ラヴェル:弦楽四重奏曲

パガニーニ弦楽四重奏団(KAPP)LP

ドビュッシーとラヴェルのカルテットはよくカップリングされる。確かにハーモニーの移ろいには類似したものがあるのだが、演奏スタイルは全く異なるものを要求する(だいたい1楽章の出だしからしてリズム処理と奏法が異なってくる曲だ)。だからドビュッシーがよくてもラヴェルがイマイチ、という演奏によく出くわす。ラヴェルはドビュッシーのようなプラスアルファを要求しない。音だけを譜面どおり組み上げるならば、練習だけでそれなりのものに仕上がる(リズムに慣れればドビュッシーより曲になりやすいだろう)。しかし、「何か一つ突出させる」のは、なまじの解釈では不可能だ。微に入り細に入る綿密な設計と、それを「自然に」精緻な構造の中に組み込む難しい作業が必要とされてくる。ドビュッシーは感情任せで弾くことができるが(そうすることを要求する譜面だが)、ラヴェルは「感情をいかに抑えるか」で決まってくる。ミスが露骨に出てしまうという点でもドビュッシーより余程怖い。パガニーニ四重奏団の演奏も悪くは無いのだが、一部強音の表現で「弓を弦にギリギリ押し付けるような音」が出てしまっており、ラヴェルの繊細な世界をガラガラ壊している。ドビュッシーは録音のせいもあるだろうが穏やかな方向で成功しているのに、ラヴェルは特に2楽章あたりで耳につく強音があるのである。逆に曲想の浅い凡庸な曲に聞こえてしまう。ほんとに難しい曲だ。○にできそうなものだが方法論が意外と凡庸なのとドビュッシーとの落差で無印にしておく。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

○パガニーニ弦楽四重奏団(KAPP)LP

非常に惹かれた演奏である。ストラディだからというわけではないだろうが音色に情感篭りまくりであり、結構即興的な(でも弓いっぱいに使った大きなフレージングが目立つが)ルバートがつけられ、起伏はあるが、ポルタメントで歌い上げる戦前の演奏スタイルとも違い各音符の分離は明瞭で、この曲ではそこが非常に強みになっている。ピチカートが美しい。ドビュッシーの繊細な響きは普通にやろうとすると曖昧模糊になりがちだし、かといって精緻すぎてもまた物足りなくなる。この曲は比較的初期のものということもあって国民楽派のような激情の表現も必要だから、精緻が過ぎても心に残らないということがおうおうにして起こりがちなのだ。これは現代的な整理された演奏ではないし、かといってファーストヴァイオリンが突出して歌いまくる古いスタイルでもなく(パガニーニ伝来のストラディヴァリウスの線の細く音量の無い音が全体のセピア色の響きに溶け込み不思議な感傷を与えるのは特記できる)、「艶めかしいがからっとしている」イタリアふうで、特に弱音部の余韻といったらない。そう、弱音の表現においてこの演奏は非常に秀でている。全楽章中最も凄い出来ばえの1楽章からこの点に気づかされる。弱音に激しい感情を篭めることの難しさを思えば、凄いことをやってのけている。ところどころなんとなく稚拙に聞こえるのは古い楽器独特の生音のせいだろう。生木の楽器を弾いているような感じがあるのだが、録音も古いし(といっても50年代と思うが)やむをえまい。私はそういう音が寧ろ非常に好きなのでこれは大好物だった。確かに何度も聴いていると独特の音に飽きてくるが(「独特の音」特有の弱みだ)、「鳴らない楽器を鳴らそうとしたとき」の「鳴る楽器以上に深く響く」という感覚が味わえる。ただ、私の盤は余りに状態が悪い。音飛びまくりだ。CDになっていればぜひ入手したいところ。◎にしたかったが、何度目かで飽きがきたことや盤面の問題で正確な評価を下せない点を割り引いて○。

