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オネゲル:夏の牧歌

クーツィール指揮ACO(RCO)1943/7/22live放送・CD

冒頭中音域がほぼ聴こえないなど録音は極端に悪い。ノイジーなうえ、演奏がまたねっとりして、コンセルトヘボウらしいといえばらしいのだがポルタメントをかけまくったりなど、オネゲルらしい涼しげな雰囲気はゼロ。ホルンソロもこのオケらしい無骨さがある。それでもオネゲルが施した旋律と響きは強固なもので、解釈によりどうこう左右されることはないので、面白い演奏として消化していくことはできるし、だいたい同曲はどう転んでも牧歌そのもの。ノイズが無かったら普通に聴けるレベルかもしれない。拍手あり。
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オネゲル:映画音楽「ナポレオン」~Ⅶ.影

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

和声的にゆったり動く弦の上でトランペットソロが軍隊ふうであれど孤独で、断片的な旋律を吹く、その繰り返しで、どこかで聴いたような、アイヴズのような、しかし映画音楽には贅沢なピアニッシモの断片。単純で、さすがにマリウスも外さない。ニガモンの歌とは関係ない。

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オネゲル:テンペスト前奏曲

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

作曲家自身が確か交響的運動とともに録音を残している、そのとおりで作風的には主題を持たない交響的運動作品、響きはジョリヴェを洗練させたように野蛮主義的だが計算された立体的な代物で超音波のように超高音を響かせたり弦には半音階的な機械的フレーズを繰り返させ、ドガシャーンをやる、楽しいというか、騒音主義を律したようなもので、むしろマリウスでよかった、といういくぶん和らいだ演奏。

オネゲル:劇付随音楽「フェドーラ」組曲~Ⅳ、Ⅴ、Ⅵ

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

明らかに春の祭典を意識したような部分と、同時代によくある晦渋な交響作品が不思議と絡んだような作品。フランスふうというか、ストラヴィンスキーがハルサイにて木管ソロに奇怪なフレーズを吹かせたのがそもそもだが、管弦楽にはどことなく洗練されたふうの響きもある。演奏は普通。

オネゲル:交響詩「ニガモンの歌」

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

マリウスの演奏は柔らかくドラマを包みこんでしまうきらいがある。印象主義の雲の中へ返してしまっているようだ。作曲家周辺およびミュンシュらの激しい骨董録音とくらべれば迫真味が薄らぐのは仕方ないが、もやもやした感じは録音のせいかもしれない。

オネゲル:モノパルティータ

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

比較的演奏される、交響曲群を思わせる抽象的なアンサンブル曲。50年代に「現代音楽として」ロスバウトに初演された。ここでは「室内アンサンブル的な緊密さ」は聴かれず、派手で少し柔らかく、一般的な交響曲的表現がとられており、そこがオネゲルの「頭でっかちな魅力(バッハに倣え系新古典主義というやつですか)」を損なっていると感じるか、単純に聴きやすい(緩徐主題はいくぶん夢見るような叙情性を醸すし、ドラマは有機的に繋がりあまり構造に拘泥させた聴き方を要求しない)と感じるかは人それぞれか。かつてはこれくらいしか曲を知り得る録音は無かった。今はもっと昔のオネゲルの同僚クラスの演奏から最新の厳しい演奏まで選ぶことができる。

オネゲル:バレエ音楽「アンフィオン」~前奏曲、フーガと後奏曲

マリウス・コンスタン指揮モンテカルロ・フィル(erato/warner)CD

これは曲はオネゲルにありがちな曇った構造的な作品で、演奏はパッとしない。すっきり、厳しくアンサンブルを整えて透明感を出すようにしないと、交響的運動と呼ばれた作品群や初期を除く大半のオネゲル作品はこんな残らない演奏になってしまう。

オネゲル:オラトリオ「ダビデ王」(原典版)

