チャイコフスキー:序曲「1812年」

ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(PASC)1924

pristineのSP(アコースティック録音)復刻。速いパッセージはまとまってスピーディーで技術的に問題ないが冒頭含めテンポの落ちる場面で編成の薄さが弦のバラけとして現れ、縦が揃わないのはもう、大正時代の録音レベルだから仕方ない。クライマックスから末尾のブラスなど、アメリカのブラスの力量を既によく示していて、上手い。格好が良い。軽く聴き流すにはまあまあ。
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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1951/1/30レニングラードlive

録音はホワイトノイズの下でこもっているが聴けなくはない。冒頭からアンサンブルが崩壊気味でやばいが、一楽章のうちになんとか整ってくる。アーベントロートは他にも録音記録があるが、どうもすこし即興的にやる癖があるようで、そこを掴むのに時間がかかったようだ。デジタルに速度を変えたり妙に歌心を出したりエキセントリックな解釈はオケの心も掴んだようで、沈潜する二楽章はバッチリ。アーベントロートの衰えも込で聴くものがある。ガシガシいく三楽章ではやはりほつれはあるがシェルヘンのような重い音にデジタルな解釈は(シェルヘンの悲愴はよくないが)それなりに奇演好きにアピールする部分もある。おおむねはまともだけれど。四楽章アタッカ、もう最初から歌いこむ。冒頭の雑然とした様が嘘の様なレニングラード・フィルの充実ぶり。雑味の混ざる点では二楽章が最も上手くいっているが、何かアーベントロート自身の滅びゆく運命すら思わせる感情的なものがあり、とにかくこの悲愴は全般、最晩年的な雰囲気に満ちている。良い意味でも悪い意味でも。もっと輝かしい音をしていたはずだが録音はいかんともしがたい。下降音形でソリスティックにオーバーなフレージングをさせ、感情的にドラマティックに終わらせるのもアーベントロートらしさだろう。

チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」

グァルネリ四重奏団、クロイト(2Va)シュナイダー(2Vc)(BMGvictor/SLS他)1965-66・CD

しまった。詳細データがなかったのでSLSだからSP起こし、戦前録音だと思っていたらこれ昔国内盤CDにもなってた、最近まで活動していたほうのガルネリ四重奏団ではないか(ほんっとにややこしい)。どっちみち持ってなかったのでいいけど、データ無しは注意しないとならないレーベルSLS。ちなみに組み合わせもLP、CDの正規セッション盤と同じスメタナのわが生涯より。これはLP起こしのようだ。ノイズはともかく、厚みのある音で、こういうたぐいの音はむかしのCDだと冷たく現代的に感じたかもしれない。CD-R化してるんだから結局デジタルなんだけど、やはり拾う音は異なる。民族的な雰囲気の濃厚な曲で、どこがフィレンツェなんだ、というようなチャイコフスキーでもかなり国民楽派的な作品。ソリスティックな動きを交え旋律線を数珠繋いでいく、この分厚さがないと説得力ある響きが出ず、安っぽくなっていただろう。プロなら大して難しくないであろう早弾きも、小規模なアンサンブル曲に散らされるとそれはそれでこわいものであり、グァルネリの力強くも「教師的な演奏」は崩れる心配をせず安心して聴ける。チャイコフスキー特有の色調の変化のなさも、響きの重厚さで力づくで聞かせてくることもあり、そうは感じさせない。スタジオ録音だから低音楽器がよく捉えられ、チェロが役割をしっかり果たしているのもよく聴こえる。気合の入った演奏ではあるのだが、恥ずかしい旋律、赤面するような演歌を誇張せずきっちりすんなり通していくので、良い歌も同じトーンで素通りさせてしまい、印象に残るものはそう多くないかもしれない。テンポがところどころ落ち着くのはアンサンブル上の都合というか、セッション録音だからと思う。しても上手い、それは認めねばなるまい。一番の聞かせどころである四楽章の盛り立て方はまずまずだが、メロディにインパクトが欲しいし、チャイコフスキー特有の異様に開放感を煽る移調や突然挿入される古典ふう構造的書法の再現は巧すぎて、そういうところが時代を超越して「凄い才能」であることに気づかせない。テンションは素晴らしいものだ。このスピードで乱れぬフィナーレはなかなか聴けない。何度も聴けるたぐいの演奏だが、ロシアの演奏に慣れていると物足りなかったり、別の曲を聴いている気になるかもしれない。

