グラズノフ:交響曲第1番「スラブ風」

セレブリエル指揮王立スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(warner)2009/6/2-5・CD

あーー、長い!こういう冗漫な曲は細かい仕掛けや響きの面白さなんて無視して一気呵成に突き通さなければ、いくら旋律美ガーなんて言ってもそれを無限に単線的に繰り返されるだけでは耳が死ぬ。セレブリエルは正面からまともにやりすぎである。イワーノフなら聴けるがこれはダメ。曲のダメなところがクリアに聴こえる。最初こそ古典を意識した均整感をみせるがそれは単に学生的なクラシック音楽のセオリーに従っただけで、そこに民族主義的主題をぶちこむのは良いが、楽器法が後年とは比べ物にならないほど単純で、ただヴァイオリンがひたすらメロディを担い動き回るだけ、というカリンニコフもびっくりのやり方。それでも四楽章通してちゃんとしてるし、若いなりの冒険的な部分~あんなわけのわからない終わり方はいいのか?~を何とかその中に収めているのは恐らく後年の改訂によるところが大きいだろう。いやしかし、しっかりグラズノフではあるのでグラズノフ好きにはアピールするだろうが、普通の人はこの頃のロシア国民楽派、バラキレフやリムスキーなどのたまに書いた「つまらない純音楽志向」の曲と同じものを感じ取り、時代は逆だが劣化カリンニコフとして却下するだろう。うーん。それにしてもくどい。
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グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番(1998)



<最近ショスタコーヴィチを聞き直している。久しく聞いていなかった「レニングラード」などに改めて感服したりなぞしている。緩徐楽章にブルックナーやマーラーのエコーが聴こえるたびに、ああ前の世代を否定する事により成り立っていた「モダニズム」の、「次の」世代なんだな、と思う。音楽院時代の師匠にして個人的恩人でもあるアレキサンダー・グラズノフは、ロシア五人組、とくにボロディン・リムスキー=コルサコフの継承者として約束された道を歩んだ。外来の音楽家や、チャイコフスキーらモスクワ音楽院の折衷派とも活発に交流したが、踏み外す事を許されぬ道はそのままペトログラド音楽院長へと続き、表向き闘争する側に回ることも許されなかった。結局作曲家としては殆ど忘れられることとなり(寧ろ指揮者だった)、困窮の亡命者という末路は「破滅」だったと言ってよいかと思う。

グラズノフの才能はどのみち限界に当たったのかもしれないが、最盛期までの流麗な佳曲の数々に触れるたび、時代の波に翻弄された帝政ロシアの「最後の波(byブラームス)」に同情する気を抑えられない。音楽的系統樹を切り倒す暴風~ゲンダイオンガク~への防波堤となったグラズノフは、ストラヴィンスキーやプロコフィエフという異能と対立する事もあったが、あくまで個人的趣味の上に留め、その才能についてははっきり認めていた。寧ろ自分の耳がロートルなのかもしれないという発言は、マーラーがシェーンベルクに語ったこととよく似ている。それゆえ「潰す方向」に動く事は決してなかった。ソヴィエト時代の権力的音楽家が真の才能を持った音楽家を押さえつける構図とは全く異なる。ショスタコーヴィチの才能はこの暖かな温床の上にすくすくと芽を伸ばした。程なく大輪の花が開く。そして半世紀以上にわたり花が付き続けた。世界中に種を撒いた。あの鉄の壁の向こうから、壁など無いかのように力強く響く音。音楽史の流れからいえばそれはとても先端のオンガクではなかった。だが現在20世紀が終わるにあたって、この世紀において最も才能に満ち溢れ、しかも真摯であった作曲家が誰かと考えてみると、DSCHの4文字が浮かんでくる(多様さを否定する無闇な順位付けなど意味の無いことだが)。オネゲルではないが伝統の「幹」がなかったなら「枝葉」など生える事は無い(これは新古典主義のことだったか、ショスタコーヴィチも新古典の流れ上にいる作曲家だ)。かといって枝葉を張らない幹は枯れ果てるだけなのだけれども。・・・

