エルガー:交響曲第2番

バルビローリ指揮ボストン交響楽団(SLS/BELSONA他)1964/11/7バークシャー音楽祭live

SLSは冒頭の録音のボロボロっぷり、ノイジーで軽い音響、シャカシャカキンキンに既出盤かつ同一音源であることを確信(BELSONAというレーベルのものは同一の演奏日が記載されている。ほかDA,JOYなど多くのCD-Rレーベルから出ているものはデータ不詳だが、音質的におそらく同じものか、多くても2回くらいの記録しかないと思われる)。唯一無二のニュアンスの指揮者バルビローリに対してパワーのボストンがまるでミュンシュのごとく取り組んで、ブラスは始終大音を鳴らし弦はしっかりした合奏力のあまり細かいニュアンスが「確固たる表現」と化しているのは良い面悪い面あるか。とにかく終始フォルテである。エルガーの書法自体リヒャルト・シュトラウス系の派手さを持つので、弱音でも教科書的なので繊細さが今ひとつ、しかしバルビローリ流儀のメリハリついたものにはなっていて(2楽章は諦念すら感じさせる弱音を散りばめテンポ変化も激しい(無論予定調和だがそう感じさせるヘマはしない)劇性はバルビでなければ出せなかったろう)、バルビがライヴでみせたマーラーのような中欧曲向けの配慮の行き届いたものにはなっている(トーンがマーラーほど変化せずそこを微細に再現していくバルビローリの真骨頂はエルガーでは原曲の性向から聴けないのかもしれない)。一本調子のチャイコフスキー的感興を求める1番より心象的で演奏家の構成力を求める2番は細部にこだわる拡散傾向のバルビローリ向きじゃないと思いきや、そこは逆。拡散傾向はあくまでスタジオ録音でのことで、情緒即物どっちにも振れずバランスが取れている。しかしまあ、中低音の弱い録音が痛い。バランス的な部分だけでもなくこの録音は高音もボロに聴こえる。3楽章はいきなりのアンサンブルで機能性を求められる書法だが僅か乱れるもののすぐボストン響のアクセントの強くついた音の交錯で楽曲の求めるものを満たしに来る。ハーモニー変化によって自然と場面転換は来るのでそこはポルタメントすら交えつつ切り替えて流れは損なわれない。バルビローリにしては印象が醒めているのはオケ本来の音起因なので仕方ない。弦はヴィヴラートとフレージングで指揮者の意をついでいる(細かくテンポを揺らさないのでたまに揺れるのに従い美しくやられると感銘は受ける)。ブラスと打楽器の派手なシーンはボストンお手の物。拍手がパラパラ入ってしまう。トーンがそのまま明るく、はじめフィナーレ感の薄いブラームスぽい四楽章は古典的な組み立てが売りのような堅牢さを「ノーブル」として打ち出す特徴的なフィナーレだが、バルビローリはフォルムは崩さないながらマーラー的な旋律音楽の側面を重くし、他の古典などの録音同様すこしどっちつかずな感もある。エルガー得意の無茶な弦への要求(えらく細かく早い装飾的フレーズ)はさすがのボストンの弦もつらいが経過句として流しブラスやティンパニにゆだねている。悲劇的な短調の進行では打楽器がややじゃま。録音のせいもあるだろうが全般派手志向なのはバルビローリがエルガーを紹介するために威風堂々的なところを印象付けようとしたのではないかとすら思わせる。譜面にない僅かなパウゼから主題回帰し大いに盛り立て、そこから緩やかに落ち着いていき、さすがに継ぎ目感の否めない一楽章への美しい回帰(親しかった国王の死により継いだレクイエムと言われる)、繊細さは出ているが、ボールトのように盛大にそのままやった方が自然のようにも思う。一声ブラヴォが聴こえるがシャカシャカ拍手はすぐ断ち切れる。SLSはインタビューも収録しているがこれも既出ではないか。ちなみに10年以上前にDA盤の感想としてアップした記事と異なった印象になっているが、読み返すと昔のほうが一般的な感想だったかもしれないと思いました。。
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エルガー:交響曲第2番

