ドビュッシー:チェロ・ソナタ

ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(forgottenrecords)1957/9/22live放送

互いに良く知った曲ではあるが、ここではかなり落ち着いた雰囲気より始まる。プロローグはなかなか聴かせる。セレナーデからフィナーレにかけてジャンドロンの腕の衰えがかなり感じられるところがあるが、スピードも起伏も抑えることなく、やろうとしていることはわかる。雰囲気(響き)の調和はフランセの機械的ながらも柔らかく細かい音のうえにしっかり作られており、大ミスがあったにしても温かい拍手で終わる。録音はややノイジー。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅲ.春のロンド

ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/07/28放送 live

華やかでヒステリックですらある発音が楽曲の瑞々しさを際立たせて秀逸である。オケとの相性はすこぶるよい。ツィピーヌはこういういかにもフランス近現代の音楽の聴かせどころを押さえた演奏をする。初期的な楽想(歌曲の素材がつかわれているといわれる)ではあるが時期的にはイベリアなど他の曲と同じ最盛期のもので、なぜ小組曲ぽい無邪気さが響きの彩り方に出るかと言って、カプレにオーケストレーションを任せたとも言われている。確かにカプレの得意な管弦楽の響きのようにも聴こえる。映像第三集(管弦楽のための)の中では一番マイナーな三曲目ではあるものの、ツィピーヌの手にかかるととにかく楽しくもスマート。(ina.fr PHF07009293)

ドビュッシー:スコットランド行進曲(管弦楽編)

アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送

とにかく元気な演奏。ドビュッシーの前期作品なので筋肉質に、ドガシャーンとやって良いのだ。アンゲルブレシュトは曲の意図にしたがい、行進曲らしい行進曲ではないのだが、民謡主題による管弦楽曲としてよく盛り立てて、正攻法にくみたてている。モノラル良録音。(ina.fr PHD89036093)

ドビュッシー:スコットランド行進曲(管弦楽編)

アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(pathe/SLS他)1929-30

アンゲルブレシュト最初期の録音でドビュッシーのオーソリティとして既に名の知れた頃のものであるが、芸風は理知的に組み立てる片鱗こそ現れているものの、かなり情緒的で、オケや録音制約のせいでもあるのだが、リズムの切れた民謡パセージ(初の依属作品でもあり、当時知られていた所謂ケルト民謡からかなり生の素材を取ってきていることは確かだと思われる)でははつらつとやっているが、それは律せられたというふうはなく進行上やっているといったような感じがし、まだ初期の作風を残すロマンティックな流れでは明るく軽い響きのまままるでロシア音楽のような盛り上がりを作ろうとしていて、弦などグダグダになってしまっている。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades,universal他)1957-59・CD

ロザンタールは師ラヴェルのそれとともにドビュッシーの曲もかなり網羅的に精緻なステレオで正規セッション録音しており、その明るくリアルな音作りが、ドビュッシーの最初に掲げた感覚的な幻想表現から、後期においては同時代的な先鋭性により結果としてフォルムを明確なものにしていったことにマッチしていて、この筋らしい筋のない男女がテニスをするだけの描写音楽に、未完のポー劇に付けた音楽のようなグロテスクさをも加えた独特の暗い幻覚のような、シュールレアリスム絵画のような不可思議さばかり汲んでしまって、曖昧模糊として煙に巻くことでドビュッシーのプロフェッショナルな技巧的工夫を聴かせることができなくなってしまうことを避け、「そっちへ行ってしまうな!」とばかりにあくまで舞台上で踊らせ(リズムはイマイチ前に行かないが)、客席に聴かせる音楽として成立させている。不可思議なものとして感覚的に処理した、あるいはバレエ音楽としてリズム感のみを打ち出したモントゥーなどのほうが評価が高いだろうが、ラヴェル式にドビュッシー後期をさばくと、感情が無いので(それがフランス式でもある)平板ではあるものの、色々わからなかったものが聴こえてくるのだ、と奥深さに気付かされる。勉強用音源?とでも言おうか。

