ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲

○グランジャニー(hrp)F.スラットキン指揮コンサートアーツ弦楽合奏団(capital)LP

しっかりした演奏、といってもドイツ風の重い堅牢な演奏ということではなくて骨組みのしっかりした緩くならない演奏という意味である。グランジャーニのまったく安定した表現は曲と時代と作曲家そのものを知り尽くした人ならではというものか。バックオケもしっかりしている。スラットキン父のおかげだ(自分も弾いているみたい)。グランジャーニは指がしっかりしていて、とにかくパキパキいうのが心地いい。品性の溢れるセンスあるエスプリに満ちた音色にも惹かれる。技術的にはずいぶんと余裕があり、もっとバリバリ技巧をひけらかしてもいいくらいなのに、ここが品格というものなのだろう。世俗的な舞曲の最後はちょっとテンポを落としてスケールを大きめに表現しているが、最後まで品は失わない。素晴らしい。録音マイナスで○。
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ラヴェル:序奏とアレグロ

○グランジャニー(hrp)ハリウッド弦楽四重奏団、アーサー・グレッグホーン(fl)ヒューゴ・ライモンディ(cl)(capital)LP

ラヴェルの前で演奏し賞賛を受けたことでも知られるグランジャーニの得意曲である。男性ハ-ピストということだけでも珍しかったろうに、20世紀前半の現代フランス曲を積極的に演奏しアメリカ渡ってのちも自作を含む新作を演奏して名声を博した。これは代表的な盤といえよう。モノラルではあるが非常に繊細な抒情を醸しながらも発音は常に明瞭で(これはハリウッド四重奏団他のメンバーにも言える)パラパラ胡麻を撒くように煌く音楽は同曲本来の価値以上のものを与えてくれる。グランジャーニは結構強めの発音をするように思うが(そんなに聞いてないけど)ソロ部分の儚くもいい香りのする繊細な響きに感銘を受ける。ピアノ協奏曲1楽章の緩徐部を思わせる明るくもどこか哀しい音楽だ。F.スラットキンの音が色っぽすぎるのはご愛嬌。リズムがよく、この曲が苦手な私でも楽しく身を揺らすことが出来た。品がよすぎる感もあるが。○。ハリウッド四重奏団はM.ストックトンとも録音している。

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ブラームス:交響曲第4番

○A.ヤンソンス指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(LUCKY BALL他:CD-R)1984/10/7LIVE

非常にしっかりし鋭い演奏ぶりで、アルヴィットの真価・・・それはロシアものより西欧の主流の音楽において最大限発揮されるもののようだ・・・が示されたものだと思う。オケのせいもあってほんとにロシアの指揮者とは思えぬ誇張の無い自然な出来になっており、渋いかもしれないけど颯爽とした歩みと躍動感はたとえばドイツ系老人指揮者とも一線を画している。

どこを面白いと取り出すかは難しいところである。この曲自体の魅力をしっかり引き出した演奏記録というのはもともと極めて少ないところで、この盤もその域まではたっしていない。演奏精度的にいえばライヴとは思えない素晴らしいものだけれども、諸所で引き締める印象的な「掴み」が無く、終始普通レベルなのである。だから拍手の普通さ同様こちらも普通に拍手したくなる感じもある。難しいところだ。2楽章あたりの深い叙情が聴きどころと言っておこう。ちょっとロマンティックである。○。

ブルックナー:交響曲第7 番

フリード指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(WING)1924・CD

交響曲録音を残した指揮者としては最古参のひとり、マーラーと親しく殆どストーカーだった?ことでも知られたオスカー・フリードの、しかも「復活」と並んで最古の録音である。当然同曲初録音。音質は推して知るべし。演奏はこの音でこの表現力、というような目覚ましいもので、同じく古くて編成の薄いホーレンシュタインのベルリン・フィル盤と比べると格段に音楽的である。愉悦的なリズム感とメロディアスな歌いまわしが耳をひき、リヒャルト的な前進力はありながらも前世紀の香りを残した演奏と言うことができるだろう。残念ながら鑑賞に耐えうる音質とは大部分の人が思わないだろうから、無印。

リヒャルト・シュトラウス:ばらの騎士組曲


○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(IMP,BBC)1969/8/9プロムスLIVE・CD