チャイコフスキー:交響曲第5番

アーベントロート指揮レニングラード・フィル(SLS)1954/10/31live

版元は六番悲愴としているが五番。むしろアーベントロートの五番というだけで価値はある。東側を代表する指揮者の晩年記録で、相手がレニフィルというなんともなものである。破天荒さはこの人の持ち味ではないが、距離を保ち細かな揺れを好まないながら劇的効果を狙うところは狙う、そこが魅力であり、コンヴィチュニーらとは違うところだ。ただこの演奏、オケの性質と指揮者の性向が一致しないといえばしない。一楽章序奏、とにかく遅い。遅いインテンポを強いてオケの雑味が出てしまっている。主部で徐にテンポアップして通常の悲愴の感じにはなるが、この人はけしてドイツドイツした指揮者ではないと思うけれど、ここではドイツ的な構成感を大事にして崩さないから、結果ふつうの演奏になる。二楽章にきて、これはホルンとかクラといったソロの曲であるから、レニフィルならではの震える泣きのメロディが圧巻。またここで弦楽器もまとまってきて後半はびしっとアンサンブルする。音色の魅力を求める指揮者ではないから合奏部の音は味気ないが、ソロは凄い。三楽章も同傾向。ただ中間部の細かい音符の応酬ではスピードが速すぎ(ているわけでもないがムラヴィンスキー相手じゃないとこうなるのだろうというかんじで)乱れが出る。メインのメロディの歌い回しは特筆すべきところで、テンポをソロや楽団に任せて、こういうところがアーベントロートの素晴らしい手綱さばき、と思わせる。叩きつけるように終わるのも表現主義的だ。レニフィルの力感。四楽章あたりでは音ははっきり出させ音色を重視しないが人工的にドラマティックなドライヴぶりはシェルヘン的な意味で胸がすく(シェルヘンのチャイコフスキーは凡庸だが)。レニフィルとやっと呼吸があってきたのだろう。ただ、やかましいままダダダダと進んで、一息おいて同じ音量でマエストーソ、というのはすこしやかましいか。音の切り方が独特の部分もあり、またレニフィルのペットが下品で弦楽器の雑味を打ち消しとてもよい。正攻法ではあるが破天荒感ある終わり方。拍手は盛大だがブラヴォに類するものはない。面白い、けれどムラはある。

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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ガウク指揮レニングラード・フィル(新世界レコード/WME)1958/5/12東京live

板起こしCD-R聴取による再掲。けして良い状態ではなくノイズがゴニョゴニョ入り続けいかにも板起こしといったかんじ、音も往年の板起こしといった何の工夫もされていない生のままのもので、加えていったんデジタル化したかのような金属質の音色は正直あまり褒められたものではない。かと言って原盤もよい出来だったとは言えず急ごしらえの記念盤という感じ(白鳥の湖抜粋は未聴・未復刻)。日比谷か、音響も良くない。篭っているというか、ブラスが咆哮してもどこかにあたって発散しない音だ。解釈はムラヴィンスキーの代振りにもかかわらず完全にガウクで、即興的なものを含む前のめりの急くようなテンポは不安定さをかもし、あくまでライブで成立する演奏であり、客観的に繰り返し楽しめるものではたい。とにかくオケも弛くならざるをえず、つんのめる寸前で先へ進むというある意味、職人技の連続である。また、二楽章をきくとわかるが、個性は認められるが、そんなに面白くもない。それを四楽章で思いっきり歌い力強く慟哭するという「つじつま合わせ」で大団円、というのもまさにガウク。普通の拍手で終わる。なぜ録音したのかよくわからない。

チャイコフスキー:交響曲第5番

アルバート・コーツ指揮LSO(HMV)1922/10-11・SP

webで聴ける。エリック・コーツとは別人。オケはイギリスの一流どころなので個人技はあるのだろうが、テンポは流れがちで即興的な表現も気になり、楽しむという意味ではメンゲンベルクとトスカニーニをかけあわせて4で割ったようなもの。グダグダな部分があんまりにも多く何かしらの思い入れがないと全曲聴くのは難しい。珍演好き向け。

