ドビュッシー:ポエム・リリーク「選ばれし乙女」

サヤーオ(SP)フォレスター(CA)クリュイタンス指揮NYP、ウェストミンスター合唱団(forgottenrecords)1957/11/17live放送

クリュイタンスは隈取りはっきり、でも透明感のある響きで聴きやすいフランス流儀というものを聴かせる。ローカルな色が相対的に薄いためこのオケとの相性もよい。フォレスターが歌っているのは驚きだが尚更フランスフランスしないニュートラルさが曲の初期的な薄っぺらさを構造的にしっかり補うのに一役買っており、技術的な不足も全体に言えることだがまったくない。惜しむらくは録音で、放送音源の発掘だからやむを得ないが、途中で右しか聴こえないのはモノラルなのだから復刻の問題だろう。これがなければ実に聞きやすい演奏、指揮者唯一の演奏として推せた。
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ドビュッシー:フルート、ハープ、ヴィオラのためのソナタ

ランパル(fl)ラスキーヌ(hrp)ルキアン(Va)(forgottenrecords)1957/6/18live放送

ラスキーヌ、ランパルが入ると荒くなる印象をもつが、これはライヴならではか。ラスキーヌ以外の音色が無いように感じるのは録音の荒さもある。ルキアンは少し音が激しすぎて掠れる。最晩年に回帰した響きの繊細さをじっくり味わうのには向かず、「ソナタ」の即物的なドラマを疾走して楽しむのには向く。モノラル。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

アンゲルブレシュト指揮ORTF他、ジャン=ポール・ジャノット(ペレアス)フランソワーズ・オジェア(メリザンド)ジェラール・スゼー(ゴロー)ジャニーヌ・コラール(ジュヌヴィエーヴ)ロジェ・ゴスラン(アルケル)ニコール・ロバン(イニョルド)ジャック・マース(医者)(ina配信/SLS)1955/11/24live

音は意外と良く、この繊細で終始静謐な曲を味わうには十分。歌唱はいずれも安定した手練揃いでアンゲルブレシュトは慣れたものだ。少し客観的で固い指揮に感じる向きもあるかもしれないが他の記録と比べてもむしろ高水準にあり、歌唱もふくめての調和はこの平坦な曲においては特によほど慣れた人でないとできないだろう。変に外連味ある演奏になってしまってはダメなのだ。内容をわかった上で聴けばさらに「聴きやすい演奏」ということがわかるだろう、私はよくわからないけれど、内容は。モノラル。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO/IMG)1962/3/30放送 live・CD

雑にクリアなステレオなので却って聞き辛い。やかましい。それに、集中力に欠いているように思う。拡散的で落ち着き払ったミュンシュなんて、音だけ大きく派手であっても、ストコフスキーまではいかない、どことなくよそよそしいというか、構成的に弱々しいというか。客席反応も普通。あまり盛り上がらない。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

ミュンシュ指揮ORTF(ina)1959/9/15モントルー音楽祭live(20放送)

篭ったモノラル録音。直前のピアノ協奏曲などキンキンノイズで非常に悪い。Amazon配信とina.frのものは同じ。ルーセルの前に演奏されているので中盤ということだが、冒頭疲れがみえる。オケは鈍くさく感じ、足どりも重く前に向かわない。ミュンシュは整えにかかっているようだ。音響の迫力はあるが、録音状態からもベストとは言えない。とはいえ第一部最後の再現部はミュンシュらしい勢いが出る。第二部は木管をはじめとしてオケの長所が出る。機能性がイマイチなだけで、このオケは音(響き)は良い。リアルな押しが強く音が中心に固まるのは録音のせいだと思う。そして後半から第三部は地響きのするような凄まじさ。ミュンシュここにありだ。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(M&A/DA)1962/2/2live放送