(後日記)KARPとあったのはKAPPの誤記の模様。但しチャント確認していないので別録音だったりして(KAPP名の別ジャケ欧州盤を入手したんですが、たぶんアメリカ盤のほうがリアルで原盤に近いいい音です)。

チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」

○バシュキーロフ(P)ベズロドニ(Vn)ホミツェル(Vc)(MELODIYA他)CD

実に軽やかに自然な流れが出来ていて、非常に美しい。いい意味で聞き流せるというか、ヴィルツオーソの顔合わせの類の多い曲であるがゆえに、この「アンサンブルの手本」のような演奏ぶりには耳からウロコ。そう、ピアノ三重奏はソリストの顔合わせ用の編成じゃない、こういう各声部が完全に有機的に絡み合い、どこにも突出したところがない全体として非常に音楽性の高い「アンサンブル」に仕立てることが可能なのだ。バシュキーロフ先生をはじめとしてロシアの若きテクニシャンたちは殊更に自己主張するでもなく、まるで四重奏を演奏するようにこの曲を組み立てている。こういう観点から演奏する団体があっただろうか?少なくとも録音として残されているものには「ロストロ先生」「リン・ハレル」「百万ドルトリオ」などといったものばかりが目に付き、そのどれも魂を揺さぶられる熱演であったりもするけれど、いささか油っぽく胃にもたれる。はっきりいって変奏曲を全て聞きとおすのは至難のわざだ。しかしこの軽やかな演奏には無理が無い。無個性が逆に各声部の融合をいっそう緊密なものにして、おおらかではあるけれども技術的な隙は一切無い。この曲の「悲愴さ」が苦手な向きにはぜひお勧めできる。若手やセンセイがたにしかなしえない「無為の為」かもしれない。○。LPはモノラル盤もあるが同一演奏。フィナーレの提示部後半(再現部でオクターブ低い部分から始まる)が全カット(カット可と原譜指示もある箇所だが、指示より大きい気がする。。)という点は痛い。 2010年メロディア正規CD化。

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モーツァルト250歳誕生日

ところでこういう記事が有る。

<産経新聞>モーツァルト生誕250年 クラシック危機鮮明

≪全集より寄せ集め「50年後は無関心」≫

 今日27日はモーツァルト(1756-91年)の誕生日。生きていれば250歳。

 この節目の年、母国オーストリアは、生地のザルツブルクと終焉(しゅうえん)の地ウィーンを中心に多彩なプログラムが組まれ、モーツァルト尽くしの1年となる。

 わが国でも、2月にシュツットガルト歌劇場、6月にメトロポリタン歌劇場、11月にはウィーン・フィルが、モーツァルト作品を引っさげ来日するなど、内外の演奏家がこぞってモーツァルトを披露する。

 モーツァルトをめぐる状況は一見華やかだが、「反音楽史」で山本七平賞を受賞した音楽評論家の石井宏さんはこう警鐘をならす。

 「50年後の生誕300年には、だれも関心を持たなくなっているかもしれない」

 モーツァルトの没後200年に当たった1991年と今年を比較すれば、モーツァルト=クラシック音楽の置かれた危機的状況が鮮明に見えてくるというのだ。(中略)

この15年の間に、加速度的に感受性の変化が生じたと石井さんは見る。「重厚長大な作品が博物館入りしつつあるいま、最後のとりでがモーツァルト。そのモーツァルトまでもが解体され断片が消費されるようになった。もはやクラシックを我慢して聴く時代ではない」(中略)

「デジタル技術によって自分の必要な情報を瞬時に取り出すことに慣れた人間は、起承転結というように時系列を追うことが苦手になっている。お笑いの世界で瞬間芸がもてはやされるのはそのため。いまの日本ではクラシックのように時間的に構造化された芸術は、受け入れられる余地がない」(桑原聡)


(続きは産経サイトへ)

