ステンハンマル:交響曲第1番

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(LANNE:CD-R)1998ベルワルドホールlive

まだ初期の色の残る保守的過ぎるくらいに保守的な折衷的交響曲である。両端楽章にはワグナー+ロマン派中期交響曲の影響が色濃く、3楽章も含め全般にベートーヴェンが範とされているのが露骨である。シンプルな古典志向はニールセンにも近いがだらだらした長さは(特に終楽章コーダの書法においては)ブルックナーだろう。またブラスがポイント的に重要な役割を果たすのはシベリウスに同調した音響感覚の発露だ。北欧的といえば北欧的である(マーラーの言うとおり「北欧的とは具体的に何のことかわからない」けれども)。これらは晩年スヴェトラだからそう聴こえるということも否定できない。部分的には初期のフランツ・シュミットやアイヴズのやり方を彷彿とさせる無理のある書法や強引な転調が織り込まれ、また緩徐楽章である2楽章はこの曲の白眉であるワルツ風主題が旋法的な清新さを振りまき洗練されている。

スヴェトラ晩年の「チェリやケーゲルを思わせる」繊細な音響感覚に自然に感情を織り込んでいく様子がみられ、特にここでは抑制的に聴こえるが、大人の演奏ともみなせる。最晩年スタイル、といっても本当はここから晩年スタイルを円熟させていって欲しかったのだが、時間は待ってはくれなかった。この人はそもそもブルックナーが得意だったから、チェリとは別の到達境地を見てみたかった気もする。オケはやや弱い。エアチェック音源であり、その点でも割り引いて聴こえている可能性がある。最後は盛大な拍手と一部ブラヴォ。

スヴェトラはソヴィエトの指揮者としてソヴィエトのトップオケのシェフの座を得、壮年期は国外活動よりも国内で酷使されまくった人民的指揮者である。ソヴィエトのトップ指揮者、表向き体制側指揮者特有の慢心と国家的に育てられた芸術的環境への過信も否定できないが、しかし劇場や国家的演奏会で場数をこなし人の目に触れる機会が多かったせいもあろう、バレエ音楽をやるような臨機応変さに旋律偏重・流れ重視でいながらも構成的にガウクのような崩れをきたさないスタイルで、新世代の旗手として前任イワーノフより人気を博すことになる(西側ではキタエンコ、フェドセーエフと並んで三羽烏と呼ばれた頃もある)。

幅広いレパートリーをこなす技術と作曲家的な積極解釈の賜物でもあり(アカデミックな範疇で十二分に力を発揮した作曲家スヴェトラーノフに比べ作曲家イワーノフの悲惨さといったらなかった)、個性的な表現解釈をムラヴィンスキーやコンドラシンとは違う「音楽」にでき、それが人民と呼ばれる人々に受け容れられる派手さとわかりやすさを持ったものだったからであろう。

但し古い録音、モスクワ放送オケや歌劇場オケの時など、万人受けするものとは少し違い、前衛に向くような乾いた響きの骨ばった音、メカニカルな構造への志向も感じられた。そちらの個性は非力なオケを任されたせいでやむなく「教育的に施された手段」ともとれる。ただ、本来的な個性の一部だったとも思う。受ける要素は前記のようなところであったので、一旦心の底に沈めたのだろう。

晩年になり国立オケと別れ国外客演を主体とした活動を行う中で、表層的というかチェリ的な「純度の高い薄さ」を感じさせる高音偏重の音響と、カスカスした簡素な構造そのものを露呈させることがあったが、このあたりが本来のスヴェトラであった可能性はあると思う。何せラフマニノフ的とはいえ20世紀中盤という時代のソヴィエトの作曲家であったのである。バンスタを好んだというのは(バンスタ晩年の胆汁気質な表現とは違うけれども)高音かつ旋律偏重という部分で似たものを感じただけだろう。

本人はソヴィエト時代国内に留まった(留まらざるを得なかった)なりの狭い見識しか無かった節がある。しかしおそらく特に後年は国外でもっと幅広い活動を望んでいたと思われる(チャイコなんかウンザリだったのだ)。特に雪解け後積極的に国外に出され、オケの層の厚さと技術の高さ経験値の高さで回数がこなせることから、地上移動しかできず動きのとれないムラヴィンスキーの代わりとなっていた頃に一気に海外認知度が上がった。ソヴィエトの指揮者というと誰であっても「重戦車のような演奏」との評が貼り付けられるばかりで指揮者表記ミスすらあった頃のことである(もっともmelodiyaですらそういうアバウトな音盤表記をして混乱させていたのだが・・・今も続いている)。

「外気」の中で、指揮者もオケも壮年期の覇気漲る音楽を提供することができ人気を博した。英国での凄まじい人気ぶりはCD化されているが、その理由には客観的演奏や様式美的演奏が指揮者やオケの目指すところとされていた時代の西欧の業界風潮に反した「異分子」であったせいもあるだろう。感情的指揮者が悉く鬼籍に入った後に「遅れてきたロマンティスト」が来たわけである。ストコフスキは意識的に恣意的解釈をなした多産型現代指揮者としてスヴェトラと似たものを持っていたように思うが、ストコですら亡くなった時代に、物凄い指揮者があらわれ客演していった、あるいは物凄いオケを引き連れて100年遡ったようなチャイコを演じて見せた、日本での特に80年代から90年代の頻繁な演奏会は更に遅くにそういったインパクトを与えた。コンドラシン、ムラヴィンスキーが没したことも大きいが。

人材流出により極端に弱体化した国立オケの惨状に反し、国外での演奏活動が増えていく。スヴェトラはオケ頼りの指揮を行い、オケが弱体化すると音楽が瓦解するような側面もまたあった。

ライヴと録音は違うけれども、ロンドンでのシェヘラザードのような録音はソヴィエトオケを使ったライヴでのお約束的表現の印象が弱まり、寧ろ音響志向の強い演奏となっている。ロシアオケで見られるムラの多さや音の雑味が無く(メンバーの俺が俺が的ソリスト意識も無く)、丁寧なマスタリングもあいまって印象は結構に異なる。指揮者の性格からいってマスターを丁寧にチェックすることなくさっさと帰郷していたかもしれないが、いずれこれを最終テイクとして残すということは、晩年のスタイルが本当のスヴェトラだったのではないかという疑念を再度抱かせる。

幅広い活動を行いたい、その中で自国の音楽を総括し歴史に埋もれたローカル作曲家を全世界に発信可能な記録に残しておきたいという強い希望、アンソロジーシリーズは過去の体制的指揮者として録音したものを交え、ソヴィエトという国家が無くなる前後に堰を切ったように作られたほぼ一発録り記録の山である。新世界レコードの店頭に新盤が並ぶたび堕唾したものだが、正直、外しの多かったのも事実。オケが瓦解もしくは不恰好に整わないまま放置されている(同時期のドゥダロワなどに比べればまだよかったが)。これはすなわち客席に人を入れないライヴ録音なのだ。国外でのスタジオ録音とは違う。弦楽器が若手だらけとなったソヴィエト国立・・・丁々発止ももはや過去のものである・・・遅すぎたが仕方の無い政治的なことである。指揮者は「これでいいのだ」を地でいく性格であり、そんなことまで考えてなかったかもしれないが、少なくともミャスコフスキー交響曲全集を私費を投じて発売させたことは有名な話である(それも今や極端に廉価化した・・・時代が変わった)。ソヴィエト指揮者にありがちなレパートリー分業により管弦楽曲や室内合奏曲までカバーできていないのは惜しまれる。

飽きたので終わり。
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