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ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI他)CD

少し重いがステレオ優秀録音の情報量の多さゆえそう感じるのかもしれない。内声部の緻密な動き、弱音部の繊細な響きがしっかりとらえられており、開放的で華やかな響きは録音マジックとは思えど、マルティノンの一歩引くもしっかりした音楽作りの成果として、曲を良く知る人にむしろ向く演奏かもしれない。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/7/25live・CD

この人のラ・ヴァルスはミュンシュのように揺らさず煽らない直線タイプだが、リズム感の良さが際立ち(かといってズラしてウィンナーワルツ風にするとかいったものではなく自然と舞踏的なのである)、派手で色彩感あふれる響きを全て統制して首尾よくまとめる。フランスの伝統的な各楽器演奏上の流儀を、アバウトな部分も込みなこともあるが、このオケに持ち込み、そしてこの晩年に至っても忠実に守っているといった、保守的ではないのだがやはりそれを感じさせずにおれない。何分聴かないとわからない、解釈に仕掛けを入れるタイプではないから、最後大ブラヴォーで終わると書いておけば、ミュンシュに較べればねえ、なんていう聴かず憶測も払拭できるだろうか。録音は弱い。モントゥーの真価たる迫力を収録しきれていない可能性がある。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団他(WEITBLICK)2006/3/4live・CD

夜明けのしばらく柔らかい音だと思ったら合唱付きで録音都合の音の遠さということらしい。組曲での合唱付きは珍しい。陶酔的な表現、止揚するテンポにのって合唱が雰囲気を高め、音の少ない部分ではなかなかリリカルなラヴェルらしい音を出させる正攻法のところもあり、それは一つにはRIASを源とするこのドイツオケが元来得意とする低い音域へのこだわりを放棄させ、醒めたくらいの音の上、フルートなど木管にとことん明るく歌わせるところ、さらにプレートルらしくもなくと言っては失礼だがまさにフランス伝統の同曲の演奏、ミュンシュふうに意思的でももっと香り立つ美麗な表現で突き通している、とくに二楽章はオールドスタイルと言えるくらいに夢幻性を煽りまくってくる。頭の揃わないような野暮ったい合奏のトゥッティはともかく三楽章突入すると気を煽るスタイルに切り替えていく(ドイツオケらしく縦を強く意識して前進的ではないが)。ちょっとオケのバランスが悪いというか木管と弦が遠く感じるところもあるものの、太鼓が近く派手に響いて、卑びた雰囲気の、プレートルらしい雑味を孕む独特の縦ノリオケに合唱が大きな幕のように被さってきて、変に空疎な変に盛り上がる、フィナーレ感の薄い独特の破裂でブラヴォが散発。いや、合唱付きなのでそれだけで価値はあります。

ラヴェル:ボレロ

プレートル指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(WEITBLICK)2001/10/15live・CD

音を短く切ってリズムを強調すると思いきや旋律各部後半の長い音符をほんとにポリリズム的に引き伸ばし、旋律の合間の休符で辻褄を合わせるという南欧の指揮者がやりそうな(音は全く南欧的ではないが)独特の、いつ時代なんだというトンデモ演奏(トンデモという汎用語は使いたくないのだが)。ほんとに聴けばトンデモとしか言いようのない旋律表現、それを合奏部分まで八割方(十割ではない!)徹底しているからソロ楽器の洒落た歌い回しのためにやったとかいう範疇ではない。クレッシェンドもなんだかいびつで大きな松葉がきちんとした右開きの三角直線で構成されていない、これは録音のせいか?ブラヴォが出るのはライヴでなければあり得ない、その場の空気を呑み込んだ表現だったからだろう。冷静に音盤で聴くと(同時期の映像もあったのではないか)プレートルの悪いところが出ている個性的演奏。

ラヴェル:ボレロ

パレー指揮ORTF(DA/vibrato:CD-R/ina配信)1972live(1972/6/5放送)

vibratoは当時DA盤のコピーを何倍もの値段で出していたので、聴いてはいないがほぼ同じ演奏時間で同じ組み合わせの中にあるこれも、同じものだろう。音質は珍しくクリアなステレオで良好(パレーの放送音源はina.frに大量にある(ウンザリするほどある)。1972/4/12のシャンゼリゼライヴ説が濃厚で、ベルリオーズ「海賊」も演奏されたことからすると、それを含む全演目が1972/6/5放送として提供されており、同一と思われる)。高速軽量級、しかし数珠繋ぎの管楽器にはいささかのミスも手抜きもなく、緊張感と力感に娯楽性が同居したまさにフランスのトップオケによる胸のすくようなボレロ。軍楽隊の如きスネアと開放的な高音ブラス、不断のテンポはどこまでもクレッシェンドしていく音楽に弛緩の隙を与えない。SP時代を思わせる13分弱のボレロだが時計で整えたあちらとは質は全く違う。耳を離す気にならない、みんな同じであってもこの人の大量に残されているであろう(ina.frは目下6/5放送のひとつだけしか確認できない)ボレロ。全部聴きたくもなるものだ。いつも通り大ブラヴォ。DA盤は大拍手をアナウンサーが無残に断ち切りメニューインのベトコンに突入する。粘らないベトコンも良い(さすがにガチガチのベートーヴェンになると細部の音色や音程など気になる)。

