ドヴォルザーク:交響曲第7番

ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団(fkm)1970年代live

既出と同じか。流れ良さとドラマでグイグイ聴かせてゆく。ドヴォルザークの最もブラームス的な交響曲として民族性をことさら煽ることはなく抽象度は高い。新世界のような曲に臭みを感じる向きは(3楽章の舞曲を除けば)聴きやすく感じる曲で、それに加え熱気も孕んだ演奏として実演の聴衆同様大喝采を浴びせたくなるだろう。ただ、弦楽器は決して統制が行き届いているわけではなく、難度の問題もあるがバラけたりライヴなりの精度になってしまっているところもある。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮パリ管弦楽団(ERATO/EMI/warner,icon)CD

後年よりかなり慎ましやかではあるが主として内声に独特の解釈が施され、音符の長さが長めに取られたり、響きが妙に雑(これはオケの力量の問題か)、さらさらしているかと思えば急激なリタルダンドをかけたり(四楽章ではポリリズム化寸前のテンポ感の極端にずれた場面がある)、表面上音色が変わらないのでわかりにくいがしっかりアゴーギグをつけている等、シルヴェストリには敵わないものの個性は感じ取れる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

ストランスキー指揮NYP(columbia/sony)1917/1/22・CD

SP(市販初出)をNYP175周年記念ボックスでCD化したもので最古の記録の一つになる(同ボックスは残念ながらほとんどがLP,CDの復刻であるが最古期のものに数トラック程度聴きものがある(トスカニーニの運命ライヴと近年のコステラネッツの秘曲のみが市販レコード化されていない完全初出、メンゲルベルク最古のさまよえるオランダ人は訂正が入り市販SP化していたことが判明))。今までのディスコグラフィ上では同年10月の録音をNYP最初のものとしているが本復刻は2017/3であり、データ不備の可能性もあるが、こちらのほうが古いとみなせる(この時代の録音日は正確な記録がない場合もあるのでNYPの全面協力のもと復刻した今回版元の最新データを信用すべきだろう)。世界初演オケとして最古の記録というのもいかに同曲がアメリカに歓迎されていたかがわかる。NYS合併前のNYPとして後年のオケとは同等とはみなせず、今のイメージと違い凡庸な面もある。休符を詰め、テンポ感がやや性急で前に行くのはアコースティック録音の制約だろう。それにしてはよく音が拾えている。音色はよくわからない。ノイズは一か所でかいのが入る。マーラーの直接後任の貴重な録音として好きものは聞いてもよいか。転調前に終わる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

シルヴェストリ指揮ORTF(ina他)1959/3/12live・CD

最初からオケのコントロールがユルユルで(特に管楽器の)ミスやとちりを挙げだしたらきりがなく、また「恣意的解釈」我田引水っぷりが耳に余るというのは久々の感覚。後半楽章はどんどんテンポが前に流れていって、四楽章ただ弦楽器のテンションだけで突っ走っていくさまはミュンシュなどの速くても一定のテンポが保たれた演奏とはまた違い、ほんとに走っているだけ。独特の空疎な響きを伴い、奇妙なバランスだ。こういったところでライヴ感には溢れまくりで、ライヴ盤の楽しみとはこういうところにあったんだ、そういえば、と思い出した。オケが別の、東欧あたりの中音域が充実したところであれば完成度は上がっていたであろう。こんな演奏なのに客席はまあまあの反応、ステレオだが少し傷のある録音。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ジャンドロン(Vc)スクロヴァチェフスキ指揮ORTF(ina配信)1969/2/12live

二楽章でジャンドロンの美しいフレージングを堪能できる。詠嘆の表現、柔らかい弓の返し、繊細な松葉の付け方、とにかく音が美しく、歌い回しにも清潔な艶がある。少し高めに音程を取っているのが意外とハマっていて、「ピアノ的な音程感」に慣れている向きは聴きやすいのではないか。ヴィヴラートもここぞというところでの縮緬っぷりに震える。ただ、技術的な問題も否めない。左手指の不安定さは、早めのテンポで情緒的に展開されていく解釈には時折馴染まない。はっきり言えば三楽章がコケまくりなのだ。ブラヴォが飛ぶも、ブーイングも聞こえるのは仕方ないだろう。しかしこういった生演奏の記録ではこの程度の雑味は些細なこととして、全体としてみればロストロポーヴィチの音を細くして女性的な優美さを加え、またカザルスのように意志的な演奏として評価はできると思う。オケは同曲に適した表現をとっている。あけっぴろげなブラスの発音ぶりなど、破音寸前の感じ、東欧の香りがする。もっとも、フランス国立はそれに応える単純なパワーは無いので、あくまでバックオケという位置からははみ出してこない。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ジャンドロン(Vc)マルティノン指揮ORTF(ina配信)1969/10/5放送

