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時差的に間に合うか??

昨日書き忘れた!3月29日はウォルトンの誕生日でした。
腹壊れまくりなのであのズシズシくる曲群はきけまへん。

昨日もフィッツウィリアムスのひいたディーリアス弦楽四重奏曲を書こうと思ったんですが、脳は元気でも体がついていかずかけまへんでした。ある意味若々しいけど音色の柔軟性に欠け解釈もツボが外れて面白くない、とか書くのはたぶん、あと数年後になるでしょう。あの遠い目をした三楽章中間部を弾くにはまだ若かったのかな。

それにしてもネットって流れが速いというか、しょっちゅう話題が変わってきますねえ。余りに細かいバーチャルコミュニティのセグメント分け、それぞれの極度の閉鎖性とそれらに横断的に「通りすがる」ネットガキの横暴発言ぶりに嫌気がさしてすっかりディスコミ状態でせっしてる私も、ときどき過去のネ友などの様子を見に行くのですが、まあ、沈没してるか、やさぐれてるかのどっちかですね、「ネットの水面上に出てる部分は」。

結局リアル社会で生きていくべきなのだよねえ。趣味やらマニアやらにすぎなくてもね。あ、これクラシック音楽の世界だけじゃないので。今日はゴッホの誕生日です。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第1番

〇ボリショイ劇場弦楽四重奏団(multisonic)CD

だだ長い曲だがドヴォルザークの多くやスメタナのような旧来のカルテット様式(ベートーヴェンの流れの上にいるドイツロマン派的な楽曲)に沿った構造的な曲であり、耳馴染みがよいと感じる向きもあるだろう。一楽章(ハーモニー、転調の独特のくせや、とくに緩徐主題のワルツは2番スケルツォのワルツ主題そっくりで美しい)や三楽章(中間部のフラジオによるアンサンブルは民族楽器的な意味にとどまらない新鮮な効果をあげている)は2番につながる個性の発揮された名品といっていいだろうが、悲歌的な2楽章や主題の扱いや古臭い構造書法に研究成果的な秀才ぶりが目立つ4楽章は退屈である。もちろんそっちのほうが好きな向きもいよう。簡潔明快な2番とはやはり違う位相のものであり、中央アジア的な「ワンパターンな」ハーモニーの用法も控えめだ。グラズノフはボロディンの「ここ」から派生していきロシア国民楽派には珍しいプロフェッショナルな技術を発揮する折衷派の代表格になっていった。西欧のアカデミックな技巧をロシアの位置で検証吸収しようとしていたリムスキーやボロディンらの研究的側面はあまり知られていないが、直接的成果があまり芳しくないところも理由としてあり(それだけ急進的部分(もしくは民族的部分)の衝撃と魅力が強かった裏返しでもあるのだが)、中では相対的にすぐれたものと言えるものではある。

ボリショイは慣れている。素晴らしく板についている。厳しく勢いがあり、録音もアナログのふくよかな音を留めていて聞きやすい(板起こしだろう、4楽章冒頭がよれている)。民族色をもっと出してほしいきらいもあるが曲がそもそも「ちぐはぐ」なのでどちらかに合わせるしかなかったのだろう。〇。モノラル。