ラヴェル:ピアノ協奏曲

ニコレ・アンリオ・シュヴァイツァー(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/11/25・CD

旧録だがステレオ。これが妙に、と言っては何だか魅力のある演奏で、もちろんスタジオ録音だからミスは無いのだが時折瞬間立ち止まるような堅さは、ペルルミュテール/ホーレンシュタイン盤を彷彿とさせるのだ。音はもっと硬質で色が無く無理して強く打鍵しているような荒さがあり詩情を比べるのもおかしいのだけれど、それでもこの演奏は魅力がある。マルグリート・ロンからヴラド・ペルルミュテールに至る同曲演奏の一つの流れの上にいる。私の悪い耳から言えば「ハッキリしている」からわかりやすいのだろう。柔らかさがないのが同曲には向いているのだ。それでも二楽章~誰がやっても詩情漂うのだが~はこの人にしては、結構感傷的というか、よく起伏がつき印象深い。ミュンシュはぴたりとつけ、これもロンやペルルミュテールのバック同様何かを付加することはない(ホーレンシュタインはマイナスしている感もあるが)。この演奏は推せます。ニコレ・アンリオについては別記したが自分で検索する上で引っかかりやすくするのと、同じ人であることを強調し統一感を持たせるため、わざわざ結婚前後で名前表記を変えず、シュヴァイツァーまで記載しています。本ブログ(まとめブログ)ではこのようにわざと表記をいじったり、検索用に文中で名前表記を幾つも使ったり(モントゥー、モントゥのように)してます。

ラヴェル:ツィガーヌ

D.オイストラフ(Vn)ブール指揮ORTF(ina)1959/6/1(1959/6/21放送)live

ina配信でもAmazonデジタル配信でも聴ける。直前のプロコフィエフより音が明晰。別録か。冒頭から軽く、技術的にも独特なところがあり民族性が薄い。粗さが目立つというか、この曲特有の繊細で特殊な表現に豪快で野太いヴァイオリニズムがマッチしてないと感じた。オケが入り(相変わらず見通しよく適切だが音色が少し鄙びている)安定はするものの、合っているのにどこか違う、こういうのは東欧のヴァイオリニストやグリュミオーあたりが得意とするものでヴィルトーゾには向かない。ブラヴォは飛ぶ。独特だからかも。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne)1982/11/26live

録音の悪さもさることながらぱっとしない。テンポも緩くこの人にしては(ラストを除き)揺れが無く、オケの音色にもオケ特有のものがあまり聴かれない。いかにもワルツっぽい浮き立ったリズム感がないのはこの人なので仕方ないが、過度に期待すると裏切られる。ブラヴォが飛ぶので実演と録音の差か。

ラヴェル:マダガスカル島民の歌

グレイ(Msp)作曲家(P・指揮)アンサンブル(PHILIPS他)1928・CD

ラヴェル屈指の名作であり、ドビュッシー来のサロン風室内楽から前衛の野蛮主義や無調まで、取り入れたというのではなく手法として活用し、三曲、短いながら各々対照的な音楽となっている。編成(歌唱、フルート、チェロ)を指定しての米国婦人からの委属~それ以外は自由とされた~にもとづき、マダガスカル島1世紀前のクレオール詩人の文明批判的テクストを読み込み、オリエンタリズムではなく、植民地の原住民目線からの歌として取り込んで、民族音楽は適用しなかったが歌詞と新しい響きが、却って鋭く直截な印象をもたらし物議を醸した。「ナアンドーヴ」はもっともドビュッシー来のフランス室内楽の雰囲気に近く耳馴染みは良い。恋愛の歌である。この演奏ではチェロが冒頭よりヴァイオリンのような音色(時代柄揺れがあり木管のようにもきこえる)で下降音形を繰り返したあと、ピアノ、フルート(この録音状態では残念ながら余り識別できないので取り合わせの妙は新しい録音をどうぞ)とともに典雅な響きを、時折土俗的な、ルーセルを思わせる進行をまじえて展開し、チェロの下降音形ととつとつとしたピアノで終わる。グレイ婦人は最初から力強く正確にしっかり歌い(歌曲は伴奏に対して大きく刻まれた時代なので過度にそう聴こえるのかもしれない)、同曲にてよく言われる官能性は届いてこない。この曲の要といえる「アウア!」は掛け声である(これを珍題と揶揄した無知な作家に怒りを覚えたことがある、テクストも曲も識らない者が作家を名乗って書籍を書いているのが日本の音楽出版界だ)。不協和音と叫びによって白人の侵略を糾弾するもので、同時代前衛的態度に立ったウィーンの晦渋な音楽に近いものの、とても簡潔だ。この曲は怒りにみち、次の「休息」までも暗い雰囲気を引きずっている。ストラヴィンスキーふうの索敵的な攻撃性すら感じる。グレイ婦人はやや冒頭の叫びが甘い気もするが、後半の畳み掛けは感情をぶつけるような表現が見事だ。伴奏もはげしい。ラヴェルのピアノは冷徹に音響的リズムを刻み、フルートの、ストラヴィンスキーよりさらに非西欧的なフレーズと、チェロの暗闇をはらむ通奏低音がバラバラに、後期ラヴェルの室内楽に通じる「ぎりぎり」の衝突的アンサンブルを緊密に提示している。「休息」の伴奏の暗さ、非西欧的なもの、非旋律的なものを含む不可思議な音形が散発的に現れるさまは歌唱の明らかさと対比的だ。ゆったりとした夕暮れの風景が、前曲の侵略者との闘争から、つかの間にすぎない平和を得られたことを示しているような感じがする。ここで弟子RVW「ウェンロック」の最後も思い出すのだが、少し変化して消え入るように終わるのもいい。この録音は特別に残されただけある。ラヴェルがピアノを録音した記録もロール以外無いので、その指の「強さ」を感じ取れるのも貴重。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

