ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

トゥルトゥリエ(Vc)バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(BS)1963/1/29マンチェスターlive・CD

新発掘の放送用音源でモノラルライヴなりの音。正直良いとは言えない録音でこもっている。バルビローリ協会盤だからバルビローリの指揮に力点が置かれているし、演奏もバルビローリのドヴォルザークというイメージに薄い演目(交響曲の7~9番は録音し協会もCDにまとめているが)ということでソリストは二の次に聴いてしまう。バルビローリ自身がチェリスト出身で、トゥルトゥリエクラスではないとはいえ知り尽くした楽器、かなり融和度は高く、とくに自然な流れの作りかたがうまい。バルビらしい歌いかたも特異な解釈もソリストの表現を超えるものはなく、ただ音色の美しさが際立つ。木管ソロなどイギリスの上質の音を提供して穏やかな気分になる。さて、ソリストは線が細くヴァイオリン的な軽い指回しがいい意味でも悪い意味でも目立っている。後者の例というとたまに音程が悪い。不思議と不安定感はないが線の細いからこそ音程はシビアにきかれてしまう(太ければその幅のどこかが正確な音程にあたるのだ)。1楽章で、こんなところでなぜ、という半音ずつの下降音形の乱れがきかれ、ライヴだから手を抜いたのか、とすら思った。ただ音色はニュートラルなのでバックオケとの相性はいい。下手ではない、指も弓もよく回るのでミスを指摘して捨てる気にはならない。だが面白くはない。バルビマニア向けだろう。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

○セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

モノラルだが迫力の演奏に圧倒される。セルのドヴォルザークは凄いのである。しかもニューヨーク・フィルは(ミスもするが)分厚く、ヨーロッパ的な重心の低い演奏も上手い。1楽章からして引き込まれる。フォルテの表現は…ひたすらフォルテの表現はこの曲の劇的要素をただただ強調し、鼓膜に叩きつけ続ける。2楽章ですら何か「聴かせよう」という意志の強さで、末尾の弱音部も綺麗なのだけれど、全般には緩徐楽章ぽくない。3楽章も舞踏らしくリズムが切れている。緩やかな主題の歌謡的なフレージングと激しい三拍子の動きがメドレーのようにつながっていく。楽団の厚さがやや悪い録音でも関係なく音楽の楽しさをダイレクトに伝えてくる。メカニカルゆえスリリングなアンサンブルも楽しみの一つであるこの曲の、そのスリリングなところをセルは非常な求心力をもって聞かせにかかる。誰も臆することなく気が絶えない。四楽章も緩やかに始まったかと思ったら駆け上がる主題でいきなりテンポアップ。結構テンポ変化があるが、瞬間沸騰的なものはすくなく、聞かせどころでしばらく少しテンポダウンする、といった、おおむねスコアの書き込みどおりということで、それの再現度がたぶん、凄まじい。弦楽器主体の楽曲にNYPの「やる気になった」弦楽セクションはうってつけだ。ブラームスをわかりやすくしたような作品を、さらにわかりやすく歌で繋いでいく。悲劇的で渋い色調の楽曲もこういう力づくスタイルの前には、ダイナミックでアポロ的な印象を与える。矢鱈の弦楽パートの掛け合いなど、セルだから曖昧にはならずに構造的な楽しみもあるのでメカニカルに聴きたい向きにもあっている。以前出ていた気がするが、この音質でもお勧めしたい。生だとどんな凄い演奏だったろう、ブラヴォの嵐。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(HMV)1934/10/22

三度目の全曲録音か(この時代では考えられない)。SPに慣れた向きは十分楽しめるし情報量もある音。迫力あるキレキレの音で、ストコらしい細かい操作もあるが基本的に新世界のサウンドとしての面白さをそのままストレートに伝えてくれる(4楽章冒頭のリタルダンドは何度聴いても慣れないが)。フィラデルフィア管弦楽団黄金期の、とくに弦楽セクションの分厚さ。どういう録音方法をとったんだというようなボリュームのある捉え方をしている。録音状態的に音色は楽しめないが管楽器もノーマルに力強くしっかりしている。やはり2楽章のようなしっとりした楽章より3楽章のようにリズム、律動だけの音楽の方がパワーオケの特質をよく示しており楽しい。4楽章の遅さ、しゃっちょこばった表現はストコの解釈なので仕方ない。おかしなバランス、作為的なルバートも全部ストコをストコたらしめているものだ。メンゲルベルク同様、必然性などあまり考えないほうが良い。この時期にこの録音なら満点だろう。ラストまで普通ではない。音楽として楽しめるかどうかは趣味次第。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮パリ管弦楽団(SLS)1970/4/16live

