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リャプノフ:交響曲第2番

◎ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA/BMG)1950/12/28・CD初演直後のスタジオ録音とのこと。これの初演をスヴェトラーノフとしているものがあるが、年代からスヴェトラーノフは若すぎるし、ムラヴィンスキーが発掘初演したと考えるのが妥当だろう。ロシア革命の年に国民楽派への熱い想いを込めて1年をかけて作曲されたというリャプ2だが、ムラヴィンスキーで聞くとまた趣が違う。ここには非常に目の詰まったぎゅっと凝縮された音楽があり、録音に難はあるものの、とくに弦楽器のめまぐるしい動きがほぼ完璧に表現し切られていることに驚かされる。あまり弦楽器の特性を考慮しないピアニスト作曲家の典型のようなところがあるのだが、レニフィルの弦奏者は部分的には多少必死さが出てはいるものの凄まじい技巧を駆使してトリッキーな場面を乗り切っている。ヴァイオリンが薄く聞こえるなど音響的な不格好さは悪い録音のせいだろう。スタジオ録音と言いながらぷつぷつ雑音が最初から入っているし、30年代の録音のようなセピア色のモノラル録音は返す返すも残念だ。速い速度で颯爽と飛ばすムラヴィンスキーの解釈は膨張しがちな曲をシェイプアップして構造的な面白さを浮き彫りにしている。こういうきちんと弾き切った演奏で聞くと、楽曲の特異性がよくわかる。これはロシア国民楽派の皮を被った世紀末音楽であり、根底にはあきらかに長大なワグナー作品への憧憬が存在している。それゆえしばしば民族音楽的な要素を覆い隠すように半音階的で生ぬるい黄昏時のようなパッセージが鳴り響く。ディーリアスが好きな人は案外聞き込めるかもしれない。多様な、雑多な要素をごっちゃに混ぜ込んで作り上げられたきわめて20世紀的な交響曲と言える。ムラヴィンスキーのシャープな指揮ですっきり聴きましょう。これを◎にしない手はない。凄演。 ,
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リャプノフ:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮フランス放送フィル管弦楽団(naive,INA)1998/11/27LIVEこの曲は1917年に作曲されたが初演は34年後ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによって行われた。五人組やチャイコフスキーの流れを汲みそこに「世紀末音楽」要素(ワグナーを始祖としリムスキーやスクリアビンによって「翻案」された爛熟スタイル)をふんだんに、しかしとてもスマートに取り込んだこの曲は、今でこそリャプノフ畢生の大作とされるが、革命前後の混乱期には受け容れられ難かったのだろう。じっさい聴いてみると(とくにこの盤が外様の明るいオケによるものであるせいもあるが)タネーエフらに学んだ民族的なものよりも、グリエールの「イリヤ・ムーロメッツ」(1909-11)に近いグローバルな流れに沿った末流ロマン派的なものを強く感じる。西欧かぶれの急先鋒スクリアビンの「法悦の詩」の初演が1908年のことだから、グリエールにしろリャプノフにしろその世紀末スタイルに何らかの影響を受けている可能性がある。1859年生まれだから完全に過渡期の作曲家にあたるわけだが(リムスキーが44年生まれ、グラズノフが65年、スクリアビンが72年生まれ)、聴感は新しく、しっかり灰汁抜きされたようなすっきりした響きが支配的で、クセが無いのが癖とも言えそうだが、速い楽章、ここでは2楽章アレグロ・ヴィバーチェなど、リズムが軽やかで浮き立っていて、他に類例の無い作風でなかなか個性的である。ボロディン=リムスキー風のエキゾチシズムに基づいてはいるが更にいっそう洗練された感じで、個性が嫌味にならないのはリャプノフの特質である。それを没個性ととる向きもあるかもしれないが、全体を支配する何か「うすーい」色彩は逆説的に強い個性の発露としてもいいと思う。勿論1楽章など劇的なチャイ4の1楽章とボロディン2番の1楽章の剽窃のような場面が多々あるし、決して国民楽派の流れから外れているわけではない。この演奏はかなりゆったりとした時間が流れスヴェトラーノフ晩年の境地を窺わせる。曲自体がそういう解釈に向いているのか、とても気持ちがよく、のんびり浸りきってしまう。それは「飽き」スレスレなところで、じっさい私も23分におよぶ1楽章などちょっと欠伸が出た(メロディヤ録音では19分)がそれはマイナスなことだとは思わない。スークのアスラエル交響曲やブロッホのイスラエル交響曲の盤に通じる一種透明感があり、自然な流れの中に壮大なスケール感が感じられるのも共通するものだ。ここではフランスのオケにもかかわらずロシア流儀の輪郭のはっきりした演奏に仕上がっているのも着目すべきところで、ペットのあからさまなロシア吹きはかつてのスヴェトラーノフのアクの強い音楽を思い出させてくれる。かといってがっしり骨太の演奏というわけではなく、絶妙のバランスを保ったすこぶる耳障りのよい演奏だ。演奏精度は非常に高く、フランスオケらしくない。ライヴでこれとは、なかなか巧いオケと評すべきだろう。音色はやや軽いが、曲との相性はいい。終演後の壮絶なブラヴォーに感慨をおぼえる。こういう反応を引き起こす指揮者はもういなくなってしまった。,

