カウエル:ペルシア組曲

○ストコフスキ指揮現代音楽協会(scc:CD-R)1958/12/3live

正規録音も残っているがノイズを除けばこちらの方がクリアか。オケの特性なのか、正規録音よりも民族性が減退し抽象性が高い。あくまで西欧楽器によるペルシア音楽の演奏という印象が強い反面、退屈な部分もあり、演奏にもやや弱さを感じる。ギターがなければ普通にコンサートの演目として成り立ってしまうなあ。リズム感の良さが光る。○。
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カウエル:賛美歌とフーガ風の調べ第2番

○ストコフスキ指揮CBS放送室内管弦楽団(SCC:CD-R)1953/10/25

放送ライブ。20世紀音楽(アメリカの)紹介番組の中の一曲であるらしい。2番が取り上げられるのは珍しいが、いずれ南北戦争時代の賛美歌などを基にした回顧的な作品であり、ヴォーン・ウィリアムズ的で、ロマン派音楽ないし擬古典派に聴こえるのは仕方ない。ストコフスキーはいきなりポルタメントを聴かせ、泣かせ節を展開する。コテコテだ。しかし分厚く緊密な響きは音楽的な楽しさを感じさせる。短いが題名通り2部に別れ、現代的な部分もあるのだろうが、きほん賛美歌とフーガ。それだけである。○。

カウエル:ペルシア組曲

ストコフスキ指揮彼のオーケストラ(CRI/RCA他)1957/4・CD

ストコフスキーは曲に即した演奏を提示して過不足無い。問題はその曲のほうである。カウエル晩年のアジア行脚からのペルシア傾倒が如実に現れており、一応西欧楽器を使ってはいるがほぼバンド編成でギターが前面に立ちまるでそのまんまペルシアの音楽なのである。異化も昇華もなされず、ただその方法でペルシア音楽を作っただけなのだ。4曲目で合いの手の掛け声が入るところなどウンザリするほど模倣している。西欧楽器ということで半世紀以上前のボロディンふうに聴こえる旋律も無茶苦茶古臭い。ギターはスパニッシュギターのようにラテンな感じもするが、いずれそういう世俗性を臆面もなく出している音楽なのだ。録音も悪くモノラル。擬似ステレオ盤もあるのでそちらが聴けるならそちらをどうぞ。

カウエル:マノノーンの潮流

○作曲家(P)(smithsonian folkways)1963初発売・CD

トーンクラスターはバルトークが用語としての使用許諾を求めたことで有名なカウエルの代表的な概念だが、先行事例がないわけではなくカウエルと一時期親しかったアイヴズが一定の長さの木片で鍵盤を押さえる方法を使っていて、また管弦楽においてはトーンクラスターと呼ばざるを得ないような混沌とした音響を提示している。ともあれ「理性的に」この方法を取り込んだのはカウエルが最初であろうし、この曲がその代表的な作品であることには異論はない。若書きの作品でもあり、右手の旋律と後半部で左手に現れる対旋律のとつとつとした組み合わせだけを取り出してみればケルト民謡に基づく、いわばヴォーン・ウィリアムズのような感傷的な旋律音楽でしかなく、陳腐とすら言える。肘を使って低音部で奏される「運命の大波」こそがこの曲の肝であり、演奏者の柔軟性なり経験なりが試される部分だと言えよう。なかなか聴きごたえのある実演を聴いたことがあるが、それにくらべてこの自作自演がどうかというと、下手。旋律の動きにリズムが乱され、クラスターとのバランスもややぎごちなく(リズム的には旋律とクラスターはまったく同期がとられている)、これはこの自作自演アルバム全体に言えることだと思うが、専門ピアニストではない、ということを否応無く印象付けられる。そういう観点から、骨董価値を見いだしてのみ聴く演奏だ。○。

