シベリウス:交響曲第2番

〇ザンデルリンク指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)2000/6/17LIVE

最初から驚いたのだが、随分とメロウな感じなのだ。アタックを余り付けずなめらかに穏やかに進めていく。もちろんこの人だからハーモニーの作りかたに安定した重量感はあり、前期シベリウスのドイツ性は浮き彫りにされているのだが、オケが、録音のせいかもしれないが、軽い。ベルリン・フィルならでは、というところがないのだ。ティンパニの音などでわかる人はわかるだろうけど、弦楽器の音でこのオケと明確に判別できる人はいるのだろうか。速くて流れいい二楽章など解釈的に、深みはともかく入りやすく即物的でもあり面白い。しかし高弦に生気が感じられない。らしくない失敗まである(ちこっと欠落も)。2000年の録音であることを加味しても柔らか過ぎるように思った。アタッカで入る三楽章はさすがにいきなり強靭なアンサンブル力を見せ付けられコントラストに胸がすくが、すぐに柔らかく収まる。最初の緩徐部のオーボエがきわめて美しい。耽美的と言い切ってしまおう。管楽器群の素晴らしい音色にはベルリンの底力の健在を感じる。颯爽としたテンポのままそのまま入る四楽章、譜面どおりで全く感情を煽らない。しかし二度めの主題提示で爽やかに盛り上がりを提示する、これも譜面通り。しかしそのあとの主題展開でいきなり歌謡的な細かいフレージングをつけてくる、ザンデルリンクだなあ、これを聞くために買ったのだよ。老齢でもけして緩テンポに逃げずきっちり解釈された音楽をやりつくす。異常な深みを見せる耽美に沈む暗転部分から再現部に入って初めてこの主題にテンポと音量によって雄大なクライマックスを築き上げる、まさにこの設計に、ここだったのか!と感服させられたままの流れ、しかし弦楽器への不満は残る。余力、残し過ぎじゃないか?もっともここまで解釈で統制されたらそれに対してできることは限られている、最後のバイオリンの念押しするようなフレージングや松葉への配慮も聞き逃せまい。雄大な夕日は北国の遅い夜の到来を荘厳に告げる。やや音響バランスが武骨だがそれもよし。

結論。録音のせい。〇。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

○カラヤン指揮ベルリン・フィル(SARDANA:CD-R)1982/1/24LIVE

文句の付けようの無い名演中の名演である。こんなの生で聴かされたらフライングブラボーもやむ無しだ(こういう曲でフライングブラボーが何故いけないのか、世の中には神経質なやからが多いのだな)。

カラヤンは何故これほどまで適性を示した20世紀音楽に積極的にならなかったのか、この人がゲンダイオンガクはともかく世紀末から20世紀音楽に積極的に取り組んでいたらエセ評論家の評価もまた格別に違っただろう。とにかく、生を聞けばわかる指揮者だというのに一度も聞けなかったのが惜しまれる。でも、ベートーヴェンなんかいらない。ワグナーなんかいらない。こういう切羽詰まったギリギリのアンサンブルを駆使した楽曲でこそこの人の恐ろしく研ぎ澄まされたゲイジュツが生きてくるのである。ただ、この録音、肝心?のインタルードの最後が何故かフェードアウトして切れている。これさえなければ、録音の悪さ(といってもAC盤に比べれば格段にいい)を加味しても◎だったのに。圧倒的です。たとえ私がSHUREのフォンに変えたせいもあるといっても。スピーカー?フォンのほうがよく聞こえるよ。

◎的な○。とにかくこの時代のベルリン・フィルの技や迫力にも瞠目せよ。

マーラー:交響曲第7番

○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(VIBRATO:CD-R)1995/8/9LIVE

最初に断っておくとこのAC盤、頭が切れてる楽章がある(1ですらぶちっといきなり始まる)。二番目の夜の歌冒頭のヴァイオリンソロが切れてるのはきっつい!!スウェーデン放送はWEB放送を行っており、何もわざわざこんなブート買わなくても聞けるよ、という人もいるだろうが、私は天性のモバイラーなので速度が足りません。まあ、エアチェックとなると音盤じゃないからなあ。

