ミヨー:ピアノ協奏曲第1番

ドワイヤン(P)ミュンシュ指揮ORTF(ina)1966/11/22live(1966/12/4放送)

ina配信でもAmazonデジタル等でも聴取可能。ミュンシュはこの時代の指揮者としてはミヨーを振った方で、ドワイヤンも腕は確かだが、にもかかわらずこの演奏の失敗はオケが全くついていけなかった点にある。簡潔な書法を旨とする新古典主義に立ちながら、複調性であったりポリリズムであったり瓦解しやすい要素を盛り込んでくるゆえまとめるのが難しいミヨーが、それでも一番わかりやすい小交響曲系の、短く牧歌的で耳易い楽曲として、ロン御大による素晴らしい記録以降演目にも上がりやすかったこの曲(実際ミヨーのピアノ協奏曲では唯一録音が複数手に入る曲ではないか)。難しさは一楽章既に各声部がバラバラになりそうなところで感じ取れる。これはドワイヤンのテンポ感がやや安定しない、ミュンシュも何故か取り纏める力が弱く空回りする、そのうえで、オケのソロ楽器やセクション毎に出来不出来があまりに違いすぎる。三楽章も込で言うとミヨーの無理な高音域の無理な音符の詰め込み方など色々あるだろうが、これは吹けなさすぎだろう、というピッコロ等、一方でホルンなど立派に吹いており、弦ははっきり言って曲慣れしていなさすぎ。ミュンシュなら力づくで押し通せそうなものだが、アントルモンと作曲家が再録したもの同様、やはりテンポを落としてキッチリまとめていかないと瓦解する曲なのかもしれない、ライヴにはとても向かないのではと思わせる。二楽章は晦渋さも寸止めの叙情味で気を落ち着かせてくれるが不安感は拭えない。と、三楽章、何と物凄いテンポで煽り始めるミュンシュ!もうオケは狂乱状態というか、ある程度は理知的に構築されていないとミヨーの当時として冒険的な響きの良さは出ないので(翻ってこれに比べれば一楽章はWW1前の猥雑で世俗的な旋律やサティ的な和声など聴きやすい要素が耳を和ませるところもあるから良い)、みっちり詰まった響きを持つ曲なら総体的に押し通せるからともかく、空気の通るような簡潔な曲の各声部の出来がバラバラでは押し通すこともできずきつい。ソリストは攻撃的で指も確かなのでやはりバックが惜しいのである。無理矢理のフィナーレ後、いくらカリスマのミュンシュであっても拍手には戸惑いが感じられ、ピアニストに対してであろうブラヴォが少しずつ混ざってはいくが、六人組時代の単純な曲と最盛期を過ぎた職人的な曲以外ミヨーが全般としてあまり演奏されないのもわかる気がする。カルテットの譜面をわりと持っているが、一本で弾くと素晴らしいメロディなのに四本で合奏すると調性もリズムも合わずとんでもなく聴きづらくなるものが幾つもあった。
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ミヨー:戦没者への頌歌(オード)

作曲家指揮ORTF(ina配信)1966/9/15放送

同曲の録音が別日で配信されているが別のものと思われる。印象はそちらと同じで、録音状態はやや籠もって良くはなく、指揮ぶりも地味で(曲の性格上あたりまえだが)、ただ晩期ミヨーに特徴的な、マンネリな構成要素が最後に向かってしっかり盛り上がるように用いられ、演奏も盛り上がりを作り上げ、客席反応も穏やかに普通のものとなっている。

