ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾版)

○R.&G.カサドシュ(P)(COLUMBIA,sony)1959/6/25,26・CD

この決定盤は他の、とくに最近の録音とは違う。ドビュッシーと同じハーモニーを聴き、サティと同じエスプリを体感し、ラヴェルと同じタッチを聴き、そのラヴェルと肩を並べて教鞭を執ったカサドシュがこの曲が言わんとしていることを明確に変化をつけて弾き通した規範である。ドビュッシーは記譜を重視しなかったといわれる。カサドシュは自分の耳で聞き、一曲目ではとくにドビュッシーのハーモニーを再現するために必要なすべてを尽くしている。ドビュッシーのスコアを再現するためには何もしていない。二曲目からは全曲通しでスコアをまとめることなんかしていない。きわめて細かな文節単位で必要な解釈を施し、その集積が結果として大きなまとまりを形作る。とにかく聴かせる。面白い。それに尽きる。ただ上手いなどという残響を多用する演奏に堕ちてはいない。それはとくに奥さんとのタッチの差への配慮にも現れている。カサドシュはとにかくペダルを使わない(古いステレオ録音のせいである可能性もあるが多分ラヴェルの系統のフランスだから粒だったカラッとしたタッチを好んでいるのだと思う)、それが譜面に現れない真にリズミカルな音楽を生む。この二人の共同作業に匹敵する同曲の演奏コンビを知らない。何度でも聴いて噛みしめる価値のある演奏。
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ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾)

ベロフ&コラール(P)(warner他)CD

メリハリがあって聞きやすい。退屈なテンポもとらないし、とにかく元気。もはや洗練された初期ドビュッシーの簡潔な書法を活かしたものとなっている。すこし録音が古い感もあるがそれはまた別問題。緩急の差のはっきりしたところが私は好きでした。弱音のニュアンスが、音色においてはすこし足りないようにもかんじるが(というより音色変化をもう少し欲しかった)、これは曲の性格的に仕方ないかもしれない。一楽章の終盤など沈んでいく表現は印象的にやってのけているので、意図して設計しているのだろう。三楽章ですら元気、まあ、ピアノ連弾だと曖昧な表現はできないのでこうなるのは必然か。こういう曲はいつも最後の処理を聴いてしまうが上手い。キレイに収まる。そして四楽章の祝祭的表現はもはやドビュッシーがロシアの作曲家のような、前の時代のフランスの作曲家のような作品は書かないと宣言しているようなもので、単純性から行くと前の楽章もふくめ、ラヴェル的な印象を受ける。嬉遊的な曲はフランスの伝統的なものでもあるのだが。元気。

ドビュッシー:交響組曲「春」(ピアノ連弾版)

ラペッティ&ダメリーニ(P)(warner)CD

組曲といっても二曲、その二曲目に初期ドビュッシーで最も有名な、ユーモラスで愉悦的な主題が入っている。のちのケークウォークみたいなやつだ。ピアノ連弾で聴くと思ったより古臭い曲だなあと感じるが、旋律に現れるものはもうドビュッシーそのもの、色彩もただ爽やかなだけではなく巧みに組み合わされている。長さを感じさせないのはディヴェルティスマンとどこが違うのか、単純に旋律かもしれない。演奏は私は好み。リズム、スピード、ニュアンス、この曲にはあっている。

ドビュッシー:ディヴェルティスマン

イヴァルディ&ノエル・リー(P)(ARION/warner)CD

10分以上の単一楽章で、大作と言える。古い感じの曲で、それにしては長すぎるが、ドビュッシーだと思わなければ出来はよく、ロマンティックに楽しむことができる。個人的には求めるものと違う感がつよく、「春」よりずいぶん後ろにいる作品だなと思った。前期にマンネリに感じる特有の明るさ、軽さがこの曲ではあまりなく、そういう受けの良い出来の良さはあるのかもしれない。奏者はとくに可もなく不可もなく。

ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(ピアノ連弾版)

アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD

別記した管弦楽版にくらべ早くから知られたもの。より4曲からなる楽曲の特性が明確になり、おそらくこちらのほうが人好きすると思われる。4楽章は完全に古臭いフィナーレだが、ほかの楽章、とくに前半楽章はいかに創意をこめようかという意気が感じられ、はっとするような移調や不協和音が不思議と自然に明るい透明感の中に調和する、長さを感じさせない楽しさに満ちている。小組曲に至る過程の過渡期的作品に対し、奏者は明確にドビュッシーをやる意思で取り組んでいる。ちらっと現れる「牧神」のようなつかみどころのない響きを「そのように」演奏し、また4手でありながらそれを感じさせないアンサンブルのよさも光っている。これ、といった押しはないので素晴らしいという感想こそ出ないものの、無難に聴けるというか、変な印象を植え付けられずに済む録音で、むしろ管弦楽版よりこれを聞くべきだろう。フランクやサン・サンなどを想起する雰囲気を持ちつつロシアの奇矯で大仰な音楽の要素も取り込んだ意欲作である。

ドビュッシー:バッカスの勝利(作曲家による連弾版)

イヴァルディ&ノエル・リー(P)(ARION/warner)CD

神話的題材はいかにもこのころからのちフランスの作曲主題になるものだが、この曲は初期の「交響曲」などとともに作曲されたものでロシアのクーチカの楽曲のような古風なロマンの風をのこす。印象派の新しい絵画よりベラスケスなど古典的な絵画世界に通じるしっかりした印象をあたえる(そういう意図だろうから良い)。ただし明るい響きや軽やかな動き、それは色調の変化に欠けいささか長すぎる感じもするが、とにかく小組曲に至る道筋をはっきり示し、ロマンティックな音楽からの離脱を宣言している。編成は管弦楽によるものもあったといわれるが、編曲され演奏されることもあるが、ピアノ連弾で十分の内容である。演奏的に難しい部分もなかろう、ヴィルトゥオーソ好きする技巧的要素がないので著名演奏家が取り組まず忘れ去られた作品になっていたのかもしれないが、このコンビの演奏なら十分。ちょっとおとなしいが曲の散漫さ(3楽章と、4楽章の二つの断片を除く部分が失われているので尻すぼみ感は仕方ない)をここまで聴かせるようにまとめたのは素晴らしい。じつに明確な二人の高低役割分担、高音が左から聞こえるのはふつう?とまれ、全曲だったら飽きてるかもしれない、この程度でよかったのかもしれない。これが初録音で、譜面もノエル・リーが編じたようである。

ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲(作曲家二台ピアノ編曲)

ラペッティ&ダメリーニ(P)(warner)CD

工夫の施された編曲なのだが演奏が硬質で柔らかな抒情に欠ける。しかしそういう編曲、楽器なのかもしれないし、そもそもハープのコンチェルトをピアノにやらせるのは無理がある。先入観なしに聴けば唯の旋律音楽として楽しめるかもしれないが、華麗に弾き上げる箇所もあるのだが、この曲は原曲が出来過ぎている。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(ラヴェル連弾ピアノ編曲)

アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD

作曲家自身による二台ピアノ編曲にくらべると地味である。ラヴェルの職人性がただ発揮されただけの感もある。二台ピアノ編曲の幅広い表現は一つの鍵盤という制約下では求められない。非常に縮められた、いかにもオーケストラ曲のピアノ編曲という感が否めない。奏者のレベルとも言えない、アンサンブルはむしろこちらのほうが上に感じる(隣りに座っているのだから当たり前だが)。比較して聞かなければ、これはこれで楽しめるのかもしれないけれど。遊びがない。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲(作曲家二台ピアノ編曲)