ドビュッシー:チェロ・ソナタ

シャフラン(Vc)ボーレ(P)(meloclssic)1959/11/6live南ドイツ放送・CD

録音がメロウなモノラルのこともありガツンとはこないが、冒頭の縮緬ヴィヴラートからしてセンスに溢れている。技巧的には素晴らしいが制御しきれていない、流される部分も無きにしもあらずそれはライヴ的な精度にはなっているが、音楽の「作り」をドビュッシーではなくこちらに引き寄せて、聴きやすい起伏をつけて弾きこなしている。良い。

ドビュッシー:歌劇「アッシャー家の崩壊」(オーリッジ編・補筆完成版)

ミューラー指揮ゲッティンゲン交響楽団他(PanClassics)2013/12live・CD

フランス近代音楽の研究家にしてコレクターでもあるオーリッジ氏のドビュッシー補筆完成プロジェクトについては既に何人もの方が言及されているし、「成果」発表会の一部をYouTubeで閲覧することもできる。ほんの五線の欠片からも1つの管弦楽曲を仕立ててしまう、前に鐘楼の悪魔について触れた通りそれら(氏が発掘し買い集めた断片的作品が含まれる)の要素にはオーリッジ氏が意思的に「作曲」したものが非常に多く含まれている。「現代にドビュッシーが生きていたらこう作曲したであろう」というと前衛手法を駆使し異化されたものを想像されるかもしれないが、氏のスタンスはあくまで「ドビュッシーの時代において「聴ける」音楽」の範疇にとどまる。これはかなり巧く、「聴ける」もので、この盤もそうだが演奏家に恵まれると音楽的に楽しむことすらおおいに可能だ。ただ、例えばサティにおけるカビー版とオーリッジ版の違いがどうなっているかはわからないがそれはマーラーの10番シンフォニーの補筆完成版においてクック版とカーペンター版が違う、というレベルの違いではないだろう。元は考証的であり、この盤(完成版の初演メンバーだが初演記録ではない)などほぼ完成されプレートルらの録音した部分を除いたところを聴く限りも、これほどの編曲ができるのならばクックがマーラーにおいてなしたこと(初版は最低限の管弦楽配置に留まっており盤でも聴ける、つまりアルマへの配慮もあろうが非常に分析的なところから始まったプロジェクトではあった)より余程巧緻な作曲センスの発露がみられる。ただ、繰り返すが、やはりドビュッシーが「完成していない」後半部の大部分に関しては、ドラマチックに過ぎる。現代の耳からすれば半端な前衛性、耳新しさに欠けた、いうなればカプレに構想だけ伝えられたものが没後に書かれたくらいの感触であり、管弦楽は迫力があるが(「遊戯」に似た本人筆の部分とは異質の明瞭さを示すも有機的に繋がってはいる)、歌唱が陳腐というか、フランス的ではないようにも思う。テクストは完成しているはずなのだが、そのうえでペレアスのような歌唱と管弦楽の完全に融和した流れはなく、単なるオペラ編曲になっている。いや、しかし、これはオーリッジ氏の作品としては最も良くできているドビュッシーだとは思う。…室内楽など、さすがに…らしい(聞いたことはない)。YouTubeに別日の録音が全曲あるし、レヴァインだったか、断片的なものもあるので、CDを求める前にそちらで試してみてください。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/1/8live

彫刻は深いがあっさり直線、いわゆる新即物主義である。粘りが一切なくスピードが速すぎる。しかし音の一つ一つ明瞭でドビュッシーのリリシズムとドラマを音楽で表現するのに不足はない。二楽章末尾のきらびやかさは波濤の朝陽に煌めくがごとく美しい。分厚くうねるような三楽章の表現はそれまでよりもっとドラマチックだ。インテンポ傾向は残るが音響と音量に確信に満ちた、確立された解釈を聴き取ることができる。音響への配慮は素晴らしく、ミュンシュを求めて揺れのなさに聴くのをやめるのは勿体無い。録音時期からも録音側の問題も斟酌すべきだろう。ブラヴォが飛んでいる。ノイズを残す方針のレーベルなので鼓膜をお大事に。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ワルター指揮NYP(ASdisc他)1949/6/19live・CD

