランクの代表作はこの5分の組曲だと思っているくらい好きなのだが、自作自演の緩急のついた手綱さばき、なんといっても三曲目の何とも言えない感傷性がここには皆無。ただ、とにかく回る指、完璧に安定した発音、それは表題の意味するところにまったく忠実であり、疲れ落ちるような結部ではさすがに残響を使って静かに収まる。とにかく早い。

プーランク:2台ピアノのための協奏曲

ホイットマン&ローウェ(P)ミトロプーロス指揮RCA交響楽団(RCA/nickson)1947/12/15・CD

戦後同時代のデュオ曲をよく演ったコンビによる正規録音で、nicksonの板起こしは状態が良く音像が安定して聴きやすい(2016/11現在現役)。オケはミネアポリスよりは良くNYPよりは落ちるが(僅か反応が鈍いように思う)、まずはこの二人の演奏を聴かせる録音なのでそこは二の次だろう。基本的には強い打鍵でミスのない、この時代のアメリカで活躍したピアニストらしいスタイルだが、弱音表現も美しく想像力のあるところを見せ、流して弾くことはない。多彩な音が出せるコンビだ。曲は色んな素材をモザイク状に、分裂症的に配置したプーランクらしいもので、楽想・響きの唐突な変化に奇矯な印象もあたえるが、これをどうさばけるかで奏者の適性や柔軟性が問われるといったもので、その点は実によく出来ている、自然に楽しめる。ミトロプーロスの分厚くも律せられたバックのおかげもあるだろう。二楽章のエチュード風の主題からの映画音楽的な展開はソリスト(デュオ)のセンスあふれるニュアンスを全体に巧く組み込んで秀逸。三楽章の色んなパロディなどを混ぜ込んだ変奏曲はスピードで押し切るのも1つの手で、この盤がそれをやっているかはともかく、それに近いものはあり、曲慣れしていなくても違和感を感じさせない類のものだ。六人組を体現する世俗性とフランス音楽の伝統を受け継ぐ繊細な美観が同居するプーランクの世界は、特有の響きや書法をなぞるだけでは再現が難しいところもあると思うし、自作自演ですら意図通り上手くできているか怪しいものだが、これこそピアニストの解釈と「センス」に依るところもあり、この盤はその点は問題無い。曲の起伏に従い大仰な表現をすれば気を煽る音楽は出来上がるものではない、ということにも気付かされるだろう。一本筋の通った、曲を知らない人にも勧められる演奏。

プーランク:田園コンセール

○ギレリス(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(eurodisc)1962live・CD

ライブだけあって音は悪い。しかし抜けは良くレンジも広い。ギレリスの固い音が曲の洒脱さをプロコフィエフ的な方向へ曲げてしまっているようにも聴けるが、ギレリスが冴え渡っているわけでもないのだが、そういう大規模な音楽として聴ける。いわば、ヒステリックなたぐいの。旋律がいずれも演歌調に聴こえるのは気のせい気のせい。

プーランク:クラヴサンと管弦楽のための田園コンセール

○ヴァイロン・ラクロワ(hps)マルティノン指揮ORTF(erato)1970/9/24・CD

攻撃的なクラヴサンというのもなかなかカッコイイが演奏はたいへんだろう。録音上音量操作はされているのだろうか。この小品でスケール感もかんじさせるのがまたなかなかだ。オケの音の透明感もよく、水晶のよう、まではいかないがキラキラ美しい。○。

プーランク:グロリア

○アディソン(SP)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA:CD-R)1961/1/21初演live

ミュンシュらしい力強く単純なアプローチで、プーランクの宗教曲というともう少しあくの抜けた透徹した表現を求めたくなるが、これはこれでわかりやすい。聞き慣れた賛美歌詞がロマンティックな旋律をつけられ高らかに歌われる、この曲の世俗性がいい意味で引き出された演奏。○。

プーランク:二台のピアノと管弦楽のための協奏曲

作曲家、クロシェ(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1961/1/21(2/21?)live

