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スーク:組曲「御伽噺」~Ⅰ.ラドーズとマフレナの不滅の愛と彼等の悲嘆

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON)1940 ,
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スーク:弦楽合奏のためのセレナード 変ホ長調

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHON他) 最初「ウィンザーの陽気な女房たち」かと思った(激似)。19世紀的な国民楽派の範疇から外れない作品で(1892年作品なので仕方ないのだが)、あまりの凡庸ぶりにげんなりするところも正直ある。義父ドヴォルザークの影響ふんぷんであり、露骨な旋律性と平凡なハーモニーが「これが20世紀前半のチェコ音楽を代表する作曲家の作品なのか?」と思わせるが、まあ若書き(18歳)であるから仕方ない。聴き進めば、ドヴォルザークから一歩踏み出したハーモニーや清新な書法が織り交ざり、若干耳を惹くところもあるが、「アスラエル」などを書いた20世紀の作曲家としてのスークを求めると見事に肩透かしをくらうので、注意。ターリッヒの指揮は現代的で合理的な中でもよく歌わせている。往年のチェコ・フィルのヴァイオリンのひびきが美しい。ただ、曲のよさを浮き立たせるには少しそっけない感もあり、ここでは無印としておく。,

スーク:アスラエル交響曲

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1952/5/22,28ヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークの祖父にあたるチェコの作曲家。これは5楽章からなる大作交響曲である。師であり義父でもあるドヴォルザークの死、さらに作曲中の妻の死が、「死の天使」アスラエルを名前に持つこの陰うつな作品を生んだ。陰うつとはいえ諸所に美しい響きの箇所がある。リヒャルト・シュトラウスら西欧の世紀末音楽、印象派のドビュッシー、さらにロシアの異人スクリアビンを彷彿とするところがあり、国民楽派の民族的な作風とは異なっている。第3楽章にヴィヴァーチェ(といってもそんな聴感はない)の楽章を据え、1、2楽章にアンダンテ、4、5楽章にアダージョを置いている。ターリッヒの演奏は古く余り録音状態がよくないため、この精妙な作品を味わい尽くすことはできないものだが、適度に緊張感があり、とくに響きの感覚に鋭敏なところを感じる演奏となっている。,

スーク:アスラエル交響曲

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(russian disc)1993透明感のある演奏ぶりはともすれば深刻な表情になりがちなこの「レクイエム」を光明を求めて昇って行く死者の至福を示すかのように明るく、清澄に描いている。繊細な響きが優しい。中間楽章ヴィヴァーチェはかなりダイナミックに演じられており、こういう曲だったのか、と改めて思わしめる。ソロ弦楽器の演奏も決してオケを殺さずに、全体構造の中にしっかりその位置づけを意識したものとなっている。やはり全般濃厚なワグナー・リヒャルト=シュトラウス系の半音階的ロマン性に依っているが、それはむしろシマノフスキを思わせるほど怜悧な美質を持っており、スヴェトラーノフの音作りがそれをさらに増幅しているような感じである。録音がややくもりがちというか、残響がありすぎるというか、決してサイアクではないけれどもややマイナス要因になっている。スヴェトラーノフの指揮ぶりについては彼のマーラーを思わせるほど雄大で陶酔的なものであり、骨太で強烈な表現意志を持っており、アスラエル交響曲の数少ない記録の中でも大きな位置づけを占める演奏であるといえよう。,
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