ジャンドロンの美音を聴かせる演奏。ジャンドロンの艶やかな音を念頭に遅いテンポで設計されているためその魅力を十分に味わうことが出来るが、解釈に関してはこれがまったくマルティノンが支配していて、客観的に整えられた感が否めない。普通のドヴォコンである。普通と言っても普通に盛り上げていくロマン派のドヴォコンではなく、普通に譜面を音にしただけの、ちっとも起伏の無い、平常時のマルティノンらしい演奏である(3楽章ではわずかに盛り上げようという意識が音量に現れる)。客観主義という言葉を久々に使わせてもらう。ほとんど同時期にスクロヴァチェフスキーとやったORTFライヴと比べると余りの違いに驚く。スピードの差もそうだが、スクロヴァは「ロマン派的に」起伏を作り、ジャンドロンも普通にドヴォコンできるのが楽しいのか、のっている。もっとも、スクロヴァだとジャンドロンの音色の魅力は伝わってこないのだ。個性が立ってこない。技巧的な演奏は(ジャンドロンは共にやや危なっかしいところもあるが指が柔らかいのだろう)その「動き」のために「響き」を犠牲にする。音色を楽しむだけの音響志向というか音色にこだわるのがマルティノンなのだろう。一般的には薦められない、ドヴォコンらしくない、スワロフスキー伴奏のような演奏である。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

◯マイナルディ(Vc)ローター指揮ベルリン放送交響楽団(meloclassic)1949/10/11放送用スタジオ録音・CD

これはもうローターが素晴らしいのだな、先ず。チェロに寄り添うだけのオケではない、交響曲をやるようにそれだけで実に音楽的で、しっかりした、オケも実力の上限まで出し切っている。マイナルディの、技術的には大チェリストには負けるかもしれないが、ロストロポーヴィチより線は細いかもしれないが、解釈を尽くした表現には目を見張る。一、二楽章はそれに尽きる。三楽章はテンポを落としドイツ的な構築性が目立ってくるが、あの旋律が現れる場面では背筋がゾッとするくらい、この音楽にはこれしかないと、そう考えを直させるほどの衝撃を与えられた。巨視的設計も素晴らしいのである。オケとの絡み合いも、オケ側がよく理解して、いや、オケとソリストが双方から融合し、このブラームスのように甘美で厚みのある音楽を、高潔な響きを抱いて推し進めていく。土俗の香りはまるでしないが、音域的なものを除けばドイツ臭さもなく(マイナルディのヴィオラ的な音色によるところも大きい)、近視眼的なものも含め、この曲としてはロマンティック極まるもので、フィナーレの壮麗さといったらない。突き進んで勢い良く弓を挙げるだけが協奏曲のフィナーレではない。同曲はオケが〆る。これは紛れもなく協奏曲だが、同時に、交響曲である。拍手を送りたい。技巧や安定感が全てと思っている向きはロストロポーヴィチを取ってください。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

◎マキュラ(Vc)ローター指揮ベルリン交響楽団(opera/richthofen)1958

名演。冒頭から掴まれた。このソリストの全てにおける安定感、オケの高潔で見事な出来栄え、すべてが調和し、確信に満ちた奇跡的なステレオ録音だ。ドイツ臭さもロシア臭さもない、万人に勧められる。良好な状態の原盤であろうが板起こしでパチパチが入るのはいかにも惜しい。解釈は三楽章前半までサラサラあっさりめだが、表情付けはけして譜面をなぞるだけではなく、音量、音色の変化によってテンポ変化に頼らない表現をなしている(テンポ感自体は素晴らしく良くリズムが切れている)。音が太いだけで押し切るのもいいが、細い音は細い音なりの繊細な魅力がある。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮シュツットガルト放送交響楽団(WEITBLICK)1996/10/14-28live・CD