チャイコフスキー:交響曲第5番

パレー指揮ORTF(ina配信)1971/1/27放送live

録音は放送ノイズがなくはないがまずまずのステレオ。パレーらしくもなく落ち着いたスピードで鼻歌すら交えながらしっかりチャイコフスキーを演じている。オケは決して万全ではなくホルンなど不安定な箇所もあるが、心に響いてくる「パレーらしくない」ゆったり、音のキレにこだわらず、心情的な演奏(ほんとにパレー??)。優秀録音のライヴだと違うのだろうか、パレーはチャイコフスキーのシンフォニーの録音をライヴ含め幾つも残していて、新即物主義の直線的なものばかりだが、これは違う。正攻法の歌謡的なチャイコフスキーであり、訴えかけるものを持っている…個性は減衰したとしても。二楽章もこのオケにしては感情表現ゆたか。とくに弦楽アンサンブルに著しい。かと言って突出することはなく木管アンサンブルとバランスがとれている。明るめで振幅の少ない音色でも、ダイナミクスとスピードで変化はできている(クライマックスでの高速インテンポはパレーらしい)。落ち着いたワルツ(ここでもパレーらしくもない弱音の柔らかさが意表をつくがさらっと拘りなく煽らない表現はパレーらしいところ)をへて、やや色調変化に乏しい雄渾な四楽章へ。細かい操作なくどちらかというと終始同じ調子でやってしまった、盛り上がりどころのはっきりしない構成感だが、よく聴くと内声の木管が変な音の切り方をしたりしているところまで聴こえて楽しい。クラリネットの音符を切り詰めた発音が心地良い。聴きやすいテンポでちゃんとごまかされず中身を味わえる。弦はやる気も体力も減退せず、やや一本調子の曲を飽きずに弾き通す(聴くこちらは少し飽きる)。大きな音のそのまんまマエストーソまで流していってしまう、クライマックスにはうーん、というところはある。ペットとホルンの淡々とした掛け合いからフランス風にあっさりさっと締める、だがブラヴォが飛びまくるのは良い演奏とみなされたのだろう。

チャイコフスキー:幻想的序曲「ロメオとジュリエット」(1869-80)

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA他)1961/4/3・CD

醒めた演奏で、スペクタクル志向でもあり、終盤を除けば即物的ですらある。最初の方などサラッと聴こえ、オケの音が明るく透明感があり60年代様式とも言うべきか、ミュンシュ晩年スタイルに沿った、しかもあまり思い入れのない感は否めない。だが技術的問題はなく聴きやすい人もいるだろう。私は劇性が感じられずわかりにくかった。ロシア臭皆無。

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チャイコフスキー:交響曲第5番

モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD

同日録音(牧神、ダンディ)同様この時期のライヴとしては素晴らしい安定したステレオ録音で、篭った感じはおそらく高音域のノイズを削ったためだろう。左右の幅の広さと比して上への開放感がないのが逆に音の凝縮力を高めているのか、いや恐らくもともと一層いつにもましてこのチャイコフスキーはスピードと力感、その滑らかな融合ぶりを楽しめるものとなっており、トスカニーニよりも細やかにこなれ、ムラヴィンスキーよりも柔らかく情緒的で、チャイ5でこれだけやれればもう十分だ。速いながらも緩徐部でのアーティキュレーション付けはしっかりなされ、欠けたところがない。アメリカのコンサート特有のマエストーソ前の拍手はもう慣れるしかないが、そのあとの大ブラヴォは頷ける。とにかく納得づくの「誰にも楽しめる」チャイコフスキーです。私のボックスのこのCDは少し質が悪くデジ化失敗率が高い。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(m&a/NAXOS)1941/4/19live・CD

m&a盤は原盤状態が悪いらしく二楽章の派手な音飛び(のレベルではない…)を始めとして、終始ノイジーかつ篭った音なのは、もう聞く側で何とかするしかない(とはいえ度を越したパチパチノイズは板起こしとはいえ鼓膜が痛い)(NAXOSはましとのこと)。前半楽章は高音が伸びないばかりか最強音で低音が全く聞こえず、上り詰めた先突然スカっと抜けてモヤモヤする。トスカニーニの悲愴としては3年前の綺麗な録音復刻をおすすめするが、特徴としてはそれより心持ち直線的であるもののリズミカルで、二楽章の歌い込みは独特の節回しが前に立ち堂に入り説得力がある。音符を短く切ってハッキリとした演奏を目している。翻って一楽章は4番交響曲を思わせる劇性が引き立ち、メンゲルベルクのような特殊なものではないがヴァイオリンの僅かなポルタメントがトスカニーニにしてはかかりまくっているようだ(茫洋としてわかりにくい)。それも歌謡性のうちにある。三楽章は時代的に皮肉にも「軍隊的」で、ここにきてティンパニーもしっかり轟き、叩きつけるような表現で最後まで突き通す。これはもう派手派手に、しかし筋肉を緩ませることのない素晴らしいものだ。比較的落ち着いた拍手が入り、いったん絞られ、改めて四楽章が収録される。強いパチパチノイズが気になるものの、トスカニーニらしく、秘められた情念を抉り白日のもとに晒し出した悲劇的なフィナーレ。意外と暗いトーンが録音状態に合っていて、それは演奏家の意図的なものではないが、驚く。終演後戸惑い気味の拍手がパラパラ入りかけたところでトラックは終わる。トスカニーニの悲愴は40年代までだろう。