両端楽章が良い。一楽章終盤の瞬間湯沸器的な激情、四楽章の意外と言っては何だがフランス的でないまっとうさ(ライヴなので感情で前に流れるようなスピードはあり、終盤アッチェルして瞬間ルバートを交える部分は面白い)、プレートルのエキセントリックな面はここのみであるが、LP期にマニアが親しんだプレートル流国民楽派の演奏であり、解釈に変化はないものの、記録としての価値はあるか。音はステレオでSLSにしては良いが、ほかのRレーベルと比べると普通というか、撚れてる方。オケがバラバラ感強めなので録音感自体はそこに吸収されてしまう。フランスを代表するオケとして設立されたにしては…である。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ロストロポーヴィチ(Vc)セル指揮NYP(WME)1965/11/20live

事故もあるし、録音は分離悪めのモノラルだが(ロストロ先生の音が細く聴こえるという状態!)、三楽章のやや緩いテンポにおける陶酔的な歌い回し、細かな動きをしっかり表現しながらもきわめて弱音で歌い継ぐところにこの演奏の特色はある。望郷の念がこめられているという同曲の本質をここでしっかりなぞっている。コンマスソロに象徴されるオケのデリカシーのなさはいただけないが、セルのドヴォルザークは特別で、ソリストもまたこの曲の代表的演奏者であるからこそ、全体の調和、細部の安定においてはなかなか、まずまずである。ロストロ先生のドヴォコンなので無数に記録のある中では表現も音色も基本一緒、飽きる人は二楽章までで聴くのをやめるかもしれないが、事故も含めて、ラストの大ブラヴォふくめて、価値はあると思う。(セルとニューヨーク・フィルという個性はほとんどメリットに影響していない、それを求めるなら買う必要はない)

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

デュ・プレ(Vc)バレンボイム指揮ロンドン交響楽団(SLS)1968/9/2ロイヤルアルバートホールlive

驚いた、これは良い買い物だった。バレンボイムとのエルガー、ドヴォルザークの組み合わせで、SLSなので音は悪い。だがとにかくこの二人の相性が当たり前だがピッタリで、オケとソリストの融合具合がまず素晴らしいし、現代的な「格調高い」客観性に、悠々としたテンポをとっているが、それはデュプレに朗々と歌わせるためであり、美しいボウイングや細かなヴィヴラートからは威厳に加え色気が醸し出される。これは例えばロストロ先生のような完璧主義からは出てこない音だ。じっさい一楽章終盤細かな音符がごちゃっと壊れたり三楽章前半高音が取れず音程が狂ったり、完成度を犠牲にしている部分もあるが、完成度などはそれ専門の人の演奏を聴けば良い。この人にしか出せない音、弾けない旋律、実直なようで自在な揺らぎ、それらはデュ・プレをデュ・プレたらしめる、唯一無二のものである。くれぐれも録音は悪いが、盛大な拍手からもこの二人と素晴らしい機能性を発揮したオケがかなりの感動をもたらしたことは想像にかたくない。SLSはなかなか当たりが無いが、これは買いだった。既出だったらすいません。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(warner)2017/1/9-10・CD

1楽章は棒が固くて、オケもどうしようかというような非力さを示していたが、作曲家指揮者らしい瞬間的なテンポルバートの挿入といった愉しさの萌芽は見えており、3楽章以降はオケがこなれ熱量があがり、人工的な表情付けと雄大なスケールが印象的なフィナーレはそれなりに盛り上がる。木管はよいが弦は薄く、このブラームス的な曲でははっきり言って重さが足りずマイナス要素が多いが、「独特さ」を価値基準に置くなら聴いてもいい、程度か。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(mphil,BRllassik)1985/6/16live(24日とは別か)・CD

