リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMORIES他)1959/2/28live・CD

ミュンシュ唯一の記録であり、非正規ライヴ音源なりの状態の悪さであるが、情報量の確保されたステレオなので迫力が違い、解像度もそれなりにある。ライヴだから当然このスピードでミスが皆無とは言わないが恐るべきブラスの力量を見せつける、特に4楽章は圧巻である。リヒャルト・シュトラウスを語るのにまずもって金管しか語られず(一部コンマスソロなど役割を持つ弦楽ソリストも入るが)管弦楽の扱いがきわめて巧みといってもほとんど金管好きないし金管奏者、およびオペラ寄りの大曲好きしか話題にしようとしないのは一曲でも聴けばわかることで、せいぜいウィーン情緒をかもすフレーズ(モチーフ)や響きが弦、木管により担われるだけで、聴き映えがするのは決まってホルンが吠えトランペットがトレモロを吹くような部分ばかりだ。したがってブラスに圧倒的なメリットを持つアメリカオケに、ミュンシュのような強力な統率者が加わるだけで成功が約束されているようなものである。私のようにたとえ表題があったとしても「交響曲」である以上中核には抽象的なものが存在してほしい向きは退屈さと腑に落ちなさで二度と聴かない類の曲である(明確な内容の対比を示す四楽章から構成されているとはいえ、どう聴いても同じムードに支配されつながった3部に終幕が加えられた長々しい「無歌詞オペラ」としか聴こえない)が、この演奏は奇跡的に最後まで聴けた。ミュンシュBSOコンビでもかなりコンディションの良かった演奏だと思う。強権的とすら感じられるミュンシュにはアルザスの血をも想起させる中欧的な色がしっかりあらわれている。ウィーン情緒的な部分はどうでもよい、中低音域の轟音は緩みない奔流を作り出し、超絶技巧を前に負けるわけないだろというブラス陣の底力も聞き取れる。

同じような調子が続くこの曲もアルプス交響曲もそうだがリヒャルト・シュトラウスにとって表題交響曲は型式的な交響曲ではなく表題をもつ拡大された交響詩であり、細かく配置された無数の具体的モチーフ同士が音の律動によって舞台上で演劇を繰り広げるものだ。この曲をそういった前知識なく聴くのはほかの短い曲より難しい。アルプスのように想像のしやすいダイナミックな気象を相手にしているのではなく、夫婦と子供という登場人物のおりなす生活の機微を大げさに増幅してやっている。しかしミュンシュ盤は前知識なく聴いても「わかる」だろう。その意味で稀なる演奏といえる。
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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMORIES他)1955/9/30live・CD

ブラスのパワー、弦の技術、指揮からくる集中力を求める曲にピッタリの組み合わせである。モノラルだが情報量はあるため、覇気溢れる演奏ぶりを堪能できる。リヒャルト・シュトラウスでもこの曲は別格だろうし、ミュンシュも適格だろう。

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

バーギン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMOLIES他)1957/2/15live・CD

モノラルの録音状態は悪いが、曲がミュンシュ向きで、ソロの高度な技巧(半音階を正確に取り続けなければならない!)はこのオケに向くし、比較的平穏で幸福感にみちた中からラストに向かっての覇気を取り戻す雰囲気づくりに指揮者の適性を感じる。しょうじき、ドンファンほどの圧のある曲ではないので、ウィーン情緒を割と薄い横の流れで聞かせていく場面が多いため、ミュンシュらしさが発揮されるところは少ないが、引っかかりなく聞き終えることができた。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」短縮版

シリングス指揮シュターツカペレ・ベルリン(polydor/hindenburg)1924ベルリン

ベルリン国立歌劇場管弦楽団の戦前録音でも最古の類ではないか。ardmoreのhindenburg盤ではノイズを適度に残してよくレストアしてある(削ると音がなくなる)。短縮版だがしらべてもちょっとわからないので、2トラック25分半とだけ記録しておく。悟りを開いたような出だしは良いがその後はリヒャルト・シュトラウス節で、ライトモチーフなど用いて原作の要素を散りばめてはいるものの、ほとんど物語仕立てというか、哲学の雰囲気はない。ベルリンのオケとは思えないメロメロのウィーン風の生温い音楽で、シリングスもそれほど引き締めの強い演奏にならないというか、この録音条件では大規模な曲はこれが限界の収め方なのだろう。悪くないが、印象には残らなかった。もっとも時代からするとすこぶる意思的か。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