ルーセル:弦楽四重奏曲

○レーヴェングート四重奏団(DG)LP

旧盤という呼び方でよろしいんでしょうか。モノラルだがとても整理されて聞きやすい。あ、ルーセルってフランスだったんだ、という改めての確認ができる(ミュンシュ的力技の暑苦しさを排し不協和音の繊細な美しさを忠実に浮き彫りにしたブーレーズの3番シンフォニーの演奏なんかでも感じるところだ)。それ以前に音楽に入りやすい。構造が入り組み重なりすぎて(ハーモニーが重過ぎるということもある)旋律線が埋もれがちなルーセル後期の作品は、余り解釈しようとせずに演奏すると、各奏者は面白いが(構造が売りな作曲家なだけに旋律じゃなくてもちゃんと面白く弾けるようにできているのだ)聞く側はわけがわからない晦渋さや耳障りの悪さを感じるだけで、フランス派の単純に美しい音楽を期待する向きはうっときてしまうことが多い。フルートと弦というような組み合わせで音色で描き分けがなされているぶんにはわかりやすいのだが、弦3本、弦4本となると慣れていないと音楽として分析できない(分析しないとわかりにくいのは曲的にどうなのかとも思うが)。レーヴェングートの巧いところは決して奇をてらわず勢い任せにもせず、注意深くバランスを保ちオーソドックスに弾いているところで、音色にも奏法にも特に面白いところはないが、わかりやすい。2楽章の晦渋さはどうしてもぬぐえないが理知的に配置された旋律の美しさがさりげなくもくっきり浮き立たせられているために後半楽章での変容再現が聞く者に鮮やかに印象付けられる。後期ルーセルは構造を無視して弾くことはできない。構造の上に実はちゃんと旋律がのっかっているということを常に意識してやらないと、構造のみを聞かせるマニアライクな曲になってしまう。ルーセルのカルテットが売れないのはひとえにそこの難しさがあるが、この曲を得意としていた数少ない団体であるレーヴェングートの旧盤、学ぶべき部分はたくさんある。でもオーソドックスすぎるので○。ミュンシュもそうだけどルーセルは元々ぎっしり詰め込まれた曲をかくので暑苦しく表現しようとすると濃密すぎてうっときてしまうんですよね。。

型式重視。こんなに晦渋でも新古典主義の作曲家と位置づけられるのはそのせい。

アイヴズ:ウィリアム・ブース将軍の天国入り

○ドレーク(B)グレッグ・スミス指揮コロンビア室内管弦楽団、グレッグ・スミス・シンガース(COLUMBIA)1966/5/4・LP

前衛手法がかなり露骨に使われている人気曲である。昇天の皮肉な情景に見えなくも無いがちゃがちゃした内容だが、弦の驚異的なグリッサンドや微分音(だと思うんですけど譜面見てません)の繊細な「ざわざわ感」や叫び風の合唱など、交響曲第四番二楽章にも使われた素材のカオスはこれはベリオかと思わせるような感じだ。部分的にはストラヴィンスキーの初期作品の構造的なバーバリズムを想起させたりと、アメリカ住まいのストラヴィンスキーも私的演奏会に通ったという(しかし微妙な)精神的近似性もさもありなんと思わせるところだ。表出力に優れかっこいい演奏であり、まずはこれでも十分楽しめるだろう。室内楽的で、なかなか緊密だがしかし自由さもありよい。歌唱はろうろうときをてらわないものだ。

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アイヴズ:組曲「三つの野外の情景」~池

○シューラー指揮室内管弦楽団(COLUMBIA)1969/3/31BOSTON・LP

サウンドスケープの表現に極めて優れた手腕を発揮するアイヴズの管弦楽作品集の中の一曲で、池ポチャの音楽といったら元も子もないが、水を打ったような静けさ、それだけの極めて美しい「音風景」である。金属打楽器が時折水の撥ねる音を「そのまま描写」するところが何とも言えない情緒をかもす。前衛の先駆として最近注目が深まっている父君へのオマージュだそうだが、叙情的な雰囲気はそこに起因しているのだろう。この演奏は現代音楽として現代も十分通用する内容を伴っている、と確信させるに足る静かな演奏だ。○。

アイヴズ:賛美歌(ラールゴ・カンタービレ)

○ニューヨーク弦楽四重奏団、ブラーム(Cb)(COLUMBIA)1970/5/25NY・LP

この曲はなかなかいいバランスの演奏がなくて困っている。思索的だがわかりにくくはなく、解体された賛美歌旋律がシェーンベルク張りの伴奏音形の上に元の姿へ組みあがっていくさまは密やかだが鮮やかで、短くすっきりしているところもアイヴズらしくないまでに完璧でいいのだが(3番交響曲の終楽章を短くもう少し現代的にしたような感じ)、全く透明で金属的に演奏してしまうと何か「物足りない」。アイヴズはドビュッシー同様「プラスアルファを要求する」。それが過度であってもならないということも含め。なかなかに難しい。バンスタ以外で納得いく演奏、しかも本来の弦楽五重奏型式で、となるとないのかなあ、と思っていたが、これは非常に注意深く、過度にロマンティックにも、過度に透明にもならずに最後までもっていっており、うまいとこだけ印象に遺すようにしている。かなり弱音で貫いているのでともすると聞き流しかねないものだが、「押し」ではなく「引き」で演じたところに成功の秘訣があるように感じた。○。最後は協和音で終わるのが通例だがこの演奏では不安な不協和音で終わらせている。非常に注意深く演奏されているので違和感がなく、却って曲の哲学性を深める良い出来になっている。