収集がつかなくなってしまいました。この曲はグラズノフの室内楽では最も良く書けているといわれる。交響曲のところでも書いたが、中央ヨーロッパ的な後期ロマン派音楽の枠組を総括したうえで、旋律と和声という「音楽の重要なファクター」についてだけロシア音楽を取り入れている。配合具合が独特のため個性的に聞こえるが、耳ざわりが悪くなる事は決してない。フーガに始まる1楽章は強い力を持ち、4番四重奏曲で試みられた古典音楽回帰の傾向が、より消化された形で魅力的な旋律群を飾っている。2楽章は典型的なロシア国民楽派のスケルツオであるが、テンポの遅い演奏で聞いてみるとブルックナーやマーラーの舞踊楽章を思わせる深刻な色をにおわせる。さらに8番交響曲の暗い幻想に繋がるような儚い3楽章は死に行く白鳥を思わせる味わいを持ち、祝祭的な終楽章は緊密な対位構造や複雑なポリフォニーによって、その長さを感じさせない程ヴァリエーションに富んだ内容を聞かせる。ブラームスからベートーヴェン果てはバッハまでも取り入れて、この秀逸な流れは昇華洗練されてショスタコーヴィチに確実に受け継がれている。ストラヴィンスキーですら初期にはグラズノフ的な曲を書いた。アマルガム作曲家であっても影響力は強い。手法の探求され尽くした時代の芸術のありようが、ここにも先駆的に示されている。(またいつかしっかり書きます。すいません中途半端でした)>2000記


◎ショスタコーヴィチ四重奏団(melodiya)
○リリック四重奏団(meridian)
ダーティントン四重奏団(pearl)
シシュロス四重奏団(melodiya他)

これらを聞き比べると余りの印象の違いに改めて「懐の深い曲」なのだなと思う。無論オーソリティのショスタコーヴィチQにかなうものはないと思うが、民族音楽的趣が少し苦手の場合は後者の演奏に触れるとよいと思う。ショスタコーヴィチQのヴァイオリンは独特のロシアスタイルで、折衷派グラズノフをおもいきり五人組の世界に引き戻すようだ。あやふやな音程感も左手の柔らかい演奏スタイル(コブシのきいた細かく沢山のヴィブラートをかけることにより、素朴だが艶やかな音色を出せる)上、仕方ない。単純な技術でいえばダーティントンのほうが上に聞こえるかもしれないが、この解釈は軽すぎる感もある。また生硬だ。リリックの終楽章は面白かった。シシュロスは奏法はショスタコーヴィチQに似るがファーストの音が金属質で細く、堅牢な楽曲自体の魅力は十分伝わるが、情趣の面で劣る気もする。名前の近似でショスタコーヴィチ四重奏団との混同を疑ったが、異なる演奏でファーストはシシュロフではなくシシュロスという別人だと思われる。他、グラズノフ四重奏団のカット版SP録音(断片別録もあり)、従来は初録音と思われたレニングラード音楽院四重奏団(後年のタネーエフ四重奏団)のものなど古い演奏でも結構な数がある。新しい録音も比較的多い。

※2004年以前の記事に2017年加筆したものです

グラズノフ:5つのノヴェレッテ

サンクト・ペテルブルク四重奏団(DELOS)CD

伝統的なロシアのやり方で、現代の精度をもって演奏したスタンダードたる演奏。発音はショスタコーヴィチ四重奏団などを思わせる縮緬ヴィヴラートや情趣を湛えた音色で、しかし四本がしっかり同等に主張し、グラズノフの作曲手腕を活かしアンサンブルとしてとてもまとまった、統一された演奏になっている。曲ごとのムードの違いも(グラズノフ自身が書けた範囲で)明確で、やはりワルツの甘やかさにとても惹かれた。長さを感じさせない優秀録音。

