ベルク:ヴァイオリン協奏曲

オドノポソフ(Vn)ギブソン指揮ORTF(ina配信)録音日不明

非常に落ち着いている。猛烈さや迫力はもはやなくボウイングも滑らかでないところがあるが、無為の中に思索的な雰囲気を漂わせ響きは厚いものの抽象的な美しさを志向している(とはいえしっかり十二音音楽として聴かせることはしておらずそこは独特)。ギブソンORTFは納得だがオドノポソフとしては意外なところもある。敢えてウィーン風にかかれたワルツも抽象度が高く、平板で力強さのないのが残念ではあるが、ドイツ的な重く堅苦しい響きにも、ロマンティックな情念の蟠りから開放されたかのような、音楽そのものの魅力のみ提示していく、時に教会音楽(パイプオルガン)のような響きの中に断片的な感傷を投げていく。時代的にもまだまだ主観的演奏の範疇であるとは思うが、ベルクの同曲を客観視して聴ける点で面白いバランスをもっており、オドノポソフとギブソンのイギリス音楽的なセッションというような、浮遊感ある柔らかい世界に魅了された。ロマンティックはロマンティックだが、雰囲気音楽的なロマンだ。ステレオでおおむね良好な録音。ブラヴォなしの拍手のみ、温かい雰囲気。
スポンサーサイト

ベルク:三つの小品op.6

ブーレーズ指揮パリ音楽院管弦楽団(DOCUMENTS)1966パリlive・CD

ドビュッシーの遊戯と同時に演奏されたようだが、ダイナミックでまるまるスクリアビンの管弦楽曲のようにねっとりした力強いうねりの創り方など、共通するものを感じる。ドビュッシーが作風を前へ向かって今ひとつ固めきれない感があるのに対して、真正面から前衛音楽へ向かう途上の大管弦楽曲ということで、分厚い音同士をうまく繰り合わせて官能的な響きへ昇華させる方法が上手くいっており、まだ全然前衛音楽とは呼べない範囲~このCDで組み合わされたマーラーの範疇~で別世界へ一歩いざなっている(三曲トーンの変わらない少々冗漫な曲なので過剰な期待は不可)。この頃のブーレーズはやり過ぎだから面白かった面はあるが、そのぶんどういう音楽なのかハッキリしておりわかりやすかった。音楽院管は雑味があるぶん迫力で聴かせる。ちょっと最後の打撃がつんのめったがあからさまなブラヴォで終わり。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

ドゥーカン(Vn)デュファロ指揮ORTF(ina配信)1971/6/23放送

硬派な演奏で、ベルクのロマンティックな側面、というか意図的に挿入しているメロディックな部分もすべて抽象化し構造の中に当てはめて、最後まで堅牢な表現を保っている。オケはそんな音は出していないのだがどこかギスギスした荒んだ気分を演出しているようで、夢のように立ち現れる甘やかなワルツもワルツであるように聴こえない。ベルクをちゃんと現代の目から、音楽史の観点から見据えて演奏しているのは確かだと思うが、私はのめり込むことができなかった。というか、この曲をどう楽しみたいかによって印象は違うので、最後の最高音が余りに固くて掠れまで捉えられているの含め(つまり「クリアな録音の余計なお世話」)私は楽しめなかっただけで、そもそも楽しい曲ではないというのであればおすすめ。

ベルク:抒情組曲

○ヴェーグ四重奏団(audite)1963/11/10・CD

ちょっとびっくりしたリリースだが、甘さのないヴェーグの表現は抽象度を高める半面ベルクの特長であるなまめかしさというか分厚い響きの変化に先導される音色効果の妙をきかせるには、禁欲的すぎるというか、筋肉質すぎる気もする。ツェムリンスキーのエコーもあまりそうは聞こえない。そもそも抒情的ではない。むろん曲のせいである。かといってバルトークをやるような激しいスタイルでもなく抑制的にも感じた。にしても掴みどころのない難曲だ。それをまるで難無くこなしているような三楽章など素晴らしい。