カラヤン指揮ACO(RCO)1943/9live 放送・CD

戦中録音にしては音は良い。弦の懐かしく輝かしい音が印象的である。ウィーン風のポルタメントをまじえリヒャルト・シュトラウスに必要な音色感、物語性をよく浮き彫りにした覇気ある演奏となっている。楽想をはっきり描き分け変化を明瞭にした、というほど中身の伝わる録音ではないが、後年のカラヤンと同じは思えない、ぼわんとしたゴージャスな演奏よりも、トスカニーニらの集中度の高い演奏に近いが、それも立体感を犠牲にしてまで凝縮したものを目しているわけでもなく、リヒャルト・シュトラウス自身の指揮ほどの乾燥は全くなく、まっとうに聴かせる。最近不意にまたカラヤンの真実といった海外ドキュメンタリーをやったようだが、何十年も前、戦時を含むカラヤンの「音楽家としての側面」がいくつか時間をかけて放送されたことがある。この人はナチを「利用し」まだ若い才能をよく録音に残した。それが戦後とは違う、もちろん当時の巨匠には肩を並べられない没個性的な部分もあるかもしれないが、カンテルリ程度には十分の力があり、楽曲をよく研究し、オケを厳しく鍛えることのできた獅子であったことを確認できる。ストコフスキがベル研究所と長年研究をかさね、やっと非公式にではあるが世に出すことのできたステレオ録音に遅れること数年で、ストコフスキの横に平板な立体音を上回る精緻なステレオ正規録音を作り上げたのは、指揮者として、もちろん録音経験者としても何十年も先輩であったストコフスキーに対しプロイセンの力を国をかけて見せつける以上に、カラヤンの録音芸術に対する才覚を見せつけるものであった。それほど録音「操作」に積極的だったカラヤンの実像は、そういった飾りを取り去ったこのような放送録音で聴くところ、やはり、虚飾に塗れたものではない、実力者であったと思うのである。

リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲

フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(grammophon/m&a)1924?・CD

ヴァインガルトナーのベルリオーズが限界だろう、この時代に近現代の大曲録音は無謀。マーラーの復活の録音は奇跡的な方で、これは正直弦楽器(の録音)がひどく、リヒャルト・シュトラウスだから派手なブラス(それも録音的に高音が駄目なので中低音域)だけで何とかもたせられる場面は多いものの、音楽として楽しむにはなかなかにきつい。たとえばフレージングの工夫の痕跡は聴こえるが音としては化石化しているから、脳内クリーニングが必要。繰り返すがこの大編成で長時間の(長ったらしい)曲を大正時代に録音しようとしたのは無謀なのである。録音用に編成を絞ったとしても、エルガーくらいの周到さで、せめて電気録音になってからやったらよかったのに、と、ホルスト自作自演の惑星の録音(旧録だったか大編成に苦労し録音場所にも苦労してバルコニーから吹かせたり色々やったとか)の貧相さも思い出した。分厚さや音楽的な動きを求めない音響的表現では、マーラーの時代の作曲家の前衛性が引き立ち耳を惹く。カウベルなど、やっとアルプスに来た感じがするし、この時代の中欧の作曲家はよく登山をしたが、ブルックナーを思わせる霧のような低いトレモロも雰囲気がある。この楽団もよくわからないところがあり、奇矯なポルタメントで素晴らしい表現を見せつけたストラヴィンスキーの火の鳥に比べて、この曲の安定した用法に基づく古典的なポルタメントが下手なのはよくわからない。編成を大きくしすぎて朝顔前のバランスが崩れたのか。デロデロにやらない、時代のわりに即物的な指揮者なので、ほんと特徴も上げづらい。そつないというのも違うし、無難というか、当時としては先端的な音楽に取り組んでいたから変な工夫もしなかったこともあるだろうが、弱音に法悦的な魅力はあるものの、それが聴き取れるのもよっぽど耳がおかしくなってる(敏感になってる)のだろう。基本的に粘らないからリヒャルト・シュトラウスの原点たるワグナーぽさは全くないのだ。落雷描写あたりは太鼓とブラスが起伏を作るので、チョコマカ逃げ惑う弦楽器はちゃんと聴こえなくともそういう情けない物として認識できる。立体的と言えば立体的。牧歌的な世界に戻りオルガンの響きは懐かしくて良い。太い音が録音に向いているのだろう。しかしまあ、音量変化のない(捉えられていない)この曲は、もう、のんべんだらりとしているなあ。それにしても、リヒャルト・シュトラウスお得意のヴァイオリンの超高音ときたら、メロメロにも程があり、泣きたくなる。二本くらいしかいないんじゃないか。当時の今と確実に違う演奏様式すら、どうなのかわからないほどの音。オスカー・フリートは現代的だったから、わからないのが正しいのかもしれないが。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(rca/sony)1961/4/20・CD