グラズノフ:弦楽四重奏曲第2番

ユトレヒト四重奏団(Mdg)CD

全集+の一曲で雄弁で隙がなく構成的にも素晴らしい(音色がニュートラルで硬いのが玉に傷)壮麗なフィナーレが聞きものの演奏。ショスタコーヴィチ四重奏団の録音が唯一であった同曲を再評価するのに十分で、ローカルな魅力、情緒的表現を音色にまで徹底させた後者のそのまま裏返しの弱点が(音程狂いをそのまま録音したりしている)完全に払しょくされているが、情緒的要素には決して欠けていない。この曲はボロディンの2番と見事な相似形をなし、あれに民族色をさらに融合させ緻密に、それでも簡潔に構築している名曲だ。メロディも美しく、少し暗さのある、重みある響きは中欧ふうでもある(この盤はドイツ製だ)。後年より素直に才能が発揮されていて変な民族主義やアカデミズムが顔を出さない、ただちょっと長いと感じる人もいるかもしれないが、チャイコフスキーほどくどくはない。ボロディン2番を意識したようにソロ楽器にろうろうとメロディを演奏させほかの楽器が沈み、それがかけあったり数珠つなぎされていく点で「アンサンブルの魅力」でいうと躊躇する団体が多いのか演奏機会もほとんどなく(むかしyoutubeにあったが今は断片しかない)でもやってみてボロディンの2番より数十倍アンサンブル曲であるから単なるイメージだろう。ヴィオラソロを導入部に長々と挿入する後半楽章はとても聞きごたえがあり旋律にも連続性があっておすすめだが、前半楽章、1楽章は「スラヴ」を思わせる恥ずかしい演歌だけど、2楽章はボロディンとチャイコフスキーのスケルツォを掛け合わせたようなトリッキーかつ熱情ほとばしる曲でよい。この演奏はちょっと前半おとなしい。

いずれにせよweb配信販売もされているので、定額制とかやられているならぜひ!聞いてください。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ

シシュロス四重奏団(melodiya)LP

ステレオ初期の日本輸入ボックス収録だが、表記ミスでファーストがシシュロフのショスタコーヴィチ四重奏団の演奏の可能性がある。ショスタコーヴィチ四重奏団は民族的な音、表現と均整感、整えたようなテンポでグラズノフを臭くも冷淡にもならずちょうどいいバランスでまとめ上げており、おそらく一番グラズノフの室内楽を録音した楽団だが、音程のアバウトさを含む民族主義的な音が(スラヴにかぎらないオリエンタルなものを含めて)かなり似ている。もっと表出意欲が強く感じるのは終楽章だが反面、全般にはそれほど押しの強さのない、少し耳が離れてしまうようなそつのないところもある。録音も古びている。そんなところか。25分を上回る民謡組曲なんてむしろ普通飽きるもので、グラズノフの各楽想にあわせた巧みな書法とじつは結構常套的な部分をどうミックスして聴きやすくするかというところはある。抜粋なら簡単。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ~Ⅳ.ワルツ

グラズノフ四重奏団(CCCP)SP

グラズノフの代表作の中でも著名な作品で、冒頭からの跳ねるようなワルツ主題はチャイコフスキーの次を見せるような美しくも儚い名旋律だ。幾つかの旋律をわたり再びこれに戻っていくが、やはりこの主題をどう聴かせるか、とくに単品で出てこられると(おそらく全曲あると思うが)期待してしまう。グラズノフ四重奏団はその名に恥じず、懐かしい音とフレージングでこれこそ聴きたかったものだ、というものを与えてくれる。といってもほとんどファースト次第でもあるが四本とも表現が揃っている。裏面の暗い主題あたりは原曲がつまらないからまあこうなるなというかんじだが、盛り上がって勢いを取り戻す腕は円熟している。なかなか。

