アイヴズにかんするいくつかのこと。

~たぶん間違いなく最も有害な要素は商業主義だ。心と人生のプロセスを機械化し平準化するように仕向けてしまった・・・朝食の支度と死を少し簡単なものにしすぎたのだ。

金で骨抜きのアメリカ!アングロ・サクソンは「子猫」・・・可愛いリズたち・・・になってしまったのか?言われたとおりにやるこんにちの少年・・・不恰好なクッション・・・体を動かさないチャンピオン・・・上手くやろうとする考え・・・放送局を経営してる用心深いばあさん・・・大掛かりな国家的脳軟化事業である映画・・・真実半分ウソ半分の見出しと、極めて典型的な不良のヒロイックな写真を掲げた頭を鈍くするタブロイド紙・・・「テントウムシ」たち・・・オカマの流行歌手・・・一つとして「呪われていない」やさしい耳のためのコンサートホールのホワイエでの楽しみ・・・彼らはみな個性というものを得ている、しかし「アメリカ」は得ていない!

彼女は徐々に男らしさを失っているのか?清教徒たちは”lollers”が彼らを呼んだようにすべてのものを持っていた、しかしやさしくはなかった。外面的には冷たく、偏狭で、頭が固く、石を食うような人々だったろう、しかし彼らは女々しくはなかったのだ。

”リッキー”・ワグナーは時折「ド・ミ・ソ」から逃げ出した、他の誰よりも多く。技術の進展のために多かれ少なかれ良い脳を持っていた、しかし彼はやや控えめな使い方をしていたように見える・・・楽しませる。美しいレディの紫のシルクのドレスのようだ、偽物の高貴さとヒロイズムをもっている。だが小さな池を飛び越えて、真のヒーローになるのを恐れている。そのかわりに紫に着飾ってヒロイズムについて歌うのを好んだのだ。音楽は大きく拡大されすぎ、骨抜きのアートに仕立てられてしまった。ワグナーはその一翼を担ったというわけだ。彼の作品の中の「骨」は、作曲への信念だ。

こんにちにおいてさえ恐らく良い音楽プログラムと呼ばれるもの・・・大都市の交響楽団がやるようなものや、教育機関が行うもの、「オペラ」・・・の約83%は、山へ登るでこぼこ道に比べると、人をとても貧弱な意気地なしに仕立てるものにすぎない。そして、ラジオから流れる音楽の98.25%は意気地なしに仕立てるよりも悪い・・・弱い耳や胃のための一節のゴシップにすぎない。体にやさしいたぐいの、根本的に商業主義に春をひさいだアートなのだ。

~(34年プロムスのオールシベリウスプログラムを聞いて)悲しきワルツ(まるでブラウンシュガーの甘ったるさ)は最終夜に聞いた中では最も大きなものに感じられた。前プロとしては美味しいロリポップ、それ以外の何物にもなろうとしないもの。だが他の交響曲や序曲といったものは悪い。なぜならあれらは小さな音楽を大きく見せようとこけおどしているだけなのだ。すべてのフレーズ、旋律線、コード、ビートはえんえんとあなたがまさに期待するであろう通りに進んでいくだけなのだ

・・・いや期待通りですらない、あなたはそう期待していない・・・陳腐で退屈で平凡な日除け傘、全てがグリーグ、ワグナー、チャイコフスキー(そのほかの全ての女々しいもの)の巧いミクスチャーでしかない。しかし最も悪いところは・・・ここには音楽がいつの日か死ぬかもしれないというヒントがあるのだ。去勢されたチェリーのように、不名誉に死ぬ・・・そういった若者たちが階段の下に立っているのを見る。胃から黄色い胃液を溢れ出させ、一心不乱に食いまくっている。何一つアイデアを持たずに。そして彼らの何人かは恐らく作曲を始める。家に帰り、ぬめぬめしたグルーヴを丸写ししただけで、何かしらの創作活動を行っていると思っているのが見える・・・音楽を救うのだ・・・衰退、死ぬ、死ぬ・・・死。

~いずれにせよ私は音楽を、とりわけ馴染みのないものをさほど聴かないようにすれば、もっと自然に集中して仕事に取り組めると悟った。短く言うなら私は僅かなコンサートしか行かなかった。

