民謡:エイメのジャンヌ(仏ケルシー地方)ケクラン和声・編曲

デゾルミエール指揮管弦楽団他(le chant de monde)1938/10・SP

テノールならびにメゾソプラノ独唱と合唱団を伴うかなりの編曲を施されたものだが、意図は明らかに賛美歌。ミサで聴かれる類の単純なメロディが組み合わせを替え清澄な響きに乗って繰り返される。録音も比較的良好で、歌唱に癖はない。興味深い編曲でもあり、クリスマスに似合いそうな、そして少し物悲しさもある演奏だ。デゾルミエールは他にもケクラン編曲を含む夥しい数の民謡録音をSPに遺しており、またケクラン自体の曲の録音もいくつも残しているがLP、CDになったものは僅か1,2枚。lysの編曲ものは未聴だがThe classical collector盤は今でも容易に手に入る(ACCORDのLP音源は全てこのケックラン集に含まれる)。11.084

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ケクラン:ピアノと管弦楽のためのバラード

ブルーノ・リグット(P)アレクサンドル・ミラ指揮モンテカルロ・フィル(EMI)1982/6/15-23・CD

印象派とは繊細な和声のうつろいの醸す雰囲気を大事にしながらも、横の流れが重視される音楽と理解している。その意味でケックランは本質的に印象派の作曲家であり、バッハの研究や新しい音響への探求も怠らなかったとはいえ、1860年代生まれという時代性を感じさせずにおれない。この作品は題名に象徴される通りいくぶんにフォーレの影響下にはあり、冒頭からピアノに旋律的な要素が強いが、次第に雰囲気音楽に呑まれ、静謐な世界に溶け込んでいくように終わる。なかなかの耳触りのよさはあるが、後代のアメリカアカデミズムの作曲家たち・・・フランスの教師陣に教えを受けた者を含む・・・に似た「無個性さ」も否定できない。派手さがないのでまずもって演目にあがることはなく、ケクランが(自作において)いかに自分の世界に忠実で、自分のやりたいようにやっていたかがわかる曲となっている。教師として著名なリグットがソリストを受け持っているが、指揮者ともどもまだ若年期にあったせいか、少し深みが足りないようにも思う。ドビュッシーの「アッシャー家」断片など秘曲を紹介した「フランス音楽のエスプリ」シリーズの古いCDで、そういう意図からか時間をかけてゆっくり作った感じがしない。録音状態が決して良くはなく、とりわけ静謐な作品においては今なら環境雑音は極力除去されたことだろう。併録は「7人のスター交響曲」。

ケクラン:交響組曲「7人のスター交響曲」

アレクサンドル・ミラ指揮モンテカルロ・フィル、フランシス・ペリエ(OM)(EMI)1982/6/15-23・CD

opus.130台の後期作品にあたる。四楽章にオンド・マルトゥノ表記があるが三楽章の誤り。映画スターの名前を各楽章の題としそれぞれに副題が付けられているものの、映画との関連性は皆無で、あくまでケックランの受けた印象を抽象化した曲の集合体となっている。散文的で楽章間の対比は明確ではなく一貫して個性を主張せずに職人的作風を保ち、同時代音楽の雰囲気を漂わせ、デュティユすら超えるような現代の印象派的音詩が連ねられており、三楽章「グレタ・ガルボ」のオンド・マルトノ(融和的で木管楽器のように自然に旋律楽器として取り入れられている)に至るまでは音響的な音楽が続き、鉄琴やハープ、ピアノなど高音打楽器系の楽器が空間的な拡がりを感じさせる。四楽章でやっと派手な音楽が登場するが、その後は後退したような晦渋な楽章も登場する。いずれ題名となっている俳優のイメージを知らないと、まとまりのなさに退屈してしまうかもしれない。アメリカアカデミズムの同時代曲も彷彿とさせる。長くても6分程度の曲の中で終曲のチャーリー・チャップリンは16分を越える深刻な音楽であり、ベルクを思わせるフレーズを含めその感じが強い。後輩オネゲルからメシアンに至る音楽をも飲み込んだケクランの世界の広さとともに、広過ぎるがゆえに構成感を失い散漫で掴み所のない作風を露呈している。大半が静謐なため環境雑音の気になるところがあり、調和の取れた音ではあるが強い押しが無く(フランス的ではある)、紹介者的な範疇を出ない演奏となっている。合わせれば結構な大曲、併録はフォーレに倣ったようなメロディアスなピアノと管弦楽のためのバラード(ブルーノ・リグット(P))のみ。

ケクラン:燃ゆる茂み

○デゾルミエール指揮フランス国立放送交響楽団(ACCORD/THE CLASSICAL COLLECTOR)1951/11/19シャンゼリゼ劇場初演LIVE・CD

響きはヒンデミットのように輝かしく、オネゲルのように緻密で、ミヨーのように華麗で、メシアンのように色彩的だ。しかしこれは紛れも無くケクランの曲であり、この美しさに魅了されない者はいまい。あくまで清らかな曲趣、「象牙の塔に篭り自らの為に作曲する」と言ったケクランの静寂の時が、この神秘的で感動的な交響詩を産み出したのだ。二部構成で一部は45年11月、二部は38年完成。ほぼケクランの管弦楽作品の絶筆に当たる。ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」終章に材を得たものだが、哲学的で神秘主義的な傾向が強く、その意味ではメシアンの世界に近いかもしれない。サティより僅か1才下、ラヴェルより9才年上のケクランは、その長命故に実にメシアンの時代まで意欲的な作曲・著述活動を続けていた。オンド・マルトゥノを使用した1860年代生まれの作曲家などケクラン位だろう。一種映画音楽的な面もあるがそれだけに無調的な部分が目立つことなく聴き易くなっている。代表作のひとつであることから名前だけは有名なものの、恐らく、現在に至っても殆ど両手で数える程しか演奏されていない(93年のこの盤には初演を含めてたった3回しか演奏されていないとある)曲ではあるが、作曲家自身すら実演を聴くことが叶わなかったことを思いながら、無類の映画好きで知られたケクランの自伝映画を夢に見よう。没後1年のこの初演ライヴ録音はマニア好みの指揮者デゾの鮮やかな表現が悪い音の中から香気を放っている。古い録音に慣れた向きなら十分楽しめると思う。○。(1994記)TCC盤(いずれもデゾルミエール指揮)には他にクラリネットと管弦楽のためのソナタ、静かな海、生きている水(37年万博のための)が集成されている。,