この曲を得意としたバルビだがこの異様な熱気に包まれたライヴでは殊更熱が入っているようだ。晩年ゆえ激しいというほどでもないがスタジオとは比べ物にならない躍動感と覇気に満ちている。名前を伏せて聞かせたらケンペのようなリヒャルト指揮者と勘違いする人もいるかもしれない。バルビを下手な指揮者だと認識している人がいたらライヴでリヒャルトの錯綜した音楽をこれだけ精妙にまとめることのできる指揮者、しかもハレ管という楽器としてはいささかランクの落ちる楽団を使ってここまで表現しきることができる指揮者ということで認識を改めるかもしれない。拍手が終演を待たずに入ってくる熱演(といってもテンション芸ではなく品を保ったとてもタノシイ演奏である)。○。

ショスタコーヴィチ:交響曲第15番

○伝イワーノフ指揮モスクワ・フィル(regis)1980・CD

人生の最後にこういう大交響曲を残したショスタコの心情を察するに複雑なものを感じるが(1970年代にコレですよ!)、4楽章制の古典的構成に立ち返りながらも1楽章と4楽章はウィリアムテルを初めとする古典的楽想によって、まるで1番のようなシニシズムを秘めたカリカチュアライズされた交響曲の両端楽章を演出し、2、3楽章は逆に死者の歌までで至った哲学的な世界の延長上にいるようないささか静かで難しい音楽になっているのはコントラストが激しすぎてかなり分裂症的、私などははっきりいって余りのちぐはぐさについていけない感じすらした。2楽章の長大なチェロ・ソロは極めて晩年的で深刻な諦念(マーラーのような夢すらない空疎な諦念)を出してくるのに、4楽章ではワルキューレの運命の主題がそれほど悪くない運命であるかのように変な盛り上がりをもたらしている。決して傑作とは言わないが、天才作曲家にしか書けない交響曲ではある。最後の巨匠世代と言わせてもらいたいコンスタンチン・イワーノフのこの演奏はとてもしっかりしており他のショスタコ指揮者がことさらに曲を掘り下げて演奏しているのに対して素直に曲想に従ってしっかり仕上げている。聞き易さではかなりいい線をいっていると思った。1000円以下の廉価盤で手に入るのが信じられない。○。

(後補)当盤はポリャンスキのCHANDOS録音のコピー(偽盤)の模様。

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スクリアビン:交響曲第3番「神聖な詩」

○コンドラシン指揮ACO(ETCETRA/RCO)1976/2/12live・CD

実はけっこう手堅い演奏で地味だが、後半になるにつれテンションが上がりミスも混ざるもののライヴとしてはなかなかのしっかりした演奏になっている。1楽章は特に手堅く神との闘争を描いたにしてはいささか大人しい。だがオケはさすが大したもので巧く、木管の音色など素晴らしい。ダイナミックな曲想の連続で大仰にやればいくらでもできる非常に演奏効果の高い音楽だけれども、コンドラシンは敢えて引き締めることにより下卑ることなく純音楽的に高度なものを作りだそうとしているようだ。スクリャービンはじつはけっこう曲想に乏しいところがあり、非常に美しく印象的なメロディを造る反面ひたすらそれを繰り返すだけで長大な音楽に仕立ててしまうところが、中期にあたるこの3番までの交響曲では目立つ。そのため飽きも来易いのだけれども、この演奏くらいしっかり出来ているなら飽きないかもしれない。中間楽章である2楽章は出色の出来で、ねっとりと描かれる「人間の快楽」が、何か非常に高貴で憧れに満ちた希望の音楽に聞こえる。作曲家の貼り付けた標題を音楽が凌駕した見本のような楽章であり、緩徐楽章が得意なスクリャービンの面目躍如たる音楽なだけにコンドラシンもらしくないほどに思い入れをもって演奏しているようだ。再び楽想が戻り3楽章に突入すると1楽章とは少し趣の違う、これこそコンドラシンという強烈さもブラスの響きに聞き取れたりしてくる。思わずペットが裏返ったりしているが御愛敬。神聖な遊びという標題の意味するところは或る程度表現できているが、高みに登り神と合一するイメージはやや弱い。しかし純粋に音楽的なものを求めているのであればこうなるのは必定か。総じてまあまあ。一応○にはしておく。