○エダ・ピエール(Sp)コラール(Alt)デュトワ指揮スタジオ・アンサンブル、カイヤール合唱団他(erato/warner)1971/5・CD

原典版(但し語り付き)と銘打ちながら通常の交響詩篇と較べいささかの遜色なく聴けるのは豪華な布陣によるもの、以前に楽団と指揮者の力だと思う。元より素直に美しく仕上げられた(実際これだけの大曲にもかかわらず作曲期間は短い)オネゲルの出世作で、広く知られた一大叙事詩の各部は全て独立した音楽として効果的に成立し聴きやすく、死にさいしてのアレルヤコーラス(自伝によるとこのメロディを田舎の農夫が口ずさんでいるのを聴き成功を確認したそうである)のアピールする力はただでさえ凄いが、デュトワが素晴らしく曲の魅力を汲んでいわゆるフランス的な響きを決して崩さずに迫力あるドラマを組み立てていくさまは、未だ同曲の決定盤として伝えられるのも頷けるところである。ソリストや歌唱陣の充実がかつての定番であるボド、さらにオネゲル自身といった作曲家の監修の入った盤を上回る出来をもたらしているとも言える。拡散することなく全てはデュトワのもとにまとまっている。これを聴いて感銘を受けないならオネゲルの大曲は無理だと思う。そもそも、たぶん、交響的運動を除いてこれのみが、一般受けする作品だと思うのである。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ORTF(DM他)1964/9/1live・CD

わずかにスピードは落ちる(三楽章には整えられた感がある)ものの、感情面で楽曲の意味性を突きつけるのは既に60年代なのに変わらない。きちんと構成され細部まで明確に構築されそれでも往時の勢いを保った緊張感の漲る演奏で、アンサンブルの精緻さ厳しさはミュンシュらしくない、フランスオケらしくない現代的な室内合奏曲の在り方を示し、これでノイズの無い録音なら素晴らしい記録として推せた。客観性と音楽性の素晴らしい同居。モノラルなのは惜しい。客席はわりと普通の反応。トランペットは目立たない方。

オネゲル:交響曲第2番

カラヤン指揮BPO(DG)1969・CD

残響が多くアンサンブルの緊密さ・精密さや楽団独自の力強さが却って伝わってこないが、下手な情感をこめずひたすら純音楽的に楽曲を構築していくことによりオネゲルのスコアの本質が伝わってくる。聴けば聴くほど印象深くなっていく。カラヤンのゴージャスで大音量というイメージは楽曲自体が否定しているため浮き立ってこない(前述の録音起因の音場の広さによる印象はある)。構成が見事で、3楽章こそ個人的に余り好まないトランペットソロ中心の大団円だが、2楽章は素晴らしい緩徐楽章。情熱だけで押し通したり、変化を極端につけてわかりやすくすることはしない。緩やかな楽曲構成を綿密に再現し、流れの中で自然とヴァイオリンが上り詰め詠嘆する場面ではうまいなあとしか言いようがなかった。これをふっと浮き上がるように、甘やかで儚い夢のように対比する表現がとられることもあるが、オネゲルはあくまで音楽の流れ上の一部として組み込んでいるのである。しかしそのままやっても面白くない。カラヤンはよくわかっているし、ここまでドイツの指揮者としては異例のレパートリーとしてきた成果を示した見識である。最初は中庸に整えられた演奏で全般のっぺりして聴こえるかもしれないが、いったん他の演奏から離れて、ふと聴いてみるとよく曲のわかる良演である。3番とのカップリング。個人的に高音のピッチは気にならなかったが(ブールのものやミュンシュ各楽団録音で3楽章冒頭を比べてみたが私の耳には同じだった)低い音に差はあるようにも感じた(カラヤンのほうが高い)。違和感はなかった。

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オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1953/3/29・CD