こもっているが解像度のあるステレオ。僅かに針音のような音が入る(三楽章)。二楽章途中でデジタルノイズが入るのは惜しい(盤劣化かもしれない)。よく歌い響かせ、リアリスティックな(録音のよさゆえかもしれない)一楽章は純管弦楽的な魅力がある。はっきりしている。二楽章は落ち着いているがリズムは明確で変に即興的なふうに流れず力強くテンポを維持している。こちらもはっきりした演奏だ。構成がしっかりしていて、シレーヌへの繋がりも上手い。響きの変化がよくとらえられ、内声の細かな装飾音まで聴こえてきて、ドビュッシーはここまで聴こえないと本来の独創性は満喫できないとも思う。時期的なものもあるだろうがミュンシュは力づく、というイメージは当てはまらない。ファンタジーよりやはりリアル、波濤まで描き出した「海」のような演奏と言えると思う。ここまでやっての管弦楽のための夜想曲だよな、と思った。合唱が管弦楽の部品としてハマっていてよい。そのぶん管弦楽は抑え気味で抑揚を弁えている半面、ちょっと手を抜いたか、という粗さも少し聴こえる。シレーヌはリアルにやってしまうアンゲルブレシュトのような人もいるが、ミュンシュは幻想味が最後の輝かしい和音まで続く。拍手は普通。

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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団他(ODEON/columbia/Parlophone)SP

ODEONだと雲と祭は連番でシレーヌのみ離れており、ばらばらで録音した可能性がある。ピエルネの指揮は硬直したようにかんじることが多いのだが、一楽章はなかなかの雰囲気。まさに夜の雲、静かに浮かび、繊細だ。動きのない曲のほうが向くのかもしれない。楽団のソリストの音が懐かしい。

祭は雲とのコントラストを期待するが、思った以上に鄙びており、むしろピエルネらしい硬直したものとなっている。そも非力な録音から期待される音量を出しきれず聴き取れる変化の幅がかなり狭い。ピエルネの盤にはしばしばあることだが元の録音がそうなのだろう。リズミカルに自由にやるにも、録音上の制約もあったかもしれない。演奏的に弦など心許ない、バラけたようなところがある。木管は良い。中間部で物凄く音量とテンポを落とし、いつペットが吹き始めるんだというリズム打ちが延々続く解釈は面白い。やり方が機械的で現代的だ。壮麗というより、次のシレーヌへつなげるように終わる。

シレーヌは印象派音楽表現のセンス溢れる素晴らしいもので合唱とオケのバランスもモノラル録音としては理想的。美麗で典雅。ブレの無い克明な演奏からはアンゲルブレシュトあたりに通じる、フランス特有の曖昧さを排したオケコントロールぶりも伺える。SPゆえ速めのテンポをとっている可能性があるがそう感じさせないのは音色の繊細な妙だろう。○。

(日本パーロフォン盤の全曲(祭)を入手したためODEON盤評と併せてまとめました)

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

マデルナ指揮トリノRAI交響楽団(SLS)1967/9/17live

ノイジーだがクリアな録音。演奏は適度に感情的で瑞々しい透明感がある。ソロより合奏を楽しむ演奏であり、伊オケが色彩的にやるとなかなかボヤッとした印象派というより明瞭な幻想音楽として伝わってくる。佳演。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(forgottenrecords)1957/6/12live放送

録音はノイジーでモノラルなのに不安定で厳しい。演奏は基本的にサラサラしていて速いインテンポを崩さないが内声まで行き届いた統制により原曲の響きや構造の魅力が透過して伝わってくる。この力強いでもなく明晰でもなくしかしまぎれもなく新即物主義にたった「薄い」演奏ぶりはセル独特のものでリヒャルト・シュトラウスやトスカニーニとも違っている。これが3楽章で一気に急くように畳み掛けるように、ルバートすら交えながらどんどん迫力を増していく計算もまたセル独自のものだろう。鼻歌まで入って拍手は盛大だ。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団他(lys他)CD

