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ミャスコフスキー:祝典行進曲

ニコラエフスキー指揮高校ブラスバンド(MusTrust)1931/3/8・SP

webで盤違いを何種も聴ける。再生条件でまったく印象が違うものの、このブラスバンドは下手ではない(ミスが無い)が平易な作品を力強く演出するまで至っていないのはわかる。二部構成で、僅かにミャスコフスキーらしい期待を裏切る和声が混ざるが、ほぼ、メロディとリズムだけの魅力的な曲、今演奏されないのは不思議だ。
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ミャスコフスキー:交響曲第6番

◯コンドラシン指揮モスクワ・フィル他(melodiya)1978/12/5live・CD

合唱まで加えたいささか大がかりな作品だがミャスコフスキーの癖のようなものが比較的抑えられ、美しい旋律や神秘的なムード、祝祭的なリズムなど聞き所は多く、コンドラシンによって引き締められ飽きずに聴き通すことができる。これはモノラルで出ていたものとは違うと思う。データが正しければコンドラシン亡命直前の録音ということになる。◯。

ミャスコフスキー:交響曲第21番

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(SLS:CD-R)1944/10/28放送live

ノイズがかなりきついがこの組み合わせでは47年11月22日の名演が残されているので、三年遡ったこちらも期待してしまう。じっさいにはスタジオ盤と余り変わらず(録音時間は5秒しか違わない!)、しかし一部過大なデフォルメであるとかちょっと雑味が混ざるようなところがあるとか、確かに違いは認識できる。苦難の中に希望を見出し這い上がろうとするも最後は力尽きるというような、単一楽章で短いながらも充実した内容の作品、オーマンディはよくとらえて演じている。○。

ミャスコフスキー:交響曲第16番

○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)LP

引き締まった指揮ぶりが曲の魅力を最大限引き出した佳演。行進曲ふうの出だしから引き込まれ、美麗な旋律、古典風のフレーズと半音階的な内声のおりなすミャスコフスキー特有の不協和な響きが新しいのに古いという独特の音楽に結実している。意図的に挿入される民謡旋律はいささか浮いてはいるが、イワーノフは上手にさばいてそう感じさせない。三楽章制の大曲ではあるが、マーラーを聴くようにすんなり聴けるので、ミャスコフスキー入門にもオススメ。○。

ミャスコフスキー:弦楽四重奏曲第13番

○ベートーヴェン四重奏団(westminster/melodiya)1950年代・LP

大量にある作品中でも名作のカテゴリに分類される最後の作品。序奏こそ「また国民楽派の室内楽か・・・」という陰鬱さに聴く気をなくさせられるが、この作曲家としては驚くほど機知にあふれた音楽が展開されていくうちに引き込まれる。あくまでこの時代のソヴィエトの「風紀」の中で、ということにはなるのだが、構成力の高さ、和声展開の独自性、加えて構造の見事さがこの作品に見られる特長である。やはり大規模作品より小規模作品に自己の真実を投影していこうとしていたのだなとも思った。ベートーヴェン四重奏団は音色の郷愁性に惹かれるが演奏も破綻なく巧い。○。

ミャスコフスキー:交響曲第19番

○ペトロフ指揮ソヴィエト国立ブラスバンド(MELODIYA/MONITOR)LP

ブラスバンドのための交響曲としてミャスコフスキーの作品中でも異例の知名度を誇る作品。ペトロフは初演者でこれは初録音盤になる。楽団は恐らくソヴィエト国立交響楽団の管楽器メンバーだろう。抑制されたパワーがきいていて下品にならず洗練されている。一楽章の木管に課された超絶技巧は聴きものだ。弦の役割を木管に果たさせているのが無理があるのだがここではじつにそつない。ミャスコフスキーらしいマンネリズムの中にもカバレフスキーやプロコがやったように先進的なひびきや進行がしのばせられていて、半音階的な動きの精密な再現が難しいところもあると思うが、中間楽章の謎めいた表現から最後の盛大な盛り上げにいたるまで、弦がいるんじゃないかというくらい「オーケストラ」になっている。鮮明さの足りない録音が惜しいが、メリク・パシャーエフやエリヤスベルクを思わせる名匠ぶりが○。

ミャスコフスキー:交響曲第25番

○スヴェトラーノフ指揮モスクワ放送交響楽団(brilliant/melodiya)1957/10/9・CD

これは曲がやや弱い。晩年ミャスコフスキーの形式に囚われすぎた作品で、27番のような締まった様子が無くマンネリズムが気になる。ミャスコフスキー特有の濁ったハーモニーや半音階的にうねるフレーズに奇怪な転調が排除され、ただメロディとそれを支える他の要素、といった構成ではどんなに充実した書法でも飽きてしまう。チャイコフスキーを狙っても(狙わされても)チャイコフスキーは越えられない。3楽章制だが、楽想の弱さもあって曲の長さがあだとなっている。演奏はオーソドックスで現代の一流どころの演奏と変わらぬ真面目さ。後年の演奏とはちょっと緊張感が違う。同曲の旧録でスヴェトラ若き日の数少ない記録(スターリンが死んでまだ4年余り)、オケはボリショイ劇場管となっている場合もある。brilliantは包括的にライヴ表記がなされているが、リマスターが非常にしっかりなされモノラルだが残響により聴きやすく仕立てられているとはいえ、想定される原音が良すぎるので恐らく放送用スタジオ録音のお蔵か何かであろう(50年代くらいのソヴィエト録音だと特殊な再生方法が必要になり、そうなると非常に音質が上がることから、完全否定もできない)。brilliantの抱き合わせ商法は一枚頭が安いとしてもどうかというところがあり、このスヴェトラボックスもまとまった初CD化音源は少なく、再発もしくは記録データのみ違う同一音源とごちゃごちゃしたソヴィエトらしい雑曲が占めている。