~私はこの「習慣」についてそれまで考えたことがなかった・・・私に私の作品のどれかが何某から影響を受けているという主張の載った記事が送られてくるまで。そこに載っているのは私が聴いたことのない音楽を書いた作曲家の名前だった。名前すら知らなかったこともあった。

例えば1919年か20年まで、私はストラヴィンスキーの音楽を全く聴いたことはなかった。そのとき私は火の鳥の一部を聴いたが、病的で単調だと思った。(フレーズのアイデア、たいていは小さなものだが、良くできていて面白かった。しかし彼はそれを大げさに引き伸ばし、退屈にしてしまっていた。)これは私にラヴェルを聴いたときのことを思い出させた。彼の音楽の殆どは私が耐えられないたぐいのものだった。ひ弱で、病的で単調・・・あなたが楽しませてほしいと願うなら十分楽しませるもの。

1923,24年くらいになって私は交響楽団の演奏でストラヴィンスキーの「中国の夜鳴きうぐいす」の一部を聴いた。春の祭典は聴いたこともスコアを見たこともなかった。だが私は(批評家などの発言記事を見せられて)尋ねられた。私の音楽のいくつかには・・・例えばパットナムのキャンプ(管弦楽組曲第一番の二楽章)・・・が春の祭典から強い影響を受けているという。個人的に私はそれらに共通点があるとは思えない。この楽章のいくつかの部分は人に言わせるとストラヴィンスキーに由来しているというが、ストラヴィンスキーが祭典を書くより前に書かれたものである(少なくとも、初演より前である)。これはピアノの打楽器奏法の習慣から直接来たものなのだ。

~思い出されるのは1927年に交響曲第4番の一部が演奏された後のことだ。ダリウス・ミヨーがコンサートに来ていて、彼の音楽も一緒に演奏されたのだが、シュミット氏に、他の音楽ではかつて見たことの無いようなたくさんのことを、私のスコアに見出したと語ったという。それらが何なのか、彼が何を考えていたのかは、通り一遍のことを除けばわからない。(私はこの二つのコンサートについて、退屈でも簡単でもなかったとしても、言及しないでおく。(多くのアメリカ人のように)べらべらと多くのことをしゃべりたくはない。すべてのアメリカ音楽は現代ヨーロッパ音楽に追随しているだけだ、というようなことには、ミヨーがよく言及している。)

~マックス・スミスとメアリーは1912年5月のある日曜日をハーツデールのホイットマンの家で私たちと共に過ごした。私は交響曲第三番を演奏し、マックスは私にどうやってこんなモダーンさを身に着けたんだ??!!と尋ねた。(これが写譜に出されていたとき、確かタムのオフィスでグスタフ・マーラーが見て、コピーをくれないかと頼んだ・・・彼はとても関心を持っていた。)

N響アワー「大阪国際フェスティバル」のストラヴィンスキー自作自演風景を見ながら、旅支度のさなかに見つけたRVWの9番のミニチュアスコアとアイヴズ/カークパトリック「メモ」に浮気しつつ。大阪国際フェスティバルの模様はTDKよりDVD化されている。アイヴズは確かに飽きないが、余りに詰め込みすぎである・・・人の耳はそれほど頑丈ではない。

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ラヴェル:博物誌


○メリマン(msp)マデルナ指揮バイエルン放送交響楽団(arkadia)1960/12/2live・CD

マデルナのフランスものはコテコテマーラーなどに比べて美しくリリカルだ。この歌曲集においても無邪気なウィットと仄かな感傷が暖かい雰囲気の中に入り混じったいかにもルナールの作風を髣髴とさせる演奏になっていて、ルナール自身が嫌うほどにその世界と隔絶したものではない、むしろ素晴らしく「あっている」作品だと思わせるに十分な出来になっている。ラヴェルというと無機質に感情を入れず透明に響かせる演奏のほうが「正しく作曲家の意図を実現している」と理解されがちだが、歌曲はまず詩があるのであり、またラヴェルの一部楽曲には感情や感傷といったものを表現「せざるをえない」、音楽自身が作曲家の意図から離れ感情をあらわにすることを求めている、といったものが確かにある。ここにも(マデルナはかなりロマンティックではあるが)感情を抑制するよりは素直に表現する無意識的な意図が感じられるのであり、この意外といい録音できくと、かなり心に染みる。○。