カラッと乾いて即物的な芸風に曲があっていて、SP期のものとしてはデッドな音質にもかわらず硬質の幻想を立体的に描き出し、ピエルネよりモダンな組み立ての合理性がプラスに働いている。特徴的なのは緩急の緩の部分の美観で、憂いすら帯びた表情はオケのメリットかもしれないが、リズムとスピードだけではない、コッポラ(と録音にたずさわるすべての技術者)が録音芸術として、ラヴェルのような明晰さで同時代の香りを伝えてくれているのは驚きだ。コッポラの芸風から「祭」のみ聞き所と考えるのは早計で、「シレーヌ」のダイナミズムを感じてほしい。無歌詞女声合唱がオケの牽引役として機能し、弦などオールドスタイルの音色を引っ張りながらも、そうであるがゆえに、何か異界の風を感じさせる流石の出来となっている。トスカニーニの肉汁滴る音楽の時代に、フランスではこうやるんだという心意気を聞かされる思いだ。

ドビュッシー:チェロ・ソナタ

ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(forgottenrecords)1957/9/22live放送

互いに良く知った曲ではあるが、ここではかなり落ち着いた雰囲気より始まる。プロローグはなかなか聴かせる。セレナーデからフィナーレにかけてジャンドロンの腕の衰えがかなり感じられるところがあるが、スピードも起伏も抑えることなく、やろうとしていることはわかる。雰囲気(響き)の調和はフランセの機械的ながらも柔らかく細かい音のうえにしっかり作られており、大ミスがあったにしても温かい拍手で終わる。録音はややノイジー。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅲ.春のロンド

ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/07/28放送 live

華やかでヒステリックですらある発音が楽曲の瑞々しさを際立たせて秀逸である。オケとの相性はすこぶるよい。ツィピーヌはこういういかにもフランス近現代の音楽の聴かせどころを押さえた演奏をする。初期的な楽想(歌曲の素材がつかわれているといわれる)ではあるが時期的にはイベリアなど他の曲と同じ最盛期のもので、なぜ小組曲ぽい無邪気さが響きの彩り方に出るかと言って、カプレにオーケストレーションを任せたとも言われている。確かにカプレの得意な管弦楽の響きのようにも聴こえる。映像第三集(管弦楽のための)の中では一番マイナーな三曲目ではあるものの、ツィピーヌの手にかかるととにかく楽しくもスマート。(ina.fr PHF07009293)

ドビュッシー:スコットランド行進曲(管弦楽編)

アンゲルブレシュト指揮ORTF(ina配信)1958/11/20シャンゼリゼlive 放送

とにかく元気な演奏。ドビュッシーの前期作品なので筋肉質に、ドガシャーンとやって良いのだ。アンゲルブレシュトは曲の意図にしたがい、行進曲らしい行進曲ではないのだが、民謡主題による管弦楽曲としてよく盛り立てて、正攻法にくみたてている。モノラル良録音。(ina.fr PHD89036093)

ドビュッシー:スコットランド行進曲(管弦楽編)

アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(pathe/SLS他)1929-30

アンゲルブレシュト最初期の録音でドビュッシーのオーソリティとして既に名の知れた頃のものであるが、芸風は理知的に組み立てる片鱗こそ現れているものの、かなり情緒的で、オケや録音制約のせいでもあるのだが、リズムの切れた民謡パセージ(初の依属作品でもあり、当時知られていた所謂ケルト民謡からかなり生の素材を取ってきていることは確かだと思われる)でははつらつとやっているが、それは律せられたというふうはなく進行上やっているといったような感じがし、まだ初期の作風を残すロマンティックな流れでは明るく軽い響きのまままるでロシア音楽のような盛り上がりを作ろうとしていて、弦などグダグダになってしまっている。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades,universal他)1957-59・CD