一楽章の遅さ、もたつきにイライラ。ミュンヒェン・フィルも慣れていない感がある。もやっとしてしまう響きがある。この曲についてはチェリはもはや最晩年様式といっていいかもしれない。プロコフィエフのような精妙な和声、複雑な構造を聴かせるならこのじっくりとやるやり方は良いと思う(どっちみちリズミカルな部分は駄目)が、二楽章も最初と最後と中間部こそチェリらしい凄まじい美しさだが、どことは言わないがここでそんな遅速でやるか?というところがあり、そこで音楽に大きな起伏がつくのに、起伏がつかず、最初から最後までただののんべんだらりとした美のみだった。三楽章、四楽章は良い録音のおかげで迫力があり、コンヴィチュニーらの世界に近づいている。四楽章は粘り腰の表現などチェリが解釈的に感情的だったころの香りが残る。フィナーレの巨大見得を切るあとは沈黙、ブラヴォ。これはホールで聴いた者の特権だろう。そこまでの凄さは伝わらない。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(VIBRATO)1961/11/23live

モノラルだが同曲に期待されるパッションを十二分に味合わせてくれる。十八番も十八番の指揮者に心得たオケ、音色のちぐはぐ感や堅苦しいテンポなどといったものは微塵もなく、故郷と故郷の凄まじい民族性をメカニカルなスコアの中からデフォルメに過ぎることなく引き出して、そのうえで音楽的に楽しませる。クーベリックにはしばしば一本調子のものがあるが、これはオケが素晴らしく手練なところをみせていて、指揮に依らず美しい。この盤は前に出たことがあるかもしれない。モノラルが大丈夫なかたならぜひどうぞ。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

ロート四重奏団(COLUMBIA)SP

第三期メンバー(ロート、アンタール、モルナール、ショルツ)。フーガの技法など古典イメージがあったがこういうのもあるとは。調べるとフランクのピアノアンサンブルもこのメンバーだし今聴けるほとんどがこのメンバーなのではないか。まじめで落ち着いた演奏ぶりで、新世代の演奏スタイルを感じさせる。テンポが遅く揺れないが高潔に楽譜を護持するスタイルもこの時代(私の日本プレスは戦中くらいだろう)は、即物主義とも違って新鮮に受け取られたことだろう。ロートは出はオーストリアだと思ったが(ベルリンのち渡米した)フランス的なスタイル、音に聴こえるくらい軽く透明感がある。ファーストが突出する曲だけれどバランス的にあくまでアンサンブルとして整えられている。四楽章冒頭だけで盤返しという荒業と最後の方がやや音撚れする(盤面が凸凹してるのもある)のは残念。まあ、面白がって聴く演奏ではない。スタイル的に同じような団体は新しくいくらでもいる。

ドヴォルザーク:交響曲第8番

シルヴェストリ指揮LPO(EMI)1957/6,7・CD

歌い回しは天下一品だ。歌謡性に富む曲なだけに、平板な表現でもそれなりに力感を籠めて臨めば耳に残る。しかしシルヴェストリは歌いに歌わせる。やかましいほどの発声を交えながら抑揚を強調し、テンポはときに止揚するが、セッション録音なだけあって乱れはなく、3楽章など明確なリズムに胸がすく。"新世界のドヴォルザーク"に求められるものをはっきり打ち出した「わかりやすい」演奏といえ、かつチェコのお国演奏に聴かれる、ヒステリックなまでの弦の叫びをロンドン・フィルを使ってやってのけているのも快い。時折テンポを恣意的に捻じ曲げる、瞬間ルバートは違和感を禁じ得ないが他には聴けない、今は絶対やられない類のものだ。自然さのなさが魅力と言っておこう。気は煽られる。ターリッヒと真逆の面白さ。シルヴェストリのドヴォルザークは面白い。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

フルニエ(Vc)チェリビダッケ指揮ORTF(ina配信)1974/10/28live

かつては映像があったようなのだが現在音源のみしか配信されていない模様。音質はまずまず。さらっとやわらかく、スピーディに始まるところで「あれ?これチェリだよね」と思わせる。この印象は音楽の起伏に従い多少は覆されるのだが、それにしてもがっちりしているとか丁々発止とかいう個性はなく、柔和にバックにつけている。完璧なバックだが、あくまで調和重視の姿勢だ。演奏精度の高さからチェリだとは思うのだが。フルニエはここではふるっていて、演奏はよくこなれフランス風の軽さをある程度感じさせはするが「音楽」を聴かせてくれる。オーソドックスに落ちることなく、地味でもなく、激しい場面で指がごちゃっとなるのもこのライヴでは目立っては一か所くらいしかなく(かといってフルニエが下手なわけではない、「普通に譜面を音にする」だけなら弾ける、「音楽にする」ための犠牲なのだ)全般におすすめできる雰囲気のある演奏なのだ。民族色のない演奏としては一流といってもいい。ただ、聴衆反応は慎ましやかである。ブラヴォもささやかなもの。それがこの曲の難しさでもあるのだろう、結局ロストロ先生のような演奏には敵わないのだ。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

