プロコフィエフ:交響曲第5番

フレイタス・ブランコ指揮ORTF(forgottenrecords)1958/3/3パリlive放送

派手で個性的なブランコらしい演奏。オケがついていってない、そもそも練習不足のような事故(二楽章最初のほうのズレなど大事故)が頻発するが、色々主張させてインパクトの強い演奏にしようとするブランコの意志が反映され、この手垢の付いた、解釈の幅もなさそうな曲に耳を再び向けさせる面白みはある。主情的な演奏というのは久しぶりに聴く気がする。二楽章の遅さは特筆すべきか、オケのコンディションにあわせて落としたような感もある、しかしリズムの刻みのザクザクするところは激しく重く独特のスケルツォ感。四楽章もヴァイオリンがぜんぜん弾けてない、木管ソロはテンポに乗れてないのに、乱暴な指示を加えリズムは狂わせず流れは強引に響きは派手に、なかなか録音では捉えられづらいプロコフィエフ独特の変な合いの手や装飾音がばちりと聴こえてきて、立体的で内声に配慮の行き届いた、なかなかこの作曲家を理解してやっている感が清々しい。縦はズレまくり事故多発するも、何とかテンポを落としてはリズムを揃え直し、主軸をぶらさないようにはしている。ライヴということで許容できるところはある。フィナーレのある意味阿鼻叫喚ぶりは必聴。プロとして良いのか?しかし客席はブラヴォこそ飛ばないものの盛大な拍手。推して知るべし演奏。モノラルだがエアチェック盤のステレオ機器起こしのようでステレオで聴くと気持ち悪い揺れがある。ノイズなどボロボロなところもあるが、個性を評価。
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プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第1番

パスカル四重奏団(forgottenrecords) 1962/5/23live放送

このコンサートの主題は現代ソヴィエト音楽だったようで、プロコフィエフ1番、ストラヴィンスキー三つの小品、ショスタコーヴィチ1番とチェレプニンの五重奏という、ほとんどもう聴けないような貴重なプログラムになっており、とくに最初の三曲は個人的に、それぞれのこの分野における紹介的作品で極めて分かりやすく、なおかつ隙きのない引き締まったものだと思っていただけに驚きの並びである。プロコフィエフはカバルタ主題の2番ばかりが演奏されるが旋律の美麗さ、簡潔だが特有の書法の魅力、構成の完成度はこちらの方が明らかに上で、旋律がひたすら弾きまくりバックは入れ代わり立ち代わりながらも基本的に律動を表現するのみという前ニ楽章が2番より劣るという評価になるのかもしれないが、アンサンブルとしてのやりづらさと曲としての価値は別物で、一般人は2番はすぐ飽きると思われる。格別の雄渾な主題からいきなり入る一楽章はミスを誘発しやすい粗野な部分はあり、スピードを落として整える録音は多いが、これはライヴゆえか思ったとおりのスピードを堅持し頼もしい。弓の荒れた弾き方も格好がいい。ニ楽章は要で、フーガの錯綜する上行音形の嵐のギチギチするような伴奏は旋律よりも聞き所となる。ここも瑕疵を厭わずとにかく弾きまくり、旋律楽器はそれに負けないよう必死で太い音を出す、そのさまはこの曲のあるべき姿を正面から提示している。やはりスピードは肝要だ。三楽章は民謡ふうの単純なほの暗い音楽で子守唄のように堕ちて退嬰的に沈む、これは謎めいているというか何か暗示しているのか、しかしあざといくらいの効果を上げる。この演奏では、そのコントラストはそれほど強調はされない。総じてライヴ記録としても貴重であり、このスピードじゃなきゃ駄目なんだ、という考えを再確認した次第。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

フレイタス・ブランコ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1959/04/17ジュネーヴlive放送

