スクリアビン:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(youtube)1988モスクワ音楽院大ホールlive(動画)

ソヴィエト末期でまだ楽団が万全であり、スヴェトラーノフも精力的に振りスケールの大きさよりもドラマティックで力強い音楽を志向していた時期で、この曲が得意でロシアン・ディスク(今は他のレーベルで出てる)がほぼ同時期のライヴをCDにしているがそれはこの曲のベストと言える素晴らしい演奏であっただけに、それに良好な映像が加わっただけで、多少音が貧弱でも脳内補完十分な見ごたえのあるものだ。とにかく来日してチャイコばかりやっていたとき指揮台を揺らした紅い扇風機もここにはないし、和製評論家に批判された「振るのをやめる(オケに任せる)」こともあまりしない(終楽章で謂わばドラクエ的なゲーム音楽と化すのだが、そこで軍国調に厳しい顔をしたあとはスコアを捲りながら振ってない。これは再現部で繰り返されるのでそういう約束なのだろう)、思い入れが凄いのかもしれないし、この時期のメインのレパートリーだったのだろうが、背筋が伸びている、このんだという(もう命尽きる頃だが)バンスタ張りの両腕の大振りは、別に見栄えを良くしているわけではなく、ほんとうにしっかり振りたかったのだろう。オケがこれだけ一体となって、しかも個々が技量を存分に発揮して、満場に響かせる…この曲では中間楽章、いやスクリアビンの全曲中この楽章はワグナー風のゆらぎを持つ旋律の恍惚感をもっと透明にカラフルにメロディアスに歌わせることのできる最良のファンタジーであり、その最高の録音者がスヴェトラーノフその人なのだ…スヴェトラーノフは棒に乱れをきたさず冷静な手付きを崩さない。「恍惚をすべて掌中に収めている」。音楽は物凄いファンタジーなのである。スクリアビンは意図的にユニゾンを多用し、スコアはわりと白いが、こういうふうに演奏できるというのはスクリアビンが凄いのもあろうが、スクリアビンの楽器法が面白いのかもしれないが、いや、スヴェトラーノフだからできた、西側流出がいよいよ酷くなってくる直前のソビエト・アカデミーの演奏だからこそだろう。ロシア式ブラスの大軍に包まれ全弦楽器がとことん歌う、本気の打撃で援軍を送るティンパニ、映像だとこのまとまりある響きの正体がよくわかる。弦楽器は中高年が多いように見える。それでしかできないこともあったのだと懐古する。また、後年スヴェトラーノフが響きに拘った源がこの時期までのソビエトのオケの力量を前提としていたのではないかとも感じる。さびしげなフルートなど、ソリストの技量ももちろんあるのだけれど。カメラアングルでだいたいこの曲の単純性、ティンパニ入れとけばいいとかそういうところが見えやすいのはアタッカで入る四楽章(アーチ構造の後半)。千両役者という皮肉な言い方は音楽家に失礼だと思うがそう言われても仕方ない感情的な振り方は後半の方が顕著になる。弦楽器の強いフレージングのまとまりがソビエトを思い起こさせる。無数のホルン、多いわけではないが吹きっぱなしのボントロ、やたら映るチューバ、音だけ異常に聴こえるハスッパなペット、それらは映像ではあまり捉えられないが、編成の大きさを象徴する。ゲーム音楽と言ったが、これをカッコいいと捉えられる人にはこれは名旋律だろうし、ブラスが目立つのはここで、他は木管ソロの断片を除けばほとんど弦楽器。弦楽器のところはちゃんと振るらしく最後は汗と乱れ髪で仲間を労いブラヴォに包まれあらためて、両腕を拡げて律儀なお辞儀、再度のコンマス握手。律儀なお辞儀。国家的云々はともかく本来評価されたのはこのスヴェトラーノフであり、歯抜けを若手で補ったオケを引き連れ出稼ぎに来たスヴェトラーノフではないのだろう。まあ、他国で呼ばれるような巨匠とはそういうものだ。しかしこの曲でここまでまとまったオケによる映像は無いだろう。今後もこのレベルのオケで収録されることはないだろう。。ソースがわからないが恐らく放送物なのでネット配信をレーベル名としておく。音質をマイナスして○(画質はこのての配信物としては最良)。
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スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