・・・あくまで日本だけの現象かもしれないけど、日本はそもそもクラシック音楽の伝統とは乖離した存在であるし、クラシックが売れないからといって文化的に低劣になってきているとかいう言説は根本的にあたらない(輸入文化が悉く吸収され高度に純化されるとは限らない、必ず淘汰がある)。「時間的に構造化」以前に、「聞くのに教養と長時間を要する大規模音楽芸術」なるものが日本古来の伝統文化として存在していたかどうか、目を転じてみてほしい。雅楽のようなものはある程度の時間が必要であるにせよ(あれとて輸入音楽だが)たいていは30分とか1時間とか長時間拘束されるものではない。悠長な西欧貴族文化の中ではぐくまれたクラシック独特の「作法」が、いったんは「啓蒙的」音楽家によって吸収されかかったけれども、結局通じなくなってきた、それだけのことではないかと思う。マイナーでいいのだ。大新聞の文化欄で取り上げるほど大した話題じゃないでしょう。

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フルトヴェングラー120歳


誕生日だそうです。もう随分昔の人なんですねえ。二度目の還暦。

ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲

○グランジャニー(HRP)ブダペスト弦楽四重奏団(BRIDGE)CD

いかんせん古くて音が悪いがこのハーピストの芯の通ったリリシズムを存分に味わえる佳録だ。完全にハープを前面に押し出した録音となっており、グランジャーニの同曲の記録中でも最も細かいところまで聴くことが出来るものになっている。全く素晴らしい技巧と音楽性のバランスで、どこにも淀みも重さもなく、かといって軽く透明感だけしかない類の演奏とも違う。改めてドビュッシーの現代ハープの書法の素晴らしさにも感銘を受ける。また雰囲気がいい。ブダペストも表立ってはこないが完璧な音響を響かせている。世俗的な舞曲における彼らの急くように煽るテンポと、それに応えてハープの魅力を存分に振り撒くグランジャーニの極めて自然でなおかつ覇気のある演奏ぶりにかつてないカタルシスをおぼえた。録音マイナスで○にしておくが、今まで聞いた中でも第一級の演奏である。古い録音に慣れているかたには是非お勧めする。

ラヴェル:クープランの墓

ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団(LYS,HISTORY他)1941/12/6,7・CD

まずは精緻なラヴェルの世界とは隔絶してます。でも面白い。奇演という名がこの演奏にはふさわしい。テンポのロマンティックな揺れ、どうにも雑然とした、でも求心力のある響き、録音さえよければ○をつけてもいいんだけど、演奏の雑さと録音の悪さが聞きづらさを倍増しているので、無印としておく。変な演奏好きにはおすすめ。

ガーシュイン:三つの前奏曲より第2番(ブレックマン管弦楽編)

クレンペラー指揮ロス・フィル(SYMPOSIUM/RADIO YEAR)1937/9(8?)/8・CD

いちおうそれらしくはあるのだが、原曲のジャジーさが管弦楽によって大仰すぎるものに化けた感もある。高音打楽器の響きに美しい要素があり、演奏自体は精緻でクラシカルなものだが、ジャズ的な予想通りのオーケストレーションとのちぐはぐさもある。全般、ゆっくり沈潜するような雰囲気はガーシュインメモリアルコンサートにふさわしいとは言える。無印。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

○クレンペラー指揮ロス・フィル、リンデン(FL)(SYMPOSIUM)1938/1/1PM3:00-4:00放送・CD

物凄く「純音楽的演奏」でしょっぱなから幻想は皆無。ただ、聴くにつれ非常に精緻な響きを編み出すことを目していることがわかる。実は凄く現代的なのだ。ブーレーズを引き合いに出すのもアレだけど、とにかく「音だけで勝負しようとしている」。そう思って聴くと「つまんねー演奏」という印象はなくなるだろう。耳からウロコの可能性大。情緒は皆無ではないが期待しないでください。新鮮。これで録音が最新だったら現代の演奏として充分通用するよ。批判も出るだろうけど。○。