アイヴズ:ピアノ・ソナタ第2番「コンコード・ソナタ」

◎ジョン・カークパトリック(P)(COLUMBIA/iTunes)1968STEREO

クラシックなんか全く聴かなかった頃(弾きはしたけど)ふと耳をついて離れなくなった音楽、それがアイヴズの「答えのない質問」(但し冨田勲版)だった。宇宙的な不可思議な響きはニューエイジ系の響きによくあっていた。その後小澤のシンフォニー4番によってこのマーラーの同時代者にして孤高の前衛作曲家に開眼することになるのだが、アイヴズの特徴はカオスとか前衛手法とか細かくはいろいろ言われているけど、ほんとうのところ「静寂とノリのコントラスト」の凄みにあると思う。静寂については言うまでもあるまい、ドビュッシー(アイヴズはドビュッシーを相対的には評価していた)の旋律構造との近似性を指摘される極めて美しいメロディのかけらのさりげない感傷をも呑み込んだ、静かな不協和音の広がりの中に微細な変化をきたす音楽(じっさい印象派と言っても過言ではない抽象的な小品も多い)、特に金属的音響の静かな扱いにおいて極めてすぐれており、サウンドスケープ作家としてまずは素晴らしいものがある。ここはヘンクなどが得意とする世界なのだが、一方「ノリ」については余り言われない、というかどうしても「現代作品のように」分析的に演奏されることが多いので、ほんらいあるべきと思われる「全ての楽器が勝手に鳴ってごちゃごちゃになりながらも濁流のように突き進む力」をもった姿とかけ離れた「数学的側面」ばかりが強調され、違和感を覚えさせることも多い。時にはそういうアプローチがゆえに曲自体「構造的に」弱いと思わせてしまう。だがアイヴズの構造の概念は最初からポストモダン的というか、部分部分の構造は視野にないものだ。無造作な集積物に対する「大掛かりでざっぱくな構造」こそがアイヴズの「構造」であり、そのまとまりのなさを如何にまとまりないままに、しかしどこかへ向かって強引に突き進んでいるように「感じさせるか(分析させるかではない)」が肝なのだ。

コンコード・ソナタは今ではかなり取り上げる人も多い。アイヴズの作品には極めてクリティカルな版問題がつきものだが、本人も繰り返し述べているように「好きなように弾けばいい」のであり、この演奏が出版2版と異なっているといっても、ここにはジョン・カークパトリックというアイヴズの使徒が、決して下手ではない素晴らしい勢いのある押せ押せの演奏ぶりで「自分なりの真実を抉り取っている」さまがある、それだけが重要なのである。「この小節はスウィングできるなら何度でも繰り返せ」・・・例えばこういった譜面指示にアイヴズの本質は端的に現れている。「ノリ」なのだ。「民衆それぞれが自分のためだけの交響楽を作曲し奏で生活に役立てることができる」世界を理想とし、作曲家はその素材提供をするにすぎない、いかにもアメリカ的な哲学のうえでこの作風が成り立っていることを理解しておかないと、変な誤解を与える退屈な演奏を紡ぎ出しかねない。民衆は時には静寂を求めるが、たいていはノリを求める。

話がそれてしまったが、今は亡きジョン・カークパトリックは1940年代後半にもコロンビアにモノラル録音(全曲初録音)をしている(楽章抜粋を同時期の少し前にやはりコロンビアに録音している)。ステレオ録音LPのジャケット裏にかかれているとおりアイヴズと密に連絡をとり、意図と「意図しない」ところを常に認識しつつ、この独自の校訂版を作り上げた(有名なフルートやヴィオラも挿入されない)。そのため原典版と呼ばれる譜面に基づく録音が後発されることにもなった。演奏スタイルは繰り返しになるがかなり前進的なもので思索的雰囲気よりも「ノリ」を重視している。ペダルを余り使わず残響を抑えているのが好例だ。ラグなどの表現では特に場末のアップライトピアノでガンガン弾いているような面白さがあり、特に卑俗な旋律断片が奔流のように次々と流れるところはダントツに面白い。構造的に弾いてしまうとアイヴズ特有の「つじつまのあわない」クセが目立ってしまい、途中でめんどくさくなってしまうか飽きてしまうものなのだが(その点1番の緊密さは素晴らしい)、この演奏(版)はとにかく「飽きない」。面白い。