さて、演奏自体は素晴らしい。つくづくこの人はロシアに封ぜられてキャリアの大半を過ごすような人ではなかったと思った。バンスタのような没入はなく常に意識的だけど、あきらかに扇情的な演奏を狙っていて、ゆっくりしたテンポも強い表現によって力感を失わず終楽章の最後の長大なクライマックス(クレッシェンドと書く人もいるけど音量的には別に飛びぬけてるとは思えない。むしろテンポがどんどん遅くなっていくのとクレッシェンドが同調しての「偉大な表現」だろう)へと至る。この終盤は今まで聞いたこと無い、比類ない素晴らしさだ。昔この人がチャイコばっか振ってたとき、ロシアオケのどぎついローカル色の中で諦めもしくはあがいているように見えた。元々は割合意識的に表現を操作するタイプの指揮者でいながら奔放なオケの自己表現にも対応していて、結果として「最もロシア的な最後の巨匠」というわけのわからないレッテルを貼られてしまったわけだが、私はつねづね西側へ出て最後はドイツオケを振って、フルヴェンに対抗しうる芸当を見せ付けてほしいと思っていた。ロンドンのオケとはやっているが大人しすぎる感があった。でも私は何か新しいものが見えた気がした・・・この人は「ロシア」という称号が無くても十分に現代的で立派な芸術家なのだ、と。結果としてこのスウェーデンとのタッグでは録音には恵まれなかったけど、この演奏を聞くかぎりでもバンスタとは明らかに違う地平を狙っていながらバンスタ並の感動を与えることのできる、もはやローカルの域を完全にだっした「真の巨匠」の顕現を感じることができた。通して非常に聞きやすく、美しく、録音が悪くないことも手伝って、冒頭の瑕疵が気にならないほどの魅力的な潮流が出来上がっている。聞きものがどの楽章、と聞かれて答えに窮するが、物凄くゆっくりしたテンポでいながらチェリの芸風のような飽きをきたすゲイジュツ性とは無縁の奥底のドラマツルギーが見事にスウェーデンの音色によって纏め上げられている。オケも瑕疵はあるものの、ここでは非常によく演奏できている。さて、N響とのマーラーも「ドイツオケとの演奏にかわるもの」としていずれちゃんと出しなおされることだろう。スヴェトラーノフは、マーラー指揮者であった。私が言うまでもなく。録音瑕疵他マイナスで○。

ブルックナー:交響曲第7番

○ヒンデミット指揮NYP(VIBRATO:CD-R/BATON)1960/2/28LIVE・LIVE

なかなか聞ける。オケの集中力がハンパ無い。録音はけしてよくないが、一楽章しか聞けなかったこの曲を(ビデオ化もされたボストンのライヴ)全て聞けるのは愉しい。テンポよく流れるような演奏だが即物的ではない。たんに速いのであり、緩抒部の慈しむようなフレージング一つとってみても決してロマンチシズムには欠けていない。この一楽章でそう感じる向きはフルヴェンやクナの聴き過ぎではないか。寧ろブルックナーの特殊性をよくとらえている(下手に崩すと曲を壊してしまう)。二楽章は古典を意識したようなアンサンブルで爽やかだ。しかし弱音のヴァイオリンの美しさは他にかえがたいものがある。フレージングに魂が篭っている、上辺だけではない、テンポだけで聞いて欲しくはない。録音はこの楽章がいちばん悪い。つぎはぎもしているようだ。これはブートを聞き慣れてないときついかも。雑音も多い。しかしモノラルで音場が近いからく迫真味があっていいとも思える。力強い。解釈的にやや飽きたが古典指向の纏めかたのせいでもあるかも。引き締まった三楽章は躍動を徒に煽らずかといってドイツふうに足取りを確かめることもなく、ひたすら心地よい舞曲を聴き浸ることができる。中間部は楽想的に惹かれないので正直飽きるが録音が立体的でハーモニカルなブルックナーを捉らえきれていないこともあるのだろう。旋律は重要ではないと言いつつこの楽章ではもっと煽情的な旋律が欲しい(ダイナミズムのことを言ってるのではない)。四楽章のいきなりの速さにびっくりするがなかなかに洒落ている。駄々長い楽章を颯爽としたテンポで自作交響曲のようにメカニカルに組み立てていく。そうすることで乗り切っている。最後録音が極端に悪くなるがしかたない。○。精神性とか言われちゃうと、どうかな。精神て具体的にはどういう音形のことを言うの?