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グラズノフ:交響曲第8番

セレブリエル指揮ロイヤル・スコティッシュ国立管弦楽団(warner)2005/1/9・CD

オケの性向なのだが旋律への思い入れのなさが気になる。発音が型どおりでヴィヴラートやらニュアンスの付加がない。シンフォニックな演奏で総体としてはよく響き、グラズノフの円熟した技法を変な歪みなく聴けるのは良いといえば良いが、かえってマンネリズムをも浮き彫りにしてしまう。解釈抜きに旋律そのものの魅力だけで聴かせることも十分可能な作曲家だが、完成されたシンフォニーとしては最後にあたるこの曲にはそれまでみられなかった暗さや単純さ、古典的な構造性への傾倒が完全に西欧的な楽曲への脱皮をみせる箇所が随所にみられ、そのあたりの「変化」をチクルスの中で表現するに、もちろん無解釈ではなく細かなルバートなど独特のものはなくはないとはいえ、それまでのシンフォニーと同じトーンでやるのではなく、漆黒の二楽章も、これはこれで非常にわかりやすいが、なぜ漆黒でなければならなかったのか、物語性を求めたくもなってしまう。奇妙な半音階の浮き沈みしダイナミックな表現を示す特徴的なスケルツォは、弦に鋭さ、明確さが欲しくなる。中間部のテンポの落とし方は一本調子を避けて良いものだが、いずれ楽章間対比はグラズノフが重要視していたといつものだ。四楽章は全曲バランスを考えて雄大にやっている。全般、美しくニュートラルな演奏なので、苦手な向きは聴きやすいかもしれない。

グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」~グランド・ワルツ

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(SLS他)1950/3/25・CD

グラズノフの代表作と扱われるライモンダのワルツ抜粋。まさにワルツ、それ以上のものではない。ライモンダは一般的に、ゲンダイでも通用する佳作ではあるが、少々飽きる。マルコはうまくワルツも振れている。

グラズノフ:バレエ音楽「お嬢さん女中」抜粋

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(SLS他)1950/12/9・CD

グラズノフのバレエ音楽というと四季となるだろうが、グラズノフ自身の作風がはっきり現れかつ一定のボリュームを持つ、完成度も訴える力も強いのは「お嬢さん女中」ということになるだろう。ロシア五人組ならびにチャイコフスキーの後継として総括、さらに復古的な佇まいを持たせ、その確固たる地盤のうえにグラズノフ自身の癖が悪い方に出ず構成されている。このSP片面の短い抜粋だけとっても四季には無かった古典回帰志向とグラズノフの個性の刻印が見て取れる。マルコも当代一流録音オケの力でグラズノフの真価を問う。勢いのある演奏。

グラズノフ:バレエ音楽「四季」~冬、夏、秋より抜粋

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(SLS他)1950/3/23・CD

セッション録音。聞き所だけの抜粋で統一感はない。SP起こしの音はノイジーで辛いが戦前を思わせる賑やかで雑然とした後期ロマン派音楽の良さが肌で感じ取れる。しかしまあ、マニア向けだろう。

グラズノフ:バレエ音楽「四季」

アルベール・ヴォルフ指揮パリ国立音楽院管弦楽団(london)CD

近代バレエ音楽を確立したのがチャイコフスキーで、現代バレエ音楽を確立したのがストラヴィンスキーとして、その間に位置するロシアの作曲家が何もしていなかったかというとそうではない。チャイコフスキーの跡目を継いだタネーエフからラフマニノフといった作曲家はいずれもピアノという楽器から離れることがなく、作品も舞台音楽についてはほとんど冒険的なものは手掛けていない。対して本来別の流れ(リムスキー・コルサコフらペテルブルクの「クーチカ」)にあったグラズノフは、モスクワのチャイコフスキーとも親しく接し、その音楽に魅了されていた。天才少年だった頃からリストらに同行して世界の音楽に触れていたこともあり特定の流派に固執することなく、節操なく良いものを消化しては作品に反映した。殆どの楽器を演奏することができ、ピアノに頼ることもなかった。チャイコフスキーの作風も躊躇なく消化し、交響曲のスケルツォにはチャイコフスキーのバレエ音楽風の舞曲を導入している。さらにここにある「四季」はグラズノフがチャイコフスキーの延長上からさらに分かり易いローカル色を排し、「特定の物語に依拠しない」初の「抽象的なバレエ音楽」として仕上げたものなのである。この作品には筋がない。四季に沿って四つの場面(楽章)があるだけである。雰囲気と流れ、ブロック状の楽想の組み立て、それだけで成り立っている。意図は舞踏を際立たせるためのバックグラウンドミュージックなのであり、「音楽だけでは成立しない」危険性も孕んではいるのだが、スッキリとまとまった四曲に、癖のない旋律~冬から始まるが楽章間の楽想の変化はさほど強く付けられず明るく進み、とくに終楽章「秋」の晴れやかな名旋律はご存知の方もいるかもしれない~を散りばめ、管弦楽に無理を強いることも、ダンサーに不可能を強いることもないよう配慮の行き届いた簡潔な書法で仕上げられている。