ボールト指揮BBC交響楽団(ica)1977/7/24live・CD

茫洋とした録音ではっきり言って悪い。舞台の遠いステレオ感の無い様は痛い(モノラル音源に擬似ステレオふうの強い残響を加えたような、昔よくあったラジオ中継放送のような音)。そのせいで冒頭からだらしない感がして、ボールトらしくない覇気のない印象を受ける。肝心の分厚い弦が前に立ってこず、ブラスとティンパニだけが轟く。おそらく解釈的には他のオケとのセッションと変わらないのだろうが、BBC交響楽団という古巣オケを振っているにも関わらずピンとこない。弦楽器の音がとくにイマイチハッキリしないのだが、二楽章では、ああ、やっぱり録音のせいか、という「雄渾さ」が感じ取れなくもない。ボールトらしからぬ暗さもあり、木管と絡み息の長い旋律をうなる場面では、ラフマニノフすら想起するような、エルガーのノーブルを通り越した、心象的な風景を見せる。希望的な上行音形はグラズノフの8番を思わせるある種の「終わり」を感じさせ、その後は打楽器の力を借りてボールトらしい男性的表現に至る。足を引きずるような挽歌にも諦念はもはや感じられず、ボールトらしいしっかりしたブラームス的な劇的な音楽にまとまる。ヴァイオリンに心なしかポルタメントが聴こえたような気がするほど、実演は昂ぶったものだったのだろう。ピアニッシモに感情的なアクセントが聴こえる。三楽章もブラームス的な雄渾な副主題が印象に残る。この楽章はスケルツォ的な風変わりな主題よりも、激しい感情表現がしっかり伝わる迫力ある録音となっている。木管など決して巧いわけではないがアンサンブルはまとまっている。派手なドラマはそれまでの演奏の印象を変える出来だ。四楽章はボールトらしくなく情に流されたような僅かなフォルムの崩れ、ブラス陣の矢鱈と下卑た響きに弦の分厚いうねりがロシアの曲を演奏するようで、ボールトの記憶の彼方のニキッシュが再来したかのような錯覚にさえ陥る(ニキシュはチャイコフスキーも得意とし、同時にエルガーの交響曲も手がけた。ちなみにBBC交響楽団はエルガーの指揮のもと演奏したこともある)。その同時期のイギリス人にしては和声的な冒険を孕む起伏の末に追憶の主題が再現され、詠嘆ではなく明確にフィナーレを印象付ける。ブラヴォが叫ばれる、後半楽章は名演と言っていいだろう。

エルガー:交響曲第1番

○コリン・デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレ(profil)1998

エルガーなんてゲロンティアスなんて聴いてないで愛の挨拶と威風堂々第一番と、この曲だけ聴いてればいい、と思うこともあるのだが、それだけ演奏効果の高い大曲だけに、もっと強靭なオケ、もっと大編成、そしてもっともっと演奏効果を高めるような解釈を欲しくなる。これはそういう欲求に十二分に応えてくれる。ドイツ有数の伝統的オケの持つ底力をぐいぐい引き出すサー・コリン・デイヴィス。緩徐楽章の素晴らしさを称える評も多いがやはり、フィナーレの持っていきかた、憧れに満ちた主題の歌い方、慈しむようでしかし確かに雄渾なフレージング、それを支える分厚い響きと合奏力。遂に通奏主題が回帰するときの高揚感は凄まじいものがある。細部まで解釈が行き届いている割に人工的な感じも全くしない板についた、ライヴ感あふれる名演である。YouTubeでお試しできます。どうぞ。

エルガー:威風堂々第1番 中間部主題(希望と栄光の国)自作自演動画

作曲家指揮LSO(動画配信)HMVスタジオ・1930年代??
作曲家唯一の貴重な動画記録。

https://youtu.be/UrzApHZUUF0

イギリスPATHEからの提供動画はこちら
https://youtu.be/kgBjUv_50kY
内容につき詳述されているのでご参照ください。

エルガー:交響曲第1番

C.デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペッレ1998live

すばらしい。オケがイギリスじゃないのでノーブル(譜面でエルガーが指示している)なところは無いが、純粋に音楽としてすぐれて構成されていることがわかる。力のあるオケに、威厳のある解釈だ。

https://youtu.be/2OXU-TTDhHU

エルガー:オラフ王のサガからの情景~1.夏の激流のように

○バートン指揮ハレ合唱団(ho)2005/11/3・CD

著名な曲で、いたって普通の合唱曲。短いし、長所も短所も指摘できない。とりあえず○。

エルガー:エニグマ変奏曲

○C.デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団(BR)CD

永遠の中堅のようなイメージがあったが亡くなってしまうと一つの時代の終わりをまたも感じてしまう。勢いはあるがアバウトさもあるオケ、しかしエルガーの要求する苛烈なアンサンブルにさいししっかり引き締めて、実りあるものに仕立てている。英国風というものをどう説明したらいいのかわからないが、これはドイツ的でもアメリカ的でもなく、英国風としか言えない中庸さがある。録音良し。バラ売りされ今はダウンロードでも聴ける。CD持ってるのにダウンロードでまた買ってしまった。鎮魂。