ミヨー:秋op.115~Ⅱ.アルファマ

ロン(P)(columbia/cascavelle)1935/5/10・CD

ミヨーは季節を題名とした作品を複数ジャンルに書いているが、春を扱うものが多くピアノ曲でも春だけで二集の曲集を書いている。言うまでもなくエクサンプロヴァンスのユダヤ人集落に生まれた出自から楽天的でこだわらない性格により、牧歌的作品を量産したわけで、しかしこの録音の三年前に作曲された時期はけして体調的にも思わしい状況にいたわけでもなく、牧歌風のフレーズも、らしくない沢山の音で飾られている。これは三曲からなる小品集の中間にあたり、さほど個性を発揮せず新しい工夫のないかわり、華々しい効果を与えるピースとなっている。ロンはタッチをヴィルトーゾ風に変え、もっともヴィルトーゾのやる曲ほどの音数は無いのだが、この曲はこうやるのだと言わんばかりに弾ききっている。

ミヨー:ブラジルのソーダード~ⅩⅡ.パイサンドゥ

ロン(P)(columbia/cascavelle)1935/5/10・CD

クローデルの秘書としてブラジルに逃れた時期、当地の音楽に強く影響されて書いた作品として有名で吹奏楽などでも演奏されるが、ミヨーのピアノ独奏曲はサティの音符の少ない簡潔な音楽の影響があるせいか、独特の孤独感や抽象的な雰囲気が出て良い。ブラジルの思い出、ブラジルの郷愁などと訳されることも多いが、各地方の名前を題名にもつ。これは終曲にあたる。タンゴのリズムにのって、でもブラジル的なラテンの明るさはなく、孤独な響きのステップが踏まれていくうちに、別の音楽によって断絶し交錯し、まさにミヨー独自の複調、というか複数の異なる雰囲気を持つ音楽との簡潔な邂逅をへて、ステップを止める。短い中にもミヨー、そしてミヨーのピアノ曲の一種「高潔さ」のあらわれた曲である。単なる翻案ではなくミヨーの作風にブラジルが取り込まれたのだ。ロンは難なく弾き通す。旅先のミヨーの孤独を適切な表現で示している。ロンは他にも録音があったのではないか。

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ミヨー:ピアノ協奏曲第1番

ロン(P)作曲家指揮ORTF?(columbia/cascavelle/pearl他)1935/4/5・CD

被献呈者と作曲家による骨董記録だが、今聞いてもやっぱりこの曲の決定版。一楽章は録音のせいもあって少しまだのりきっていないが、二楽章は前衛性がパリのオシャレな洗練により後年の作品より晦渋にならずに済んで、ロンだから硝子のような響きが、六人組の世俗性より、ミヨーもわりと仲の良かったラヴェルに近い仄かな感傷を燻らせる。何より派手に始まる三楽章のロンの大御所たる表現力、曲がじつに簡潔に上手く出来ている、そこにきてタッチの確かさとスピード。重すぎず大風呂敷すぎず、これぞフランスのピアニズム。これに尽きる(その盛り上がりはまさに新古典主義!)。作風がミヨー得意のプロヴァンス風の牧歌的な旋律で曇りのないもので、全三楽章でも15分もかからないから初心者にもわかりやすい。細部が聴こえないゆえ一部技巧に陰りがあるように聴こえるかもしれないが、この曲だから弾けないはずはない。錯覚だろう。pearlのほうが音が聴きやすかった覚えがある。自作自演新録はアントルモンだが作曲家も年を取りアントルモンも芸風が芸風なので熱量とスピードは劣る。オケは聴き劣りしない。オケ名は原盤にちゃんと書いていないようでまちまちだが、まだ設立されてなくてもまあ書いてある通り、ということでハテナ付きで。

ミヨー:エクスの謝肉祭

ベロフ(P)プレートル指揮モンテカルロ・フィル(EMI/warner,icon)CD

プレートルの名を上げたモンテカルロとの録音の一つだが、響きの美しさとしなやかで高精度な演奏ぶりが一種勢いとも結びついて、かえって曲の底浅さを感じさせる「無害な小品集」の印象を強くする。ソリストも完璧。私は単にフランスの田舎音楽としてしか楽しめなかった。

ミヨー:合唱交響曲「地には平和を」

ピータース(Ca)キリコ(B)作曲家指揮ORTF他(ina配信)1967/11/8live(11/30放送)