スヴェトラーノフ・エディション(10枚組)


新録(全集収録)
Miaskovsky: Complete Symphonies & Orchestral Works / Evgeny Svetlanov, USSR State SO, Symphony Orchestra of the Russian Federation


単品
Myaskovsky: Symphonies Nos. 1 & 25

ミャスコフスキー:交響曲第9番

スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(OLYMPIA)1991,1993 なんて曲だ・・・ドビュッシーのスコアに溢れる自然にたいするイマジネーションに感動して造り上げたらしいが、下手なディーリアスのような出だし、あいかわらずの初期ミャスコフスキー節(わけがわからない晦渋な音楽)。まず1楽章には耳を惹く要素は見当たらない。2楽章プレストは清新な響きとスピード感がなかなか恰好良くできている。3楽章レントは「ミャスコフスキーの最も奥深く美しいメロディ」だそうだが、それほどでもないような(後期のシンフォニーのほうがずっとわかりやすい)。でもまあ、ここで言えるのは、この時点においてミャスコフスキーはロシア国民楽派のひとかけらも口にしておらず、言ってみればスクリアビンや初期プロコフィエフのような西欧的な作風を持っていたということだろう。4楽章の冒頭は(他の部分でも少しあるのだが)プロコフィエフの音楽にちょっと似ている。モダニズムらしい曲だ。晦渋さはあいかわらず拭えないものの、少し聴ける。総じて「ロシア交響楽中最高の「第9」と言っても過言ではない」とあるが、過言ではないかと逆に問う。演奏自体はりっぱなもので、スヴェトラーノフとロシア国立は一流の仕事をやってのけている。,

ミャスコフスキー:交響曲第6番「革命」(1921-23/47)

ヴェロニカ・ドゥダロワ指揮ロシア交響楽団(olympia)変ホ短調の曲としては唯一とのこと。しかし晦渋な大曲だ。改訂版しか知らないが原曲はよほど生硬で習作的なものだったのだろう。初期シマノフスキを下手にしたようなリヒャルト的壁画、兎に角錯綜する曲想(多分に良いものを含んではいるが)の「分裂症的展開」は、しつこいほどの半音階、不協和音を伴って、(個人的にはこういう曲を聞きたくなる時というのはあるのだけれども)多くの人は頭が痛くなるだろう。終楽章冒頭(もしくは再現部)いきなりのグラズノフ的祝典音楽にはびっくりさせられるが、只挿入されているだけで他の部分の暗い蠢きと余りに掛け離れている(あるいはこれがひょっとすると改訂部分・・・?)。難解だが、「現代曲」でないところがミソで、スクリアビン中期の管弦楽曲から旋律性を取り去ったくらいの印象は、いかにも半端。神秘和音をおかしくしたような低音の響きは不可思議な感じで、高音の無闇な盛り上がり(ヒステリー)と完全に乖離している。・・・というか全般的に管弦楽セクション同士の連携がうまくいっていない。構造的に終始噛み合っていないような感がある。アイヴズやミヨーなどの確信犯的な用法ならまだしも、自覚的でないようで、要は「聞きづらい」。この作曲家の特徴のように思われている民族的表現はここでは皆無に近い。同盤オケはやや弱く感じるが、弦など、このような珍曲でよくがんばっているものだ。ふと思ったがこの曲は叙事劇の付随音楽などとして使用されれば、ぴたりとはまったかもしれない。そうこれは「第一次大戦、十月革命から恐怖政治への歴史の変革を音楽に刻んだ叙事詩(新世界レコードのライン付記から)」である。予め「これこれこういうものを描写しているんだ、うん、ここのフルートの叙情的なソロはこれこれこういう意味があって・・・」といった情報を入れていれば面白く聞けるのだろう。それにしてもこんな晦渋な曲がよく「”悲愴”以来最も偉大な「第6」」とソヴィエト人民に称えられたものだなと思う。といってライナーを見ると初演者はゴロワノフ。だからか・・・!「生と死の交響曲」という言い方はある意味当てはまっている。これは生と死が入り組んで進む苦悩の人生を象徴しているのだ。全編あまり身を入れず聞き流すぶんには、面白いかも。終楽章終盤でスクリアビンのように無歌詞合唱がはいるのには度肝を抜かれる。このひとの曲は静かな部分ですこぶる美しい(ヴォーン・ウィリアムズなどを思い浮かべる)響きをもたらすことがあり、魅力のひとつとなっているが、この終盤はホルスト「惑星」の終曲など想起するものだ。他2楽章スケルツオに入り交じる軽く美しい旋律は(例外的に)珠玉といえよう。,

ミャスコフスキー:交響曲第6番「革命」(1921-23/47)