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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

○チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(VIBRATO:CD-R)1967LIVE

既にして運動性よりひびきを重視してはいるが、重々しい一楽章冒頭フーガ、ここからの簡素簡潔なオーケストレーション、ひたすらハーモニーの綾だけで描いていると言えば「コラール音楽を指向している」と読まれかねない。そうではない。確かにここにはロマンチックな感覚が通底している。数学的には引きずるような重いリズムやらテンポやらなんやら言えるだろうが表現にははっきりとした主観的なロマンチシズムが聞き取れ(三楽章の最も印象的な慟哭と感傷の世界にいたらなくても)チェリらしくないほどにドラマティックなのだ。これはAC盤ならではの悪い録音が逆にリアルな演奏の場を演出しているのもある。EMIのエンジニアが入れば「ひたすら鋭利にみがきあげられた響きだけで生気のない演奏」にでもなるのだろうが、ここでホワイトノイズを掻き分けてたちあらわれる荒々しい音楽性は、「録音芸術」という独立した概念を提唱する私にとっては「真実がどうであろうが」素晴らしく魅力的なものであり、このほうが演奏家の素顔をよく伝えるものたりえているのではないか、という幻想を抱かせるほどに面白いのだ。スケルツォ冒頭でベースがゴリゴリいわないのはこの人らしい抑制だがドイツ的な流れよさは心地いいほどだ、物足りなくはない。三はとにかく聞け。四は疾駆しないのが(私でさえ)物足りず、オケの弱さがすこし目立つが、刹那的に愉しむのではなく全体構成のなかに身をひたすなら、チェリの巨視的な解釈が見えてこよう。正しく音価をもたせ盛り上がってもけして切り詰めないところなどイマイチ乗り切れないが、これはムラヴィンを聴き過ぎた者の宿命だろう。むしろ弱音部を評価すべき解釈だ。総体として○。チェリの革命ではいちばん聞きやすい。

ファリャ:三角帽子第二組曲

○ドラティ指揮ミネアポリス管弦楽団(mercury)LIVE・CD

わかりやすくて胸がスカっとするファリャ、と言われて真っ先に思いつくのがこの三角帽子である。スカッといってもいろいろあって、本国ふうのからっと晴れた透明感のあるものもあるけど、これはまさにアメリカのオケが楽天的というより物凄い形相で直進し叩きつけてくるような演奏で、ああ、三角帽子はこうだよ、と思わせる。ムーティもいいがしゃれっ気より私は力感とスピード感をとる。ハデハデに鳴らされる各声部、最後の踊りなどスコアどうなってんのというくらい分厚く力みなぎる響きが頭をガツンとやる。この曲好きだし弾いたこともあるけど、面白いと思った演奏というのは数少ない。これはその一つだ。古きよきアメリカの剛速球芸を久しぶりに聞けた。モノラルゆえ、○。名演ではないが、とにかく、凄まじい。

グラズノフ:交響曲第8番

○フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団(VICTOR/MELODIYA)CD

西欧の手法にのっとった完全に形式主義的な作品であり、その緻密な構造性ゆえにフェドの丁寧な構築の仕方がとてもしっくりくる。充実した対位的手法に対する理解が特にその内声部の計算し尽くされた運動性からくる魅力をしっかり引き出している。案外難曲であるがゆえにこのオケの弦の状態では厳しい局面も多々あるが、テンポ的にゆっくりじっくりといった感じなので目立った綻びというようには感じない程度に収まっている。情気の迸りといったアチャチャ感の無い、フェドの客観的ではあるがフレーズ一つ一つを大事にした細心の配慮が功を奏している。曲があっているということだろう。