リャプノフ:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1969LIVE新録音の印象を前に書いた。さて、ロシアオケによる旧録である。聴きとおして思った。・・・これ、あきらかにボロディンです。前はワグナー系の音楽という印象が強かったのだが、このかなり充実したロシアオケでのライヴを聴く限りは、実直なほど国民楽派、それもボロディンに依っており、書法的にはグラズノフの後期交響曲の影響も明瞭に感じられる。こちらから先に聞けば国民楽派の末裔リャプノフのイメージしか残らなかったろう。形式的にも肥大傾向にはあるがしっかりしており、前記のスクリアビン云々の影響はハッキリ言ってまったく感じられない。せいぜい緩徐楽章の3楽章にワグナー的な法悦性がわずかに汲み取られるくらいで、でも和声的には全く冒険がないから更に薄い感じもする。清澄な単純な響きを指向する点はリャプノフの個性として認識できるし、そこに現代性が感じられるから全てがたとえばバラキレフのような古臭い国民楽派に倣ったものではないと言い切れるが、ちょっと私は買い被りすぎていた。スヴェトラーノフの力感溢れる表現はライヴにも関わらず弛緩もなく水際立っている。非常に集中力が高い。弦楽器などかなり巧緻だ。そこで救われているとも言えるかもしれない。拍手はふつう。○。リムスキーの影響もそういえば殆ど感じられなかった・・・不思議なもんだ。ソヴィエト・アカデミック交響楽団という名義になっている。,

リャプノフ:交響曲第1番

スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(MELODIYA)1986live~ロシア国民楽派の流れを汲み、バラキレフの直系にあたる作曲家だ。この曲はボロディン的な部分とバラキレフ的な部分がある。特徴的なところはでろでろのロシア節にもかかわらず、常に清潔な趣を持っているところだ。これはスヴェトラーノフ・ロシアの好演に依るところも大きい。グラズノフなどと比べてあきらかに聞きおとりのする、没個性なところは好悪分かつだろうが、全体的に気持ち良く聴ける曲である。,

リャプノフ:交響曲第1番

ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

ステレオ。だが・・・ステレオだからこそ、グズグズの演奏ぶりが露骨に聴こえてしまう。曲はリムスキーやボロディンの気配もするがおおむねグラズノフ風の渋いものであり、長々しく非構造的で余り上手ではない感のある楽曲になっており、演奏者が如何に料理するかで印象が大きく変わるたぐいのものだが、とにかく木管を中心としてオケの統率がなっておらず、音程すら悪く感じられ、どうにも聞いていられない箇所が多い。無印。

リャプノフ:交響詩「ジェラゾーヴァ・ヴォーラ」

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

ステレオ。リムスキー風のオリエンタルな曲で、極めて色彩的で単線的な取り止めの無いところがいかにもシェヘラザードを彷彿とさせる。表面的な幻想性の強いムードに対してガウクはフランスものやレスピーギで見せた意外と適性あるところを見せていて、美しくもわくわくさせるような楽しい演奏にまとめている。作品的には凡作だが、○。
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