弦楽器を中心とした迫力はこのオケ本来のものだが、トゥッティのちょっとしまらないボワッとした響きはホール残響など録音環境面の問題も大きいだろう。どう切り貼りした記録かわからないが、演奏精度的に単に楽章単位にやっていると思われるのでそこの問題は無い。演奏解釈的にはエキセントリックな部分含めやはりドイツ系ではなく、シルヴェストリなどのそれを思わせる。木管楽器の響きが良い。二楽章も良いが三楽章中間部のノリはなかなか愉しい。環境ノイズ含めいささか雑味はあるがライヴだから、アタッカで四楽章に突入するときの勢い、前のめりで高速インテンポ即物主義的で特徴的だ。流れてしまっているだけかもしれないが第二主題で落ち着く。そこからのヴァイオリンの熱情は冒頭の乱暴な勢いを何とか明確なテンポにはめてグズグズにならず済んでいる。細かい装飾音や内声の動きが明晰に聴こえるのはプレートルの芸風以上に録音の良さによるか。弦楽器ばかり前面に立つのではなく弦楽器を包み込むような管楽器のスケールの大きな表現がこの演奏全体のスケールをも大きなものにさせている。途中低弦から提示される主題は感情を煽る憧れに満ちたボウイングが素晴らしく、そこからのホルンは危ういものの破壊的な主題回想からマーラー的な静謐、そして破天荒なクライマックスに至る。肯定的な解決をみる和声、キレの良いリズムで完結。これはもうライヴだからこその振幅で、いまどきの同曲の演奏には珍しいようにも感じた。保守的な聴衆なのか、拍手は普通。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1954・CD

だいぶ音質の良いほうである。解像度もあり、ターリッヒの勢い良くも丁寧な彫刻ぶりが味わえる。二楽章の注意深い音楽はターリッヒを特徴づけるものとして聴いておいて損はない。どちらかといえばロシアオケに近い不格好さ(ブラス全般が強すぎてホルンの音程が安定しない部分がある、木管も楽器によって表現の巧拙が如実に出てしまっているなど)と強い合奏力を兼ね備えたチェコフィルの特性を活かすとともに、中欧に比肩しうる技術の充実をはかり、演奏には客観的な視点も持ち込んでフォルムの明確さ、解釈浸透の確度を上げるとともに、ミュンシュ的な色気というか、適度な華々しさも感じられる。四楽章はスピード面で冒険は無いが確かな合奏力に裏付けされたディジタルな変化、チェコフィルならではの民族的な香りのするリズム感、派手なブラスや弦楽器のひびきの反面、メカニカルな楽曲構造も良くわかる磨かれた演奏で、録音状態が比較的良いのは救いだ。緩徐部でのテヌート表現の味わい、繊細さは、周到な二楽章とともにこの指揮者が勢い任せの人ではないことを証明している。そこからのコントラストでラストのスケール感と派手さが際立っている。新世界を世俗音楽のイメージから一歩引かせた良演。

ドヴォルザーク:交響曲第8番

ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1951・CD

これが黄金期チェコフィルを率いたターリッヒでも最良の録音の一つというのが何とも寂しい。モノラルで中音域が弱く、ドヴォルザークといえばターリッヒ、とムラヴィンスキーも躊躇した名匠の真実を伝えるにはこれでも不足と思うし、私自身も何しろ聴く対象が限られているものだから、真実はどうだったのか、実はそんなでもなかったのでは、と言われて返す言葉は無い(あけっぴろげにぶっ放すブラス、味は余り無いが堅実に技巧を発揮する木管、高潔で引き締まった分厚い弦楽器、それらを一手に厳しく操るといったオケとその着実なコントロールぶりくらいは伝えられる)。正直ドヴォルザークのシンフォニーを、ステレオで一枚でも残せていたら忘れられることは無かったであろう。チェコのローカル指揮者というマニア向けの扱いにもならなかったはずである。録音嫌いと言いながら膨大な放送録音や映像を残す結果になったチェリビダッケは、活動中ですらレコードマニアに盛大に持ち上げられていたが、時代が違うし立場も活躍範囲も違うが、後代の人は録音しか聴けないのだから、こういう指揮者の演奏は誰かが隠れてでも残しておかないとならないし、わずかながら「大地の歌」断片など出てはいるので、スプラフォン頑張れ。この記録は楽章毎の性格が明確に描き分けられ、ムラヴィンスキー的なイメージとは違いおおむね客観的に整えられている。とくに四楽章は案外前へ向いていかないが、そのぶんドイツ的な形式感を重んじた質の良さも出てくる(オケはドイツよりロシアに近い響きなので聞き心地は違う)。三楽章の舞曲表現もローカルな色を感じさせないが、絶妙なリズム感で浮き立つようなワルツを十分に堪能させてくれる。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(Victor)1927/10/5・SP

