ピストン:交響曲第7番

オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1961/2/10初演放送live・CD

委属団体による初演記録。目の詰まったピストン円熟の技を聴ける反面、最初の2楽章は晦渋でお世辞にも人好きするとは言えず、焦燥感と暗い気配が充満している。ハープの用法などフランスの香りをすっかりアメリカアカデミズムのものとして取り込み切って、典雅さの無い音響的な新しさに挑んだ感もある。3楽章はピストンらしい律動に回帰して一瞬安心するも、それは激しい打音と変化する動きに支配された非旋律的な協奏音楽である。ダイナミックな構造的書法はオネゲルを拡大したように職人的にかつ、新味も感じられるもので、二度目のピュリッツアー賞に輝いたのも、(あくまでこの時代の流行を鑑みた上で)頷ける。オーマンディはフィラデルフィア管弦楽団の音色という武器を使わず、まるでミュンシュとボストン交響楽団のようにひたすら機能を迫力と突進力に集中させ、ステレオで左右のレンジのやたら広い録音のせいもあろうが、ミュンシュより外へ拡がる響きがスケール感を拡大する。動き回るヴァイオリンが轟音をたてて駆け抜けて打ち倒すような打音連打で終演、大ブラヴォ。ストコフスキーとオーマンディの違いは曲の要請に従って、ここまでの即物的表現を取るかどうかにある。ストコフスキーはどこかに逃げを作り聴かせにかかるがオーマンディは容赦しない。オケはギリギリと締め上げられ、厳しい音楽になる。録音の良いせいで心中湧いた。録音が悪ければ単なるよくある晦渋作品に聴こえた可能性もある。フィラデルフィア管弦楽団自主制作ボックス所収。
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ピストン:ヴァイオリン協奏曲第2番

フックス(Vn)バーンスタイン指揮NYP(SLS)1962/5/18live

オケとソリストのアンサンブル的な楽しさは聴く側の感じる楽しさと必ずしも一致しない。この曲は前者的なかっちりした構造の面白味はあるものの後者的な「単純に旋律楽器としてのヴァイオリンを聴きたい」欲求には答えられないたぐいの、よくある凡作である。魅力的な旋律をつないでいくだけの前時代的協奏曲が良いとは言わないが、ここでは私に魅力的だと感じさせたメロディは約一つしかなかった。3楽章をとおして。名技性を楽しむほどの工夫も私には聴き取れない。フックスも、楽譜をただ音にした感がする。バンスタがいつものように何か付け加えて盛り上げることもない。録音状態はモノラルではあるが情報量はそれなりにありノイズも入らないが、だからといって二度聞いて二度とも同じ感想だった。

ピストン:交響曲第2番

ウッドワース指揮ボストン交響楽団(sls)1944/4/9

恐らくpristine(8日表記)と同じSP起こし。SLSは盤から出る音を全て残す方針ゆえイコライジング必須の凄まじいノイズ。教科書的に素晴らしくかつ退屈な曲だが三楽章は少し新鮮で耳を惹く。

ピストン:交響曲第3番

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(pristine他、後述)


ピストン交響曲第三番、クーセヴィツキー「初録音盤」について: 昨晩調べたのだけど、ネットに公開されているクーセヴィツキーのディスコグラフィーでは、リハは別として(リハ盤は正規のどこに収録されていたんだろう)4月と12月が別のライブ録音とされており(前者はブート、後者は正規)、この12月録音にかいてあった「依頼者クーセヴィツキーは一回しか録音しなかった、初録音盤」というのは疑問。ただ、12月録音についてここには初出の記載がなく、4月と推定していたASdiscが12月だったのかもしれない。ASdiscは「イタリア盤」、裏青の無かった当時のブートなのだが。ちなみに4月とされているものは裏青で出ていた。ディスコグラフィーどおりである。 よって好きでもない曲でもあるけれど、バルトークのオケコン新リマスター音源もついてるし、ノイズは残るが音はイケてる、との謳い文句を信じて購入。すぐ払えばmp3なら700円。 たしかに音は聴ける。こういう余り有名ではない、よって名曲とは言えない曲は悪い録音だと粗ばかり目立って聴こえるものだが、まあ、悪くはない曲ですといった印象。 この曲はクーセヴィツキーの奥さんの追悼の意味もあるが、四楽章は第二次世界大戦の戦勝記念と受け取られクーセヴィツキーにより一年に渡り再演され続けた。ピストンには四楽章がいきなり快活な祝祭的音楽になる交響曲がいくつか見られる。