ベロフ&コラール(P)(warner)CD

warnerの全集にはラヴェルによる連弾版とこの本人による二台ピアノ編曲版が盤をまたいで並べられており中々のマニアックぶりである。オーケストラ曲はまずピアノ譜で初演されることなどよくあり、本人の編曲は作曲家としてインスピレーションを得たからというより実用的な意図をもって作られることのほうが多かった。編曲というより原曲である。だが二台ピアノとなるとそれはそれで大規模であり、楽曲普及のためにはラヴェル版のような1台で済む編曲がなされて然るべきで、これは聴けばわかるがコンサートピースとして創り上げられた娯楽作品とみなすほうが妥当な気がする。ロマンティックな曲を非常に華麗に響かせて、音域を広く使ってオーケストラ版にはない名技的なやり方も織り交ぜている。トレモロが眩しい。派手で、たしかにドビュッシーの満を持して発表したピアノ曲群に比べると陳腐な部分の存在もいなめないが、小組曲の世界からも脱し、新時代の扉を開いた作品のピアノ化版としてはなかなかの出来ではないか。すこし二台間に空気を感じるが、この全集内では名が通ったほうのソリスト達、さすがという聴き応えである。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲(ラヴェル二台ピアノ編曲)

クームズ&スコット(P)(warner)CD

一楽章は前奏曲集第一集にでも出てきそうな気だるい小品として聴ける。あるいは「金魚」のような雰囲気、ジャポニズム的な音階が剥き出しになっていて、ドビュッシーに欲しいものを楽しむことができる。編曲の腕も何もないような曲だが、やはりラヴェルはうまく響かせるように編んでいるかな、と思って「祭」に入るとこれがまた、「いかんともしがたかった」感。このプレイヤーのコンビネーションの問題もあるかもしれないが、単純なお祭りを表現するのには音が無造作に重なりすぎ衝突して耳障りが悪い。ラヴェルらしいところでもあるのか。これはいただけなかった。ピアノニ台だけなので音が冷たく硬く感じるのも、もしくはプレイヤーが醒めすぎているのかもしれない。不可思議なシレーヌは三曲中もっとも凝っていることをわからしめる見通しの良さと、ピアノ曲としても十分通用する聴き応えがあり、合唱まで伴う大曲を凝縮するとここまで創意がこめられていたのかというものだ。ドビュッシーとラヴェルの接点を見る思いでもある。共に違う実験性を志向したが、根っこはドビュッシーが作り、ラヴェルはよりメカニカルに現代化していった(そこにサティの示唆も含まれる)。それがさらなる新しい作家に継がれてゆく。この曖昧模糊とした曲の孕む多様性が、ドビュッシーふうに浮遊する和声とスクリアビンのようなトレモロやアルペジオ、そこに無調を目指すような不可思議なメロディの揺らぎ、ちょっとびっくりするほど前衛性が抉り出されていて、これは原曲とは別物として楽しめる。演奏は残響が多すぎるのもあって見事とは言えないが、珍しい録音としての価値は大きいだろう。この曲を見直す良いサンプルであり、ドビュッシー最盛期の才気のさまをまざまざと見せつけるものであり、ラヴェルの職人的な域をこえた素晴らしい仕事に、ラヴェルマニアも聴くべき作品である。終わり方が残響なしのトツトツとした音なのはサティを思わせニヤッとする。

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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」(カプレ二台ピアノ編曲)

アルマンゴー&ショーズ(P)(warner)CD

私は近代大曲のピアノ編曲が好きではない。大編成のオーケストラの、楽器の特性を無くしただの音符に還元してしまう行為は音楽を音に戻す行為に等しいとすら感じる。それとは別に例えば惑星のピアノ編曲など「別物として楽しむ」ことは可能である(但し惑星はピアノ版で初演された、娘イモーゲン氏と親友RVW臨席だった)。これもそれと割り切れば楽しいが、ここまで精妙に豪華に出来上がった音響を、ピアノが万能楽器であるとはいえ、ドビュッシー自身が優れたピアニストでこの作品もピアノを使って作曲したに違いないとはいえ、四手に縮めてしまうのは無理がある。まず、ドビュッシーのピアノ曲に求めるものをここに求めてはならない。これはピアノ曲として書かれたものではない。また、管弦楽の海をここに求めてはならない。低音楽器の轟きも響かず、弦楽器の有機的なフレージングも楽しめず、ここには漣しか立っていない。そして、これは言わずとしれたドビュッシーの盟友にして使徒キャプレによる編曲ということ。キャプレの作品は必ずしも明るいものばかりではないが、デーモンが感じられない巧すぎる編曲をするところがある。端正で単純なのだ。演奏のせいかもしれないが一楽章はあまりに音が弱すぎて、二台であることすら忘れてしまうほどだった。ニ楽章からはメリハリがついてドラマを演じ始め、ブラスや弦楽器では無理な高速連打を聴くとドビュッシーはピアニストとしてこういうものを想定していたのだなと納得させられる。実際そういうふうにブレなく攻撃的に吹くトランペッターがいたら聴いてみたい。このスピードじゃ無理だけど、、、という、管弦楽に無理なスピードを実現しているところは楽しめる。三楽章のラストなど「動物の謝肉祭」みたいでなんだかしまらないが、編曲にすぎないのだこれは、と思うしかない。何も考えずに聴けば、ただの旋律追いで聴いていれば楽しめるだろう。私は楽しかった。

ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編曲)

アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(SLS他)1929-30

SP復刻でかつてCDになっていた。ポッとした素朴な味わいは牧歌的な曲やオールドなオケ以上にまだ若いアンゲルブレシュトの正硬な棒による印象だろう。丁寧にスコアをなぞるようなやり口で、人工的にデジタルな大きな起伏を作る感じは後年に通じるが、情緒的に少し鞣しその支配下において情感を醸させる、フランスオケの音色の明るさと華やかさがあるから聞き物として成立している面もあろう。3楽章は装飾的な跳ねる音を明確にコントラスト付けて出させるなど各所に強調的な表現がみられる。テンポはゆったりしたインテンポだが、後年よりぬるまゆい情緒があるのは音色だけの理由だろうか。けして乱れさせないキッチリ揃えられた4楽章、テンポが前に向かわないもどかしさはあるが、響きは充実しており、ドイツの演奏ぽい縦ノリ感だ。まあ、乱れさせないようにテンポを緩めしっかり弾かせるのはSP時代の骨董録音にままあることなので、アンゲルブレシュトだけの話でもない。

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ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

パレー指揮ORTF(SLS)1957/5/9シャンゼリゼlive

物凄い意思的な演奏で、ゴリゴリ力づくで押し進めるスタイルはトスカニーニよりトスカニーニ。時折面白いテンポルバートをかけたりするけれど、冒頭から最後まで一パートも曖昧な表現は許さず全力で音を出させ、フォルテからフォルテテテテテテテッシモまでの間でドラマを創る、いやドラマだと言い切る。清々しいくらい情緒がなくリアルで、だがアメリカのオケではなくこのオケであるところがソロの音色やオケ全体の明るく柔らかな響きによって辛うじてドビュッシーであることをわからしめている。個人的には個性的で好きだが、これだけ爆弾を投げつけるような音を破裂させながら聴衆は普通の反応、まあ、ミュンシュと同じ力感をミュンシュと対極の残忍な棒さばきで表現したわけで、海ではないか。録音は意外と聴けるレベル。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/2/16live

エアチェック音源らしく音の欠落や全編砂ノイズに塗れて聴きづらい。オネゲルとルーセルにはさまれて収録されているがこれが一番静かな曲のせいか耳障りが悪い。演奏は陶酔的で、ノイズがなければ浸りこむことができただろう。ミュンシュの同曲の解釈に幅はないのだが、オケが清澄な音を出すせいだろう音楽もねっとりしたものではなく、ニュートラルに聴こえる。拍手はほとんどカット。オネゲルがDAのものと同じとすると収録の三曲中唯一の初出になる。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅰ、Ⅱ

フレイタス・ブランコ指揮トゥールーズ・コンサート協会管弦楽団(forgotten records)1952/3/6live放送

ブランコらしく「祭」はリズムがグズグズだが音のボリュームと音色の変化がはっきりしていて非常にわかりやすく、雲ともどもこの指揮者が「ライヴ向きの指揮者」であり、ライヴでこそその「名人芸」を発揮できたんだと思う。リズムのグズグズ感は何もこの曲に限ったことではなく、セッション録音のボレロの異常な遅さ(いくらラヴェルが指定したとはいえ踊りの音楽だ)にも「メロディと音響を聴かせることに全力を尽くす」姿勢が清々しく聞いてとれる。まあ、アンサンブルの乱れやアマチュアぽい「ヤル気」は、つんのめるようなテンポ感と共にオケのせいだとも思えるが、ブランコは著名オケにこだわった人ではないし、これは個性として消化しておくべきだろう。変な打音で終わると盛大な拍手。録音は悪い。

