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ウォルトン:チェロ協奏曲

○トゥルトゥリエ(Vc)ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団(EMI/warner)CD

ウォルトンのチェロコンというとおもむろの闇、憂愁の旋律に思索的な響きを交えながら複雑な運動を続けるソリストといったヴィオラ協奏曲よりも暗くわかりにくい曲で、高度な技巧に裏付けされた力強さと意志的な解釈表現が必要とされると思っていると、こういう調和のとれた緻密な演奏が出てきてびっくりしたものだ。トゥルトゥリエというソリストは私にとっては未知の領域であまり印象にも残らなかったが、ここではピアティゴルスキのような長所と短所の入り混じった様相は示さない。ベルグルンドがシベリウスの影響いイギリス音楽をもう少し記録に残しておいてほしかったと思うほどに、和声と構造によく理解を示し意外とテクニシャンな楽団を相手にソリストとの融合をはかり、音色的な統一感や大きなスケールにおける緩やかな流れはウォルトンが本来書いていた楽曲の本質(自作自演では指揮の硬さからオケのやりにくさが伝わる)、その聞き方というものもわからしめる良演となっている。これを聴くとウォルトンの一応4つある協奏曲でヴィオラは別格として、長ったらしく同時代音楽を剽窃し技巧に走ったヴァイオリンや、それらとは毛色の違う生硬なピアノよりすぐれた作品として認識できる。悠々自適というかもう代表作は作ったし依頼されれば報酬と気分次第で地中海から派手な曲を送るみたいな作曲的晩年の気配はない。最初に聞くのに向いている。
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ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

セル指揮ACO(orfeo)1958/8/8ザルツブルグ音楽祭live(モーツァルテウム)・CD

この日の演目は当時の現代音楽、ウォルトンにアイネムに、プロコフィエフ五番というオケには高負荷の、しかしとりわけ中欧的なコンセルトヘボウ管との演奏として、モノラルではあるが精緻な音での貴重な記録となっている。ウォルトンの苛烈なスコアリングを前にさすがに軋みを生じる箇所もあるが(アメリカのオケのように軽快にサッサと飛ばしていくわけにもいかない楽器の性向もあるだろう)、セルらしくテンポやリズムの乱れは許さず、木管や弦楽ソロの、英国やアメリカでは得られないような燻し銀の響きが娯楽的楽曲になかなか内容的重厚さを加えて、3楽章では総力戦で迫力のウォルトン節をぶちかましてくる。ブラス陣のソロもこのあたりでは聞かせどころをわきまえ素晴らしい技巧と音色を見せつけ、絡む弦楽も非常にノリ良くなり力強く協奏的な音楽の楽しさを伝えてゆく。ウォルトンは即物的演奏に限ると思わせるスピード感も良い。

ウォルトン:ヒンデミットの主題による変奏曲

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(CBS/sony)1964・CD

明らかな音で完璧にスコアを再現されると、主題こそヒンデミットらしいもので耳を惹くものの、ファサードの時代とは隔絶した「円熟した」ウォルトン後期の書法のいずれもリズムを定型的に変化させただけ、変奏曲部分のマンネリズムが浮き彫りになり、ウォルトンファン以外に受けるのかどうかわからないつまらなさが出てくる。30分近くは長い。