ピストン:交響曲第6番

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(sls:CD-R)初演live

なかなか良い感じ。

SLSにしてはノイズレスでクリアでもとの録音自体が良好な状態なのでしょう。揺れはするけど一部ステレオ?このくらいの音で聴くと静かな部分のハーモニーの美しさ、楽器の取り合わせの妙がわかってくる。ミュンシュは元々ラヴェル指揮者だったんだよね。もちろんリズミカルで激しい部分はキレキレです。四楽章は後年に較べると伸びが無く、落ち着き過ぎているようにも感じます。そのせいかアメリカらしさは希薄に感じられますが、とりあえず名曲だね。

ミュンシュの記録がやたら多いのはボストン交響楽団75周年委属作品だからですが、それだけじゃない作品の出来の良さがあります。現代音楽とは完全に一線をかくした、職人的な娯楽性があります。ミヨーが戦後に交響曲の名を棄てて作っていた「(委属元の)ための音楽」に感性的に近いものを感じたのは気のせいでしょうが。後期ヒンデミットぽい部分があるのは時代性。

ピストン:交響曲第3番

○ハンソン指揮イーストマン・ロチェスター管弦楽団(mercury)

ピストンは晦渋な響きの中からあっけらかんと舞踏が飛び出し娯楽然として終わる交響曲のイメージがあるが、これはまだ娯楽性が足りないというか、一楽章は美麗なのだが、、、四楽章でクレストンかコープランドかといった舞踏がやはり始まるのだが頭でっかちというか、、いやでも聴きやすい曲ではあるが。ハンソンの指揮は要領よい。

ピストン:9つの楽器によるディヴェルティメント

○ストコフスキ指揮現代音楽協会(scc:CD-R)1958/12/3live

弦と木管楽器による合奏協奏曲だが、空疎な和音やリズムにアメリカがあらわれているもののかなりストラヴィンスキーぽく、ピストンにしては晦渋過ぎるような古臭い前衛ふうの場面も現れ、首をひねる。アメリカ代表がこの曲でいいのか?ホヴァネスをやったからいいのか?疲労感すら感じたが、美しい歌も織り混ざるので、相殺して○。

ピストン:交響曲第2番

○ジーン・ディクソン指揮アメリカンレコーディング協会管弦楽団(ARS)LP

(ドゥーガルではなく)ジーン・ディクソンの名前はアメリカの指揮者を好む人のあいだでは有名だろう。同時代音楽の紹介において定評がありヘンリー・カウエルのシンフォニーも録音している。適度に引き締まった、ちょっと乾いた表現が、この曲のように前時代的なロマン性の前面に立つ曲では甘さ控えめ、聞きやすい。1楽章モデラート、序奏の暗さは嫌な予感がするもののすぐに前向きな音楽に転じ、ちょっとロシアロマン派やシベリウス初期を想起する柔らかな、ちょっと無難な交響世界が展開されてゆく。中間楽章も決して陰鬱さを醸さないアダージオで聞きやすい。しかしやっぱりこの作曲家はフィナーレの華やかさだ。アレグロ楽章でのディクソンの表現は水際立ったというものではないがリズムがしゃんとしており弛緩がなく、ピストンのコープランドとはひと味違った地に足の着く愉悦的なダンスを、そのままに表現している。これは聞き物。この盤はけっこうな値段もつくが、アマゾンでも中古が出ているくらいで希少性はなさげなので、機会があればどうぞ。ネットでも(音飛びを厭わなければ)聞ける。○。

ピストン:弦楽四重奏曲第1番

○ドリアン四重奏団(COLUMBIA)1939/9/27・SP

一昔前の中欧の室内楽を踏襲したようなところが気にはなるが、ピストンならではというか、晦渋に没することなく日和ったような楽想を織り交ぜるところは魅力があり、それなりに楽しめる。演奏は達者。3楽章制で短い。○。

ピストン:ヴァイオリン・ソナタ

クラスナー(Vn)作曲家(P)(COLUMBIA)1939/11/24・SP

駄目曲の見本のようなもので、初期コープランドに余計な中域音をどばっと注ぎ込んだような、限られた音だけを使い同じ和声をひたすら繰り返し綴っていくような、じつに暗い世紀末的駄作。ピストンの垢抜けた部分は2楽章に僅かに垣間見えるのみである。ベルクの初演で知られるクラスナーも現代音楽演奏家という枠に縛られているようなところがあり、よくこんな譜面を読むのも嫌になる凡庸な曲をそこそこ聞けるくらいまで持ってきたなあという感じ。譜面自体も難しくなさそうだけど。無印。