それにしても擬似ステレオと思われるヴォルフの録音は明るくきれいなだけで、原曲が簡潔なだけに引っかかりがなさすぎるので、平板で飽きる方もいるかもしれないが、これはおそらく舞踏を載せると巧くいく演奏なのだ。難しく見せかけてわりとすんなり出来てしまうグラズノフの木管ソロへの要求も、フランスオケのそれほど機能的でないところを目立たせず、むしろこれはロシアでコテコテやるのではなくフランスでやる曲なんじゃないかとも思わせる、じつに品の良い雰囲気である。じっさい古い録音にフランスのものも複数ある。

グラズノフ:交響曲第5番

児玉宏指揮大阪シンフォニカー交響楽団(rohm,KING)2010/3/17live・CD

ロシアの演奏と比べればそれはパワー不足は否めないが、一楽章の流れ良さやその最後の方のブラスの「だからこその切迫性」というようなものはあるし、二楽章はエンジンがかかってきて、このオケのバレエ音楽適性(グラズノフのシンフォニーのスケルツォはたいていバレエ音楽である)、木管楽器をはじめとする美しい響きと雰囲気の典雅さは一聴に値する。カリンニコフ一番の二楽章のようだ。リズム取りの上手さなど、この曲に慣れきった人ほど聴くべき、ロシアのローカル作曲家ではなく、プロフェッショナルな教師兼作曲家としての腕をしっかり浮き彫りにする名演だ。三楽章はロシア調ではないものの、旋律の起伏に重きが置かれ過ぎている気もするがライヴ感はあり、ラフマニノフを想起させる弦楽器の表情の豊かさ(響きは薄いのが残念)は「ここで本気出したか」というくらいそれまでの楽章と差がある。リズム取りはワルツ風というか、前の楽章もそうだがこのコンビは舞曲が上手いらしい。これもロシア色が出ないのは良い、透明感あるセレブリエルとは違って、熱いものの安易に気を煽る解釈に走ってはいず独自性を魅せる。ここで異様なスケールの盛り上がりを作って一気に四楽章の疾走。なかなか派手に打楽器を鳴らし、現代的な演奏レベルは保ちつつ、グラズノフ屈指のメロディを抱く民族的フィナーレを時には力強く時には軽快に、弦楽器に後半疲れがみられるがグラズノフはそんなことで瓦解するスコアは作らない、ブラスや打楽器によって音楽は弛緩することなく、実際テンポにタメを作らず最後まで真っ直ぐ走りきる。ブラヴォが出てもいいくらいだが。今は日本でも普通に演奏されるそうである。

グラズノフ:交響曲第5番

セレブリエル指揮ロイヤル・スコティッシュ・フィル(warner)2004/1/6-8・CD

臭みの無い音、ダイナミックな起伏の付け方、スケールの大きい演奏と優秀録音に拍手。繰り言を繰り出すように同じ主題を捏ね繰り回すグラズノフ、対位法を駆使し様々な方向から立体的な音楽を展開して、私は変奏曲が好きじゃないが、グラズノフについてはロシア国民楽派系作曲家の中で一番聴いていてストレスは無い、それでもフェドセーエフですら「臭み」が気になるのは楽団の性格と共にやはり楽曲の民族性に主眼を置いて楽想のままに演奏させてしまっているからで、セレブリエルはグラズノフがどこの国の作曲家なのか明らかにすらせず、ワグナーの管弦楽の流れを継いだ抽象的な交響曲としてやっているように聴こえる。同曲をいったん分解してモダンに再構築する、というよりグラズノフ自身がそれを望んでいたとも思うのだが、クーチカのムードに流されたようなローカリズムから脱し、ロシア音楽に通底する音要素が使い方によって汎世界的にも通用するものになるという意思を尊重し、響きの安定感を主張せず自然な拡がりを作り、極端ともとれるテンポ変化も含む解釈を施したところ、さらにイギリスの透明感ある楽団から技術的なメリットを引き出し、終楽章は激烈な前のめりのテンポで煽り、けして歌心に拘泥させることなくライヴ感のまま大団円させている様子にははっとさせられた。この曲の演奏様式はムラヴィンスキーやスヴェトラーノフからとうの昔に離れているのである。そう感じさせられた。