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

ドルイアン(Vn)セル指揮クリーヴランド管弦楽団?(DA:CD-R)1966/10/30NYlive

色の無い演奏で、ベルクの濃厚さが無調的な無機質に昇華されている。のっぺりとしてなだらかだ。ステレオで音がいいかと思ったら終盤モノラルになったり混信したり。そんな盤。

ベルク:歌劇「ルル」組曲抜粋

○スワロフスキ指揮LAフィル(VIBRATO:CD-R)1967/1/26live

海賊盤にしては音がよく演奏も精緻。さすがスワロフスキで、ともすると重ったるく響くこの曲を透明感溢れるウェーベルン的ですらある点描性の感じられる、しかしそうであるがゆえに長々しくやや平板な音楽に仕立てている。「ルルの歌」を欠いているせいもあるだろう。いい演奏だと思うが殆ど惹かれなかったのは私がベルクに求めるものが違うせい。新ウィーン楽派をきちんと理性的に聴ける人にはお勧め。

ベルク:管弦楽のための三つの小品

バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(NYP)1961/3/3LIVEマーラーの香りが辛うじて残っている作品だから、ウェーベルンに比べればバーンスタインもやりやすかっただろう。ぼわーんとした響きは初期シェーンベルクのような肥大傾向を示し、がしゃがしゃした表現主義的な部分も論理性より直感性が勝っている。ベルクらしいといえばベルクらしいのだが、ロマン派が得意な指揮者にはギリギリOKな曲でしょう。プレリュード、ロンド、マーチの3曲は小交響曲的なまとまりを持っている。バーンスタインはやや乱暴ながらもその流れをよく押さえた演奏を繰り広げており、派手な音響は派手にぶち鳴らしている。それはそれで清々しい。バーンスタインの初演したメシアンのトゥーランガリーラ交響曲の響きを先取りするような音響にはちょっとにんまり。個人的には雑味が気になったが、悪くはない。終演後ブラヴォーが凄い。そこまで凄いとは思わないが、まあまあ聞ける演奏と言えるのではないか。無印。,

ベルク:歌劇「ルル」からの五つの交響的小品~アダージオ

○クーセ(SP)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)CDかなり奇妙な曲だがそつなくこなしている。ソプラノ独唱が役者、ウマイ。○。,

ベルク:歌劇「ルル」からの五つの交響的小品

○シェルヒェン指揮バイエルン放送交響楽団、SP:アンネリー・クッパー(ARKADIA/URANIA)1953/2/20LIVEベルクは”ロマン派”最後の抒情詩人である。12音列による主題を用いながらも響きには常に「ぬるい」感触があり、マーラー的な豊穣な音世界を築くところが特徴的である。このシェルヒェンによる実演盤は、この指揮者としては非常に精巧に作られているが、それでもなお、非常にロマンティックである。一本筋の通った「物語」を想起させるのは、元が歌劇だからかもしれないが、いずれにせよこの指揮者が、新ウィーン楽派の音楽を聴取者にわかりやすく提示することに適性を持っていることには違いない。なかなか聴ける盤である。,

ベルク:歌劇「ヴォツェック」~抜粋

○カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル、ヴェゾイック(SP)(EXCLUSIVE)1982/2/28LIVE・CDこれだったら現代ギライもOKでしょう。まったくリヒャルトの時代の音楽。面白いなー。単純にそう思った。奇矯なフレーズは極限まで抑えられ、リズム性を全面に押し出したやり方は非常に耳にやさしい。かなり面白かった。こういう演奏で聞くと、ベルクはやっぱりマーラーの子だな、と思う。マーラーは初期を除いて歌劇を書くことはなかったけれど(「千人」は事実上歌劇と思うが)、マーラー路線を突き進んだ先には、こういう斬新な響きと古風な楽想のあいまった独特の折衷的音楽があるのだろうな、と思った。◎にしたいが正統かどうかわからないので○に留めておく。初演者父クライバーのヴォツェック抜粋を聞き逃している私はこれでとりあえず満足しておこう。,