ピストン:交響曲第2番

○ウッドワース指揮ボストン交響楽団(プライベート?/PASC)1944/4/8・SP

現代音楽シリーズとして出された無名レーベルのSPらしいが、曲が楽しい。コープランドに中欧的な構造を与えたような充実した保守的作風、リズム押しの多かった時代に対し単純な三拍子を分割し組み合わせを変えて変化をくわえ、ほどよい。何人かモデル作曲家を指摘できるが曲はいい、他より陰りがないのがいいから、快楽派閥にはオススメだな。演奏はさすがのボストンである。○。

ピストン:交響曲第6番

○ミュンシュ指揮ボストン交響曲(altus)1960/5/5来日公演live・CD

定番の演目であり録音もいくつか存在する中でこれが取り立てていい演奏とは言えないが、スタジオ録音を除けばいずれも悪音質のモノラル録音であるのに対しこれはステレオで明快なライヴ録音である点でとても価値がある。改めて「いい音で」聴いてみると意外と腰が軽く拘りのようなものが感じられない。この近代アメリカ交響曲を体言するような、同時代音楽のアマルガムから枠組みだけ取り出して、「アメリカ的な響き」を鳴らしてそつなく進めていく。どこかよそよそしく若干ぎすぎすした感じもするのは国外ツアー公演だからだろう。演奏精度はそれにしてはそこまで高くはないのだけれど。○。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

ピストン:交響曲第4番

○オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(valis,monopole:CD-R/naxos/COLUMBIA)1954/4/15

ミネソタ大学創立100周年記念作で嬉遊的雰囲気に満ち演奏機会も多いほうである。見事といっていい響きとリズムのアカデミックな書法を駆使した作品だがコープランドを思わせる民俗主題も織り交ざり、いや、何より冒頭ミヨー的な牧歌主題(N.ブーランジェの息がかかると皆ミヨー的になるようだ)からしてもう引き込まれる魅力に溢れている。この人のメロディは(当たると)とても素晴らしい。ほとんど曇りなく進む音楽というのもピストンの大曲には珍しいのではないか。演奏も録音も一切の気分の途切れも演奏上瑕疵もなく、こういう指揮者によってこそ魅力の引き出されるスコアを書いていたんだなあ、と思う。naxosはこちら>http://ml.naxos.jp/album/9.80239 状態よりmonopoleは同じ音源と思われる。

ピストン:交響曲第6番~Ⅳ.

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(放送)1956モスクワlive

これは近年一度出たと思うのだが(そのとき記事書いたと思い込んでいた)現在はwebに出回っており聴くことが出来る。アナウンス込みの放送二回分で一回目は米ソ両国歌から始まり、エロイカ3番の1,3,4楽章、二回目はピストン6番終楽章、ダフクロ2組と、私にはよくわからないアンコール一曲(古いぽい)の組み合わせ。同曲全曲ライブは1960年6月のニュージーランド録音が残っているそうだが、音源化は不明。しかしぜひ聴いてみたい魅力に溢れており、この演奏で同曲に一時期ハマったことをお伝えしておきたい。いつものピストンの、ヒンデミット的対位法を駆使した立体的構造は極めて見通しよく、何より旋律の美しさと管楽器の輝かしさに尽きる楽章。もちろんここにいたる楽章は暗いわけだが、でもいいのだ。コープランドよりもアカデミックだが、それは他国にはない「アメリカ・アカデミズム」である。フィフティーズの舞い上がる気分すらある(言いすぎ)。演奏自体、ミュンシュにしては手堅く踏み外さない面は否定できない。スピーチからはリラックスしたムードは感じられるのだが客席反応はどうかという部分もある(いちばん悪かったのはソヴィエト国歌(笑)のときだが)。ただ、ピストンはガウクもやっている曲であり、作風もソヴィエトアカデミズムに似通った部分があるので、受け容れられなかったわけではないだろう。

ピストン:交響曲第3番

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R/ASdisc)1948/4/13live

ナタリ・クーセヴィツキー夫人の思い出に、という献呈もの交響曲で、アカデミズムの権化みたいなピストンの、いつもの交響曲であり、陰鬱な主題のうねる和声に揺らぐさまから、終楽章急に祝祭的リズムという形式。ひときわレクイエムの暗さが、悪い録音もあいまって聴く気をそぐが、クーセヴィツキーの単純だが求心的な棒は音楽を弛緩させず、いちおう聴きとおすことができる。ASdiscで出ていたと思う(バーバー2番とのカップリング)。○。

ピストン:交響曲第6番(1955)