アイヴズ協会が動き出したあとの現代、この譜面がどうなっているのかピアノを弾かない私はよく知らないが(奏者ごとに当然いじるのだろうが)、昔は交響曲でもジョン・カークパトリック(ラルフじゃない)の筆写編纂版が使われていたくらいで、アイヴズ自身もこの人の演奏を聞きアドバイスをしているくらいだから、もし違和感を感じた、あるいは譜面との相違点が気になったのなら、「こちらの演奏のほうが本来の姿」だと思うべきだろう。CD化は寡聞にして聞かないが、最近やや低調気味な人気の中、新録を沢山出すのも結構だけれども、この「アイヴズの権威」の演奏を復刻しない手はないと思うのだが。旧録然り。ノリという点でも内容の濃さ(変に旋律に拘泥せず全体の流れで曲を押し通している)という点でも、◎。この版、純粋に音楽的に、バランスいいなあ。「運命の主題」を軽く流しているのもいい。ここに重きを置くとキッチュになりすぎる。

この曲はアイヴズ出版作品の通例としていくつかの原曲素材の「寄せ集め」で編纂されたものだ。その部分部分については自作自演もあり、これは一度CDになったようである。(後補)2016年現在、iTunes配信されている。

ディーリアス:ラ・カリンダ

バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)CD

雄大でロマンティックなバルビ・スタジオ録音のいいところも悪いところも典型的に出た演奏。ただ、この劇中音楽には軽やかで颯爽とした表現が欲しい。まずリズム感が皆無で横広がりの旋律音楽になっており(これも典型的なバルビ節だ)、ボロディンを意識したと思われる駿馬が草原を走るような情景は微塵もない。ロマンティックな歌曲を聴いているようだ。ハレ管はいつになく巧い(この曲は縦横に配置された短い音符を全部揃える必要があるという点では結構面倒なのだ)がイギリスオケの特徴である軽い音が発揮できない。いや、発揮させていないのだろう、バルビが。木管ソロも(非常に難しいんだけど)通り一遍の表現で美しい旋律を最大限に生かすまでにはいっていない。違和感ギリギリまで歌うべきなのだ。旋律美はこの短い曲の大きな魅力の一つであり、遅いテンポが表現の邪魔をした可能性もあるかとは思う。総じて雄大過ぎ。無印。

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ(リハ) 

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1953/4LIVE・CD

通しリハに近いものを含むほぼ全曲が聴ける。しかし録音は悪い。ピッチは高いし篭っていて重い。演奏自体も重く、ロマンティックな厚い雲が本来の軽やかさを覆い隠している。むせ返るような甘い音、力強く分厚い音響は説得力はあるが、ラヴェルのさりげないよさを引き出しているとは言いがたく、テンポの異常な伸び縮みも、さすが自然ではあるが違和感は拭えない。余りザッツを合わせるとかいった意識がないのはしょうがないが、人によっては聞きとおすのは難しいだろう。ぶつ切れリハであり、それを前提に聞くべきなのは言うまでもないが、このロマンチシズムに嫌悪感をおぼえるラヴェル・ファンもいると思う。総じて無印。

前に書いたおぼえもあるが構うもんか。

・・・と思います、て。

今日のN響アワーはマリナー唯一の客演です。もう80台という年齢に驚かされますが、20年以上前とはいえ、見た目若いです(40台に見える)。さすがタリスはうまい!徳永さん若い。。綺麗な音。誰だこのころのN響の弦はダメいうたの。懐かしい音。シェフ次第なんだなあ。歌う歌う。スピードがいい。

それにしてもいけべさん、素晴らしい解説家なのに興味のない作曲家については素晴らしくいーかげんです。。タリスのスコアなんてポケットスコアなら二束三文。編成配置に特徴のある曲だけど、「多分スコアにそう指示してあるんだと思います」て。と言う私もスコア出そうともしませんが。凡庸なRVW評に必ず書かれる「映画音楽的」て台詞も常套的。もとより映画音楽作曲家でもあるし、映画音楽確立以前に作風確立してた人なんだから。