ベルク:歌劇「ヴォツェック」~三つの歌

○クーセ(SP)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)CDマーラーの正統の後継者としてのベルクの特質をよく引き出した演奏だ。マーラーの歌曲ではなく交響曲の気分をアイウ゛ズ的拡がりの上に展開し、あくまでわかりやすく表現している。アクの弱さに抵抗を覚える人もいるかもしれないが、響きの美麗さとダイナミックな表現にめくるめいてしまう。曲がいいのは勿論だが演奏の俊敏さと感情的な高まりに並ならぬ腕を感じさせる。歌唱もよく調和している。○。 ,

ベルク:ピアノとヴァイオリン、13の管楽器のための室内協奏曲(1924)

○シェルヒェン指揮ケルン放送管弦楽団(STRADIVARIUS)1959/3/2LIVE?・CD3楽章からなるこの曲は、いちおう12音列を使用していながらも割合と調性的なものを感じるぶん聴き易い。音楽総体の中に抒情性が込められており、複雑な反面スリリングな音楽的運動の面白さも感じる事が出来る。それにしてもロマン派をやるときにはあんなにアバウトな曲作りを行うシェルヒェンが、ここでは繊細な響きの交歓をシャープな感覚で描き切って見せている、これはシェルヒェンのバトンテクが良く言われるようにヘタだったとはとても思えない。緊張感、「間」の表現においてシェルヒェンの感覚は非常に正しい。ちょっととりとめのないところもある楽曲だけれども、基本的にピアノとヴァイオリンが主流となり、背景で効果音楽のように管楽器が音を混ぜ込む、この構成にもベルクならではの革新的な計算が盛り込まれている。そう、これはヴァイオリンとピアノのための二重奏、管楽によるオブリガード付きだ。この二本の楽器のスリリングな掛け合いこそが全て、シェルヒェンはそのツボをよおくわかって鋭く纏めてみせている。ライヴのようだが精度は高い。機械仕掛けのシェルヒェンのカリカチュアがあったが、機械のように正確にまたシャープに描くという点、あながちはずれてもいまい。マルケヴィッチの師匠であったことからも、晩年のライヴに図らずも残された(これらはシェルヒェンがただ一度きりのコンサートで組めるプロの時間を考慮して抜粋編集したりしていたもので、あくまで本来の意図(スタジオ録音では殆ど省略をしていない)キ盤のレッテルは、全生涯を俯瞰して見ても決して正確な評とは言えない。○。録音は細部が聞き取れないが全体としてはよく聞こえる。,

ベルク:ピアノとヴァイオリン、13の管楽器のための室内協奏曲(1924)

○シェルヒェン指揮アンサンブル(WESTMINSTER)1964/1・CD初演者によるウェストミンスター録音である。精妙な各楽器の掛け合いがこの簡素で音の少ない楽曲に一層繊細な味わいを加えている。ステレオ録音の素晴らしさは最早言うまでもあるまい。別記のライヴとは一線を画した明瞭なアンサンブルと完璧なひびき。13の管楽器が混入してくるとアイヴズ的カオスが生まれるが、既にアイヴズの音楽を知っている我々は別に気にならない。こういう音楽もアリである。不穏な時代を生きる現代人の複雑な心象を音に移し替える所から始まった現代音楽であるが、手法と直感の境目がそもそも成り立ってないところに難しさも有る。ベルクは手法の領域を直感が侵食している感じがするが、それがこの作曲家の強みなのだろう。シェーンベルクの50歳の誕生日に贈られたもので、新ウィーン楽派三羽烏の名前からとられた音がモチーフとして導入されている。このような方法は古典の時代から続いてきた由緒有る?遊びだが、ベルクの作品はいたってマジメであるがゆえにこの3人の決して幸福ではなかった人生を象徴しているかのように聞こえる。20世紀においてイニシャルをモチーフとして利用した作曲家の代表格にショスタコーヴィチがいるが、ショスタコはあくまで調性原理の中に諧謔の象徴として導入しており(それだけでもないが)、圧倒的にわかりやすく、根本的に違う。ここで聞かれるベルクは、私の耳には絶筆となったヴァイオリン協奏曲に似た感じがする。些末なところでは2楽章で聞かれるソロヴァイオリンの開放弦のアルペジオ。そのためか何かしら惹かれるものがある。3楽章の冒頭からピアノの強烈な打音が入り、そこにヴァイオリンが意外と「まっとうな」技巧で絡んでいく。私はこのあたりのヴァイオリンは割合わかりやすいと思うのだが、ピアノが激しい効果音を加えるため極めて前衛的に聞こえる。その役割は逆になったりして、そのうちに管楽器が加わって、でもあくまでシェルヒェンはヴァイオリン協奏曲として解釈しているようだ。ちょっと姑息な?ヴァイオリンの特殊奏法がビシビシ決まるのは気持ちがいい。音の鋭さ、硬さはシェルヒェンならではのもので、引き締まった厳しい演奏に仕上がっている。ロマン派をやるとあんなに省略を行うシェルヒェンが、なんでこういう曲だと細部まできっちり磨き上げるのか?多分ロマン派のぶよぶよを極限まで取り除いたものが現代音楽と考えていたのではないか?なんて妄想も浮かんでくる演奏である。この指揮者、ただ者ではない。凄い。「間」の取り方もいい。これはヴァイオリンソロに帰するべき評価かもしれないが、最後のちょろっとした「蛇足」も絶妙。ここまで持ち上げといてこういうのもなんだが、やや冗長、○。ベルクは飽きるな。。,