エルガー:弦楽四重奏曲(短縮版)

○ロンドン四重奏団(M&A他)1921・CD

同曲はサモンズらが初演しているがこの時期には既にロンドン四重奏団を抜けている。演奏はしかし達者なもので大正時代とは思えない覇気と精度を併せ持ったわりと現代的な演奏。発音はオールドスタイルで甘いがリズムはきっちりしている。三楽章すべてからの抜粋でほぼ全曲を聴いたような気になるからこれでもよい。曲はエルガー風の旋律美が中欧ロマン派の重厚さに載って、そのてのものが好きならおすすめできる。○。

エルガー:エニグマ変奏曲

○ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団(en larmes:CD-R)1953・CD

スタジオ録音か。それにしては音がぱっとしない(ロスバウト録音はいずれもモノラルでぱっとせず、損をしている)。イギリスにしては中欧的な作曲家エルガーの重量感ある響きをドイツ臭く再現するのではなく、ボールト的なバランス感覚のある演奏に仕立てている。音も重すぎず曲の包蔵する柔らかさを損なっていない。壮大でも壮麗でもないが、きちっとした演奏。

エルガー:弦楽セレナード

○ボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団(PASC/decca)

pristineのSP復刻音源。3楽章制の小品だがそれなりの演奏精度を求められるエルガーらしい作品。しょうじきブラームス的な重みと前時代的な旋律は私の苦手とするところでもあり、曲も個人的には印象に残りづらく感じる。演奏はボイドニールらしく、昭和初期という時代にあってここまでしっかりしたアンサンブルをこうじているのは注目に値する。もっと旋律が浮き立っていいと思うが録音のせいか。○。

エルガー:威風堂々第1番

ガンツ指揮セント・ルイス交響楽団(victor)1924/11/1・SP

web上で配信されている音源。まあ鄙びた演奏で、精度の低さもさることながら殆ど吹奏楽編曲(かつ短縮版)である。もちろんラッパ吹き込みの限界はあろうけど、弦楽器が第一主題しか聞こえない。あの第二主題がまったく吹奏楽なのである。なんだか損な役回りをした室内楽のときを思い出した。メイン主題を金管に奪われたときを。ハープってこの曲あったっけ??無印。

エルガー:エニグマ変奏曲

○ビーチャム指揮シアトル交響楽団(PASC)1943/10/11LIVE

素晴らしい腕をもった指揮者だったことがわかる。少しブカブカ吹かす癖のあるアメリカ楽団を、きゅっと取り纏め、高度の機能性を聴かせている。管弦楽の極められた同曲の立体的書法を知り尽くしたうえで、響きの派手さや曲毎のコントラストのドラマを煽らずに、一つの流れを明瞭に作り出し、あくまでその中で起伏を聴かせていく。物足りない向きもいるかもしれないが、スピーディでインテンポしかも節度が軽さを産んでエルガー特有の野暮ったさを払拭しているさまは新鮮だ。土の臭いのしないノーブルさ。後半ノイズがひどいが、○。

エルガー:交響曲第1番

○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(the barbirolli society)1958/1/30ハレ管弦楽団100周年live・CD

大変人気となった話題盤だがいかんせん録音がエアチェックレベルの悪さ。やたらと打楽器が強調され、ただでさえダイナミックな同時期のバルビの芸風に過剰な演出を加えてしまい、中間楽章で疲れてしまう。たぶんバルビのエルガー(しかも1番)としては白眉の記録で、特別な場ということもあってハレ管もヨレが少なく緊張感があり、相当にレベルが高く、テンションも持続する。ただイケイケ過ぎて2楽章の異様なスリルから3楽章にうつるくらいで、既にぐったりしてしまう。3楽章もマーラー的で休むことを許さない音楽になっており、アタッカで4楽章に入って管弦楽に立体感が戻った辺りで(もう後はわかったくらいで)やっとほっとする。騒々しいまま通奏主題になだれ込んでしまうのは録音のせいということにしておこうか、ここも緩急のブラームス的演出が無いと勿体ない。しかしながら、バルビ特有のドライヴ感が保たれたまま、エルガーのかっちりした構造が見事に適切に捌かれ音楽に昇華されているのは、バルビの指揮の腕というほかなく、けしてバランスの悪い指揮者ではなかった(この時点では)、リヒャルトが得意だったのもさもありなんな腕の持ち主だということを再確認させる。聴衆反応は穏やか、熱狂はしていない。録音がひどいゆえ○以上にはいかないが、貴重。