晦渋な動機で統一された四つの楽章は、ブラームス的な古典回帰という意味では完全に時代に逆らったものであるが、元々ボロディン後期の革新的民族交響曲の伝承者として当時としては比較的奔放な自作の民謡主題を駆使したシンフォニーを才のままに作っていた人である。形式に対する感覚は本質的な師であるボロディン同じくしっかり持ち合わせ、リムスキーの表題交響曲のような破格な外し方は決してしなかったが、それでも聞けば瞭然に西欧とは異質のものとして存在感をはなつ作品を作る人だった。その頃のものはしかし旋律があまりに重要視されすぎ(もしくはあまりに魅力的な旋律ばかり使用したために)チャイコ的にオケの勢いまかせの所が大きく感じられ、ワグナーやボロディン並の新しさはあるが世紀末的な新しさは全く無いハーモニー(そして実際の響きの薄さ)という欠点があった。

そういったものは後期、特にこの8番に至っては完全に払拭され、重みある分厚いハーモニーが全編を支配する。フェドのようなやり方でしっかり整えられると、その響きこそが西欧的でありながらそうではない部分もある、何気に独自のとても魅力的な流れを作り出す、その礎となっているものであることがわかる。スヴェトラの全般に浅薄に感じる演奏に比してこの演奏の、特にショスタコが唯一称賛した2楽章という暗い楽章が、とても映えて聞こえるのは、まさに「相性」というものであろう。丁寧にやれば暗い幻想と浮き上がる夢の断片がこれだけしっかり聞こえてくるものなのだ。奇妙でおどけたスケルツォである3楽章がこれほどスケールのある音楽になりえるとも思わなかった。木管が裏で投げかける統一動機の小さな旋風もしっかり聞こえてくる。録音もいいのかもしれない。但しこれが「正しい」のかはわからない。アカデミストであるグラズノフの「形式」観では、スケルツォは独立した軽く快活なものであるべきであり、その前後の楽章とのコントラストこそが重要とされる。動機で統一されているとはいえこの8番においても聴感は違和感スレスレのとっぴな印象を与えるものになるのが普通である。が、これはフェドの個性としておくべきか。4楽章はフェド的な偉大なもの。ロシア交響曲伝統のフーガ的構造もグラズノフ特有の中声部以下の魅力的な動きと共に、より明確にそれとわかる形で聞こえてくる。グラズノフのメロディメーカーとしての最後の息吹も、丁寧にロマンティックにフレージングされ美しい。オケに難点はあるが(練習量の問題?)最後の最後に「民族的処理」が顔を出し(全曲通してこれまで一切民族的要素は出てこないのだ)勢いよく終わるさまを明確に原典どおり示したところ、逆にひどくスケールアップするより効果的に思えた。勿論物足りなさを感じる向きもあろうが、これもアリと思った。トータルで○。

海のかなたで。


もうかなりジャポニズム横溢しすぎってかんじの20世紀初頭に絵画界の波乱の影響がやっと出てきたフランス音楽界、ドビュッシーも恐らく人づてだがこの描線の明瞭でデザイン性に富む浮世絵の世界に傾倒し(パリ万博では音楽的には寧ろガムランに興味深々だったが)、北斎晩年の傑作冨嶽三十六景より神奈川沖浪裏、恐らく本物を入手し壁に飾っていたそうである。飾っていたのだからとりわけ好きだったのだろう。江戸後期における浮世絵の、極めて鮮やかな色彩のコントラストと日本版画特有の簡潔斬新なデザインは、その成立の背景に洋画の模倣研究と吸収昇華という過程があったからこそ尚、フランス前衛絵画やポスターに深遠な影響を与え世界の絵画を変えることができたのだが、天才広重と並び称される葛飾在百姓爺は芸術的感性の鋭さと奔放さが先に世界で評価を受け、寧ろ日本はそれに追随して研究の進んだていがある。ここは絵のブログではないので余り書きたくないが、画狂人卍翁は日本画の流れとして極端な遠近法や透過画法といったものがあらわれていたのを更に研究し深化させた。その努力を微塵も感じさせない粋な画風を確立したのが現在の人気に繋がっている。小さな銅版画ひとつとっても長崎派とは比べ物にならないくらいにその真髄を見切って更に芸術性を高めているのがわかる。広重は「完全に静止したデザイン」というものを追及した人だから安心感がありわかりやすく、今も汎世界的な人気を保っているが、波のような動的で曖昧な対象物をはっきりした太い描線でしかし動きを少しも損なわずにその瞬間を絵画にうつしてみせる、北斎の即興的とも見えるわざには敵わない(しかし北斎は「即興の人ではない」)。