ベルク:ピアノ・ソナタ第1番(?1907-8)

○グールド(P)(CBC)1952/10/14LIVE新ウィーン楽派のピアノ曲は管弦楽曲と違って非常に純粋な音楽のように聞こえる。シェーンベルクはマーラーらとひとつの音だけで旋律を作れるかどうか論争したという。管弦楽なら音色で旋律を作ることはできようが、独奏曲では音色的にもかなりの制約を受けるため難しいだろう。独奏曲に作曲家の思想がむき出しになったようなものが多いのは、そういう理由もあるのかな、と思う。さまざまな作曲技法を活用できないがゆえに、音楽はその作曲家の削ぎ落とされた剥き身の感性を示す。純粋な音楽と言ったのはそれゆえにである。この曲は比較的若い頃の作品である。この時代の前衛的なピアノ曲ならどんな曲でもそうなのだが、スクリアビンのピアノ曲の雰囲気が濃厚に漂っている。奇矯なリズミカルなフレーズや旋律のあやうい綱渡りはスクリアビンぽい。もっともこの曲については構造的にはあまり似たものはないが、無調に接近した半音階的な書法はスクリアビンの到達したそれとほぼ相似形をなしている。終始あまり派手に盛り上がらない曲だけれども、グールドの意味ありげなピアニズムは何らかの意味を見出してそれを抉り出す事に成功している。後年のベルクの厚ぼったさがない曲、機会があればおためしあれ。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