エルガー:序曲「コケイン」抜粋(偶発的ステレオによるサイド3)

○作曲家指揮BBC交響楽団(HMV,EMI/NAXOS)1933/4/11・CD

面白い企画であると共に信じられないノイズレスな擬似ステレオで自作自演を愉しめるもの。NAXOSのボーナストラックで一部違うマイクで拾っていた音を最終版録音(全曲録音)の同部分と合成して作成されたもので通常の擬似ステレオとは違いかなり「正しいステレオ録音」に肉薄している。それは楽器位置はめちゃくちゃだがモノラルを擬似化したような残響付加ではなく、不思議なのはノイズすら無くなっていて、5分弱ではあるがその長さがまたエニグマの1変奏を聴いているような丁度いい長さである。個人的にエルガーの曲は選り好みするほうだが、代表作といっていいコケインはその範疇外にもかかわらず、余りの音のよさに愉しんでしまった。タイムマシンに乗っているようだ。そして、BBCは上手かったのだ。エルガーの老齢にも関わらず厳しくしっかりした指示にきっちりつけているようで、同時代の他指揮者の録音にありがちな緩い気に比べ前進力と構成力の感じられる立派な演奏になっている。この時代のステレオ実験録音というとストコが行っていたらしいが未聴。

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

◎作曲家指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団(HMV,EMI/NAXOS他)1926/4/27クイーンズホール・CD

旧録のカットぶり・改変ぶりと比べ「ほぼ」原典どおりの演奏で一部楽器の増強や調整はあるにせよ、この時代の録音にしては完璧。リマスターも復刻盤それぞれできちんと行われており、この名曲中の名曲を作曲家の手によって聴く贅沢を、諸所問題のある旧録よりもずっと楽しく味わうことができる。テンポは非常に速くインテンポ気味、多少つんのめるくらい。旧録では大幅にカットされたA部のマーチも旧録で異常に遅く演奏されたB部の歌謡的フレーズもさほどテンポに差を感じず、B部再現部の盛大な盛り上がりから一気にA部の変奏によるコーダに雪崩れ込むこの曲ならではの潔さの醍醐味を味わえる。書法の巧緻さそのまま曲のまとまりがより強く出ており、変なケレン味のない純音楽的な感興に身を揺らせる。それは古い演奏だからオケの前時代的な演奏法やバラケ味はあるにはあるが、使いたくない言葉ではあるが「ノーブルな」雰囲気を保ったまま威勢よくやりきった、この曲の範すべき演奏記録。◎。

エルガー:交響曲第2番

○作曲家指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団(HMV/PEARL)1925/4/16・CD

自作自演の旧録。録音指揮に情熱を傾けたエルガーは結果として同時代のオーケストラ録音の代表者のような存在となり、ストコにも似た編成の録音用改変からマイク配置の試行錯誤などさまざまなことによって自分の理想に近い(といってもやはりこの時代のテクノロジーだから妥協はあるだろうけれども)形を残している、かなり信用のおけるものとして、ショルティやプレヴィンなど、新旧両方の解釈表現を分析し自己の演奏に取り入れたことで有名である。旧録(更にはpearlの板起こし)ならではの雑音の多さや音像の不明瞭さが気になることは気になるが、エルガーが極端に編成を小さくし、特にヴァイオリンなど2プルトくらいしかいないんじゃないかというくらいで貧弱な録音に収まる程度の音響バランスを保とうとしている様子がよくわかり、時代なりのロマンティックな奏法を肯定しながらも非常に速いテンポを維持し、フレージングや音色で纏綿さを出していく(録音の都合もあるだろうが)割とトスカニーニ的な表現手法に近いものを持っていたことがよくわかる。旋律に重点を置き、書法上目立たない楽器に対旋律を受け持たせている場合でも他の楽器を極端に落としてしっかり対旋律として認識させるように歌わせる、単なるメロディ追いではない自作ならではの知り尽くした表現が聴かれるのもいい。オケは正直弱くバラバラになる箇所もあり、それはエルガーがソリスティックな細かい音符を織り込んだメロディや効果音的挿句を多用することからくる無理が追い討ちをかけているのだろうが、編成が小さいだけあって弦楽器では「個人技で」カバーして聴けるものとなっている(これが大編成では十六分音符まで纏めることは不可能に近いだろう)。