ラトルより余程わかってるよなーマリナー卿、当たり前ながら。

マーラー:交響曲第6番

○M.ヤンソンス指揮RCO(DonIndustriale:CD-R)2005/9/1LIVE

放送エアチェックで音的にはインホール録音、即ち残響もバランスもそのままのものであり、茫洋として、逆に冷静に聞くことができる。1、3、4楽章は演奏の印象的にはLSO同様のもので寧ろ激しくなっているようにも感じるが、「音の迫力」や「聞き取れないレベルの精度」といった面でやや劣るようにも思う。というのもやはり録音のせいで細部が不明瞭で、それがために寧ろ「凡演領域」に近づいた感じが否定できないのだ。せっかくの高精度もやや不明という残念さがある。だが、2楽章(アダージオ)の表現の深さといったらない。これはもう完全にマーラーだ(マーラーなんだけど)。感情の起伏が激しく氏の昂りを感じる。他の楽章でも他の盤でもうなり声は聞こえるのだが、この盤では演奏に伴ったものとして印象的に残る。傍証的なことを書いてしまったが、暗くロマンティックなマーラーの情念を表現しきるまでにいたっている。基本的な解釈はLSOと同じなのかもしれないが、ここでも更に激しくなった感があり、いかにもライヴらしい。これはよい。4楽章も飽きさせないスピードが気を煽り、この曲では相対的に余りフューチャーされないブラス陣もRCOらしい中欧的な重厚さと生々しさがあってLSO盤より聞きごたえがある。総じて録音のために大推薦とまではいかないし、明瞭な正体は正規盤に譲るものとして、○だけつけておく。氏の悲劇的は聞きやすいうえに血が通っている。血という部分ではLSOより濃いような感じがするとだけ付け加えておく。

マーラー:交響曲第6番

◎M.ヤンソンス指揮ロンドン交響楽団(LSO)2002/11LIVE・CD

難点を言えば三つある。

1.録音が余りに優秀すぎて本来の姿がよくわからない(ヴァイオリンの細かい装飾音符まで明確に聞き取れるのはいかがなものか)

2.ブラスが相対的に弱い。録音バランスのせいかもしれないが弦主体の組み立てになっているように聞こえる。

3.奇妙な解釈や大仰な表現を好む人には向かないまっとうな解釈である

つまり難点は無いに等しいのだ。冒頭中低弦の僅かなアッチェルで瞬間的に引き込まれ、体感的に速いスピードのうえで実にリズミカルな処理の巧さ、水際立ったテンポ感は素晴らしく、水のように淀み無い流れの中にもしかし確かな起伏もあり(この演奏ではやや穏やかではあるが)飽きさせない。音響の厚さ、深く重厚な表現にも欠けていずあきらかにこれは最新録音によく聞かれるたぐいの軽量級の悲劇的ではない。このようなドイツオーストリア系の音楽にも確かな適性を示すところが父君アルヴィッド氏とは違うところかもしれないが、いかんせん父君の演奏復刻は遅々として進まず抜群のオケコントロール(もちろん晩年は教育者として国外で活躍した父君のメンタリティの影響もあるだろう)や幅広いレパートリー(父君はロシアにおいて南欧の曲を南欧ふうに演奏できる数少ない指揮者であった)という共通点を除けばなかなか単純比較はできないものである。父君の国内実演を目にすることのできた幸運な人は限られている(私も聞いていないが、ムラヴィンスキーの代替指揮者というイメージで捉えられすぎていた面もあるようだ)のだからそもそも父君との単純比較論は無理がある。活躍した場の違いが大きく、振ることのできたオケの演奏適性や能力の違いがまるで出てしまっている状況を鑑みるに、マリス氏が「父君を越えた」かのように喧伝されるのは不思議な現象であるが、これも日本のマニアの狭量さを示す一例である。

もっとも私も僅か10年ほど前と今のマリス氏の変貌に驚嘆することしきりで、この進歩が確実に父君を越える日も来るのかもしれないとは思う(スタイルが違うので「越える」という表現自体おかしいかな)。10年以上前、氏と親しい方に推薦されて盤を聞いたりしてみたのだが、振っていたオケのせいだったと今になっては思うのだが、硝子のような透明感と客観的な奇をてらわない解釈が、横広がりで莫大な「当時ありがちだった現代的な演奏」に聞こえてしまい、奇演不思議解釈にどっぷり漬かっていたロシアマニアの私には「肌が合わなかった」。リハを聞く機会もあったのだがパスしてしまった。音響の美しさを追求するのは曲によっては正しいやり方かもしれないが国民楽派からロマン派末期の音楽をやるには物足りない。