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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

モントゥ指揮ボストン交響楽団(melusina)1961/8/19live

キンキンするノイジーなステレオ。環境雑音も気になる。直截な表現、整えたような解釈、押さえるところ押さえて聴き映えはするのだが、「それ以外」のところが弛緩。とくに弦に求心力がないというかやる気が薄いというか一楽章から「え、こんな剥き出しのところで音程がバラバラ…?」といったふうで、最初ミュンシュと勘違いして聴いていてピンとこなかったのは晩年傾向のせいかと思ったらこんなことはミュンシュでは絶対ない、と確認、モントゥーだった。うーん。よく鳴り、よく彫刻され、完成された読みだが、何か手抜き感のある新即物主義的演奏。3楽章終わりで盛大な拍手となり、口笛まで。収まって「シーッ!」という声から終楽章。何故かこれが客席がシンとなるロマンティックでかつ透徹した演奏という。。

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チャイコフスキー:ヴォイェヴォーダ~間奏曲

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV,EMI/SLS)1950/12

短い曲で特に盛り上がりもない。穏やかな曲を普通にやっている。CD化不明(SLSはSP起こしCD-R)。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV,EMI/SLS)1947/3/26

SLSは針音がきついが音像が明瞭に捉えられる。当時のマルコの独特の解釈表現~音を尽く短く切り詰め粘らず、即物的傾向のもと太くハッキリ発音させ、リズムを強調し直線的な流れを重視する~がのちの煮え切らないスタジオ録音の演奏スタイルと異なり耳を惹く。正規販売されなかったのかフィルハーモニア管にしては一楽章前半からして速いスピードの前に弦楽器が乱れるなど「らしくない」部分もある。二楽章は音に憂いが一切なくリズム処理が明瞭な独特のワルツで、木管の棒吹きなど「単純化」された表現に好き嫌いはあるだろうが、憂愁の主題に入ると起伏が作られ対照的に感情を揺さぶりにかかり、トスカニーニふうの範疇ではあるものの染み入るところはある。シャキシャキした表現が活きてくるのは三楽章でチャキチャキである(何だそれは)。ナポレオンがロシアに生まれたらこういう歌が作られたであろうという軍隊調のところを煽っている。ただ行進曲というのとも違って、音量操作など小技を効かせた特徴的な解釈が光る。四楽章はオケの精妙な響きを活かしたであろう部分が悪録音のせいではっきりわからないのは残念だが、しっとりした夢、そして闇の表現は悲愴そのもので、三楽章との対比は見事である。クライマックスではスピードをむしろ上げ弦楽器の旋律を装飾する肥大化された上行音形は半音階を明確に聴かせずグリッサンドか単なるスラーのかかった音階であるように聴こえるほど速く、チャイコフスキーの書法の異様さが変に響かないのは、録音のせいでもあるか。ロシア流のローカルな色を出さず、しかしイギリスオケの中庸なる限界を超えており、これはSLSだからリアルに実態を聴き取れているせいだと思うが、精度は甘くも勘所だけは厳しく律せられたマルコのやり方が上手に働いて、ライヴでとんでもない名演の出てくることのある地盤の部分を感じ取ることができた。CD化不明(SLSはSP起こしCD-R)。

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1955/10/23・LP

これは比較的技術に劣る弦楽器だけで演奏されたために、チャイコフスキーのしばしばやる、細かな動きの無理のある合奏で思いっきりゴチャっとしてしまったりする。しかし全体の表現はしっかりしており、音には雑味が混ざったとしても、おおむね楽しめる。