録音状態は放送エアチェックレベルで3楽章からはノイジーで聴きづらいところもある。モノラル。これは一楽章冒頭から超高速インテンポで度肝を抜かれる。ボレロとは真逆、音に全くこだわりなく心のない即物的解釈。こんな極端なのは逆にブランコの個性だろう。ただ設計の通りらしいのは展開部から中低音域に重みが出てきて、それらしい「音楽」になってくるところで、再現部に頂点を持ってくるよう意図されているのだ。中間楽章はまともだし瞬間的には恣意的なルバートもかかるし、何より四楽章で一楽章主題の再現は盛大なフォルテにより盛り上げている。緩急の緩が意図的に暗くせず流されているのはブランコならではだが、変な思い入れのある演奏「にすべきではない」曲という考えもあるのかもしれない。ラストの軽快な版の選択も当然で、客席は大ブラヴォ(この日のメインプロである、恐らくアンコールを除くコンサート全曲がこの盤におさめられている)。独特のライヴを聴きたいならお薦め。frの発掘音源でブランコをシリーズで復刻している。スイス・ロマンドはアンセルメに鍛えられた技術、透明で明るい色調へのこだわりを良い方向に持って行っている。曲のローカル色を廃しフランス的な音響配置によりむしろブランコとの相性がよくなっている。

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」組曲~抜粋

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS他)1957/2/1live

ふたつの組曲からの七曲抜粋のようである。この頃の演目はRCAセッション録音と密に関係しているので解釈表現の差異はあまりないが、即興的なドライヴの掛け方に胸のすく思いはする。騎士の踊りはつんのめり走ってしまいリズム感が失われるが強引に音楽の力で押し切られる。これが有名な踊りの曲でなければ素晴らしい管弦楽曲のライヴ演奏に聴こえたろう。全般とにかく派手で力強く求心力も強く、我田引水な解釈でフランス的な音響だとしても圧倒的な聴かせる力を持っている。精度も高い。客席はこれだけ盛り上げても、組曲なのでこんなものかという冷静な反応。惜しむらくは録音。モノラルで一部撚れる。リバーブをかけて盛大に楽しむべきだろう。日をおかずピアノ協奏曲2番をアンリオとやっているのもセッション録音と同じ関係性。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

マルコ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD

素直な楽想を簡潔に構造的にまとめた最晩年作でニコライ・マルコは大御所に遅れはとったものの良く演目に取り上げていた。ライヴほどの力感はなく、新即物主義的だが楽譜の要求のままに率直に、より効果的に迫力を増して雄渾に、またオケのニュートラルで技巧派的な面をプラスに活かしセッション録音にしては気を煽るスピードと溌剌とした表現をものにしている。反面予想どおりというところでこれを聴くときのコンディションによって全く耳に残らないこともあるのだが、じっくり聴くと、これこそ「青春」だなあ、と思う。オーマンディより音が良いし、より初心者向けかもしれない。暗さが無いのが物足りない向きもあるか。陰影が人工的なところはすこしある。それはオケの音色のせいもあるだろう。四楽章の迫力はなかなか。一本調子感もなきにしもあらずだが所々戦闘性が凄い。ラストは流れ上当然ながら派手な版による。ステレオ録音も最新ではないが時代なりにクリア。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

ロストロポーヴィチ指揮フランス国立管弦楽団(erato/warner)1986/6・CD

極めて精緻なデジタル録音で演奏も今もって一位に推す人がいるくらいのものである。かつて色調の濃いソヴィエトオケの録音ばかり聴いていた自分には穏やか過ぎて印象に残らなかったがそれは録音があまりに広大な音場を形成し音を遠くしてしまったのと、明るく叙情的ではあるが既に無個性を得たオケのために、本来の細やかでよく練られた解釈が、素人にはあまり響いてこなかった、曲が簡素なだけに物足りなさを感じさせたことがある。内声までしっかり配慮が行き届き構造面もよく聞き取れる。しっとりした落ち着いた音楽は、若い頃にはわからなかった、この偉大な音楽家の歩んできた道のりの険しさの裏面なのである、ということを今あらためて実感させる。スピードが落ち着きアタックが弱めなのはセッション録音であることも理由に挙げられるだろうが、これは「現代の世界的な流れに乗った最新の演奏」であり、旧弊なローカルな音楽を志向していない。まさにロストロ先生らしさなのである。激しい表現も避けているわけではないが、そのチェロ演奏同様「違和感を感じさせず」スムーズに圧力を強め、または弱め。空疎な響きはまったく出させない。瑣末な操作は排除し、壮大な構成感のもとに正攻法で組み立てられている。終楽章クライマックスの壮麗さと、最後の寂しさは聞きものだ。四楽章を通して、些かの不安も心地悪さも感じさせないが、その中に、柔らかいニュアンスの中に、ピアニッシモの中に、僅かな短調のフレーズの微妙な描き方に、友人プロコフィエフ自身も含む、激しい時代の波の中で翻弄された音楽家への遠い思いが、詠嘆のフレージングとなって聴き取れるのは、けして贔屓目に見てのことではないだろう。最後はプレストを省略した静かな版を選んでいる。ペットの挽歌で終わる。アシュケナージなどとの違いははっきりしている。個性を主張したり音楽のちからを見せつける演奏ではないが、現代の演奏レベルと、古きものへの大人な思いを感じさせる「大きな」演奏。