(後補)RCOライヴボックス4・1970年度(2007/2末発売)収録の音源と同一。

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ワグナー:トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死

○ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(seven seas他)1950/10/3・CD

比較的まともな方の演奏だろう。思い入れたっぷりの演奏ぶりが鼻につかない程度に納まっている。ロシア奏法の多用については今更どうこう言う筋合いの指揮者ではないが、この曲ではそんなに気にならない。しいて言えば独自解釈が入って違和感を感じさせる部分がある程度で、これも彼なりの演奏効果を狙った演出であり、曲を知らなければすんなり聞けると思う。ようは自国の演奏家だけによってクラシック音楽の歴史を全て再生させなければならなかったソヴィエトという一種鎖国体制の中で奇形化していった、もしくは内的にぐつぐつ熟成されていった表現の極みがゴロワノフのような指揮者の解釈であり、ロシアオケの個性なのである。決して奇抜さを狙ったわけでもなく、彼等は真剣そのもの、われわれはただスコアとの違いや音表現の違和感のみに失笑するような愚かな評価を、彼等に対して下すべきではない。○。

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ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー1幕への前奏曲

ゴロワノフ指揮モスクワ放送交響楽団(seven seas他)1951/12/16・CD

「ソヴィエトでは」ワグナー指揮者として知られたゴロワノフでワグナー集も何度かCD化されている。これはその中でもト印のつく演奏。逆に言うといつものゴロワノフ全開で、ライヴでもないのに雑。ブラス各人が自己主張しすぎで、まるでラフレシアで花束を作ったように毒々しくうるさい。激しく突き進むがトスカニーニのように制御されたテンポではなくもう思うが侭にどんどん先へいくようなテンポ感はまるでアマチュアのよう。面白がる以前にこの曲の様式美とかそういうものを考えてしまった。これはちとやりすぎか。無印。

スクリアビン:ピアノ・ソナタ第5番

ソフロニツキー(P)(classound)live・CD

どのライヴなのかわからないので同一のものを既に持っている可能性もあったのだが、一応買って聴いてみた。かつてはCD化が進まずマニアが血眼でLPを探すたぐいの伝説のピアニストだったのだが、今はソヴィエトで活躍したひと世代前の大家として普通に聞かれるようになっている。録音が悪いものも多く正当な評価を受けてこなかった一面もあるが、ライヴを含めると膨大なレコーディングが残っており(ステレオもあり)同じ曲でも結構印象の違う演奏をしてみたりもしている。というわけでこの義理の父親の曲なわけだが、曲自体私は大好きであり、ソフロニツキーでよく聴いている。ダイナミックでロマンティックながらもモダンで隙の無いかっこよさを兼ね備えた中期スクリアビンでも野暮さのない聞きごたえ十分の単一楽章の楽曲であり、無闇なトレモロも無調的な哲学性も確実に存在はするものの未だ表面化せず非常に入り易い。だが、そういった曲だけにリスト張りに大仰にやってほしいところで、この録音はその点いささか性急で即物的すぎる感がある。余り揺らさずに速めのテンポで弾き切ってしまう。細かいニュアンスがイマイチだ。音が比較的よく、逆によすぎてそう感じるのかもしれないが、音が一様に大きすぎてダカダカ弾いてハイおしまいみたいな味気無さすら感じる。この曲にはもっとドラマが欲しい。無印。

ラヴェル:ボレロ

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(RCA)1944/11/22,27・CD

余りに律義で正直びっくりした。速めのテンポは頑なに維持され、ダイナミクスにはデジタルな変化が聞かれるがSP原盤の継ぎ目に過ぎないだろう。録音がクリアなら誰しも歯切れ良いリズムと凝縮された響きに快感を覚えるだろうが、特に前半の雑音がきつい。最後の余りにあっさりした処理は一つの知見である。録音大マイナスに解釈の単純さを鑑みて無印。