webで聴ける(パブリックドメイン)。初期電気録音とくらべこちらはほぼフルオケの一応通常配置で収録したと思われ、レンジも比較的広く、空間を感じさせる。艷やかな音、その綾、フィラデルフィア管弦楽団の本領がやっと掴めた感じである(なぜか木管には棒吹きでデッドな音を出す人もいる)。しかし当時の録音技術の限界だろう全体の響きが茫洋としてしまい細かなノイズがのってしまう点、ヘッドホンで聴くと却って聴きづらくなってしまった感もあるが、そこはヘッドホンを使わなければよい。細かいアーティキュレーションがデジタルではなくアナログな自然な流れのうえでスムースに聴き取れる。横の流れが大事にされて、前回のストコフスキの、シェルヒェンのような人工的な、ブロックを積み上げるようなところが鞣されて、通常ではこちらを本当のストコフスキーの解釈表現として受け止めるべきだろう。トスカニーニ的な力強い解釈は時代性か、それでも細かな表情付け、さらにはその中にストコフスキーらしい(奇妙な改変も含め)個性が耳を惹く。やはり四楽章に恣意性が強いが前回録音ほど極端なところはほとんどなく、違和感がない。なかなか、これでやっと「普遍性をもった新世界」になった、という録音だ。オケの迫力は言わずもがな。当時としては新しいデロデロしたところの少ないモダンで技術の洗練された感じである。瑕疵もない。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1925/5/15・SP

ストコフスキーの新世界78回転盤はwebで三種ほど聴くことができる。これは最初期のもの。意外と固い演奏に聴こえる。部分的に時代がかったテンポルバートがかかるがストコフスキーにしては少なく(それでも四楽章になると極端な表情付けの面白みが出て来る)、そもそも当時の演奏様式的にはおかしくはない気もする。この固さ、おそらく録音を意識していることは間違いない。当時の採録技術にあわせた計算ずくのものであり、ここまでくっきり曲が「露わに」聴こえるというのは、そういう演奏解釈である前に、記録として残す目的で残したい音を強調し、残したいアーティキュレーションを強調し、弦など人数を絞っているのに他の楽器にひけをとらなく聴こえるのはまさに、電気録音最初期(ほんの数ヶ月前導入!)のマイク前の配置方法や楽器など工夫の結果だろう。生々しく奏者が目の前に密集しているような、むしろ機械式録音のような音になっている(ただ「圧」は全く違う、また二年後の録音は通常のオケで録音したようで却って音が遠く拡散してしまいノイジーに聴こえる)。もちろん演奏技術的なメリットもあり、記録されやすい音を出す奏者や奏法を選んでいるだろう。ストコフスキーは「録音芸術」の先駆者の一人だ。固い固いとはいえ聴衆に対する「効果」を第一に考えているからこそ、この時代の録音では「整える」意識が強くならざるをえなかったのだ。アメリカということで同曲は好んで演奏されてきたわけで、今の耳からすると大袈裟にすぎる「操作」は人工的であってもどことなくこなれてしっくりくるところもある。ドヴォルザーク自身が機械的なスコアリングをするので、デジタルな操作がしやすくできていることもあるか。四楽章を除けば、のちのちのストコフスキ録音よりまともに聴ける人もいるのではないか。もっとも、ニュアンスや音色などまったく聴き取れないので、そこが無い状態でよくここまで聴かせる音楽にした、と思うところもあり、それらの要素が録音可能となった結果、耳障りな演奏に聴こえるようになっただけで、演奏の本質は変わっていない。と誰かが言っていそうだ。

ドヴォルザーク:スケルツォ・カプリチオーソ

カイルベルト指揮プラハ・ドイツ・フィル(meloclassic)1945/1/8放送セッション録音(プラハ)・CD

派手な中プロ向きの中編だが録音がモノラルでそれほどよくないせいもあって、音楽的に抽象化されたしっかりした音楽に聴こえる。カイルベルトの芸風もあるのだろう。意外と組み合わせやすく耳なじみも聴き映えもするだけあって新しい録音も多いのだが、それにくらべ地味ではあるもののモーツァルトと同時に録音されているせいもあってか古典音楽のようで、印象は真面目だ。スケルツォ風でも狂詩曲的でもないが、私はしっかり聴けた。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA)1967/10/6live