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋

チェリビダッケ指揮ORTF(ORTF,ina)1974/5/29live・CD

得意の曲(独自に選出した4曲からなる組曲)なだけに完璧。ステレオ優秀録音でチェリビダッケが「程よい時期」の威勢の良さと厳しすぎない統制(だがこのオケにしてはミスはまったく見られず乱れもなく裏面での厳しさは伺える)ぶりを娯楽的に楽しむことも可能。プロコフィエフ独自の和声の「毒」も綺麗に整えられ引っ掛かりをまったく感じない。ブラヴォ終演。

プロコフィエフ:チェロ協奏曲第1番

ジャンドロン(Vc)マッツェラート指揮ヘッセン放送交響楽団(meloclassic)1956/2/23フランクフルト放送スタジオ録音・CD

ジャンドロンが呆れるほどのっており、音は細くてロストロポーヴィチほどグイグイ持っていく力はないが、ミスがほとんど無く、とくにこの難曲を特徴づける高音がまるで名ヴァイオリニストのような美音で仰天させられる。モノラルでややこもってはいるが、ジャンドロンの「そうは感じさせないほど巧緻な」腕前を愉しめる。プロコフィエフらしくないといえばらしくない作品で、三楽章も終盤になるまで(とつとつとリズムを打ってくるところからはプロコフィエフの才気が爆発する)音楽が根無し草のようにふわふわし、甘くも辛くもなく、しかしジャンドロンで聴くとイギリスの曲のようなジェネラルな魅力が出てきて、これは破棄するには惜しい特異な作品で、更に言えば改訂して協奏的交響曲としたものとは全く異なる「小品」であるように感じる。そう、プロコフィエフからは一方的に「借りのある」ウォルトンの協奏曲に似ているかもしれない。いずれジャンドロン向きなのだろう。

プロコフィエフ:交響曲第5番

チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/9/21live・CD

過渡期的だ。なんとも半端で、「四角四面さが足りない」。重量感はこのオケとしては出ており音に迫力はあるが、スピードが前に流れるようで、統率が緩い感がある(とちったりつんのめったり。。)。全体の構成感よりその場その場の表現に囚われがちに感じた。弦の艶のある音色に拘泥するなど、昔の覇気に満ちたライヴ感あふれるスピーディな芸風と、晩年の高精度の響きと構築性に重きを置いた遅い芸風のどっちでもなく、この曲では後者的な立場でドイツオケを振ったものが「通俗的作品の浅薄さを取り去る独特のもの」として評判になった(当時海賊盤)だけに、もちろんプロコフィエフらしい内声部まで独特の動きをふくませる緻密な書法をしっかり再現したりはしてはいるが(三楽章特有の内部構造はほんとうによくわかる)、他の楽章は空疎にやかましかったり、音量変化も場当たり的と感じる。横が今ひとつ流麗さを欠く。違和感を覚えさせる表現の極端さも目立つ。これが徹底されると流麗さを排したタイプの演奏として耳を切り替えて聴けるから、極端とも感じないはずである。最後の方になると昔の芸風に依る。他でも聴けるタイプの破裂的なフィナーレだ。派手で扇情的ではあるが(ブラヴォが飛ぶ)、晩年のチェリビダッケらしさを求めるならこれはおすすめしない。

プロコフィエフ:トッカータ ニ短調 op.11

ブルショルリ(P)(meloclassic)1965/11/19live私的録音・CD

プロコフィエフのピアノ曲は絶対ハマるので聞かないことにしている。こうやってアンコールピースを一つ聴くだけでも新鮮まくりで沸き立つ。ブルショルリはしょっぱなから持ち味である重くて強い音を駆使して、曲の要求のまま打楽器的な音楽を推進していく。ただ指が回るとかスピードを見せつけるということはしない。音がすべてちゃんと実音として響く。だから短くても聴き応えがある。生誕100年記念盤収録。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