○コンドラシン指揮ソヴィエト国立交響楽団、ユーロフ・ロシア合唱団(RUSSIAN DISC)1959/2/7 この曲はよく聞くと単純。リズムの絡み合いがなく、構造的な面白さは皆無。ハーモニーの独特さもいったん慣れてしまうとつまらない。ミャスコフスキーが最後の27番まで持ちこんだこの暗くて重いハーモニーは、コンドラシンをもってしても魅力的には響かない。この大曲、前期のミャスコフスキーはみなそうだが、常に一本の旋律(的な流れ)だけが半音階的な伴奏にのってひたすらかなでられるだけで、最初で抵抗感を持ってしまった人はおそらく最後まで聞き通せないだろう。この人はだいたいが聴く人を選ぶ。万人に受入られるであろう要素といえばごく部分的に挿入されるフランスふうの繊細で夢のようなパッセージ。この曲も計15分くらい入る。表題交響曲であればなんらかの意図を感じることもできようが、ここではその存在はナゾである。3楽章はとくにrvwぽい部分やディーリアスぽい箇所がある。しかしこの楽章で顕著なのはワグナーとスクリアビンの影響だろう。スクリアビンぽさは2楽章までの部分でもなくはなかったが、この楽章の奇妙な生温さはそのへんの影響がひときわ大きいことを示している。但しそのへんが見せる巧みな管弦楽法からの影響は皆無。あいかわらず単純なスコアに分厚い響きといったかんじだ。寧ろ偉大なロシア・アマチュアリズムの伝統の上に成り立った楽器法によるところが大きい。どことなくグラズノフ、というところもそうだ。4楽章はそれまでの陰うつさとがらっと変わって浅薄な祝祭音楽から始まるが、このあたりもミャス嫌いをますます寄せつけないところだろう。その楽章配置は一見グラズノフのように機械的になされたようで、首尾一貫性を失わさせているように感じるが、じつはこれはかりそめのシニカルな盛り上がりで、本筋はやがて見えてくるフランスの神秘をかいだような音楽にある。「怒りの日」の主題が低弦のピチカートであらわれるあたり(この旋律も途中から何故かロシア民謡になる)から、印象的な美しく清浄な音楽が始まる。グリエールのイリヤ・ムーロメッツ終楽章のような感じだ。そして合唱が唐突に入ってくるわけだが、このあたりはほんとに美しい音楽になっていて、逆にミャスらしくない感もある。コンドラシンはちょっとドライに演奏を続けていくが、そのドライさゆえに、なぜか20世紀アメリカ・アカデミズムのシンフォニーのようなあっけらかんとした聴感をあたえ面白い。また終盤においてはその音楽の妖しい美しさを巧く引出し、「ぎごちないクセ」をなるべく目立たせないように演奏しているから聞き易い。全般、この曲の盤としては高く評価していいのではないかと思う。が、曲的にはどうか、というところで無印。,

ミャスコフスキー:交響曲第3番(1913-14)

ヴェルヴィツキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA) 手薄なオーケストレイション等習作的な雰囲気は否めないが、リヒャルト・シュトラウスらの色濃い影響下にあってその手法を推し進めようとした努力は聞き取れるし、後年も特質として残った旋律の才は認められる。当時モダニズムという立場にあってスクリアビンからプロコフィエフという系譜の中間で頑張っていた姿を残す貴重な作品及び演奏。決して万全の演奏ではないが殆ど録音の無い同曲にとっては貴重な盤。,

ミャスコフスキー:交響曲第27番(1949ー50)

○スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立SO(MELODIYA) ミャスコフスキーの白鳥の歌にして最高傑作の呼び声も高い。伝統的民族主義及びベートーヴェン的交響曲の立場に立って、大曲の「粋」だけを抽出し再構成したような曲。凝縮されているがゆえ至極あっさりと聞こえるが、社会主義リアリズムの「後方の」雄としてもまずカバレフスキーを凌駕した力量を感じさせる。スヴェトラーノフは正攻法、上記スタンスに真正面から取り組んだような演奏で、メロディヤ独特の録音が少し嫌味を感じさせるものの、紹介盤としては十二分の仕上がりとなっている。少し冷静に聞き込めば、2楽章など底はかとない悲しみに満ちており、終楽章の余りに定型的な勝利と開放のイメージがいささか茶番に聞こえてくる。ショスタコーヴィチ的ランチキだ。そういう聞き方をするにはスヴェトラーノフ盤の音は少し開放的すぎるかもしれない。,

ミャスコフスキー:交響曲第27番(1949ー50)

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP ミャスコフスキーの白鳥の歌、雄渾に簡潔に綴られていくロシア民衆歌の連環。ガウクのメロディヤ録音の常としてブラスや打楽器が大きく弦、木管とのバランスに欠けているが、想像力をもって聴いてみると、雄渾というより非常に悲壮感のある音楽であることに気が付く。私はスヴェトラーノフ盤の印象しかなかったもので、このような、ラフマニノフを演奏するようにロマンティックでドラマティックな味付けがなされていると、あまりの印象の違いにびっくりしてしまう。ブラスが咆哮すると他の楽器が聞こえなくなるなど録音上の煩わしさはあるが、木管ソロが緩徐主題をひたすら歌う場面など、死を前にしてもなお憧れをもった作曲家の切ない思いが伝わってきて、じーんときてしまう。この曲は殊のほかメロディが美しく(いささかチャイコフスキー的ではあるが)、きちんとした構成感の中に常套的に配置された各主題はどれもロシア民族主義交響曲の最後を飾るのにふさわしい力のあるメロディであり、曲のわかりやすさに拍車をかけている。2楽章の哀しい歌が何といっても聞き物だが、終楽章も特徴的である。1楽章の闘争の主題が出てきて拮抗する場面から、断片的な他楽章の主題が織り交ざり、そこに唐突にファンファーレがひびき他の闘争や追憶の主題がかき消されて簡潔な結部にいたる。非常に合理的な流れだが、この演奏ではテンポルバートをかけ大袈裟な表情付けが付けられているがゆえに逆に、「偽りの勝利」というか諧謔的な印象が残る。スヴェトラーノフのように客観的に表現すると、あまりにわかりやすすぎるベートーヴェン的勝利を感じさせるが、ここではむしろ各楽章の美しくも哀しい緩徐主題の情緒が大きな震幅をもって表現されているがゆえに、それら緩徐主題を押し退けてやってくる軍隊調のファンファーレがいかにも赤軍の侵攻を示すかのようなあつかましさを持っているように聞こえる。寧ろこのほうが正しいのかもしれない。この演奏ではスヴェトラーノフと比べ物にならないほどテンポや表情の変化が付けられているので、スヴェトラーノフのように小さくまとまるのではなく、きちんとロシア大交響曲の流れを汲んだスケール感のある演奏になっているのがポイント。最後に、1楽章第二主題が終楽章で再現されるところで、あ、と思った。映画「ハリー・ポッター」シリーズで繰り返し流されるメロディによく似ている!ハリー・ポッターにミャスの影響が?などと馬鹿な事を言ってしまうのでした(まあ親友プロコフィエフの作品はよく剽窃されているが)。録音がいかんせん悪いのが玉に傷だが、初演者の確信に満ちた(若干おおざっぱだが)演奏として評価しておきたい。○。編集痕がやや気になる。とくにA,B面の最後が残響を残さずぶちっと切れるところはさすが鷹揚なロシア式と皮肉ってしまいたくなる。,