ウォルトン:チェロ協奏曲

ピアティゴルスキー(Vc)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/1/28,30・CD

ロシア出身でBPのフルトヴェングラーにトップ奏者として迎えられ以後、豪胆な表現と「色艶に逃げない」音でソリストとして活躍したピアティだが、オールドスタイルっぽさがあるというか、音程がメロメロで、現代作品となるとなかなか厳しいところもある。特にウォルトンには常に細部まで正確で明瞭な発音が求められそれは時に過酷ですらあり、その意味で言うとピアティのみならずミュンシュですらどうなのかという気もしてしまう(ボストン交響楽団は機能的で良い)。ミュンシュはほとんど英国物をやっていないしウォルトンもこれ一曲しか残していない。ただ、立体感、色彩感はしっかりとある。いわば「ボールト的な突き通し方」によって聴かせる。響きを神経質に整えるとかいったやり方にくらべて音楽のメリハリがわかりやすくつき、ウォルトンの作品でも晦渋な印象のある同曲に一定の評価をあたえることに成功したのは、ピアティよりむしろミュンシュの腕によるところがあったのではないかと思わせる。ピアティは早くより衰えをみせた奏者で、実際早くに亡くなっている。運指のさまはしばしば後年のメニューインを思わせる。

ウォルトン:戴冠式行進曲「宝玉と杖」

ボールト指揮LPO(EMI/warner)CD

旧録は無い。弦を主体に威厳ある演奏を行うと思いきや、打楽器や金管を派手に鳴らして弦が引っ込むくらいのバランス無視のところが逆にボールトらしい。壮年期の覇気が響きにはまだ残っている。もうちょっとエルガーっぽくやってもよさそうなものだが(エルガーではないのだが)、アバウトなところもボールトの良さなのだろう。

ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」

ボールト指揮LPO(EMI/warner)1977・CD

晩年の録音で(ボールトは晩年でも余り変わらなかったが)、またこの時代のイギリスのセッション録音にもよく聞かれた、落ち着き整えられた記録ではあるが、しっかり繰り返しをやったり現行版と異なる、より多彩な印象を与える版をもちいており耳を惹くし、クライマックスではテンポルバートもする。弱音は新しい録音ならではの精緻な響きで、過去の録音と大きく違うメリットとなっている。

ウォルトン:ポーツマス・ポイント序曲

ボールト指揮LPO(EMI/warner他)1936

リズムのキレやソロ楽器の表情の細かさ、強弱の付け方が後年の円熟した録音より際立って良い。ボールト的な「純音楽性」はウォルトンには向かないが、それでもここでは胸のすくような音楽が出来上がっている。時代なりの演奏精度、録音状態であるものの、これはイギリス音楽演奏史上特記すべき記録である。

ウォルトン:戴冠式行進曲「王冠」

ボールト指揮LPO(EMI/warner他)1937・CD

威厳があるばかりかきらびやかで壮麗で、覇気溢れるボールト壮年期の名演と言っていいだろう。スピードがあり中間部の行進ですら前のめりではあるが、きっぱりとしたリズムのキレも、感情的な表現も特筆すべき点で、これが本当のボールトだったのだ、と思い返させる。録音時代のトスカニーニは全盛期の魅力の半分も伝えきれていないという説があるが、ボールトにおいてもそれはおそらく、その通りだったのだろう。ハリウッド映画音楽みたいな曲、いやむしろ逆にこれがハリウッド映画音楽の源流のひとつに違いないのだけれど、まさにそのハリウッド映画音楽的な娯楽性をもかんじさせる。吹奏楽ではおなじみ、オリンピックでも必ず演奏される。もっとも細部は甘く縦も緩い。それを若々しさと捉えるか、まだまだと捉えるか。私には魅力的な録音だった。初稿による演奏で、すっきりした現行版よりも私は楽しめる。ビダルフで復刻されていたがwarnerがEMI音源を一気にまとめてボックス化した中に収録。

ウォルトン:ポーツマス・ポイント序曲

ボールト指揮LPO(EMI/warner)1967・CD

ウォルトンのあけすけな嬉遊曲、アメリカ的なカラッとした響きに、特有の変則リズムで踊らせる。ボールトは数十年の間を空けて録音しており、いずれも今はwarnerの超廉価大全集に収録されているが、こちらのほうが新しいぶん、やはり遅い。もともと実直に確実なリズムを刻み、けして踊らせない、ボールトらしい重い演奏ではあるのだが、実直なだけに、あまりに明る過ぎる響きに対し中欧的な低い重心を(解釈などではなく自分流に)あたえることで、軽薄さを隠し空っぽな感じを避けることにはからずも成功している。もっとも、このての曲には前進力は必要で、旧録のスピードが限界だろう。