D.オイストラフ(Vn)ブール指揮ORTF(ina)1959/6/1(1959/6/21放送)live

ina配信でもAmazonデジタル配信でも聴ける。コンサート冒頭を飾ったせいか、まだ熱していない感および余力を残している感。最初は音がメロウで意外(豪胆な音よりこのくらいの柔らかく適度に細いほうが耳に優しい気もするが贅沢な物言いだ)。解釈表現的に少し堅い感じもする。プロコフィエフの冒険的な時代のトリッキーな仕掛けが、確かな技術により鮮やかに浮き彫りにされてゆく。鮮やか過ぎてすんなり通り過ぎてしまう。しかし技巧を見せつける二楽章にてオイストラフここにあり、というとんでもない曲芸的な表現を披露する。曲芸、というと小手先のイメージがあるがすべて「実音を伴う」。あまりの速さに小手先の動きが省かれるところまで聴いてしまうのはヘッドフォン派の悪いところだが、演奏精度は全般にあくまでライヴであり、オイストラフの録音でもあまり上には置けないと思われるかもしれないが、そのように聴くべきだ。三楽章は変な楽章でソロヴァイオリンが冒頭と最後の主旋律以外は高音アルペジオや変なトリルや装飾音でオケの伴奏にまわるようなところがある。シゲティの技術的限界と表裏一体のギリギリ切羽詰まった表現とは違い落ち着いた安定感が内容的な部分に何か足りないものを感じさせるが(この演奏はオイストラフにしては集中度の高さはなくいつも以上に灰汁が抜けている、前プロだからだろう)これは普通はこれでいいのだろう。客席反応も曲への馴染み無さもあってか普通で、長い拍手の後の方が少し盛り上がる程度である(舞台上に戻ってきたタイミング)。書き忘れたがブールのバックは素晴らしい。やや複雑な曲を鮮やかに処理、響きの透明感を維持し技巧的解れを許さない。同オケ同時代にこの高精度の演奏は素晴らしい。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

カペル(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/3/21live

カペルは同曲にふさわしい攻撃性を秘め、しかし力みすぎず弾きまくる。楽曲に適した、熱過ぎず冷め過ぎずの音を持っていると思う。パラパラ胡麻をまくようなフランス風の軽さも無い。オケは積極的に表に出てソリストとも絡むし主張する。歩調はほぼあっていて、そこにロシア物をやるんだという意識は無く「臭み」が無いから純粋な近現代音楽として楽しめる。ただ、オケは本調子とは言えないところも散見される。弱音部での響きの雑味(弦)、細かい装飾的音符がごちゃっとしてしまうところ、一部わずかにソリストと乖離するところ、ただ、ミュンシュだけはあり力技と言っては失礼かもしれないがそのまま聴かせ通してしまう。ブラヴォで終わるのは協奏曲ではソリストに対するものだろう。音質は推して知るべしのモノラルで雑。

プロコフィエフ:交響曲第5番

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(orfeo)1958live・CD

軽い軽い。素っ気無く始まりきちっと揃った上でさっさと進んでいく音楽。だがこの曲に顕著なプロコフィエフの「色気」が抜かれ、純粋に律動と機構の面白さを聴かせており、そのことで私みたいに飽き飽きしているリスナーは割とすんなり聴き進めることができる。そのうち要所要所で力感が漲るところがみられるようになり、その厳しいアンサンブルのパワーは四楽章で炸裂する。なかなか聴ける演奏。録音は良好。

プロコフィエフ:古典交響曲(交響曲第1番)

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/3/27live

ミュンシュには7/26のコンサートでの同曲の録音もあり、演奏時間は30秒前後の差しかなく(同じDAの別番号なので同一ではない)、これを選ぶ理由もないが、録音状態は全然こちらの方がましで、解像度の良さ、引き締まり度もやや上に感じる(客席反応は心なしか向こうの方が良い)。いずれ新古典主義の先駆をやるにしてはドガシャン的な音の叩き方が気になり、ストコフスキーは論外としてトスカニーニのような筋肉質に引き締まったものとも違って、ミュンシュの良くも悪くもである。情緒的表現は良い。また、さすがに構造が売りの作品なので、発音の派手さはともかくそこはしっかり組んでいる。