ブダペスト四重奏団(victorola/HMV/グッディーズ)1926/2/2

さすがにキツイ音だが原音を増強し聴かせられるレベルに持っていくにはノイズもそのまま大きくしてしまうしかなくて、これはSPに慣れてる人向けの復刻だ(CD-R)。板を返す繋ぎ目(空白)もなるべく削らずに少し残して、元のままの音をなるべく届けようというのは骨董録音好きなら好感を持つだろう。まあ聴きづらいが機械仕掛けのようにピンピン跳ねるファーストや計算されたようなスピードの維持、あまり甘やかなところを出さず新即物主義的傾向を示すのはのちの同名団体の傾向に繋がってゆく感じではある。しかしそれよりはよほど「音楽」志向で、力強くカンタービレを感じさせる緩徐楽章など耳に嬉しい。アメリカはドヴォルザークの室内楽でもむしろ特異な、簡潔で異国的な作品ではあるが、きほん旋律音楽、リズム音楽であり、その二点だけをキビキビやっていけばこのような溌剌とした音楽が出来上がる、というものでもあるか。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

マルコ指揮デンマーク国営放送管弦楽団(danacord他)CD

古いSP録音だがデンマークでの記録としては著名なものである。マルコはショスタコーヴィチの1番初演でもわかる通りロシアの指揮者としては古い世代に属し、教師としての名のほうが著名だったせいか演奏のほうも「教師的」でオーソドックスなきらいはあるものの、この演奏のように「必要十分な迫力」をしっかり描き出した佳演もある。3楽章中間部の舞踏リズムなど、客観性の勝りがちなニコライ・マルコにしてはよく煽っている。海外活動ではデンマークとイギリスでのセッション録音のみよく知られ、その多く(はない)がLP以前のノイジーなものなので、灰汁の強くないスタイルなだけに「大人な」本質の伝わりづらいところからだろう、この盤も発売直後より中古CD二枚組で500円レベルを維持しているし、Amazonデジタル配信では最安値ランク、300円ほどである。ただ、ロシア指揮者の伝統といっていいだろう細部の統制のアバウトさを除けば、あとノイズを除けばけして悪い演奏ではなく、個人的には楽しめた。ライヴに突然凄い演奏のある(稀)指揮者なだけに、侮れないところである。4楽章も変な改変なく満足して聴き終われる。悪くはないのだ。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ロストロポーヴィチ(Vc)ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(URC)1970年代live

恐らく既出盤と同じだがエアチェックもので音が悪く逆に確証がとれない。ロストロポーヴィチも粗いような感じがするが、全般にはオーソドックスに盛り上がり、すんなり聴き通せる。この人のドヴォコンに悪いものはない。だがライヴを含めると無数に存在し、解釈表現の即興性は無いのでオケ次第録音次第というところで、録音面で落第。

ドヴォルザーク:交響曲第8番

コシュラー指揮プラハ交響楽団(OCCD)1967/2/13live・CD

左右の分離の激しいステレオ録音で荒いが、厳しく斬り込むような重い発音で正攻法で叩きつけてくる8番(もう「イギリス」とは呼ばれないのだろうか、どこから聞いてもチェコしかない)、少しドイツ的野暮ったさは感じるし緩徐部にロマンティックな「しなやかさ」が足りないものの、お国ものとしてライヴであれば満足できるコンサートだったろう。ドヴォルザーク後期は曇り無い国民楽派の明るさで、何ら怪訝な気持ちを感じさせず、ひたすら楽しみの中に浸らせる。この曲はとりわけ明るいが、空疎さを感じさせないためにはこういった「強気の音楽」に仕立てるしかない。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団(fkm)1970年代live