ノイズを除けばまったく素晴らしい記録だ。セルの十八番であるドヴォルザーク。録音が古くても新しくても必ず耳を惹き付けることができる完成度を持っている。厳しく筋肉質に仕上げられたオケをドライヴして、ドヴォルザークについてはセルのイメージと異なる情熱的な解釈を施し、この曲の白眉である二楽章には実際にはブラームスから離れたドヴォルザーク特有の旋律とひびきの簡潔さに対して的確な肉付けをし、表情付をし、そこにはセルには似つかわしくない、心に残るものがある。激しい楽章はお手の物、ニューヨークフィルかと思うような分厚さと音の重量感に天性のリズム感が宿っている。四楽章ラストでテンポに大ルバートがかかるなど、主情的なところがライヴ感を煽り大喝采につながっている。正規盤化されているのではないか。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

カイルベルト指揮ケルン放送交響楽団(weitblick)1966/4/15・CD

モノラルなら誤魔化されたのかもしれないがステレオだとバレる。オケ弱すぎる。一楽章からバラケて音荒れて腰砕けにされるが、特にブラスがきつい。ホルンの変な音程から始まり(音程を低めにとることについてはオケの特性だろうが不安定で、二楽章の弦楽カルテットもゾッとする)、とちる、縦をズラすなど事故が多い。カイルベルトもステレオで聴いてみるとコンヴィチュニーに比べ中低音域を余り強調しないような気がする。ガッシリしたフォルムが(硬直したテンポ設定やリズム処理には確かにそういう志向は感じられるのだが)音の軽さのせいで中途半端な感がある。これもオケのせいかな、とは三楽章を聴いて思うことだが。救いは低弦の分厚い表現で、重なる場面では正直アマチュア並のヴァイオリンをきっちり支えている(この音色のバラケ具合は往年のケルン放送soならではなんだろうが、今まで正規盤で出なかった理由がわかる)。あと木管は安定しているか。踊らない実直な三楽章から格調ある四楽章。カイルベルト、掛け声発してる?か細いヴァイオリンパートも何とか食いついている。ワグナーを思わせる雄大な表現、テンポルバートなど、もっとボリュームは欲しいが、とりあえずカイルベルトがたまに見せる粘着質のフレージングが聴かれ楽しいところがある。ボリューム不足について触れたが、これは録音のせいだろう、音量変化に乏しいのは難点。少し録音操作してもよかろう気もする。ちょっと独特の音の切り方をしつつ、フィナーレ急に突っ走って終わる。環境雑音が無いので放送録音か。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

コンドラシン指揮モスクワ・フィル(eternities)1967/5/12

拍手無し環境雑音無しゆえ以前書いた音源と同じ放送音源かもしれない。四楽章にホルンの派手な事故が聴かれるので正規のセッション録音ではないだろう。冒頭よりぶっきらぼうな発音でロシアっぽいなあと思ったら弦がビシッと揃いリズムキレキレでガシッとしたアンサンブルが繰り広げられる。中欧ふうの重心の低い響きも安定感があり、じつに板についた演奏ぶりである。後年外へ出て活動したコンドラシンが、やっぱりこのモスクワ・フィルとのコンビにおいてこそ真価を発揮できていたんじゃないか、とすら思える息のあったところが楽しめる。あっという間に聴き終えてしまう一楽章がおすすめだが、三楽章のアンサンブルもコンドラシン向きのガシガシいく音楽で楽しい。録音は良くはない。少し残響を加えたモノラル。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

シルヴェストリ指揮ORTF(EMI/warner)1957/7/9,12(もしくは12/9-11)・CD

シルヴェストリの旧録だがモノラルにも関わらず豪華重量盤LPで新発売されるなど人気がある。ライヴを含め知る限り3つある録音のうち、これだけ古い版を使っているそうで、ホルンの本数など違っているとはいうが、旧版がとりわけ良かったわけではなかろうし、これだけ評価されるのは不思議ではある。