プーランクのピアノははっきり言ってうまくない。後ろ向きにテンポを調えて硬直した遅い演奏になりがちで、恐らく技術的限界が背景にあることは想像に難くない。録音がステレオではあるのだがインホール録音に近く二台のピアノの音がいずれも引っ込んでしまいほとんど聞こえない。前へ向かおうとするミュンシュとのアンマッチもある・・・このミュンシュの芸風に揃えてくれればカタルシスが得られたのに!「グロリア」初演の中プロとして演奏されたもの。無印。

プーランク:ピアノと18楽器のための協奏舞踏曲「オーバード」

○リヒテル(P)J.F.パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団(doremi他)1965/7/3トゥールlive・CD

このプーランクはいい。リヒテルものっていて、強過ぎるところはあるけれども、プーランクらしい洒脱さと陰影を楽章毎に描き分けている。きほんプーランクのピアノ付き室内楽はこの曲のような調子で、構成も似通ったところがあり、編成で幅が出てくるわけだが、特に得意とした木管アンサンブルを背景とした曲、パイヤール室内楽団というバックはソリストとしての腕も素晴らしく、「朝の雰囲気」の醸成にとても貢献している。もっと軽快に攻めた演奏や透明に組み立てた演奏もできる曲だが、ライヴということもあり、刹那的な感情に訴えかける演奏になっている、それはそれでいいのだろう。

プーランク:田園コンセール

◎ウィーレ(Hps)アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(Theatre Disques:CD-R)1961ジュネーヴLIVE

モノラルだがクリアな録音でまったくストレスはない。演奏はモノラル録音期のアンセルメの持っていた溌剌としたリズム感覚が清清しく、ハープシコード(表記上はピアノで音量的にも出すのは無理ではないかという迫力があるから仕掛けのあるものかもしれない)もオケとかっちり組み合い、尚強い打音表現で胸のすく思いがする。曲もこの組み合わせにはあっている。双方が俊敏な動きで主張しながらも、しっかりアンサンブルがとれている、協奏曲の演奏として非常によくできているのだ。透明感がある音響、世俗的楽想がその中に昇華されるというプーランクならではの「朝の音楽」。非正規とはいえ◎にせざるを得まい。正直この音質に環境ノイズのなさだと「スタジオ録音では?」と疑ってしまうが一応盛大な拍手が入っている。

プーランク:二台のピアノのための協奏曲

リヒテル、レオンスカヤ(P)マギ指揮ラトビア交響楽団(doremi他)1993/6/26live・CD

晩年のリヒテルは好きでよく近現代もの、しかもガーシュイン以下軽音楽系クラシックもライヴでは楽しんでいたようだが、スタイルはいつものリヒテルでタッチは重く(音はけして重くは無いがテンポや表現解釈が重い)前進力の無いどうにもミスマッチなもの。レオンスカヤもリヒテルにあわせている部分もあって生硬で無機質。この曲特有のエスプリ、スピーディにくるくる廻る舞台展開、繊細な情趣が一切抽象化されていて、底浅い曲と「誤解させてしまう」。こころなしかオケまでどんくさい。聴衆反応も正直余り乗っているものではない。晩年リヒテルはこういう若々しい曲には向かないなあ。無印。確か海賊盤では既出だったと思う。
Sviatoslav Richter Archives Vol.16 -Poulenc: Concerto for 2 Pianos FP.61, Aubade FP.51; Reger: Piano Quintet No.2 Op.64

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プーランク:ピアノ協奏曲

○ハース・ハンブルガー(P)デルヴォ指揮パドルー管弦楽団(Felsted他)1952・LP

初録音盤。ソリストはプーランクと同じアパートの階上に住んでいて親密な交流があった。腕は確か。真面目腐らず、かといってふざけず、響きの薄さはいつものプーランク節であるが、しっかりピアノ協奏曲として楽しめる。この作曲家は思いつきで書いているような非論理的な構成、メタミュージック的な遊び(この曲だとラフマニノフが思いっきり響きを軽くして表われる)を孕む軽さを感じさせるためか、ピアニストが主要レパートリーとして組み入れる例には殆どあたらない。確かにそういった協奏曲を書いた人ではあり、聞き流すのがいい聴き方かもしれない。それらの中でもこの曲はちょっと長いけれども。今はネット配信中

プーランク:三重奏曲

○フェヴリエ(P)カジエ(O)フザンティエ(B)(EMI/brilliant)CD

この演奏を含むプーランク集を私は少なくとも三つ持っている。組み合わせを変え全集化しCDになり、更にはbrilliantが超廉価ボックスにまとめるという、このクラスの演奏家のものにしては(逆に知名度が高ければ廉価化されるというのもわかるけれどそこまででもないのに)珍しい。演奏はいずれもフェヴリエが絡んでおり、フランス・ピアニズムの生き字引のようなこの人はしかし特異なスタイルを持っていて、けして激せず遅いテンポで、タッチやアーティキュレーションの細部にのみ独特の変化をつけていく。上品である。ラヴェル的というか、およそプーランクの芸風からは遠い人のイメージがあり、じっさい世俗性のなさがマイナスと思いきや、他二人はじつに素朴な演奏をなし悪い意味でもないのだがフランスの田舎楽団のソリストを聴いているような味わいがある。だからアナクロで腕も超一流というわけではなく音に雑味があり(アンサンブルはそのくらいがいいんだけどね)、地味でもある。全般、素朴で統一されているという意味ではピアノトリオには珍しいまとまりがある。録音は不安定な感じがする。○にはしておく。フェザンティエはシャトー・ラ・バソネリー・・・バソンがバッテンマークに交差したラベルのワイン・・・の醸造家としてのほうが有名か。しょうじき、音的にそれほど陶酔させるような要素はここではなかったけど。

プーランク:三重奏曲

◎作曲家(P)ピエルロ(O)アラール(B)(Ades他)1959・CD

優秀なステレオ録音。現在聴きうる最もレベルの高い演奏記録と言えるのではないか。楽曲の古典性を明確にしそこに新しい和声や世俗的なフレーズを有機的に織り込んでいくプーランクならではのモーツァルト的な喜遊性が、ここまではっきり意識して表現された演奏は無い。ピアニスト作曲家自作自演ならではともいえる。ただ、トリオという編成はソロ楽器が互いに個性を主張しあうという、「アンサンブル」とは少し違った視座で楽しむべき(というかそうなってしまう)もので、これもその他聞に漏れない。作曲家後年のピアノは不安的な録音もあるがここでは調子がよく、30年前にくらべてはテンポも落ち着き円熟味があるものの、攻撃性は失われていない。表現が大きい。ピエルロはただでさえ饒舌なオーボエという楽器の機能性を駆使して自己主張する。一番印象に残るだろう。アラールはバソンということを感じさせない安定感があり、曲的にそれほど前に出てこないにもかかわらず完璧な技巧と、時にアルトサックスのような音で個性を出しオーボエに対抗する。スリリングですらある。◎。

プーランク:三重奏曲

○作曲家(P)ラモーレット(O)デラン(B)(EMI/pearl)1928/3/7・CD

自作自演の旧録。EMI正規としては10年前の作曲家自作自演シリーズがまとめて廉価復刻されたものが現役(と思う)。オーボエ、バソンの「棒吹き」など素朴な味わいがあり音量的な不足や運指の不安定さはフランス派の奏法(と楽器)によるものだろう。あとは録音のせい。ここで聴くべきはプーランク自身のとる攻撃的なテンポでピアノトリオらしい力関係のこともあるが、ヴィニェス門下としての即物的な表現が残っていることが感じ取れる。アンサンブルとしてはもっと新しいものに聴く価値があるが、「伝統的な楽器表現による同時代の演奏」という価値はあり。アラールの教授職前任者デラン若き日の貴重なバソン演奏ということも資料的に意味があるか。

プーランク:六重奏曲

○J.フランセ(P)フランス国立放送管弦楽団木管五重奏団(EMI)1953・CD

最初から掛け合いの嵐でさすがに軋み生硬なテンポをとらざるを得ない曲だが、ここで牽引役としてそつない流れを作りテンポを安定させていくのはやはりフランセ。細かなフレーズも流れるように軽やかに、しかししっかりしたタッチで発音にいささかの「時差」もない。ORTFメンバーからなるこの木管五重奏団は仏EMIの例の二枚組みCDでまとまったものが復刻されており(一曲欠けているが山野楽器・EMIの「デュフレーヌの芸術」は現役盤として入手可能)現代的な洗練された「フランス式木管楽器によるアンサンブル」を楽しめる。じっさい室内楽団としてはローカリズムをさほど感じさせないが、鼻にかかったような「ザ・木管」な音色や露骨ではないにせよソリスティックな趣のあるヴィブラートなど、低音楽器すなわちバソンとホルンに聞き取ることができる。

六重奏曲ではどうしても低音楽器は下支えに回る場合が多く、バソンなど横長の旋律でないと表現の差が出ないが、ユニゾンで旋律メドレーを続けるプーランクの特質のうえ、さすが弦楽アンサンブルを捨てて管楽アンサンブルのみに作曲の腕を注ぎ込んだだけあって、特にこの曲ではフランセの曲のような機械的な「役」の割り振りは無く全楽器に聴かせどころが分散しているので、そういったソロ部をあまねく楽しむにはいい曲である。アンサンブルを楽しむ、もしくは勉強するにはうってつけではある。

急峻な楽章では一人律動的に動き続けるピアニスト次第なところも否めないが・・・とにかくやっぱりフランセ、デュフレーヌを始めとする奏者の方向性が一致しているというか、甘い音色をほどよく維持しながらも世界に通用する抽象音楽を表現する意思が感じられる。これに比べればアメリカの楽団のものなど素っ気無いわりにジャズ風の奏法など取り入れて寧ろローカリズムが強い感は否めない。さすが、ORTF黄金期メンバー。

後半になればなるほどいい。○。これはアナログで死ぬほどハマった盤なのだが、CDになって「あれ、こんなに醒めた演奏だったけ?」と距離を置いていた。バソンの話題が別のブログで出たので、あ、バソンって意識したことあんまりないや、と思って聴いたら、楽しめた。バソン自体ソリスト向きの楽器で奏者によっても音が全く違うなあとも思ったけど(プレシエルはそれほど独特の音は出さない人の感じがする)、1楽章ではサックスぽい赤銅色の旋律表現が聴ける。伴奏やユニゾンの時とは音を使い分けるんだなあ。

デジタル化は一長一短ではある・・・古い弦楽アンサンブルの録音が復刻されると倍音が減って(正確に響いて良いという見方もできる)金属的になるのに似た難しさを感じる。書法の多彩さが、特にハーモニーバランスの完璧なこの楽団の長所をいったん解体したところで、俊敏なフランセのもとに再構築された精度の高い演奏ということはちゃんと聴きとれる。モノラルだがクリア。○。

tag : 作曲家 フランセ ORTF

プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40

作曲家(p)フィラデルフィア木管アンサンブル(COLUMBIA他)EMI国内盤の、デュフレーヌをはじめとするORTFメンバー+ジャン・フランセ!による演奏が何を置いてもベスト版ですが(フランセのドライヴ感といったらもう…)、プーランクの独奏の衰えを感じさせるこの盤も…聞いておく価値はあります。プーランクはかなり沢山の歌曲伴奏を残しており,ピアノ独奏も少なからずあります。盟友ベルナックとのタッグで、バーバーの歌曲なんていうのも残っています。自作自演以外においては、曲の本質をさりげなくすくいとることのできる感性の閃きを感じさせ出色です。サティのジムノペディなんて強い表現性に満ちた演奏で、同曲のイメージに固執しない個性的な演奏様式を示しています。2002年CD化。,

プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40

○フェヴリエ(P)パリ五重奏団(PATHE)プーランクの室内楽の代表作だが、その無邪気な美しさや歌謡的な旋律の面白さだけに着目していてはプーランクの本質を見失うおそれがある。プーランクは(その伝記などを読めば良くわかるのだが)ほんらい前衛的な感性の持ち主であり、その一見古臭い作風のウラに何かクセのあるものを忍ばせていることが多い。ピアノにフルート、オーボエ、クラ、ファゴット、ホルンという組み合わせであるが、つねにピアノが前面に立ち演奏を先導していく。このアンサンブルは叙情性よりも曲に内在する現代性を浮き彫りにしていくようなところがあり、プーランクという存在を考えるときに必要な一面を思い出させてくれる。ひびきの新鮮さを浮き立たせるような演奏で、とくに穏やかな場面でのハーモニーが硬質な抒情を引き出し秀逸だ。解釈としても起伏に富み一本調子な解釈の多い同曲の演奏としては特異だ。フェヴリエは余り器用ではないピアニストの印象があるのだが、この演奏では達者なところを見せている。速いパッセージでもそつなくこなしていて、危なげない。ややゆっくりめの終楽章の最後、喜遊的なパッセージがおさまり、プーランクが時折見せる真摯な表情が垣間見える最後の緩徐部、少々さびしげだが、壮大で、その中に高潔な気品を感じさせるフェヴリエのタッチが印象的。佳演だ。 ,