チャイコフスキー:交響曲第6番

○デルヴォー指揮コロンヌ管弦楽団(DUCRET-THOMSON)1961ケルンLIVE

明るく軽快に飛ばす序奏部からアレ、やっぱりいつもの「フランスチャイコ」かな、と思うが緩徐主題の歌いまわしには情緒が感じられしっくりしてくる。細かい音符の多い曲なだけにライヴだとバラケが出てしまうが、基本的に速い悲愴は好きなので一楽章はOK。続く二楽章も思いのほか正統なロシアンワルツになっていて、面白くはないが楽しめる。三楽章はゆっくりした構築的な演奏になっており流れからすると意外だ。情緒より音響とリズムに配慮がいっており疾走感はないが後半ノってくると心地よい。上手い指揮者だなあ。。明るく単調な音色も四楽章にいたっては見事に悲愴らしい雰囲気にかわる。豊饒な音響も弦の表層的な薄い音を全体としてカバーできている。クライマックスなどパワー不足も否めないが、独特のテンポルバートと厳しく整えられた音響には手を抜く気配すらない。最後の挽歌も暗く沈潜するさまが的確に描かれている。全般かなりまともで、それらしくできており、個性の発露こそないものの、悲愴の演奏としてはバランスのとれたいい演奏だ。ステレオ。

マーラー:交響曲第4番

○クレンペラー指揮ウィーン交響楽団、シュティッヒ・ランダル(SP)(TESTAMENT)1955/6/21ライヴ・CD

うまくリマスタリングしたもんだ。VSOとの記録なんて余り褒められたもんじゃない聴感のものが多かったのに、ここでは敢えてかどうか知らないがVOXのようなソリッドな音ではなく輪郭のぼやけた耳優しい音に巧くまとめられていて、ウィーン響の粗さが全く聞こえてこない。とくに弦だ。ウィーン響じゃなくウィーン・フィルだと言われても誤解するくらいまとまっていて聴き易い。ほんらいの姿ではないかもしれないが、クレンペラーの若干速めのテンポ(殆どインテンポ)と水際立ったリズム処理に俊敏に対応している「ように聞こえる」ため、録音がもう少しよければ◎にするのもやぶさかでないほどである。再評価期のクレンペラーの真価が問える内容といえよう。もっと引いた耳で聞くと実は同時期のクレンペラーにしてはそれほど速くはないこともわかり、特に2楽章がむしろ「遅い」ことにも気づかされるが、リズム処理の巧さが重さを感じさせず、とても心地いい。古典的というのともまた違う、これはウィーンの音のせいかもしれないが情緒も充分にふくんでおり過度にも不足にもならず、素晴らしい。3、4楽章についてもクレンペラーに通常感じられる情緒不足など感じられない。非常に立派で「聴き易い」ものだ。古い録音の遠さ、モノラルさが普段気にならない人なら、聞いて損はない。ライヴならではの雑音も楽章間を除けば殆ど残されていない。リマスターの勝利かも。

andanteレーベルの信用?

プラハの春シリーズの一巻目が出たので渋谷タワーでやっと買った。

・・・4枚目のCDが紙ケースの折り目に挟まり接着されてたよ。

無論読めない。返品だけどさ(めんどくせーよ!)、アンダンテでまともなCDセット入手したほうが少ないくらいだ。詐欺まがいのワルター大地の歌拍手挿入スタジオ盤とか、不良品だってこれが最初じゃない。違うCDが入ってたことだってある。なんでまだ健在なの?

希少録音はいいけどさ、たいてい要らない音源のツマミくらいで入ってるし。
あー腹が立つ。今度からアンダンテ盤は店頭で中身をちゃんと開封確認してから持って帰らないとな!