モノラル末期の音源だが音質を置いても(私の盤は一箇所音飛びする、、)、集中度からも演奏精度からもミュンシュでは一番に推すべき録音だろう。塊となって突進する当時の解釈に従ってはいるが、アンサンブルへの配慮がしっかりしており、3楽章のポリリズム的なパセージなど、明確に決まっているのはこの録音だけではないか。ボストンの厳しい弦楽の音はフランスオケのものよりオネゲルの真に迫っていると感じるし、ミュンシュの「解釈」がしっかり伝わる見通しの良さがあって、それは晩年の演奏にみられる客観的に再構築されたオネゲル2番ではなく、当時の直球でありながらやりたかったことはこれなのだというものを耳までしっかり届かせている。暗闇から光明という構想において、当時のライヴ録音であれば2楽章と3楽章の間でカラーの違いを明確にしているが、この録音では3楽章に入っても中低音域での暗い闘争が持続し、それが律動の中で何かの形をなしていき、突破口を模索した2度目で強引にトランペットが凱歌を上げて入ってくる。ここではトランペットは総てを変えてしまい、弦楽はただの伴奏になる。当時はこれをやりたかったのか、わかりやすさを狙ったミュンシュ以外のプロデューサーなり技師の意図なのか、良くあるソリスト強調配慮なのか、とにかくミュンシュとしては強靭なのに正確な演奏の、最後に結局トランペットのメロディにすべてを持っていかせるという態度が明確になっている。

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オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(angel/EMI他)1967/12/28スタジオ・CD

ミュンシュ最後の録音群のひとつで、調和と抒情性に主眼の置かれた佳演。録音も、透徹した眼差しに見合う良好なステレオである。楽曲本来の構造をあきらかにし、ミュンシュにしては職人的で山っ気の無い表現~たとえば同曲で多用されるチェロソロがNYP公演ではやたらと前に出て主張しているがここでは相応の響きの中で役割を果たしているに過ぎない~それはオケが現代フランスの、アメリカオケやいにしえのフランスオケとは違う、角の無い滑らかな表現を高精度でやり遂げることができるからこそ成し得たものでもあり、ショスタコーヴィチを思わせる晦渋さがあらわにされる2楽章あたりでは飽きを来させるものの、逆にそれこそこの曲の「限界」でもあると感づかせる。しょせん勢いで押し切る曲であることは、3楽章でテンポの遅さ(前へ向かわない整えた感)からだろうやや弛緩した感じを覚えさせる点でもよくわかる。しかしトランペットが現れる前にすでに暖かく明るい音楽となり、スケールの大きな録音空間に響き渡るのは悪くない。音の厳しさの求められる場面での技術の点ではボストン交響楽団に水をあけるだろうが、フランスでこの曲をやるとこういう抒情味が醸されるんだという、ビールを飲んでばかりいたらワインを渡されたような、そんな芳香の違いを改めて感じさせる点では貴重な記録である。大編成だが専門室内楽団並みの聴き心地。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮NYP(DA)1967/2live

ステレオだが雑味が多くノイジーで、撚れや揺れもある。環境雑音がリアルなのでインホール録音の、しかも舞台に近いのか。時期的にはだいぶ落ち着いて同曲に取り組めている様子で、テンポ設定も遅く、アンサンブルもただ叩き合うのではなく横の流れや響きの広がりに配慮したように感じる。ステレオのせいで拡散的な印象すら与えるが、オケが(本当であったとすれば)ニューヨーク・フィルということもあってボストンより多彩な音が出ている(雑味も出ている)のは特筆すべき事で、一本調子な突進で終わらせるのではなく、こう立体的に、調えながらやるほうが同曲の楽曲として純粋な評価を問えるものにはなるとも言えるか。ミュンシュの晩年感が感じられるかと言えばそうでもなく、弦楽器の「雑に鋭い」アタックは「相手を傷つける気まんまん」。三楽章はやや雑味が強いが、聴きどころであり、やがて明るい響きの饗宴の中にトランペットも突出せず融和してゆき、(客観性が強いとも取れるような)やわらかな幸福感が支配するうちに終演。勝利ではなく幸福感なのだ。ブラヴォが飛ぶ。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/3/27live