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」組曲

フランツ・アンドレ指揮ベルギー国立放送交響楽団(telefunken/KING)1956/7/15・LP

無骨で上手いとは言えないオケだが編成(スコア)を分厚くいじっているようで、録音も近く聴き応えがある。音楽そのものの、メロディそのものの魅力に取り憑かれたような演奏ではなく、バレエ音楽らしいしっかりしたリズム取りで実直に、だが派手にやるところは結構やって、ドイツ的な演奏に仕上げている。雑味はあるが聴きやすく、弦楽器は低音から力強く、ソロ楽器はわりと上手く表現している。日本では廉価盤でステレオだったとのこと。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

クライバーン(P)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1972/6/9モスクワ音楽院大ホールlive

webで聴ける(既出かどうかは知らない、私はモノラルで聴いた)。グリーグ、ラフマニノフ2番ときてこの超重量級の曲という負荷にも動じず、いやむしろそれが身体を壊す理由になったのか、ギレリスより強くハッキリ鍵盤を叩きまくり、一楽章はタッチの激しさゆえに響きに雑味を感じるが恐らくミスは無い。オケが冒頭からとぼけたようなところがあるがコンドラシンがロシアオケの個性を抑えてソリストに寄り添っているのはわかる。ひたすらソリストの変幻自在の技を魅せつけていく、これはもう圧倒的。3楽章が終わって大ブラヴォーも頷ける。

チャイコフスキー:交響曲第4番

ストコフスキ指揮NBC交響楽団(CALA他)1941・CD

さすがに30年代レベルの音質でノイズも酷く、演奏様式も30年代量産したフィラ管との盤の一部にみられた、音色より「激烈さ」を重視する傾向が強い。極端で恣意的な表現はのちの微に入り細に入る柔軟な演奏とは少し違い、シェルヘンのように強い発声にデジタルな変化を付けるものだ。録音初期には敢えて激烈に発声しないと技術的制約から溝に刻めない時期があったが、ライヴでは伝えられる独自解釈を録音だと貧弱で明確に伝えられないからこその発想が残っているのかもしれない。ストコフスキは同時期の他の指揮者同様トスカニーニに感化されたような表現をすることもまた多くあった。これはNBC響なので尚更トスカニーニ的な「即物的な激烈さ」もまたある。音が冷たく硬質なのがまたフィラ管の生温さと違う明確な曲の印象ももたらす。同曲には一楽章派と四楽章派がいると思うが(全曲の統一感だの三楽章ピチカートだけの創意だのいうメリットは二の次)、私はだんぜん四楽章派で、この演奏は「どうしてお得意であろうソビエトでここまで出来る指揮者がいなかったんだ!」と怒りを覚えるほど極めて劇的に弄り倒され厳しく整えられた「我田引水様式」として、曲を知ろうが知るまいが誰でも「わかる」興奮系演奏として完璧だと思うが、退屈な一楽章最初の方、管楽ソロが突然珍妙としか言いようのない歌い回しをさせられ、そこから変な操作が細かく入ってくると、退屈さが失せていく。沈痛に落ちていくチャイコの鬱的退屈さも、ストコの「それじゃこれでどう?」という最早歌い回しの範疇を超えた「クリエイター魂」によって払拭されてゆく。頭でっかちな曲なので2楽章なんてさすがに印象には残らないが3楽章のピチカートは浮き立つようなリズムにオケの技術的メリットが引き出されシャッとした演奏に仕上がっているのもまたストコの憎いところだ。取り敢えず有名な録音で、NBC交響楽団の奇盤で知られたものではあるので、SP並のノイズ耐性があり、チャイ四が苦手な私のような方は是非聴いて楽しんで欲しい。

チャイコフスキー:交響曲第4番

プレートル指揮シュツットガルト放送交響楽団(WEITBLICK)1991/6128live・CD

ライヴというが継ぎ接ぎでもないのに演奏瑕疵はほとんど無く拍手も無い。最初こそプレートルのスタジオ録音のイメージに沿った透明感ある構築性と適度な張りのある演奏だが後半楽章、とくに四楽章は別の面即ちエキセントリックさが明確にあらわれ気を煽る。スピードはひたすら速く、アタックは尽く強く攻撃的である。一本調子ではなく期待されるものを上回って提示してくる。オケは少しドイツ臭いが技術的にむしろプレートルを助けるくらいの心強さである。この曲は得意ではないが、地味な三楽章(弦のピチカートだけによる)のあとの四楽章文字通り火のようなアレグロには傾聴。フランスふうの軽い音響ではないから、プレートルの国民楽派への傾倒ぶりがよりよくわかるだろう。そのあとのビゼーの交響曲が霞む。同日ライヴというのもこの精度では素晴らしい。

