コダーイ:ハーリ・ヤーノシュ組曲
○ガルデッリ指揮ハンガリー国立管弦楽団(eternities:CD-R)1988/5/20live
三曲目、ツィンバロンさえ入らなければレスピーギになるところだった。色彩的で開放的、一曲目などつまらない曲ではつまらないのだが、有名な音楽時計は良く出来ているし、ややだらしなさもなくもないがオケの覇気で面白く聞かせる四曲目など場面場面が想像できて楽しい。バルトーク的な間奏曲はガルデッリ風味は後退してわりと純音楽的な感がある。終曲は変わって劇的要素が前に出て面白い。ブラスの音が輝かしい。色彩変化も鮮やかで、ガルデッリで聞いて良かったと思う。
三曲目、ツィンバロンさえ入らなければレスピーギになるところだった。色彩的で開放的、一曲目などつまらない曲ではつまらないのだが、有名な音楽時計は良く出来ているし、ややだらしなさもなくもないがオケの覇気で面白く聞かせる四曲目など場面場面が想像できて楽しい。バルトーク的な間奏曲はガルデッリ風味は後退してわりと純音楽的な感がある。終曲は変わって劇的要素が前に出て面白い。ブラスの音が輝かしい。色彩変化も鮮やかで、ガルデッリで聞いて良かったと思う。
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コダーイ:ガランタ舞曲
ストコフスキ指揮ハリウッドボウル交響楽団(scc:CD-R)1946/7/21live
67年前の録音を前に何を言ってるんだかとふと思うが、録音が悪い。この曲は旋律的ではなくリズムとスピードなので、ストコフスキーの良さを出すには似つかわしくない部分もあろうし、そもそも私はこの曲の良さがわからない。オケはやる気あるし上手いし、ライブなりの迫力もあるが、雑味も味になってるが、、無印。
67年前の録音を前に何を言ってるんだかとふと思うが、録音が悪い。この曲は旋律的ではなくリズムとスピードなので、ストコフスキーの良さを出すには似つかわしくない部分もあろうし、そもそも私はこの曲の良さがわからない。オケはやる気あるし上手いし、ライブなりの迫力もあるが、雑味も味になってるが、、無印。
コダーイ:ガランタ組曲
○スワロフスキ指揮LAフィル(VIBRATO:CD-R)1967/1/26live
終演後のブーイングともブラヴォともつかない反応が気になるが、スワロフスキにしては熱した演奏で東欧音楽や東欧オケに精通していたことも思い出させる演奏。もちろんフォルムは崩れないがリズム処理がロスバウト以上に巧くオケもよくドライヴさせられている。○。
終演後のブーイングともブラヴォともつかない反応が気になるが、スワロフスキにしては熱した演奏で東欧音楽や東欧オケに精通していたことも思い出させる演奏。もちろんフォルムは崩れないがリズム処理がロスバウト以上に巧くオケもよくドライヴさせられている。○。
コダーイ:歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
○ストコフスキ指揮ブダペスト放送交響楽団(DA:CD-R)1967/2/3
こういう冷えた金属質の音は東欧の音だよなあ、と思いつつ、ストコの拡散性と色彩味が巧緻なオケにより整えられ、明るく派手な響きだけれども踏み外した感じのしない、肉汁滴る自己顕示欲のアメリカぽくもない(ストコはイギリス人だけど)、かといって有名な主題を持ち上げてわかりやすさを強調することもなく民族性もそれほどそそられない、聴きやすいものに仕上がっている。長々しい組曲だが長さを感じさせない設計の巧さが光る。コダーイはバルトークと共通の民族主義を掲げ、実際にこの曲でもバルトークにみられるものと同じ舞踏リズムや音響表現を用いているけれども、きほん前衛性は後期プロコに似た領域に留まるため新古典的な古趣を感じることがある。ロマンティックにやろうとすればできる部分もあるし、19世紀国民楽派音楽のように民族的表現を誇示し民族楽器を派手に打ち鳴らすこともできるのだが、ストコは何故かそこまではやらない。外様オケということもあるだろう。比較的明晰な録音(DAお得意の断裂や撚れ揺れはある)。ライヴではなく放送音源かスタジオか。
こういう冷えた金属質の音は東欧の音だよなあ、と思いつつ、ストコの拡散性と色彩味が巧緻なオケにより整えられ、明るく派手な響きだけれども踏み外した感じのしない、肉汁滴る自己顕示欲のアメリカぽくもない(ストコはイギリス人だけど)、かといって有名な主題を持ち上げてわかりやすさを強調することもなく民族性もそれほどそそられない、聴きやすいものに仕上がっている。長々しい組曲だが長さを感じさせない設計の巧さが光る。コダーイはバルトークと共通の民族主義を掲げ、実際にこの曲でもバルトークにみられるものと同じ舞踏リズムや音響表現を用いているけれども、きほん前衛性は後期プロコに似た領域に留まるため新古典的な古趣を感じることがある。ロマンティックにやろうとすればできる部分もあるし、19世紀国民楽派音楽のように民族的表現を誇示し民族楽器を派手に打ち鳴らすこともできるのだが、ストコは何故かそこまではやらない。外様オケということもあるだろう。比較的明晰な録音(DAお得意の断裂や撚れ揺れはある)。ライヴではなく放送音源かスタジオか。
コダーイ:弦楽四重奏曲第1番