カウエル:交響曲第5番

○ジーン・ディクソン指揮アメリカンレコーディング協会管弦楽団(ARS)LP

アメリカ実験音楽の祖とも言われるが案外と穏健な作風を持ち、ロマンティックな旋律とわりと保守的な管弦楽法を駆使する作曲家の印象もある。むしろ実験性はピアノ曲におけるものなのだ。この作品は1楽章が聞き物で、多彩なパーカッションと他パートのやり取りが丁々発止、しかしコープランド後期を思わせるところがあり、複リズム的なフレーズもおり混ざり清新だが、全般にはとても聞きやすい。だが、2楽章以降が凡庸である。新ロマン派の作品と言われれば聞ける内容だが、カウエルの特徴としてこの時代にしては簡素なオーケストレーションが気になり、それで前時代的な交響曲のなりをしていると、1楽章の勢いはどうしたんだろうと思ってしまう。盛り上がるは盛り上がるし、独自性も感じられるのだが。ディクソンは浮き立つようなリズム表現がうまい。オケはうまいがそれほど力強くはなく、それをここまで引き締めて表現させたのは特筆に値する。○。

カウエル:弦楽四重奏曲第2番(弦楽四重奏のための楽章)

○ドリアン四重奏団(COLUMBIA)1939/9/27・SP

小品ゆえ何とも言えないが、暗いロマン派音楽。カウエルは手法こそ多彩ではあるが根はシンプルであり、初期も後期も変わらない。○にはしておく。

カウエル:組曲「消防署の土曜の夜」

○アドラー指揮ウィーン・フィル(SPA)LP思わずアイヴズの描写音楽を彷彿とさせる曲名だが、アメリカ前衛音楽の雄が書いた楽曲にしてはかなり平易。独特の不協和音が絡むところもあるが、おおむねガーシュインの雰囲気で統一されていて聴き易い。ジャズというよりガーシュインのリズムやハーモニーからの影響が顕著で、それが何度も聴いていると飽きにもつながるのだが、どことなく独自性が感じられるのは旋律のせいか。息の長い旋律を微妙に変容させてつなげていくやり方は面白い。非常に印象的な場面がいくつかある。この透明な美感はカウエル独自のものだ。コープランド的な垢抜けた響きはアメリカの作曲家と言うことを改めて認識させるものだが、そのむこうにミヨーという巨人を思い出させるところでもある。トーン・クラスターやリトミコンをアクセントとして使ってもらいたかった気もするが、カウエルは元来ロマンティックな性向を持つ作曲家であり、とくに旋律にはしっかりとしたメロディを使用することが多い。言ってしまえばアイヴズも本質的にはドビュッシズム影響下の(旋律構造に影響が指摘される)浪慢主義的作曲家だったわけであり、この二面性はアメリカならではのものと考えるのがよかろう。カウエルは夥しい作品を残しているが、もっと発掘されていい人である。シゲティもアイヴズとカウエルを取り上げていたことをふと思い出した。ウィーン・フィルは手堅い演奏を繰り広げる。たしかにうまい。これ以上の演奏はヨーロッパのオケとしては望むべくも無い。ただ、ミュートをつけたペットがちょっとリズムに乗り切れないところにウィーンとアメリカの距離を感じた。一回は聞く価値ありとして○一つをつけておく。アドラーはマーラーよりこういう曲のほうがあっているように思うのは私だけ?(チャールズ・アドラーは別項に書いたとおりマーラーの下で振っていたことがある人。ヨーロッパにアメリカ音楽を広めた功績があるそうですが今はほとんど知られていません・・・),

カウエル:The Trumpet of Augus Og(1918~24)

バーン(P)(ACTA)CD
祝祭的なこの曲の構造は、分かりやすさと裏腹に複雑な計算に基づいているように聞こえる。だがやはりシャブリエ的だ。「左手」のラヴェルの如き低音の響きを 持つクラスター*は、ここではきくことができない。カウエル独奏曲の 最高峰はごく若いころ(15歳)の「マノノーンの潮流」(1912)と思うが、 「エオリアン・ハープ」(1923)のアルカイックな風音、「バンシー」(1925)の胸を掻き毟るような叫び声に代表される、内部奏法(蓋の下のピアノ線をつまんだり 擦ったりして ハープや音鋸のような特殊な音響を放つ)の妙もまた出色で、これは自作自演盤がある(CDになっている)。「富士山の雪」という日本的な題材による曲も有る。いずれ前衛性は形に すぎず、時折心を打つものがある。*拳や腕、板などで一定幅に並ぶ鍵盤を全て押さえる事により、 「音の塊(トーン・クラスター)」をぶつけるような野蛮だが奥深い音響を放つ ことのできる特殊奏法。 ,