いずれこれが再度復刻されないのは不可解ではある。pearl自体が創業者の死去により自然消滅し版元pavillionにも在庫がない状態。ボックスで高価だったゆえ、長らく渋谷HMV(現パチンコ屋の場所)の店頭で埃を被っていて、いつか買おうと思っていたらいつの間にか消えていた。やっと手にすることができたわけだけど、これにしか復刻されていないアコースティック~電気録音が入っており、奇妙なSP復刻を繰り返すNAXOSあたり不意に出して復権させて欲しいものだけれども。○。

EMIが繰り返しCD化している新録を含むボックスはこちら。

エルガー・ボックス/エドワード・エルガー、ロンドン交響楽団、他


しかし記念ボックスを買うほどではないかたが大半だと思うので、

Elgar Conducts Elgar - Symphony No.2 Op.63, Cello Concerto Op.85 / Edward Elgar, LSO, etc


珍しい「コケイン」の位相の違う同一演奏2録音をステレオ整形したものがボーナス収録された代表作集
Elgar Conducts Elgar - Cockaigne Overture; Enigma Variations; Pomp and Circumstance Marches/ Edward Elgar

エルガー:愛の挨拶(管弦楽編)

○作曲家指揮交響楽団(pearl/HMV)1914/6/26・CD

エルガー自作自演はほぼ自身による改変が施されているが、てんめんとしたフィンガリングが生で剥き出しになる聴き心地は余りいいものではない。ラッパ吹き込みは起伏がないのでアマチュアのように抑揚のない下手な演奏に聞こえる。珍盤として○。変な編曲。

エルガー:威風堂々第4番

○作曲家指揮交響楽団(pearl/HMV)1914/6/26・CD

行進曲としてぱっとしない曲だし時代なりのばらけた演奏に悪い録音だが、速めのテンポがしっかり保たれ弦楽器のポルタメントに流されない。○。

エルガー:威風堂々第1番

○作曲家指揮交響楽団(pearl/HMV)1914/6/26・CD

作曲家自身による改変のこと多い作品に加え、ラッパ吹き込みの短い録音用に三部構成の前後の勇壮な行進曲が極端にカット、事実上イギリス国歌たる緩徐部の歌謡的表現にたっぷり時間をかけ、ちょっと気持ち悪いポルタメントも辞さない表現は特筆すべき。時代からすれば編成を絞り工夫したとはいえこのバランスは素晴らしい。管弦楽法の職人だ。○。

エルガー:帝国行進曲


○ボールト指揮BBC交響楽団(VAI/78classics他)CD

imperial marchと書かないと大日本帝國の曲みたいな感じがして変だな。。まあ大英帝国万歳委属曲の一つなんだけど。エルガーらしい非常に手馴れた行進曲。エルガーとしてはかなり常套的である。ボールトBBCシェフ時代の割と数少ない記録だが、即物的な処理が強い気もする(ボールトはかなり「意識的」な指揮者で古くはトスカニーニふうの乾燥した表現も目立った)。

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

ブリス指揮ロンドン交響楽団(DECCA)カラー・シンフォニーなどで知られる英国紳士作曲家の指揮だが、どうも性急であっさりしすぎている。この感情的な曲にはいくぶんかケレン味があってほしい。あまりにさっさとインテンポで進みすぎる。それに録音のせいもあろうが音が浅い。あまりに軽く、迫力がない。ブラスにもっと鳴って欲しいし、弦はもっと歌って欲しい。これはどう転んでも無印だ。サー・アーサー・ブリスの芸風に疑問。,

エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

◎作曲家指揮ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団(EMI)1926/4/27イギリスの作曲家というとヘンデルかエルガーか、というくらいで、エルガーの知名度はそれなりに高い。しかしそのエルガーの代表作というと、普通の人は答えに窮するだろう。クラシックにそれなりに親しみのある人でも、上がってくるのはただ2作の小品だけ(名前だけなら「エニグマ」変奏曲を挙げる人もいるかもしれないが)。一曲目はサロン風の雰囲気で親しまれる「愛の挨拶」、もうひとつがこのオーケストラのための行進曲「威風堂々」の第1番だ。奥さんに結婚の記念として捧げた前者は無害な小品といった趣で他愛も無い作品だが(名旋律作家エルガーの面目躍如足るものではあるけれど)、後者は大規模な作品で名をなしたあとの円熟期のエルガーの類希なオーケストレーションの手腕が発揮された名品である。「行進曲」というとこの楽曲のふたつの旋律が頭に浮かぶのは何もクラオタだけではないだろう。中間部の悠々たる旋律は第二の国歌と呼ばれるほどのものであり、作曲当初からかなりの人気を博した。プロムスなどでは歌詞付きで歌われるし(エルガー自身も国王の勧めに従い歌曲編曲をしている)、”女王陛下のイギリス”を象徴する旋律としてテレビや映画でさまざまに使われている。GOD SAVE THE QUEENより有名なのではないか。一方勇壮な冒頭旋律は短い前奏のあと弦・木管のきざむきびきびとしたしかし重厚なリズムにブラスの絶妙な「あいの手」、エルガーは「ゲロンティアスの夢」でリヒャルト・シュトラウスの賞賛を受けたそのオーケストレーションの技術をこの旋律表現に凝縮・結晶させている。ブラス編曲でもよく使われる曲ではあるが、この曲はまずは管弦楽で聞いて欲しい。ヴァイオリンを先導するトランペットの「たかたったかたったかたったかたったー」という軍楽隊ふうのフレーズが私はとても好きである。「威風堂々」はシェークスピアの「オセロ」の台詞からとられた名前であり、全部で5曲作曲されている。しかし有名なのはその嚆矢であるこの1番だけだ。エルガー会心の作品を、ここではエルガー自身の指揮で聴いてみた。この曲は「行進曲」であり、旋律に流されずリズムを保持するのが肝要であるが、エルガー自身は急くように前のめりのリズムをきざみ、行進曲としての前進性をよくあらわしている。テンポは速めで、それは中間部旋律でも変わらない。しかし面白いのは計算ずくであらわれる恣意的なテンポ変化で、おっ、と思わせる。オールドスタイルといったらいいのだろうか、曲を磨き上げるよりもかっこよく響かせるために施されたような「解釈」(自分の作品なのだから少しおかしい表現だが)、印象的だ。ひびきは荒々しさも伴うが、それがまたよい。エルガーはシンフォニーも含めおびただしい量の指揮記録を遺しているが(それは自身の作品にとどまらない)、すべてに共通するのはドラマティックで気合いの入った演奏ぶりである。当時最高の録音技術で収録されたものであり、20年代の録音としては破格の音質で聴くことができるのは嬉しい。機会があれば、エルガーの自作自演にぜひとも接していただきたい。名演。,

エルガー:交響曲第3番(パイン補筆完成版)

コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(lso)2001/12liveロンドン響自主制作盤のコリン・デイヴィス・エルガー交響曲全集からの一枚。これははっきりいって、駄作。エルガーはこの曲を完成しなくて寧ろ幸せだったのだ。ここには第一番のような漲る覇気もなければ、第二番のようなたそがれに映える情景もない。じつにわけのわからない旋律、いたずらにエルガー式オーケストレーションを加えられた、ただの音のカタマリ。唯一終楽章だけはなんとなく第二番の終楽章を思わせるところがあるが、心情の伝わり易さでは比較にならないほど伝わってこない。もう二度と聴くこともないだろう。こんな盤、久し振りだ。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)(3楽章のリハーサル等付き(2回分))

○作曲家指揮ロンドン交響楽団(EMI)1927/7/15・CDトスカニーニ並の強力な推進力で突き進む直線的な演奏で、ロマンティックな柔らかさが全く無いのが意外だが、グダグダに歌ってしまう演奏多いが中、これこそがエルガー、何事にも揺るぎ無い英国男子の粋だ、と感じた。自然で淀み無く流れる4楽章、最後の感傷的な1楽章の再現がいささかもテンポを落とさずあっさり入って静かに終わる。粋だ!ボールトですらロマンティック過ぎると感じさせるテンポはひょっとすると当時の録音時間の制約のために設定されたんじゃないかとも思ったが、3楽章の二つのリハを聞く限り本番並のすこぶる速いテンポがとられているので、そうではないだろう。ちなみに3楽章はドラマチック&ダイナミックで聞く価値大。ハープの煌めきが実に美しく捉らえられていてびっくり。この録音品質凄すぎる(昭和二年ですよ)。勿論残響は加えられているが。2楽章のサラっと美しい中にも深い心象が滲み出ているところも聞き逃せない。1回聞いただけでは余りに即物的で良さがわからないかもしれないが、何度かじっくり聞いてみよう。この曲の本質が分かってくるだろう。それにしても効果的なオーケストレーションだなあ。マーラー並。こういうふうに緊密にやればカッコいいんだ。唯一気になったのは弦のポルタメント多用だけど、時代柄寧ろこの程度で済んだのが奇跡。○。オマケ録音は正確には正式録音のファーストテイク116小節迄、及びセカンドテイクに向けてのエルガーの指示付きリハ風景の二つ。エルガーは苛烈にバシバシやっていると思いきや笑いを交えながらの穏やかさだ。エルガーは交響曲全集をもうひとつ残しているがそちらは90年代前半にpearlで集成CD復刻が一度なされただけで未聴。ちなみにプレヴィン盤はこの二度の録音を両方参考にした解釈に基づいているという。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