ドビュッシー:管弦楽組曲第1番(マヌリ一部補筆)

ロト指揮レ・シエクル(ASM/warner)2012/2/2パリ(世界初録音版)・CD

三曲目「夢」以外は完全な草稿が見つかり(ピアノ連弾版は既に知られる)、びっくりの「ピリオド演奏」による初稿版海とともに発売されたばかりの音源が、早速Warnerに融通されて全集の一部として発売されている(海は未収録)。成人したばかりの学生時代の作品とはいえ同時期にすでに「春」「小組曲」が発表されており、期待は高まる。しかし30分の印象は後ろ向き。ワグナーというよりロシア国民楽派だ。ワグナーの和声や管弦楽の影響があるとすればリムスキーを通じてくらいのものではないか。ロマンティックで、穏やかで書法も自然で、「春」が好きなら勧められるが、ドビュッシーを求めるならかなり聴き込まないとダメである。まさかグラズノフの交響詩みたいなものが出てくるとは思わなかった。まあ、ロシアの革新あってドビュッシーの革新があった証拠ではあるか。補筆された三楽章はひときわ凡庸感が強いので、それを気にする必要はない。四曲目は仰々しくも清々しい響きの盛り上がりをしっかり作っている。各曲の題名は素晴らしくドビュッシーだ。以下


バレエ

行列とバッカナール

演奏は透明感があり神経質なほど響きとアンサンブルのまとまりを重視している。フランス往年のオケの持っていた雑味のなさがこのような曲だとすこし逆に、飽きをきたさせるところもある。スコア外の色の変化をも求めたくなる。木管や弦楽はいいがブラスが単調な曲なので派手に鳴らされる箇所はウンザリするが、これこそロシア節からの影響なのだろう。

ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲(改訂版)

○デュシャーブル(P)プラッソン指揮トゥルーズ・キャピトル国立管弦楽団(warner他)CD

ステレオの良い録音だが音質的には少し古びて聴きづらいところもある。「改訂版」によっており、warnerのドビュッシー全集ではフェヴリエの「原典版」と並べて収録されている(後者モノラル、ともにEMI音源か)。原典版のほうが単純に長い。詳細は省略。明るい音で危なげない演奏をくりひろげ、ミュンシュとアンリオのものなんかに比べるとソリストもそれを含むアンサンブルも技巧的にすぐれているように聴こえる。また全体設計もしっかりできており巨視的にまとまっていて、長ったらしい同曲をちゃんと聞かせるように配慮が行き届いている。だらりとしたテンポの冒頭からは想像できないほどスピーディーでかっちり噛み合った演奏に仕上がっていくさまは圧巻だ。音色は明るくフランス的で、ソリストの透明感もまさしくそういったところだが、指がよく回り緩急も即興ではなくきちんと理由のある付け方をして上手い。セッション録音なので細かな音響的仕掛けも聴き取ることができ、クライマックスの三楽章は聞きもの。どうせならフェヴリエではなくステレオの新録音と並べてほしかった(差がわかりにくい)。

ドビュッシー:哀歌(エレジー)

青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD

YouTubeに自筆譜対照の動画があるのでいっそうわかりやすい。逆に何もないと、何かの断章かのようにいつのまにか始まり終わる不可思議なものとなる。最晩年の作品共通の内省的な趣を持ち、中でもいかにも最晩年らしい「切れ切れの」雰囲気を持つがゆえに有名である。僅か21小節だが、苦しみの中にあるはずのドビュッシーの自筆譜は変わらず極めて端正で読譜の容易なものだ。従って「断章」ではないのだ。1915年の終わり第一次大戦の慈善活動の一環として作曲された。直前に手術を受けている。それが影響しているという人が多いが、ドビュッシーくらいになると複雑で、果たしてどうなのかわからない。旋法的でメロディもあり取り立てて不協和音がどうとかいうところはないが、何かの欠片を掴んで音符にしたのだろう。それゆえ演奏もわりと幅があるように思う。ここではかなり明確に見通しよく、少ない音符を少ないようにしっかり演奏している。夢幻の気配はすくない。