ドビュッシー:遊戯

○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(BBC,IMG)1965/11/10・CD

強く意志的な指揮ぶりで、一貫し重心の低い重い音(録音のせいか?)ゆえスクリアビンやリムスキーに倣ったようなロマンチシズムの一面が引き立ってしまった部分もあるが、純粋に普通のロマン派好きが聞いて愉しめるものになっている。リズム感がよい。分析的観点からはわからない。録音は悪い。ドビュッシーならではの不思議に清澄なリリシズムが余り引き立たないのはそのあたりにも原因はあるだろう。演奏はバラケも弛緩もなく非常にうまくいっているのだが。擬似ステレオ。

ゴーベール:夜想曲

○モイーズ(Fl)パレー指揮デンマーク放送交響楽団(danacord)1934/1/4

けだるいドビュッシイズムに包まれた佳曲だが、フルートのつむぐ旋律線はいたって平易なロマンチシズム溢れるものだ。ロシアのバレエ音楽かとききまごう後半部はフルートの常套的な名技性をアピールするものでフルーティスト・ゴーベールらしい手練が篭められている。結句ワグネリストかディーリアンかというエピゴーネン的印象を遺すが悪くはない。前半及び回想の結部にきかれる音楽は夜より午後の雰囲気を感じさせる。同時代のフォーレ門下生や六人組やイベールの得意としたサロンふうの世界で好きな人は好きだろう。モイーズの確かで太い音はこの貧弱な録音からは伺い知れないが、まるでヴァイオリンのように難しいパセージも易々と軽く吹きこなしている。20世紀は各楽器に不世出の名手があらわれ、合理的な現代奏法を確立し楽器の可能性が極限まで引き出された時代だった。中でも際だって存在感を示した名手はチェロのロストロ先生と、フルートの神モイーズである。長命に恵まれるも早いうちに演奏活動をやめているがゆえ、古い録音でも短くても重要な資料である。これもその一つ。○。

tag : パレー モイーズ

Pierre Monteux in Franceのオケ表記

モントゥはそんなに好きな指揮者ではないのだが(ビーチャムくらいには好きだけど)ちょっとした50年代フランス放送ライヴ録音集成が例によってM&Aから出たので買いました。高いなあいつもながら、でもstravinsky自作自演集にしても他では手に入らない希少録音には違いないので買ってしまう私。はいいとして、オケ表記がフランス語でONと略されていて、その下にしっかりORTFのことです、と但し書きしてますね。この時代のOrchestre National de Franceはフランス国営放送管弦楽団のことを指す。表記の混乱が英語圏でも見られるけど、まあマニアは間違えないだろうが、そういうことです。MUSIC&ARTSはアメリカの老舗マニア向け復刻CDレーベルだが老いて尚盛ん。信頼はできます。

ブログを書くこと。

おきづきのかたもいらっしゃるかもしれませんが、このブログ並びに本体サイトを運営しているモチベーションの大半は、「店頭で自分の持ってる音源のチェックをするため」という一点からきています。重複購買を避けるために作ってるんです(もっとも全然書くほうが追いつかないんですが・・・特に古典とか)。なので感想文自体にじつは重みは置いてません。ただ、感想文に「録音が悪い」とか書いてあったとき、CD屋の店頭でリマスター盤を見て、「これで聞けば印象変わるかも」といって買う可能性もある。そのていどのいわば「web_log」の本来機能に立ち返ったような使い方をしているので、たぶん今のブロガーが私のブログを見ると辞書的な構造を奇異に感じるでしょうね。そんなところです。ある時点から積極的交流をやめているのも、本来ここに持たせたい機能がぶれてくることを避けるためにそうしたところがあります。トラバはめんどくさいしイマイチ目的がよくわからないというのもあって使わないし触れないんですが、受け付けていないわけではないので、よろしければどうぞ。