グラズノフ:バレエ音楽「ライモンダ」抜粋

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(ORGANUM他)1962/2/10ブダペストlive

バルトーク、ブラームスのアンコールとして演奏された模様。ごくごく短い抜粋だがスマートに、ほのかな懐かしみを感じさせる演奏。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

ギンペル(Vn)ハンス・ミュラー=クレイ指揮南ドイツ放送交響楽団(meloclassic)1956/10/2シュツットガルト放送スタジオ録音・CD

ギンペルらしく危なげない安定した技巧にスピード、明るく力強いスタイルが怠惰な一楽章を引き締める。基本まっすぐ突き進むがもちろん表現の綾はこのクラスのソリストには当たり前のようについている。グラズノフの西欧主義的側面を国民楽派の靄の中からきちんと取り出して曲の大きな分節ごとに少し異なる色をつけしっかり構成している。長いカデンツァでスピードが速すぎてとちるのは珍しいことだが(後半部も所々ライヴのような指の転びが入るものの)トランペットとの対話から始まる民族表現を尽くす祝祭的音楽への移行も速度、音色と技巧の安定感から唐突感がなく、近代ヴィルトゥオーゾ的表現もしっかり兼ね備えた立派な演奏となっている。オケが音色だけでなく反応も鈍重さを感じさせる部分がなくはないが、オケを聴く曲でもなしきちんとアンサンブルになっているのでマイナスにはならない。録音はこんなものか。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

セーケイ(Vn)オッテルロー指揮ハーグ管弦楽団(decca/M&A)1947・CD

面白くない。グラコンを前時代的なロマン派協奏曲として扱い、それなりに普通にこなしたという感じで余りに引っかかりがなさすぎる。民族性も煽られず音色も変化に乏しく、しかしこれすべてノイズ塗れの悪録音のせいかもしれないから、これ以上は言わないが、個人的にこのソリストは好みではない。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

カンデラ(Vn)デゾルミエール指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(columbia)SP

どんより暗いロマン性が横溢し、半音階的で息の長い主題をうねらせ続ける前半部から、カデンツを挟んで突如あけっぴろげに明るい民族音楽と化す後半部という構成の、グラズノフで最も著名な作品。民族主義的トリルの異常な多用っぷりは、カデンツでの重音トリルで特に奇怪な晦渋さを示す。トランペットが高らかに宣言し対話を始める後半部への切り替えは突拍子もないが、形式云々はともかくとにかく楽章間の雰囲気の対比を強く印象づけるというグラズノフ特有の思想にこれも依っている。後半部のさまざまな民族音楽的な奏法の陳列はまさにグラズノフといった感じで壮観。さて、このような「変化」を鮮やかに聴かせるために、最初はデロデロに重く、ファンファーレ後は華麗に技巧をひけらかすのが常套手段で、譜面をそのまんまやるだけでもそうなってしまうくらいなのだが、これがまたデゾルミエールである、冒頭からサラサラと爽やかに、まったく引っかかりなくサッサと流していく。明るい色調の即物的な表現は、ミゲル・カンデラのカラカラと笑うような無邪気に浅い音楽と融合し、「全く違う」グラズノフを聴かせていく。オールドスタイルの左手指使いは懐かしげな音も生んでいるが、それにはコッテリ甘ったるい重さが無く、あくまで軽やかな運指のうちにある。軽やか過ぎてメロメロになったり、音を外す箇所が頻繁に現れるのはいただけないものの、それも含めて特徴的だ。(カデンツ直前盤面返しのため音を短く切る乱暴な作りはさすがにいただけないが)部分部分にこだわることの全くないまま後半部に進んでいく。フランスオケの管楽器の音がまたプンプン漂う民族臭を灰汁抜きし、アバウトさも芸のうちと言わんばかりのカンデラのスピード感を失わないメトロノームテンポ的な解釈ともども気持ち良く聴ける。全般、デゾルミエールらしさの現れた、著名な「四季」録音の解釈に近似した颯爽としたアッサリ演奏として聴け、そこにカンデラならではの音色が加わったようなところに、一部マニアに受ける要素を感じ取った。個人的にはロシア音楽が嫌いな人ほど向く演奏だと思う。一方ペレアスなどの無解釈っぷりが嫌いな人には向かない。