「交響曲」と銘打ってはいるが他の作曲家の作品同様、長大な合唱曲に過ぎない。ミヨーの個性はほとんど立ってこず、沈痛な雰囲気も中途半端で、第二次世界大戦の犠牲者に捧げるためにしつらえられた無難な音楽として聴ける。どうにもつかみどころがなく、盛り上がりも設計もなく、歌詞がわからないのでそれ以上の感想を述べることができない。ミヨーコレクター向き。一般には不要。拍手はしっかり。

ミヨー:戦没者への頌歌(オード)

作曲家指揮ORTF(ina配信)1967/11/8live(11/30放送)

ミヨーはオードと呼ばれる作品をいくつか書いているが、これは第二次世界大戦戦没者のための二作品のコンサートの後半に演奏されたもの。純器楽作品であり17分4秒という中編である。もちろん日寄った後の職人的な作風によるが、頌歌のわりに牧歌的な(懐古的な)フレーズも交え比較的起伏に富み、自身の交響曲を思わせる。ミヨーの指揮はまあまあうまくやっている。終わり方がまるでアイヴズ2番で、いきなり不協和音で断ち切れて客席も戸惑い気味の拍手だが、ブーイングは出ない。

ミヨー:2台のピアノと管弦楽のための協奏曲第1番

ジョワ、ロビン(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1972/1/31放送

最近思うところがあって聴いてないが、アイヴズを聴く私は「音の洪水」が好きである。音の奔流に有無を言わさず押し流されていくところに岩があって必死でしがみつく。洪水には秩序が無い。ミヨーをよく聴くのもそういう側面がある。アイヴズにせよミヨーにせよある程度独自の方法論に従って作曲してはいるが、聴く者に意図が伝わらない、伝えようとしていないところもある。この曲も相変わらず小洒落た細かい装飾音をなぜか「合奏」させてごちゃっと潰れて結局ノイズ化するようなところが多々見られるが、これはロザンタールの指揮技術とかオケの技巧的問題というものではなく書法的問題で、しかもミヨーはそういった無理のあるスコアを細部まで徹底しようとしていたのか、全オケが鳴る部分での豊満な不協和音にはミヨー特有の複調性が、一般人にはただの不協和音としか聴こえない、そういう事象は多作家のミヨーの作品の「多く」に共通する「問題」でもある。ただ、私にはなぜかそのノイズが心地いい。この作品もそういったわけで、ミヨー後年の凡作群の中では演奏機会のある方の佳作だが、その長さを耐えきれるか、唯一の「すがる岩」としての明確なメロディが(いつものような1楽章冒頭だけでなく)3楽章にも表れるので、爆ぜるように奏でる二台(二台必要なのか?)のピアノの美音とともに楽しめる要素はある。ロザンタールなので発散的で色彩的なのが逆にミヨーの(普通の耳からすると)悪いところを助長することになっているが、そこはそれ、各楽器のはなつ美音でなんとか。良好なステレオ。

ミヨー:エクスの謝肉祭(バレエ音楽「サラド」よりピアノと管弦楽のための幻想曲)