既出と同じか。流れ良さとドラマでグイグイ聴かせてゆく。ドヴォルザークの最もブラームス的な交響曲として民族性をことさら煽ることはなく抽象度は高い。新世界のような曲に臭みを感じる向きは(3楽章の舞曲を除けば)聴きやすく感じる曲で、それに加え熱気も孕んだ演奏として実演の聴衆同様大喝采を浴びせたくなるだろう。ただ、弦楽器は決して統制が行き届いているわけではなく、難度の問題もあるがバラけたりライヴなりの精度になってしまっているところもある。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮パリ管弦楽団(ERATO/EMI/warner,icon)CD

後年よりかなり慎ましやかではあるが主として内声に独特の解釈が施され、音符の長さが長めに取られたり、響きが妙に雑(これはオケの力量の問題か)、さらさらしているかと思えば急激なリタルダンドをかけたり(四楽章ではポリリズム化寸前のテンポ感の極端にずれた場面がある)、表面上音色が変わらないのでわかりにくいがしっかりアゴーギグをつけている等、シルヴェストリには敵わないものの個性は感じ取れる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

ストランスキー指揮NYP(columbia/sony)1917/1/22・CD

SP(市販初出)をNYP175周年記念ボックスでCD化したもので最古の記録の一つになる(同ボックスは残念ながらほとんどがLP,CDの復刻であるが最古期のものに数トラック程度聴きものがある(トスカニーニの運命ライヴと近年のコステラネッツの秘曲のみが市販レコード化されていない完全初出、メンゲルベルク最古のさまよえるオランダ人は訂正が入り市販SP化していたことが判明))。今までのディスコグラフィ上では同年10月の録音をNYP最初のものとしているが本復刻は2017/3であり、データ不備の可能性もあるが、こちらのほうが古いとみなせる(この時代の録音日は正確な記録がない場合もあるのでNYPの全面協力のもと復刻した今回版元の最新データを信用すべきだろう)。世界初演オケとして最古の記録というのもいかに同曲がアメリカに歓迎されていたかがわかる。NYS合併前のNYPとして後年のオケとは同等とはみなせず、今のイメージと違い凡庸な面もある。休符を詰め、テンポ感がやや性急で前に行くのはアコースティック録音の制約だろう。それにしてはよく音が拾えている。音色はよくわからない。ノイズは一か所でかいのが入る。マーラーの直接後任の貴重な録音として好きものは聞いてもよいか。転調前に終わる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

シルヴェストリ指揮ORTF(ina他)1959/3/12live・CD

最初からオケのコントロールがユルユルで(特に管楽器の)ミスやとちりを挙げだしたらきりがなく、また「恣意的解釈」我田引水っぷりが耳に余るというのは久々の感覚。後半楽章はどんどんテンポが前に流れていって、四楽章ただ弦楽器のテンションだけで突っ走っていくさまはミュンシュなどの速くても一定のテンポが保たれた演奏とはまた違い、ほんとに走っているだけ。独特の空疎な響きを伴い、奇妙なバランスだ。こういったところでライヴ感には溢れまくりで、ライヴ盤の楽しみとはこういうところにあったんだ、そういえば、と思い出した。オケが別の、東欧あたりの中音域が充実したところであれば完成度は上がっていたであろう。こんな演奏なのに客席はまあまあの反応、ステレオだが少し傷のある録音。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ジャンドロン(Vc)スクロヴァチェフスキ指揮ORTF(ina配信)1969/2/12live

二楽章でジャンドロンの美しいフレージングを堪能できる。詠嘆の表現、柔らかい弓の返し、繊細な松葉の付け方、とにかく音が美しく、歌い回しにも清潔な艶がある。少し高めに音程を取っているのが意外とハマっていて、「ピアノ的な音程感」に慣れている向きは聴きやすいのではないか。ヴィヴラートもここぞというところでの縮緬っぷりに震える。ただ、技術的な問題も否めない。左手指の不安定さは、早めのテンポで情緒的に展開されていく解釈には時折馴染まない。はっきり言えば三楽章がコケまくりなのだ。ブラヴォが飛ぶも、ブーイングも聞こえるのは仕方ないだろう。しかしこういった生演奏の記録ではこの程度の雑味は些細なこととして、全体としてみればロストロポーヴィチの音を細くして女性的な優美さを加え、またカザルスのように意志的な演奏として評価はできると思う。オケは同曲に適した表現をとっている。あけっぴろげなブラスの発音ぶりなど、破音寸前の感じ、東欧の香りがする。もっとも、フランス国立はそれに応える単純なパワーは無いので、あくまでバックオケという位置からははみ出してこない。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ジャンドロン(Vc)マルティノン指揮ORTF(ina配信)1969/10/5放送