○ゴーティエ(v)ジョワ(p)(radio france)LP

トリオ・ド・フランスのメンバーによる演奏だが、技術的引っかかりのない精度の高さで、スピードがあって聴きやすく、また、ゴーティエのヴィヴラートが美しく、懐かしい音色、ブレのない適切な表現が素晴らしい。同時代の香りがして大変に魅力的だ。ジャズ風を煽らない二楽章もラヴェル的で、これこそ真の姿であろう。綺麗なノイズレスな音にして欲しいが、同時代的雰囲気が損なわれるか。こうやるべきという模範的なアンサンブルで、音楽性は高い。

ラヴェル:序奏とアレグロ

マリー・クレール・ジャメ五重奏団他(erato/rca)1976版

マリー=クレール・ジャメ(hrp)の陶酔的なソロをきくための演奏であり、ヴァイオリンなど不安で没個性的に感じるが、それを含めフルート以下六本はあくまで、ソリストを浮き立たせるための伴奏なのであり、同曲の趣旨通りの演奏と言える。テンポは落ち着き気味で、ジャメの技巧の安定した演奏に沿って呼吸するように伸び縮みするが、過剰な山っ気はなく、音質も綺麗で、柔らかな香気を放っている。コーダではスピードを上げ楽曲の要求するとおりのフォルテッシモで終わる。このくらい揺れたほうが型式ばった曲の飽気が跳ね飛ばされて良い。マリ・クレールの同曲演奏はina配信で三分の二くらい映像を見る事もできる。

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

ブランコというとレコード史上最遅速ボレロだが、この演奏はむしろスピーディーだ。指揮者やオケの性向から舞踏表現に長けたものを期待してもそこまで煽るような音楽は作っていないが、派手な鳴らし方、ニュアンスに富んだアーティキュレーション付け、各楽章の要求するものを明確に示し、ラヴェルが信頼した指揮者の一人であることも頷ける。ロザンタール正規録音ほどの精度は無いが、そのぶんライヴ感があり、透明感ある響きには同傾向の精妙なコントロールぶりが感じ取れる。

ラヴェル:クープランの墓

コープランド指揮クリーヴランド交響楽団(SLS) 1970/8/1クリーヴランド ブロッサム音楽祭live

二枚組CD-Rのこちら二枚目の方は何故かノイズが無く放送(エアチェック?)品質の最低限の音が確保されており聴きやすい。ラヴェルを得意とする指揮者のやるような品のあるエスプリに満ちた演奏ではないが、ドビュッシーのピアノ録音を残しているとおり、また実際にナディア・ブーランジェ門下であることからもこのあたりのフランス音楽には元々親しみのある人で、あくまで「外国人として」客観的に整えながらしっかり創意の感じられる起伏を織り込み、楽想により表現の変化を明確に付けて、ローカリズムに落ちない、分かりやすい詩情に満ちた演奏に仕立てている。ややもって重いところもあるが、構造が明快で響きの透明感を保ち、現代指揮者の振るラヴェルに近いスタイルと言えるかもしれない。リズムの引き締め方が現代バレエ的というか、縦の拍がきちんとしている。但し、最終音を思いっきり延ばすのは異様で、録音品質からもマデルナを想起させた。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1966/12/6live・CD