単なるコレクション自慢や知識自慢をするにはもう、ネット歴も音楽歴も長くなりすぎました。。

ファリャ:三角帽子第二組曲

ブルゴス指揮スウェーデン放送交響楽団(BIS)1983/11/17LIVE

いかにも現代の演奏。美しく整えられすぎ。アンセルメよりも客観的な解釈だ。遅めのテンポも現代ふうである。そつないがために余り魅力的とは言えない。無印。拍手なし。

ウォルトン:ヴィオラ協奏曲

◎プリムローズ(Va)サージェント指揮ロイヤル・フィル(DECCA)

比較的明晰な録音でプリムローズのヴァイオリン的な響きを堪能できる。近代ヴィオラ協奏曲の嚆矢に挙げられる傑作だがサージェントのリズムよさが特に三楽章中間部で発揮され輝かしく気分を高揚させる。ウォルトンはこの符点音符のリズムをいかにカッコよく切るかで決まってしまう。やや映画音楽ぽい俗っぽさも醸してしまう指揮だがロイヤル・フィルの美しい弦がバランサーとなっている。自作自演盤より音がいいだけに見逃せない録音。◎。

マーラー:交響曲第6番

○ギーレン指揮SWRバーデン・バーデン交響楽団(hanssler)1999/10/7・CD

楽章が進むにつれまともになっていくが、1楽章は特徴的だ。テンポの人工的な操作が異常なまでに施され、ルバートでさえ人工的に彫刻していくさまはまるで「かつての」ブーレーズやロスバウド、もしくは珍演大将マデルナを思わせる。変ではあるけど、特徴的であり、昔の現代音楽指揮者の解釈を思い起こさせる点魅力的だ。しかし異常に細かく設定されるテンポ変化(特に「アルマの主題」の一音一音の長さを変えて構造的に「歌わせて」いく細密的な操作は懐かしい)についていけない向きもあろう。それは声部のバランスを極端に変化させているところにも言える。ブラスが東欧の曲のように強烈に響くのと弦が思い入れの無いドライな音を出すところも現代的な「怜悧な熱さ」を演出するのに十分で面白い・・・不思議解釈に奏者の心情がついていってないバラバラ感も含め。ただ、日寄っていくのにそうそう時間はかからない。ひょっとして2楽章以降には余り興味はないのか?もっともまともな悲劇的の演奏としては楽しめるので決して悪くは無い。1楽章の提示部の繰り返しもくどいと思えるほど印象が強かった。総体で○。

マーラー:歎きの歌

○フリッツ・マーラー指揮ハートフォード交響楽団、合唱団、ホスウェル(SP)、チョーカシアン(CA)、ペトラーク(T)(PHILIPS)LP

なかなかダイナミックで引き締まった演奏である。ワグナーの影響は否定できないとはいえ「復活」を始めとする後年の作を予感させるような中空の響きや暗いメルヒェンふうのフレーズが横溢しており、この曲にありがちな客観的で透明な演奏ではない、こういう一時代前の熱演で聞くと余りの完成度の高さにマーラーが自らop.1を与えたことも頷ける。勿論改訂があり、これは二部からなる短い版に拠っているのだが。マーラーがオペラを書いたらこうなった、と想像して聞くもよし。ディーリアスらと同時代の世紀末作品として時代性に着目するもよし。フリッツはマーラーの甥だが録音に恵まれなかった。これは後年のシェフであった手兵との記録。○。

ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

◎カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD

旧いモノラル録音ゆえ迷ったが余りの美しさに◎をつけざるを得ない。この曲はどうやっても譜面通りに弾かせれば出来上がってしまうたぐいの名曲なだけに純粋に指揮者がオケをどれだけ磨き上げられたかで完成度が決まってしまう。カラヤンにフィルハーモニアの弦というだけで成功しないわけがないのだ。過度にロマンティックでも客観主義でもないところのバランスが素晴らしい。欠点は録音の弱さだけに尽きる。心掻きむしられるようなヴァイオリン強奏部のヴィブラート、カラヤン壮年期の力強いフレージングに感銘を受ける。強い個性や感情の爆発こそないものの細部まで行き届いた配慮にカラヤンがレッグの要請のまま振り散らかした雑曲の一つとは言い棄てられないものを感じる。発音の強さはトスカニーニふうではあるが音色はイギリスオケの柔らかな感傷を帯びて優しくあきらかに違う雰囲気を醸している。復刻CDの音は更に遠すぎる感じ。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