○ルース弦楽四重奏団(URANIA)LP 清々しい曲だ。ロシア室内楽の影響下の民族楽派の楽曲である事は確かだが、あきらかにラヴェル後の和声感に依っており、常に新鮮な感じがして耳馴染みがいい。ハンガリー音楽の旋律が縦横に使われているため、バルトークとの近似性を感じなくはないが、この分野の楽曲としては両者は遠く隔たっている。躍動する部分にとくに瑞々しい楽曲の魅力を感じさせるが、旧来の室内楽の延長上にありながらも技術的に結構高いものが求められている。ルース四重奏団は各楽器がかなりの自発性をもって表現しておりこの曲にふさわしい強い音楽を創り出している。良く聞くとハーモニーが結構決まり辛いというか複雑であったりする。動き的にはユニゾンでも晦渋な不協和音を奏でる場面が経過句的に多々見られる。ルース四重奏団の発音が悪いせいかとも思ったが(「俺が俺が演奏」なので和声的なまとまりが二の次になっている?)聴きとおしてみるとその限りでもない感じだ。いい曲だし、新しい演奏で聞き直してみたい気もする。冒頭ソロよりチェロが大活躍する曲でもあるが、ここでは圧倒的な存在感のある野太い表現が聞かれる。じつはルース四重奏団のチェリストはシュタルケルだったりする。,
コダーイ:7つの小品op.11(1917~18)
◎フォルデス(p)(jecklin)(JP6001-2)1982放送音源(スイス)、1998年12月21日フォルデス生誕85周年記念盤CD 1913年ブダペスト生まれのアンドール・フォルデスは世界中を渡り歩いたピアニストだが、良く知られているようにバルトークと深い交流を持ち、モノラル時代にはその紹介者として数々の独奏曲を録音しスペシャリストとしての揺るぎ無い位置を占めていた。コダーイとも後年非常に近しかったといわれる。 8歳のときモーツアルトの協奏曲でデビュー、20歳フランツ・リスト国際コンペティションでドホナーニ(父)の生徒としては最高の賞を得、これを機に国際的な活躍が始まり、39年にはアメリカへわたる。各地で演奏活動を続け、そのまま47年には市民権を獲得、アメリカ国民となった。背景に本国の国情があったことは言うまでもない。戦後再びヨーロッパ各地を演奏してまわり、ヨーロッパで行ったことのない都市は一つもなかったといわれる。さらには南アメリカ、インド、オーストラリア、ニュージーランドそして日本にまで幾度にもわたり演奏旅行を行う。日本への6度目の演奏旅行のさい天皇が皇居に招待して私的演奏会を開いたこともある。殊更評価されていたドイツでは、長年の音楽的功績、ならびにボンにベートーヴェン・ホールを再建するさい、甚大な助力を行ったことにたいして騎士十字章が贈られている。賞といえばフランスでもいくつか受賞した。著書はオックスフォード出版から初版されてのち十四か国語に訳されている。とにかく凄いキャリアなのだ。1961年以降はチューリヒ近くに居を置き、92年2月9日に静かに息をひきとっている。20代より死にいたるまで居を据えることのなかった故郷ブダペストには、今も生家が保存され記念銘が記されている。アカデミーにはフォルデス記念館が建てられた。(以上ジャケットより抄訳)演奏面に移る。リストやラフマニノフの協奏曲なども録音しているがいずれも生真面目な解釈で、難しいパッセジをさらりと弾いてのける技術の確かさは聞き取れるものの、基本的に地味で慎ましやかなタッチは際立った印象をあたえない。バルトークも録音があるが、リヒテルなどを聞いてしまうとあまりに無個性に聞こえる。このひとは矢張り独奏曲だ。複雑な和音でも響かせかたが実に正確かつ明瞭で、打鍵は強すぎも弱すぎもせず、曲の流れにいささかの揺るぎもみせない。プロコフィエフとは異なりドゥビュッシー並みの響きの感覚が重視されるバルトークの独奏曲にあってこの人の占める位置というのは、いわばラヴェル演奏におけるペルルミュテール氏のようなところだ、といえば大体感じを掴んでいただけるだろうか(シャンドール氏はカサドゥシュの位置)。前置きが長くなったが、op11は人気がある曲だ。バルトークも2、4、6を録音している(HUNGAROTON)。コダーイの長いキャリアの中では初期の作品にあたり、ドゥビュッシーの甚大な影響を指摘されるが、内容的にはエリック・サティの単純性や後期スクリアビンの不協和音に似通った性質を持っている。いくつか民謡主題を用いており、フェデリコ”歌と踊り” モンポウやカロル”マズルカ”シマノフスキに非常に近い聴感だが(それらよりは幾分単純だけれども)こちらが先駆だろう。割れた硝子のように複雑な和音を、ごく単純な旋律線の上に、ぽつ、ぽつと並べたような曲構成。一曲めレントは後期スクリアビンふうの瞑想的前奏曲となっている。 2曲め「セーケイ族の民謡第1番」は同曲集のききどころで、素直な民謡主題を比較的モダンな響きで彩っている。ふとアイヴズ風の哀感を感じさせるところがある。3曲め巷に雨が降るごとく、4曲め墓銘碑はこの曲集の中心。中間部の緩やかな部分はサティ風だ。織り交ざる不可思議な響きを含めモンポウの作風に良く似ている。5曲めトランクイロ、6曲め「セーケイ族の民謡第2番」。終曲ルバートは悲劇的な響きを持ち、後半が凄い。フォルデスの演奏はサティを聴くように哀しい。もしくは夜中にモンポウを聴くが如く透明な感傷をのこす。明瞭な打鍵とペダリングのあとに残る澄んだ残響が、果てしなく哀しく、懐かしい。旋律の流れに固執するような重さが、全くもって排されているせいだろう。夜中にひとりきいて涙を流せるピアノ曲は少なくないが、これは曲想が素直なだけにいっそう傷ついた心に染み込みやすい性質を持つ。曲も傑作だし、演奏も完璧だ。,