カウエル:感謝祭詩篇

ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団他(DA:CD-R)1966/12/19LIVE

カウエルが後年よく書いたわりと凡庸な民族的音楽の範疇にある合唱曲で短いから評するのも難しい。録音もあまりよくない。

カウエル:マノノーンの潮流


○バーン(P)(ACTA)CD

やや起伏がデジタルで、雰囲気のうつろいやクライマックスの作りかたが生硬すぎるか。若書きゆえスコアが単純生硬というのもあるが、ゴーン、ゴーンと渦巻く運命の潮流を低音のクラスターが演出し、右手は感傷をもはらむ力強い民謡ふう旋律をきざむという極めて理に落ちた構造を、全体としてどういった流れの中に起伏を作っていくか、「視覚的効果のない音盤という世界で勝負するなら」周到に考え、録音操作も加えること辞さずに造り込んで欲しかった。○。

カウエル:ダイナミック・モーション

○バーン(P)(ACTA)CD

これは明瞭にカウエルらしい抽象的前衛作品で、ブレークビートな断裂する音線に、クラスターも装飾的に添えられるのではなくはっきり部品としての機能を果たしている。ピアニストもスタンスをはっきりさせやすいからかのっている。ただ、少し詰めが甘いか、曲も演奏も。

カウエル:富士山の雪

○バーン(P)(ACTA)CD

どうも日本というより東洋趣味といった風情で、冒頭からひたすら繰り返される旋律も、こういう衝突するハーモニー(あきらかにドビュッシーの「金魚」などに似せている)をひたすら重ねられると、日本ふうの単純さより中国ふうの豪華さをもって聞こえる。少し浅い。○。

カウエル:虎

バーン(P)(ACTA)CD

見た目そのまま描写というアイヴズのやり方に似せながらも、思わず抽象化してしまいわかりやすい音楽のほうへ寄せてしまうがゆえに、どこか暴力にも甘さが感じられる。東洋旋法やハーモニーもこの西欧的で生硬な演奏スタイルだと今一つよくわからない。結果としてクラスター的音響もスクリアビン後期のやり方のシミュライゼーションに聞こえてしまう。カウエルはかなり先人の作風を取り入れてくる作家ゆえ恐らく間違った指摘ではなかろうが。無印。

カウエル:妖精の答

○バーン(P)(ACTA)CD

サティ的に単純化したドビュッシーの前奏曲ふうの断章に内部奏法による掻痒なハープ式装飾が美しく色を添える。この時代にありがちな極めてフランス的な夜のアルカイズムがそのままシミュライズされており「これ、何だっけ?・・・」と頭を悩まされることうけあいだが、単純な美感はなかなか独特の粋を感じさせてよい。短いことが効を奏している。演奏はややぎごちなく、パセージ途中の間髪なき内部奏法導入の難しさを感じさせる。二人でやればスムースかもしれない。曲は単純に綺麗で内部奏法にも山っ気がなく素晴らしい。○。

カウエル:オンガク

○ホイットニー指揮ルイスヴィル管弦楽団(FE)1958/4/20・CD

カウエルは意欲的に他国の音楽にも取材し多彩な楽曲を書いた。日本に取材したものもいくつかある。これはガガクとサンキョクからなる組曲だが、「まんま」である。三曲のほうはいくぶん西欧的なオーケストレイションにより20世紀前半にイギリスあたりによく聞かれた民謡編曲音楽(ま似てますからね)に現代の映画音楽風味をふんだんに盛り込んだかんじで、雅楽風の笛による繊細でのっぺりしたハーモニーに、アメリカらしいペットソロが乗ったりするところはなかなか凡百作曲家にできない絶妙さをもってくる。日本の作曲家に多かった感じもあるが、とにかく西欧置換が上手いので、下品にならない。気持ちがいい。雅楽のほうこそまさに「まんま」だが、三曲はRVWの哲学性にも通じる。かなり日寄った作品とも言えるが縁深いオケの、多少粗くもよく掴んだ演奏ぶりがいい方向に働き秀逸。カウエルはアメリカ前衛主義の創始者としてかなり左寄りに置かれているが、アイヴズより余程感傷的なロマンチシズムと音楽的合理性を持ち合わせたプロフェッショナルである。日本人が聞いても○。

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