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リヴィエ:交響曲第5番

ツィピーヌ指揮ORTF(pathe)

オネゲル風の陰影をもった構造的な交響曲ではあるがオネゲルよりもスケールの大きさと様式の多様性を示す。映画音楽的な側面もあるけれど円熟した管弦楽法と注意深い楽曲構成により耳に届きやすくなっているのが要因で、単に効果的な作品だからこそ聴きやすい種類の映画音楽に聴こえるだけなのだ。あざといくらいに展開がうまく、木管が薄闇のなかで線的に絡むところにいきなりヴァイオリン合奏がミヨー風の主題を挿入、ふたたび薄闇に入ると今度は太鼓から低音楽器の地響きがはじまりオネゲルふうの音響、和声が物語を大袈裟にする、そんな調子でもうなんか、フランスの現代作家で新しもの好きでも世俗趣味でも古典趣味でもなく、こんな真ん中を行くやり方をする人はなかなか識らない。リズム要素の一つとしてジャズが入る箇所もある。終楽章はオネゲルが背景にあるのは間違いないとしてカラフルなバルトークといったふうの弦楽合奏、ヤナーチェク風味のブラス、畳み掛けるような芯の通ったアンサンブルからのショスタコーヴィチ風闘争のフィナーレ。ツィピーヌの操るORTFはじつに上手い。曲を知るのに変な演奏にあたると(即物的な意味ではなく)「起承転結」がはっきりせず途中で飽きてやめてしまうものだが、ツィピーヌの構成感はしっかりしている。褒めすぎた。先人の作り上げてきたものを上手に使った優等生的作風です。
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リヴィエ:交響曲第3番

ツィピーヌ指揮ORTF(pathe)

構造的な協奏作品として人気曲だが録音は少ない。4つの楽章がまったく違う表情を示す。ミヨーからいきなりショスタコーヴィチになったりする。しかし聴いているうちそのどちらでもないことがわかる。音は似ていても書法は簡潔明快かつ、少し世俗的な親しみやすさをもつ。オネゲルは次世代の有望な作曲家の中にリヴィエの名も挙げたが、技巧的にすぐれた作曲家は必ずしも込みいった複雑な作品は書かない(たとえばドイツの近代作曲家のような)。オネゲルの期待した作家はいずれもその系譜にある。曲は残念なことにどんどん暗くなっていって不穏に終わるから一楽章で心を掴まれた向きは期待しないで聴き続けることだけれど、新古典主義時代のストラヴィンスキーのわかりやすい部分を取り入れたかの如く対位法的な四楽章にいたっては、それはそれで楽しいと頭が切り替わっていることだろう。演奏はツィピーヌらしい引き締まったアンサンブルに終始する。しばしばしょーもない演奏もするフランス国立放送管弦楽団もここでは一切手を抜かない。一楽章の牧歌ですら薄味にならずしっかり田園風景を油絵具で描き上げる。演奏プラン的にちゃんと構成された四楽章にもきこえた。

リヴィエ:交響曲第3番(弦楽合奏のための)

ツィピーヌ指揮ORTF(BNF/youtube/PATHE)

モノラル音源を多数復刻配信しているBNF(Amazonデジタルミュージックにもあり、モノラルバージョン、と書いてあるがおそらくモノラルしかない)もしくはyoutubeでも聴ける。5番とのカップリング(ツィピーヌはこの二曲しかない)。このてのアナログ録音というのは、わたしもかつては無頓着だったが、録音(機材・テクニック)自体の素朴さ、記録メディア自体の内包する問題(象徴的にはノイズ)、再生機器や技術の適不適によって、演奏や楽曲に対する「事実と異なる悪印象」を与えられてしまう恐れがある。音盤はCDなどデジタルメディア化後、聴きやすさ重視のリマスタリング(ノイズ除去、「邪魔な」音域の削除、残響付加、音量操作など)が常態化したが、それに対する反動として、原音に忠実に再現、などといって、ひどいものになるとそのまんまの「板起こし」をあえて発売する代物も増えた。だが、その流れで原盤ないし初期盤にこだわって立ち返るとなった場合、よほど前掲の「リスク」を念頭におき、「聴きたい、聴くべき音だけを選別して聴ける耳と脳の訓練をへた人」でないと、頭で考えているより実際は、たしかに情報量が削られることはないかもしれないがそのぶん「余計な情報」も入り、「真価」はきわめて伝わりづらくなる。単純に音量だけでも注意したい。オーケストラはそもそも「大音量」なものだ。原音再生にこだわってノイズも大音量になった結果、鑑賞どころでなくなっては元も子もない。それが楽曲や演奏への評価にすりかわることもありうる。聴くものによって、自分の耳に適した音を作る、という意識も必要だ。それが面倒なら、無難なのは一般的なリマスタリング音源を聴くことであり、Amazonデジタルミュージック(のBNF音源)のような聴きやすい加工が激しく加えられたものを、ノイズレスで「大音量で聴く」のが肝要である。

このマイナー曲のアナログ録音はリマスタリング音源で聴けば十分と思う。微細な綾は聴き取れないかもしれないが大枠はしっかり伝わる。ツィピーヌの造り出す響きの迫力も伝わるし、スリムな(痩せた)専門室内楽団のギスギスした演奏を好まない私は古いスタイルのこのような分厚い演奏のほうが好きで、そうなるとノイズレスな音源、安心して音量を上げれば、ツィピーヌの作り上げる合奏の音圧が凄く強いことがわかって、デゾルミエールの演奏の貧相さも相対的にわかる。デゾは楽曲そのものの魅力と問題点をそのまま提示した(某サイトで同曲はパイヤールとツイピーヌしかないようなことを書いてあったがSP末期のデゾ音源もあるのだよ)。ツィピーヌはパストラーレとあからさまに題されたキャッチーな1楽章はともかく、2楽章についてはショスタコーヴィチ的楽曲として部分部分ではなく全体をまとめ上げ、後半楽章にてどんどん現代室内合奏曲風になっていくところは、きちんと4楽章構成の中の後半楽章として構成し、なおかつ少し前時代的なボリューミーな音をきちんとアンサンブルさせてスケール感、そして「聴かせどころ」を明示、結果として非常に耳なじみの良い「リヴィエの代表作」として認識させてくれる。付け加えるならもうリバーブかけて疑似ステレオ化して聴いてほしい。こういう新しい曲は新しい演奏として聴かないと楽しめない。

1、2楽章
3、4楽章

リヴィエ:交響曲第3番(弦楽合奏のための)

デゾルミエール指揮ORTF(columbia)

牧歌的で非常に美しい曲。ヴァイオリン二パートのかなでる高音の旋律はミヨーの作品に近似し、職人的な構造にはそれより癖のないオネゲルの夏の牧歌に近いものがある。もっとも二楽章から現代的な響がまざり、終楽章はすっかりストラヴィンスキー風の律動的な新古典で焦燥感のある音が交錯するまま終わる、フランス音楽快楽派にとっては後味の少し悪い作品となっている。室内交響曲としては比較的著名で、パイヤールのERATO録音が知られるが、国内実演で触れる機会も少なくない。前プロにしやすいのだ。デゾは引き締まったアンサンブルを提示する。オケに癖がなく技術が安定しているのでやりやすい面もあったろう。前時代的なところがなく爽やかに楽しめる。

リヴィエ:交響曲第6番

ホーレンシュタイン指揮BBC北交響楽団1963/6/11live

ド迫力の演奏。現代の大曲(のライヴ)にすぐれたホーレンシュタインの面目躍如。1958年の作品で、それまでのミヨー風の牧歌的な作品とは異なる如何にも現代交響曲の半音階的なウニョウニョから始まり、あー聞くのやめ、と思ううちカラフルに激烈に変化していく。ランドスキより攻めないが独特にローカルな色を脱し秀逸。youtubeにモノラル音源がアップされているが、音盤化しているか不明。クリアな音なので可能性あり。

https://youtu.be/83evc0kP18o

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