ボジャンキーノ(P)マデルナ指揮ローマRAI交響楽団(arkadia)1960/12/23live・CD

ミヨーがアメリカ大陸、とりわけブラジル音楽から得た素材を料理した曲中ではかなりクラシカルな意味で個性的に出来上がった作品だと思う。旋律やリズムを浅薄に取り入れるだけではなく自分の性向、とくに響きの独自の感覚と照らし合わせ、曲によっては確かに「本筋のミヨー」として聴ける(後半は「屋根の上の牛」的なまんまラテン音楽をなぞっただけのようなものが目立つ)。ヴァイオリンを中心に各楽器を達者に弾けた人だそうで、ピアノを使わせると言いたいことを簡潔にスカッと示してくれるから、分かりやすさもある(「家庭のミューズ」に似た美しい曲も現れる)。12の極めて短い楽章は「タンゴ」といった即物的な表題をもつが、本来それぞれ特徴的な道化師ふうの名前に割り当てており(サティ的だ)、対照的な性格をスパッスパッと短くあらわしていく。皮肉も含む作品であることも考慮しないと浅薄な印象のみ残るおそれもある。原曲の「サラダ」はまずもって演奏録音されないが、ラヴェルがただでさえ多作のミヨーの示した「新味」の多様性に、同じく新しい響きを目指す自らの寡作を嘆いた話が本に出てくる。この演奏は「輸入音楽」ではなくミヨー側に寄せた演奏に聴こえる。楽章の即物的性格よりも響く音の鋭敏さ、雑然とした特有の魅力が、確かな指で遊びを交えず先導するソリストのもと抽象的に引き出され、提示されている。ゆえ地味だったり遊びがなさすぎるなど批判もあり得るが、私はこれがしっくり来た。どうしてもただの世俗音楽の翻案にすぎない楽章は眉をひそめてしまうが、三分の一の曲はマデルナにブヨブヨした部分を削ぎ落とされ明確なフォルムを与えられており、最良と考える。この曲が(屋根の上の牛同様)嫌いな向きにはすすめられる。なぜかオケが上手い。敏捷でピアノにピタリとつける。マデルナが変なことをしないからだろう。ハッキリした演奏なので勧められる。録音も明晰なほうではないか。

ミヨー:ブラジルのソーダード(思い出)

ルビンシュタイン(P)(meloclassic)1948/10/13live 放送・CD

これは40年代録音なので音は良い方と言っていい。何でも弾いてるルービンシュタインなので何が出てきても驚かないし、それが南の楽天的音楽や東の舞踏的音楽であればミスだの雑だの問題にならない有無を言わせぬ血の勢いで聴かせてしまう。だがそれにしてはこの曲は「現代的に」聴かせている。とても抽象的だ。ミヨーのスコアの示す技巧的な側面を突いたかのような演奏で驚いた。そこから楽天的要素を抜き出して思い出に浸らせる気はない。まるでシェーンベルクのようなミヨーである。傑作だとは思うがむしろ素直な「春」「家事のミューズ」みたいな後期作品に本領があると思う私には、まだ前衛とみなされていたミヨーが、オネゲルの嫌うブヨブヨした作曲家ではなかったことを裏付けるメカニカルな技巧も兼ね備え、ちゃんと研究し発想に結実させることもできていたのだと解釈した。妄想上ルビンシュタインは恐らく顔色一つ変えずにただ一度スコアを舐めただけで弾き抜いたのだと思うが、それが面白くなったかどうかは別として、作曲家本人も気づかないくらいの楽譜の本質を衝いた記録として特筆できる。くれぐれもブラジルっぽくはない。

ミヨー:バレエ組曲「世界の創造」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/7/26タングルウッド音楽祭live放送

非常にノイジーな板起こしで、元はモノラルのくせに左右の揺れが酷い。拍手に重ねてナレーションが始まり、作曲経緯の説明がひとしきり行われて演奏に入る。訪米時ポール・ホワイトマン楽団との邂逅で初めてジャズを知りニューオーリンズで本場物に触れて帰国のち黒人音楽のイディオムを組み込んだバレエ音楽を仕立てた、時に1922年のことである、といったものだ(ジャズを採用したクラシック音楽としては非常に早いものになる)。題名はネイティブの伝承から取ったが本国では余り受け入れられなかったと、ウィキに書いてあるようなことも付け加えている。とある単語が耳についたが話の流れ的にも時代的にも他意はなかろう。ミュンシュは思い切り勢いづいて、この軽薄な音楽を押し通している。ミヨーらしくやかましく音を重ねる箇所は散見されるものの、セオリーを持ってやっているという感じは無い。イディオムがどうこうというか、世界的な先行事例なので当たり前だが二曲目など全くまんまのジャズである。終曲にかけてミヨーの浅い方の作風~フランス組曲とかそのへんの感じ~に巧く取り込んでまとめてはいるが、全体として所々に現れるのはガーシュインだ。尤もガーシュインに先行している部分もあろうので、ホワイトマンと言った方がいいだろう。厚くて強引だから聴けるのであり普段の私なら欠伸で終る曲なので、演奏的に成功はしてるはずだし、ナレーターもアメリカ音楽の影響下にあるものとして誇らしげにも聞こえるから、良い記録とは言えよう。多分もっとちゃんとした録音が復刻されていたと思う。