アッカルド(Vn)ブール指揮SWF交響楽団(SOUNDS SUPREME:CD-R)1970'LIVEアッカルドはムラがある。個性が無いわりに弾き淀むところがある。ブールも心象的な表現というか非常に沈潜する音楽を描き出しており、そこに感傷の立ち入る隙はない。冷たい音のオケに冷たい音のソリストというこの組み合わせは、わりと詰まらなかった。そのスタイルでいくならもっとパワーのある演奏で、もっともっと研ぎ澄まされた鋭角的な響きを作り上げていくべきである。その点いささか中途半端である。正直何も残らなかった。無印。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○マックス・ロスタル(Vn)シェルヒェン指揮BBC交響楽団(SYMPOSIUM)1953/12/22マーラーの未亡人アルマとグロピウスの娘の急死にさいし、現在進行中の歌劇の仕事を止め、その思い出をこめ極めて短期間に書き上げられた曲、それがベルク最後の傑作(おそらく無調・十二音でかかれた協奏曲の頂点に立つ)ヴァイオリン協奏曲である。現代音楽でありながら実に感傷的な美しさに満ちており、あふれる官能性が決していやらしくならず清澄な空気を振り撒いて、天使となって天に昇るひとりの少女への祈りに貫かれている。依属者であるアメリカの現代音楽ヴァイオリニスト、ルイス・クラスナーによって初演されるが、奇しくもベルク自身のレクイエムとなってしまったことでも知られる。クラスナーが弾きウェーベルンの伴奏指揮した盤が十年余り前に発掘され(たしかクラスナー自身が秘蔵していた盤だったと思う(うろおぼえ))、話題になった。クラスナーは何度かこの曲を録音しているというが筆者は残念ながらそのすべてに接することはできていない。幸運にも現代音楽界の大ヴァイオリニスト、ヨゼフ・シゲティが数点の録音をのこしている。無論このての曲は録音がいいに越した事がない。だが、たとえば新ウィーン楽派の庇護者としても知られるシェルヒェンが伴奏し現代音楽に理解があり教師としても有名だったロスタルが弾いたこの盤など、非常にすっきりとしている反面かなり感傷的であり、曲の要求するものをよく伝えている。ロスタルの音は甘く美しく、かつ安定しており、技術的にじつに高度なものを持っていることがわかる。ノスタルジックな旋律線を情感を込めてうたうロスタルは諸所で小さなポルタメントをかけるなど、ライヴとみまごうばかりの迫真性をもって演奏している。シェルヒェンは雑味なくこの曲を知り尽くしたかのようなこなれた演奏を付けている。さすが初演指揮者だ。録音状態がイマイチだが(シンポジウムの盤ではいつものことだけれども)感動できる演奏だ。佳演。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○シゲティ(Vn)ミトロプーロス指揮NBC交響楽団(inta glio/MUSIC&ARTS)1945/12/30NYLIVE・CD感情的な揺らしの無い純音楽的解釈だがじつに熱気溢れる凄演。裏板に響くシゲティ独特の音色に酔え!・・・といった感じでしょうか。シゲティは楽譜の解釈はストレートだが指使いに確信犯的な危うさを込めており、発音が不明瞭になる(正確さが失われる)一方で異様な色艶を付けてくる。そこがスキモノには堪らない。どんな曲でも基本的にそういうスタンスで弾いているので、若輩どもは「下手じゃん」と一蹴するだろうが、ちょっと知っている者には面白くてしょうがない。弓使いも独特で、ギリギリ弾くのでもメロメロに弾くのでもなく、太い筆で大きな紙にズアっと一文字を描くように弾く。そこには味の有るカスレやぐっと引き込まれるような勢いがある。まあ、単純に、いい音を出す。ザッハリッヒな奏者とみなされていたシゲティの、でも確実に古き良き時代をつたえる音を楽しもう。ベルクのこの曲はシゲティ的に捌かれているのがちょっと違和感を感じさせなくも無いが、それでも曲の美質がよく引き出された演奏になっている。無調旋律を無調旋律と聞かせないシゲティの手腕はこの十二音列手法を用いた作品でも遺憾無く発揮され、「あれ、これってぜんぜんゲンダイキョクじゃない」とさえ感じさせる。ミトロプーロスのバックは結構即物的だがシゲティと堅固なアンサンブルを構じている。とても相性のいい組み合わせだ。シゲティは楽想と楽想の間の変化をあまりはっきり描き分けず、ともすると単調ととられかねないほどに一本調子なところもあるが、流れをただ追っているぶんには心地よい。理知的に聞くと設計の悪い、盛り上げの足りない演奏に聞こえてしまうきらいもあるが、まあこれはベルクである以前にシゲティの作品なのだ、と覚悟して聞くべきだろう。も少しウィーンふうの幻想が現れてもいい気もするが、この人らしいところだろう。独自性を評価して○。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○シェルツァー(Vn)ケーゲル指揮ドレスデン・フィル(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN/EDEL CLASSICS)1992・CDシンフォニックな演奏で、ソロヴァイオリンがバックオケの中に溶け込んで総合的にとてもスケール感のあるドラマティックなものに仕上がっている。私はこの曲を聞くとやはりどうしてもマーラーの影を感じてしまうのだが、ケーゲルの演奏ではいっそうそれが強く感じられる。ソリストは冒頭やや生硬だが終始実直な演奏ぶりで好感が持てる。特徴的な解釈とか強靭な表現力というものはないが、世に溢れるゴリ押し系の奏者とは違って「引きの音色」で演じ上げており、弱音部での繊細な音とフレージングはとても美しく、儚い。はかなさはこの曲には必要な要素だと思う。夢幻の中に遊ぶ幼女の姿を彷彿とする末尾など崇高な中にも感傷的ですらある。演奏全体としては迫真味においてケーゲルの別盤に一歩及ばずという印象を持ったが、いい演奏である。聞けば聞くほど味の出る演奏です。○。ボックスで一気に廉価再版されました。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