しかし今のマリス氏はもうそんなレベルではないようだ。ここには熱いマリス氏が聞ける。弦楽器のパキパキゴリゴリいう音が終端部まで聞こえ続けるこの緊張感。それに細かい音まで全て計算ずくでパズルのように組み立てるマーラーに対して、その計算を余すところ無く音にし一本の音楽に纏めきった物凄い演奏精度(どういう「磨ぎ方」をすればロンドンのオケがここまでノって気合を入れ音にできるようになるのだろう、ヴァイオリンの装飾音が全てビッチリ揃って聞こえる演奏に初めて出会った)が伴っているのが氏の「通好み」(嫌な言葉だ)なところであり、後者に拘る古いタイプの聴衆にも受けるゆえんだろう。これがしかも実演記録なのである(もちろんいじってると思うし残響も拍手もカットしている)。

このCDはロンドン響の自主制作扱いだが、かなり安価に簡単に手に入れることができるので現代の名演奏として是非聞いてみていただきたい。あくまで正攻法ではあるが随所にちりばめられた細かい操作が自然に演奏を盛り立てている。1,3(スケルツォ)楽章の腹の底に響き胸を切り裂くような低音のキレのよさがわくわくさせる。2楽章のいかにもマーラーらしい、寧ろ氏のほうからマーラーに歩み寄ったような演奏ぶりや、4楽章のあっというまのドラマも、ベルティーニに欠けていた何か(それはテンシュテットには確かにあったものだ)が補われた、進化した、でも伝統的なマーラーそのものの見事な記録である。ほんらい個性を重視する私はこのてのものに高評価はしないのだが、録音の見事な明晰さとのタッグマッチで◎とせざるをえない。名演。ノリより精度を重視したようなウィーンのニューイヤーを聞くにつけ正直期待していなかったのだが、何にでも同じスタイルで挑む昔かたぎの人ではないのだと納得。

マーラー:交響曲第9番

○ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団(sardana:CD-R)1975LIVE

ジュリーニの9番は評判に違わず良いものだ。即物的な演奏に飽きたらゆったりとした、そこはかとない歌心あるジュリーニの演奏に身を浸すとよいだろう。といってもこの時期のジュリーニはまだ壮年の激しさを維持しており、ワルター晩年のような巨匠様式の透明感ある世界ではなく、かといって過度にロマンティックでもなく、テンポ的にも速めなのだが。有機的な1楽章は表情の深さで耳を打つ。ゆったりとした、しなやかな音はウィーンならではでこの盤の価値を示すものだ。しっくりくる演奏で、9番の本来の持ち味が殊更にドラマを煽らずに生かされている。素晴らしい。2楽章はかなり音が悪く聴きづらい。エアチェックものならではの弱さだろう。4楽章でも聴きづらい場面がある。中間楽章は共に遅く鈍重な感もある。このあたりは好き好きとも言えるが本来はこれでいいと思う。余り速いのは内容的に意図ではなかったのではないか。4楽章は速めだが表現は自然な起伏があり人間的な美しさがある。けっして無機的な美しさではない。ただ、カンタービレともまた違うと思う。教会音楽ふうの雰囲気は確かに維持している。ウィーン響はむせかえるような甘い音こそないものの、オケ本来の滋味を効かせた深情の篭ったフレージングで自然に聞かせる。丹念ではないがそこがまたいいところでもある。もうちょっと艶のある音色が欲しいところもあるが、ニュートラルな音がジュリーニの意図だったのかもしれない。ライヴ自体はそこそこ成功していたような拍手の反応である。○。エアチェックテープ特有の録音よれあり。

マーラー:交響曲第9番

クーベリック指揮NYP(KARNA:CD-R)1978/1/24・LIVE

ダイナミズムに溢れ雄渾な指揮ぶりなのだが、比較的速めのインテンポで細かいニュアンスへの配慮がないのと、録音が悪く(ステレオではある)音量変化が無くて平板に聞こえがち(特に「凪」がない)なために印象に残りづらい。即物的だ。NYPの余り個性的でない音(ヨーロッパ的な重い音ではあるが)とあいまって、確かに九番としては、例えばブラスの発音のようにあからさまな情感の表現も申し分ないのだが、バランスが良すぎて予想通りのスタンダードなもの、という聴感になってしまう。もちろんそれはすれっからしの文句であり曲に親しみのない向きにはお勧めできる・・・だが録音は悪いので大音量で聞かないと響いてきません。そんな感じ。拍手前に録音の瞬断があるのが気になる。