あからさま。リアルな音。ゆえに冒頭フルートから入り込めないが、止揚するテンポに噎せ返るような響きには渡米前のアグレッシブな芸風の残り香が強く感じられ、このともするとモノトーンになりがちなオケより引き出される豊潤な色彩については、文句のつけようがない。高音域でのぬるまゆい音の交歓はさすが熟練の指揮者によるものであり、バーンスタインより遥かにフランス的である。録音が生々しすぎるのかもしれないが、後半はワルターのフランス物も悪くないと思わせる、そんな記録となっている。きわめてノイジーだがそのぶん情報量はある。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1966/9/13live(1966/10/13放送)

本編ステレオ。しょっぱなからミュンシュが猛り狂っており、掛け声だらけ。それに対してオケも荒々しく、性急で即興的な印象が強く(ほかの録音を聴くにつけミュンシュにとってはとっぴな解釈の入れづらい曲っぽいので細かな伸縮などはない)、けして名演とは言えない。強いライヴ感がカタルシスに昇華されておらず、大声を上げて終幕となっても客席反応は即時ブラヴォとはいかない。雑味は多いがオケはよくついてきたと思う。弱音部のニュアンスに欠けているとは思った。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド) ジャック・マルス(ゴロー)
マリー・ルーチェ・ベラリー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ジャック・ヴィニュロン(医者)
、アンゲルブレシュト指揮ORTF(BARCLAY,INEDITS)1963/3/12シャンゼリゼ劇場live・LP

DMのCDが出るまでは唯一のステレオライヴ録音として珍重されたもので、言われるほど録音が悪くもなければ演奏がパッとしないこともない。ライヴだから独唱が音程を外すなど細かい点で瑕疵はあるものの、そして依然LPでしか出ていない(流通はしている)からノイズを気にする向きはともかく、一応音場の狭いステレオとして聴くことができるし、雰囲気もばっちりである。おそらく入手可能なアンゲルブレシュト最後の同曲全曲録音なので、マニアでなくとも機会があればどうぞ。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽)

コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive

例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、盤によっては記載データが異なるが(語りをミュンシュ自身としているものもある)おそらく同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD

1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団&合唱団(whra)1958/7/25live・CD

円熟した解釈、熟達した演奏ぶりで、ごく一部緩く感じるのも色彩性や前進性を優先したモントゥーの自覚的なものだろう。録音がもう少し良ければ現代にも通用する演奏で、このオケにフランス音楽の伝統を根付かせたと言われるモントゥー(クーセヴィツキー前の早い時期に常任であった)が、それを確認するような大人の演奏となっている。聴衆反応は普通だが、並ならぬ演奏である。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)シュザンヌ・ダンコ(メリザンド)モーリス・ド・グロート(ゴロー)
クリスティアーヌ・ゲイロー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)マージョリー・ウェストバリー(イニョルド)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA)1952/4/29・CD

データは過去にまとめたアンゲルブレシュトのペレアス録音データを参照されたい。最初に抜粋が詰め合わせCDで出たがモラーヌ生誕100周年記念で全曲盤が出た。今はamazonデジタル等からweb配信されている。拍手等はない。音質はモノラルだが音が明瞭に捉えられ、演奏ともどもステレオのDM盤に次ぐ出来だろう。この曲はあきらかにフランス語の抑揚に合わせて作られたような歌謡の応酬(といってもほとんどペレアスとメリザンド)だけによる大曲であり、器楽的に聴いても初期から全盛期の過渡期的な明るく多少の起伏を含むも平坦で長々しいものとしか認識できない。正直私も苦手の類になるが、あくまで醒めた観点からドラマティックに煽ることも厭わないアンゲルブレシュトのおかげで筋を追えばなんとかついていける。ドラマティックといいながら朝にはとても気持ちよく目覚めてから家事を終えられた、そのくらいのもので、あとはモラーヌとダンコのはっきりした声がわかりやすく、少々耳圧強くも、全体のフォーレを超進化させたような和声的な雰囲気の中で面白くも聴き通せた。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