ボールト指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(EMIほか(1963,CFP172))1963録音バランスはステレオ録音中一番良い。楽器配置が透けて見えるし、高弦もしっかり聞き取れる。アプローチはロンドンと殆ど変わらない。というより寧ろ、さらに単刀直入な解釈だ。オケのせいであろうが、木管やペットなど、いささか開放的すぎて、情が薄く、冷たいように感じる。弦にしても、後半楽章で余りに明るく客観にすぎるきらいもある。殊更に取り上げて聴くべき演奏ではないかもしれないが、損はしまい。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(SCRIBENDUM/MELODIYA)1977/4/11LIVE 12月に出るはずだったのに、びっくり。渋谷のHMVにだけひっそり出ていた(何の煽り文句も書かれずに)。聴いてみたかった音源なだけに狂喜して早速入手。聴きとおしてみたが、うーん、ソヴィエト国立のこのころの録音の多分に漏れず雑味が多い。ただ、こんかい冷静に聴いてみると、録音バランスが極端に悪いせいではないか、と思えてくる。ヴァイオリンが薄くて音色バラバラなところ、各セクションがぎくしゃくとしてうまく一つの焦点にまとまらないところ、ペットだけが異常に突出して独特のロシア吹きを吹き散らかしてうざいところ、よくよく考えるとたんにマイク位置やミックスが悪いだけかも。それを押しても名演と言えるのが2楽章の荘重な音楽だった。中低音域に主題が位置するためヒステリックな高音の突出が抑えられ、ふくよかな響きがソヴィエト国立ほんらいの力感を引き出している。情感の表出が絶妙で、この、盛り上がりどころでもほとんど揺れずインテンポを突き通した特徴的な解釈の中にあって異彩を放っている。ペットのヴィブラートかけまくりの強奏がややうるさいが不満はそのくらいだ。大英帝国黄昏の音楽をほのかな感傷の中にしっかり表現しており出色だ。エルガー音楽の神髄に肉薄している。他の楽章はややふるわないというか、インテンポで突き進むのがどうにも気になる。勿論エルガーの音楽は基本的にオスティナートなリズムがえんえんと刻まれる中に旋律や対旋律がからみあうという構造になっており、旋律に注力してしまうとグダグダになってしまうから(そこが難しい)この解釈は合理的といえよう。ただやはりちょっとはルバートのほしい箇所も少なからずある。とくに終楽章がどうも中途半端だった。最後の夕映えの音楽の繊細な響きはちょっといいが、それまでの音楽はやたらと雄弁なだけでバラバラなアンサンブルに聞こえるところがあり(エルガーのライヴとしてはここまでまとまったら大成功というところかもしれないが)、最後まで興味が継続しない。3楽章の不思議なロンドもいまひとつその不思議さが描き切れていない。これはヴァイオリンが薄いところにも要因が有るかもしれない。1楽章はそうとうに前進的なテンポで押せ押せで進む主題が格好良い。しかしここもやや雑味がある。総じて、ライヴとしてはいい、というくらいか。スヴェトラーノフには寧ろ覇気に満ちた1番をやっておいてほしかったが今となっては仕方ない。海の絵とのカップリング。昔ゲロンティアスの夢があったように思うが未確認。(2003/11/8記),