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第3番「古いノートから」

アンドレ・チャイコフスキー(P)(meloclassic)1962/1/20バーデンバーデン南西ドイツ放送スタジオ録音・CD

もともと簡潔に構築された佳作ということもあるが、均整の取れた演奏ぶりで、古典からショパンという流れで名を成したのはよくわかる(戦中派として若い世代ではあるし早世したからイメージが古いだけでこのスタイルが取り立てて新しいとは言わないが)。軽妙というと語弊があるものの、音楽表現にニ派があるとすればモーツァルト派であろう、ベートーヴェンではない。したがって即興や作曲をこなしたというのも頷け、この初期曲(改作)に溢れるイマジネーションを汲み取り、たっぷり余白を取りながらフランス近代曲のようにペダルを多用することなくぴたりと仕立てる才能はなかなかのものがある。正直作曲もやるのなら他の現代曲もやっておけば評価は違ったろう。コンクール出でも半端な位置、音も含めて奇をてらわず派手さはないがヴァイオリンで言えばスターンのようなパターン化した音作りのスタイルは絶対取らず、編曲も厭わない創意と売出し側の意識のズレ、住む国を移り続けたのにも理由はあろうしこれは仕方のないことだ。チャイコフスキーは戦中ユダヤ系を隠して生き抜くために付けられた偽名で作曲家としてはアンジェイと母国ポーランド風に読まれることが多い。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

ミトロプーロス(P、指揮)NYP(SLS)1944/4/23コンサートホールlive

オケとのシンクロ度が凄く、弾き振りならではの一体感がある。スピーディーで揺れのない力強い表現という点でまったく一心同体である。ミトプーはこの曲の偶然の弾き振りで名を売っただけはあり指は回るし悪い録音の中からも余技と言うには余りにしっかりした演奏となっており、不協和音の一部が不自然に響く、二箇所ほどテンポが流れたりするなど細かい部分は余技ゆえ仕方ないところがあるとはいえ、いくつかある弾き振り記録の中でとくにニュアンスの面では「録音に良く捉えられている」。ノイズだらけの悪い音でもノイズがゆえ削られなかった部分が聴こえるのがこの盤のメリットだろう。もっともオケはゴチャッと中音部が潰れてしまっている。二楽章にもっと「思い」が欲しかったか。音色の硬さも仕方ないか。新発掘音源とのこと。

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」~抜粋

ストコフスキ指揮NBC交響楽団(RCA)1954/10/5,7・CD

正規のステレオ最初(期)録音として知られ、ステレオ録音時代突入のきっかけとなったものの一つ。ストコフスキー自身すでにベル研究所と10数年前より実験を進めており、商業録音として出せるレベルとなったのが本盤であろう。左右のバランスが悪いというか分離が激しく音も古びているものの、録音操作も念入りに施され、各楽器が浮き上がるように明確にひびき当時のシェフであったNBC響の名技も余すところなく伝えるものとなっている。ストコフスキーの解釈によるところもあるが当時のヴァイオリンのポルタメントを駆使したつやめかしい音色、フレージングの美しさも堪能できる。これはストコフスキーによる抜粋が先鋭なものや激しいものを除き、すべて叙情的で大人しいものであるところにも依るだろう。この音で存分に歌を歌わせたかったのだ。聞き覚えのあるフレーズはすべて暗示的に示されるのみで、そこがまた感情的に揺り動かされる。高音偏重で明るい色調はプロコフィエフにおいてはまったく適している。同曲を得意としたストコフスキーの、通例である選曲抜粋演奏を逆手に取ったような無名曲ばかりの編成で、聴く気が起きない方ほど聴いてほしい。ヴァイオリンのパワーに圧倒。現在は正規の廉価ボックスに収録。