ジャンドロンの美音を聴かせる演奏。ジャンドロンの艶やかな音を念頭に遅いテンポで設計されているためその魅力を十分に味わうことが出来るが、解釈に関してはこれがまったくマルティノンが支配していて、客観的に整えられた感が否めない。普通のドヴォコンである。普通と言っても普通に盛り上げていくロマン派のドヴォコンではなく、普通に譜面を音にしただけの、ちっとも起伏の無い、平常時のマルティノンらしい演奏である(3楽章ではわずかに盛り上げようという意識が音量に現れる)。客観主義という言葉を久々に使わせてもらう。ほとんど同時期にスクロヴァチェフスキーとやったORTFライヴと比べると余りの違いに驚く。スピードの差もそうだが、スクロヴァは「ロマン派的に」起伏を作り、ジャンドロンも普通にドヴォコンできるのが楽しいのか、のっている。もっとも、スクロヴァだとジャンドロンの音色の魅力は伝わってこないのだ。個性が立ってこない。技巧的な演奏は(ジャンドロンは共にやや危なっかしいところもあるが指が柔らかいのだろう)その「動き」のために「響き」を犠牲にする。音色を楽しむだけの音響志向というか音色にこだわるのがマルティノンなのだろう。一般的には薦められない、ドヴォコンらしくない、スワロフスキー伴奏のような演奏である。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

◯マイナルディ(Vc)ローター指揮ベルリン放送交響楽団(meloclassic)1949/10/11放送用スタジオ録音・CD

これはもうローターが素晴らしいのだな、先ず。チェロに寄り添うだけのオケではない、交響曲をやるようにそれだけで実に音楽的で、しっかりした、オケも実力の上限まで出し切っている。マイナルディの、技術的には大チェリストには負けるかもしれないが、ロストロポーヴィチより線は細いかもしれないが、解釈を尽くした表現には目を見張る。一、二楽章はそれに尽きる。三楽章はテンポを落としドイツ的な構築性が目立ってくるが、あの旋律が現れる場面では背筋がゾッとするくらい、この音楽にはこれしかないと、そう考えを直させるほどの衝撃を与えられた。巨視的設計も素晴らしいのである。オケとの絡み合いも、オケ側がよく理解して、いや、オケとソリストが双方から融合し、このブラームスのように甘美で厚みのある音楽を、高潔な響きを抱いて推し進めていく。土俗の香りはまるでしないが、音域的なものを除けばドイツ臭さもなく(マイナルディのヴィオラ的な音色によるところも大きい)、近視眼的なものも含め、この曲としてはロマンティック極まるもので、フィナーレの壮麗さといったらない。突き進んで勢い良く弓を挙げるだけが協奏曲のフィナーレではない。同曲はオケが〆る。これは紛れもなく協奏曲だが、同時に、交響曲である。拍手を送りたい。技巧や安定感が全てと思っている向きはロストロポーヴィチを取ってください。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

◎マキュラ(Vc)ローター指揮ベルリン交響楽団(opera/richthofen)1958

名演。冒頭から掴まれた。このソリストの全てにおける安定感、オケの高潔で見事な出来栄え、すべてが調和し、確信に満ちた奇跡的なステレオ録音だ。ドイツ臭さもロシア臭さもない、万人に勧められる。良好な状態の原盤であろうが板起こしでパチパチが入るのはいかにも惜しい。解釈は三楽章前半までサラサラあっさりめだが、表情付けはけして譜面をなぞるだけではなく、音量、音色の変化によってテンポ変化に頼らない表現をなしている(テンポ感自体は素晴らしく良くリズムが切れている)。音が太いだけで押し切るのもいいが、細い音は細い音なりの繊細な魅力がある。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮シュツットガルト放送交響楽団(WEITBLICK)1996/10/14-28live・CD