ミャスコフスキー:交響曲第21番<交響的幻想>(1940)

○モートン・グールド指揮シカゴ交響楽団(CSO)1968/1/30~モートン・グールドというと軽音楽の作曲家と見られがちだが、指揮においても軽音楽に止まらない活動を行っていた。これはRCAに残した録音で、確か単独盤でも出ていたと思う。シカゴ交響楽団に献呈された曲だけに期待させるものがあるが、グールドのテンポ感がすごくいい。水際立った指揮はこのいくぶんロシア的な暗い幻想を仄めかせる曲に対して明快なフォルムをあたえ、民族的な呪縛から解き放つことに成功している。同時期のオーマンディの録音の完成度には至っていないものの、佳演とは言えるだろう。この僅か14分半の交響曲、ミャスコフスキーのシンフォニー入門盤としてはオススメです。「交響的幻想」は通称らしい。あと、初演はシカゴでなくモスクワだった。,

ミャスコフスキー:交響曲第21番<交響的幻想>(1940)

◎オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(COLOMBIA/HISTORY)1947/11/22~フィラデルフィア管弦楽団の弦楽器群を得て、不相応なほどの高みに達している。モノラルだが美しい音色は少しも損なわれていない。暗い幻想が熱く熱く歌われる。廉価盤レーヴェルよりCD化済み。,

ミャスコフスキー:交響曲第18番「十月革命」

○ガウク指揮ソヴィエト大放送交響楽団(GREAT MUSICIANS of Palmira Du Nord,IMA/melodiya)1954・CD  ちょっとあやしいロシア流出盤CDの一枚(2003年発売)。サンクト・ペテルブルク建都300周年記念とのこと。17番とのカップリングだが、17番は私の持っているメロディヤのLPと同じなので、恐らくこの19番もメロディヤ原盤だろう。録音は悪いのは仕方ない。でも、この曲などたぶんあと1、2枚くらいしかレコードがないと思うから貴重は貴重だ。録音のせいで茫洋としてしまうところもあるが、ガウクはおおむね引き締まった演奏を繰り広げている。この曲はミャスコフスキー作品の中でも独特で、尺も3楽章制で20分弱と短い。冒頭から古風な、ロシア国民楽派よりもひょっとするともっと古い音楽の形式の中で手堅い(美しい旋律や独特のハーモニー、移調はささやかに聴かれはするものの)書法を繰り広げる。チャイコフスキー的で劇的な17番とは著しく趣を異にしている。1楽章はブラス先導で進むボロディン派的音楽を基調に、中欧ロマン派風の構築性も取り入れた意欲的な楽章で、速い走句がミャスコフスキー独特の書法を示しながら民族色をうまく振り撒いている。明るく垢抜けており清新で、しかしどこか物悲しい。アンサンブル的に特徴的なところは少なく、ひたすら旋律であり、派手さは無いけれども、そっと心に染み入るものがある。それはミャスコフスキーという閉ざされた作曲家の世界にとどまらない汎的な意味を持つものである。私はこの曲を評価したい。2楽章の哀しいほどに懐かしいワルツ、アレグロ・ジオコーソのはずなのに、至極平穏な中央アジア的朗唱がえんえんと続く3楽章フィナーレ。元気がいいのは1楽章だけで、どんどん静かになってゆく滅び行く音楽の流れ。旋律はけっして暗いものではなく希望に満ちた光の中に静かにひびくのだが、やはりこの作曲家、一筋縄ではいかない。管楽器がどれも強力で音色も極めて民族的だが、吹き方がやや下品で、音程もちょっと妖しすぎる。ミスもある。だがまあ、ロシアの曲はこういうふうに演奏すべきなのだろう。○ひとつ。CD化当初は19番の誤りとされたが18番で正しい。

ミャスコフスキー:交響曲第17番(1936-37)

○ガウク(初演・献呈)指揮ソビエト放送SO(MELODIYA/GREAT MUSICIANS of Palmira Du Nord,IMA)CD さすがにガウクである。オケの響きにはゴロワノフ、指揮ぶりにはムラヴィンスキーを感じる。このまとまりの無い曲を、ここまで聞かせるかというところである。分裂症的にロマンスと絶望・狂気が交錯するようなところのある中期ミャスコフスキーは、それゆえにこのような凝縮する指揮のほうが聴きやすい。,