ロザンタールは師ラヴェルのそれとともにドビュッシーの曲もかなり網羅的に精緻なステレオで正規セッション録音しており、その明るくリアルな音作りが、ドビュッシーの最初に掲げた感覚的な幻想表現から、後期においては同時代的な先鋭性により結果としてフォルムを明確なものにしていったことにマッチしていて、この筋らしい筋のない男女がテニスをするだけの描写音楽に、未完のポー劇に付けた音楽のようなグロテスクさをも加えた独特の暗い幻覚のような、シュールレアリスム絵画のような不可思議さばかり汲んでしまって、曖昧模糊として煙に巻くことでドビュッシーのプロフェッショナルな技巧的工夫を聴かせることができなくなってしまうことを避け、「そっちへ行ってしまうな!」とばかりにあくまで舞台上で踊らせ(リズムはイマイチ前に行かないが)、客席に聴かせる音楽として成立させている。不可思議なものとして感覚的に処理した、あるいはバレエ音楽としてリズム感のみを打ち出したモントゥーなどのほうが評価が高いだろうが、ラヴェル式にドビュッシー後期をさばくと、感情が無いので(それがフランス式でもある)平板ではあるものの、色々わからなかったものが聴こえてくるのだ、と奥深さに気付かされる。勉強用音源?とでも言おうか。

ドビュッシー:チェロ・ソナタ

シャフラン(Vc)ボーレ(P)(meloclssic)1959/11/6live南ドイツ放送・CD

録音がメロウなモノラルのこともありガツンとはこないが、冒頭の縮緬ヴィヴラートからしてセンスに溢れている。技巧的には素晴らしいが制御しきれていない、流される部分も無きにしもあらずそれはライヴ的な精度にはなっているが、音楽の「作り」をドビュッシーではなくこちらに引き寄せて、聴きやすい起伏をつけて弾きこなしている。良い。

ドビュッシー:歌劇「アッシャー家の崩壊」(オーリッジ編・補筆完成版)

ミューラー指揮ゲッティンゲン交響楽団他(PanClassics)2013/12live・CD

フランス近代音楽の研究家にしてコレクターでもあるオーリッジ氏のドビュッシー補筆完成プロジェクトについては既に何人もの方が言及されているし、「成果」発表会の一部をYouTubeで閲覧することもできる。ほんの五線の欠片からも1つの管弦楽曲を仕立ててしまう、前に鐘楼の悪魔について触れた通りそれら(氏が発掘し買い集めた断片的作品が含まれる)の要素にはオーリッジ氏が意思的に「作曲」したものが非常に多く含まれている。「現代にドビュッシーが生きていたらこう作曲したであろう」というと前衛手法を駆使し異化されたものを想像されるかもしれないが、氏のスタンスはあくまで「ドビュッシーの時代において「聴ける」音楽」の範疇にとどまる。これはかなり巧く、「聴ける」もので、この盤もそうだが演奏家に恵まれると音楽的に楽しむことすらおおいに可能だ。ただ、例えばサティにおけるカビー版とオーリッジ版の違いがどうなっているかはわからないがそれはマーラーの10番シンフォニーの補筆完成版においてクック版とカーペンター版が違う、というレベルの違いではないだろう。元は考証的であり、この盤(完成版の初演メンバーだが初演記録ではない)などほぼ完成されプレートルらの録音した部分を除いたところを聴く限りも、これほどの編曲ができるのならばクックがマーラーにおいてなしたこと(初版は最低限の管弦楽配置に留まっており盤でも聴ける、つまりアルマへの配慮もあろうが非常に分析的なところから始まったプロジェクトではあった)より余程巧緻な作曲センスの発露がみられる。ただ、繰り返すが、やはりドビュッシーが「完成していない」後半部の大部分に関しては、ドラマチックに過ぎる。現代の耳からすれば半端な前衛性、耳新しさに欠けた、いうなればカプレに構想だけ伝えられたものが没後に書かれたくらいの感触であり、管弦楽は迫力があるが(「遊戯」に似た本人筆の部分とは異質の明瞭さを示すも有機的に繋がってはいる)、歌唱が陳腐というか、フランス的ではないようにも思う。テクストは完成しているはずなのだが、そのうえでペレアスのような歌唱と管弦楽の完全に融和した流れはなく、単なるオペラ編曲になっている。いや、しかし、これはオーリッジ氏の作品としては最も良くできているドビュッシーだとは思う。…室内楽など、さすがに…らしい(聞いたことはない)。YouTubeに別日の録音が全曲あるし、レヴァインだったか、断片的なものもあるので、CDを求める前にそちらで試してみてください。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