シルヴェストリらしい軋みや灰汁のある演奏で、オケも技術にバラつきがあり木管は巧緻な表現と鄙びた音色の差が極端、ブラスやパーカスはあけっぴろげで強烈だが弦はわりと非力。そういった緩い地盤にアクセントの強くついた発音により力強くがっしりした構造を打ち立てることにより、若干引いて整えた感もあるが、聴かせる演奏に仕上げている。前へ流れたりその場の情で揺れ動く事はないが、二楽章の感傷的な音楽は他の楽章と対照的で心に染みる。四楽章はとくに設計が見事で、松葉のうねりをドラマティックに提示し、ドヴォルザークはこうやるのだ、という意思をオケに叩きつけている。確かに奇矯なところもあるものの、全般としてはこのオケ相手によく「国民楽派っぽさ」を引き出せたものだ、と思う。全てではないがリズム処理が巧いと感じさせるところもある。ムリヤリな崩しを入れたワルツはどうかと思うが。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮ORTF(ina)1960/11/22live

覇気に満ちたメリハリしっかりの演奏で、壮年期プレートルの力強さを実感できる。荒っぽくすらある。ロマンティックな起伏をスムーズに付けるタイプではなく、デジタルに強弱をつけテンポはそれほど揺らさない(アンゲルブレシュトというかシェルヘンのセッション録音のような醒めた解釈)、四楽章冒頭などまったく粘らず前の楽章とギャップがすごい。響きはオケ元来のものもあって明るく拡散的であり、フランス流儀の国民楽派交響曲の演奏の範疇にもある。ただその意気にオケがついていけているかといえば、三楽章は「失敗」であり、崩壊ぶりがドヴォルザークの厳しいリズム表現に慣れない感もあたえる(これはinaがAmazonデジタルミュージックで配信している音源で聴いているが、ラインナップの中にはシルヴェストリの新世界(EMI(warner)旧録1957/7/9,12(or12/9-11)新録1959/10/20,23(過去記事参照)ina他1959/3/12liveの三種)があり、演らなかったわけではない)。フランセ自作自演のピアノ協奏曲などのメインプログラムとして演奏され録音された。終始ナレーションが入り、一回性の放送用と思われ、クリアなステレオだがホワイトノイズが乗り音質はあまり良くない。耳が痛くなるような雑さがある。

EMIが権利を持っていたパリ管との1970年セッション録音は2008年にタワレコが独自企画で1000円CD化した(カップリングはこれも中古レコードで珍重されたワイエンベルクとのラプソディーインブルー(1965年音楽院管表記)…わたしもEP持ってる)。2016年9月現在もタワレコ自体には新品在庫がある模様。一部で人気だったプレートルの国民楽派の演奏を楽しめる。オケの性向からブラスの活躍が目立つ。tower record

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

ロストロポーヴィチ(Vc)ラインスドルフ指揮ボストン交響楽団(SLS)1965/10/23live

モノラル。URCより70年代ライヴというものが出ていたが同一か不明。熱演とか凄演とかいった類のものではない。ただ、ロストロポーヴィチのドヴォコンを色々聴いてきて、ソリストとオケの融和的で、最もバランスの取れた格調高い演奏だと思う。ラインスドルフは知られる通りきわめて職人的である一方、奇妙な改変や解釈によってついていけない指揮者というイメージもあるが、それは作曲家指揮者の特徴でもあろう、曲によってやり方を明確に変えており、しかし一度決めた以上は徹底してそれに沿いオケを整えるのが流儀だ(これが逆に詰まらない結果も産むがライヴだと幾分緩んで却って良い)。ここでは変な解釈は入れていない。中低音域の安定感からくるスケールの大きさ、各声部の凝縮されたさまときっちりしたアンサンブル、それはソリストを迎えた協奏曲においてはとても良い方向に働くように思う。あのロストロポーヴィチですら指揮者に制御されているんじゃないか、という局面もあるが、ドヴォルザークが昔ながらのヴィルトゥオーゾ向け協奏曲というより、ここに来てもブラームスのお鉢を継いだ交響音楽として作り上げた作品だったんじゃないか、というくらいボリューミーで聴き応えがあり、ロンドンでのスヴェトラとの凄絶なライヴと対極の音楽で興味深い。私はどうしても弦楽器中心で聴いてしまうのだが、ここでは管楽器が印象的だった。オーケストラの中での声量バランス、ニュアンスへの配慮が行き届き、例えばバルビローリの管楽器指示がヘタクソ、というのがよくわかる(バルビにドヴォコンは無いが協奏曲伴奏指揮者として名を挙げた人である)。録音は放送エアチェックで、ノイズが酷過ぎるが、SLSではマシな方。キッパリとした終わりに爆発的なフラブラで終わるから、やはり佳演なのだ。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1920/5/21・SP