◎シェリング(Vn)クレンツ指揮ポーランド国立放送交響楽団(PRELUDE&FUGUE)1958LIVE・CD非常に集中力の高い演奏で、他盤と比べても極めて強い意志の存在を感じる。とても迫真味があるのだ。シェリングにしては美麗に走らず入り込んだ激しい演奏を繰り広げている。だからといって荒くはなっていない。しなやかで個性をほどよく生かした演奏といえようか。いつものシェリングのコブシをきかせたヴィブラートや独特の音色はまるで忘れられたように聞こえてこない。ひたすら音楽にのめりこみ、ストレートに表現していっている。オケ、独奏者ともどもとても調和している。クレンツはあまり器用な指揮者の印象がなかったのだがここではとても巧みな音色操作を聞かせている。透明感があり曲の灰汁を程よく抜いている。ポーランド放送響も巧い。この演奏が今まで聞いた中でもっともしっくりいった。調性的な部分をもっと感傷的にやってほしいかたもいるかもしれないが、曲の性格上そこだけを思い入れたっぷりにやるのもおかしいように思う。ともかく個人的に◎。ステレオと書いてあるが見事にモノラルです。このレーベルはスイスのマイナーレーベルだが2004年5月現在容易に入手可能なようである。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○シェリング(Vn)クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(ARTISTS)1976ミュンヒェンLIVE・CD録音はかなり優秀。演奏も素晴らしい。ただこの解釈は本道ではないような気がしたので(甘美さが排されている)○ひとつとした。シェリングの音色や奏法は聴き馴れてくるとかなり独特であることに気付く。清潔で硬質な響きゆえに純粋で何の色にも染まっていないかに思えるが、「清潔で」「硬質な」点においてまったく独自性をはなつ奏者である。特徴的な柔らかく細かいヴィブラート(コブシをきかせるように時間差でかけるところなんて独特)、透明な高音の響かせかた(この演奏はちょっと弓圧が強すぎる気もするが)、確かに個性的なのだ。オケも熱気よりも響きの美しさを重視したようなところが見える。このオケこの指揮者にしてはちょっと珍しい。最初からテンポが速く緊密な演奏ぶりはバイエルンそのものなのだが。全般に北方的で、シマノフスキの2番みたいな演奏と言えばたぶん一番しっくりくる。シェリングのシマノフスキを聞いた人なら同意してくれると思う。とても美しい演奏ではあるので、機会があればぜひお聴きください。私はタワーで新品を手に入れました。(2004/5記),

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○コーガン(Vn)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国営放送交響楽団(YEDANG)1966/10/3ロシア初演コーガンは高く澄んだ音を出す。しかしそれはシェリングほどの個性には結晶していない。私はどうもコーガンが苦手、というか巧いのだけれども(技術的にはとんでもなく凄いのだけれども)、イマイチその音にのめりこめないのだ。しかし、この演奏は美しい。そしてわかりやすい。天使の過去をうつした第一楽章はまったく名演。それはオケの好演も含めてだが、ここにはまさにベルク、前衛とロマン派の幸福な出会いがある。コーガンの歌い込みは的確でシャープだ。個人的に第二楽章より第一楽章のほうが好き(というかわかりやすい)な私はそれだけでもう○ひとつをつけてしまう。にしてもソヴィエト国家がよくこのようなリアリズムから遠く離れた楽曲の演奏を許したものだ。いや、この演奏だから許せたのかもしれない。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○クラスナー(Vn)ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団(COLUMBIA/LYS/SLS)1940/12/15・CD