マルケヴィッチ指揮ベルリン・シュターツカペレ(meloclassic)1970/2/13live・CD

いきなり高速インテンポからのポルタメントかけさせまくり、粘らないのに濃い、オケの響きの特質もあるだろうがマルケがフランスに縁がありながらもロシアの流れを汲んでいるのがわかる。いわばトスカニーニにスヴェトラーノフが憑依したような表現だ(なんだそれは)。独特の起伏の付け方で、高速インテンポは長続きはせず、二楽章は二楽章で立体的な聴こえ方を目し工夫を加える。また三楽章では内声部を顕にし構造的な面白みをえぐるなど様々な工夫を凝らしている(ここまで必死で耐えてきたオケの一部がトチるのはご愛嬌)。ダイナミックで大袈裟、でもテンポを変に細かくいじらず、オケ特有の重量感を活かした純音楽的交響詩として色彩的にもどぎついくらいしっかり音楽にしていく。スピードは落ちずラッパも指示通り吹いてます的な表現だが総体の迫力は物凄い。拍手はカット、音も70年代にしては篭り気味だが、この独特の海を聴きたいならどうぞ。ドイツの海は厳しく荒れる。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD

昔の性急さや感情任せのリズム主義的なところは影を潜め、牧神の見本のような演奏に仕上がっている。時代からは驚きのステレオ録音だが弱音の多い曲だとソロ楽器の音に少し靄がかかったようになるのが惜しい。僅かにパチパチも入る。曲が進むに連れ響きを厚くして音楽に起伏をもたらす配慮に気付かされ、ライヴでのモントゥーの芸が聴衆に支持されたのもわかる。ボストンのソロ陣も上手い。よくフランスオケ風の音を出す。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

キンケイド(fl)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1924/4/28・SP

ソリスト名は挙げられているが音色など聴きとれる状態ではない。ノイズは物凄く、楽器数も少ない。木管ソロだけが密集してアンサンブルしているような骨董録音である。恍惚としたテンポ設定と、各楽器の決して個性的ではないが主張しあう、響きの色彩感のみ伝わる。しかしこの時代でそれだけ伝わるだけでも大層なもので、黎明期のレコード業界でストコフスキーがさかんに持ち上げられたのは、他が余りに凡庸だったりレコードと言うものの特性を活かさず録音したかということでもある。それだけでもなく、じっさいストコフスキーはドビュッシーを得意とはしていて、改変等のレベルはともかく、のちの良い録音でも評価できる耳馴染み良い演奏を繰り広げている。大正時代から一貫したものはある。あらえびす(野村胡堂)氏がなぜストコフスキー盤を推すかと言って、録音芸術として優れたものが当時相対的にこれしかなかったからであり、また、当時の現代音楽を理解可能な明確な形で、届く音楽として作れたのもストコフスキーその人くらいだったのだろう。最後がブツ切れるのはSPではよくあること、この後の録音の方が演奏時間が短いから盤面制約のせいでもなく技術陣の問題だろう。

ドビュッシー:前奏曲集第1巻~Ⅹ.沈める寺

ブルショルリ(P)(meloclassic)1966/12/18live(事故直前の最後の公開演奏会)クルジュ・CD

生誕100年記念盤に収録。全般に録音が不明瞭なのは非正式記録とはいえ惜しい。冒頭、泡の主題(具象的でも神秘的でもなくはっきりしたタッチで抽象化された上向音形)の音量が極端に落ちているのも録音のせいだろう、これはこの曲の出だしとしては痛い。しかし、じきに総体的なクレッシェンドが松葉を開いていくうちこのソリストの大伽藍を聳え立たせるような表現に圧倒される。重く、いささかの不安も抱かせない和音、不明瞭な、狙ったような発音は一切なく幻想味はあくまで曲構造から醸し出されるものに限られ、明らか過ぎるくらい、リアル過ぎるくらいの発音で(録音のせいもあるが低音の残響はマノノーンの潮流のように聴こえる)、でも、ただ解釈を音にしているのではない、何かしら心にズシリとくるような要素をふくみ、深い水の底から現れそして沈む巨大なモノをじっさい眼前に幻視させる。単体で演奏されることが多い曲だからなお、存在感の大きな作品で内包する要素も、たくさんの方が多方向から分析されるくらいにはあるのだが、このスタイルだと衝突する要素が発生して自然さを失いかねないところ、バランスが良い。そもそもの設計が良くできている。その威容に、時間をかけてじっくり演奏されていると錯覚するが、計測上はかなり早い。あまり音楽外の要素を入れて聴きたくないのだが、この直後にブルショルリは事故で演奏家生命を絶たれる。技巧派で同時代作品の解釈表現に一家言あった人として、これが録音記録の最後になったというのは、不謹慎かもしれないが、意味のあったことのように思えてならない。最後に、巨大な寺院~音楽性~とともに、水底へ消えていったのである(聴衆からすると)。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