オケの機能性を力強く打ち出した演奏で中欧的な音色を排した純粋な管弦楽の律動を聴かせている点が特筆すべき所。ボストン交響楽団にもトリッキーな動きがうまくハマらない近代曲の演奏はあるが、このトリッキーな装飾的音形の多発する、案外と絡みの「疎」な楽曲ではミュンシュの力かスコアの妙味か散漫にならず、かといってことさら凝縮することもなく、軟らかさや艶を出さないのは好悪あるとは思うがリヒャルト・シュトラウス嫌いの私は聴きやすかった。曲の演劇的な描写表現がよく浮き彫りにもなっている。まずまずのステレオ。ミュンシュはRCAにドン・キホーテもセッション録音しているほか、ライヴ音源として英雄の生涯、ドン・ファン、家庭交響曲(ステレオ)、死と変容、ドン・キホーテ、四つの歌曲(ゼーフリート)を残しており、MEMORIESが一気にまとめて廉価CD化した。

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リヒャルト・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」~ワルツ抜粋

ロジンスキ指揮クリーヴランド交響楽団(SLS/columbia)1940/12/14

SLS(CD-R)ではシカゴ響との酷いツァラliveの後に入っているのでじつにホッとする。音も相対的に良いし、クリーヴランドは安心して聴ける。ばらの騎士なんてワルツ抜粋しか演奏されない曲だが、そのワルツがじつにウィンナーワルツ風でかつリヒャルト・シュトラウスならではの現代的な色彩も加えられ、時代考証がおかしかろうが音楽が成り立っていればいいのだ、と聴衆にもえらく受けたという。ロジンスキーがヨーロッパではオペラなど得意としていたことも改めて思い出させてくれた。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

ロジンスキ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1947/11/21live

ロジンスキの短いシカゴ時代にあって、きわめて珍しいライヴ記録。尤もこのコンビでは同年RCAに同曲の正規セッション録音を残している。

だがしかし、これはダメだ。

ノイズが酷い。音が鄙びすぎている。もう、冒頭の放送開始音はともかく、その次の曲の開始を告げるファンファーレが、

非力過ぎる。

まるで田舎の角笛のようだ。夜道のチャルメラといったほうが適切か。こんな状態の代物を御子息が放出されるとは、まあ、何というか。録音のせいだけではないと思う。弦楽器主体の主部に入るとロジンスキの出自を物語るようなウィーン情緒溢れるフレージングが、あの冷たく、組合も聴衆もガチガチのシカゴオケから生温く引き出されてきて、こんな曲だったっけ?いや、リヒャルト・シュトラウスって結構こんな小洒落た曲書いてたよ!と、やっと人心地つく。その後は曲のせいもあってやや飽きつつも、音色がじつに時代を感じさせて、録音状態一つでこんなにも印象は変わるのか、いやこれは演奏自体が良いのだろう、という気分のまま尻すぼんで終わる。ロジンスキーのツァラをきくなら正規で。SLSでも復刻されています。大曲志向のロジンスキーはエレクトラも録音しています。その志向ゆえにシカゴから追い出されたとされてますね。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」


アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30

この時代のフランスの楽団が同時代中欧ものをやると明るく軽い感じがするのは録音用編成のちいささやSP特有の透明感からくるところもあるとは思うが、やっぱり楽団の特性はあるだろう。低音より中高音域が響きの中心となり、立体的に構築されたリヒャルト・シュトラウスの音楽を少し平板にしてしまう。流れで軽く聴き流すには良いが、録音の古さ(ノイズ)もあってそれを楽しむのは困難だと思った。アンゲルブレシュトには後年の構築的な音楽作りにつながるものは余り感じられない。そつなくまとめて(精度は高い)そのままやった、という感じで、この頃の少ないながらも遺されているほかの録音とくらべ、覇気もそんなに感じられない。敢えてこれを聴く意味は無いだろう。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」

○モントゥ指揮BPO(TOE他)1960/10/7live

ベルリン・フィル全盛期の香りをまだ残した時期にあって、全盛期の技術と魅力を遺憾なく引きずり出された名演。モントゥーの統率力のもと、絢爛たる管弦楽のかがやきをはなちながら、野太く重心の低い中欧的な音が交錯し、引き締まったアンサンブルが繰り広げられる。これだけの技巧的な曲でありながら一切ほつれがなく(コンマスソロの力強い表現なんてティルオイレンシュピーゲルが逃げ出すくらいじゃないか)、ボストン交響楽団かと思わせるような安定感がありながらも、あの小粒感というかオシゴト感は無い。どの音にも格段の厚みがあり、一期一会の緊張感もはらんでのことか、息を呑むような演奏になっている。前世紀的な意味における立体的な書法に向いているのかもしれない。世俗的なほうのヒンデミットも得意だった。惜しむらくは録音が篭っていて悪いこと。だからなおさらいかにもベルリンの音っぽく聴こえるのか?

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

◎トスカニーニ指揮NBC交響楽団(PRSC)1950/3/25Studio8H放送live

初期リヒャルトにトスカニーニNBCときてライブとあれば◎以外にしようがない。ここぞとやりまくるオケ、ドライブしまくる指揮者、曲は陰りよりも明るさをひたすら振り撒き、一点の隙もない。ブラヴォが飛ぶ。◎。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団?(DA:CD-R)1937/3/21live

聴衆反応は悪いがロジンスキの近代、特にこのての曲に外れは無い。クーセヴィツキーに似た、でももっと論理的に整理し設計したうえでの厳しい訓練・・・「締め付け」が筋肉質の快感を呼ぶ。オケがNYPに似た濁った力感を発揮しているのは印象的。録音はいつもどおり悪い。○。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「死と変容」

○チェリビダッケ指揮フランス国立放送管弦楽団(RARE MOTH:CD-R他)1973/12/23パリLIVEチェリとフランス放送管の最初のコンサート・ライヴだそうで、聴衆の熱狂が物凄い。オケも緊張感が漲り、録音状態を除けば条件は万全である。そう、録音状態を除けば。これが音盤としてのかなりのマイナスとなる。音が悪い。雑音は物凄く多いというわけではないのだが、やや不安定で聞きにくいタイプの悪さだ。それを押して聞こうとすると、かなり凄いものが聞こえてくる。チェリの響きは臭みが無くしなやかで美しい。こういう曲では抜群の巧さを発揮するが、透明感がありすぎて、もっと汗の飛び散るような凄演がいい、という人もいるとは思う。私はそうでもなく寧ろこういうほうが末流ロマン派の音楽の解釈としてはスッキリして好きなので楽しめた。明るく前向き過ぎるという感もなきにしも非ずだが、豊饒な響き、恍惚の終演部は必聴。最後の凄まじいブラウ゛ォと拍手の渦には少しびっくり。,