クラスナーはこの曲の委属者であり現代音楽奏者の草分けの一人である。ここで特徴的なのはベルクの官能性を前時代的な感性に反映させ、豊穣な音楽の中に埋没しているウィンナーワルツだとかマーラー10番ぽい旋律だとかを引き出して魅力的な曲調に仕立てているところだ。この曲を現代曲とするのか末流ロマン派とするのか、まあ作曲家の分類に従って前者とすることが多いと思うが、この演奏ではとてもゲンダイ曲とは言えない。ロジンスキはやや没個性的な棒で付けており物足りないが、とにかくクラスナーの甘い音楽に陶酔してしまう、そういった演奏である。ワタシ的には面白い演奏だった。やっぱ調性だ(謎)。○ひとつ。SLS盤は録音日付が明記されているが同じと思われる。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○クラスナー(Vn)フリッツ・ブッシュ指揮王立ストックホルム・フィル(RSP,IMG)1938/4/20LIVE・CDとても厳しい演奏であり特筆できる。クラスナーはこうして聴いてみるとたいして巧くない感じがするし、バックのブッシュも渋くて頑固なだけの演奏を繰り広げているように聞こえる。だがその両方がたんに録音が悪いせいでそう感じるだけかもしれないので深くは追わない。なかなか聞きごたえがある重厚な演奏ではあるし、かなりドラマ性のある激しい演奏なので、ウェーベルン盤の神経質さやスタジオ盤の生生しさに違和感を感じる向きはあたってみてもよきかも。オケけっこうウマイです。個人的に夢のようなワルツのフレーズはもっと幻想を込めて欲しかった(いつも言ってますが)。○。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○クラスナー(Vn)ウェーベルン指揮BBC交響楽団(CONTINUUM/PHILIPS)1936/5/1LIVE・CDこの曲の演奏としては別格と扱われている名盤である。初演者クラスナーが秘蔵していたアセテート盤が発掘されCONTINUUM盤で現れたときの衝撃は凄かった。ウェーベルンの指揮記録としてもほとんど唯一のものとあって(他はごく短い曲の録音があるのみだ)注目を浴びた。もともとベルクの死後ウェーベルンが初演指揮するはずだったのだが拘りまくるウェーベルンの準備が演奏会に間に合わず、結局急遽シェルヒェンが振った(さすがシェルヒェンである)とつたえられる。これはその後で改めて行われた演奏会の記録であり、その解釈にはやはり相当に前衛的なものがあると言えると思う。この音質の中でも尚響きへのこだわりは仔細に至るまで行き渡っており、ベルク的な感傷性はまったく排されて、クラスナーともどもじつに「純粋に芸術的な」演奏になっている。これは若干の皮肉を込めて言っているのであるが、この曲につきまとうマーラーの亡霊、「可憐な天使」の亡霊、ベルク自身の亡霊、古き良きウィーン・オーストリアの亡霊は全員しっかり除霊され、成仏してしまっている。BBC響というところがまた因縁を感じさせるというか、非常に機能的で怜悧で交響的で現代音楽を得意とするようになるこのオケが、この時点でも既にこういう清潔な美感を伴う正確な演奏を行えるだけの力と個性を持っていたことに驚かされる(ボールトのBBC響が、である)。クラスナーは別掲の演奏が正規録音で残っているが、そちらはあきらかにベルク的な生ぬるさを漂わせたロマンティックな音色の目立つ演奏であり、この一期一会の追悼演奏会にさいしてクラスナーは完全にウェーベルンの掌中に入り、ウェーベルンの冷徹な美意識に従った精妙な音楽を注意深く作り上げていったのだな、と思う。とても36年の演奏とは思えない、雑音を除けばまるきり現代の演奏と言っても通用するのではないかという演奏だ。好みの問題で○に留めておく。この演奏でこの曲に目覚める人もいるだろう、しかし普通の音楽を楽しむ人が最初に聞くべき演奏ではない、理解されにくい、前衛音楽の須らく持つ拒絶感の確かに漂う演奏だから。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

○ガライ(Vn)ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(DEUTSCHE SCHALLPLATTEN,ETERNA)LPちょっと録音が古いがすっきりとした出だしから早めのテンポで進む音楽は割合とロマン派的な情感を孕んでいる。交錯する複雑な音はかなりすっきり整理され、透明で立体的な響きが美しい。流れもしっかり整理され、ケーゲルの設計の上手さが光る。ソリストはそれほど個性が無いのがかえってケーゲルの解釈を際立たせていい。かと言ってソリストが悪いというわけでもない。よく曲と調和した表現である。スケールも大きく感情の揺らぎがオケと共に実に的確に描き出されている。充実感を味わえる演奏です。納得の出来。古いので○にしておくが。,