プーランク:六重奏曲(ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン)1930ー32、改訂39ー40

◎ジャン・フランセ(P)デュフレーヌ(Fl)ほかORTF(フランス国立放送管弦楽団)管楽メンバー(EMI等(国内盤で「デュフレーヌの芸術」の1枚としてCD化している))ジャン・フランセのピアノは驚異的で、他メンバーの技術も冴え渡っており、今後もこれを超えるものは現れないのではないか?フランセは「イベールの息子」とも呼ばれるが、その作風はプーランクとミヨーの良質な部分を重ね合わせたようなところがあり、異常なまでの適性をここでは感じる。兎に角巧いピアノだ。又この古いモノラルの音からは、古い映画の背景音楽のような芳香が立ち昇っており、感動的ですらある。だがベタベタせず下品にならない。曲の良さを曲自体の価値以上に引き出している類の演奏だ。,

プーランク:田園コンセール

○作曲家(P)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1948/11/14LIVE・CD

クレンペラーがプーランクの協奏曲を作曲家独奏でやったとき、まったく理解できない、どこかいいんだ、とグチっていたそうだが、プーランクのよさというものは物凄く人を選ぶと思う。私だって6人組の中ではいちばん苦手なクチだ。代表作がない、中途半端な前衛性、しょせんシャンソン作曲家、などなど言おうと思えばいくらでも罵詈雑言を書ける。でもたとえば今日のような青空のもとで、田園のコンセールなぞを聞こうものなら、ぼーっと、漠然としあわせな気分を味わえるだろう。散発的な不協和音(サティのエコーだろう、せっかくの「美しい旋律」に不協和音を叩き付けてだいなしにするような・・・ミヨーにも多い現象)にダダ的なイヤな感じを受けるかもしれないが、それも慣れてくるとむしろ「匂い消し」のような役割を果たしているというか、通俗的でありきたりで世俗の匂いのする旋律に、一種のスパイスとしてはたらいている。また、異種混交性の妙、と言ったらいいのか、プーランクの様式は古典からストラヴィンスキーまでさまざまな要素のごった煮だ。それをそういうものだとわかって聴くのとわからないで聴くのではちょっと結果が違ってこよう。・・・なんだか散発的にごちゃごちゃ書いてしまったけど、さあこの盤。まずミトロプーロスの丁々発止には舌を巻く。ランドウスカのストコフスキ並。そして私は他ではいい印象がなかったプーランク自身の独奏(ピアノを弾いているがあまりペダルを使わないし、弾き方も軽く叩き付けるようでチェンバロを意識している模様)はここではヴィニェスの弟子たるところを見せている。悪い録音のため細部が聞き取りづらく、細かい音符の箇所をちゃんと弾いているかどうかわからないが(はしょってる感じもしなくはない)作曲家だけあって重要な音符のみをしっかり聞かせるように弾き分けている。この演奏も速い。プーランクはこういう演奏を理想としていたのだ、という意味では勉強になる盤でもある。,