RCA録音の直前のライヴというが、悪いモノラル音で轟き渡る凄まじい音楽である。これはパリ音楽院管弦楽団との戦中録音に等しい激しさを叩きつけた異様な演奏で、20分というスピードで駆け抜けることもさることながら、オケの性能の分だけメリットがある。中欧的な響きを持つ弦楽器のアンサンブルにはひたすらザクザク斬り合ってゆく怨念のようなものが感じられる。モノラルであるせいもあるが外へ向かっていく音楽ではなく中心に凝縮された音楽で、集中度が半端ない。とにかく一気にフォルテで3楽章まで駆け抜けてゆき自然フォルテッシモでトランペットが凱歌をあげ、緩むことなくインテンポで終演、盛大な拍手。これは悪い録音が却って良く働いているのかもしれないが、歴史的意味性を取り去ればパリ音楽院管弦楽団盤より迫真味のある「戦争交響曲」となっていると言える。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965/5-6LIVE・CD

このラスト以外わかりにくい曲をソヴィエトでやったことが凄いと思ったが、全盛期のソビ響弦楽器の冒頭鋭い発声を聴いてのち、これが純音楽的に扱われ、和声的に重厚複雑ながらも簡潔な書法でかかれた室内楽団向けのアンサンブル曲で、あくまで抽象音楽であることを明確にした演奏で、本質を突いた名演であると理解した。これなら一、二楽章がくぐもってわかりにくいとか、旋律しか聴こえないとか、そういうことがなく楽曲構造そのものを楽しめる。ラストのクライマックスを除き、わかりやすく整形し楽章間や主題の対比を明らかにするような操作はあまり感じられない。おしなべてすべてをしっかり聴かせていく。正直ミュンシュもこういう立体的で明快な演奏ができるんだということを(極めて優秀なステレオ録音であることも手伝い)オケの優秀さも含め認識させられた次第。オケがオケだけにボリュームのある古風な演奏、ということはなく室内楽団的なアンサンブル能力の高さが光る。このような表現を取ったのは曲慣れしないオケと聴衆に構造的な魅力をわからせるためとは思うが、裏腹に構成の起承転結はっきりさせたものではないようにも感じたのは録音のあまりに明らかなところに起因するか。ブラヴォ一声聴こえる。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮パリ音楽院管弦楽団(gramophone/DANTE,LYS/cascavelle(「音楽のレジスタンス」所収)/artone/SLS)1942/10/15-16、3楽章のみ1944/3/1・CD

占領下のパリで録音を始め、開放後改めて3楽章を収録して完成させたという非常に有名な録音。オケがもともと生々しく情熱(と雑味)を持った演奏をなす傾向があり、セッション録音ですら表出意欲のために乱れを辞さないところがあるが、これも最初から旋律性に重きが置かれ、のちの時代の記録と比べて別の曲のような、構造より押し合いへし合い突き進む響きの流れを重視する演奏で、ある意味とてもミュンシュらしい。縦があまり重視されず、3楽章でリズムが錯綜する場面では雑然とするところもあるが、結局高らかに、咆哮するトランペットでムリヤリ勝利を勝ち取ったような力づくのところは、私は好きだが、ザッヒャーならやらないだろう的な感じ。歴史的意義うんぬんは別として闘士ミュンシュらしさを感じたい人に向いている。

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オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮BSO(SLS)1966/12/6live

10年前のものにくらべ録音が籠って悪い。だがスピードは戦中録音のものに次いで速く(それでも1分に満たない誤差範囲なので意識しないとわからない)、3楽章のペットは遠く表情を作らない、サン・サンの「オルガン付」まではいかないがそういう意図で「補強」しているものにすぎず、弦楽合奏を聴け、というような録音になっていて、このバランスは個人的には好きである。