チャイコフスキー:劇的序曲「ロメオとジュリエット」

マルケヴィッチ指揮ワルシャワ・フィル(accord)1962/1live・CD

併録の近代曲二曲とくらべて時代の差異がはっきりついていると思いきや、マルケの方法は一貫していて、曲を整理してオケを磨き切り厳しくアンサンブルを整えエキセントリックな激烈な発音を要求する、打楽器がとにかくやかましいが対抗しうるほど弦に主張させる、メリハリは極端で、特有の個性的な和声は明確に浮き彫りにされ、むしろ現代音楽の方向にチャイコフスキーを引き寄せた解釈にも聞こえて違和感がない。ロマンティックな主題はさすがにロマンティックに歌わせるが、絡む他の楽器がしっかり吹いてくるので耽溺はしない。男らしくストイックなロマンス。

チャイコフスキー:交響曲第5番

パレー指揮デトロイト交響楽団(Melusina)1962/2/1live

軽量級のチャイ5が聴きたいと漁ってきた音源だったが、テンポ的には楽譜の指示以上に揺れず速めインテンポではあるものの、三楽章を除き表情のメリハリがついていて、とくに中低音域の充実ぶりが耳に残る。チャイコフスキーの立体的な書法を明快な捌きで明らかにし、単純な旋律音楽ではなく管弦楽の傑作と認識させる。二楽章が印象的で、けしてデロデロではないのだが、パレーの鼻歌が入り続ける、つまりはそういう演奏になっていて意外だ。三楽章こそパレーそのものといった素っ気無い何も残らない(きちっとやってはいる)ものの四楽章は怒涛の音響をぶちまけながら、疾きに流れず邁進する。マエストーソ前でパラパラ拍手が入るのも頷ける迫力。コーダも物凄い。力感とスピード。聴衆ブラヴォの終幕。この音楽には一貫して清潔感があり、高潔な意思の強さもある、モノラルの良くない録音であることは惜しい。オケはたしかにレベルが高いとは言い難く一楽章では特徴的なミスが耳に残るが、それはライヴなので金管ソロにはおうおうにしてあることで、全体的に水準が揃って聴きやすくまとまっている。

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

サペルニコフ(P)チャップル指揮エオリアン管弦楽団(apr/pearl他)1926初録音盤・CD

録音メロメロ、オケ重くて音つぶれまくりだが、しかし、それでもこのロマンティックな起伏の説得力、引き込む力は何だろう?かつてこの曲はルバートを多用する奏法が施されていた、同時代ではすくなくとも「こう」であったのだ。ピリオドでやるというのなら、これは規範たるべきものになるだろう。その上に乗ってくるサペルニコフがまた「違う」のだ。大仰なしぐさはせず颯爽と、何でもないかのように指を回し続け、音楽の流れに乗って、いや、要所要所おさえつつ音楽のスムースな「流れ」を作り上げていく。そのスタイルはラフマニノフに似ている。この人のことをよく知らないが、ショパン弾きなのではないか?舞曲リズムの絶妙なアクセントの付け方は凡百奏者が普通にやってはできないものだ。そもそもサペルニコフは若い頃チャイコフスキー自身の指揮のもと同曲を演奏しているのである(録音が残されている奏者としては唯一とされる)。アンマッチなのにしっくりくるコンビ、いかにもイギリス風のオケ、格調あるソリストの音色に曲の臭みは取り去られ、ロシアの協奏曲にすら聴こえず、ここまで自然に調和してなお、技巧のすぐれたさまをも聴き取れる。年はとってもまったく衰えなかったのだろう。省略などあるだろうがそれでも佳演だと思う。パブドメ音源なのでネットで探せば聞ける。

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

ミルシテイン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA他)1953/3/27live

チャイコフスキーのコンチェルトは長い、めんどくさい、マンネリの三拍子が揃った難物である。だからこそプロが聴かせる必要がある。ミルシュテインはロシア往年の名手だが録音には「大丈夫?」というものもある。これも冒頭からしばらくはぱっとしない。今の耳からすると技術的に眉間に皺が寄ってしまう方もいるだろう。だが技術を聴きたいならピアノを聴いていればよいのだ。弦楽器は音色だ。音色表現の豊かさが魅力の総てであり、それを邪魔しない技巧を保つだけである。つまりプロのレベルで(かつライヴで)指が回るだのなんだのは二の次。という擁護の仕方でいくとミルシテインの音は変に豪快さや生々しさのない艶が光っている。どんなパセージでも音色は損なわれない。嫌いな曲なのに一楽章は聴いていられて、客席からもいったん大喝采が入り調弦にいく。この曲なんて二楽章がじつは大事で三楽章はぶっ飛ばしていけば出来上がる、訓練だけでいけるもので、その点はどっちとも言えないところがある。その論理でいけば三楽章の凄まじい技巧の発露も実は指を回せば音楽になってるだけと言えなくもないが、前記のとおりの魅力的な音が絶えずに終わりまでいくから、名演のように聴こえる。それでいい。せっかく歌っているところで弓を落としたの誰だ。録音は良くはない。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ハイキン指揮レニングラード・フィル(Noginsk)1938・SP