プーランク:田園コンセール

◎ランドウスカ(献呈者)(HS)ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1949/11/19 この曲はチェンバロで聞くとぜんぜん違う。オケの音量とのかねあいが難しい所だが、音色が独特なため、けっこう目立って聞こえるようだ。擬古典的な面が強調される反面、擬古典的でない場面では現代曲のように奇矯な印象をあたえる。献呈者ランドウスカはさすが、ものすごい勢いで弾きまくる。自作自演盤もそうだけれども、いきなり異様なスピードで始まる。この曲はそれが正解なのかもしれない(ギレリスは遅すぎた?)。オケもうまいですね。ソリストとの距離感をはかって、適度に調子をあわせていく。きちんと主張し、クライマックスではソリストに配慮しつつも爆演を聞かせる。ストコフスキの伴奏というのはラフマニノフの協奏曲などで馴染みがあるが、やはり新し物好きだけあって新しい音楽を理解し咀嚼し音にする技術にはものすごく長けている。ランドウスカの演奏は火花が飛び散るようだが、古典を得意にしているにもかかわらず、擬古典「でない」箇所ではしっかり旋律線を歌いきるし、しっかり主張する。並ならぬ奏者だ。この盤、音は悪いが終楽章などかなり楽しめるので、機会があれば聴いていただきたい。名演。,

プーランク:田園コンセール

○ギレリス(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA/BMG/eurodisc)1962/10/12LIVE・CD

もともとランドウスカのチェンバロのために作曲されただけあって、第一楽章硝子質の打楽器的な出だしはチェンバロ向き。但しプーランクはピアノで弾く事も容認していたようであり、この長大な序奏部を過ぎるとそれほど違和感はなくなるので、現代ピアノでもいいだろう。私はランドウスカ+ストコフスキ等の古い録音で親しんできたため、ステレオにしては悪いという録音状態も容認できる。プーランクらしい小技が効いていて、内声部の尖鋭性もよく聴き取れて面白い。プーランクは基本的に歌謡作曲家である。洒落た節回しに最低限の伴奏さえあればいい、という曲もけっこうあると思う。この曲もそういった印象が有り、あまり良く書けた協奏曲ではない、と思っていたのだが、クリアな音で聞くとなるほど世俗的な雰囲気を持った歌が主体ではあるものの、それを支える土台のしっかりしたことといったらない。コンドラシンのプーランクらしからぬびりびり引き締まった演奏ぶりのせいもある。ホルンが狩りの角笛を模しているはずなのに、気合のあまり?妙につぶれて浅く響いてしまっているのは惜しい。ロシア式が今一つ曲になじまない伴奏ではあるが、そういう欠点は無視してギレリスのそつのない高度な技巧をただ楽しもう。どちらかというと前半楽章(2楽章まで)は擬古典ふうで、ストラヴィンスキーらと期を一にした新古典主義の作曲家たるところを見せている。3楽章はダブル・コンチェルトなどと共通するプーランク節が聞かれるが、気まぐれで、ちょっと謎めいたところもある。まあ、全般余り印象的な曲ではないが、古典好きで20世紀音楽にも手を伸ばしてみたい、と思っている方は入り易いだろう。ギレリス盤は録音状態、コンドラシンのスタイルの違和感もあってあまり高く評価できないが、ギレリスの素晴らしいピアニズムと併せて、○一つとしておく。この曲は良い録音で聞くべきかも、と思った。プーランクの特質に「透明感」というものがあり、悪い音ではそんな美質が大きく損なわれてしまうから。,

プーランク:2台のピアノのための協奏曲(1932)

○作曲家,フェヴリエ(P)デルヴォー指揮パリ音楽院o(ANGEL/EMI)カッサンドルのジャケットデザインで余りに有名な自作自演の旧録。EMIで最近復刻した(2003年)。新録に比べて生気に満ち、切れも良いようです。デルヴォーの颯爽とした指揮によるところも大きいでしょう。何しろ、いろいろな要素のごった煮ですから,悪趣味と聴かれてしまってはもとも子もありませんが、リストを初めとするピアノ協奏曲の歴史、特にプロコフィエフなどの残響〔意図的でしょう〕が、プーランク流儀で次から次へと紡がれていくその流麗さを楽しんでください。終楽章などフランクの交響曲終楽章をちょっと思い浮べるところもありました。,

プーランク:田園コンセール~リハーサル

○マルロウ(hps)ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(DA:CD-R)1963/2/23live

ハープシコードの非常にアグレッシブな演奏ぶりにびっくり。大音量で弾きまくり、ストコは色彩感は保ちつつも直線的で強靭な推進力をもってのぞみ、NYPとやるときのような感じを持たせる。スリリングで聴き応えあり。比較的演奏部分が多い。○。
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