ウォルトン:「ファサード」~抜粋

作曲家指揮BBC交響楽団(bbc)1968/8/20live・CD

四曲抜粋のごく短い演奏記録。結局これが一番の名曲じゃないか、と言う人もいるウォルトンの出世作だが、ストラヴィンスキーやサティやジャズ(コンスタン卜・ランバートとともにイギリスのシンフォニックジャズの一派ではあろう)の劇音楽もろもろの流れのうちにある洒脱な小品。ウォルトンの個性はまだ無いが、初期の前衛志向も抜け、アマチュア的とはとても言えない流麗で無駄のない書法もまた楽しめる。大規模管弦楽をもって迫力ある演奏になっており作曲家指揮とは思えぬもので、プロムスならではの間髪入れぬ派手なブラヴォで幕を閉じる。録音も素晴らしいステレオ。

ウォルトン:ヒンデミットの主題による変奏曲

作曲家指揮RPO(bbc)1963/5/8live・CD

あの長大な「世界の調和」(交響曲でいえば三楽章)を数分に凝縮したうえで、得意の不規則にキレたリズムからはじまりウォルトン化していく、ウォルトン自身の旋律や響きを生み出す力が衰えていった時期だからこそ、外から持ってきた楽想をイジり倒した作品は飛び抜けて聴き映えがする。ゆえこの作品はわりと演奏録音されている気がする。ヒンデミットをカリカチュアライズしたような木管のトリルとか弦の動きとか、これはヒンデミットが日和ったのを皮肉っているわけではなく親友だからこそできた技だろう。演奏は素晴らしい。やや残響過多だがステレオで美麗な響きをよくとらえている。

ウォルトン:エリザベス二世戴冠式のためのテ・デウム

作曲家指揮LPO他(bbc)1966/1/02live・CD

戴冠式音楽は専売特許みたいなもので、祝典音楽はお手の物、ウォルトン得意の皮肉な調子は影を潜め、壮麗な音楽に仕上がっている。それだけの作品。ウォルトンの指揮歴は長いが自作のみで、後年になるにつれ(改訂の影響もあろうが)巨大な骨と皮、響きだけにひたすらこだわるような、あまりに透明志向すぎる録音も多い。これはその志向と曲がマッチしているので板についたような演奏になっている。

ウォルトン:十二使徒-W.H.オーデンの詩によるアンセム

作曲家指揮LPO、ドーダール他(bbc)1966/1/2live・CD

合唱曲も定評あるウォルトンだが、このような「珍曲」はさすがにどこが聴きどころだとか言いづらい。もっと言えば録音も実演も無いので比較対象がないから、ウォルトンの職人的な書法が駆使され、一方でマンネリ化した響きやフレーズの癖はそれほど目立たず、その点では面白く聴ける、演奏は無難、という定型文で許してください。

ウォルトン:チェロ協奏曲

フルニエ(Vc)作曲家指揮ロイヤル・フィル(bbc)1959/8/23live・CD

ソリストの非力さと技巧面の不安感はともかく、ウォルトンの自演ものにしては流れよく(美しい響きにこだわりすぎることもなく)、オケの実力が補完している面もあると思うが、同曲の演奏としては上位に置ける。曲はウォルトンの協奏曲ジャンルの中では最後に位置づけられ、ヴィオラ協奏曲の渋い部分だけを取り出して円熟した技法とマンネリ化した個性でまとめ上げたようなものだが(派手で冗長なヴァイオリン協奏曲とは対照的)、渋い味わいはオシゴト的な後期作品群の中で図抜けている。最初と最後の冷たく不可思議な雰囲気も個性的で、イギリス近代によくある聴きやすさ重視のようなところは旋律のみに留められ、格が感じられる。録音も良いステレオ。