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ドヴォルザーク:交響曲第9番

デルヴォー指揮コロンヌ管弦楽団(DUCRET THOMSON)1961ケルンLIVE

最後まで「引っ掛かり」が無い。

つまりはデルヴォーの個性が、最終楽章のデジタルで恣意的なテンポ設定(これとてごく一部)以外に発揮されていないということである。デルヴォーの個性はやはり本領であるフランスものでしか発揮しえないのだろう。オケの音色も明るく軽すぎる。ライヴゆえの乱れはあるがとても集中力は高くアンサンブルは完璧に近いけれど逆にケレン味のひとかけらもなく颯爽とひたすら軽やかに、全く揺れずこだわらず、リズミカルな処理はさすがにうまいがこれもライヴゆえのものと考えられなくも無く、特にデルヴォーファンであっても聞く必要はないだろう。憂愁ドヴォ好きはまず退けて結構。一連のケルンライヴの貴重録音ではあるが、気分次第では(ちょっとおフランスな気分なときとか)コテコテの演歌を聞きたくないけど国民楽派を聞きたい、なんてレアな気分のときにはいいかもしれない。迷ったが個人的思い入れを切り離して○はつけないでおく。録音は極めて明晰。

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

◎R.カサドシュ(P)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(COLUMBIA他)CD

まあ聞く時聞く状況によって印象なんていくらでも変わるものだ。今回この演奏とヴィトゲンシュタインの新盤を連続して聞いた感想としては、

すごすぎ。

ていうところか。まずフィラデルフィアのオケの力量といったら並外れており、この曲の演奏にありがちなオケ側のソリストの不備といったところが欠片も見つからない。そのすぐれた表現力と完璧な技巧にアンサンブルは、余りに豊穣すぎるがゆえに多少重たさも感じつつ、唖然とさせられるほどだ。戦後すぐのオーマンディ全盛期のフィラ管が如何に飛びぬけて凄かったかを実感させられる。録音のよさというのもあるだろうが、管弦楽がこれほどに雄弁に鳴って、また詩情あふれるソリストを一切邪魔しないというのも凄い。カサドシュに関して私は無機質ということをかつて言ったように思うのだが、この演奏においては細かいレベルではかなりテンポ設定を変えタッチを使い分けて、しかも全く不自然さを感じさせないという非常に高度なことをやりとげている。余りに自然で巧すぎるがゆえに引っかかりが無い、ということで無機質と感じたのだろう。よく聴けばこれほど詩情あふれる演奏はない。左手だけの演奏家であるヴィトゲンシュタインの不備はその隻腕が力を入れるバランスに影響している感じがするので、ヴィトゲンシュタインが下手とかいうことも言いたくはないのだが、それでもヴィトゲンシュタインは他の演奏家と並べて論じられる気がするのに、この演奏におけるロベール・カサドシュには他の「作曲家直伝とされる」者を含む演奏家たちとも、隔絶した高度なものを感じる。どこにも言い淀むところもごまかしもなく、その技巧の下で曲を完全に自己薬籠中のものとしている。大ピアニストならではの有無を言わせぬ完成度だ。軽やかなのに軽くは無い。力感にも一切欠けていず、完全にこの曲に適切な力加減である。いくらでも強くできる余裕があるのだが、ここでは「適切」な力感で最も効果をあげている。ロン全盛期に左手を弾いてもここまでのものにはならなかったろう(手があわないといって弾かなかったそうだが)。ざっぱくに言ってしまったが、とにかくモノラルであるのが惜しい。◎。

ラヴェル:ピアノ協奏曲

○サンカン(P)デルヴォー指揮バーデン・バーデン南西ドイツ放送管弦楽団(club france他)1964/10/3-6・CD

正統的なラヴェルの協奏曲の演奏と言えるだろう。デルヴォーらしい作為がちょっと見え隠れするところもあるけれども、そこがアクセントとなって巧くまとまっている。演奏的には十全といってよく、サンカン先生の解釈の絶妙な「寸止め」は、ロマンティックにならず無機質にもならず、つまりヴィトゲンシュタインにもならずミケランジェリにもならず巧い事バランスを保っている。音色が明るく単調だが楽器のせいかもしれない。そこを繊細なタッチとテンポ変化でカバーしている。特に単純であるがゆえに難しい2楽章の表現は、ギリギリ感傷を煽りながらもラヴェルの厳しい視線をつねに意識しているかのようにそこに溺れないで乗り切っている(デルヴォは溺れる傾向がある)。規範的だろう。ペルルミュテールやフェヴリエよりはロン婦人に近いか。なかなかだが、強い印象を残すわけではない。規範ということで○。