ドビュッシー:英雄たちの子守歌

青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD

重く和声的な作品で、旋律やリズムは至極単調である。第一次大戦勃発時の企画作品だが、沈める寺の雰囲気は一瞬で消し飛び、ベルギー国王軍の抗独戦への挽歌はベルギー国歌の遠いエコーをはらみ、懐かしい響きが残る。こういう曲だとサティを想起するところもあるが、いたずらに尖りもせず、小品ながらドビュッシーらしい創意もあり、美しい。

ドビュッシー:「負傷者の衣服」のための小品(アルバムのページ)

○青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD

まるでサティのようなワルツがラヴェルのようになめらかに滑り出す。しかし特有の、すでに古いのかもしれないが甘いフレーズに、ウィットで〆る。きわめて短くも、ドビュッシーの同時代人を想起する部分の多い作品で、凄まじい近代戦を目の当たりにしショックを受けていたというドビュッシーがエンマの参加する慈善団体のために書いたオーダーメイド的作品。だがこれは名品である。第一次大戦。ラヴェルも参加しトラックを運転した。ラヴェルに師事しドビュッシーに心酔したRVWは砲兵隊にて大音に耳をやられ次第に難聴に陥った。ともに積極的に参加したものの目にしたものにショックを受けていた。ドビュッシーにはその気力も体力も、時間も無かったが、イマジネーションはその二人をも凌駕していたのかもしれない。その苦渋の滲み出る作品と、昔の作風によるような愛らしい作品、健康上の問題と時代の劇的な変化はドビュッシーを真の意味で過去の夢のようなものにしてしまった。

ドビュッシー:石炭の明かりに照らされた夕べ

○青柳いづみこ(P)(camerata)2012/6/21・CD

一般に、やつれ果てた「エレジー」が最晩年のピアノ曲と思われがちだが、これはその1915年よりさらに2年後のほんとの最晩年作になる。冒頭、同時代の前衛のような硬質の低い轟に最晩年を思わせるや、夢のように立ち昇る古い作品のメロディ、軽やかな響きが意外性をもって聴くものを包み込み、風のように去る。一分半のきわめて短い作品だが、エレジーもそうであるようにすっかり作曲家としての生気を失って、純粋な感覚のみで描いている。厳冬に炭屋への御礼として書いたといい、実際タイトルも含めて過去作品の素材をいくつか流用しているというが、簡素に、いかにもドビュッシーのイメージに沿うた部分を、思い出を語るかのように苦渋の中に書き留めたようで、何とも言えない気持ちになる。作品はむしろ聴きやすく、演奏も過剰なところがなく明確で、おすすめできる。

ドビュッシー/オーリッジ:象たちのトーマイ

青柳いづみこ(P)(camerata)2012/4/10-12・CD

オーリッジ氏の補筆完成プロジェクトの成果は最終的に音盤にまとめてほしいものだが、こうやって断片的にしか知ることができないのは困ったものである。奏者としても日本で最もドビュッシーに詳しいソリストによる、初演ではないが盤としては初のもので、四分半ほどの小品ではあるが、元々前奏曲集第2巻11曲めとして構想された(ものを再現した)作品なので、それにしては長い。スケッチはあったらしいがいずれオーリッジ氏はこの曲が「おもちゃ箱」に取り込まれたと判断して、おもちゃ箱より素材を編み上げたそうである。つまりいつも以上に「オーリッジ作品」でありドビュッシーは着想を与えたにすぎない。聴けば分かるがいくつかの様式が混在してモザイク状に配置されており、前衛がとつぜん過去の甘やかな「印象派」になりまた象の足音のような重い打音で断ち切れてはオリエンタルな夢幻が立ち現れる。混乱しているようにすら思えるがキプリングの童話に沿ってきちんと組み立てられており、それゆえの長尺でもあるが、さすがオーリッジ氏の腕は冴えており、晩年ドビュッシー作品として聴けるのである。スタンウェイの響きが美しい。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