弦楽器を中心とした迫力はこのオケ本来のものだが、トゥッティのちょっとしまらないボワッとした響きはホール残響など録音環境面の問題も大きいだろう。どう切り貼りした記録かわからないが、演奏精度的に単に楽章単位にやっていると思われるのでそこの問題は無い。演奏解釈的にはエキセントリックな部分含めやはりドイツ系ではなく、シルヴェストリなどのそれを思わせる。木管楽器の響きが良い。二楽章も良いが三楽章中間部のノリはなかなか愉しい。環境ノイズ含めいささか雑味はあるがライヴだから、アタッカで四楽章に突入するときの勢い、前のめりで高速インテンポ即物主義的で特徴的だ。流れてしまっているだけかもしれないが第二主題で落ち着く。そこからのヴァイオリンの熱情は冒頭の乱暴な勢いを何とか明確なテンポにはめてグズグズにならず済んでいる。細かい装飾音や内声の動きが明晰に聴こえるのはプレートルの芸風以上に録音の良さによるか。弦楽器ばかり前面に立つのではなく弦楽器を包み込むような管楽器のスケールの大きな表現がこの演奏全体のスケールをも大きなものにさせている。途中低弦から提示される主題は感情を煽る憧れに満ちたボウイングが素晴らしく、そこからのホルンは危ういものの破壊的な主題回想からマーラー的な静謐、そして破天荒なクライマックスに至る。肯定的な解決をみる和声、キレの良いリズムで完結。これはもうライヴだからこその振幅で、いまどきの同曲の演奏には珍しいようにも感じた。保守的な聴衆なのか、拍手は普通。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1954・CD

だいぶ音質の良いほうである。解像度もあり、ターリッヒの勢い良くも丁寧な彫刻ぶりが味わえる。二楽章の注意深い音楽はターリッヒを特徴づけるものとして聴いておいて損はない。どちらかといえばロシアオケに近い不格好さ(ブラス全般が強すぎてホルンの音程が安定しない部分がある、木管も楽器によって表現の巧拙が如実に出てしまっているなど)と強い合奏力を兼ね備えたチェコフィルの特性を活かすとともに、中欧に比肩しうる技術の充実をはかり、演奏には客観的な視点も持ち込んでフォルムの明確さ、解釈浸透の確度を上げるとともに、ミュンシュ的な色気というか、適度な華々しさも感じられる。四楽章はスピード面で冒険は無いが確かな合奏力に裏付けされたディジタルな変化、チェコフィルならではの民族的な香りのするリズム感、派手なブラスや弦楽器のひびきの反面、メカニカルな楽曲構造も良くわかる磨かれた演奏で、録音状態が比較的良いのは救いだ。緩徐部でのテヌート表現の味わい、繊細さは、周到な二楽章とともにこの指揮者が勢い任せの人ではないことを証明している。そこからのコントラストでラストのスケール感と派手さが際立っている。新世界を世俗音楽のイメージから一歩引かせた良演。

ドヴォルザーク:交響曲第8番

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1951・CD

これが黄金期チェコフィルを率いたターリッヒでも最良の録音の一つというのが何とも寂しい。モノラルで中音域が弱く、ドヴォルザークといえばターリッヒ、とムラヴィンスキーも躊躇した名匠の真実を伝えるにはこれでも不足と思うし、私自身も何しろ聴く対象が限られているものだから、真実はどうだったのか、実はそんなでもなかったのでは、と言われて返す言葉は無い(あけっぴろげにぶっ放すブラス、味は余り無いが堅実に技巧を発揮する木管、高潔で引き締まった分厚い弦楽器、それらを一手に厳しく操るといったオケとその着実なコントロールぶりくらいは伝えられる)。正直ドヴォルザークのシンフォニーを、ステレオで一枚でも残せていたら忘れられることは無かったであろう。チェコのローカル指揮者というマニア向けの扱いにもならなかったはずである。録音嫌いと言いながら膨大な放送録音や映像を残す結果になったチェリビダッケは、活動中ですらレコードマニアに盛大に持ち上げられていたが、時代が違うし立場も活躍範囲も違うが、後代の人は録音しか聴けないのだから、こういう指揮者の演奏は誰かが隠れてでも残しておかないとならないし、わずかながら「大地の歌」断片など出てはいるので、スプラフォン頑張れ。この記録は楽章毎の性格が明確に描き分けられ、ムラヴィンスキー的なイメージとは違いおおむね客観的に整えられている。とくに四楽章は案外前へ向いていかないが、そのぶんドイツ的な形式感を重んじた質の良さも出てくる(オケはドイツよりロシアに近い響きなので聞き心地は違う)。三楽章の舞曲表現もローカルな色を感じさせないが、絶妙なリズム感で浮き立つようなワルツを十分に堪能させてくれる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(Victor)1927/10/5・SP