トスカニーニ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/1/8live

彫刻は深いがあっさり直線、いわゆる新即物主義である。粘りが一切なくスピードが速すぎる。しかし音の一つ一つ明瞭でドビュッシーのリリシズムとドラマを音楽で表現するのに不足はない。二楽章末尾のきらびやかさは波濤の朝陽に煌めくがごとく美しい。分厚くうねるような三楽章の表現はそれまでよりもっとドラマチックだ。インテンポ傾向は残るが音響と音量に確信に満ちた、確立された解釈を聴き取ることができる。音響への配慮は素晴らしく、ミュンシュを求めて揺れのなさに聴くのをやめるのは勿体無い。録音時期からも録音側の問題も斟酌すべきだろう。ブラヴォが飛んでいる。ノイズを残す方針のレーベルなので鼓膜をお大事に。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ワルター指揮NYP(ASdisc他)1949/6/19live・CD

あからさま。リアルな音。ゆえに冒頭フルートから入り込めないが、止揚するテンポに噎せ返るような響きには渡米前のアグレッシブな芸風の残り香が強く感じられ、このともするとモノトーンになりがちなオケより引き出される豊潤な色彩については、文句のつけようがない。高音域でのぬるまゆい音の交歓はさすが熟練の指揮者によるものであり、バーンスタインより遥かにフランス的である。録音が生々しすぎるのかもしれないが、後半はワルターのフランス物も悪くないと思わせる、そんな記録となっている。きわめてノイジーだがそのぶん情報量はある。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1966/9/13live(1966/10/13放送)

本編ステレオ。しょっぱなからミュンシュが猛り狂っており、掛け声だらけ。それに対してオケも荒々しく、性急で即興的な印象が強く(ほかの録音を聴くにつけミュンシュにとってはとっぴな解釈の入れづらい曲っぽいので細かな伸縮などはない)、けして名演とは言えない。強いライヴ感がカタルシスに昇華されておらず、大声を上げて終幕となっても客席反応は即時ブラヴォとはいかない。雑味は多いがオケはよくついてきたと思う。弱音部のニュアンスに欠けているとは思った。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド) ジャック・マルス(ゴロー)
マリー・ルーチェ・ベラリー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ジャック・ヴィニュロン(医者)
、アンゲルブレシュト指揮ORTF(BARCLAY,INEDITS)1963/3/12シャンゼリゼ劇場live・LP

DMのCDが出るまでは唯一のステレオライヴ録音として珍重されたもので、言われるほど録音が悪くもなければ演奏がパッとしないこともない。ライヴだから独唱が音程を外すなど細かい点で瑕疵はあるものの、そして依然LPでしか出ていない(流通はしている)からノイズを気にする向きはともかく、一応音場の狭いステレオとして聴くことができるし、雰囲気もばっちりである。おそらく入手可能なアンゲルブレシュト最後の同曲全曲録音なので、マニアでなくとも機会があればどうぞ。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽)

コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive

例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、盤によっては記載データが異なるが(語りをミュンシュ自身としているものもある)おそらく同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD

1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団&合唱団(whra)1958/7/25live・CD