ミャスコフスキー:交響曲第15番(1933ー34)

○コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(AUDIOPHILE)1963 この作品は晩年のわかりやすいものとは少し異なる。音線やハーモニー(特に弦楽器の重厚な響)にはミャスコフスキー特有のものが現れているが、茫洋とし捉えづらい旋律は「らしくない」がゆえ逆に新鮮。グラズノフを思わせる常套的な描写もみられるが、1楽章の夢幻的な音風景は特筆もの。この特異性はあきらかにスクリアビン以降のものだ。全編突出した印象はないものの、よいものをきいたという聴後感を残す佳品である。特に終楽章後半ブラスの清々しい響きはすこぶる抜けが良くアメリカ的と思えるほどだ。出色。無論これらコンドラシンの引き締まった棒によるところが大きい。音が野太で微妙なニュアンスに欠けるところもあるが、これを他の大味な指揮者で聞いたら、「凡作」と書かざるを得なかったかもしれない。こんなマイナー作品でもオケの表現意欲をぐいぐいと引き出すことができるとは、やはり侮れない指揮者だ。,

ミャスコフスキー:弦楽四重奏曲第3番

タネーエフ弦楽四重奏団(russian disc)1982 ミャスコフスキーは決して古い人ではないのだが、この1910年作品(1930年まで)は終始古臭く陰うつな雰囲気を漂わせている。決して悪い作品ではないが、薦められたものではない。ベートーヴェンなど西欧からの影響が顕著で、ロシアの民族的な室内楽からの影響はほとんど無い。のちの作品には注目すべき清新なものがあるが、やはり前中期ミャスコフスキーの作品は晦渋でわかりにくい。2楽章制だが1楽章はレント、アレグロの2部分からなり、2楽章は主題と変奏という構成。グラズノフ的な分かり易さは皆無である。,

ミャスコフスキー:ピアノ・ソナタ第3番(1920/39)

リヒテル(P)幻想味溢れるミャスコフスキーの一面が良く表れた曲。後期のいわゆる社会主義リアリズムとも違った世界。親友プロコフィエフの認めたミャスコフスキーの異才は、最終的には窮屈な調性のなかに押さえ込まれてゆく。ここではリヒテルの腕をしてフランスの曲のように美しく透明に仕上がっている。 ,

ミャスコフスキー:チェロ協奏曲

○ロストロポーヴィチ(Vc)?指揮?(MELODIYA)ミャスコフスキーはチェロのための名曲をいくつか書いている。その哀歌ふうの旋律にチェロの音色がよく乗るせいかもしれない。この協奏曲でも、内省的な1楽章(2楽章制)はせつせつとえんえんに悲歌を謡うチェロに、オケはあくまでそっと身を寄せるだけ。ミャスコフスキー独特の「アク」を感じる場面は少なく、弦楽合奏に後期ミャスコフスキー特有の謡いまわしが僅かに聞かれるのみ。旋律は明瞭ではあるが、不安定で、ひたすら長く(チェロはもうえんえんと難しくも無い主題を歌い続けるから、アマチュア・チェロ弾きには向くかも)、清潔な抒情を帯びながら、2楽章へ入っても、いつ終わるともしれない「無限旋律」が続く。きつい言い方をすれば、ほとんどの音符が「だらだらしている」。くどい愚痴をいつまでも聞かされているような感じだ。もっとも愚痴と斬り捨てるには美しすぎる。愚痴と聞こえないような速い場面は僅かだが、そういうところのチェロの走句の半音階的な動きはミャスコフスキーそのものだ。きわめてロマンティックな雰囲気に満ちている。こういう柔らかい音楽を聞くとプロコフィエフの角張った音楽とは完全に隔絶しているのがわかるが、二人はそれでも仲良しだったとは、不思議なものだ。ところで私の盤にはロストロ以外の名が見えない。コンドラシンあたりが振っているのかとも思うが、確証がとれるまで?扱いとしておく。この曲、ロストロではなくクヌシェヴィツキーに献呈されている。ロストロのあっさりと安定した弾きぶりからして、あまりこの曲に思い入れがなかったのかな、とも感じる。無論最盛期のロストロだから技巧的には物凄く完璧ではある。,

ミャスコフスキー:チェロ・ソナタ第2番

○ロストロポーヴィチ(Vc)デデューヒン(P)(MELODIYA)1959 作曲家最晩年の作品であり、完全にロマンティックな世界に立ち返った作風は好悪別れよう。ひたすらロマン派的な旋律が歌われ続け、それは驚く事に最後まで続く。さすがロストロは巧く起伏をつけ魅力的な音色でどんどん引き込んでいく。でも・・・私は引き込まれなかった(爆)飽きた。終楽章で初めて細かく動くが、そこではミャスコフスキーらしいクセのある技巧が込められていてちょっと面白い。ロシア・ロマン派好きなら。○。,

ミャスコフスキー:シンフォニエッタ イ短調(1945-46)

○ヴェルビツキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)後期ミャスコフスキーの中にも聞き込めば良い曲はたくさんある。この弦楽のための小交響曲も、一度演奏してみたいと思わせる美しい旋律に溢れている。仄暗い雰囲気は寒々とした夜の雪景色を思わせる。其の中の一軒家暖炉の暗い火を前に、楽器を弾いている人々、という感じか。どこか悲しい曲想は、生涯の終焉に際し自身の芸術的人生を思い返して、実の実らない苦難の連続に対する深い諦念を象徴しているかのようだ。演奏も素晴らしい。音色幅のある響きの重なりが心を打つ。,