マーラー:交響曲第6番

○フェドセーエフ指揮チャイコフスキー・モスクワ放送交響楽団(relief)CD

珍演奇演好きならこの指揮者はおなじみだろう。キャリアが長いにもかかわらずチャイコの悲愴終楽章の”原典版録音”(テンポを譜面指示通りにやったってだけなのだが)でやっと知られるようになった。日本にもしょっちゅう来ている気がするが、何故スヴェトラほどの人気が出ないのかよくわからない。統率力に問題がある、ムラが多い、その共にスヴェトラも似たようなものだったと思うのだが・・・フェド、スヴェトラにキタエンコがソヴィエト三羽烏と呼ばれた時期もあった(日本だけだと思うがロジェストは別格なんですね)。爆演とはいかないものの、チャイコの例にもあるようにテンポ設定において独特の「価値観」を持っており、この演奏でも(マーラーはこのシリーズ前もかなり昔に4番を録れている)楽しめる部分がある。1楽章は◎にもしたいくらい面白い。近年滅多に聞けない「アルマの主題(第二主題)大リタルダンド」。雄大に盛り上がり歌っていてここまでいくと有無を言わせず豪快にロマンティックな気分になり、かっこよさすら感じる。「ああ、古くはこういうふうに演奏されていたんだよなあ、この部分」といった感慨もある。提示部は再現されないが却って颯爽と前進する感じがしてよい。オケはすっかりロシア色が抜けただの西欧地方オケの様相をていしているものの1,2楽章あたりではかなり頑張っている。

ただ、かなりあっさりとした3楽章から後半楽章にかけて精彩に欠ける感もある。終楽章は部分的に極端なテンポ操作は聞かれるものの、基本的にはインテンポである。漲る緊張感は前半楽章に集中しているといえる。3楽章の某箇所でセカンドヴァイオリンのエコー6連符が削除されていたのにはびっくりした(両翼展開してる意味が・・・)。細部の雑さは旧来のロシアのものというより全体レベルの問題のように感じたが、全般、決して凡演ではない。少なくとも1楽章の小気味いい進展と極端さには惹かれました。○。

ドビュッシー:弦楽四重奏曲

ボロディン弦楽四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。(ここまでラヴェルと同じ文章)

この時期のドビュッシーは熱い音楽をまだ志向しているがゆえにボロディンQの機械的に恣意的な解釈はかなり違和感をおぼえさせる。リマスタリングされた細くて冷たい音の違和感が影響していることもあるが、持ち芸であるノンヴィブ奏法にしても用法が徹底されていず(もっと計算したらうまく組み込めただろう場所はある)、どうも不完全燃焼感がある。恐らく板起こしであり、アナログであればかなり印象は違っただろう。このCDでは局所肥大のヘンな演奏という感じだけがおおいに残ってしまった。よくよく聞けばドゥビンスキーの音には艶があるし、ロマンティックな感じもないわけではないとは思うのだが、、、やはりリマスタリングの失敗か。無印。

ラヴェル:弦楽四重奏曲

○ボロディン弦楽四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。

この楽団はロシアの楽団とはいえ旧来の艶めいた「音色のロマン性」を煽る方向にいかなかったのが特徴的である。その点独特の位置にあり(続け)、それはこのオリジナルメンバー時代において既にはっきりとあらわれている。オリジナルメンバーならではの「ロマンティック」というより「特異に」恣意的な解釈はともかく、金属質で透明な音響を心がけ、特に「ノンヴィブラート奏法」の多用、スル・タストといった特殊な音を出す奏法の導入によって諸所の静謐な音響に独特の境地を編み出しているのは特筆に価することだ(このノンヴィブによる吹奏楽のようなハーモニーこそボロディンQをボロディンQたらしめているものであり、ドビュッシー・ラヴェルの一家言ある解釈団体とみなされるようになったゆえんである)。ドビュッシーにおいては余りうまくいっていないように思われるこの独特のスタイルだがラヴェルにおいては大成功であり、ラヴェルにこのような独自解釈の恣意性を持ち込んでここまで成功できたのはボロディンQだけではないか。しっくりくるのである。金属質の音はラヴェルにお似合いだし、ハーモニックな音楽作りもハーモニーに拘ったラヴェルに向いている。特に3楽章の解釈は絶妙と言ってよく、いつ果てるともない単音の伸ばしや(こんなのおかしいと思うほど長い)RVWかとききまごうような教会音楽的なノンヴィブの響きに「これはラヴェルじゃない、けど、こういう曲だと言われたら、これしかないように思ってしまう」ほどの説得力である。ノンヴィブにモノを言わせる近現代の室内楽演奏様式というのはソヴィエト発のものと言ってよく、それが古楽演奏の流れにいったかどうかは知らないし興味もないが、ボロディンQのスタイルがおおいに影響したことは想像に難くない。1楽章も言われるほど遅くはなく、2楽章がややリズム感が薄いが、3から4楽章への流れはすばらしい。