マーラー:交響曲第6番

○コンドラシン指揮南西ドイツ放送管弦楽団(バーデン・バーデン)(SIBERIAN TIGER:CD-R)1981/1/18(13〜15?)LIVE
前注:2011年正規の放送録音音源より復刻されたhansslerのものと同じとされている。そちらには13日から15日とのクレジットがある(流布していた非正規配信音源にも同じ日付の記載があった)。日本でも放送されたものであるが、クレジットが違う以上後日別途書く。
話題盤になってもよさそうなものなのに話題にならなかったのはやはり録音の悪さ(明らかにエアチェックもの)と演奏の荒さのせいだろう。晩年のコンドラシンとは思えない粗雑さというか、オケ側にもミスが目立ち精度に問題があるし(この精密機械のようなオケにはあるまじきことだ)、解釈もやけを起こしてその場限りで荒々しくなっているのか?というように感じるところがある。気まぐれにも感じる。弦のスピッカートが頻発する曲でそれが音楽にきびきびした律動を与えるのだが、一部なぜかレガートでやらせたりしている、これはロシア時代のコンドラシンであればむしろ逆、粒立たせるほうに専心したであろうものなのに。しかも余り意味を感じない。オケの技術的問題か?と考えると辛い。音色に期待できないオケだけに技術面についても完成度が低いと厳しいのだ。1楽章の最初のアルマの主題やクライマックスなど大きくリタルダンドして格好をつけているのだが、無理があるというか機械的に感じられて仕方ないのは音楽にのめりこまないオケのせいだろう。音は出ているがイマイチ感情を煽らない。3楽章(通常どおり緩徐楽章)もコンドラシンはいつになくゆっくりしたテンポでしっとり聞かせようとするが、入り込めない。どこか音が醒めているのである。解釈に奇怪さをまじえ聞かせるシェルヒェンみたいなタイプならこれでもイケたかもしれないが、率直な解釈で直線的に突き進むコンドラシンにとっては厳しかったのではないか。このオケとの相性は余りよくなかったのではと言わざるをえない。コンドラシンらしい激しく突き刺すような音表現が無いとも言えない(2楽章)のであるが、まとまりがなく強い特徴としては感じられないのである。

4楽章は正真正銘速い。揺れず即物的で豪速球勝負、コンドラシンらしい凝縮された表現がオケにも浸透してテンション高い音楽が繰り広げられる。余りの速さに弦など厳しいところも僅かにあるが、概ねこのオケらしい機械のような精度が戻ってきたと感じた。胸のすくようなスポーツ的快感があり、ドラマティックな曲想とあいまってまるでジェットコースターに乗っているような何も考えなくていい心地よさ。とにかく1楽章に比べればかなりアンサンブル精度が高い(元々マニアックで無理のある書法ゆえ録音バランス次第で聞こえかたがかなり違ってくるから、1楽章はそんなところでたまたまおかしく録れてしまっただけなのかもしれない)から安心して聞ける。最後の奈落に至るまで余りの即物ぶりに拍手にも戸惑いを感じる。ひとつの見識ではあるが、マーラー的な物語性を求めるならお勧めできない演奏であることは確かだ。

とはいえコンドラシン好きはロシアでの正規録音との比較も含め興味深く聞けるだろうし、決して演奏として悪いというわけではない。異常に速くショスタコのようなマーラー、という寸評がいろいろなところに流用されているがあまり知らない人はそういう印象を受けるだろうから、そのてのものが好きなら聞いて損はなかろう。ただ正規を聞いてないなら正規から聞くべきだ。そうすると別にショスタコのようなというよりこれはそういう解釈なのだということがわかるし、シェルヒェンを知っていれば決して速くは無くそう奇異なものでもないということがわかるだろう。すれっからしは思ったより「らしく」ないところが気に入らないというだけで、マニアは情報だけで楽しめるだろうし。ラフ2、チャイ5と並んで三大コンドラシン亡命後ライヴとなりうるかと期待したのだが・・・やや拍子抜けした。それにしてもホワイトノイズが非常に煩い。