グラズノフ:幻想曲「海」

セレブリエル指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団(warner)2008/6/4-6・CD

グラズノフの交響詩は他の分野の作品に比べそれぞれが個性的で聴き応えがある。これは冒頭から明らかにワグナーの指輪を下地にしており(グラズノフは圧倒的な音楽体験の記憶を自らの作風に上手に取り込んでいったが、大抵はそれとわからないくらいこなれているので、このような露骨な書法の引用は珍しい)、そこに徐々に自らの旋律要素や構造への見識を取り込んでいくが、ラストに近づくまで余りその香りをさせない。それがスクリアビン的ですらあるというか、西欧的な印象を与える。これと比べれば西欧折衷派と呼ばれるモスクワ楽派すら臭すぎると思えるほどである。描写的表現、その方法と効果は前時代的な単純さを示すが、グラズノフの全盛期は19世紀である、その時代において~1890年代前後~これは必ずしも古臭くはない。ついで言えばこれはゴリゴリの民族音楽(スラヴ・カルテット)をも書いていた時期の作品なのである、この人の柔軟で多彩な才能がわかる。ここでセレブリエルの演奏、イギリスオケの中性的で透明感のある音、安定した技術のうえでこの曲はさらに灰汁抜きをされ、早いテンポをとることによりまるで喜びの島とかあのへんの次世代のフランス音楽家(グラズノフはのちにフランスで客死する、ロシア語以外ではフランス語のみ使った、ラヴェルと同じ新作発表会に曲を出していたくらいであった)のきらびやかな音詩のかもすものにきわめて近いイマジネーションを、ロシアの泥に足を取られること一切なく掻き立てられる。なかなかの名演。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ~Ⅰ.スペイン風、Ⅱ.東洋風

ポルトロニエリ四重奏団(columbia)SP

しっとり聴かせる一曲目、イタリアの楽団らしい溌剌としたところをみせる二曲目、どちらも古い演奏にありがちなメロメロにはならず、音色はともかく、きちんとした現代的な演奏で、悪く言えばあまり個性的ではないが、良く言えば技術的に安心して聴けるものである。ボロディン風の二曲目にかんしていえば緩徐主題がいきなり南欧風の情緒をかもし世界を瞬間移動するような変な感覚が味わえた。ポルトロニエリは全曲録音していると思われるが、バラで四曲までしか確認できていない。

グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番

グラズノフ四重奏団(noginsk)1937

細部まで解釈が施された特筆すべき演奏。楽章毎に出来にバラつきがある。一楽章はスピード感溢れる名演。二楽章は前記の単品録音の方が速度感がありいいかも。三楽章はしっとり聴かせる。四楽章はテンポが前に流れたり技術的な問題が目立ち、いきなりカットで終わるのは収録時間の問題とはいえ残念。1stヴァイオリンの美音◎。グラズノフの誇るポリフォニックな書法が楽しめる名曲で、暇があったら4楽章はぜひどうぞ。古典から国民楽派音楽までの音楽史を消化し、4本の楽器に集約した素晴らしい楽章。グラズノフ四重奏団のグラズノフはノヴェレッテ抜粋やこの曲の楽章抜粋のほか、SPの面埋めにベリャーエフの名による四重奏曲の三楽章(但し共作でこの曲はボロディンによる)が録音されている。1950年とされるが時期的にメインの方(別の団体によるメンデルスゾーン)の録音年のように思う。高額で手が出なかった。。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ~Ⅰ.スペイン風