ミヨー:チェロ協奏曲第1番

ロストロポーヴィチ(Vc)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(russian disc)1964/5/13live・CD

いきなりミヨーらしくない渋みのあるカデンツに驚くが、オケがパリっぽいメロディを載せてくると一気に六人組っぽくなる。30年代ミヨーの脂の乗り切った頃の作品で、ネルソヴァやシュタルケルも録音していたか、20世紀のチェロ協奏曲としては比較的有名だ。全編パリっぽかったらそれはそれで更に名前が上がったかもしれないが、それだけでは誰も録音しなかったかもしれない。ミヨーが己に枷を嵌めるように作風を固めてしまう前の、色々詰め込んでみよう的なところが感じられ、得意としたミニアチュールではなく、しっかり3楽章制の協奏曲として書いているから、ちゃんと聴かないと仕掛けを掴みきれずに途中で飽きる。ロストロポーヴィチは我が物のように演っているがこの曲では余裕といった風。ブラヴォが飛ぶ。後年正規録音している。

ミヨー:弦楽四重奏曲第12番

カルヴェ四重奏団(melo classic)1948/11/29パリ放送録音・CD

直前に入っているドビュッシーのライヴよりは録音が良いものの、音場は狭く音質も硬くノイズもあり、けして聴きやすいとは言えない。同曲は3楽章構成で、計13分程度にミヨーらしい南欧風牧歌のキュッと詰まった比較的人気のある曲であるものの、ファーストには超高音で正確な音程を取り続けるなど機械的な技巧を要求し、長い音符で気持ちよく歌わせる箇所はほぼ無い。これがカルヴェの特質を損ない、魅力的な音やフレージングを聴かせることのできないまま、そういうスタイルの奏者に事故を促す書法そのまま、(そもそも同楽団は技巧を誇るタイプの楽団ではないが)技術的問題を感じさせる結果になっている。世代下のレーヴェングートや弟子格のパレナンのミヨーの精度とは比べるまでもなく、2番しかいれてはいないが、クレットリと比べても、ミヨーのデジタルな音楽には向かないのだな、と思った。

ミヨー:プロヴァンス組曲

アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信他)1955/12/13live

フランス各地の民謡旋律を変則リズムにあわせてトゥッティで奏でさせるという曲集で、これはシャブリエかなんかなのか、と思う程古風で単純なもの。確かにミヨーの響きだが、複調をそれと意識させるほどには強くない。第二次世界大戦におけるナチスのフランス侵攻への思いからアメリカ聴衆のために吹奏楽として平易に書かれたものがもとになっており、わかりやすすぎて大人気となった。個人的には大昔の「ブラジルのソーダード」なんかより後退した感じがイマイチ。もちろん開放後の本国では大喝采を受けるわけで、アンゲルブレシュトがミヨー好きとも思えないが、ミヨーのもつ構造的な単純性をハッキリ刳り出している。響きは今ひとつ濁っているように聴こえるが、録音のせいか。モノラル。Amazonデジタル配信あり。

ミヨー:交響曲第2番

ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)モノラル

ミヨーというと複調性(多調性)の代名詞。あまりに多用するところも含めて一般人の許容できる範囲は一歩越えていると思う。この曲でも重層的に異なる調性が存在する箇所が多い。新古典主義に立ちながらも構造的に入り組んだところは少なく、オルガン的に単純に響き続けるため、ダイレクトに好悪をわかつ。慣れてしまえばミヨーの個性として許容できるが、こういうところは「現代音楽に慣れる訓練」に近い。そういっておきながらこれはかなり穏健な方。牧歌的な主題が支配的であり、晦渋さはほとんど現れないから、入門的な位置づけに置ける。「ミヨーの牧歌」は洗練された民謡というか、ヴァイオリンの高音がきらめきプロヴァンスの陽光を思わせるとても人好きするものである。