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル(GNP:CD-R/MEMORIES)1993/5/16LIVE私はアタマで考える音楽というのが昔から苦手で、劇音楽や文学的背景を持つ交響詩などというものは避けてきた。直感的に捉えられる音楽のほうがラクです。この曲もモチーフひとつひとつの意味を考えながら聴けばわかりやすいのだろうと思うが、私にはそんな意思はさらさらない。よって、この盤聞いても・・わけわからない(泣)。複雑に入り組んだ南欧の庭園に迷い込んだようだ。楽器の用法はマーラーに近いし、ヤリクチはまるでワグナーだが、肝心のモチーフ自体にそれほど力を感じない。クライバーの全体設計は明瞭だが、曲自体の魅力を引き出すたぐいの演奏ではない感じがした。引き締ってやる気のある演奏ではあるのだが・・・無印。終演後、戸惑ったような拍手がぱらぱら。暫くして盛大になるが、「英雄の生涯」演奏史から見ても正直あまりいい出来ではないのか、これ?あいにく私には判断する基準が無い。,

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

◎チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(SARDANA:CD-R)LIVEぐおっキレイだ!!これはぐっと来た。個人的には今まで聞いた同曲の演奏の中ではいちばん聴き易い。力んだ演奏を施すと高音域の手薄なオーケストレーションがあからさまにされてしまい却って興を削ぐが、このように計算し尽くされた注意深い演奏を施すとじつに雄弁に且つ偉大にひびく。目からウロコが落ちた。こんなに充実した曲だったんだ。下手にウィーン風でないのもいい。これはチェリの名演に数えていいだろう。とにかく、感動した。◎。録音が安定しているのもある。,

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

クレンペラー指揮トリノ・イタリア放送交響楽団(CETRA)1956/12/17LIVE・LP録音がやや悪い。やけに淡彩の演奏である。音が柔らかく、クレンペラーとは思えない柔和さが感じられる。ウィットに富むとまでは行かないが、軽くさらっとした肌触りである。簡単に聞けてしまうので、いささかひっかかりが無さ過ぎるというか、印象に残りにくい。でも、クレンペラーの隠れた一面を伺うことのできる不思議な演奏だ。無印。,

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

○ガウク指揮ボリショイ歌劇場交響楽団(MELODIYA)LPオケ名はおそらく、ということで。ある種古典的な佇まいを見せる音楽だが、主人公の奇行を象徴する高音の短いモチーフなどに聞こえる尖鋭な響きが近代的な聴感をもたらしている。ガウクは勿論軽妙に、この人らしく豪放に、時には慈しむように表現している。古い録音のためソロヴァイオリンの音色などやや鄙びて聞こえるが、これは仕方無いところだろう。悩みの無い明るい音楽であり、ロシアオケにやらせると余りにあけすけで恥ずかしくなる部分も多々あるが、地力の強い意外と聞ける演奏になっている。オケの機能性が意外と高いので、まんべんなく各パートが極めて技巧的なフレーズの応酬を繰り広げるこれほどの難曲であっても、それほど無理している感じはしない。ただ、同曲に「正しい演奏」で親しんできた向きは、独特のケレン味というかアクの強さに強い違和感を感じるだろう(但しアクが強いとは言っても万人にバーンと個性を叩き付けるほどの力は感じない)。ライヴ演奏と聴きまごうような雑味もモノともしない強引さがあり、この曲に親しんだマニアが面白がって聴くたぐいの珍盤である。ブラスはさすが強靭だ(ホルンはそれほどでもないが)。個性と押しの強さを買って○ひとつ。,

リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲

ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LPオケ名違うかもしれないがキリル文字よくわからないので分かる部分で推測しました、予め。いくつかの代表的な交響詩を仕上げたあと20世紀の初頭に作曲された極めて個人的な作品で、家庭内の出来事を描写、献呈先も妻子。私はリヒャルトが苦手なクチなのだが、この曲は割合と聞き易いし短いので相対的には好きな部類に入る。だがドン・ファンやティルの才気煥発で神がかっていた頃に比べると割合と保守的で旋律(モチーフ)にもそれほど強い魅力は感じない。そのせいかもしれないがガウクのこの演奏も余りぱっとしない。乱暴で粗雑、と言うほど酷くはないがロシアもので発揮される爆演王たる部分が退色し、こじんまりとまとまってしまっている。響きが案外薄いのは曲のせいもあるがオケにややバラケがあるせいかもしれない。勿論ロシアオケの強靭なブラス陣は下品なほどに吹きまくってくれているが、強音を出すことに専念しすぎて外したり狂ったりしているところも目立つ。大活躍のホルンは力強く巧いし、ロシアオケの長所短所が不思議な演奏に結実しているといった感じだ。ひとつひとつのモチーフがそれほど明瞭に描き上げられていないため、個々の役割がわかりにくくなっている。ウィーン情緒溢れる音色の求められるヴァイオリンソロなど、それなりに赤銅のような艶が出ていてこれは出色だが、全体的に「交響詩」としての一貫性が足りないというか、設計が悪いというか。部分部分は素晴らしいが全体として不格好、というのはロシアの指揮者特有の病かもしれないが(その点コンドラシンやムラヴィンスキーは別格)、まあ、聴きとおせば「病」というまでもないか。無印。ティルとのカップリング。,

リヒャルト・シュトラウス:皇紀2600年祝典音楽~部分

ヘルムート・フェルマー指揮紀元2600年泰祝交響楽団(NHKSO)1940/12/7,8(来賓用初演),14,15(公開初演)歌舞伎座live?・LP

紀元2600年泰祝楽曲発表会LIVE 皇紀2600年記念録音盤。言うまでもなく戦前各国の著名作曲家に依属した祝典用楽曲のこれはひとつである。リヒャルトの華麗なオーケストレーションがだいなしな録音で、正直何がなんだかわからないが、よーーーーく耳を澄ませるとリヒャルト節が聞こえてくる気がするブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムの項でこの楽曲の初演時のことを書いているのでよろしければご覧になって下さい。評価不能、無印。オケはN響の前身新響を母体として新たに組織されたもの。 2600年記念にプレスされたSPはリヒャルト自身の指揮によるものだった。

なお、webにて聴ける同一メンバーによる全曲録音(COLUMBIAのSP、近年ラジオ放送された模様)は18,19日に放送用に録音されたものでNHKホールにて行われたという情報あり。ローム、altusでCD化。本LPは他の曲(いずれも抜粋)についても同じデータを記載しており、わざわざ別録されたとは思えず、同じ音源の抜粋の可能性がある。

R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

○マーツァル指揮NYP(DA:CD-R)1976/1/1LIVE

表面的で浅いがステレオ的な拡がりの十全な録音で正規録音と言っても通用するレベルだ。演奏は中庸で表現は軟らかい。沈潜する明るさが曲の田舎臭さを浮き彫りにする。楽器の音は単色で管弦楽法にのっとった色彩感のみであるが繊細なまでに再現され美しいことは美しい。○。

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

○コンドラシン指揮ロス・フィル(HarvestClassics:CD-R)1981/2/22live

コンドラシンのドライで表面的な派手さを兼ね備えた音楽がアメリカオケの浅い響きと悪い方向にシンクロして前半は余りノれない。この時期に時々あった状態であり、コンドラシンの海賊盤でも余り人気がない時期であることがうなづける。ヴァイオリンのソリストがめっぽう巧いが、それ含めて表層的で乾いている。ただ、徐々にかつてのマーラー録音を思わせるボリュームが出てきて、湿度が上がっていく。オケもマーラーは相性のいいゆえ似合っているようだ。響きにまろやかさが加わるものの、途中からステレオ録音(エアチェックだろう)の左の音量が落ちバランスが崩れる。しかし、ロシア式のブラスのぶっぱなしがアメリカオケのブラスの強靭ぶりを引き出し、圧倒的な表現から静かにおさまるフィナーレのさまは、余情はないが、まあまあいける。個人的に無印でもいいと思ったが、演奏的には○だろう。録音もまあ、エアチェックものにしては比較的評価できるものだろう。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