グラズノフ四重奏団(Mus)1930

名前に恥じない演奏。グラズノフの特徴が詰まった曲を音程狂いも厭わぬくらいてんめんと。しかしテンポは揺らさないで突き進む。中間部少しダレるのは曲のせい。同曲集は軽いサロン音楽として、部分抜粋がしやすくアンコールピースとしても重宝される。長さ的に一面5分が限界のSPに向くせいか同時代録音が多く、シェフチク=ルホツキー弦楽四重奏団やポルトロニエリ四重奏団(四曲(Ⅰ.スペイン風、Ⅱ.東洋風、Ⅲ.古風な間奏曲、Ⅴ.ハンガリー風)録音している模様、うち2曲はイタリアの図書館書誌サイトで各30秒だけ聴ける)、ローマ四重奏団など録音がある。

グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番~Ⅱ.スケルツォ

グラズノフ四重奏団(Mus)1930

びっくりしたと言ったら失礼か、上手い。水際立った表現、力のある演奏。グラズノフ四重奏団は戦前ソヴィエトの代表的弦楽四重奏団で、Ilya Lukashevsky、Alexsandr Pechnikov、Alexsandr Ryvkin、David Mogilevskyというメンバーからなる。ファーストがずば抜けているオールドスタイルの楽団ではあるが、今は聴けない縮緬ヴィブラート、即興的アンサンブルを楽しむことができる。

グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲

ラビンvミトロプーロス指揮NYP1954/5/2nicksonロシア国民楽派の後継者による独特の民族音楽奏法を取り入れた協奏曲。代表作。ラビンはまあまあという感じで特に凄いところはない。全体としてもまとまっている、くらい。録音悪い。

グラズノフ:5つのノヴェレッテ~Ⅲ

フロンザリー四重奏団(victor)SP

地味な楽章ゆえに大人しい演奏になっている。美質は聴き取れる。

グラズノフ:バレエ曲「ライモンダ」~間奏曲抜粋

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(放送)1970年代/4/6ブダペストlive

じつはこのベト7をメインとする演奏会で一番耳を惹いたのはこの曲で、リズムよしキレよしで楽曲は凡庸であるもののじつに爽快に聞けた。

グラズノフ:交響曲第5番~ⅡⅢ

○ボーアス指揮ハーグ管弦楽団?(私家盤)LP

地味な演奏で技術もそれなりといったところか。若い指揮者で誠実さは感じられ、アンダンテ楽章には心象的な情緒がたたえられており、ロシアの演奏にはない「引きの芸」がいい雰囲気を醸している。しかしながら、これはどうもアマチュアの演奏臭い。オケ名は正確にはわからない。○。

グラズノフ:ステンカ・ラージン

○ジャルディーノ指揮パリ音楽院管弦楽団(pathe)SP

要領がよくリズム感のよい指揮者だが、どこか垢抜けない。フランスよりはやはりロシア的。そういう曲だからそれでいいのだが、加えて現代的な無難さがある。色彩味はさすがこのオケといったところ。エイコーラーが美しい。録音年代は比較的新しいか。

グラズノフ:夢

○ジャン・デヴェミー(HRN)アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(POLYDOR)SP

何とも懐かしい音である。ホルンは木管楽器なのだなあ。。演奏は爽やかで色彩味がある。○。

グラズノフ:バレエの情景~Ⅲ.マズルカ

○エリアスベルク指揮レニングラード管弦楽団(USSR)SP

いかにも最盛期グラズノフのボロディン風味の曲で、エリヤスベルクは若々しくもりたてる。ただ録音のせいもあって貧弱な感も否めない。ロジェストなどを聴くとスケールの大きな楽曲にきこえるが、ここではやや小さい。

グラズノフ:謝肉祭序曲(冒頭欠落)

○チェリビダッケ指揮ベルリン放送交響楽団(audite)1945・CD

ボックス収録で恐らく初出。テンポが前に行かないものの愉悦感溢れるリズムとスピードで聴かせるチェリビダッケらしい国民楽派だ。緩徐旋律など透明感があり、ロシアの曲であることを忘れさせる。ドイツっぽくありながらそれにとどまらない表現が聞かれる。細かい動きがなかなか難しいグラズノフだが、オケは余程鍛えられたのか何とかやりきっている。フルヴェンぽい力感あるクライマックスあたりもいい。ただ、録音は悪い。○。
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岡林リョウ

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