ミャスコフスキー:交響曲第23番(交響的組曲)

○スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(warner他)CD

全集の一枚。スヴェトラのアンソロジー中の演奏水準でいけば後期にしてはかなり上。若干大人しめだが小音量部分での繊細な音響配慮、しんとした空気感が晩年の特質を示している。○

楽曲は交響的組曲とクレジットされることが多く、やや散漫ではあるが一応三楽章からなる交響曲の形骸は保っている。全般印象はきわめて伝統的なロシア・ロマン派音楽でありボロディンの国民楽派の伝統にのっとっているように感じるが、終(3)楽章は古典派に立脚点を求め西欧ふうの構造的書法が特筆すべき点として挙げられるが、終幕の不思議に気まぐれな場面転換ぶりは、その洗練ぶりがフランス的ですらありミャスコフスキーの個性を僅かに感じさせる部分となっている。2楽章は暗いだけ。全般薄い音楽の中で1楽章は印象に残る。「交響的幻想」を思い出させる構成にカバルタ主題(同時期行動を共にしていたプロコの弦楽四重奏曲第2番3楽章主題と同じ民謡を使っているのが印象的)を織り交ぜ、これもやや気まぐれではあるが何か哲学的というか暗示的な雰囲気を持ち面白い。少し混乱して長すぎるものの、清澄な音楽で聴きにくい部分は少なく、お勧めできる。

ミャスコフスキー:交響曲第19番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団他(OLYMPIA/仏WARNER・スヴェトラーノフ協会)CD


ミャスコフスキーの中では特異なブラスバンドのための交響曲である。そのまんまの意味でのオーダメイドに近いのだろう。しかし意外とこれがすんなり聞きやすい。旋律がいつにも増してわかりやすく親しみやすいせいもあるが、弦を使わないことでストレートに強靭なブラスの音で表現できていることがプラスと受け取れるせいかもしれない(コノ演奏にかんしてのみ言えばソビ響のバラケた独特の弦が入らないこと、世界一強靭なブラスがそのぶんのびのび全開なことも要因だ)。ミャスコフスキーは弦の人だが、ゆえにか弦の扱いが独特で、旋律表現にもクセがある。というか妙に機械的で単純なのだ。特に後期における単純さへの指向(もしくは体制側からの要望)がロシア臭をきつくさせている面も否定できない。

この曲は交響曲的な構成をとっているが1楽章はほとんどブラスバンドのための序曲であり、最初の上向音形からしてラフマニノフの交響曲第3番1楽章の有名な第二主題を想起せざるをえないあけすけさである。コノ曲だけ抜き出して軍楽隊が演奏しても誰も気がつかないだろう。構造的には交響曲であっても内容的に純粋な交響曲ではない。ただ、主題展開は末期交響曲特有の常套性があきらかにみられる。

2楽章もラフマニノフ末期の書法や旋律展開を思わせる明快さとジャズ的なちょっと洒落た和声展開やうらぶれた楽器用法の感じがあるが、これは交響曲らしい魅力的な間継楽章になっている。暗い第二主題などわりとRVWとかそのへんを思わせる西欧的な部分もある。これも含めミャス末期交響曲的な単純さである。さて3楽章制を旨としてきたミャスとしては異例な4楽章構成だが、この楽章も含め本人も言っているように行き当たりばったりな感じがするまま3楽章も緩徐楽章となっている。ベースとホルンの取り合わせがいかにもな出だしの暗さだ。

4楽章は楽想変化に終楽章らしさはあり、弦が加われば末期交響曲のそれとまったく同じ雰囲気だけれども、結局また祝典序曲な出だしから、スターウォーズの終幕のような音楽と言わざるをえない。ただ、展開部(というかロンド的に繰り返し祝典主題があらわれるの中の「継ぎ」)で旋律が音量の小さいソロの数珠繋ぎで痩せてパンチに欠けている。もっとも、この演奏ではソビ響のブラスや木管の独壇場が聴ける点ではいいけれども、曲的に4楽章がもっと盛大に盛り上がればもっと交響曲らしかっただろう。楽章全体がマエストーソという名前なところも変。結局同じような音量で平坦なまま、祝典主題の何度目か回想であっさり終わる。まあ、これもミャスの個性だが。ソロ楽器に任せる部分が多く、スヴェトラは楽だっただろう。○。


Miaskovsky: Complete Symphonie

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ミャスコフスキー(総論・本サイトまとめ)ミャスコフスキー(ブログまとめ)

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ミャスコフスキー:交響曲第21番「交響的幻想」

スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団(OLYMPIA/仏WARNER・スヴェトラーノフ協会)CD


きわめて遅く沈潜した晩年スヴェトラーノフ的な表現で、ねっとりしたフレージングはきかれるけれども力がなく楽想変化もぎごちない。オケが余りにぼろぼろで迫力がまったく出ないのだ。弦のプロとは思えないバラケ具合にはスヴェトラーノフの傷心を想って余りある。求心力がないのは解釈のせいでもあろうが、この短い単一楽章交響曲はミャスコフスキー晩年の凝縮されたロシア節がもっともよく現れたものの一つであり、この雑で稀有壮大傾向な演奏では長所が殺されてしまう。スヴェトラーノフの響きは統制された冷たく透明なものを志向しておりミャス晩年の理知的傾向と合致した思想があるように思うが、テンポが弛緩しすぎているからオケがだらけて却って演奏の個性を殺すほうに動いてしまっている。無印にせざるをえない。のんべんだらりとした演奏。