ポピュラーミュージックとしてSP向けに編曲され録音されたものだろう。それだけのもので、とくに突出したものはなく、かといってこの時代の録音としては、きちんと技術を持った演奏家によるものだということはわかる。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

フルニエ(c)ケルテス指揮スイス祝祭管弦楽団(audite)1967/8/16

ライブ(?)なりに僅かに揺らしが(ミスも)あるが基本はもう、そつない。垢抜けて聴きやすいいつものオーソドックス。棒は少し重いがソリストとは相性よい。オケ音色綺麗、cl好き。コンマス線細い。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(放送)1974live

どうにも荒い演奏なのだが、両端楽章次いで3楽章の猪突猛進ぶりはまったくコンドラシンそのもの。凶悪なテンポに荒れ狂うリズム(乱れてるわけではなく雰囲気的な話)、合奏の迫力があればソロ楽器がちっとも吹けてなくても気にしないのだ。緩急をはっきりつけた演奏ぶりは、ちょっと似ているスタイルのミュンシュともまた違ったもので、後年の演奏よりも個性がはっきり表れている。私は好きです。○。モノラルで篭もり気味。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

○バーンスタイン指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団(DG)1953

何かマーラーぽい新世界である。重量感のある響きで、オケの技術的にもまずまず、バーンスタインの歌い回しは独特の感傷を煽る。早い楽章はスピードとテンションを保ちフォルムが崩れることはない。50年代のイケイケのバンスタといったところか。但し、四楽章の恣意的な操作は是非あるところだろう。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

○レントゲン四重奏団(ES)SP

折り目正しい演奏だが、テンポ感がよく弾むように楽しい。ヴァイオリンの音色が前時代的な不安定さを孕み美しい。キッチリした演奏ゆえ、現代の耳にも十分耐えうる。

ドヴォルザーク:8つのワルツ~Ⅰ、Ⅳ.(弦楽四重奏編曲)

○シェフチク・ルホツキー四重奏団(CHR)1929・CD

チェコの伝説的な四重奏団によるSP録音だが、1番はいきなりポルタメントを極度にかけたメロメロのメロディで度肝を抜く。しかし元々それほど耽溺する団体でもなく、この主題以外では普通にやっている。4番は曲が余りアピールしない。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

◯シェフチク・ルホツキー四重奏団(RCD)1929・CD

チェコの伝説的団体だが、おしなべて速く緊密である、というところはともかく、冒頭よりノンヴィヴ、その後スルポンティチェルロやポルタメントや特殊奏法が目立ち、これがそもそもの東欧のやり方か!と思った。とくにノンヴィヴは至る所で使われ、ヘタに聞こえてしまうところもある。CDは補正がかかりすぎて音色までわからないが、前時代的な艶っぽいものなのかもしれない。◯。この団体は細かい曲をも録音していて一部はこのCDに入っているが全部聴いてみたい。

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

◯ネルソヴァ(Vc)クリップス指揮LSO(decca)CD

けしてバリバリの技巧派ではないのだが、ヴァイオリン協奏曲を聴いているような一種明るさや軽やかさを感じて聞き心地は悪くない。オケははっきり言ってこれといった特徴はないのだが技術的には問題ない。◯。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

○シルヴェストリ指揮NHK交響楽団(KING)1964/4/5live・CD

エキセントリックな指揮者の解釈を見事に再現した名演。緩急の差が凄いテンポ(概して早い)、リズム感はそれなりだがとにかく激しい発音、このあたりを押さえてよくぞまあ当時のN響が、という精度でやっている。2楽章みたいに楽器の音色勝負のところが出てくると弱いが、4楽章では迫力の「世俗的解釈」をぶつけてくる。1楽章序奏部のねっとりした遅さにも驚いた。まあ、モノラルでなければこれは◎にしてもおかしくはない、面白い演奏。○。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

○レナー四重奏団(COLUMBIA他)1932・SP

CDになったことがあるが付録のようなものだったと思う。美しいボウイングで纏綿としたところもあるけれども基本は溌剌と、過度の思い入れのような表現はなく直線的につづられる。技巧にかんしては申し分なし、さらにこの曲はファースト偏重で旋律音楽になりがちなところしっかり各パートが噛み合ってアンサンブル能力の高さを示しているところも特記すべきか。○。
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