モントゥ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団、メリザンド:ネイディーン・コナー(Sp)ペレアス:テオドール・アップマン(B)他(SLS)1954/1/2NYメトロポリタン歌劇場live

こんなものが存在することにびっくりしたのだが、やはり録音状態は悪く、環境雑音、混信めいたもの、撚れ、針飛びありのモノラルで、二枚組だが一枚目が歌の途中で切れる(二枚目で改めてその頭から収録されてはいる)ということで万人にはオススメしない。同曲は繊細な部分と意欲的に歌う部分に節度を持って均衡を保たせることで、全体のムードを作り上げる必要がある気がするが、これは音盤としては異例の「上演形式」の実況であり、それゆえに音だけのコンサート形式とはまずバランスが異なり、表現も意欲的な方に傾いた過剰さ、ある意味わかりやすさに傾くのは当然といえば当然である。ほぼアメリカ人メンバーだけによる上演というのもまた異例な感じもする(フランス人もいるにはいる)。掠れ気味の音なので残念だけれど、そのせいか歌もけっこうわかりやすくすんなり入ってくるというか、神秘的なところより肉感的なところに惹かれる。反面、憂いというか、弱音を綺麗に歌うという点、とくにバリトンは声が一本調子で繊細さが足りないか。オケは素晴らしい。モントゥーはのるかそるかの指揮をすることがあるが、ここでは力強いスタイルで、筋肉質の(アンゲルブレシュトとは真逆だ)同曲という不思議なものを提示し、躍動的な場面ではまるでバレエ音楽のような煽り方をしていて楽しい。明晰な棒さばきでこの悪録音でも色彩感を出してくる。年代的にもっと良い音で聴きたかったものだが、それほど飽きることなく聞き通せた。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅱ.祭

クレンペラー指揮BBC交響楽団(ica)1955/12/11・CD

これもセッション録音か。録音は悪いが目の覚めるようなドビュッシーらしいドビュッシーでびっくりする。音響バランスもよく解釈も愉悦的な弛緩のないリズム取りに速いスピードで、戦前のベルリンでクレンペラーが当時の現代音楽に積極的に取り組んでいたことを思い出させる。杓子定規の解釈をする人ではないのである。アンゲルブレシュトを彷彿とさせる、と言ったらいい過ぎか。オケの有能さもあるのだろう。演奏精度だけは少し落ちるかもしれない。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

マデルナ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(SLS)1964/1/22live

最初は雑然としたマデルナ流整え方で「ああ…」と思うが、このオケでこの透明感、かなり色彩的な響きを引き出すところにマデルナのフランス物適性が明確に表れてくる。肉感的な音楽にはならずどちらかといえば冷たいのに、綺麗で自在な旋律表現、法悦的な響きのもたらす陶酔感はなかなかのものである。モントゥとは対極の遊戯で、もちろん時代が違うからブーレーズなどと較べるべきではあるが、これはこれでロマンティックであり、その意味では現代的な演奏とも言えない…整え方はとても客観的に精緻に、とは言えない。ドラマを感じさせることはないが音楽として力があり、大曲を聴いたような気すらしてきた。客席は普通の反応。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

プレートル指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団&合唱団(MAGGIO)2004/3/6コムナーレ劇場フィレンツェlive・CD

1楽章はひそやかに、時に止揚しつつ進む音楽。近年にはめずらしいタイプのロマンティックな解釈だが徹底してピアニッシモの世界なので奇妙さは感じない。祭りも独特の創意は解釈に表れているが「まつり」というには重いというか、ゆっくりというか、テンポも変化はするけれど早い遅いだけでなく細かく速度を計算的に動かしていてひとことでは言いづらい。静まってゆき3楽章へといざなう。このころのプレートルは静寂のほうが向いていたのではないかと思わせる、ホルストのような神秘だ。世俗的なオケソリストのフレーズも合唱で神秘にまとめられる。癖のない非常に繊細なシレーヌで、おおきなディミヌエンドで消えていくまで聞き入ることができる。これはよかった。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