webで聴ける(パブリックドメイン)。初期電気録音とくらべこちらはほぼフルオケの一応通常配置で収録したと思われ、レンジも比較的広く、空間を感じさせる。艷やかな音、その綾、フィラデルフィア管弦楽団の本領がやっと掴めた感じである(なぜか木管には棒吹きでデッドな音を出す人もいる)。しかし当時の録音技術の限界だろう全体の響きが茫洋としてしまい細かなノイズがのってしまう点、ヘッドホンで聴くと却って聴きづらくなってしまった感もあるが、そこはヘッドホンを使わなければよい。細かいアーティキュレーションがデジタルではなくアナログな自然な流れのうえでスムースに聴き取れる。横の流れが大事にされて、前回のストコフスキの、シェルヒェンのような人工的な、ブロックを積み上げるようなところが鞣されて、通常ではこちらを本当のストコフスキーの解釈表現として受け止めるべきだろう。トスカニーニ的な力強い解釈は時代性か、それでも細かな表情付け、さらにはその中にストコフスキーらしい(奇妙な改変も含め)個性が耳を惹く。やはり四楽章に恣意性が強いが前回録音ほど極端なところはほとんどなく、違和感がない。なかなか、これでやっと「普遍性をもった新世界」になった、という録音だ。オケの迫力は言わずもがな。当時としては新しいデロデロしたところの少ないモダンで技術の洗練された感じである。瑕疵もない。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1925/5/15・SP

ストコフスキーの新世界78回転盤はwebで三種ほど聴くことができる。これは最初期のもの。意外と固い演奏に聴こえる。部分的に時代がかったテンポルバートがかかるがストコフスキーにしては少なく(それでも四楽章になると極端な表情付けの面白みが出て来る)、そもそも当時の演奏様式的にはおかしくはない気もする。この固さ、おそらく録音を意識していることは間違いない。当時の採録技術にあわせた計算ずくのものであり、ここまでくっきり曲が「露わに」聴こえるというのは、そういう演奏解釈である前に、記録として残す目的で残したい音を強調し、残したいアーティキュレーションを強調し、弦など人数を絞っているのに他の楽器にひけをとらなく聴こえるのはまさに、電気録音最初期(ほんの数ヶ月前導入!)のマイク前の配置方法や楽器など工夫の結果だろう。生々しく奏者が目の前に密集しているような、むしろ機械式録音のような音になっている(ただ「圧」は全く違う、また二年後の録音は通常のオケで録音したようで却って音が遠く拡散してしまいノイジーに聴こえる)。もちろん演奏技術的なメリットもあり、記録されやすい音を出す奏者や奏法を選んでいるだろう。ストコフスキーは「録音芸術」の先駆者の一人だ。固い固いとはいえ聴衆に対する「効果」を第一に考えているからこそ、この時代の録音では「整える」意識が強くならざるをえなかったのだ。アメリカということで同曲は好んで演奏されてきたわけで、今の耳からすると大袈裟にすぎる「操作」は人工的であってもどことなくこなれてしっくりくるところもある。ドヴォルザーク自身が機械的なスコアリングをするので、デジタルな操作がしやすくできていることもあるか。四楽章を除けば、のちのちのストコフスキ録音よりまともに聴ける人もいるのではないか。もっとも、ニュアンスや音色などまったく聴き取れないので、そこが無い状態でよくここまで聴かせる音楽にした、と思うところもあり、それらの要素が録音可能となった結果、耳障りな演奏に聴こえるようになっただけで、演奏の本質は変わっていない。と誰かが言っていそうだ。

ドヴォルザーク:スケルツォ・カプリチオーソ

カイルベルト指揮プラハ・ドイツ・フィル(meloclassic)1945/1/8放送セッション録音(プラハ)・CD

派手な中プロ向きの中編だが録音がモノラルでそれほどよくないせいもあって、音楽的に抽象化されたしっかりした音楽に聴こえる。カイルベルトの芸風もあるのだろう。意外と組み合わせやすく耳なじみも聴き映えもするだけあって新しい録音も多いのだが、それにくらべ地味ではあるもののモーツァルトと同時に録音されているせいもあってか古典音楽のようで、印象は真面目だ。スケルツォ風でも狂詩曲的でもないが、私はしっかり聴けた。
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