オネゲル:交響曲第2番

ミュンシュ指揮BSO(SLS)1956/11/30live

意外と良い録音で迫力がある。3楽章制の弦楽合奏曲でオネゲルでも特に緻密に書き込まれたアンサンブル、それは晦渋さをかもし、この作品と格闘中にパリ陥落となった時代背景もあってその反映ととらえる向きは多いが、作品としてはあくまで「バッハに倣え」である。1,2楽章の陰鬱さについてもただ同じムードの音楽として聞き流すのではなく、弦楽器各パートの絡み合いを聴くべきところで、古い録音でもそのやりとりの精密なさまが明確にわかるところがオネゲルらしい職人性といえる。同郷(オネゲルはほぼフランス人だが)ザッヒャーの室内楽団に向けてのもので、これがかつての小品にみられた機械的律動を音楽的に抽象化したものという、何か別のものに捧げてレクイエムを書いたのではない、楽団に楽曲として演奏されるためのコンサートピースであるという点を見失ってはならない。そこを見失うと最終楽章しか聴けなくなる。ミュンシュはしかし占領下でこの曲の録音を開始しパリ開放直後に最終楽章を録音、以後数限りなく演奏し続けた指揮者で、つまりこの曲をあきらかなレジスタンス音楽として捉えている。だからこそえんえんと闇のやり取りをし続ける弦楽合奏、2楽章中盤になって不意に低弦より立ち上る夢のような響き、ヴァイオリンの儚く甘い旋律が心に響く。オネゲルはそれほど意識してこのパセージを挿入しているとは思わないが、ここで2楽章までの音楽が悲観的な「ファシズム国家による占領、刹那にあらわれる往時のパリの思い出」なのだと思わせてしまう。3楽章はそれまでの音楽とは違う。バルトークのようなピチカートが闘争の開始を告げる。これはベートーヴェンにおける「悲劇から勝利へ」の交響曲なのであると、ミュンシュははっきり意識してアンサンブルを引き締める。オネゲルの書法自体は同じ「バッハへ倣え」であり、バルトークのような前衛的な手法はとらない。演奏者のことをよくわかっている(ザッヒャーのバーゼル室内楽団を見くびっているようにもとらえられるが・・・)。トーンは変わり、形勢は有利に働き、そして弦楽合奏曲なのでオプションではあるが、ほとんどの場合導入されるペットの凱歌が高らかに響き、しかしきっぱり終わる。ベートーヴェンのように終止音を何度も何度も叩きつけることはない、既に勝利しているのである。ここは表層的な演奏効果を考え操作して大きな音楽的クレッシェンドをつけることもできると思うが、ミュンシュはそれはやらない。録音バランスの問題もあるし、この音源はモノラルなのでなおさらだが、ペットはあくまで上に載るのみで、「高らかに」という感じではない。むしろオネゲル自身の意図していたであろうところの、弦楽合奏を補完する「オルガン的な響き」として重ねているのみで表情は作らせていない。音量も録音では際立ってこない。これでいいと思う。パリがフランスのもとに戻り、ナチは倒れ、しばらくたってアメリカのオケでこれを演奏し続けるミュンシュに対し、ヨーロッパではカラヤンが積極的に取り上げた。録音こそほとんど残っておらず、DGのものはミュンシュにもましてベルリン・フィルの分厚い響きで古風な室内合奏を作り上げているが、音楽家は政治とかかわろうがかかわらなかろうが、ただ音楽をやりたい、音楽をやるために生きているという点で、考えさせられるところもある。

☆参考資料

「オネゲル:交響曲第2番」ミュンシュ指揮
2017/1時点確認可能な音源(ディスコグラフィと個人的調査に基づく。すべてCDないしCD-Rフォーマット(andanteを除く))

・パリ音楽院管弦楽団(gramophone/DANTE,LYS/cascavelle(「音楽のレジスタンス」所収)/artone/SLS)1942/10/15-16、3楽章のみ1944/3/1(パリ開放後)スタジオ

・BSO(DA)1953/3/27live

・BSO(RCA)1953/3/29スタジオ

・BSO(SLS)1956/11/30live

・チェコ・フィル(multisonic/living stage)1957/5/17live

・フィラデルフィア管弦楽団(andante配信※2010閉鎖、未聴)1963/3/17live
フィラデルフィア管弦楽団(DA)1964live
※DA他CD-Rレーベルには同オケ名義で1962,1964年録音と記載された音源があるが、同オケは記録上1963年3月にしか客演しておらず、同一の可能性大
<参考>ディスコグラフィ上確認できるフィラデルフィア管弦楽団との1963年3月録音記録(2017/1時点)
7日LIVE philadelphia orchestra BOXset(ダフクロ2組)1999初出・恐らく現役)
14日スタジオcbs/sony/RCA(現役)
17,24日LIVE andante配信(閉鎖)