ケクラン:フルート・ソナタ(1913)

F.スミス(FL)M.アムリン(P)(hyperion) 象牙の塔に独り篭って自分の為に作曲する事を望んだフランスの静かな作曲家。 あくまで優しく、決して派手ではないが、緻密で清々とした響きに溢れた曲を 200以上も書いている。1867年生まれの白髭のセンセイであったし(和声法の教科書でお馴染み)、 平均値的作風といえばそうかもしれない。しかし、ケクランの作品に 垣間見える個性というのは、紛れも無く20世紀の作曲家としての耳を持ち、新しい音響への挑戦を行った、しかし時代遅れの作曲家のものである。 映画スターのための曲(「7人のスター交響曲」等)や、無邪気な”交響詩” (「バンダー・ログ」等)のイメージがあるが、只耳優しい曲を描く類の作曲家ではない。もう少し深いところに棲むようだ。結局フォーレやドビュッ シーを想起させる場合が多いにせよ、オンド・マルトゥノなどの音素材、複雑で 止めども無い旋律線、空間音楽的発想、無調的フレーズが、さりげなく、しかし注意深く配置されていることに、はっとさせられる(「燃ゆる茂み」等)。 同時代の巨人たちと比べてしまうと、発想にやや貧困さを感じる向きもあろうが、 完成度は高く、若い世代~メシアンやその門下のブーレーズ等~への受けが良かったというのも、さもありなん、である。(1995記),

ケクラン:交響詩「バンダー・ログ」~ジャングルブックより

○ヴァント指揮ケルン放送交響楽団(Profil、Hanssler、WDR)CD

ケクランではわりと演奏される曲だが文字面の意味内容よりも音楽そのものの前衛性に着目したようなヴァントの慧眼には瞠目させられる。いったいこのブーレーズのような音響は何だ??オネゲルの気ぜわしい構造物やジョリヴェの騒々しい野蛮主義の側面がカリカチュアライズされ大きな枠組みの中に取り込まれている。通常は「気ぜわしく騒々しい音楽」として描かれるべき「描写音楽」であるのだろうが、書法の緻密さ隙のなさと老齢においても音楽への挑戦的な態度を堅持し続けた静かなるケクランの「爆発する音楽」が、ヴァントによって律せられここまで磨かれてくるさまを見るにつけ、この人はまったくメシアンの隣人と言っても過言ではない存在であったのだと改めて感服させられる次第である。落下眼鱗の演奏。人によってはもっとボリュームやスケールが欲しいという人もいるかも。録音は素晴らしくよい。

ケクラン:シャンパーニュの古い歌OP.124~Ⅲ、ⅩⅡ

○作曲家(P)(MFB,INA)1947/12/29・CD

ずいぶんと確かな打鍵で、もちろん非常に音の少ない曲であるせいもあるのだけれども、ちょっと重過ぎるな、と感じる所も有る。これは語り(明瞭なフランス語)と一緒に収録された1分半程度の2曲のみの演奏だが、録音は1947年にしては悪すぎる。まるでドビュッシーの自作自演伴奏のレベルに毛が生えた程度だ(40年以上の差があるのに!)。盤が全編ドイツ語で(現代音楽レーベルであることからもケクランの「ほんとうの位置づけ」がわかる)しかもこのトラックは大曲のボーナストラックゆえジャケ文でも全く言及されておらず、結果曲のことを含め詳細まったくわからないのだが、題名のとおりの歌曲的旋律に後期ミヨー風のやさしい和声、実に単純で最低限の伴奏(サティ的と言いたいところだがもっと常套的でやさしい)をゆったりつけた詩的な佳品である。とても平易で、フランス的だ。個性のかけらもない素直さだが、そのゆったりしたテンポと旋律の哀しさが(この旋律の哀しさもミヨーの真摯なピアノ曲に通底するものを感じる)静かに心に染み入ってくる。だが・・・これはケクランの本領ではない。ケクランはたとえば三省堂の作品名辞典なんかを見てもドビュッシーなどの影響下にある平均値的作風とか酷い書かれかたをして、作品なども殆ど挙げられていない。三省堂版には「燃ゆる茂み」すら載っていない!作品数は3桁を数えかなりの多産家でありながら何故こういう評価なのか。結局和声学の教科書執筆者としての名前だけで覚えている人たち・・学者さんと学者崩れさんの感覚でいくとそういう評価になってしまうのだろう。オンド・マルトゥノの可能性を広げた作家として重要だと思うし、無調に早くから取り組みそれと調性原理との均衡を図り、大規模ながら非常によく書き込まれた晩年の作品の数々に触れるにつけ、この作曲家を、ただ凡人と一蹴する人々の気がしれない。きっとこのピアノ曲を書く程度の作曲家くらいの認識なのだろうな、と思いつつ、この曲の愛おしさにもまた心惹かれるところもあるのだが。おまけで○。
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