チェリビダッケ指揮スウェーデン国立放送交響楽団(WME:CD-R)1960'LIVE

録音がかなり悪い。復号化がうまくできていない圧縮音源のうえつぎはぎのようである。三楽章のあとに聴衆のざわめきが何故かクリアなステレオで挿入されるものの四楽章が始まるとモノラルの悪音に戻る。がっしりしたフォルムの厳しく客観的にりっせられた演奏というものは聞き取れるが、正直鑑賞するには厳しい状態であり、無理して聞き込むと今度はオケ側の演奏不備も目立つようになり、とくに四楽章は厳しい。演奏的に悪くはないのだが、これに特にこだわる必要はない。無印。チェリの革命には4枚ほど音盤があるが、イタリアの古いライヴは未知。

アイヴズ:弦楽四重奏曲第1番「信仰復興伝道会」

○ジュリアード弦楽四重奏団(CBS)

これだけアメリカ民謡だけで固められた室内楽は史上無いだろう。習作的雰囲気はないこともないが交響曲で言えば2番くらいの感じであり伝統のないアメリカでこれほど先人の影響を感じさせずに、ドヴォルザークショックさえ皆無の「アメリカ国民楽派」とでも言うべきナショナリズムを声高にうたった曲は無い。孤高の曲だ。アイヴズの前衛的個性も弾けば一目瞭然、論理的展開を拒否してみたりまるで西部の田舎街に突然シェーンベルクが降り立ったかのような都会的な不協和音が颯爽と顕れたり意外なほど計算された明確なポリリズムが構築的なアンサンブルの中に組み込まれていたり、なかなか手強い一面もあるが素材的に共通点の多いヴァイオリン・ソナタより高い完成度が感じられる。引用旋律以外にも極めて美しい抒情旋律がきかれる。アイヴズには確かに「一般的な」才能もあった。書こうとしなかっただけで。ジュリアードはわかりやすく纏めている。現代曲演奏団体にありがちな平坦さが終楽章クライマックスあたりでは気になるが、アイヴズを人好きする顔に作り上げる手腕には脱帽だ。もっとロマンティックに力ずくでイレ込んだ演奏も聞いてみたいものだが。曲的には有名な2番より好き。○。

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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

○コミタス弦楽四重奏団(COLUMBIA)LP

まっとう。余りにまともすぎて特徴がない。インテンポ気味で集中力のある完成度の高い演奏だが、あっさり過ぎて現代的というか、モノラル期の録音に求めたい「外れた」ものがない。音的にはショスタコーヴィチ四重奏団にとても似ているが幅がない。チェロあたりにはもっと甘い音も求めたい。夜想曲のソロは余りにそつない。全般力みが目立ち表現が若く起伏がない。憂いがない。未だロマン派の域にいるボロディンの感傷性をもっと表現してほしいところだ。四楽章は比較的聞けたので甘めにして○。雄渾で厳しい演奏でもあり好きなかたもいるとは思うが。ショス1とのカップリング。

ミヨー:歌劇「クリストフ・コロンブ」全曲

○ロザンタール指揮リリーク放送管弦楽団(ORTF?)、フランス国立放送合唱団他(DISQUE MONTAIGNE/ina配信/ina)1956/5/31LIVE(1956/6/1放送)・CD