モントゥ指揮ACO(RCO)1939/10/12live放送・CD

冒頭から性急で意思的な強い表現に驚いたがオケの性格もモントゥーの年なりのところもあるのだろう。あけすけなトランペットの響きにもびっくりする。真っ直ぐ突き進むのではなく、縦に音を叩き付け続けるようなミュンシュとは違うスタイル。二楽章のリズムには舞踏的な要素も強く感じる。リアルな音色で楽想変化が明瞭な一方、とくに弦に技術的雑味が多い古い演奏、さらに、ノイジーな録音で余りに状態がひどく、テジ化音源で聴いていると盤面の問題なのかリッピングミスなのか識別できないほど多様なノイズが重なり、多くの部分が耐え難い。ダイナミックな志向の一方で例えばハープや低弦のかもす幻想味が損なわれまくっているのも悲しい。正直鑑賞には値しないが、モントゥー壮年期のフォルムの緩い前のめりっぷり、気を煽るせっかちな芸風はそれなりの色彩味を放ち魅力が無いわけではない。速すぎて吹けないなど三楽章にも技術的問題は多々きかれるのだが、とにかく私の盤の単なる劣化による悪印象かもしれないので、そこは少し割り引いて読んでください。正規盤にしてはひどすぎる。

ドビュッシー:カンタータ「選ばれし乙女」

ジャーヌ・ギア(sp) オデット・リキア(sp)コッポラ指揮パドルー管弦楽団、サン・ジェルヴェ女声合唱団(gramophone/victor/lys/andante他)1934/11パリ、ラモー・ホール・CD

ロセッティの詩文に材をとった初期の香りを残す明るい作品で、牧歌的な雰囲気からどんどんと素朴な耽美の世界に沈潜していくさまは、ワグナーというよりまるきりディーリアスであり、世紀末だなという感じ。しかしひたすら女性の言葉が支配する世界はコッポラの一連の録音にみられる「クッキリした輪郭」のためにさらに、幻想味より即物的な表現をもって伝わる。だが、この録音が比較的復刻され続けるのは声と楽団が非常に美しい響きを湛えているところにもあると思う。コッポラはSPという枠にキッチリ合わせた音楽を作る印象もあろうが、パドルー管弦楽団の木管陣、もちろんその他のパートもそうなんだが骨董録音には珍しい技巧的瑕疵の僅かな、時代を感じさせない如何にもフランスの一流オケらしい品良い清潔な音で綺麗なハーモニーを演じて見せ、沸き立つような雰囲気の上で歌を踊らせる。歌唱もじつに確かだ。名唱と言って良いだろう。ドビュッシー作品に過度な暗喩的イメージを持たず、初期作品の一部として、ダンディらと同じ時代のものとして聴けば、この昭和9年の録音でもまったく楽しめるだろう。リアルな音でしか収録できなかった時代(電気録音とはいえ実演とは格段の情報量の差を埋めるための、演奏の調整は、特に大規模作品ではされることがあった)にこれだけ雰囲気を作れるのは凄い。低音の刻みなど、影りもまた曲の陰影として的確に伝わり、そうとうに準備して録音しただろうことも伺える。

だがまあ、夢十夜の第一夜で思い立って聴いたら脳内の儚いイメージが、まだもってリアリズム表現においては明確な象徴主義絵画の、しかもちっとも暗示的でない美文体を伴うロセッティ路線を直截に推進する音楽の力に押しつぶされてしまった。ドビュッシーは漱石とほぼ同じ頃に生まれ同じ頃に死んでいる。イギリス人の絵に感化された日本人とフランス人の感覚差に面白みを感じる。日本は先んじていたのだろう。残念ながらこの録音は古いと言っても、共に亡くなったあとである。漱石が同曲初演の頃は、極東に戻って帝大をちょうど卒業した時期にあたる。程なく弦楽四重奏曲も初演されドビュッシーは長足の進歩を遂げるのだから、夢十夜の時期はすでに描写的表現からスッカリ離れ牧神はおろか、「映像」を仕上げた頃にあたる。いっぽうコッポラは指揮録音時代を過ぎると1971年まで作曲家として長生した。フランシスとの関係は無い。