ツィピーヌは一部で人気がある。私にはぱっとしない印象がある。同時代音楽ばかり録音したので、繊細な響きや構造が聴き取れないと問題にならないとすれば、ほとんどがモノラルなこの人には不利ではある(デゾルミエールにも言える)。あるいは伴奏が多く日陰のイメージもあるか。この録音は骨董音源をフランスEMIが集成したシリーズに復刻されているが、同シリーズの多くと同じく余りいい音ではない。開放的なミヨーにとって、このような「閉塞的な音」はとりわけ不利でもある。どうかもっといい音で聴いてほしい。

ミヨーの交響曲は数は多いが円熟期以降に書かれたもので1番からしてほぼ組曲であり、この曲も5楽章制で構成的に盛り上げが考えられていないというか、終わり方もばつっと切れるだけ。まとまりという面では4番など一部を除きあまりうまくはない。ただ、自著でも述べていたように大事にしていた「メロディ」という点では満点。

ミヨー:組曲「鐘」

マルコ指揮シカゴ交響楽団(sls)1946/4/26

ロジェストヴェンスキーが交響曲第3番と共に初録音(「ブラジルの思い出」併録というデータがあったが誤り)したとされた曲の、それより前の恐らくライヴ。ポーの詩に依るが全くミヨー風の牧歌。ルーズなマルコが出てしまってこれが往年のロシア流か。録音難あり。

ミヨー:ハーモニカのための組曲

○アドラー(hrm)M.グールド指揮RPO(rca)LP

古典風の書法は簡素で奏者に負荷をかけない。技巧家には少し食い足りないかも。作曲家の多面的作風が3つの標題曲で描きわけられ、やや地味だがそれなりに聴ける。

ミヨー:春のコンチェルティーノ

カウフマン(Vn)作曲家指揮ORTF(M&A)1949/10パリ・CD

エクス・アン・プロヴァンスの作曲家の面目躍如。この曲の自作自演はカウフマンのほかにアストリュックとゴールドベルクのものがあり、やっぱりゴールドベルクのものが録音も演奏もばつぐんです。データ上2つあるようなかんじだけどオケ名表記が異なるだけで同じかと(PHILIPS音源)。春ということで。

https://youtu.be/PchDbybg5Os

ミヨー:弦楽四重奏曲第2番

アルカナ四重奏団(cybelia)。ミヨーの中でも取っつきやすい曲。複調性が非常に上手く使われている。全集の一枚で(団体は異なる)かつてこれしかなかった。録音もじっさい音も鄙びているが、それなりの味がある。技術的に舌足らずなところあり。

ミヨー:ピアノと管弦楽のための5つの練習曲

○エルフェ(P)ロバートソン指揮フランス国立管弦楽団(erato)1991-92・CD

ミヨーの持ち味である複調性が愉しめる人には愉しめる曲。耳心地があんまり良くないのでミヨーマニアが聴けばいいくらいのものか。ミヨーマニアである私は楽しんだ。管弦楽もピアノも自然に組み合って、といってもポリトナルな曲だからアンサンブルどうこうではない部分もあるのだが、ミヨーの芸風をどちらもよくおさえている。