プレートル指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団(MAGGIO)1992/10/31ヴェルディ劇場フィレンツェlive・CD

1楽章は明るくゆったりとした音楽になっているが時折奇矯なことをやって耳を引く。作為が見えてしまい居心地が悪く思えるところもある。2楽章は動きが加わるが1楽章でもかんじられたオケの弱さが気になる。ライヴだからこそ弦楽器の乱れがよくきこえてしまう。90年代前半の演奏なのでまだプレートルも壮年の輝きをはなち弱音の美麗さ、末尾のハープとかさなる楽器のリタルダンドまで美しい。3楽章の不穏なはじまりは明るい雰囲気をちゃんと曲想にあわせて変えてきている。オケに配慮が行き届いている。きちっと激しいところは鋭くやっている。ただメロディ楽器の音符の最後に瞬間テンポルバートをかけ引き延ばしてディミヌエンドさせおさめるなど後年まで続くやわらかい処理は顔を出す。緩急がよくついており、それはよくあるデジタルな変化ではなくやわらかい自然なもので物語性を一貫して演じさせ印象深い。楽想変化もすこぶるあざやかだがすべらかでわかりやすい演出がほどこされる。丁寧で、性急に終わるに向かうことはしない。力づくで叩きつけるのではなく雄大な波のうねる表現はなかなかだ。終わり方も丁寧。少し作為的だが良演だと思う。拍手はふつう。

ドビュッシー:管弦楽のための映像

マルティノン指揮シカゴ交響楽団(SLS)1967/3/17シカゴlive

3曲からなる組曲で2曲目の「イベリア」がさらに3部に分かれるという大曲で、組曲といっても内容的な共通点は少ない。しかし音楽的には似たムードがえんえんと続く心地がして、長大なバレエ音楽を聴いているようなつまりダフクロのような、ゆったりと引いたスタンスで聞くべき、そしてそうでもしないと「春のロンド」のせっかく盛り上がるところですでに飽きてしまっている可能性がある。マルティノンは名器を使うと極端に上手い。シカゴは決して良い関係だったわけではないが楽団はほかにないほどぴたりとつけいつもの、音符の間に空気の通るような冷めた技巧を提示するようなところは「ない」。円熟した流麗なドビュッシーの部分部分熱いので、本とこの組み合わせはもったいなかった。爆発的なところはないが、全曲版としてよくできている。もっとも曲が有名だからかな。ちなみにこの精度でライヴなのである。良いステレオ録音。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

アンゲルブレシュト指揮ORTF&合唱団(SLS)1962/1/23シャンゼリゼ劇場live

データが正しければ初出だが、この指揮者にかんしていえば演奏毎に違うことをすることはないから判別は難しい。若干の粗さがあったりあとは録音状態の違いだろう。これはあまり音がよくない。60年代だがモノラルで10年さかのぼったような音がする。思いっきり引いた客観的な演奏なのでそういう音だとほんとに地味である。予想を下回る温度で来るので膝から落ちるか、記憶に残らないか、とにかくこの人の夜想曲はほかにもけっこうあるので、選ばれし乙女、フォレレク(いずれも既出)との組み合わせで買うかどうか決めたほうがよい。

ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲

ボジャンキーノ(P)マデルナ指揮ローマRAI交響楽団(SLS)1973/4ローマlive

かなりミスタッチも濁りもあるがフランソワよりまし、というソリストと、恍惚としたスクリアビンの音楽のようなゆっくりしたテンポで慈しみ進むマデルナが、やや腕に不安のあるオケとなんとか技術的限界を迎えずに進めて、結果としてちゃんと聴ける。マデルナの音響感覚(派手なものだ)はそれなりにしっかりしていて、トリッキーなリズムの曲に対し弛緩するテンポにぎりぎりオケをついてこさせている。ラストはそれなりに盛り上がる。フランソワ盤を振り返り思えば同じような解釋だったかもしれない・・・あれはマデルナのせいだった??ステレオで比較的良い。拍手は戸惑い気味。おなじボジャンキーノとのミヨー「エクスの謝肉祭」ほかシェーンベルクは既出。
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岡林リョウ

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