ウォルトン:交響曲第1番

○ビシュコフ指揮ケルン放送交響楽団(動画配信)17th October 2009

ビシュコフのウォルトン交響曲第1番を観ながら通勤した。なんちゅう統率力!といってもほとんどメロディしかないトゥッティな曲なのですか、聞き取れないような装飾的な動きが多い。それが全部クリアされている。ブラヴォも飛びますよ。不評とされてたのがわからん。サインもらった現役唯一の指揮者。

https://youtu.be/0kVgNCZEARU

ウォルトン:オラトリオ「ベルシャザールの饗宴」

○ミトロプーロス指揮スコラ・カントゥルムc、NYP、トッシb、1957/5/12live(nickson)派手でスペクタクルで若きウォルトンの代表作。委属元関係なく宗教性無視し劇性を押し出し盛大にぶちかます。録音が悪いが、力感が物凄い。

ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲

◯ケレメン(Vn)マリナー指揮ダヌビア・ユース交響楽団(放送)2003/3/21live

技術的にはおおむね良く出来ているのに入り込めない。熱や興奮に駆り立てられないのは音色が単調なせいか。3楽章には少し疲れが感じられるのも惜しい。オケは上手い。

ウォルトン:交響曲第2番

◯マッケラス指揮LSO(EMI)CD

冷徹に感じた。感情なくオーケストラという楽器をフル回転させてただ壮麗に響かせている。録音が良すぎるのかもしれない。曲に問題があるのかもしれない。しかしほんとに、惹かれなかった。

ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲

◯ケレメン(Vn)マリナー指揮ダヌビア・ユース交響楽団(放送)2003/3/21live

少々荒い演奏だが、ソリストはやり切った感はある。オケが細かい仕掛けを強調して反面盛り上がりどころでは弱く、バランスが悪く感じるのは指揮者の特徴なのか。やや単調な音色は曲のせいでもあろう。テンポ操作は自作自演より大きく、その面での楽しさはある。

ウォルトン:ポーツマス・ポイント序曲

○アンソニー・バーナード指揮ニュー・イングリッシュ交響楽団(decca)SP

後半妙にもたついてくる。ウォルトンでも単純な曲ではあるがリズム取りはウォルトンならではの難しさがあり、そこをなんとかやりきってはいるが、テンポの弛緩に無理が現れてしまったか。楽譜は初稿ではない模様。

ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc)1969/8/8live・CD

一楽章はややテンポがもたつく感があったが三楽章はそれを覆すテンポ感の良さ。バルビはしっとり感傷的で、乾いたウォルトンに向かないと思いきや、三楽章は軽快に、かつ完璧に演じきってブラボーの嵐を呼んでいる。録音がもう少しクリアならよかった。

ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

◎セル指揮クリーヴランド管弦楽団(sony)1959/1/21・CD

この精度・スピード・テンションで、この高音質で録音されたということで、◎にせざるを得まい。乾いた感傷がセルの芸風に合う。パルティータと言いながら芸風はまるきり近現代の作曲家ウォルトンそのもので、折衷的な部分はあるが、極めて難度の高いアンサンブル、とくに符点音符同士の絡み合いであるとかそういったものが高速で現れる、そこを若干ヒステリックではありながらも立派にやりきっているオケには感動と同情を禁じ得ない。セルの苛烈な要求に応えたものであろう。二楽章が意外と聴きもので、ソロ楽器の妖しい絡み合いに胸ときめかせ、むせ返るような色彩の爆発に仰け反る。このスケール感は録音のせいだけではないだろう。◎。