序盤「BSOにしては」少し緩さが見えるが、中盤から物凄い。ウィンナーワルツ「風」のリズムの崩しを「作為的に」盛り込みながら舞踏表現を煽りガンガン鳴らしまくる、まさにミュンシュのラ・ヴァルス。モノラルだが間髪入れずの大ブラヴォーはこの実演がホールにて大成功したことを確信させる。最初から最後までもっと緊張感が高くオケのコンディションの一貫して良い演奏記録はあるが、しかしこの音では実際の優劣はわからない。ミュンシュファンでラ・ヴァルスをまだまだ聴きたいという向きはぜひどうぞ。

ラヴェル:序奏とアレグロ

○グランジャニー(HRP)シルバン・レビン指揮ビクター弦楽合奏団(HMV/SLS)1940

作曲家ゆかりの男性ハーピスト、グランジャーニの旧録。ドビュッシーの舞曲と組み合わせ。SLS(CD-R)はSPでのこの組み合わせをそのまま針音も込で復刻した。andanteで舞曲のみCD化していたが、SPも入手困難なものではない。グランジャーニのつまびきはノイズの奥からも古雅にひびき、それは音響的に「引き」でありながらもまったくこの演奏全体を支配している。このムードを安定感あるアメリカの楽団が邪魔も加えもせず保っているふうである。決して「ギターみたい」ではない。ラヴェルとグランジャーニは舞台をともにしたこともあるというがこの曲であったかどうかは知らない。グランジャーニはアメリカのハープ演奏界の父である(戦後国籍を移している)。

ラヴェル:ピアノ協奏曲

ニコレ・アンリオ・シュヴァイツアー(P)ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(EMI)1968/9パリ・CD

ステレオだが古ぼけたノイズが載るけして良好ではないもの(私はLPからリマスターCDまで持っているが全般を見通しても70年代も近い頃の標準的なスタジオ録音の中で上位には置けない。LPではライヴかと思ったほど。原音からのノイズ除去勝負だろう)。相対的に言って抑制的な表現で、遅いインテンポで確かめるように進めていく。そのぶん演奏精度は高く、このオケの母体となる団体の(団員が大幅に入れ替わっているのでそれは無いとは言われているがなお)伝統であろう情緒的とでも言うのか、力強い表現とあいまって、ミュンシュのものとしては最も一般的に勧められる。だが壮年期の突進し暴れまくるミュンシュらしさの欠片もないので、そこはどうかというところ。ソリストはかつてない精度で演じているがどこかデリカシーがない、音色が一本調子だ。私にはこの「白鳥の歌」の一枚が、新生楽団の首席として指揮台に立ったミュンシュがしかし板につく表現まで至らなかった「その真価を発揮できないまま」急逝してしまった、生硬な記録として聴こえてしまうのだがどうだろうか。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

エルリ(Vn)ビュロー(P)(meloclassic)1952/12/15パリ フランス放送live・CD

一楽章は非の打ち所が無い、丸みのある音で完璧にラヴェルを描いていくエルリ(人気も頷ける)、ラヴェルの普通じゃない、微細な仕掛けまで汲み取って掛け合っていくビュロー、環境雑音もミスもあるが並大抵ではない高度な技巧を、そうは思わせずにすんなり聴かせてなおライヴ感にも溢れている。旋律の魅力はそれほど無い方の作品だが、それでも横の旋律に入ると、ラヴェルが他の後期作品で使ったもの(デュオソナタなど)に似たところもあって、もうこれは同国人の感性がなせるわざか、何とも言えぬ詩情を漂わせる。激しい動きが入るとライヴなりの雑味は出てきて、これは生硬なテンポと、楽想にあわせて変化することをしない細い音が気になるジャズを取り入れた二楽章で明らかになってくるが、ラヴェルが思いっきりジャズをやらせようとしたとも思えぬどっちつかずのところを突いて、次第に板につき、遊び心の余裕が出てくる。ラヴェルには特異に感じられる旋律表現も却って違和感が無くて良いか。短い無窮動ふうの三楽章はウィットに富んだ出だしから聴衆を和ませるが、なかなかの難しさを音色を損ねることなく走りきっている。左手のためのピアノ協奏曲のものに似た走句を時折投げかけるビュローはほんとにラヴェル風に上手い。軽やかさがあり、二楽章のエコーのようなラヴェルとしては違和感あるフレーズも気にならない。楽曲自体の構成上のこともあるが、先細り感のある演奏ではあるものの、ライヴとしてはこれ以上求めてはならないだろう。

ラヴェル:ボレロ(欠落あり)

シルヴェストリ指揮ORTF(belle ame)1959/2live

音量が最初から大きいという。テンポがちょっと足踏みしたり、音外しまくったり、だいたいが冒頭欠落しているのも音源として問題なのだが、響きがシャキシャキせずガシャガシャしてるというか、そこが逆に飽きさせない作り方になっている。まあ、ほとんど打楽器のせいなのだろうが、ヴァイオリンも音色鄙びてますね。。ペットが入り明るい音に変なクレッシェンドまでついて初めてシルヴェストリらしいなあと思う。フランスオケらしさが良くも悪くも出てはいる、ORTFなのにローカル色の感じられる演奏。派手。ブラヴォも。