・ORTF(DM/Valois他)1964/9/1live

・ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)1965/5-6LIVE

・BSO(SLS)1966/12/6live

・NYP(DA)1967/2live

・パリ管弦楽団(angel/EMI他)1967/12/28スタジオ

オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

緻密なヒステリーと言ったら言い過ぎだけれど、それまでの交響曲に比べて客観的にまとめたようで(あっさり終わるところなどミュンシュだとブツ切れに感じなくもない)結構激しい表情も織り交ぜた曲であり、他の同時代の凡作交響曲とは一線をかくした魅力のある作品である。他の指揮者であればマニア向けで終わってしまうところ、目の詰まった(モノラル)響きは凝縮力を感じさせ、オネゲルらしさがよく演出されている。十八番たるところを示している。

オネゲル:前奏曲、フーガと後奏曲

ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)CD

いかにもオネゲルのつけそうな題名で、バッハに倣った書法、対位法を駆使しがっちり固めた、まったく六人組ふうではない作品だがこれはもともと六人組の記念盤LP収録の音源(仏EMIの二枚組CDはLPの全音源を網羅している)。第二次大戦後作品なのに戦前とあまり変わらない作風、もっとも映画音楽的に効果的に展開する旋律が2,3番あたりの交響曲のように魅力を放っていたり、さすがプロフェッショナルを自認していた作曲家、というところ。それほど魅力のない楽想が通奏されるところ、中盤の盛り上がりからなぜか渋いフーガでつなぎ(連続して奏される)長々しい平和な音楽からなぜか奈落にいたる構成(連続して奏される)は飽きる向きもあるかもしれない。というか「渋い」がオネゲルの本質であって、こういうものは聴衆を意識した作品と思う。あとはアルトサックスが古典風に落ちそうな音楽をモダンに引き戻しているのは耳をひく。ツィピーヌは職人的にこなし穴が無い。オケの力量によるところも大きいだろうが、かならずしも難曲ではないのでそこはどうでもいいか。

オネゲル:交響詩「ニガモンの歌」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1962/4/27live

書法的には初期ストラヴィンスキーを透過したワルキューレの騎行みたいなところのある曲。しかしオネゲルらしく、より目の詰まった書き方で、分厚い和音に半音階的な動きで呪術的雰囲気を高め、若干聴き手に媚びてるようなところもなくはないが、それにしては謎めいたディミヌエンドで終わり聴衆も戸惑い気味の反応。ミュンシュ以外の人が振ったら果たして演奏効果を上げられたのだろうか。

ちなみに今、曲名で検索したら私のブログが出てきて、既に同じ音源について書いていたことが判明した。随分前におことわりしておいたのだが、このブログは(あんまり無いが)同じ音源を時間をあけて何度も書くことがあります。それはその時々で、聴き手である私の趣味嗜好や「耳」の変化がありうるからで、真反対のことが書いてあっても、それはその時々で受けた印象を素直に書いているものです。いわば同じ名前の年齢の違う別人が書いたとご理解いただければと思います。

オネゲル:交響曲第3番

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団1956/4/20(21)DA他

モノラル録音ですのでデータに惑わされず。録音日も混乱しているが同一。確かに緊張感があり悲惨な戦争と勝利の光明といった文学的空想を掻き立てる。一楽章が印象的、ピアノがよく聴き取れる。

オネゲル:交響曲第3番「典礼風」

○ミュンシュ指揮NYP(SLS:CD-R)1947/1/26live

新発見の音源らしい。録音は貧弱だが緩徐部の極めて美しい響きは捉えられており、第一楽章ディエス・イレは録音起因の迫力不足であるものの、三楽章ドナ・ノビス・パセム終結部は聞き物。初演・献呈者による演奏、しかしオケによって少しの差異が出てくるのは醍醐味だが、ここでは個人的にどうも時々マーラーのように聴こえてきて面白かった。まあ、先入観のせいだろう。○。