ウォルトン:弦楽四重奏曲

◯ハリウッド四重奏団(capitol)1949/11/2、3・SP

一般に聴かれる録音はウォルトンの指示で採り直されたものとはよく知られている。これはウォルトンを怒らせた初録音という。最近ネットで公開されているものである。さらさら流れるように達者な演奏が進むさまはTESTAMENT復刻盤と大した違いは感じないのだが、スケルツォの繰り返しをしつこいとみなして奏者が勝手に削ったのが逆鱗に触れたらしい。だが、再録音により地球の裏のウォルトンはえらく気に入り、この曲はハリウッド四重奏団にしかやらせないようなことを言っていたそうだから気まぐれだが、まあ、いずれここまで、集中して取り組んだ演奏もなかろうし、奏者のレベルからしてもこれ以上ない。音のキレの凄さと言ったらない。二度目よりもスピードが早くテンションも高く感じるのは印象に過ぎないか。◎にしたい◯。

ウォルトン:交響曲第1番

○マッケラス指揮LPO(EMI)CD

フォルムのしっかりした演奏でよくスコアを分析してやっていることが伺える。フォルムがしっかりしたといってもホーレンシュタインのような太筆書きの演奏ということではなく細かく統制された演奏という意味で、オケもよく訓練されている。ただ、今一つはっきり訴えてくるものがない。迫力という意味で1楽章は物足りなかった。2楽章は聞き物。丁々発止のやり取りを楽しむというよりはシンフォニーのスケルツォ楽章としてやりたいことが伝わってくる演奏。4楽章は迫力があり、やや莫大な部分もあったそれまでの演奏のマイナス面を補うくらい力強い。録音の良さも手伝って、スラットキンよりも重量感があるがスラットキン的な細部まで透明で明瞭な彫刻がこの曲の本来の姿を浮き彫りにする。それゆえに曲の「弱さ」みたいなところも現れるのだがそれはそれで本質なので問題ないだろう。○。

ウォルトン:バレエ組曲「賢い乙女たち」(バッハ原曲)

○児玉宏指揮大阪シンフォニカー交響楽団(rohm,king)2010/3/17live・CD

ウォルトンを期待しないで聴くべし。依属趣旨に従いコンスタン卜・ランバート選によるバッハの色々な曲の抜粋を単純に管弦楽編曲し最初はバレエ全曲にまとめたもので(現存は組曲のみ)それ以上でもそれ以下でもない。これは擬古典でも新古典でもなく、バッハの方法論を徹底的に模倣したうえでの編曲なのである。ごくわずかではあるが多少派手な響きのする個所にはバッハの時代にないものが感じられるし、大管弦楽作品なのだからバッハの方法論を踏襲したといってもちょっと違うのかもしれないが、ワルターのマタイを聴くようなものであり、いわば編成の規模だけの問題である。オケは上手い。この曲はオケの腕の差が出にくいだろうが、手堅く聴ける。聴衆反応は普通。○。

ウォルトン:ベルシャザールの饗宴

○ノーブル(B)作曲家指揮リヴァプール・フィル他(EMI)1943

初演独唱者+初演指揮者が録音したオケ・合唱団による演奏というややこしい組み合わせによる旧録。SPとあって中音域以上は豊かで開放的で聴きやすいが時代柄オケの精度には問題がある。ペットで許しがたい事故がそのまま収録されているがあれはこのオケの弱みがブラスにあるという証左か。木管の鄙びた味わいや弦やパーカスとのスリリングなやり取りはウォルトンらしく引き締められたアンサンブルの上で生きている。シンフォニックな演奏ぶりで始めからハデハデしく覇気に満ちた全盛期ウォルトンの指揮であるものの、サージェントと比べるとやはり生硬なところはある。響きは素晴らしく整えられ誤魔化しがないが、リズム処理や合唱とオケの調和においてはサージェントに一長があるか。でも、サージェントとは全く違う芸風で、緩急の急が偏重されているのは人によっては好むところだろう。ノイズ耐性があるなら聴く価値あり。自作自演でもやっぱり、バビロンの饗宴の場面と、ユダヤの勝利の場面に音楽的に顕著な差は無く、その歌詞によってのみ内容の違いを窺い知れる。だからこそ、テクストをもとに聴く必要はあるし、この曲においてウォルトンはテクストを才能の発揮のための素材としか考えていないとみることもできよう。