ラヴェル:ツィガーヌ

グリュミオー(Vn)ヴァイスマン指揮トリノRAI交響楽団(ANDROMEDA他)1962/2/2トリノlive・CD

巧い。グリュミオーの音は一部すこしこの曲には重い感もあるが色は綺麗で技巧的にはすこぶる安定し、危うさの微塵もない。スピードや曲芸的な表現に陥らず、ただやってやろう感は伝わる演奏で安心して聴ける。オケの音色はカラフルだが反応が遅く、重くもあり、グリュミオーの厚い音とあいまってむしろ東欧的な民族音楽色が濃厚になっている。これは良いのか悪いのか。あと、ANDROMEDA盤は元がモノラル板なのにステレオ起こしされているので左右に揺れて非常に聞きづらい。モノラル再生設定で聴くことをお勧めする。

ラヴェル:幻想的歌劇「子供と魔法」

○ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina配信他)1957/12/26(1957/12/28?)1958/1/2放送 ラヴェル没後20周年コンサートlive

1957/12/26と表記しAmazonデジタル(ina)から出たものは同じ組み合わせでラヴェル・フェスティバルとあるためina配信と同一音源、時系列的に12/26が正しいと思われる。スペインの時に続いて演奏されたものだがこちらの方がメインのプログラムと言っていいだろう。ロザンタールはこのバレエとも歌劇ともコミックオペラともつかない作品のバックをしばしば振っており、70年代アメリカでの舞台映像記録もあるというが寡聞にして識らない。録音はモノラルだが明晰(環境雑音や放送ノイズのようなものはわずかに入る)。めざましくめくるめく音楽はくるくると変幻自在に、ラヴェルが自身の管弦楽や歌唱作品で培ってきた技巧が注ぎ込まれ、サティの「パラード」的なガチャガチャした設計を緻密かつ大胆にやり直し、断然に見事な劇音楽に仕上げている。「マ・メール・ロア」を極度に拡大し先鋭的な新しい手法によって組み直し削り落とし、また、ロザンタールはよくその音楽が劇と共にあることをわかっているからコンサート形式であっても(さらに言葉がわからずとも)何となく子供が様々な文物とエキセントリックなやりとりをしながら楽しげに時間をすごしていっているのがわかる。劇はママンで終わるのだがここではママンに抱きつくような野暮な終わり方もしない。ルーセルのエネアスのようなざわめきから不安げな夜景の中に叫ばれるママンである。とにかく十八番、ラヴェルはつねに同じ音楽を書き続けることを避け新しい要素が途切れないように苦心して作曲していったが、それでも同時期の作を思わせる素材が散見されるスペインの時にくらべ、格段に面白い。何故かマーラーの奇怪なメルヒェンをも思い浮かべた(単に大地の歌に現れる中国風のパセージのせいかもしれない)。それはあくまで夢想としてであって音楽とは関係がない。これは価値ある記録である。

ラヴェル:1幕の歌劇「スペインの時」(1907-9)

ロザンタール指揮ORTF&CHO他(ina配信他)1957/12/26(1957/12/28?)1958/1/2放送 ラヴェル没後20周年コンサートlive

1957/12/26と表記しAmazonデジタル(ina)から出たものは同じ組み合わせでラヴェル・フェスティバルとあるためina配信と同一音源、時系列的に12/26が正しいと思われる。十八番の「子供と魔法」とともに演奏されたもの(体力あるなあ、でもたまにある演目の組み合わせのようで。ともに40分余りの一幕のオペラ)。デュヴァル等の名があるがデータがはっきりしないのとフランス語が聴き取れないので詳細は省略。この曲はCD化された記録が有名だがあちらは40年代ということで、モノラルだが音は明晰であり、リバーブをかければほぼ現代のものと遜色無い聴感。歌唱がふるっているが楽曲自体は真面目なもので、ラヴェルに期待されるものがスペインという素材を使って実現されているといったふう。前衛に向かっていたことを示す尖鋭な表現も聴かれる。素直に聴いて楽しめるがコンサート形式のしかも音だけとなると語学が出来ないとイマイチ、歌唱に対しても施されたラヴェルの機知に気づかない。それは私である。付け加えるなら、ダフニスからクープランの管弦楽編曲の流れの好きな人には向く曲で、華やかかつ巧緻なロザンタールの指揮ぶりも楽しめます。

ラヴェル:ピアノ三重奏曲

トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(pretoria/FORGOTTEN RECORDS)1958