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)アメリカの交響曲に共通する透き通った響きをもった楽曲ではあるけれど、とくに2楽章での多数の高音打楽器の導入や終楽章のフーガにはヒンデミットの影響が感じられ、意外と構造的である。この人の旋律はわかりやすいのかわかりにくいのかわからない独特のクセがあるが、1楽章ではその旋律の魅力?を存分に味わえる。個人的には経過句的に挿入された、弦の最高音の伸ばしをバックに展開されるハープ・ソロの美しい響きに惹かれた。言葉で書くとヒンデミットの「ウェーバー変奏曲」2楽章のような印象を与えるかもしれないが、寧ろバーバーやコープランド的なもっと素直なものを感じる。また、終楽章の主題に見られるようにちょっとストラヴィンスキー的な特殊なリズムの導入も面白い(2楽章のリズムもそうだが)。3楽章がややルーセル的な緩徐楽章でわかりにくいかもしれないが、マーラーと比べたらどっこいどっこい、というレベル。全般、ミヨー的な多様さを含みながらもきっぱりとした形式的な楽曲に仕上がっており、ミュンシュは複雑な場面もしっかり振り抜けて隙のないところを見せている。繊細な打楽器アンサンブルやリズム表現の力強さはばっちりだ。この曲は1955年ボストン交響楽団創立75周年記念の委属作品としてかかれたものである。きちんと4楽章制をとっているが、短く全曲で30分は越えない程度。,

ピストン:交響曲第6番(1955)

○ガウク指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(MELODIYA)珍しい取り合わせだが、このイギリスで言えばアルウィンのような作曲家の作品は、旋律はややふるわないが(というか独特で、私には「歌」に聞こえないものもある)、構造は極めてしっかりしており、なかなかに中身が濃く聞きごたえがある。この演奏で聞くとアメリカ的な要素がそれほど際立ってこないため、却って色眼鏡をかけずに聞ける。4楽章制で古典的な構成だ。新ロマン派と新古典派の中間点のような感じで、2楽章など同時代のタカタカ系作曲家・・・ショスタコーヴィチやブリテン、コープランドら・・・に通じるが、清々しくクセが少ないのが特徴的。溯って1楽章はやや半音階的だがハープとヴァイオリンの清々しいひびきが救いになっている(こういう楽想はアメリカらしい。今で言えばジョン・ウィリアムズの映画音楽か)。3楽章の悲歌はやや常套的な印象があるが終楽章は面白い。半音階的で晦渋な部分もあるけれども響きは美しい(まあ、この時代にしてみれば常套的)。独特の節回しの旋律はいくつもの特徴的な音形に邪魔されつつも派手な音響の中にその存在感を強く示している。全般、優等生的な作品だがガウクあたりがやると力感に満ちて聞ける曲になる、といったところ。○ひとつ。ボストン響75周年記念委属作。,

ピストン:トッカータ(1948)

○カンテルリ指揮NYP(ASdisc)1955/3/13LIVE・CDとても躍動的で面白い。はっきりいってまるきりヒンデミットなのだが、ヒンデミット特有の灰汁のようなものが取り除かれ、かわりにアメリカ的なわかりやすさを注入したような感じ。メロディはやや地味で捉えどころのないものだが、悪くない。○にしておきます。カンテルリのリズム感はあいかわらず冴えている。 ,

ピストン:ニューイングランドの三つのスケッチ

○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1960/2/25LIVE

音による機械工業製品を仕たてるピストンは音響音楽を指向しながらも半端に聴きやすい、からこそ人好きしないアメリカの中庸作曲家の典型。パレーは設計図が透けて見えるような演奏で迫るが、いっそブーレーズくらいのやり方で冷たくアプローチすべきか。○にはしておく。

ピストン:交響曲第2番

ロジンスキ指揮NYP(DA:CD-R)1945/1/21live

後期ロマン派的な重厚な音と半音階的旋律の多用、そこにあきらかにミヨーを思わせる楽天的な書法が織り交ざり、少々分裂症的な印象をあたえるが、全般に無難で、その場では楽しめるが後に残らないかんじはある。コープランドのように世界を確立することもなく中途半端なところで、ロジンスキのいつものテンションももっていきようがないように感じた。楽曲構成的にも無難であり、アメリカン・アカデミズム少壮の意気を示した以上のものは感じない。曲の凡庸さ(好きな人は好きだと思う)とやや短くこじんまりとしてしまった曲であり、ロジンスキはかなり厳しく統制はしているものの演奏にそれが楽曲以上の価値をあたえていないように思った。録音はいつものロジンスキ・ライヴ並。無印。