円熟した解釈、熟達した演奏ぶりで、ごく一部緩く感じるのも色彩性や前進性を優先したモントゥーの自覚的なものだろう。録音がもう少し良ければ現代にも通用する演奏で、このオケにフランス音楽の伝統を根付かせたと言われるモントゥー(クーセヴィツキー前の早い時期に常任であった)が、それを確認するような大人の演奏となっている。聴衆反応は普通だが、並ならぬ演奏である。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)シュザンヌ・ダンコ(メリザンド)モーリス・ド・グロート(ゴロー)
クリスティアーヌ・ゲイロー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)マージョリー・ウェストバリー(イニョルド)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA)1952/4/29・CD

データは過去にまとめたアンゲルブレシュトのペレアス録音データを参照されたい。最初に抜粋が詰め合わせCDで出たがモラーヌ生誕100周年記念で全曲盤が出た。今はamazonデジタル等からweb配信されている。拍手等はない。音質はモノラルだが音が明瞭に捉えられ、演奏ともどもステレオのDM盤に次ぐ出来だろう。この曲はあきらかにフランス語の抑揚に合わせて作られたような歌謡の応酬(といってもほとんどペレアスとメリザンド)だけによる大曲であり、器楽的に聴いても初期から全盛期の過渡期的な明るく多少の起伏を含むも平坦で長々しいものとしか認識できない。正直私も苦手の類になるが、あくまで醒めた観点からドラマティックに煽ることも厭わないアンゲルブレシュトのおかげで筋を追えばなんとかついていける。ドラマティックといいながら朝にはとても気持ちよく目覚めてから家事を終えられた、そのくらいのもので、あとはモラーヌとダンコのはっきりした声がわかりやすく、少々耳圧強くも、全体のフォーレを超進化させたような和声的な雰囲気の中で面白くも聴き通せた。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

マルケヴィッチ指揮ベルリン・シュターツカペレ(meloclassic)1970/2/13live・CD

いきなり高速インテンポからのポルタメントかけさせまくり、粘らないのに濃い、オケの響きの特質もあるだろうがマルケがフランスに縁がありながらもロシアの流れを汲んでいるのがわかる。いわばトスカニーニにスヴェトラーノフが憑依したような表現だ(なんだそれは)。独特の起伏の付け方で、高速インテンポは長続きはせず、二楽章は二楽章で立体的な聴こえ方を目し工夫を加える。また三楽章では内声部を顕にし構造的な面白みをえぐるなど様々な工夫を凝らしている(ここまで必死で耐えてきたオケの一部がトチるのはご愛嬌)。ダイナミックで大袈裟、でもテンポを変に細かくいじらず、オケ特有の重量感を活かした純音楽的交響詩として色彩的にもどぎついくらいしっかり音楽にしていく。スピードは落ちずラッパも指示通り吹いてます的な表現だが総体の迫力は物凄い。拍手はカット、音も70年代にしては篭り気味だが、この独特の海を聴きたいならどうぞ。ドイツの海は厳しく荒れる。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1959/7/19live・CD

昔の性急さや感情任せのリズム主義的なところは影を潜め、牧神の見本のような演奏に仕上がっている。時代からは驚きのステレオ録音だが弱音の多い曲だとソロ楽器の音に少し靄がかかったようになるのが惜しい。僅かにパチパチも入る。曲が進むに連れ響きを厚くして音楽に起伏をもたらす配慮に気付かされ、ライヴでのモントゥーの芸が聴衆に支持されたのもわかる。ボストンのソロ陣も上手い。よくフランスオケ風の音を出す。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