噴水の前のロメオ/ジュリエット/ロメオとジュリエット/ジュリエットの墓の前のロメオ/ジュリエットの死

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(columbia/sony)1953/4/26・CD

復刻盤CDについて。モノラル末期のセッション録音にもかかわらず、不安定で粗雑な録音であることは信じ難い。オーマンディがこの時期(ないしそれから現代に復刻されるまで)にそういう扱いであったことは仕方のないことだが、西側初演の大成功で同曲の認知度を一気に上げた功労者であり、シベリウス同様作曲家の国においても多大な支持を受けた指揮者の、この原盤保存状態は理解できない。同時期に同曲の別の大指揮者盤があったならいざ知らず、これはまったく同傾向のライヴ録音を残しているミュンシュ同様、米国において政治的なものが背後にあることを勘ぐらせる。想像で補って書くしかないほど荒れた録音ではあるが、各声部がいちように非常に強力に発音しているのが印象的で、膨れて鳴りすぎるほどであり、シャープさよりボリュームを重視したアンサンブルは古風な感もあるが、この旋律的でハーモニーも構造もさほど複雑ではない曲については問題ない。力感で押し切るのは前記のミュンシュと同じものがあるが特徴的なのはひたすら素っ気なくインテンポで進めるところで、その速さの中に要素を緻密に詰め込んでいる。同曲のしっとりした旋律をひとつひとつ慈しむように楽しむより、数珠繋ぎの楽想の奔流に流されるのが良い聴き方なのだろう。三楽章など、余裕しゃくしゃくなところは気になるが、構造的な部分も明確に立体的にひびかせ、メロディやハーモニー、リズムだけではない、管弦楽の楽しさを伝えることも怠っていない。全般メリハリのハリしかないところはあるが、職人的な上手さ、オケの力強さを楽しむには、何とかなっている録音である。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

マルティノン指揮パリ音楽院管弦楽団(decca,london/testament他)1959・CD

後年の録音にくらべ心なしか情感が滑らかにこめられており(マルティノンで弦のポルタメントなんか聴こえるのは珍しい)暖かみを感じる。技術的には国立オケに劣るのだろうが、録音のせいもあるのだろう、高音偏重で薄く透明感のある響きがそこまで目立たず、速めにスラスラ流れていく中にしっかりオケの主張がある。このオケのこういうところは好きだった。マルティノンなので耳に残るような特長は無いが、この旧録のほうが音楽が身近に感じる。激烈な楽章のバラケっぷりも全体の中では調和している。軽快な楽章冒頭主題に回帰して終わる。木管は上手で音色が懐かしく、明瞭に捉えられたハープも好きだ。このオケとは五番とこれのみ録音している。ステレオ。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト大放送交響楽団(melodiya/venezia)CD

立体的な書法で簡素に書かれた作品だけに個々のパートがちゃんと主張し、全体はバランスをとってしっかり肉付けする必要がある。旋律だけ流し下支えと分離するようではピンと来ないし、情感に鈍感ではつまらなく、わかりにくい。変な解釈を加えずとも中低音域の楽器が高音楽器を圧するほどに強靭に演奏しているだけで、チャイコフスキー後期交響曲並の大衆的魅力を発揮する。加えロジェストはひときわわかりやすく、ロシア式にのっとって各楽想、音要素を強めに起伏を付けて演奏させる。録音バランスについてそもそも低音が強く(ソヴィエト録音が粗いのはいつものことで置いておくとして)高音楽器が相対的に弱いせいもあるが、構造的に書かれた曲は内声を決して軽んじてはならないという基本を改めて実感させられる、目の詰まった佳演だ。職人型の指揮者がときどき陥っている、自分のやり方に曲を寄せてしまう方法を、ロジェストはとらない。真の万能型指揮者であった。この時代のロジェストは神がかっている。ここでは文化省オケにない力感、技術もメリットとなっている。終わりはガチャガチャを再現しない静かな方をとっており、珍しい。しっくりくる。ステレオ。

プロコフィエフ:古典交響曲(交響曲第1番)

ミュンシュ指揮BSO(DA)1953/7/26live

おそらくプライヴェートSP起こしで極端にノイズが入る。SLSの「原盤どおりにノイズも入れた」盤のようだ。DA復刻では珍しくなかった現象だが、演奏自体はミュンシュらしい勢力的なところが速いテンポと攻撃的な弦のアタックに出ているものの、木管がそれに乗らず「常識的な表現」を維持していてごくわずかに乖離を感じさせる。4楽章で珍しくミスすらみられるのはこの乖離起因かと思われるが、技術的に問題のあるオケではないのでこれは単にたまたまこの時だけの問題だろう。新古典主義作品としてリズムを浮き立つように煽るわけでもなく一貫してプロフェッショナルにやっていて、とくに何も言うことはない。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」