ピストン:交響曲第6番

◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1960/5live

録音はエアチェックものとしてはほぼ満点である。気になる瞬断はあるものの(気になる人はとても気になるだろう)ステレオ録音でかつ客席雑音も殆どなく、チャネルは時代柄バラけているもののそのために却って拡がりと臨場感をもって聴く事が出来る。録音でマイナスにしようと思ったがやはり凄い、さすがライヴだと感じたのは表現のよりアグレッシブさと端整なほど整理された響きの美しさの融合である。様々な同時代もしくは前時代の作家の影響を受けている作曲家だが、2楽章の緩徐部など2箇所ほど聴かれるハープを主体にした典雅なパッセージは、フランス的な観点からすれば決して個性的ではないがこの楽曲内では鬱なものと躁なものの極端に交錯する中で強い印象をあたえるものになっていて、ミュンシュはさすがはラヴェル指揮者でならした人である、ここの切り替えが鮮やかで非常に美しい。それほど長くない、作曲動機的にもディヴェルティメントふうの合奏協奏曲に近いものであるが、それだけにオケに余程のアンサンブル能力がないと聴けたものではなくなる。終楽章、ボストンの分厚い弦楽器の一糸乱れぬ演奏振りには衝撃を受ける(2楽章くらいならまだ疲れもないからありえるのだが)。3楽章の特異性がひときわきわ立っていることにも気づかされた。他の楽章が性格別けされた「形式的な交響曲のパーツ」であるのに対して3楽章だけは暗い旋律と感傷的な和声に彩られた(このひとは時折ウォルトン的な清清しい和声展開ではっとさせることがある)極めて浪漫的な楽章になっており、ミュンシュの抑制のきいたしかし力強い音表現によってきくと、ピストンがボストンからの委属をうけたさい、この楽章だけは自分の個人的な思いを篭めたように思えてならない。ああ、こういうふうに作曲家の内面まで入り込めるほどに「届いてくる」演奏というのはそうそうない。ミュンシュは自分の楽団のための作品に素晴らしい演奏を施した。このプログラムのメインは幻想であり、皆それのためにこの盤を手にするのだろうが、私はこの曲に一歩進んだ興味を抱かせてくれたこの部分に一番魅力をかんじた。録音部分の瑕疵はちょっとおまけして◎。演奏の綻びの余りのなさに、最初はスタジオ盤の捏造音源かと思った。ミュンシュは正規スタジオ録音にも平気で唸り声とか入れてくる人だったし。

ピストン:交響曲第6番

○メイズ(Vc:3楽章)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1956/3/12,14・CD

ピストンはナディア・ブーランジェ門下のバリバリのアメリカ・アカデミズムの作曲家にもかかわらずドイツ・オーストリアふうの形式主義的な作風を持ち、半音階的な音線を多用し重厚な響きをはなつのが特徴的な作曲家である。この作品は両端楽章にコープランドらの舞踏表現に近い垢抜けた力強さとけたたましさを持ち合わせていながらも、全般に後期ヒンデミットの影響がじつに顕著であり、ピストンの楽曲に聴かれる堅牢な構築性の中にヒンデミットの血が脈々と流れていることは確かだと改めて思わせられる。ヒンデミットと異なるのはその主として旋律表現や変容方法にみられる「ハリウッド的な」通俗性だろう。聴き易い半面そういった臭みもある。マーラーすら想起させるロマン的感傷を孕む3楽章アダージオの木管や弦の用い方など全くヒンデミット的である。チェロソロが印象的だがそういった端のほうにはピストンの独自性は感じ取れはする。

ミュンシュはヒンデミット指揮者では全くないがその血にドイツ・オーストリア圏のものが含まれていることは言うまでもなく、フランス派を象徴するような指揮者でいながら「本流のフランスではない」アルザスの力強い音楽性を前面に押し出し、結果アメリカでも中欧色の濃いボストンでその活動の頂点を極めることになった異色の指揮者である。ドイツ音楽を得意としていたのもむべなるかな、こういった底からくる力強さとオケの技巧を些細ではなく明確にひけらかす場面を多く兼ね備えた楽曲にはうってつけである。曲がむしろオケや指揮者にすりよったものなのであり(BSO設立75周年記念依属作品)、しっくりこないほうがおかしい。ピストンは聴き易い。しかしそれは飽き易いことも示している。ミュンシュを聴けばもう他はいらない、とまでは言わないが通俗音楽のように「使い捨てられた」オーダメイド作品としてはこれだけ聴けば十分だろう。力感やアンサンブルの堅固さにかけてはこれを覆すほどのモチベーションをもった団体はとうぶん現れまい。
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