マデルナ指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団(SLS)1967/10/11live

これは上手く行った。最初ねっとり粘着質の表現にスヴェトラを濃くしたような演奏になると思いきや、主部に入ると速いスピードでドライヴしていく。マデルナなので音のキレは悪いがそれがブヨブヨした曲の雰囲気にマッチしており、感情的に引き込まれていく。色彩感はマデルナに期待されるほどではないがオケを考えるとこの透明感は仕方ない。前半でここまでやってしまうのはどうなの、と思いきや盛り上がりは持続し、クライマックスでは覇気ある壮大な(ここはスヴェトラ的)表現へ。オケならびに第一トランペットも僅かなミスのみでマデルナの機知に付けている。思わぬ拾いもの。むろん何よりスゴイ演奏とは言わない、思わぬ。録音もよい。

スクリアビン:交響曲第1番「芸術讃歌」

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団&合唱団、サリニコフ(T)他(russian disc他)1990/4/14live・CD

6楽章制(!)で理知的な構成を目指したロマン派大曲。ロシアの鈍重さも西欧の先鋭さもなく、ひたすら幸福感をふりまく旋律に彩られ、後半楽章でワグナーというよりは発想の類似性を指摘されるマーラーの復活(実際作曲前に同曲を生で聴いたそうだ)のようにドラマチックな展開をあくまで組曲的に積み上げるものの、長大な終楽章は延々とふたつばかりの芸術讃歌が繰り返され、唐突な歌唱の導入は確かに復活を意識はしているが、あのように滑らかな起伏なく、楽想の堆積であり、ディジタルである。単純かと思えばそうなのだが、そうではなく華々しいオーケストラの響きは和声感覚の鋭さとともにここですでに萌芽をみせる。結局ピアノへ帰っていく作曲家だが、オーケストラで一つの世界を築いた「世紀末作曲家」の代表格である。スコアを見たくなる瞬間はある(そして見て単調さにガッカリするのだがそれは書法の癖に過ぎない、必要最小限を目指したのだ、ということにしておこう)。スヴェトラーノフのこのライヴはオケや歌唱の出来を含め隔絶して素晴らしい。弱体化したソヴィエトの楽団をかき集めるだけかき集めて迫力を失わせないようにしているかのようだ。他の指揮者の同曲の演奏を聴けばいかにスクリャービンの良い部分を取り出して自然に聴かせているか、スヴェトラーノフがダイナミックな指揮者では必ずしもなく最後にはシンフォニックな響きの指揮者であったことを思い起こさせる。聞いていて、曲が確かにメロディ一個一個に楽章を割り当てたような生硬な組曲ふうのものである(努力して統一感は持たせようとしているが未だ有機的な繋がりを持たせる技巧は持っていない)から演奏によっては瓦解した交響曲であったり、楽章毎の出来が違ってしまったり、ぶっちゃけ下手な管弦楽法の悪いところを露呈させてしまったりして、途中聴くのをやめてしまう。が、これは私は聴くのを止めたことがない。録音が新しい割にはあまりよくないと感じる人もいるかもしれない、舞台が遠いと感じる人もいるかもしれないが、それでも音量を上げて聴いてみてください。「法悦の詩」に通じるものは絶対にあります。

スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

ヤコブ・ギンペル(P)(meloclassic)1956/2/22シュツットガルト南ドイツ放送スタジオ録音・CD

オカルトな世界へいっちゃう寸前のスクリアビンの魅力の詰まった単一楽章。冒頭から悪魔的な和音の迫力の求められる効果的な「ソナタ」だが、妖しい響き、蠢き、そのすべてが明らかな音でさほどスケール感を出さずにあっけらかんと出てきているのがポーランドの奏者というかアメリカで活躍した奏者というか、そんな感じがする。残響が繊細な音響の邪魔になる箇所もあるが、逆に残響を大仰に利用した起伏ある演出を施さずはっきり言えば即物的解釈のため、技術的不足はなく軽く聴けるものの物足りなさがある。娯楽映画のピアノを担当していたわりに抽象度が高く、陶酔表現も醒めたかんじで確信犯的で、クライマックスも作らない。登り詰めて断ち切れる、という迫力もなく、ちょっとフランス風だな、とも思った。

スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ~火の詩」

アルベルト指揮ORTF&cho(ina配信)1971/6/9放送 live

ルドルフ・アルベルトはセント・ソリのレコードがやたらマニアに聴かれていて、ところがACCORDがいきなり廉価復刻したらワゴンに直行、しかも比較的新しい人というイメージで、マニアだからいくつか持ってはいるが、印象に強く残るものはなかった(プレートルについても同じイメージがあった)。名前のイメージからか職人的でフランスの演奏に期待される響きが引き出せない人のような気がしていた。そう、期待していなかったので驚いた。最初の神秘和音の美しさ!重心を敢えて軽く、粘り気なく響かせ(それでもしっかり調和している)、そのうえでこの色彩感!このオケではロザンタールが得意としたカラフルな管弦楽の饗宴。ロザンタールの雑な部分は無く、まあそのぶん個性は薄まっているのかもしれないが、でも、気づかせてくれたことは、この曲は短い音符が要ということだ。ソリスト不詳なのは完全に融和的な演奏だからで、そのような扱いで良かったのだ(終演後の反応からして名のある人ではあると思う)。パラパラと胡麻を撒くように高い音を散らし、分厚い和音をユニゾンでただ動かしていくようなスクリャービンのやり方をそのまま音にするだけではいかにも、ロシアロシアした泥臭さが残ってしまう、そのあたりに動きを出し、だからといって協奏曲的な大仰なやり取りをするとまた古臭くなってしまう、ここをピアニストはまったく声部の一つとして「管弦楽を動かす」ことに専念し、取り出して聴けば生硬で冷たく感じるかもしれないが、そこがじつにオケの志向とあっている。交響曲と言いながらピアノとトランペットのための協奏曲を書いたと言えなくもないショスタコチックなこの曲を、ピアノとトランペット主体ではなく、たとえば弦のピチカート、たとえば鉄琴、そのへんのやはり「胡麻を撒くような音」によって響きの拡散性を強く印象付けたり、そういったことをやって、まったくフランス的な~スクリャービンもそういう表現を求めたろう~夢幻的で、決してどぎつくない音楽を仕上げている。褒めすぎたが、同じことをダラダラ書いてるだけなので、全世界で100万人はいると思われるプロメテウスファンは一度聴いてみてほしい。リヒテル/スヴェトラコンビとは対極にある。明るいスクリャービン。合唱が入ったら「シレーヌ」かと思った。ちょっといじってるかも。案外保守的な聴衆は戸惑い気味な拍手から始まる。

スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ~火の詩」

リヒテル(P)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(parnassus他)1972/4/3live・CD

最初少し緩いものの、ひたすら力強く派手なオケ、発音が明確過ぎて武骨だが圧倒的迫力のリヒテル、録音の悪さを置いておいてもこれは、全盛期の両者がわたりあった有数の記録。プロメテウスのとりとめもない音楽を、ソナタをやるようにしっかり「ソロとして」音楽的に構成して聴かせているリヒテルに驚かされる。そしてオケとのアンサンブルはアンサンブルでしっかり組み合い、総体としても至極まとまっている。起伏は他録のように大きくはつかず緩急がなく、録音のせいもありひたすらフォルテのイメージだが、弛緩なく最後まで聴かせる充実したものとなっている。響きに無頓着なわけでもなく神秘和音もちゃんと聴き取れるから、ロシアの演奏だからといって馬鹿にはできない。再発を重ねた古くからある盤。

スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ」

メシュチャニノフ(P)vista vera スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立so781226、針音露骨な板起こし音悪し。魔術的な曲、ピアノ協奏曲とは違うがもっと前に出てほしい。ねっとりした遅い演奏で音も疎、しかし大波のうねるような合唱部圧巻。

最近は「プロメテウス」と表記することが多いが、この時点でスクリアビン(スクリャービンと今風に書くのに抵抗が・・・)はフランス語で作品をつづっていました。ちなみに兄弟子?敵?のグラズノフもフランス語で書いてましたね(フランスで客死)。

「火の詩」。交響曲とも交響詩とも呼ばず、独自の「詩曲」というジャンルの曲としていました。

スクリアビン:交響曲第5番「プロメテ」断片(実験的ステレオ)

◎ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(history他)CD

※この録音は信じられないほどクリアで、色彩的で素晴らしい。当時の最高の録音と演奏の幸福な出会い。色光ピアノの光が目に見えるようだ。ピアニストも立っていて、演奏がいいのか録音がいいのか、断片だけではわからないが、とにかく良い。

ストコフスキーによる最初のステレオ録音(ベル研究所との協同) →ここ

historyのSP復刻第一集(もとは全10枚CDだったものを2001年位に二組に分けた)到着、早速このサイトのパブドメ音源(正規ではLPで復刻が出ていたとのこと)と比較。ワグナーに関してはすべて別録ないし被らないSP音源と思われる。展覧会の絵抜粋の抜粋はまだ聴いてないが全四曲ということから同じと思われる(モノラル含む)。historyは音源(録音年も?)を明記していないので同じものかどうかデータだけでは判別できない(実験的ステレオ録音かどうかすら書いてない)。わたしの入手目的の一つであったスクリャービンの交響曲第5番プロメテ「火の詩」から計6分あまりの抜粋は、録音年表記が一部異なるが同じでしょう。(正解は1932年3月12日ライブ△のようですが、historyでは1931/1932年となっておりました。私の古いリストに3月15日というものが記載されていましたが(交響曲第4番「法悦の詩」と同日)ここによると恐らくこの組み合わせだと3月19日の録音だと思われます。というかそういうの持ってたのか。原盤はvictorですがいかがわしいCDになっていたんでしょう。それにしてもパブドメっていいね。著名演奏家の骨董録音はかんたんに入手できる可能性が高いので買うのが馬鹿らしくなる)

こういうサイトがもっと検索できるエンジンだったのに何で今はあんななんだろう某Google。

△これは実験的ステレオではなく正規セッション録音もしくはそのテスト録音という意見が強い。実験的ステレオというより偶発的ステレオであり、二枚刃でカッティングされた一枚の原盤から拾った音を左右から聴こえるステレオに整えたという。本来は左右が逆に聴こえるのが正解というが、この理屈はよくわからない(いずれ近年手を加えているのだ)。ライヴ説に関しては咳の混入が根拠とされるが、テスト録音だったらありうるとのこと(ゆえに全曲盤とはやはり違うものだろう)。確かに精度が高過ぎる。精緻なライヴ録音のできる環境のあった時代ではない。演奏価値は揺るぎないのだが。

スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

ロジンスキ指揮NBC交響楽団(sls:CD-R)1939/1/1live

DANTE盤が前日の録音とされており、一楽章などかなり似通っているのだが、後半録音時間に違いが生じており、別録の可能性が高い。SLSは初出表示はしていない。ノイズが破滅的に吹き荒れる復刻状態で音量すら一定に保たれないため、慣れたすれっからしにすらとても勧められないが、ロジンスキの即物的な解釈はスクリャービンの過剰なロマンチシズムを雄渾なドラマに仕立て上げ、それなりに聞かせるものとなっている。オケがいい。