○バルビローリ指揮LSO(EMI)1969/9・CD

生涯の最後近くに何という曲を録音しているんだかと思わせるものがあるが、最初は弛緩した発音の、鈍重な解釈という感が強くするものの(といってもドイツふうの鈍重ではなく、ブラスが大きい他は木弦が明るく柔らかい音でぼやっと包み込む感じ)、ソロ楽器が活躍するようになってくるとロンドンオケの面目躍如たるところが出てくる。恍惚的というか涅槃性、更に次第にマーラーを聴いているような、ゆったりと大きく情緒的な表現がバルビらしさを感じさせるようになってきて、この曲の本質以上のものを引き出してきている感を強くする。非常にスケールの大きい、しかし楽天性のもとにゆったりとした演奏。バルビ晩年のスタジオ録音らしさは好悪分かつだろうが、曲がダイナミックな曲だけにこういう柔らかい演奏は逆に耳を惹く。○。


リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SCORA)1958/5/27モスクワlive・CD

オケの力量を見せ付けるためだけの曲ドン・ファン。そしてここでもまさに西側最高の威力と言われるオケがどこまでできるのかが、これでもかと示されている。細くてまとまりにくい技巧的フレーズすら全てきちんとザッツが揃っている。それだけでも奇跡的なのだが、とにかく変に娯楽的でも妙にしかめっつらでもなく、かなり純音楽的な感興をあたえるのが面白い。勿論実演は娯楽的だったかもしれないが、好悪はあるだろうけど、オーマンディがモスクワでとっているスタンスを象徴しているなあと思った。好演。

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

○カイルベルト指揮バンベルク交響楽団(DA:CD-R)1960年代前半放送live

この曲は冒頭と最後の荘厳なファンファーレとその間のひたすら長ったらしいウィーンぬるま湯音楽の格差が激しすぎて、まあどっちも確かに気持ちはいいのだけれども正直リヒャルト適性がないと聞きとおすのは難しいかもしれない。カイルベルトは上手いのはわかるのだが、中間部の魅力という点ではイマイチかもしれない。中間部は思いっきりぬるま湯にしないと。いいステレオ録音。○。

リヒャルト・シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら

○ロスバウド指揮ORTF(VIBRATO:CD-R)1954/12/6live

なかなか名演だ。リヒャルトがもしロスバウトの演奏を聴いていたらきっとはたと膝を打ったことだろう。エッジの立った明確な発音で組み立てられる音楽は完璧な技術に拍車をかけるドライヴ感にいささかの弛緩もなく、構造的に完璧にひびく、ああこれはモノラルなのが惜しい。ロスバウトの並ならぬテクニックと解釈のかっこよさの出た演奏であり、リヒャルトが面白くないと思う私みたいな人はきっとこういうので聴けば「リヒャルトの弱さ浅さ」がまったく気にならずに聞きとおせるでしょう、全く録音だけが問題だ。ダビングミスで薄く他のトラックが混ざってきこえる(ありえない・・・)。オケの音が冷たすぎないのもメリット。○。

リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌

◎シュヴァルツコップ(Sp)バルビローリ指揮ロンドン交響楽団(vibrato:CD-R)1969/9/28live

いまさらケミカルのStarGuitarを聴いたりm-floのベスト(こりゃいいです)聴いたりと無茶苦茶な音楽生活なわけだが・・・それでハウスマンの詩を訳したりしている・・・、楽器のほうはイベールやメシアンやマーラー、バッハなどこれまた無茶苦茶である。で、いきなり思いつきで滅多に聴かないリヒャルトなど聴いてみたりする。コントラストで心地いい。命と季節のうつろいにまなざした1曲目「春」2曲目「9月」に顕著な恍惚感・・・浮遊感のある生ぬるく明るい和声展開はワグナーより派生したリヒャルト独自のもので、同時代に幾多の追随者を生んだ。しかしリヒャルトにはどうしても量産家としての宿命、「消費者サービス」の過剰さがつきまとう。だから大衆におもねったような巨大な歌劇などはなかなか聴く気になれないし、初期から最盛期以外の作品がこの曲のようなものを除き余り現在俯瞰的に演奏されないのもわかる気がする。この曲のように小さな曲は端的に作曲家本来の姿を示してくれるのでわかりやすく、感情移入もしやすい・・・短い曲に慣れた現代の大衆音楽好きには。人気もわかる。リヒャルトがプロフェッショナルとしての能力技能を見せ付けることや世事の喧騒に巻き込まれることから離れて、もはや音楽的冒険なども意識しなくてもよく、名声も望むべくも無い晩年の末(1948)の作品、そこには先鋭さより素直で穏やかな感情があらわれ、ワグナーからの影響もてらいなく披露し、戦後になって初めてマーラーに接近したような諦念と陶酔の世界が展開・・・2曲目「9月」以降あきらかにマーラーの同時代者としての直接的感傷(意図しているようにも聞こえる)を掻き立てられる。暗示的な3曲目「眠りにつくとき」の古風な穏やかさから、圧倒的に終曲「夕映えの中で」が感動的であり、これはこの歌曲集で最初に着想され作曲されたものだが、非常に長い穏やかで美しい後奏にマーラーの終楽章・・・「千人」終盤の雰囲気の中に「大地の歌」告別のテーゼが織り込まれたようなもの・・・を連想するなというほうが無理な話だ。歌劇の終幕のように壮大でいながら歌詞は死を示唆しており、それは断ち切れた死ではなく薄く明るく消え行く死の一種の理想形である。このバルビとシュヴァルツコップによる「絶唱」は、バルビがなぜリヒャルトをそれほど録音しなかったのかわからないくらいの名演である。バルビは晩年様式に依っており、イギリス的な清浄で明るい響きを柔軟に操り透明感のある巨大な音楽を波打たせ、シュヴァルツコップは波頭に立つ海の女神のように崇高な声を解き放つ。ロマンティックであるにもかかわらず生臭くないのはバルビ特有の表現だが、ペシミスティックにならず満ち足りた表情をとるべき曲である、バルビにマッチした選曲でもあるのだ。穏やかで感情を抑制したシュヴァルツコップの表現もまたバルビの世界観と一致している。音楽のゆったりと波打つさまにただ漂いながら、時折不安な和声に心揺らしつつも、ただ消え行くことに身を委ねる・・・これはねえ・・・なぜ正規化しない?◎。

(なぜかメゾソプラノと表記してました、すいません)

ソプラノ歌手のシュワルツコップさん死去
 オーストリア通信などによると、1970年代に引退するまでマリア・カラスらと並び20世紀の最も偉大なソプラノ歌手の1人とされたエリーザベト・シュワルツコップさんが3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去した。90歳。死因は不明。

 15年12月、現ポーランドのヤロチン生まれ。ベルリンの音楽学校で才能を見いだされ、38年にベルリンでオペラ歌手としてデビューした。

 モーツァルトなどのオペラを得意とし、ウィーン国立歌劇場などで活躍。カラヤンやフルトベングラーといった名指揮者たちと共演し、ザルツブルク音楽祭といった欧州を代表する音楽イベントにも出演した。

 引退後、かつてナチスに関与した過去を認めたが、歌手生活を続けるためだった、などとしていた。

(2006/8/4 ニッカンスポーツより)

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リヒャルト・シュトラウス:ばらの騎士組曲


○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(IMP,BBC)1969/8/9プロムスLIVE・CD

この曲を得意としたバルビだがこの異様な熱気に包まれたライヴでは殊更熱が入っているようだ。晩年ゆえ激しいというほどでもないがスタジオとは比べ物にならない躍動感と覇気に満ちている。名前を伏せて聞かせたらケンペのようなリヒャルト指揮者と勘違いする人もいるかもしれない。バルビを下手な指揮者だと認識している人がいたらライヴでリヒャルトの錯綜した音楽をこれだけ精妙にまとめることのできる指揮者、しかもハレ管という楽器としてはいささかランクの落ちる楽団を使ってここまで表現しきることができる指揮者ということで認識を改めるかもしれない。拍手が終演を待たずに入ってくる熱演(といってもテンション芸ではなく品を保ったとてもタノシイ演奏である)。○。
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