マルティノン指揮ORTF(ina配信)1971/10/31放送 live

一楽章は穏やかで悪く言えば平板。例の美しい旋律もロシアの演奏より力感がなくさらさら普通に流される。ライヴなりの生気はあるが、録音が放送音質で(クリアなステレオ録音ではある)気になる人には気になるくらいの極薄いノイズがあるため、弱音表現の美麗さを楽しみたいならセッション録音をとるべきだろう。だが二楽章のドライヴ感は凄い。勢いのある方のマルティノンがあらわれており、終盤の畳み掛けるような舞踏表現は打楽器が強調され凄みを感じる。三楽章は地味ではあるが緩徐楽章というだけの存在ではなくシニカルな楽想や挽歌のような旋律が織り交ざり、前の交響曲でみられた複雑な心情が忍ばせられている。マルティノンは個々の楽想の対比をはっきりさせることはしないが、流れをうまく繋げて聴かせている。四楽章は活き活きして、オケに(かなり)乱れがきたされてもそのテンポと強靭なリズムを弛めない。行進曲風のフレーズも結局は元の楽想に戻るまでには雑味も厭わない力強い表現に戻る。そこから、一楽章での薄い出現ぶりは何だったんだ、というくらい緩徐主題の回想が盛り上げられ、テンポ的にはあっさりしているが揺り動かされるものはある。セッション録音よりやや速いかという感じではあるが、感情的な暗喩というか、途中の暗さはあくまで音楽の流れの中に溶け込み、ガシャガシャっとあっさり終わる。拍手は普通。すぐ次の曲の準備に入る(笑)マルティノンはVOX全集の他、decca(testament/king/londonでCD化)にパリ音楽院管弦楽団と50年代5番、7番をセッション録音している。

プロコフィエフ:古典交響曲(交響曲第1番)

パレー指揮ORTF(ina配信他)1957/5/9シャンゼリゼlive 1957/6/1放送

amazon配信とina配信は同一音源と思われる。コンサートの嚆矢を飾った演目。モノラルではあるがパレーらしい前進力にもまして軽やかで爽やかなORTFの音色を活かした演奏ぶりが心地よい。パレーはフランスのオケだとやはりフランス系の指揮者たるところを示す。統制も行き届いておりまた自然である。演奏効果を狙って何かしてやろうというところのない、かといって新古典主義をことさらに強調しようという堅苦しいアンサンブルもない演奏。聴衆反応は普通。

プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」(一部欠落)

マルコ指揮東京交響楽団(TBS)1959/12/11live・CD

テンポは揺らさないが表情付けは濃い、マルコらしい。この指揮者も掴みどころがないところがあって、なんの引っ掛かりもない凡演もあれば、稀にとんでもなく惹きつける凄演もあり、セッション録音だろうがライヴ録音だろうが関係ない。この曲は二十世紀を代表するメロディメイカーのプロコフィエフにあってもとくに魅力的な旋律が次々と繰り出され、青少年向けという命題のためだけでもなかろう、最晩年の透徹したまなざしで、単純化された書法によりおそらくは遠い過去の記憶を美しく瑞々しく綴った名作。マルコはプロコフィエフと親交がありこの作品をよく取り上げたが、スタジオ録音はこれといった特長のあげづらいごく普通の出来で、一方ライヴ録音ではとんでもなく集中力の高く即興的にも取れるような独特の気の煽り方をしたものもある。この来日記録(盤ではオマケ扱い)はモノラルでありながら情報量の多い良い音だが、演奏スタイルはその中間。後者に聴かれるような、他の指揮者に無い解釈表現や、改変のようなものが(細部の省略のようなものも)聴かれるところは面白いが、演奏スタイルそのものにかんしては実直さも目立つ。ここではオケの健闘ぶりが特筆すべきことで、弦楽器はおしなべて力強く、ブラスも不足無い。耳にバイアスかけて聴かなくても十分聴くにたえる。惜しむらくは二楽章の一部が欠落(放送用に編集されてしまった)していること。一楽章から二楽章へも妙に間がなく突入したりと忙しないが、じつはこのあたりはそんなに気にならなかった。それほど良い出来だった。ジャンジャンジャンジャン、ドンで終わるバージョン。