ベルク:ヴァイオリン協奏曲

スターン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(CD:CD-R)1959/11/7LIVE

不思議だ。表現にも技巧にも何ら欠点は無いのに、何も残らない。冒頭から内容的な即物性を感じる。ソリストの音色が安定しすぎている、ミュンシュが無感情なうえ繊細な曲のメカニズムを理解してやっていない、、、ともはっきりとはわからない。現代曲に向かない指揮者であることはあきらかだが。。

ベルク:ルル組曲

○カテリーン・ガイヤー(SP)マデルナ指揮トリノ放送管弦楽団(stradivarius)1961/10/20live・CD

マーラー的な演奏と言ったらいいのか、とにかく音程や音価その他表記上の記号的意味に神経質に拘りピアノソロや電子楽器を目しているかのような正確さを要求する現代指揮者も多い中(そういう演奏を要求するのがまたゲンダイオンガクなのだが)、この熱い現代音楽家はある意味純音「楽」的にやっていてロマン派的。面白いし聞きやすい。内容的にそうそういつでも聞きたいものではないが、マーラーの末裔がどうなっていったのかを示すものとしてこの演奏を聞いてみるのも一興。マデルナのライヴの標準からすればとてもマトモに仕上げている。聞きやすさで○。マデルナのライヴの標準からすれば録音もいい。

ベルク:ヴォツェックからの3つの小品

○アンネリー・クッパー(SP)エーリッヒ・クライバー指揮バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン合唱団(STRADIVALIUS)1955・CD

擬似ステレオ効果が耳障りだが録音はよい。精妙で生臭さの無い演奏ぶりは流石当時現代音楽指揮者としても知られていたこの人の、今や知られざる一面を垣間見させるものだ。しかし冷徹というわけでもない。オケには時代の響きというか、マーラー的ということではないんだけれども、ロマンティックなところが、フレージングなどにどことなく内在しているように感じられる。そこが次世代以下の指揮者との違いだ。同時代性というのともまた違う、エーリッヒのこれが個性というやつだろう。微温的な佳演。この精度で初演していたなら当時としては最高のものだったろう。全曲聞いてみたかった。

ベルク:ヴォツェック組曲

○K.クライバー指揮ケルン放送交響楽団、ファイン(SP)(GOLDEN MELODRAM,CONNOISSEUR)1972LIVE・CD

美しい。この時代にしては決していい録音状態ではないがクライバーの調性的な指向の強い解釈は併録のリヒャルトと同じような感触を与える。だから聴き易い。とても12音列技法によるとは思えないロマンティックさである。豊穣でともすると腐臭漂うベルクの世界が清潔にしかしとてもわかりやすく展開される。これならマーラーを聴きこなせるなら十分聴けるだろう。最後がブチ切れるのが難点だが正規盤でないから仕方ないか。これはボーナストラックとして「エレクトラ」の盤に収録。ジャケに記載がないという不思議な盤である。他にも音質向上したものが出ている。○。
プロフィール

岡林リョウ

Author:岡林リョウ
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
リンク
カテゴリ
TAG

ストコフスキ 四重奏団 フィテルベルク ミュンシュ トスカニーニ コンドラシン バルビローリ 作曲家 モントゥ アンセルメ 作曲家演奏 ブール エネスコ ガウク ミトロプーロス ロスバウト サージェント オイストラフ フランセ ワイエンベルク ORTF アンゲルブレシュト サモスード デゾルミエール イワーノフ ゴロワノフ ムラヴィンスキー ピエロ・コッポラ モイセイヴィチ ベーム セル クーベリック カルミレッリ シュヒター バーンスタイン ビーチャム パシャーエフ ツィピーヌ アルベール・ヴォルフ パレー ウォレンスタイン アラール オーマンディ サモンズ 山田一雄 ロストロポーヴィチ シェルヘン モートン・グールド ギレー モイーズ 

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード