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カリンニコフ:交響的絵画「杉と棕櫚」

◯ラフリン指揮レニングラード・フィル(放送)1969live

交響曲に比べれば民族色はかなり薄い。書法の充実と比例して個性や面白みの減退がみられるように思う。ラフリンはズガシャーンというようなぶっ放し方でロシア臭をより強くアピールしている。オケは実態はレニングラード響か。
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カリンニコフ:交響曲第1番

○セヴィツキー指揮インディアナポリス交響楽団(RCA)1943・SP

同曲最古の録音として知られるが、カリマニアにはほとんど看過されている代物。でもどう聴いても相対的に悪い演奏には思えない。とくに1楽章はトスカニーニをしのぐ迫力のある高速演奏で特筆できる。トスカニーニは大した録音を残していないから同じような芸風として楽しめる。プロオケの正規録音にしては走り過ぎ流れすぎだけれど昭和初期の演奏なんてそんなものだ。中間楽章はちゃんとしてはいるが平凡。4楽章が序奏後テンポを遅く整えてしまう演奏はよくあるが、この演奏もそのとおりでクライマックスまでいかないとフォルムの崩れた攻撃性は現れてこない。でも悪くはない。繰り返すが、無視するほど悪い演奏ではない。webに音源が出回っているがノイズリダクトされたなるべくいい音でどうぞ。○。

カリンニコフ:交響曲第1番

○ラフリン指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(vista vera)1949・CD

国内プライベートCDでも復刻されていたスタジオ既出盤とは別録音とのことだが、きほん解釈は同じ。旋律の起伏にしたがって伸び縮みする典型的なロシア演奏様式は、しつこくて違和感しきりだが、一回はまると他が聴けなくなるもの。後半楽章が重くがっしりしすぎていて、さすがに終楽章はテンポが立ち止まりがちで遅く、何度もクライマックスを築くから早く転調して終われよ、と思うところもあるのだが、オーケストレーションからハーモニーからチャイコフスキーの影響がとても強く現れていることをしっかり確認することはできる(小ロシアくらいのシンプルなものに留まるが)。重心の低い、沢山のトロンボーンに支えられたフィナーレの盛大ぶりには、この曲がほんらいこういった野卑た雄大さを示す、けして洗練された西欧折衷派作品として扱うのは正しくない、と思わせるに十分なものがある。しょうじき木管以外はボロボロで、ブラスがペットを除いては詰まらなそうとか、弦楽器がばらんばらんで録音バランスも悪いとか、でもこれはラフリンにおいては普通である。○。

カリンニコフ:交響曲第2番(1895-97)

ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(RUSSIAN DISC)1953,

カリンニコフ:交響曲第2番(1895-97)

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団 (MELODIYA)1967,

カリンニコフ:交響曲第2番(1895-97)

△ドゥダロワ指揮ロシア交響楽団(OLYMPIA/KNIGA)1992この曲にみられる構造的な部分をよく聞かせるために敢えて揺れがなく遅い、しゃっちょこばった演奏にしているのだ、と好意的に言うこともできるし、ヴァイオリンを中心としてどうしようもなく薄くてダメな弦楽セクション、これではカリンニコフは歌えない、と批判的に言うこともできる。個人的には前者の可能性はないと思う。唯一面白いと思ったのが1楽章でのあきらかに古典音楽を意識した表現である。カリンニコフが意図的に採り入れたいわゆる新古典主義(といってもプロコフィエフのそれではなくブラームスのそれ)的な書法は、かえって瑞々しいカリンニコフの感性が損なわれてしまっているきらいもあるが、しっかりした構成感の中に民族的要素を散りばめた、地味ではあれどとても充実した作品に仕上がっている。・・・は楽曲の話。演奏はお粗末。解釈もしてるのかしてないのかできないのかわからないが、無いも同然、一本調子。1楽章の序盤からもうだめです。△ ,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

ドゥダロワ指揮ロシア交響楽団(OLYMPIA/KNIGA)1992 左右がかなり分離してるわ・・・って崩壊してんじゃん、なにこれ?シロートだったら許されるだろうけど、仮にもロシアの名を頂いたオケが・・・とくに弦・・・こんなばらけた緩い演奏してしまったらしょうがないな。。1楽章で既にこうなのだから、集中力の強い爆演は最後まで望むべくもない。単調なテンポ廻しを含め、いろいろと文句が言い易い演奏だ。こういうオケが2楽章をやったら案外上手だったりするのだが、ドゥダロワはじつにさらっと演奏させており、それに木管ソロの音が良く載る。薄いヴァイオリンも薄いなりに高音の音色に拘っているようだ。対位法的なパッセージもドゥダロワの交通整理によって良く噛み合っている。冒頭と最後はやっぱり雪の夜のきらきらした雰囲気をかもし期待を裏切らない。幻想味がよく引き出されて秀逸である。3楽章もヴァイオリン方面にやや綻びが見られるが、まずまずのテンポ感。そして大団円の4楽章とくるわけであるが、これがなんとも遅い!異常な遅さで、これはこのオケがきちんとしたアンサンブルを保てる限界の速度なのか、と思わせる。あながち外れてはいまい。もっともスヴェトラーノフの有名な盤でもバラケ感が出てしまっているような楽章なので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。最後まであまりに遅いので笑みがこぼれてしまう。これは、奇演だ。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

シェルヒェン指揮チェコ・フィル 1951/6/5(TAHRA)オケのせいもあって“らしさ”は希薄だが、良く聴けば悪い音の中から表現意志の片鱗が伺える。終楽章はやや面白い。録音やや悪し。ちなみに映像もあるが(グレート・コンダクターのシリーズ、チェコ・フィルの百年他に収録)、ごく短い。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

○ネーメ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・スコティッシュ国立管弦楽団(CHANDOS)1987/4/14-17・CD スヴェトラーノフ盤と双璧をなす名演だ。うーん、ヤルヴィのこの巧さはなんなんだろう。オケから力強い表現を引き出し、一つの方向に纏め上げる力は今現役の指揮者の中でもずば抜けている。このオケは結構出来不出来があって、雑味も多いのだが、この演奏では非常に纏まりがよく、全ての楽器が絶妙のバランスで組み合っている。ドラマティックな表現も十分だが、踏み外すことがないから一定の品格を感じさせる。カリ1は構造的に単純なだけにけっこう粗が目立ち易いのだが、ヤルヴィの演奏はどこにも隙が無い。1楽章はロシアの演奏に馴れた人は食い足りないかもしれないが、音色的にはかなりロシアだ。弦楽器の迫力有る音はこのオケらしからぬ凄みを持っている。ヤルヴィはどんな曲でもそつなくこなすが、ここでは「そつがない」以上のものが感じられる。とにかく一種確信をもって表現しているため、どことなくロシア性が足りないと思いつつも、文句の付けようが無い。2楽章の寂しさはどうだろう。遅めのテンポで軽い諦念を感じさせる陰影有る表現を行っていて秀逸である。音響に対する優れたバランス感覚は3楽章のスケルツォで明瞭に発揮されている。ボロディン的な舞曲のリズムは中間部の憂愁の旋律で寧ろ明確になる。リズミカルなテンポ廻しはこれがたんなるエキゾチックな旋律ではなく、民族舞踊の音楽なのだ、ということを認識させてくれる。意外なほどにロシアの香りが強く感じられる楽章で、オケに少し弱みも感じるし、やや客観が優る解釈ではあるものの、有無を言わせない完成度の高さがある。終楽章はスヴェトラーノフ盤以上に盛り上がる。どぎつさが無いぶん物足りないと感じる向きもあるだろうが、結構田舎っぽい音色が(意図的なのか無意図なのかどうかわからないが)やはりロシア的な匂いを感じさせ、これはこれで十分にカリンニコフしていると思う。ヤルヴィはいくぶんテンポを引き締めて音楽がダレないようにしているが、とくに終盤でスヴェトラーノフ盤が落ちついてしまうのに対し、テンポを引き締め敢えて速めに持っていって緊張感を煽っており、圧倒的なクライマックスを演出している。最後の最後でマエストーソという感じでテンポを落とすところが心憎い。まったく、設計の巧さは天下一品だ。ブラスがやや及び腰ではあるが全体のバランスの中では巧くはまっており許容範囲だろう。デロデロの抒情を歌う感動的な熱演ではないが、カリンニコフの鮮やかな管弦楽法と斬新なコード進行がよく描き出されており、より深くこの曲を知ろうとする向きには勧められる。ロシア臭が嫌いな向きにも、もちろん。◎にしてもいいのですが、個人的な感覚で○としておきます。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(SEVEN SEAS他)万全の演奏ではない。スヴェトラーノフを別格として序列を付けるとトータルで次点につくということ。トスカニーニの表現様式に対して録音の悪さは大きなマイナスだ。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

◎スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)1975幾度となく複数のレーベルから組み合わせを変えて再発されてきた同曲の決定盤。集中力が高くそれでいて雄大な表現はこの指揮者の最良の形を伝えるものだ。終楽章の力感・熱気は並々ならず、リムスキー的な対位構造を一糸の乱れも無い強固なアンサンブルで鮮やかに演出し、カタルシスの連続で最後まで離さない。一方2楽章のような静寂の演出も、しんしんと降り積もる雪景色の中で暖かな夕べを迎えるといった夢想を抱かせる。とにかくこの演奏を聞いてからはどんな演奏も生ぬるく間延びして聞こえるだろう。・・・もっとも、終楽章などスヴェトラの粗雑な面も顕れているのだが。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

○スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団(NHK)1993/2/3LIVE肝心の弦楽器に弱みを感じるが、名盤であるソヴィエト国立との録音に見られる美質が諸所に感じられ比較的穏かであるものの十分に楽しめる演奏。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

○コンドラシン指揮モスクワ・フィル交響楽団(MELODIYA他)CD~言わずもがなのロシア国民楽派孤高の作曲家。夭折したがロシア民謡のロマンスと瑞々しいオーケストレーションでマニアの注目を浴び続けている交響曲2曲でのみ知られている。ここにあげた1番は特に人気の逸品だ。戦前よりコンサート・ピースとしてしばしば演奏されてきており、最近はアマチュアも無謀にも挑戦するほどだ。さて、演奏である。コンドラシンの水準からすると、ややオケの統率力が弱い気もしなくはないが、奇をてらわず正攻法で行ったところはいかにもコンドラシンらしい。オケ、とくにヴァイオリンがマイクに近いせいか至近の奏者の生音だけが出てしまって、薄くてスカスカな音響になってしまっているところがあるが、これは録音のせいであり、演奏自体の欠陥ではないだろう。1、3、4楽章は客観性を保ちながらもきっちりと縦線のあったアンサンブルでタテノリのリズムが心地よい。イケイケで感情の赴くまま演奏するとすぐバラバラになる危険性をはらんだ曲だから、ある程度客観的になるのは仕方ない。あのスヴェトラーノフでさえ終楽章の怒涛の盛り上がりもそれほどテンポを上げずあえて客観的に演奏している。1楽章は第二主題のボリュームのある表現が雄渾でいてしかも憂愁に溢れ特筆すべきところだ。ただ、祝祭的に盛り上がり全オーケストラが鳴り響く場面では、元来この曲の持つ構造上の欠陥ともいうべきものが、演奏の勢いでカバーしきれずに、各声部がバラバラにばらけて聞こえる部分がなきにしもあらず(粗雑で分離が良すぎるステレオ録音のせいかもしれない。同様の状態はスヴェトラーノフのショスタコーヴィチ5番旧録でも聞かれた)。でも同曲の数々の演奏録音の中では高い位置に置けるとは思う。大抵の録音は、古いロマンティックな時代のものであっても、テンポ維持とアンサンブルの整合性を意識するあまりしゃっちょこばったぎごちない演奏になってしまっている。この演奏はよくできているほうだ。一方2楽章のような情緒的で繊細な音楽はいまひとつ感情が盛り上がらない(感情のもともと希薄な演奏がコンドラシンの売りでもあるのだが)。このあたりなどを聞いても、名盤で知られるスヴェトラーノフには水をあける。この曲は至極古風な国民楽派の交響曲である。同時代の現代曲が得意だったコンドラシンにはやや本領発揮しかねるところがあるようだ。この演奏でいちばん印象が薄いのが2楽章だった。全般的には、○ひとつ。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

○アーベントロート指揮ライプツイヒ放送管弦楽団(TAHRA他)1949/11/16ドイツ的カリンニコフの希な例。個人的には重厚なカリンニコフという新鮮な姿に惹かれた(3、4楽章)。総じて神経の行き届いた演奏になっている。,

カリンニコフ:交響曲第1番(1894-95)

×ゴロワノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団(SEVEN SEAS/BOHEME他)1945録音悪すぎ。バランス変。ゴロワノフ好き向けの演奏だろう。,

カリンニコフ:交響曲第1番

○ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(SERENADE:CD-R他)

MELODIYA原盤、そちらは別項にあげた。セレナーデは単純板起こしのはずが強調処理やノイズリダクトの感じがして、いかにもロシアなアナログの巨大なぶよぶよした音響を、少し乾燥させ主観的にわかりやすく彫刻しなおしたような違和感をおぼえた。元が悪い録音とはいえスケールが落ち、デジタル圧縮音源の復号化した音みたいにも感じ、単純勉強用にデュナーミクやテンポの変化だけを拾うには向くがとくに弦楽器のニュアンスや厚みの変化を読み取るには不足をおぼえる。まあ、細部を無視し大局的な解釈だけ正確に聞き取れるゆえ、あー、ラフリンも大局的にはたいした解釈を提示してないんだな、ということを認識できたぶん価値があった。

カリンニコフ:交響曲第2番

○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(russian disc/melodiya他)1953

録音が古びて遠い。細部が聞こえてこないのは辛い。また、比較的ムラヴィンスキーの若い時期を彷彿とさせる、未だロシア様式といってもいいような派手めの演奏で、オケもレニフィルにしては拡散傾向をとくにブラスあたりに感じるから少し異色だ。円熟ムラヴィンファンにはそれほどアピールしないのではないか。曲がやや構成的に弱いところもあってどこを焦点にきいたらいいのか、3楽章で終わっておけばよかったんじゃないかとか考えさせられるが、この演奏もやはり3楽章をまるでスヴェトラのチャイ5のように盛り上げている。交響組曲ふうの内容はバレエ的ではあるがムラヴィンはそこまでロシア式におもねってもいず、小粒な印象もあるが精度はこの曲のディスコグラフィの中ではなかなか上のほうだろう。

カリンニコフ:交響曲第2番

○ラフリン指揮VRK交響楽団(DGGSY)LP

キリル文字ではB.P.K.で瞭然であるがモスクワ放送交響楽団の略称である。この録音をきくにつけロシア録音は収録ホールやマイクセッティングなど録音状態を加味せずに安易に巧い下手などと言ってはならないなと思う。これは余りにマイクがヴァイオリンに近いのだ。舞台上前方でファーストのフォアシュピーラーに接近しておかれているのだろう。こういう録音はメロディヤでは多い。よく無邪気なロシアファンが「自嘲的に」言う音色のバラバラ感や一部奏者の突出というのは、必ずしも外れてはいないがこんな演奏外の部分で誇張されてしまっている節もある。バラバラということは薄く聞こえるということである・・・ハーモニーの整わないオケの音量が弱く感じるのと同様。アナログ盤では音響全体が何かしらの微音で詰まっているので余り気にならないが、デジタル化されるとまるでロジェスト/文化省管のグラズノフのCDのようにスカスカに聞こえるものだ。そういった状況がメリットに響く場合もあり、絶対きっちりとは揃わないたぐいのソリスティックで技巧的なフレーズや装飾音を合奏部分に多用する「困った」作曲家のときは、「一部奏者の音だけが細かく聞こえることによって」救われる。ただ、この曲は決して技巧的ではない。1番同様ヴァイオリンに細かい音符の刻みが多いが、ラフリンのやや弛緩したテンポの中では皆十分に雄渾に弾けており、だからこそ残念なのは最初に述べた様な録音「瑕疵」なのである。この演奏は音楽のロマンチシズムを引き出せるだけ引き出そうとしている。そのためにテンポの沈潜も辞さないし、これでもかと言わんばかりに歌う。1楽章はまったく名演であり、ここまで雄渾でドラマティックな2番の演奏を初めて聞いた。オケのやる気も十分である。しかしここで思うのはカリンニコフの才気の衰えである。2楽章でいきなり魅力は薄まり、3楽章も第二主題あたりには明らかにボロディンやリムスキー的な民族の雰囲気があるもののどうも精細に欠ける。

4楽章はまるでエルガーの2番かグラズノフの8番だ。とくに後者の状況とよく似たものを感じる(スケルツォと終楽章に近似性を感じるのだが)。才気は衰えてしかも体力が最終楽章までもたない、しかし技巧的には高まり演奏者は演奏しやすい、もしくは演奏したくなる。1番は各楽章のコントラストが極めて明確で旋律もこれ以上ないくらい才能に満ち溢れたものである。しかし単純だ。演奏者はただ面倒なばかりで魅力的な旋律も飽きてきてしまう。2番は構造的により作りこまれてはいるし、グラズノフ同様以前の作品では才気のまま書き進めそのまま出したような、一方で「お定まりの型式の中で出来ることを精一杯やった」といった清清しい風情を持っていたのが、才気を型式の中に抑えこみ独創性は主として思考の産物として盛り込もうという方向に行ってしまい、技術的にはある種アカデミックな指向をもった「山っ気」がでてきたがために、却って中途半端な出来になってしまっている感がある。スヴェトラの有名な録音があるが、あれで聞くと録音が遠いだけに尚更薄ーいぼやけた印象が否めない。ここではリアルな肉感的な音で楽しめるので、1楽章とスケルツォの一部だけは楽しめるが、終楽章は1番みたいにオペラティックな大団円で終わらせればいいものを・・・とか思ってしまう。演奏的にははっきり言って今まで聞いたどの2番より面白かったが、1楽章以外をもう一度聞くかというと・・・。

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カリンニコフ:交響曲第1番


◎ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA他)CD

最近はもっぱらHDプレイヤーに落として聞いているのだが、機種によって操作方法が違うので混乱する(何台も使い分けているのです)。2番も落としたはずなのに楽章が欠けていた。うう。わいいとしてラフリンである。余り上手くない指揮者としてロシア好きにも評価されてこなかった人だが、録音は夥しく遺されており、イワーノフ同様演目によって出来にだいぶ差がある。これは「すぐれていいほう」だ。遅いめのテンポでひたすら情緒てんめんに歌いあげてゆく。音のキレがよく発音も男らしくはっきりしているので全然ダレない。テンポが全く流されない。こんなに感動的な旋律だったのか、情感たっぷりなうえに四楽章では派手な祝祭音楽とのコントラストが見事に決まっており、最後は感涙すら禁じ得ない素晴らしいフィナーレを迎える。豪放にぶっ放すブラス、一体化し繁雑な装飾音も乱さぬ集中力で力を尽くす弦楽器、とっぴさはないが上手い木管、もちろんロシアオケならではの乱暴さやバラケもあるがそれがまったく気にならないのは解釈の芯がしっかりしているからだ。所々国民楽派やグラズノフを彷彿とする場面では確かにこの作曲家がロシアの連綿とつらなる山脈の一角に聳える秀峰であり単独峰ではないのだということを実感させる。どうして最近はこういう感情的に揺り動かされる演奏が無いんだろう?こういうふうに引き締めればカッコ悪くなんかないのに。あ、こんな馬力のオケ、ロシアにももうないのか。アナログならではの、瑕疵を埋没させるふくよかな音響がCDのリマスタリングじゃ失われてしまうため受けないと思われているのだろうか。カリ1録音史上に残る特徴的な演奏だと思った。◎。国内マニア向けマイナーレーベルでCD(R?)化。

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カリンニコフ:交響曲第1番

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(KARNA/WME:CD-R)1982LIVE

荒いがなかなか高揚する演奏で、音色的にも適性的にもこのロシアロシアした演歌にはあわない気もするのだが、細部に拘らなければ面白く聞ける。テンポも速く(二楽章は逆に遅い)、スポーツ的感興が得られるという点ではスタジオ盤より面白いといえるだろう。細部のことを書いたが確かに1楽章からして弦のアンサンブルが乱れたり音色が冷たく単調になってたりするのだが、茫洋と聞くと面白いのだ何故か。だからうるさいこと言わずにライヴのこの曲を楽しみましょう、なるべくヘッドフォンよりスピーカーのほうが、細部の荒さが目立たないからお勧め。ブラヴォ凄いね。スヴェトラ全盛期はこのころまでなのかな。
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