SP(LP)録音と同じと思っていたのだが音が新しく別の録音だと思われる。演奏自体も落ち着いており、粗が無い。とくに一楽章と三楽章の、悲しみを湛えた優しい音楽は亡きものへの密かな想いに応えうる名演である。二楽章も他で聞かれる雑味が無くしっかりできている。このトリオでは引き気味のチェロも明確に絡んできておりゴーティエの技巧も表現力も冴え(音は若干痩せているが)ピアノとの音量的なものも含むバランスも良く、同曲を奏でるならまさにこうすべき、と感じるところ多々である。もちろん年齢や時代から現代の演奏と比べ技術的に万全ではないが(ピアノとチェロは良い)、このトリオのライヴを含む記録では一番良いのではないか。四楽章で疲れが見えてしまうのは惜しい。FORGOTTEN RECORDSがフォーレのトリオとともにCD-R化している。このLP復刻レーベルは発掘はやらないようだがLP以降のフランス盤の板起こしはかなり徹底してやっている。私は今は板起こしまで手が回らないので巡回してませんが、カタログは最新版しか無い直販サイトより国内のアリアCDなどのページを見た方が良い。(動画共有サイトなどwebで聴けますが)

ラヴェル:序奏とアレグロ(前半のみ)

マリ・クレール・ジャメ(hrp)マリ・クレール・ジャメ五重奏団(ina配信)1963/6/16live放送(映像)

5分40秒余りで切れてしまうため無料配信となっている。白黒で画質も音質も良くなく、テープ撚れが見られる放送記録映像。娘ジャメさんお美しい。それにしてもハープでかいなあ。表現を詰めていくのではなく、ゆったりしたテンポがとられ、伴奏は伴奏に徹しており音には一切「色を付けない」。上手くてこなれている。ジャメ自身は比較的情緒的な表現の綾を作って特質を出している。技巧を見せつけるのではなく、情に溺れるのでもなく、楽曲の典雅な様子を崩さないように調和を保っている。どうせなら全曲聴きたいところだが残っていないのだろう。

ラヴェル:ピアノ三重奏曲

トリオ・ド・フランス(ゴーティエ(v)レヴィ(c)ジョワ(p))(ina配信)1963/9/10放送 live(映像)

作曲家紹介番組の白黒映像で3分程度解説のち直ぐ演奏となる。まず状態からいうとたまにノイズが入り決して良くはない。さらに映像と音に僅かな時間差があって明確なアタックで弓の動きより発音が先行してしまう点ちょっと見づらい(ダウンロード版なのとこちらの再生環境によって差が出る可能性は否定できないことはお断りしておく)。だがこの曲のフランスの、同時代と言ってもいい流儀の演奏を観られるというのは計り知れない価値がある。ヴァイオリンの弓使いだけでも、ピアノの指使いだけでも、チェロはいかにもアンサンブルチェリストで押しが弱いが非常に融和的、そのアンサンブルの調和っぷりを視覚で確かめられるのは価値が大きい。

ゴーティエはいくつくらいの時だろう、さすがに左手指、弓使いの不安定さ(後半楽章では安定してくるが肘位置や弓筋の揺れは奏法起因と言っても鈴木ヴァイオリン的には気になるだろう・・・個人的にはこのての奏法で、さらに弓の毛をドイツ的にびんとは張らず斜めから柔らかく弦にあて柔軟に面積を変えながら、弓ではなく弦から最大限に豊かな倍音を引き出すべく「撫でるように」弾くことで、運弓上アクセントが犠牲になることはあっても懐かし気な芳醇な音が出せるので大好きなので当然それを板について実践しているゴーティエが嫌いなわけはないのだが今は実践できないので冷徹に、これ以上言わない)はきついところがある。非常に曲慣れしていてほとんど譜面などいらないような適切俊敏な反応をしているので(これも映像があって初めてわかる)、一番気になるのは2楽章冒頭及び再現部でのフラジオ混じりのスピッカートで、実音の方の音が雑音化あるいは出ていない、というところだが弾いている姿を見るとこの弾き方なら機械的な発音ができないから(これも非常にうなづけたところで私はその音のために全部弓元でガシガシ飛ばしていた(そうしないと飛ばない)ので正確(精緻)な音は出にくいがやたら音圧は出た、まさにその音色が出ている、って大先生に滅相もないことを以下略)、これでもピアノ三重奏曲という編成ではもともと各楽器の実によくバランスのとれた構造の曲なのだが、それでもここは意識して大きく発音して印象付けないとならない、そのためのやり方で、仕方ないところもある。豊かな倍音と言ったが音量が出るということではない、むしろ小さくなってしまう。ゴーティエの音は決して太くない。むしろ柔らかいがゆえ細く聴こえる人もいるだろう。