スクリアビン:練習曲嬰ハ短調op.2-1(ストコフスキ編)

○ストコフスキ指揮ハリウッドボウル交響楽団(scc:CD-R)1945/8/26live

亜流ショパンとかそのへんの前期スクリャービンではあるが第二主題とでも呼ぶべき静かなフレーズにはあきらかにロシア国民楽派の手法が聞いて取れ、スクリャービン自身の嫌ったロシア臭が、ストコフスキーの下品な表現によって顕にされているのが面白い。編曲はセンスがあるがいささかスクリャービンらしくない感もある。ストコフスキーが好んで取り上げた編曲小品。ショスタコやラフマニノフにもある。私は網羅するほどマニアではない。

スクリアビン:二つの小品(op.11-9,10)

○ジョイス(P)(columbia)1941/11/11・LP

ショスタコの協奏曲の穴埋めに入れられた二曲で、ジョイスの確かな指を感じられる。

スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

○ホロヴィッツ(P)(?)1974/11/17NYlive

METのライヴの一曲で、この頃の定番のレパートリーとして必ずコンサートの演目に入っていたようだ。正規録音化されておらず録音は悪いがwebで聴けるので、比較的安定した演奏として聴いてみてほしい。ノイズの中からも煌びやかなホロヴィッツの万華鏡が展開されるさまは壮観。但し、技術的問題もあることはたしかで、万華鏡がところどころ割れたり歪んでいるのが惜しいが・・・テンポが安定している反面一本調子かもしれない。

スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

○ホロヴィッツ(P)(?)1976カリフォルニアlive

ホロヴィッツの数ある録音のうちのひとつで決して状態はよくない。客席録音のようだ。しかし聞き取れるのはホロヴィッツがかなりロマンティックに大きな起伏をつけ、没入型の演奏を提示していることで、よたるようにやや危うくなる部分も厭わず同曲のファンタジーを存分に引き出そうとしていることがわかる。凄まじいブラヴォが入る。ホロヴィッツには何故か70年代中期の録音が正規非正規問わず多く、もっと昔の録音、バリバリやっていた時期のものを聴いて見たかった。普通の人は正規録音一つ聴けば十分でしょう。

スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

○リヒテル(P)(PRAGA他)1972/9/24プラハ・CD

好戦的な時代のリヒテルで清々しいほどに即物的。ペダルを使わず音を粒立てて音楽の煽情性は楽譜そのものから立ち上らせるやり方で非常にかっこいい。まだロマンティックで中期交響曲との関係性の濃い作品だが、この演奏からは乾いたロマンチシズムが感じられ、技術的な安定性をもってちっともほころびなく進む。野暮ったいロマンとは無縁である。強靭なタッチと細部をおろそかにしない完ぺきなピアニズム、リヒテル黄金期の記録だろう。私の手元の音源はモノラルなのだがステレオとのこと。

スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

○キタエンコ指揮BPO(dirigent:CD-R)2010/5/29live

底から轟くような響きで展開されるスクリアビンで、客観性が感じられる点はハイティンクの全集盤にやや近い感じか。スクリアビンでも断トツのロマンチシズムが盛り込まれた法悦的な中間楽章が同曲の聴かせどころであるが、ロシアオケに比べ構築的なあまり跳ねず地味になるのがドイツオケ、この演奏も交響的で色彩はやや地味かもしれない。とまれ中低管の活躍する両端部はかっこがよく、キタエンコの円熟とあいまってほどよく楽しめる。雄大なフィナーレは聴きもので聴衆も盛り上がる。

スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

○セムコウ指揮ワルシャワ国立フィル(STOLAT)LP

あっけらかんとしたところはあるが、中庸という表現が最も似つかわしいか。特長は挙げづらいが聴きやすく適度に楽しめる。この曲にも注ぎ込まれているどろどろしたものは殆ど濾過されているようで、オケの特性でもあろうが、純音楽的だ。○。

スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

○ブーレーズ指揮VPO(DIRIGENT:CD-R)2009/6/12LIVE

完全アウトな音源だがまあいい。とにかく響きが美しく、調和しており、いささか古めかしいながらも当時先端の妖しくゆらめく楽想を、しっかりつなぎ止めるように厚みを保ちながら足どり確かに進めていき、畳み掛けるような表現をまじえながら長大なクレッシェンドをぶらすことなく最後、激しく引き延ばされた終止音にいたるまで明確に作りあげる。最初はいかにも鈍重だが響きに耳を集中すると「聞き方」がわかってくる。NYPのような雑味なく、録音はともかく、のめり込んで聴ける。

スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

○ミトロプーロス指揮NYP(GUILD)1953/4/19live・CD

このレーベルは一日のコンサート放送をアナウンス含めまんまCD化するというどこかの海賊レーベルで聞いたことのあるような企画からスタートしたものだが、新発見が時々混ざるのと比較的低価格であるがゆえ侮れない。もっともデータが「正規化」されているだけで既出の「誤データ盤」と同じだったりもするようなので注意は必要だけれども。音質改善は無い、ノイズ慣れしていないかたには向かない。これはルビンシュタインとのサン・サンがメインとなるプログラムだが、裏メインとしてミトプーの音盤カタログにも出ていなかったこのスクリャービンがあげられる。ミトプーのスクリャービンはもちろん法悦の詩しかなく、スタジオ正規盤でなおかつかなり抽象的な即物性を持った、自身の芸風に寄せた演奏で、法悦の微塵も無い力感だけで出来上がったものだった。単品なら面白いが、スクリアビン側より聞き比べると没個性的な所は否めない。だがこの演奏は「ここまでやりきったらもう楽しいとしか」。運動なのだ・・・そっちの運動ではなく・・・素直にスポーツとしての運動。これは艶かしさの一切無い、オケがひたすら機能性を発揮して筋肉を見せ付ける、マッチョな演奏なのである。ミトプーとバンスタにつきまとうソッチのイメージとつなげられてもまた困るが、そういう不自然なマッチョではなく、健康的な運動公園でこじんまりと日常的に行われている運動選手のトレーニング、そういったイメージ。いやこじんまりといってもそれは録音状態に起因したもので、実演の迫力は凄かったと思う。集中力、演奏精度共にスタジオ録音を上回っている(後者は録音が悪いせいで聴こえないだけかもしれないが)。○。


Rubinstein & Mitropoulos - Recordings 1953: Saint-Saens, Borodin, Franck, Scriabin / Arthur Rubinstein, Dimitri Mitropoulos, NYP

スクリアビン:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1985/5/19ウィーンlive

ゴロワノフ以来のスクリアビン指揮者と言えるスヴェトラ、しかもその同曲演奏における最盛期と言える時期の西側エアチェック音源だが、録音が茫洋とし悪いのに加え演奏も覇気が感じられず精細に欠ける。もちろん白眉たる3楽章(中間楽章)の美しさといったらrussiandiscのライヴ録音(近年限定廉価再発されたボックスに収録)に匹敵する法悦感を漂わせるものだが、スヴェトラ本来の前へ流されずフォルムを明確に設定してしまう理知的な部分が出ており、オケの内圧が高まって暴発するような箇所はいくつもある曲なのにいずれ余り響いてこず迫力に欠ける。オケが萎縮しているようなさまは解釈の恣意性を際立たせてしまい、終楽章のゲーム音楽のような盛り上がりの演出が空々しく、まるで外様オケを振ったような、一瞬N響かと思うような変な固さが気になった。ペットの長い音符にスピットピアノから異様なクレッシェンドをかけていたり、こういうところは薄い書法のせいもあるのだが、何かしらの「勢い」が維持されていないと小っ恥ずかしくなる。聴衆も曲を知らないらしく第一部最後で拍手が入ってしまう。若干戸惑い気味でも少しだけブラヴォが入る。無印でもいいのだが恐らく録音の問題がかなりあると思うので、○にしておく。