ソヴィエトの力を見せつけるような重厚な録音で、交響曲という大編成にも関わらず弦管のバランスも良く、同時代のフランスの78回転盤と較べると雲泥の差だ。ノイズ慣れしていれば十分聴くに耐えうるものである。既にレニングラードに腰を据えていたハイキンはガウクにテンポ感を持たせたような(あっちはライヴ録音だが)力強さと勢いを制御する術を30代にして身につけており、レニングラード音楽院で教鞭をとるだけの技術的に安定したものを感じさせる(モスクワにも出向いていたと記憶しているが)。録り直しの概念の無い時代ゆえ緩い部分は出て来るが同時代の録音としては極めて統制がとれており、レニングラード・フィルの水準の高さ、やはり弦楽器の力量には感服させられる。四楽章のような音楽ではコントラストがうまくつかず勢いをそのまま持ち込んでしまっている感もあるが、大粛清時代的な陰鬱さは排除されソヴィエトソヴィエトした前向き解釈が是とされていたのかと夢想する。師匠マルコが10年後くらいに同曲をイギリスで録音しているがこちらの方が魅力的である。後年しばしば感じられたレニングラード・フィルの土俗性も無く西欧的な演奏でもある。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

マルケヴィッチ指揮ORTF(eternities他)1958/9/25モントルー音楽祭live

(以前書いたものと同じでした)マルケはライヴ盤含めるとチャイコフスキー後期交響曲を山ほど残しているようだが、このスタイルだとどれをとってもオケの違い以外に差は無いだろう。はっきりした発音で(一部を除き)デフォルメのない悲愴。音符の最初が総じてあまりに明確で、影の無いあけっぴろげな音もあいまって垢抜けた印象をあたえる。情感を重視するロシア式とは違うチャイコフスキーだ。他の楽章では見られない性急な起伏のついた四楽章(ガウクっぽい)を除き醒めたトーンは変わらないが、内声までしっかり発音させこの作曲家特有の創意を引き出している。三楽章の弦の刻みの下で管楽器がロングトーン吹いてるところが悪いモノラル録音でも明瞭に聴こえてくる。もっとも、そういうブラスにパワーや音色変化が無い点は気になる。音量が上がると録音側で抑えられてしまう残念な点もあり。環境雑音多め。

チャイコフスキー:弦楽セレナーデ

コンドラシン指揮ドレスデン・シュターツカペレ(melo classic)1960/6/17放送・CD

これは見事。コンドラシンの面目躍如といったところか。ロシアの曲だとこうもリズム感、力感が違うものか。オケに適度な緊張感が漲り(厳しすぎて「スポーツ」になってしまうことはない)、見通し良いコンドラシンの立体的な表現に沿ったアンサンブルの粋を楽しめる。録音がモノラルでやや悪いのも、こうなると気にはならない。特に前半楽章は躍動感あふれかつボリュームのある音楽で、力強い起伏が心を揺らします。素晴らしい。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番~Ⅱ.アンダンテ・カンタービレ

ロンドン四重奏団(SLS他)1928/1

ついでに入っていることの多い録音で、SPならではの大カットがあるが、一応主要なふたつの主題は聴くことができる。この時代にしてはグズグズにもならずに適度に懐かしい音色で演じ、トルストイを泣かせにかかるようなスタイルではない。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番