プロコフィエフ:交響的協奏曲

ロストロポーヴィチ(Vc)ザッヒャー指揮ORTF(ina配信)1975/8/11放送 live

やはり大曲であり難曲だ。同曲の被献呈者にして多大なる助力者ロストロポーヴィチをしても、余裕の無い、辛い部分が無いとは言えない。ロストロポーヴィチの何とも言えず甘やかで太い音色を活かした叙情的なフレーズはここには余りない。チェロという楽器を研究し、ここへきてなお新たな作曲上の技巧を盛り込もうとするプロコフィエフの、前期と後期の混交したような複雑な様相、それが連綿ととめどもなく繋がってゆく音楽、とくにチェロの主音域を強く意識して、高音を使わせないため一般的な耳からするとメリハリがなく聴こえ、私も苦手とする曲なのだが、しかしまあ、ザッハーの引き締まった指揮ぶりも素晴らしく、硬質で高精度の演奏を目したところで、いくぶん見通しは良くなっている。ソヴィエトの偉大なソリストを迎えたライヴということもありオケからも緊張感が伝わる。でもま、ロストロポーヴィチでなければここまで聴かせること自体無理だったかもしれない。熱狂的なブラヴォで終わる。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

スターン(Vn)パレー指揮ORTF(ina配信)1966/6/28放送live

ひどい。両者とも即物主義的な解釈で聴かせていくかと思いきや、ソリスト、音程もテンポも不安定でミスも目立ち、一楽章終盤の重音進行の不協和っぷりをはじめ、何か調子でも悪かったのかと。オケとズレてしまうところも散見される。三楽章後半のろうろうと歌う箇所ではじめて耳を惹かれる。スターンの音は非常に安定しているが美音とは言えない。普通を突き詰めたような音だ。ニュアンスに乏しく、物語ることをせず、細かいヴィヴラートで何とかしている感がある。全体の構成感への意識も感じられ無い。この曲は浅薄かもしれないが、シゲティがレパートリーとしていた位のものはある。プロコフィエフならではの独創的な表現が散りばめられており、シニカルな調子も夢見るような調子も当時のプロコフィエフの全てが反映されている。後進に与えた影響も少なくはない。そのスコアの色彩感をパレーは何とか展開させようとしているが、我が道を行くソリストが音程悪ければ、全部がバラけて台無しというものだ。これはおすすめしない。録音の良さが却って仇となっている。終演後は普通の拍手にブーイングが散りばめられている始末。

プロコフィエフ:交響曲第5番

ロジンスキ指揮NYP(sls)1946/10live

これはロジンスキのライヴ盤には珍しく音がクリアで聴きやすい。盛大な針音はslsならではだが、それに慣れているおじさん方は余裕で楽しめる盤だと思う。解釈的には他盤と変わらない直球だがそれゆえプロコの緩徐楽章にありがちな退屈な晦渋味も気にならず、聴くものをぐいぐいと引っ張っていく。集中力・力感は言わずもがな、ニューヨーク・フィルは強権的な指揮者のほうがやはり良いのか?何度も聴き返す録音というのは最近そうそうないのだけれど、これは終楽章を繰り返して聴いてしまった。拍手はまあまあ、一人ブラヴォ。10/20録音と書いてあるが誤りで、おそらくその前後数日のどれかの演奏会の初出音源とのこと。COLUMBIAスタジオ録音と同時期。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

トラジェ(P)テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(don Industriale)1985/11live

やけにしゃっちょこばったプロコフィエフだな、テンシュテットらしいな、と思うが、ソリストは鮮やかに弾きこなし、演奏のドイツ臭さというか堅さ、流れの停滞を防いでいる。このガチッとしたスタイルが、スピードを伴い力感みなぎる音楽に結実していく三楽章後半は聞きもの。全体構成がしっかりしているぶんスケールが大きく感じられる(プロコフィエフに適切かどうかはわからないが)。録音は海賊なりのもの。

プロコフィエフ:交響曲第5番

ロジンスキ指揮NYP(sls)1946/3/24ライヴ

録音ボロボロで演奏的にも一楽章は表情が無くスカスカでダメ。このコンビの火花の散るようなやり取りは拍手後の二楽章で聴くことができる。激しいリズムとアンサンブルの妙技を楽しめる。三楽章もまあまあ。四は迫力が今イチ。

プロコフィエフ:キージェ中尉組曲

シェルヘン指揮南ドイツ放送管弦楽団(tahra)1962/10/26live

シェルヘンの同曲録音は3種あるがライヴだと例によって激しいアゴーギグで弦がバラけ音がスカスカになる。ものの、外しの天才というか意図的に外すのが天才的に巧いこのモダニストの仕掛けを明確に聴かせる。ポリトナルが楽しい。
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