それにしてもロジェストも早くから振っていて録音も早かったんだけど、今やスヴェトライメージがついてしまった。

スクリアビン:交響曲第2番

○ネボルシン指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団他(VISTA VERA)1950/6/27・CD

このあたりのmelodiya音源まで発掘してくるとなるとこのレーベルも凄いが、同時に中堅指揮者というのはプレミア感なしではやっぱり中堅指揮者でしかない、という印象もあたえる。典型的なロシアスタイルをもう少しトスカニーニ寄りに安定させたような、ムラヴィンスキーに近づこうとしたような芸風だが、処理は荒っぽく武骨で、同曲のアーチ構造の頂点に位置づけられる天国的な緩徐楽章においてはスヴェトラーノフの繊細な音表現にはとても敵わないリアリスティックな楽器表現に終始している。録音は悪い。この指揮者は余り長生しなかったがクーセヴィツキーの弟子筋あたりの世代ではなかったか。

Russian Conductors Vol.10 -Vassili Nebolsin / Vassili Nebolsin, USSR State SO, Bolshoi Theatre SO, etc


同曲について書くのはひょっとするとサイト初期以来かもしれない。スクリアビンの最も形式的な交響曲で、既に古い世代となっていたリムスキーらにもおおむねは好感をもって受け容れられたものだが、5楽章制で1,4楽章は続く楽章の序奏となっており、前半と後半がほぼ同じ、闘争的な暗い楽想、、、できて最後だけしっかり転調着地してベートーヴェン的大勝利というかなり恥ずかしい(ロシア的な)音楽となっているため、現代においてもロジェストくらいしか演奏せず、当人も恥じて後年は余り好まなかったようである。管弦楽法は正直単調だが下手ではなく、特に楽器法や音色操作には円熟したものを感じさせる・・・それがワグナーの模倣であったとしても。ピアニスティックな発想というと古い系統に属する弦楽器や木管楽器にはしばしば演奏困難な細かい装飾的音符の散りばめられパズル的に組み合わされたアンサンブルや、楽器毎の性格や音色の違いを加味せず数理的に処理された結果の複雑なハーモニー志向などが挙げられる。スクリアビンの場合、それはもっと素朴な程度で留まっている。シューマンのようなものだ。改訂も加えられていたと思う。スコアは極めて単純だがそれでここまでの演奏効果を与えられるというのは非凡以外の何者でもない。悪魔的な詩という副題をつけられることもある。スクリアビンのシンフォニーとみなされうる作品は全て後年の人智学的誇大妄想スタンスに基づき神秘主義的な題名を伴っており一部は自身による。

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

モントゥー指揮ボストン交響楽団(RCA)?~速い速い。すっきりと細部に固執しないやり方はムラヴィンスキーを思い出させる。手元の盤がちょっと状態が悪いもので、音色がどうだとか、色彩感がどうのといったところははっきりいってよくわからない。モノラルでもあるし、印象に残らない。モントゥーと私はどうやら相性があまりよくないらしく、ここでもちっとも楽しめなかった。無印。,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(multisonic/MELODIYA/BMG)1958/12/2ムラヴィンスキーはいくつもこの曲の録音を残している。その中でこの演奏は比較的個性的なほうだ。ボレロ同様この盤はピッチがおかしく、いきなりのペットが音外しのように響いてしまっているのは少々驚かされる。しかし音楽が盛り上がっていくに連れ気にならなくなる。圧倒的なペットの表現力、クライマックスでの大きなゴングの音。スヴェトラーノフのような巨大な造形力は無いが、特色ある音の響かせかたをしており、純音楽的演奏の限界に近い所までは行っているだろう。よい演奏である。,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