キンケイド(fl)ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1924/4/28・SP

ソリスト名は挙げられているが音色など聴きとれる状態ではない。ノイズは物凄く、楽器数も少ない。木管ソロだけが密集してアンサンブルしているような骨董録音である。恍惚としたテンポ設定と、各楽器の決して個性的ではないが主張しあう、響きの色彩感のみ伝わる。しかしこの時代でそれだけ伝わるだけでも大層なもので、黎明期のレコード業界でストコフスキーがさかんに持ち上げられたのは、他が余りに凡庸だったりレコードと言うものの特性を活かさず録音したかということでもある。それだけでもなく、じっさいストコフスキーはドビュッシーを得意とはしていて、改変等のレベルはともかく、のちの良い録音でも評価できる耳馴染み良い演奏を繰り広げている。大正時代から一貫したものはある。あらえびす(野村胡堂)氏がなぜストコフスキー盤を推すかと言って、録音芸術として優れたものが当時相対的にこれしかなかったからであり、また、当時の現代音楽を理解可能な明確な形で、届く音楽として作れたのもストコフスキーその人くらいだったのだろう。最後がブツ切れるのはSPではよくあること、この後の録音の方が演奏時間が短いから盤面制約のせいでもなく技術陣の問題だろう。

ドビュッシー:前奏曲集第1巻~Ⅹ.沈める寺

ブルショルリ(P)(meloclassic)1966/12/18live(事故直前の最後の公開演奏会)クルジュ・CD

生誕100年記念盤に収録。全般に録音が不明瞭なのは非正式記録とはいえ惜しい。冒頭、泡の主題(具象的でも神秘的でもなくはっきりしたタッチで抽象化された上向音形)の音量が極端に落ちているのも録音のせいだろう、これはこの曲の出だしとしては痛い。しかし、じきに総体的なクレッシェンドが松葉を開いていくうちこのソリストの大伽藍を聳え立たせるような表現に圧倒される。重く、いささかの不安も抱かせない和音、不明瞭な、狙ったような発音は一切なく幻想味はあくまで曲構造から醸し出されるものに限られ、明らか過ぎるくらい、リアル過ぎるくらいの発音で(録音のせいもあるが低音の残響はマノノーンの潮流のように聴こえる)、でも、ただ解釈を音にしているのではない、何かしら心にズシリとくるような要素をふくみ、深い水の底から現れそして沈む巨大なモノをじっさい眼前に幻視させる。単体で演奏されることが多い曲だからなお、存在感の大きな作品で内包する要素も、たくさんの方が多方向から分析されるくらいにはあるのだが、このスタイルだと衝突する要素が発生して自然さを失いかねないところ、バランスが良い。そもそもの設計が良くできている。その威容に、時間をかけてじっくり演奏されていると錯覚するが、計測上はかなり早い。あまり音楽外の要素を入れて聴きたくないのだが、この直後にブルショルリは事故で演奏家生命を絶たれる。技巧派で同時代作品の解釈表現に一家言あった人として、これが録音記録の最後になったというのは、不謹慎かもしれないが、意味のあったことのように思えてならない。最後に、巨大な寺院~音楽性~とともに、水底へ消えていったのである(聴衆からすると)。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

モントゥ指揮ACO(RCO)1939/10/12live放送・CD

冒頭から性急で意思的な強い表現に驚いたがオケの性格もモントゥーの年なりのところもあるのだろう。あけすけなトランペットの響きにもびっくりする。真っ直ぐ突き進むのではなく、縦に音を叩き付け続けるようなミュンシュとは違うスタイル。二楽章のリズムには舞踏的な要素も強く感じる。リアルな音色で楽想変化が明瞭な一方、とくに弦に技術的雑味が多い古い演奏、さらに、ノイジーな録音で余りに状態がひどく、テジ化音源で聴いていると盤面の問題なのかリッピングミスなのか識別できないほど多様なノイズが重なり、多くの部分が耐え難い。ダイナミックな志向の一方で例えばハープや低弦のかもす幻想味が損なわれまくっているのも悲しい。正直鑑賞には値しないが、モントゥー壮年期のフォルムの緩い前のめりっぷり、気を煽るせっかちな芸風はそれなりの色彩味を放ち魅力が無いわけではない。速すぎて吹けないなど三楽章にも技術的問題は多々きかれるのだが、とにかく私の盤の単なる劣化による悪印象かもしれないので、そこは少し割り引いて読んでください。正規盤にしてはひどすぎる。
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