最後に、これは2005年1月の新譜であり、一部小売店でのみ取り扱われるCD-R即ち海賊盤である(殆どがアメリカ産のプライヴェート盤を名乗っている)。一部というところがミソで、大々的に売り出せない種類の商品なので情報が不正確だったり素早く入ってこなかったりする。「レーベル」自体消えては新しく出来たり名前を変えたり頻繁に変化していく(SIBERIAN TIGERは前からあるが)。そのため私は誤解してこの盤の中古を物凄い高額(新品の13倍!)でオークション落札してしまった。基本的にCD-Rはクレームが入ったり余りに売れないということがなければ何枚でも注文で作れるたぐいのものなので、ネット通販なら1年くらいは確実に手に入る。入手したいかたは、是非私みたいなヘマをしでかさないようにしてくださいね。中古CD-Rは中古買取店には原則売れないし、ネットオークションも本来的にはそういう出品を禁止していますからリスキーでもあります(逃げ切りで短期出品してる人が多いから私みたいなのが出るんですけどね)。ちなみにCD-Rで人気が出ると正規盤が出るという構図もある。逆に少数販売盤をCD-Rで増産という場合もあり、VOXなどは注文生産型で廃盤の「正規CD-R」を作ったりもしている(一部国内店でも行っているところがある)。様様な形態があるが、いずれにせよ「CD-R」はいずれ正規化のリスクのあるブート盤で、品質も期待できないものとして肝に銘じて入手していただきたい。

マーラー:交響曲第6番

参考)テンシュテット指揮ニューヨーク・フィル(MEMORIES)1986/10/23エイブリー・フィッシャー・ホールLIVE

RARE MOTH(CD-R)のもの(表記上1985LIVE)と同じ。イタリア盤名だが制作は台湾である。このレーベルは殆どCD-Rの再発であるが、データは同じ海賊盤でもこちらのほうが信用できる模様。テンシュテットのライヴものは正規盤化予定があると聞いているので注意。

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

○ワイセンベルグ(P)チェリビダッケ指揮トリノRAI交響楽団(aulide:cd-r/HUNT)1962/1/5トリノlive・CD

ワイセンベルグの巧さには今さらながら唖然とする。技術的に全く危うさの無い、曲の要求するスポーツ的感興を見事に与えることに成功している。チェリが作り上げているのは縦をガチガチに揃えたドイツ式の伴奏ではあるけれども、まだこの時期独自の涅槃みたいな境地には至っておらず、スピード感に欠けることはない。寧ろきっちり揃った上でのスピーディな音楽作りは安心して聞けてかつゾクゾクする。余り深みの無い曲であるから素直に音の跳ね回るさまを楽しめばいいのだ。これはそういった意味では過不足ない佳演である。このオケには珍しく乱れもないのが素晴らしい(チェリの統制のおかげだろう)。○。

ミヨー:交響曲第2番


○ツィピーヌ指揮パリ音楽院管弦楽団(EMI)1953/11・CD

かつて日本では協奏曲の伴奏指揮者としてのみ知られる知る人ぞ知る存在であったが、比較的多数の録音を残したモノラル期の名匠であり、EMIの復刻は再評価への恰好の指標となるものである。ドイツ偏重のこの国にもこれら復刻によってフランスやラテン諸国の十字軍指揮者への評価が一過性のものではなしに定着すればいいのだが。

手堅いながらも非常に計算された演奏で、散漫でアイヴズ的カオスを呼びがちなミヨーの音楽に一本筋を通している。複調性によるフレーズも聞きやすい響きに整理され、繊細で牧歌的な色彩を強めている。2楽章あたりの硬質で烈しい楽想もオネゲルふうに緊密に仕立てられ飽きや理解不能といった事態を避けることに成功している。リズムにみられる南米ふうのズラしは余り強調されないが、このスタイルにはそれが正解だろう。半音階的な奇妙な旋律も奇妙と感じさせないまっとうさに○つけときます。