デュランが出した交響的エスキス「海」出版総譜の表紙に使われたこの「神奈川沖浪裏」、仔細を見れば瞭然だがデュランが浪だけを取り出してデザインさせなおしたものである。江戸絵は象徴派絵画のような背景への想像力と知識を要求する一種符牒的なものを持つものであることは言うまでもないが、この単純な道具立ての絵ひとつとってみても本質は「浪」ではない。富士山を描くということについて、富士山(神ほとけである)のさまざまな側面をあらわす三十六枚の中、これは荒波に揺れる黄色い船(藍に黄!)にうつぶせで必死にとりつく小さな人間たち、その見上げるであろう泡立つ壁のようなぞっとする浪の裏側・・・それらの烈しいやりとりを、遠く静かに見守る富士山があって、初めて自然の偉大さが引き立っているのである。そういう総合的な象徴を孕む「想像力の世界」だから、ほんとうはかんじんの船や富士山を消してしまったら元も子もないのである。退色はあろうが、どうもこの表紙が精細に欠けるのはそのあたりにも原因が追求できそうである。よくある版木落ちというよりまるでパソコンで切り取りエンハンスド処理を施したかのような変な絵だ。デザインのまるでよく似た北斎の紹介本が手に入る。しかしそれはちゃんと元絵の抜粋、である。

こんな海では船は浮きようが無い、たちまち二艘とも沈没だが・・・そもそも江戸絵の醍醐味はそのデフォルメ感にある(名所図会のたぐいでもその遠景は異常にスケールアップされて描かれる)。旅行を制限されていた庶民に「想像力の旅」をもたらすことで人気を博したさまざまの作者の旅絵シリーズのひとつにすぎないとしても、表現の凄さが抜きん出ており、本物以上の想像を掻き立てるものになっている。遠い異国のドビュッシーすら、北斎の旅物語に不可思議な想像を膨らませる事ができた、これは象徴的意味うんぬんを抜きにしても、やはり凄いことだったといえよう。だが往年のパリの凄かったところはこういうものを自分たちなりに吸収昇華し別物へと進化させたという点・・・まさに日本のやってきたことの裏返しであるが・・・である。さすがの北斎も自分の絵が音楽にインスピを与えるとは、しかもオリエンタリズムとしてではなくれっきとしたヨーロッパの風土に根ざした音楽に成り代わっていくとは、思わなかっただろうな。

今、アフリカ南部の島にひっそり暮らしている一匹の亀がいる。かれの生まれたとき、北斎はまだこの三十六景を描いていなかったのだ。ふとそんなことが頭をよぎった。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第2番(ロンドン交響曲)