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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅱ.イベリア

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1961/9/29live

放送実況レベルのほぼ良好なステレオ。音を短く切り詰めてリズムを明確にする第一部は印象的。リアルな肌触りの演奏はその後も続き、ドビュッシーの仕掛けたトリッキーな音色の妙もしっかり聴こえる。第二部の官能的な夜の響きも精緻で、かなり録音撚れがあるのは残念だが良い。陶酔するような緩やかな起伏が心地よい。第三部もトランペットなど音を短く切り詰めて引き締まった演奏を志向するが、録音がやや悪くなるのと、客観的に整えた感があり、音量的な迫力や盛り上がりの作り方が足りず不満が残った。客席反応は普通。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団他(ica)1952-55・CD

要素を全てリアルに刳り出し、音による構造物として楽曲を裸にする方法はまったく現代音楽の演り方だが、作品の前衛性を浮き彫りにする以前に作品の「ドビュッシーらしさ」の方が届いてきて、結果としてドビュッシーの野心作ではなく、ドビュッシーが自身の技術を出し切ったドビュッシー作品の精髄になっているところが面白い。ロスバウトは確実に抽象的志向が強い指揮者と思うが、これは幻想的表現をリアルな音に変えて調えたら、舞台上で跳ね回るダンサーが目に見えるような演奏になり、それは楽曲にひそむラテンの色彩を帯びた感情的なものになったという感じだ。オケは鍛えられておりしっかりしているが、さすがに手兵バーデンバーデンの放送オケのように自在にはいかない、しかしそこがライヴ感として迫力に変わっているのもメリット。モノラル。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団他(ica)1952-55・CD

リアルで抽象的、即物的な演奏で、和声など音楽の微細な変化まではっきりさせた、肌触りのしっかりしたドビュッシーだが、ケルンのオケにしては十二分に良くできているものの、程よく突っ走るというか、ロスバウトの熟達した指揮のもと、拡大解釈的に走る感もあり、2楽章ではテンポがつんのめる寸前までいくなど普段のロスバウトでは考えられない「制御できない」状態が発生しており特徴的だ。しかしおおむね厳しく鍛えられているとは思う。「牧神」でも聴かれたロスバウトの職人的な巧さはドイツのローカリズムを超えて汎世界的に通用する一流のもの。必要な場面では南欧情緒も醸される、重厚単彩と思いきや独自の色彩感があってドビュッシーを演るのに不足はない。CDとしてはモノラル音源に無理して残響を加えた結果、かえって音場が狭く、真ん中に押し込められてしまったところに左右エコーがただ増幅されてくるだけ、という聴きづらい状態になってしまっており、残念。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica)1961/10/31ハーバード大学live・DVD

ミュンシュがまさに手兵といった感じで操る大編成のBSO、フランスオケみたいなお仕事感や「手抜き感」は全く無い、皆真剣に一つの音楽を組み立てる。音楽は自在に動きミュンシュだけが楽しそうに長い棒を振りまくるが背筋は伸びている。曲がイベリアだけに騒いで盛り立てて終わるようなやり方ではない、これは大人のコンサートなのだ。第二部のイマジネーション、そこにも弛緩はなくぴんと張り詰めた雰囲気が舞台を支配する。ハンパなく上手いコンマス。それは全て仕組まれたように、ただ叩き込まれたそのままに全員が演っている。私はミュンシュがフランス、特に音楽院管を振っている古いSP録音も好きだが、対照的に磨き上げられたオケの技術に裏打ちされた「真のミュンシュの解釈」を聴くことができ(また観て確認することができ)、ドビュッシーの少し癖のあるスコアリングもものともせず明瞭に完結させる腕に感服させられた。各奏者の弾き吹き叩くところは見もの。この大編成でのアンサンブルの素晴らしさ。

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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965/5-6LIVE・CD