オネゲル:ピアノとチェロのためのソナチネ

○ベックス(Vc)ノエル・リー(P)(BAM/forgottenrecords:CD-R)1960

枯葉の舞い散るような1,2楽章は余りに簡単でオネゲルらしくない表現。チェロの旋律もチェロという楽器のソロに要求されるような暗さをはらんだままである。3楽章が特筆すべきで特徴的な音型で煽るピアノにのってチェロが弾むようにサロン的な音楽を奏でる。だが小品の定め、すぐに終わる。演奏評はどうにも言い難い。比べるものが無いし、比べるほどの差も出にくいだろう。○。

オネゲル:ヴァイオリンとチェロのためのソナチネ

○ジェンドレ(Vn)ベックス(Vc)(BAM/forgottenrecords:CD-R)1960

ラヴェルのソナタとは違って尖鋭さは少なくオネゲルらしい新古典主義に立った作品である。一楽章は特に保守的で他のオネゲル作品にも似ており不協和音にもオネゲルらしさが感じられる。二楽章は「オネゲルは旋律が良いとホントに映えるな」と思わせる牧歌的な風情で六人組らしさとバッハに倣った構築性のバランスが良い。特筆すべきは終楽章の技巧性で、古典的な手法に立ちながらも構成に独自性が発揮され、ヴァイオリンのソリスティックなフレーズにはこれがとてもソナチネとは思えないところがある。ベックスはやや地味だがジェンドレは素晴らしく爽快に弾ききっている。モノラルで篭るのは惜しい。○。

オネゲル:コンチェルティーノ

○ベラール(P)ツィピーヌ指揮ORTF(fr:cd-r/columbia)1957/2/14

まるでプーランクかフランセ風に軽く始まるが最後は構築的にシニカルな楽想で終わる小品。聴かせやすい、そしておそらく弾きやすい曲なのでもっと演目にあがってもよかろう。演奏の始まりは落ち着いたもので、やや気を削がれるが一旦そのテンポに慣れると小気味よく聞き流せる。○。

オネゲル:夏の牧歌

○マルティノン指揮ラムルー管弦楽団(FR:CD-R/PHILIPS)1953/2

生き生きとした愉悦感溢れる演奏。オケの少し鄙びた音色もいいし、わりと派手にぶっ放すところも意外。マルティノンの芸風にしては若々しくロマンティックなところが特筆すべきだろう。

オネゲル:夏の牧歌

○フルネ指揮オランダ放送フィル(REGIS)CD

中間部の律動性が素晴らしい。無骨なまでにスコアにこだわった演奏ぶりは両端部では変に間延びしたうえにごつごつして聞こえるが、激しいリズムに動きが集束するとみずみずしくキレよい音楽がたちあらわれる。○。

オネゲル:ラグビー

○フルネ指揮オランダ放送フィル(REGIS)CD

随分と広大なラグビー場だ。純粋に音楽として聴いていれば美しく繊細な、それでいて内には強い構造性を保った演奏に聞こえるが、ラグビーの音楽とは違う。。

オネゲル:パシフィック231

○フルネ指揮オランダ放送フィル(REGIS)CD

一連のオネゲル交響詩群録音の中では一番聴き応えがある。緩やかな曲想ではのんべんだらりとしたテンポでいかにも整えたふうの客観的な演奏をこうじる、確かに立体的で色彩感はあるが過度には色をつけないようにし、いかにもフランス的な指揮者ではあるのだが、実演の評判に反し地味めの印象が残る。しかしながら烈しく刻む律動的な曲想になるとおもむろに音楽が立ち上がる。構造への配慮、構成力が活きてくる。気を煽る指揮者に変貌するのだ。やや残響過多の録音だが、煙りの匂いはしないが、純粋に音楽の組み上がり跳ね回るさまを楽しめる佳演。楽団は透明で無個性。
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