○ヒコックス指揮ロンドン交響楽団(CHANDOS)CD

演奏、版(これが「本当の」オリジナルだそうです)共に重厚壮大。終楽章の「ビッグ・ベン」後に挿入(削除)された長いレントの牧歌は田園以降を思わせる静謐な曲想で(書法は平面的で単純だが)、確かにこれがあると無いとでは大きく違う。ロンドン交響詩というより、イギリス交響詩といった趣を感じさせるものになる。随所に響きの重厚さを感じさせる演奏になっており、やはり後年のRVWを思わせるが、寧ろ古い作曲家の残照の感じもする。「らしくない」感じは同時代の先鋭作曲家の素朴な模倣と思われる部分にも現れるが、寧ろ曲想に変化をもたらし悪い感じはしない。3、4番交響曲の鬱躁気分が交互に顕れる(様様に挿入された英国民謡の中には5番終楽章で印象的に使われたものと恐らく同じものも含まれているが)ところには1番で影響の指摘されるマーラーの分裂症的気まぐれさを思わせるものもあるが、それはあくまで数理的にそう感じるだけで内容は全く違う。RVWが変わったのは田園ではなくこの「ロンドン」であったことを改めて認識させる。とにかく原典版というのは長いので、気持ちに余裕のあるときに聞けばいい。録音もいいし、RVW好きだがロンドンが苦手という向きも非常に感銘を受けるだろう。演奏は偉大さを感じさせるも冗長ではなくしなやかで素晴らしい。1楽章序奏部のビッグ・ベンの朝から「オペラ座の怪人」の元ネタ(?)主題が不安の風を吹き込むところなども胸がすく。ヒコックスに私は悪いイメージを持っていたのだが、ちょっと見方が変わった。やはり録音なのか。○。

フランツ・シュミット:交響曲第4番

○ファビオ・ルイージ指揮MDR交響楽団(VKJK)CD

この重厚な曲はさすがにライプツィヒにもあっている。旋律の半音階的な晦渋さもどっしりした響きの上でいささかの不安定さも感じさせず聞きやすい。夢見るような旋律は決して夢見るようには演じられないが古典的なたたずまいの中でしっかり自己主張をしている。新しい録音であること、オケがとても素晴らしい技術と響きを持っていること、それだけで十分だ。物凄くスムーズに聞ける演奏で、それは両刃であり、曲を知らない人には未知のものに対する抵抗感を感じることなく素直に曲の本質だけが入ってくる素晴らしいものになりうるし、既知の人には娯楽的に情緒的にちょっと食い足りない感じも受けるかもしれないが、そもそもウィーンの響きしか考えられていないフランツの曲をやるのは結構難しいことで、ウィーンの響きに慣れてしまった人ならそう思うかもしれないが曲の深刻な本質ではない。確かにこの演奏を聞き終わり後に録音していたモラルト盤冒頭のトランペットの響きを聞いた瞬間、全然違う悲痛な感情の世界に引きずり込まれてしまい、印象が一気に薄まってしまったのだが、それでも、この演奏は「曲を知らない人にも曲のよさがきっちり伝わる汎用性の高い演奏」として価値があるように思う。○。

フランツ・シュミット:交響曲第3番

○ファビオ・ルイージ指揮MDR交響楽団(VKJK)CD

ライプツィヒの渋くガチガチの音が曲にはあわない気がする。非常に美しく研ぎ澄まされた音響を駆使した演奏で、ルイージの指揮も非常に精緻であり、陶酔的なテンポでじっくり聞かせようとするのだが、これはもう曲自体の弱さというしかないか、3楽章まで聴くといくらなんでも緩慢すぎて飽きてしまう。フランツの曲は決して創意が無いわけではなくマーラーやブラームス好きにはとても受ける要素があると思うが、形式感を重視し(古典的な意味での形式ではない・・・この曲は古典を意識したものではあるが)決して大きくは踏み外さないハーモニーを使うため、そこにオケ側からのプラスアルファ(艶と言い切ってしまおう)がないと、確かによく書けてはいるがつまらない、という印象を強く受けてしまうのである。ただ、終楽章にかんしては艶は足りないにしても弦に特に気合いが入っていて、シャキシャキしたアンサンブルがとても気持ちよく耳を刺激する。ガガガガと縦に叩き付けるような刻みと美しいウィーンふうの横に流れる旋律が交互に現れるさまを楽しむ娯楽的によくできた楽章だが、前者の点において優れている。物凄く巧いオケ、さすがライプツィヒだが、曲にはあわなかったかもしれない。でもこの4楽章を買って○。1楽章は陶酔的でも曲想がそういう感じだから許せるが、それでも飽きる、ましてや2楽章の晦渋さとなると・・・スケルツォの3楽章ですら緩慢と感じてしまった。
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