これがスタンダードではない。久しぶりに聞いて、ボロディンQがスタンダードだと思っていた学生時分を恥ずかしく思うくらい、これはラヴェルの典型とは言えないものだけれども、聞いて決して損はしない。ドビュッシーは珍演と言えるかもしれないが、ラヴェルは珍演と呼ぶには余りに板についている。アナログで聞いていないので◎にはできないが、○でも上位という位置づけに誰も異論はないのではないか。のちのボロディンQは完全に響きと現代的客観演奏の方向にいってしまった感があるが、これはその初期における、まだ完成されてはいないけれど、そうであるがゆえに魅力的な一枚である。

チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

ジュリーニ指揮ベルリン・フィル(CD-R)1991/9/14LIVE

精細に欠ける。というか、予想通りの晩年様式のジュリーニである。ベルリン・フィルの音がまったく生かされず、というかベルリン・フィル自体がお仕事としてやっているかのような感じが非常に嫌だ。弦楽器に何ら気合が感じられない、でも瑕疵もない。スピードはいつもどおり緩く、かといってカンタービレもない。リズムはキレがなく、音符と音符の分離も明確でない感じすらする。最初から最後まで何も感じなかった。無難としか言いようが無い。しいていえばチェリ晩年のチャイコに似るが響きはもっと乱れている(録音のせいもあるけど)。クレンペラーみたいなドイツ式の重量感にいくでもなく、まったくこれは、凡演である。無印。

チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

○ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1956/9・CD

荒れ狂うというか、響きを締め上げ剛速球を飛ばしていく壮年期のジュリーニのまるでトスカニーニな芸風が往年の技巧派オケによって楽しめる録音。音はそれぞれ端正に整えられているが、スピードがまず速いのと、オケの集中力と力感が並じゃない。後年のジュリーニには求めるべくもない娯楽スポーツ的な速さであり、どちらかというとカンテルリに近い感じもあるが、もっとギチギチ締め上げてやっている。オケも必死だが巧い。ライヴに近いくらいの迫力の聴感はやはり同時期のカラヤン録音といいレッグの趣味に他ならないだろう。ステレオ初期にしても録音はかなりいいと思う。ドイツ系の演奏、イタリア系の演奏を想像したら裏切られる。これは国どうこうではなく、曲の本質としての祝祭的娯楽性をまじめに追及したものとして、「小ロシア」の古典的録音として価値が高い。ジュリーニのオケコントロールに拍手。◎に近い○(汗の飛び散る感じはなかった)。

ヒンデミット:交響曲 変ホ長調

○ボールト指揮LPO(EVEREST)

さすがエヴェレストらしい生々しさと迫力ある録音だ。しかしモノラル。ダイナミックで重量感ある反面、響きに鈍重な部分もややある。ヒンデに必要とされる細かい音符のキレがイマイチなのはしょうがないか(現代的に明晰にされても取り付くシマがなくなるからヒンデはこのくらいが映画音楽ぽくていいのかもしれないが)。系統はRVWのシンフォニーでいえば4、6番なのでこちらも「ロマンティックな不明瞭さを持つボールト解釈向きではない」と言ってしまえる面もある。始終盛り上がり続け逆に平板というか、何が言いたいのかわからない気もしてこなくもない。弦楽器に無茶苦茶な要求をする作曲家なのでしょうがないところもあるけど技術的限界も感じさせなくもない(木管は素晴らしい)。「音楽でないものまで音楽にしようとしている」面は評価できるので、○はつけておく。面白いことは面白い。
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