非常に曲慣れしていると書いたがゴーティエに限らない。この映像ではトリオ名が明確に示されているが私が持っている盤は三人の名前がただ並んでいるものばかりで、もっともフランスやロシアで団体名は後から付けたので当初そういうバラバラだったのが印刷上引き継がれてしまった例は他にもあるが、その場合えてしてアンサンブルに(プロレベルでの)難を感じるものの、この丁丁発止というか融和的な(音色的にも絡み合い的にも)高度なアンサンブルは、やはりちゃんと名のついたトリオとしての活動をしっかりやっていた証左だろう。三楽章はしっとり聴かせるが四楽章で次第にピアノが主導権を握っていき終盤には弦二本を従えて高らかに宣言する、こういうところではジョワのルフェーブル的な腕、美しく粒だった音がはっきり響き渡り、結局ジョワが持ってってるよなあ(それまでの楽章での際立った安定感込みで)と思う。全般、他の録音でも書いたが、ゴーティエに荒さはあるが、それはライヴ感を引き立てるものにもなっており、フランス派の音色と(悪い意味ではなく)スリリングなアンサンブルを楽しむに十分で、なおかつ映像であれば貴重というより他無い。ちょっと値上げしたようだが機会があれば買って観てください。

アフィじゃないですよ(直接リンク)>ここ

ラヴェル:ツィガーヌ

ゴーティエ(Vn)ロスバウト指揮フランクフルト放送管弦楽団(meloclassic)1937/6/22 放送スタジオ録音・CD

melo classicを認識したのはこのトラックが含まれるフレンチヴァイオリニスト詰め合わせ一枚で、確か買った記憶がある。しかし他のトラックが守備範囲外の作曲家のものばかりなので、聴く気にならないうちにどこかへいってしまった。代理店を通しても決して高いわけではなかったがDAほど破格でもなく、それなりに考えるべくカタログを眺めるに、揃える骨董音源のあまりのマニアックさにだんだんと「この範囲まで買うなら大枚飛んでいくことになる、範囲を現状維持するならこの一枚だけで終了」という気分になり、結局後者でそのまま敬遠となった。ラインナップ増すら知らずにいた昨年秋、廃盤が続出しているという話を読んだ。えっと見ると最新更新で個人的にとんでもなくレアなアイテムが目に停まった(カルヴェのものである)!やばいこれはDAパターンで突如消滅するレーベルだ!…とまあ、とにかく目ぼしいものを沢山買っているわけだが、ついでにこれも再度買うことにしたわけである。1953年ティボー最晩年の録音やカンデラの珍しい録音など他にも聴くべきところは多い。だが私が最初に目をつけたのは単に、ロスバウトであった。ロスバウトのフランス物がツボだったのである。ゴーティエは幾つか持っているがフランスの奏者に限っても、相対的にははまらなかった。ハッキリ言って荒すぎると書いた覚えがある。この薄ノイジーな骨董音源も果たして、荒いのか。

荒いのではなく凄かった。この人の全盛期はこのくらい昔だったのではないか。他の何者も入り込めない世界を、冒頭からの独奏で創り上げ、そこからトランス状態に入ったのではないかというくらい目覚ましい演奏が始まる。フランス派の音でこんな正確で強靭な表現を自在に行っていくソリストを知らない。録音状態にもよるのだがロスバウトなんて背景画である。どうでもよくなってしまった。ツィガーヌが初めて分かった気がした。

ラヴェル:ハバネラの様式による小品

フルニエ(Vc)ホレチェク(P)(meloclassic)1957/3/9live南ドイツ放送・CD

直前のグラナドスにくらべこちらのほうがよほど南欧的な演奏になっているが、単純に相性だろうか。ピアノの雰囲気の醸し出し方ももちろん素晴らしいし、フルニエはそつなく弾きこなしている。芸風としての押しの弱さも楽曲の巧緻に救われている。無味だが、ラヴェルはそれでちゃんと聴ける曲を作っているのだ。さらにチェロ向きにうまく編まれている。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(columbia/vogue)1927/5/7・CD

ラヴェルのこの時代のフランス録音はいずれも何故か硬直したようなテンポや解釈(させない強い力の存在)が多く、作曲家の影が見えるが、これもその例に漏れない。しかしどちらかといえば表出力の弱いフランスオケに強く明瞭な表情付けをし、内声部まで見通しよくまとめ、弦楽器によるワルツ主題は(この時代のオケにもかかわらず)しっかりウィンナワルツ風の抑揚を付けさせており、なるほど、といった発見をすることもできる。早いテンポでとちるのはこの時代のどのオケでもどのパートでも一回は聴かれるものなので、それが10回に増えたところで全体の音の悪さがわからなくさせてくれる。10年以上前酷評していたと思うが、この時代の録音を多く聴いてきて、まったく悪くないと思った。良いと言う程でもない。

ラヴェル:マ・メール・ロワ組曲

アンゲルブレシュト指揮パドルー管弦楽団(PATHE/SLS他)1929・CD

ノイズでわりと隠され気味だがかなりの情緒的演奏であり、非常にロマンティックで胸打たれる。終楽章においてはきらきらと輝く音と対照的に左手指メロメロで柔らかく弾きあわせる弦楽器の対照がうつくしい。壮麗な終結部の音響バランスの美しさもたまらない。ラヴェル存命中にラヴェル盟友が振った記録としても価値あるだろう。

ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(ica,naxos)1958/2/4live放送・DVD

icaが復刻したミュンシュのテレビ放送動画は5枚組で廉価化もしているが、網羅はしておらず嚆矢を飾ったこちらも入っていない。ミュンシュが長い棒で情熱的に振るさま(弱音部であっても振り回す)は未だ闘志みなぎり、解釈も比較的激しいほうで(弱音楽章のほう(終曲の呼吸するようなうねりなど)によりその起伏が明確に表れる)そのわりに乱れはない。ソリストも安定の演奏ぶりだ。音色も透き通り良く、これはさすがボストンオケである。バーンスタイン的な指揮というわけでもない、体幹はほとんどぶれておらず、熟達した解釈はすでにオケに浸透しているようである。演奏後も普通で、前プロだからということもあるのだろうが、音だけ聴けばほぼ「いつものミュンシュボストンのラヴェル」である。完全に映像を見るためのもので、奏者の顔の見える映像の価値は高い。録音状態は当時の放送レベルのモノラルで良くない。iberia、海が続く。icaのDVDには他にブルックナーがある。こちらはCDとは日違いとされるが疑問がある。フランクやワグナーなど見たい方はカタログをどうぞ。ミュンシュに関しては全部映像である模様。ユーロなので直販も国内代理店販売と値段が変わらない。

ちなみに私は移動中や空いた時間をぬって曲を聴くことがほとんどである。昨日meloを書いたときは久しぶりにじっくりオーディオで聴いたもので聴感がぜんぜん違うのは当たり前だが、楽しめるのは音質環境の整っている場所のほうで当然だ。ストレスがまるで違う。しかしノイジーな古い録音については楽しむことを一番の前提に置かなければ、想像力で補って十分ポイントを押さえることは可能とも思っている。これはioデータのDVDミレルを使いスマートフォンで見た。当然ながら白黒の古い映像であっても動画配信サービスで共有される映像なんかとは天地の差、見やすさも画質も(元が悪いのになお)wifi接続のこの機器からピアトゥピアで飛ばした映像を見るほうが遥かによいから、各楽器の表現の違いを耳目揃えて確認できたのは良い。ただ、前もって聞いてはいたのだが映像が止まったり飛んだりするのが目に余る。機能として備えているCDレコ(リッピングソフト)のノイズ乗りはひどいので今は使っていない。DVDミレルで見ていて音質劣化は感じないが、水平に安置して、しばらく「慣らし」をしたとしても、動作不安定でろくに見れない盤があるというのは、カプリッチオレーベルの実況「ドビュッシー補筆完成舞台版アッシャー家」等のDVDで既に確認済ではあったのだが、icaくらい名の通ったところのDVDもろくに読めないのか、と少々不安になった。たいていバッテリまわりの電圧の不安定さに起因すると指摘されるところだが、ANKERの大容量を満充電で使っています。

ラヴェル:序奏とアレグロ

エネスコ、ジョルジュ・アレ(Vn)ガストン・マルケジーニ(Vc)ピエール・ジャメ(Hrp)ガストン・クリュネル(fl)ウリス・ドレクリューズ(cl)他(meloclassic)1951/3/1パリlive放送・CD

エネスコはデュオソナタ初演など請け負い学生時分からラヴェルと交流があった。それに留まらず同時代音楽に積極的で、けしてバッハ主義者ではない(演奏スタイルからして当然だけれども)。これは指揮だけではなく音楽院ホールの公衆の面前で直接弾いているということで年齢からは珍しく思う。この時期にしてはノイズが多く音が悪いのは仕方ない。編成は通常通り室内楽であるが(これは作曲家が何を書こうと依頼どおりハープを際立たせるためにはオケ編成では駄目だろう)さすが大先生エネスコだけあってお歴々が顔を揃えており、父ジャメのtimpaniのSP起こしからは聴き取れない腕をふるっているのは聞き所。盟友ラスキーヌの豪腕とは違う美観がある。ここに記載は無いがSPでジャメ、クリュネルと組んでいたブランパインがヴィオラを担っている可能性がある。ドレクリューズも名を連ねている。

そこはそこなんだが、解釈を支配しているのは間違いなくエネスコで、パヴァーヌの指揮録音など思わせる古色蒼然とした情緒てんめんな揺れ具合には仰天する。これがチャイコフスキーでは安定していたエネスコの指揮なのか?やはり同級生には思い入れてしまうのか?自身の音はわりと弱く、この時期なりの引きのスタイル。音色も煽らない。というか煽れないのかもしれない。とにかくこれは50年代のものとは思えない情緒過剰な演奏で、好き者にはたまらない30年代的録音であり、余計な音源がたくさん併録された二枚組ではあるが復刻自体素晴らしいことであった。エネスコのラヴェル、それだけでも価値はある。エネスコがルーマニア初演を担ったというショスタコ七番はどうだったのだろう。おそらく固いものだったと想像する。この録音は特別なパリの空気によるものなのだろう。
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