ウォルトン:ベルシャザールの饗宴

○ミリガン(B)サージェント指揮リヴァプール・フィル、フッダースフィールド合唱協会(EMI)1958・CD

海外のAMAZONなら手に入る。モノラルであり古い復刻であるせいかノイズもやや聴かれる。板起こしなのだろう、細部が不明瞭で分離が悪い。ウォルトンの立体的な書法の内側で、こみ入ったアンサンブルを機械的に組み上げる場面、だいたい大規模な曲では弦楽器が担うのだが、サージェントのアバウトな部分が出ているように聴こえるのはその録音のぼやけたせいなのか。しかし、表面に出る音楽は切っ先鋭く、リズム感が非常によくて、後半部ではウォルトンならではの行進曲ふうのフレーズのノーブルさ、付点音符付リズムのキレ、まことに聴きごたえがある。また、合唱指揮にはこの人の特長がよく出る。録音操作もあるのだろうが出過ぎも引っ込みすぎもせず非常にバランスよく、合唱と管弦楽の絡みが歪みなく聴き易い。これは完全全曲録音だが、楽曲の全容が全曲でないと伝わらないものであると言うこともわかる。話の筋や流れをちゃんと把握して聴いた方がいい。壮大な終端部もなかなかの威容。サージェントは同曲の初演者である。

ウォルトン:スカピーノ序曲

○コシュラー指揮プラハ交響楽団(OCCD)1967/2/8live・CD

コシュラーらしい勢いが楽しい。ウォルトンにおける「ティル」なわけだが楽曲自体は勇ましい軍国調からハリウッド的抒情旋律と現代的展開をなす清々しいもので、中盤では色々と工夫がなされ、倍のテンポの抒情旋律が構造的なアンサンブルの上に流れていくところが私は大好きなのだが、この演奏、というか録音では旋律がやや弱く立体感がイマイチ、せっかくの対位構造が引き立ってこない。ウォルトンのこのあたりの作品は構造をバランスよく浮き彫りにしてくれないと魅力半減。勢いと力強さは認めるが、そのあたりはややマイナス。○。

ウォルトン:交響曲第1番

○カラヤン指揮ローマRAI交響楽団(EMI)1953/12/5live・CD

特に一楽章に顕著なカットが聴かれ、他にも改変らしきものがあらわれておりカラヤンには珍しい作曲家気質が発露している。確かフランツ・シュミットに作曲を学んでいたはずで、ウォルトンの複雑なのに各声部が貧弱な独特の書法に納得がいかなかったのか(ベルシャザールは絶賛したがあれはリヒャルト的側面があるからわかる)、レッグの手引きで行われたらしいこの演奏会以降作曲家との関係が悪化したようである。録音がかなり悪くオケの技巧うんぬん以前の問題もあるし、万人に奨められるものではない。ただ力強い表現、感情的なうねりは錬度は後年より劣るがゆえに迫真味があって、このオケにしては分厚い響きに圧倒される。中間楽章が改変もなく充実しているが、四楽章の力の入りかたが個人的にはとても好き。技術面の瑕疵が多過ぎてカラヤンの黒歴史と言える記録ではあるが、なかなかカッコイイ。○。

ウォルトン:カプリッチョ・ブルレスコ

○コステラネッツ指揮NYP(NYP)1978/11/6・CD

ウォルトンがいつもの芸風で書いた特に言うことのない小品だが、ウォルトン特有の明るい色彩をきらびやかに引き出した佳演となっている。ニューヨーク・フィルは色彩感にあまり長けたオケではないが、こんなキラキラした音が出るんだ、と思った。
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