Miaskovsky: Complete Symphonie

Wcj

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ミャスコフスキー(総論・本サイトまとめ)ミャスコフスキー(ブログまとめ)

ミャスコフスキー:交響曲第6番「革命」

○N.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団、交響合唱団(DG)1998/8・CD

スヴェトラーノフの交響曲全集録音(ロシア音楽アンソロジー)がついに2008年6月再版される(後日修正:ワーナーの協会正規盤でした)。6000円台という値付けは昨今のロシアもの復刻の流れからすればいつかは、と予想されたものだとはいえ、高額な「ボックス限定版」や単発CDを買い集めた向きにとってはかなりショッキングだろう。9曲程度ではない、27曲もの交響曲全集の廉価復刻というのは大きい。しかしこれで晴れて皆がミャスの「とりあえずの」全貌を容易に俯瞰できるようになる。その耳で聴き、その頭で判断できるのだ。他人の言説の継ぎ接ぎで「聴いたフリをして」論じる必要もない。皆が「聴いて言える」ようになることが、逆に楽しみである。
Miaskovsky: Complete Symphonie

Wcj

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ヤルヴィはやはり要領一番の指揮者である。今やネーメとつけないとややこしいことになってしまうが、依然としてかつてのようなスマートですぐれた技巧を示す演奏振りを見せてくれている。もちろんこのような「そつない」指揮者は実演で判断しないとならないのだが。この録音も引いた様な解釈ぶりが「つまらない」と判断されるようなところは否定できない(スヴェトラのアクの強い演奏に慣れていたら尚更)。前ほどではないが時おりライヴ放送や実演の機会もある指揮者だ。
Maskovsky: Symphony No. 6

Deutsche Grammophon

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1楽章。軽い響きで要領のいいこじんまりとしたまとめ方は、スヴェトラやロジェストの向こうを張って西側オケにより東側の珍曲を録音し続けた頃の夥しい音盤群から得られる印象とさほど変わっていない。ORFEOのグラズノフに非常によく似た聴感の演奏振りである。ハメを外さず中庸で聞きやすいが、音響的に拡がりがなく、ホール残響があってすらミャスの素朴な書法がどうしても露骨に聞き取れてしまう。この時期のミャスはもっと解釈者がケレン味を持ち込み血肉を盛り付け方向性を明確にしないと、単調でわけのわからないまま、形式的に骨ばった「交響的大蛇」を聴かされる気になってしまう。数少ない楽想をミャスコフスキーらしい文学的・劇的欲求を満たすべく極端に伸縮させ交錯させる音楽にあって(劇音楽的背景があるのならテキストを残して注釈すべき部分ではある)、アンサンブルは緊密であるのに、指もよく動いているのに、正直飽きる。珍曲を職人的演奏家がさばくときにありがちな感じというか、なまじ巧いだけに曲の悪い部分も思い切り聞こえる演奏になってしまい、価値を却って低く印象付けてしまう、ちょっと厄介なたぐいと言えるかもしれない。

2楽章は事実上スケルツォのプレスト楽章。曲がイマジネイティブで変化があるため1楽章より入り込める。三部形式のトリオでセレスタと弦が奏でるなだらかな音楽は澄み切った殆どRVWの教会音楽で、フルートが雰囲気を壊さないようにスラヴィックなメロディを奏で出すあたりはミャスの最良の部分をヤルヴィの音感とテクニックが忠実に繊細に紡ぎ出し成功している。スケルツォ再現で断片的なテーマが交錯しシンバルで〆られるあたりも実にスマートできっちりしている。

3楽章アンダンテは一番謎めいていて、陰鬱な1楽章末尾に回帰してしまう。1楽章第二主題の延長上に甘美な主題もあらわれるものの、2楽章中間部も含めての中から寄せ集められた断片が気まぐれに連ねられていく。難解でやや机上論的な音楽が進み、ミャスの緩徐楽章は独自の旋律が一本しっかり立てられていないとこうも散文的になってしまうのか、という悪い見本に思える。だがヤルヴィが力を発揮するのは俄然こういう「人好きしないのにロマンティックな音楽」である。そつなさが長所に感じられるところだ。独自のと言えば甘美なメロディがまるで世紀末音楽的に・・・書法的影響が指摘されるスクリアビンやよく言われるところのマーラーのように・・・現れて、2楽章のトリオに繋がるところは非常に繊細で美しく描かれている。