極めてダイナミックな大作で多様な表現の散りばめられたミヨーのいわば集大成的な作品である。クレーデルの本による歌劇だが映画音楽を元にしているのではなかったか?描写的でわかりやすく、ウォルトンのベルシャザールに更に慎重なワサビを効かせて、後半は新大陸のリズムや楽天的旋律を過不足ない書法で巧みに組み入れ、「男とその欲望」を彷彿とさせる原始主義も洗練された都会的な無駄無い表現により陳腐に陥らせることなくそのエッセンスだけを伝えている。複調性や不協和要素は無いわけではないのだが殆ど目立たない。新大陸の場面で感傷的にあらわれるプロヴァンス民謡ふうパセージも新大陸に爽やかな風を吹き込むだけで違和感はない。ジャズが顔を出すのは御愛嬌。最後はまさにオネゲルのダヴィデ王を彷彿とする雄大で感動的な盛り上がりをみせる。ロザンタールは明るく乾いた音で色彩感溢れる生命力に満ちた表現を最後まで崩さない。他曲のスタジオ録音にきかれるような弛緩は無い。フランス流儀としての声部間のバラバラ感も全く違和感なく寧ろ色彩感を倍加している。終演後の盛大な拍手も演奏の成功をつたえる。モノラルであることをマイナスと考えても○をつけざるをえない。このCDは今はなき六本木WAVEで長らく棚を飾っており、金を貯めてやっと買おうとしたら売れてしまっていて、「ミヨーなんて聞く人が俺以外にもいたんだ」と落胆した覚えがある。当時なんばでミヨーのカルテットを集めていたら「研究家のかたですか?」と訝しげに見られた、そんな頃である。

(後補)ina配信音源ならびにAmazonデジタル配信にORTFの演奏として一日違いのものが掲載されているが、inaの記載日は放送日の可能性が高いため、同じと思われる。

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マーラー:交響曲第1番

○カイルベルト指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(VIBRATO:CD-R)1950/2/4live

録音が悪いのが惜しまれる熱演。といっても4楽章まではかなりインテンポ気味だし(1楽章冒頭の序奏部からほぼそのまま遅いテンポで主部に入るところなどびっくりしたが、ここだけではない)、どちらかというと横の流れより縦を揃えるほうに気を注ぐ客観的なまとめかたをしているのだが、ややバラケ気味の発音とあいまって、特に3,4楽章の緩徐主題のフレージング、表現の深さや甘い感傷性にはちょっと驚かされ、感動を呼び覚まさせられるものがある。また4楽章最後のクライマックスの力強いうねりにも胸動かされる。バンスタあたりのうねりかたに比べれば全然たいしたことはないのだが、全般揺れない中でのコントラストということでこの3,4楽章の一部に見られる情緒的起伏は非常に効果的に働いている。旧来のドイツ式の表現をベースにウィーンふうの情緒をここぞというところで盛り込んだ解釈は、決して調子の良くない単彩なオケによっての表現ではあるものの、他には聴かれないたぐいの巨人を描き出しているということで余裕で○をつけておく。拍手カットはこのブートレーベルの特徴か。

プロコフィエフ:交響曲第5番

○チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(VIBRATO:CD-R)1990/2/2live

こういう録音を聞くとああ、チェリが晩年録音を拒んだのもうなずける感じがする。プロ5の解釈において娯楽性を排した孤高の境地を切り開き、ひょっとするとプロ5の旋律や運動性の裏に隠れた真実を抉り出すことのできた史上ただ一人の解釈者だったのではないか、とすら思わせるチェリの芸術を、このような録音再生機器を通しての音で全て理解することは不可能だ。

特に響きの純粋さを追求した晩年のチェリが、プロコの独特の響きや絡み合いを見事に明晰にカラフルに描き出し、更に真実味を篭めて「解釈する」さまを、たとえばこんな放送エアチェックの(しかも継ぎ接ぎの)音質で実感することは、よほど慣れていないことには不可能だ。もっともこれはかなり音がソリッドで、生のチェリを感じさせるには十分のブートぶりではあるのだけれども。最初にこれを聞いたら曲を誤解し拒否反応を起こすかもしれない。普段親しんでいる人は余りの拙速さと響きや動きの細部への執着ぶりにつんのめることだろう。

しかしプロコのマニアックに書き込まれたスコアを「ほんとうに」生かして演奏させようとしたら、この重厚なテンポをとるしか方法はなかったのかもしれない。たとえば私個人的に何が効果的なのかわからない、プロコお得意の二拍三連のフレーズが冒頭より(とりわけこの演奏ではわかりやすく)展開される三楽章*、このあたり普通は余り二拍三連であることを際立たせず、ともするとごまかしたように三連符のスラーのかかった伴奏音形を小さく(旋律と絡み合わせず「並行的に」)抑えて響かせるところを、いささかのごまかしもなく、特にこの録音はやりすぎだが、寧ろ三連の伴奏を大きく明確に響かせ、小節内にびしっと正しく収めさせている。ま、結局それでもこの二拍三連の意味がわからないというか、ますます背筋のこそばゆくなるような収まりの悪い感覚以外に効果的なものを感じない私なのだが、それでもこういった縦の動きを正確に表現させることによって、しかも正確なだけではなく、音量変化やルバートぶりにはたっぷりロマンチシズムも取り入れることによって、ただ旋律や表面上のリズムの平易さに流され、すぐに飽きてしまうたぐいの「コンビニエントな世俗交響曲」という印象を、がしっとした構造の中に新ロマン派作品としての清新な響きや旋律が盛り込まれた、すぐれて偉容を誇る大交響曲という印象に入れ替えてしまうことができる。