ミトロプーロス指揮NYP(COLOMBIA)~昔イれ込んだ演奏が今は全く聴けない、という経験は愛好家なら一度は味わったことがあるだろう。この盤はスクリアビンの目した法悦性を原曲以上に生生しく浮き彫りにした演奏として長く記憶に止まっていたが、最近聞き直してみて、評価を変えざるを得なかった。私のLPの保存状態が悪く、録音バランスも狂っていて(擬似ステレオっぽい電気的変換を経ているように聞こえる)耳障りが悪いせいというのもあるが、どうもここ何年か「作曲家の強烈な個性が異常に強く押し出された曲」というのは「恣意性」を加える余地が少なく、そこへ無理に演奏家の個性を詰め込もうとすると、すこぶる座りの悪い駄演になってしまう傾向があるように思えてならない。マーラーなど、指揮者の力で崩しすぎると、断片(歌曲的フレーズ)の集合体としては面白く聞けても、近代管弦楽の極致「交響曲」としての感動を十二分に与えるようなスケールの大きな演奏にはならない(誰の演奏を指しているというわけでもないが)。だからといって平均値的な演奏が良いというわけでも(決して!)無く、つまるところ個人的な「好み」の変化にすぎないのかもしれないが・・・。この演奏についてはストコフスキほどではないにせよ、兎に角嫌味を感じる。ブラスや弦が厚ぼったく「旨みがありすぎる」ため(誉め殺し)、胃にもたれる。NYPというよりフィラデルフィアの音に聞こえるのはひょっとすると前述の「歪み」のせいかもしれない。とにかく昔はお勧めだと思っていたが、今はそうでもない。 ,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

マゼール指揮クリーブランドO(LONDON),

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

バレンボイム指揮パリO(ERATO),

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

ストコフスキ指揮フィラデルフィアO(PEARL)1932.3.15,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

ストコフスキ指揮ニュー・フィル(BBC)1968/6/18LIVE/ロイヤル・フィル(MUSIC&ARTS/BBC)1969/6/15LIVE~イギリスのオケを使っているせいか率直でスマートな演奏に聞こえる。色彩的な処理も板についていて、違和感を感じさせない程度にうまく響かせていて秀逸。この2盤印象が若干異なり、ロイヤル・フィルのほうが速く感じる(演奏時間も若干早い)。そしてどちらかといえば大人し目かもしれない(それでも終演後のブラヴォは物凄いが)。ニュー・フィル盤は音がクリアなせいかいろいろと聞こえてくる。中盤でドラの音が強調(追加?)されていて面白かった。但し、ソロのペットが外しまくっているのは傷。アーティキュレーションに細かい指示があるようで、ソロ・ヴァイオリンが奇妙に伸び縮みしていたりするのも面白い聴き所だ。ニュー・フィル盤の結部の壮麗さは凄まじい。当然ブラヴォーの嵐である。もしスヴェトラーノフがいなかったら、ストコフスキこそがスクリアビンの交響曲の具現者として祭り上げられていたかもしれないな、と思うほどだ。両盤ともテンポはそれほど揺れないのはチェコ・フィル盤と同じ。低音がしっかり響いているので、音響的に安定した感じがする。良い録音で細かいニュアンスを汲み取れるという意味ではフィラデルフィアやチェコ・フィルのスタジオ録音より優れているとは思うが、今一つ強烈なものに欠けている気がして、いい演奏ではあるのだが、無印としておく。,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

インバル指揮フランクフルト放送SO,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

アシュケナージ指揮ベルリン放送SO ,

スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)(1904-07)

○ロザンタール指揮パリ・フィルO(EMI他)CD~客観的で色彩的なフランス指揮者お得意のパターン。こういう「法悦」も可能なのだ。ロザンタールも今や鬼籍。合掌。,
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