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

○ボールト指揮ロンドン・フィル(nixa(Precision)NIXCD6011(PVCD8382))1956/8ボールトのエルガーは私情抜きには語れない。RVWやホルスト同様スタンダードという言葉では語り尽くせないほどに曲と同化しきった名演中の名演だ。とくに2番終楽章の崇高な輝きと余韻は比類なく、比べて1番という曲の何と浅薄なことかと嘆きたくなるほどの出来だ。エルガー自身の録音すら凌ぐと言ってよい。イギリス人でもないのにこんなことを言うのは甚だ可笑しなことではあるが、黄昏のなかであくまで高貴さを失わない誇り高き英国紳士の横顔を想じると、涙を禁じ得ない。3楽章の瑞々しさの中にも威厳有る素晴らしい躍動は他に代え難いものがある。この緊張感溢れるロンドの演奏は恐らく今もって比肩しうる録音は無いと思う。其の生涯に5回ほどの録音を残しているが、私はこの盤によりエルガー2番という曲の素晴らしさに気付かされたという個人的理由より、この演奏を最初に挙げることにする。手塩にかけたロンドン・フィルとは1968、1975-6(前者Lyrita(LP)後者EMI)にもセッションを行っている。但し録音が貧弱で音の分離が余り良くないこと(ステレオ初期は仕方ないが)、解釈が即物性を帯びかなり率直であること、高弦の響きが薄いという点、好き嫌いが分かれるとは思う。初録音は前半生の伴侶BBC交響楽団との1944年のセッションだ(EMI、下記)。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

◎ボールト指揮ロンドン・フィル(EMI(CDM 7 64014 2))1975-76新録は旧盤のインテンポ・アプローチを踏襲しつつ、より叙情的な表現を深めている。1楽章緩徐部(再現部前)の寂りょう感、2楽章後半の高潔な響きは感動的だ。3楽章は旧録同様他に代え難い超名演である。特筆すべきはホルンを始めとする金管群の充実ぶりだ。ペットなど開放的になりすぎず、緊密性を良く保っている。対して録音バランスの悪さを差し引いても、ファーストVnの薄さが目立つ。これも旧盤と同じだが、較べて中声部以下のふくよかな、しっかりとした音響は、きいていてじつに気持ちが良い。これはブラームスなどに見られるボールトの大きな特質であるが、この曲はメロディ楽器偏重に陥りかねない曲だから、尚更ボールトの造形力の確かさをより強調するバランスに仕上がったともいえよう。終楽章のあっさりした末尾は賛否あろうが、盛り上げすぎて全体構造を歪ませることがなく、却ってノスタルジックな気分を深くさせるように思う。録音は決して良くはないが、旧盤に比べればずっと聞き易い。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

◎ボールト指揮BBC交響楽団(EMI(CDH 7 63134 2))1944或る意味超絶的な名演である。覇気に満ちた演奏で、他録音の円熟したボールトとは異質のもの。特に前半楽章が優れている。1楽章冒頭から強い意志を感じさせる。造形の起伏が激しく、個々のダイナミクスも相当にデフォルメされ、しかも細部まで指示が行き届いているのであろう、「型」が崩れない。BBC交響楽団も近年とは異なり音に「色」があり、技術的にも満点をあげたい。…凄く面白い!緩徐部の噎せ返るような艶は、ワグナーやリヒャルトSよりも、マーラーを思い起こす。その後の再現部へ至る雪崩のような轟音とのコントラストも凄い。しかし一貫して弦楽器にポルタメントはかけられない。そこに古典主義者ボールトを感じる。最後は意外に小さくまとまるが、曲の流れ上、納得できる解釈だ。2楽章も強烈な表現性が発揮される。荘厳さにおいては少し若いが、明るく古典的な響きを持ち、別の曲を聞いているような錯覚(これは1楽章にもある)に陥る瞬間がある。後半に向かっての壮大な造形は、後年のアプローチの萌芽を感じるが、より露骨だ。クライマックスでは音が割れる!3楽章は、後年の良い音の演奏が余りに完璧であるため、起伏の激しさはあっても、比して刹那的解釈という印象を受けてしまう。一歩譲るかもしれない。4楽章、低弦による第2主題の提示は気合に満ち、頂点までの勇壮な行進をしっかりとした足取りで支えていく。其の先の副主題はまさにエルガーの行進曲だ。しかしすぐにはらはらとおさまってゆく音楽。物語性すら感じる強大な演奏。展開部に入ると再び気合の応酬が始まり、終結まで突き進んでいく。やや表現が若い気もするが、聞ける演奏。最後の1楽章主題の再現は思い切りロマンティックに盛り上がる。無論ボールトであるから威厳は失わないが、後年の演奏には聴けないものだ。ほめまくっているが、録音はかなり悪い。当然モノラルである。,

エルガー:交響曲第2番(1910-11)

○バルビローリ指揮ボストン交響楽団(MUSIC&ARTS(プリントはデンオンだったりする)/inta glio)1964/9LIVE JOY盤評参照,
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