ベートーヴェン四重奏団(Aprelevka)1939・SP

音が細く不安定なのは録音状態のせいでそう聞こえるだけだろう。懐かしい色ではあるがこれはまさにロシアのカルテットの音である。ロシア往年のカルテット、と言われて想起するイメージはこれなのだ。正しく鋭い発音ときちんと四本のバランスの良い、確かなアンサンブルは今の耳でもそこそこ聴けるものになっているが、時代がかったアピールもしっかりある解釈表現で、これだけやれれば同時代ソヴィエトでは並ぶものなかったろう。2番は1番ほど安直に訴えるものはないが、円熟した技巧の反映された聴きごたえのある曲。魅力的な民謡旋律(ないし変則リズム)にもあふれ、3番のように発想の貧困さを感じさせたり、技巧のみに走ったようなところはなく、ストレートであるべきところはストレートに訴えかけてくる。グラズノフの4,5番への影響は相当にある(特に憂愁の・・・やたら長い・・・3楽章)が、ふとした移調の浮遊感など垢抜けて美しく、チャイコならではのものだ。4楽章はチャイコのカルテットでは瑞逸の楽章で、構造的でよくできており、後期交響曲を思わせる。何より主題がカッコいい。第二主題はチャイコの「生み出した」五指に入る名旋律だろう。この録音はマイクが楽団からやや遠く、アンサンブルの迫力の面で少し残念な部分もあるが、中間部のチャイコ得意のフーガはホールの響きの中で綺麗に融合している。楽曲の部分としてのフーガはこうしっかりやらないと次の展開に魅力をつなげられない。コーダはあまりに管弦楽的発想の過ぎた仰々しすぎる音楽で少々足りないのは曲のせい。しっかりアッチェルして細かく終わる。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ジョルジェスク指揮ルーマニア放送交響楽団( KAPELLMEISTER他)

はじめは野暮ったい演奏だなあベートーヴェンかよ、オケもモッサリしてると感じたが、フォルムがしっかりしてくるとコンヴィチュニーのような構築性が明確になる。オケに甘さは残るが、全体として意識的に組み立てられ、独特のデジタルな仕掛けが施された同作の特長が生きてくる。音の作り方は中欧的でやや重い。際立った個性はなく、シュヒター(チャイコフスキーをレパートリーとしていた)を想起するが、少しスケールは大きいかもしれない。柔軟さは無いがアーティキュレーション付けには表現意欲が聴いて取れる。終楽章もテンポ的にそれほど揺れないものの深い呼吸で劇性が引き出されている。聴き終わって何か残る演奏ではあった。セッション録音か。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番

グラズノフ四重奏団(Aprelevka)SP

意外だったのが中低弦の雄弁さ。新作ではなくマンネリの王様チャイコの古風な曲になると、ちゃんと弾くのだなあ(失礼)。発音こそロマンティックなそれであるものの、スタイルは実直で、面白味に欠ける。そもそも少ない楽想をこねくりまわすチャイコのやり方は、この曲においては魅力的な旋律の欠如という点でマイナスにしかならず、はじけたようなところがないと退屈になる。一楽章は突如夢見るようなワルツ主題があらわれてハッとするものの、しなくてもいい変奏をして渋味の中に溶け込んでしまう。二楽章は特徴的なリズムと下降音形がチャイコらしさを醸すがそれだけである。三楽章は一楽章とおんなじ。一楽章ほどには古典に倣ったような書法が鼻につかないのと、そこそこの旋律に幸福な和音で前半チャイコ好きにはアピールしよう。グラズノフ四重奏団はこの楽章では厳しくなり過ぎず、そこそこの表現で譜面を再現する。ファーストが歌う長い音符の、ヴィヴラートを伴う音程の不安定さは下手なんではなくて、そういう表現ではあるのだろうが、いかんせんSPの音では暖かみが伝わりづらい。単に下手に聞こえてしまう。後半の闇暗さはチャイコの性格的なものなのでしょうがない。最後、光明がさすような透明感のある高音表現はなかなかよい。四楽章は使い古された言い方だが、交響曲ないしバレエ終幕的な発想に基づくフィナーレで、この曲は一楽章のワルツとこの楽章の民族的高揚のためにあるので、あとはグラズノフ四重奏団がんばってくれ、という感じ。下手ではないが上手いとは言えない。第二主題の弦セレみたいな構造的なところをもっと高音を浮き立たせて聴かせて欲しかったが、録音上の制約か。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番~Ⅱ.アンダンテ・カンタービレ

ベートーヴェン四重奏団(Aprelevka)1937

若々しくも安定した演奏で、グラズノフ四重奏団と比べると随分現代的に感じる。これでさえ情緒てんめんな音と言われるのだろうか。昔の奏者特有の癖は残る。ベートーヴェン四重奏団の戦前戦後の録音は少ないものの、カバレフスキーなど技巧的にすぐれた演奏もあるので復刻が待たれる。
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