オネゲルとは一転スヴェトラーノフのような派手な演奏で揺れ方も即興的で極端、オケの管楽器陣が(チューニングに若干違和感があるが音色起因か)ここぞとばかりに吠え歌い、弦楽器はオネゲルでみせた精度がこの曲のやたら細かい動きでは雑味もやむなし、力づくでやったれ、という調子。3楽章が良い。聴衆は普通の反応。録音きわめて優秀なステレオ。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

シルヴェストリ指揮ORTF(belle ame)1959/2live

随分ハッキリした牧神で、ソロ楽器はいずれも音色表現よりハッキリした音を出すことに主眼に置いて吹いているように聴こえる。モヤっとした印象派的ではなく、純音楽的と言えば聞こえは良いが、冒頭フルートがどうのこうの、と拘る方には噴飯物かもしれない。最後の音なんて敢えて棒吹きしてるのかと思うくらい。ハッキリしているので、拍手もハッキリしている。録音のせいか?

ドビュッシー:交響曲(ファルドナー管弦楽編曲)

ファルドナー指揮シカゴ交響楽団の団員(koch)1991/12・CD

3楽章構成はとってはいるが断章を束ねたものに近い。原曲がピアノ譜の断片なのだから動機と変容くらいしか原型を留めていないだろうし、一方一楽章がほとんどピアノ五重奏曲というのも交響曲らしからぬところで、ほかの楽章も最低限の管楽ソロが加えられるのみで、生のままの曲を届けたい意図は伝わるがどうせならしっかりオーケストレーションしてもらいたかった。ドビュッシー修行時代の書き残しであり、チャイコフスキーの時代と重なっていることを思い出させるロマン派に立った楽曲で、疎な響きによる明るい色調はドビュッシーだからというより教科書的な書法の結果であり、わかりやすいアンサンブル、明確な構成感は、一瞬フランクを思い出させるところもあるがほぼ一瞬でしかない。ピアノのための幻想曲を八割削ったような作品。

ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲

ニコレ・アンリオ・シュヴァイツァー(P)ミュンシュ指揮ORTF(DM他)1962/5/8live・CD

有名な演奏だが往年の名指揮者が振った記録としては破格の音の良さで、ほんの僅かの放送撚れと環境ノイズ以外満点のステレオ録音だ。ミュンシュとレジスタンス仲間でもあったアンリオとは実に多くの録音や演奏記録が残されているがこの曲はこれだけだろうか。正直アンリオは傑出したソリストではなく技巧的な瑕疵も繊細な味わいの希薄さも、ミュンシュは何故彼女を選んだんだろう、という時しばしばで、しかしこの曲くらいになると音が少なく、ただ力強く弾いても悪印象にはならず瑕疵もすくない。1楽章など他の演奏で感じられる同曲の生硬さを上手く丸め、雰囲気で聴かせていく。2楽章の法悦はむせ返るように美しく、ミュンシュの響きへの配慮が行き届いていて、アンリオもそこに融和している。3楽章はアンリオのバリ弾きスタイルで(テンポ感が僅かに揺れる箇所があるが)きっちりまとめながら美麗な初期ドビュッシーの明晰な再現をなし、オケは少しマイクから遠いが、それに沿ってきちっと律せられている。緩徐部はじっくり聴かせる。過度なほど。。イマイチ縦が人工的な感じの揃い方ではあるが、変に情に寄ることもなく、音が少ない曲をスケールの大きなものに持っていこうとする意思が感じられる。冗長感は増しているが。。そんなところ。

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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ミュンシュ指揮ORTF(ConcertHall/GIDE/ESR/sbribendum/FNAC)1968/2パリ(放送)・CD

FNACはinaが保管していたであろう稀少音源をいきなり廉価で変な詰め合わせで出したレーベルですぐ消えた。データも詳らかでないものが多く、これも何か他の盤と同じものであろう(ディスコグラフィーに従ったデータを記載する)。最初何も見ずにこれがかかって、何だこの押し付けがましい牧神は、と思ったらミュンシュだった。しかもボストンかと思ったらORTF。フランス国立放送管弦楽団をこんな機能的に、力強く使いこなすのはミュンシュしかいない、そういうことだった。環境雑音はあるがライヴではないとのこと。
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岡林リョウ

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