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

○バシュキーロフ(P)ドゥブロフスキー指揮モスクワ・フィル(RCD)1965・CD

深みは一切無い。ピアノの音色は単調で乱暴だ。でもここまで圧倒的な暴力で迫ってくる「左手」があっただろうか?これはぜひ音をソリッドに設定してガッツンガッツン聞いてもらいたい。ロマンティックすぎるだろ、という重い冒頭、既に大仰な表現でロシアの野暮を感じさせるが、しかし退屈でもあるこのワンフレーズの序奏の表現力からして凄まじく(小さい音で聞いたら何も聞こえてこないたぐいの悪い録音(モノ)なので気をつけて!)、そこから何の憂いもなく鍵盤に指を叩きつける若きバシュキーロフ先生、まるで重い鋼鉄のような、指が何で壊れないのかわからないくらいの力強くも冷たい響きが何故か異様な説得力をもって迫ってくるのだ。終始同じ音色で同じトーンではあるが、解釈表現が凡庸というわけでもなく、実は何も考えてないだけなのかもしれないが、その奇怪さが面白い。これはクロード・カサドシュとも違うし、現代のバリ弾き小僧とも違うし、何なんだろう?ロシアン・ラヴェルだ。勿論ヴィトゲンシュタイン風の前近代のロマンティックな味付けをしたものでもない。主部の少しの惑いもない(フランスの演奏家はここで指がもつれるような惑いを示す者が多い)非常にリズミカルな突進は特筆ものだ。なんなんだろう、この物凄さは。音がよければもっと楽しめたのに、どうも録音が心もとなく、ちょっと腰折れではあるが折角のモスクワ・フィルの伴奏(やはり管が巧い)スヴェトラとも違う独特の無骨な解釈ともども、聞いて損はないだろう。ただ、ラヴェルのファンにはお勧めしないが。○。

<おしらせ的なもの:お願い>

すいません、チェリビダッケのベルリン・フィル帰還ライヴ(ブル7)の(おそらく海賊盤)CDの二枚目(3,4楽章)が割れていることに初めて気がつきました。不良品です。しかしどこでいつ買ったかすら覚えていないので返品もできません。奇特なかた、もし「二枚目をダビング」していただければお願いしたいのですが・・・ちなみにクロアチアの(CD-Rではありません)DUMKAというレーベルでそれなりに高価な盤でした。

レス待ってます。

あとすいません、今は受け付けておりませんが、ダビング依頼を二件お受けしています。この場を借りて、もう少し待ってください、ということと、音質は期待できません、ということをあらためてお伝えしておきます。

ちなみに金銭授受およびそれに関する行為は一切行うつもりはありませんが、チェリにかんしては何か別のものと交換という形をとらせていただければと思います。

ちなみに最近物騒ですので住所等の個人情報のやりとりにも気をつけなければならないものと思います。上記にかんしてMP3形式でのアップローダーの使用を行うことが可能であればそういう形をとりたいと思います。が、生憎使い方がわかりません(爆)もし該当するかたで使い方をおわかりになるかたがいらっしゃれば教えてくださいです。

以上です。

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あけましておめでとうございます


今年もよろしくお願いします。

コバケンで年明けしたかたも、それぞれの好きな曲で年明けしたかたもいらっしゃることでしょう。私は右耳がコバケンの第九で左耳がボロディンの夜想曲(ガリミールSQ(新))でした。あいかわらずアイヴズの世界です。

それでは今年もゆるゆるいきますので。今年は検索の都合を考えて全面ブログにデータ移行させたいものです。何故か消えてる記事が多いことにいまさら気がついてます。デハ。
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