終楽章はまるでハリー・ポッターのように能天気な引用革命歌2曲から始まりミャスらしくもない明るさがあるが、虚無的な不協和音を軋ませる半音階的進行がハーモニーの下部に聞かれるのもまたミャスらしさだろう(スクリアビンやグラズノフのやり方に既にあったものだが)。暗さはミャスの多用する「長い音符の伸ばし(弾きっぱなし、吹きっぱなし)」の下に、「怒りの日」の主題がハープとバス音域のピチカートで挿入されるところで反転して表に出る。世界が暗転するこの部分でもヤルヴィは注意深いが、その洗練された手腕がややミャスの「匂い」を抑えるほうに行っているのが気にはなる。既に3楽章で暗示されていた「怒りの日」の主題すら耳をすまさないとちゃんと聴こえなかったりする(この終末論的な曲では重要な提示だ)。この楽章には他にも聖歌引用などが交錯し、音楽的というより文学的な分析を施さないとわからない部分も多い。とにかく音楽がどんどんおさまっていくことは確かである。「怒りの日」から美しい音楽が展開されていく。聖歌「魂と肉体のわかれ」がクラによって提示され、簡素なRVW的世界が回想されたと思ったらまた引っくり返され珍奇なパレードのような革命歌によって再現部が構築される。「怒りの日」をはじめどこかで聴いたようなフレーズも織り交ざり、だがどんどん低音になっていき、宇宙的な深淵の中に無歌詞合唱がムソルグスキーのような響きのバスクラを従えて入ってくる。聖歌の再現である。しばらく合唱曲のような状態が続いた後、その歌詞に沿ったような運命論的な結末へ向けて、1,2楽章からの美しい引用が余韻をたっぷり残した後奏のように響く。ヤルヴィは実に厭味なく清清しい音楽に仕立てているが、本来はもっと「気持ちの悪い感じ」の残るものである。○。

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ミャスコフスキー:交響曲第5番

◎ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(revelation)1982/2/12・CD

非ロシア的な先鋭さをはなちシベリウスの交響曲に匹敵する霊感が独自の方法論とあいまって完成された見事な作品。1楽章冒頭より奇妙な揺らぎをもつ主題が、大きなハーモニーのよろめきの上でフランス風の不安定な魅力をはなっている。独逸墺太利の匂いが抜けたわけではないが殆ど感じさせなくなっており、ミャスらしい語法のはなつ体臭もここでは灰汁抜きされ、更にロジェストの手によって20世紀的な硬質な響きの中に聞きやすく昇華されている。アメリカ音楽的ですらある。オケの中低音がしっかりしているので楽曲の構造的な弱さも目立たない。2楽章は繊細なディーリアスのような楽章で(きわめて半音階的なメロディを使えば容易に作れるたぐいの音だが)、冒頭の高音トレモロからして美しく、主題がロシア民謡ふうの暗い筆致でかかれていても、音の少ない心象的な流れの上ではあくまで叙事詩的表現の最小限度の発露のようにとらえられるのみだ。ロジェストは弱音表現ではとても研ぎ澄まされた空気感を演出するが、クレッシェンド過程で少し雑味を呼び込んでしまっている。だからどうもペット以下とくにロシア的な楽器の主張とともに、せっかくの「汎世界的価値」がローカリズムに戻されてしまったような残念さが残る。終端でグラズノフ8番に通して使われとくに二楽章に象徴的に使われた暗い分散和音がちょっと入る。意味深だ。三楽章は民族的な舞曲だがやはりソヴィエトの素朴な民族音楽というよりはルーマニアの先鋭な作曲家の抽象化された国民楽派音楽を彷彿とさせる。ダイナミックで洗練された、アメリカ・アカデミズムのようなからっとしたもの。響きが新しい。終端の響きの美麗さはロジェストのわざのなせるところだろう。四楽章はあきらかにソヴィエト・アカデミズムに沿ったような曲想でロシア産交響曲の終楽章ということを意識した作りに見せかけており、いつものミャス節が顕露する。だが細かい音符で込み入った変化をつけ、けして先例と同じ方法論で片付けようとはしていない。皮肉な調子の行進曲主題は親友プロコを思わせ、闘争的で常套的な主題との対比を見せている。ブラスが無理やり「ソヴィエト」を主張するものの、何か腹に一物ある、そういった楽章だ。ほぼユニゾンの末尾はいつものミャスだが、ロジェストは臭くならないように開放感ある清新な響きを強調し、見事に収めている。

ミャスコフスキー:交響曲第1番

○ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(REVELATION他)1986/3/10・CD

西欧折衷派らしい世紀末中欧ロマン派交響曲!書法はしかし単純なメロディ+ハーモニーで構造的なものはなく初期らしい生硬さをみせる。スヴェトラのように音響バランスの悪さや体臭がなく、曲そのものを客観的に聴ける。気持ちの悪い半音階的進行も目立つが清々しいミャスコ節が既にあらわれており、ワグナー+ブルックナー的な世界の中に初期シベリウス的な単純美が光る。言い淀んで先に進まない長長しい感じはいかにもロシア交響曲でもあるが、ロジェストヴェンスキーならではのリズムの強さと表出力で、通して聴かせる演奏にはなっている。

ミャスコフスキー:交響曲第21番「交響的幻想」

○ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団(COLOSSEUM)LP

イワーノフにくらべればボリュームがある。序奏の弦のコラールふうの重なりがしっかり響いている。録音のせいか(共にモノラルだがこちらアメリカ盤のほうが若干ピッチが高い)。アマチュアとききまごうバラけたアンサンブルや響きも指揮者によってはしかねないオケだが、ここでは許せる範囲ギリギリか。主部の躍動感もこちらのが上である(ヴァイオリンの薄さは否定できないが)。テンポ的に粘らないので垢抜けているが半面解釈の面白味はない。素っ気ないほどにインテンポ気味な流れよさだけを評すべきか。もちろんクライマックスはルバートするが、人工的というか若いかんじ。オケの音量変化まで統率が届いていない(録音のせいかもしれないが)。音への思いのなさはなんなんだろうか。ミャスコフスキーへの思いの問題?型通りには成功しているのだが、ちゃんとまとまってはいても、何か物足りない。聞けるレベルにはあるので○だが、ソビ響の悪さの出た演奏。 原盤ソヴィエト版SPとのことなので音質のことはそこに起因している可能性大。
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