ミヨー:ピアノと管弦楽のためのバラード

○エルフェ(P)ロバートソン指揮フランス国立管弦楽団(erato)1991-92・CD

これも美しく密やかな旋律から楽天的で素直に楽しいリズムまで一連に楽しめる曲。7分程度だが飽きさせない。エルフェは上手い!バックオケもまずまず。

ミヨー:エクスの謝肉祭

○エルフェ(P)ロバートソン指揮フランス国立管弦楽団(erato)1991-92・CD

ラヴェルが嫉妬したという(そんなかんじだったとおもう)「サラダ」をもとに12曲の小品集として編まれた、ミヨーでは有名な作品。非常に美麗な旋律がきかれ、ミヨーふうに調性を重ねられなければ著名作品として売れただろうな、とも思った。サティにおける「パラード」のような作品、と言えば通じるだろうか、ミヨーにしては保守的だがそこがいい。エルフェは達者、オケはやや緩い感もあるが音色的には美しい。

ミヨー:春

◯マルツィ(Vn)アントニエッティ(P)(CD)1951/10/31・CD

ミヨーに春という曲は数曲あり、この作曲家がいかに春を愛していたかわかる。マルツィのヴァイオリンがいやはや懐かしく、思い出の田園風景を描ききっている。短い曲だが機会があればどうぞ。

ミヨー:バレエ音楽「屋根の上の牛」

○ナガノ指揮リヨン歌劇場管弦楽団(erato)1992・CD

キッチュで賑賑しい雰囲気はよく出ている。オケの感じが「ちょうど良い」。半面、やや地味というか特長をあげづらい演奏であり、どちらにも振り切らない感じがする。まあ、○です。

ミヨー:プロテー(交響的組曲第二番)~ⅠⅣⅤ

○チェリビダッケ指揮BPO(audite)1949/9/10

初出ではないか。プロテー組曲として演奏されるものと一部重複した組曲である。序曲が聴けるのは嬉しい。リリカルさは足りないが中低音の分厚さはミヨーらしからぬ安定感をあたえ交響曲的な聴き応えがある。わずか10分の録音なのは惜しい。

ミヨー:ルネ王の暖炉組曲

○デニス・ブレイン管楽五重奏団(bbc)1955/6/22・CD

モノラルで録音も良くない。デニス・ブレインの名もこのホルンのほとんど目立たない木管中心の曲にあっては意味がない。中庸で地味だ。フランス南部的な牧歌的な雰囲気もあまり醸されていない。うーん。

ミヨー:ヴァイオリンとピアノのための春

○マルツィ(Vn)アントニエッティ(P)(coup D'agrbhet)1951/10/31・CD

春という曲を無数に書いていたミヨー。シゲティのものをはじめとして器楽の範疇に入るような曲を5分程度の小規模な形で録音した例が多く、何かの録音集の穴埋めに使われていることがままある。しかし曲は美しい。ビアノが実に爽やかで個性的なファンタジーをかもすのがよいがミヨー自身もよくしたヴァイオリンの扱い方も凡庸な作曲家の教科書通りの書法にはならない。演奏は欠点がなく長所ははっきりしているところ、くらい。

ミヨー:ルネ王の暖炉~Ⅵ.ヴァラブルでの狩猟

○デニス・ブレイン木管五重奏団(BBC)1956/6/19live・CD

ライブの寄せ集めの一曲でむろんホルンが際だった曲でもなく普通に聴く以上のことはできない。ルネ王は「ほぼ」全曲がBBCレジェンドで別に出ており、そちらで評価すべきだろう。ちなみにルネ王の記録は他にもあるようだがブレインのコアファン以外には聴く術はないようだ。

ミヨー:ピアノ協奏曲第4番

○エルフェ(P)ロバートソン指揮フランス国立管弦楽団(erato)1991-92・CD

このコンビの1番にくらべしっかり聴かせる音楽になっている録音。エルフェは相変わらず品がよく強靭さに欠けるが、依属者ソコロフスキーがその名技性を見せ付けるために使った曲であるがためにどうしてもそういうスポーツ的側面に目が行きがちなところ、中間楽章のトレ・レントにおいては重々しい音楽に何かしらの意味づけをするように表現を尽くしており、完成期ミヨーの表面技巧に偏らない内容的特徴をよくとらえている。なかなかスケール感のある演奏で、同曲の印象が変わった。○。
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