マーラー:交響曲第7 番

マデルナ指揮ミラノRAI交響楽団(ARKADIA)1971/12/24ミラノLIVE

お世辞にも上手い演奏とは言えないがウィーン交響楽団とのものに比べれば解釈が穏やかなぶんいくぶんマシか。音色も普通。1楽章のバラケぶりは聞けたものではない。3楽章くらいから割と聞けるようになってくるがいい意味でも悪い意味でもイタリアオケ、ブラスは申し分ないが弦が勝手というかまとまらず薄くなりがちである。荒い演奏が耐えられない向きには猛毒だ。4楽章のマンドリンが異様にハッキリ聞き取れるのは不思議。構造的配慮はしっかりなされており5楽章など響きは充実している。ただこの楽章いささか遅い。ライヴゆえ緊張感は維持されているが、旋律追いの傾向のある向きは少し飽きるかもしれない。打楽器系の縦が甘いのも気になる。とはいえマデルナにしては激情に走らずまとまっているのは評価できる。最後のアッチェランドがかっこいい。拍手が余り盛大でないのもしようがないか。ただこの拍手、別録りに聞こえるのが?無印。

ライバル2楽団が初共演 ウィーンとベルリン

世界最高峰の座を競うウィーン、ベルリン両フィルハーモニー管弦楽団が初めて混成オーケストラを結成、ベルリンで2日、演奏会を行った。
演奏会はこの日と5月8日のウィーン公演だけ。「今回限りになるだろう」(ベルリン・フィルのサイモン・ラトル音楽監督)という最初で最後の“夢の共演”に満席の会場からは割れんばかりの拍手が響いた。
曲目は双方が一つずつ選んだマーラーの交響曲第6番とボーン・ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」でラトル監督が指揮。ライバル意識が強いだけに、計140人の団員も各楽器の首席奏者も半数ずつと平等だ。
合同演奏会の案はラトル氏がウィーン・フィルのメンバーとワインを飲んだ時に出た。「50歳の誕生日に何が欲しいか」と聞かれた同氏が「両フィルの合同演奏会」と答えたことがきっかけ。
ベルリン・フィルの団員と対立した故カラヤン監督が1984年、ウィーン・フィルを指揮したことで両フィルの関係は悪化していたが、ラトル氏は「対立は忘れ21世紀の友好の象徴にしたい」と演奏会実現に奔走した。(共同)

なんか祝祭のわりには辛気臭い曲目だ。ヴォーン・ウィリアムズを選んだのは寧ろラトルに気を使ったのか?どちらが出した曲目なんだろう。悲劇的はあきらかにウィーン側が出したっぽいけど、このライヴ、聞いてみたい気はするなあ。テレビでやんないかな。

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ドヴォルザーク:交響曲第8番

◎ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(EMI/BBC,IMG)1959/10/25ロイヤル・フェスティバルホールLIVE・CD

文句無しの凄演・・・これを補う言葉を私は知らない。野暮なブラームスでも民族的なドヴォルザークでもない、それらの生臭さをまったく昇華して、物凄くも高貴さに満ちたとても高みの音楽に仕上げた、としか言えない。オケも素晴らしく冴えていて、ここまで最初から最後まで惹きつけられる演奏は聞いたことが無い。とにかく決然とした発音と明瞭なテンポ感、異常なテンションが2楽章ですら物凄くドラマティックな音楽に仕立ててしまう。更に淀み無いスピード感が加わってビーチャム芸術の真骨頂とでも言うべきものであろうし、この曲のファンなら、モノラルで録音が悪いとはいえ、瞠目することうけあいの、しかしまったくの正攻法のドボ8、是非機会があれば聞いてみていただきたい。3楽章が変に民族舞踊にならず、しかも面白いというのだからびっくりだ。4楽章にはもっとびっくりな轟音が待っているのだけれども。ブラヴォーの凄まじさといったらない。

シベリウス:交響曲第2 番

○ビーチャム指揮BBC交響楽団(EMI/BBC,IMG)1954/12/8ロイヤル・フェスティバルホールLIVE

叫ぶビーチャム!音は悪いしやたら速くて直線的、時にオケが歯切れ悪くなるし、1、2楽章ははっきり言ってイマイチ。テンション芸で押し切れる後半楽章は面白い。特に3楽章からのなだれ込む音楽は即物的な解釈の中でも覇気と気合いに溢れた凄い迫力のもの。最後のリフレインではテンポ変化を含むフレージングの妙味が初めて感じられ、全てが計算であることを思わせる。シベリウス受容の先鋒たるイギリス、そのさらに嚆矢を担った一人であるビーチャム。力強い凱歌の後の烈しいブラヴォもうなづける終焉である。後半のみで○。

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