プロコの意図がどちらにあったのかわからない、しかし恐らく両方を想定していたが、後者は完全再現不可能と考えていたのではないか。チェリは独特の遅いスピードをリズムが死ぬギリギリの線で導入したことにより、その一面真の姿に接近することができた。プロコの音は本質的にスピードを求めるので、それを拙速で再現できたのは奇跡だし、演奏側にとっても至難であり、緊張感に耐え切れなくなりグダグダ寸前になる場面が出てくるのもしょうがない。この演奏は寧ろグダグダにならないで成功しているほうと言える。

偉大な1楽章がやはり優れて聞きものだが、2楽章のたとえばヴァイオリンやホルンのポルタメント(風)フレーズの応酬や4楽章の重戦車が戦慄を覚えさせるほどにゆっくり突き進むさまのクライマックスなど、ちゃんと居を正してしっかり聞けば、今まで感じたことの無いプロ5の側面が見えてこよう。スコアリーディングには実はけっこうあっているかもしれない。くれぐれも原典主義とかその類の客観演奏ではない、そこの違いも聴きましょう。時間が無いときにはお勧めしません。○。


*冷静になって考えてみると二拍三連じゃなくて単に崩壊しかかってるだけのような気もしてきました。スコアでてきたら確認します。旋律が三連で動き出すところが伴奏二拍(その中がさらに三つに分かれる)だと思うんですが。

ミャスコフスキー:交響曲第21番「交響的幻想」

○ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団(COLOSSEUM)LP

イワーノフにくらべればボリュームがある。序奏の弦のコラールふうの重なりがしっかり響いている。録音のせいか(共にモノラルだがこちらアメリカ盤のほうが若干ピッチが高い)。アマチュアとききまごうバラけたアンサンブルや響きも指揮者によってはしかねないオケだが、ここでは許せる範囲ギリギリか。主部の躍動感もこちらのが上である(ヴァイオリンの薄さは否定できないが)。テンポ的に粘らないので垢抜けているが半面解釈の面白味はない。素っ気ないほどにインテンポ気味な流れよさだけを評すべきか。もちろんクライマックスはルバートするが、人工的というか若いかんじ。オケの音量変化まで統率が届いていない(録音のせいかもしれないが)。音への思いのなさはなんなんだろうか。ミャスコフスキーへの思いの問題?型通りには成功しているのだが、ちゃんとまとまってはいても、何か物足りない。聞けるレベルにはあるので○だが、ソビ響の悪さの出た演奏。 原盤ソヴィエト版SPとのことなので音質のことはそこに起因している可能性大。

ミャスコフスキー:交響曲第21番「交響的幻想」

イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

なぜか伝統的にソヴィエト国立系のオケが録音することになっているミャスコフスキーのシンフォニー。しかしこの録音は悪いうえにメリハリがなく地味である。音も薄くて迫力がない。わけわからない感じがする。スヴェトラも評判がよくないし、ロシアオケよりまとまりのよい西欧オケに向いているかもしれない。

ニールセン:弦楽合奏のための小組曲

○ガラグリ指揮チボリ・コンサートホール管弦楽団(VOX)

古典的な小品で、作品番号1にしては手慣れているが、あまたある弦セレと較べ影響を受けてこそすれ与えるような要素は何もない。ガラグリだからガシガシと堅固なアンサンブルが組み上げられ生命力に満ちているが、アマオケ受けしそうな平易さがあるが、よほど真面目に取り組まないと裏目に出るかも。曲は無印だが○。
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