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セッドン:16

◎ピアノ・サーカス(argo)CD

偏愛というのはこういうことを言うのだろう。ポップスの興奮を単純な電子ピアノアンサンブルの中に極めて純化した状態で持ち込んだ傑作に名演であり、プログレ的発想でありながらミニマルの領域を物凄く身近に引き寄せ無邪気に浮き立つ気持ち、和声に宿るほのかな感傷をかもすさまは絶妙といっていい。誰しも一枚は、個人的感傷を掻き立てられる音盤を持っているものだが、私にとってこの曲は、例えばブルックナー全曲を投げうってでも身近に置きたいものである。◎◎◎◎◎。

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ブルックナー:交響曲第8番


○クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル(MCA他)CD

ステレオの有名録音。なんで有名になったかというと某著名評論家のせいだ。しかし私の今手元にある(恐らくCD初出盤の)MCAダブルデッカーのヤツは音が軽く、クナらしい重厚さがない。復刻が遅れたために他の悪音ライヴ盤でクナの芸風に慣れきって正直飽きていたせいもあろうが、薄く莫大ないわゆる晩年指揮者の芸風にきこえて、言われるほど揺り動かされる「録音」ではない感じをおぼえてうっちゃっておいた気がする。今聴くとやはり、この「録音」は薄っぺらい。だから1楽章から3楽章は逆に素直にさらっとBGMとして心地よい。しかしさすがにこの、4楽章のとくに終盤の威容はびっくりすると共に、こんな休符ねーよとかこんなアゴーギグありえねーとか言いながらも、余りの説得力に言葉を失ってしまう。これはロマンティックな「読み」に基づいているだけで「ロマンティックな演奏ではない」。紛れもなくブルックナーの宗教的ですらある崇高な音楽だ。ドイツ的ではあるがその透明感がまたアクの強さを消し去り、聞きやすさがメリットになりまくりである。そういって遡りきくと、確かに薄味に「聞こえる」けど、音楽はかなり隈取がなされている。といってもちゃんと骨組み立った音楽の、その補強材を工夫しているといった意味である。そういう点でおとといベイヌム盤をクナ的と書いたが間違っていた。あれはブラームスである。有機的に揺れ動くなめらかな曲線である。これはコルビジェにゴシック様式を取り入れたような異様さであり、しかも整合しているのはまったく評する言を持たない。いずれアナログで聞き直せば評価も変わろう。今は○にとどめておく。

ルーセル:交響曲第3番

◎デュトワ指揮フランス国立管弦楽団(ERATO)CD

これは文句なしの素晴らしいリズミカルで透明でかつ「クセのない」物凄く聞きやすい演奏。何もひっかかりません。ささくれだったアブラギッシュな曲でも硬質な響きの現代的な曲でもない、紛れもなく近代フランス交響曲の傑作と言わしめることのできる演奏。色彩感も薄くも過度にもならず絶妙で、やわらかい録音も丁度いい。個性的な音量操作など結構解釈も入れてきているがバランス感覚の優れたところが違和感を感じさせずにただニヤリとさせる。素晴らしい。前も書いたかもしれないが◎。少し軽いと感じたらそれは録音リマスタか機材のせい。

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ダウランド:歌曲集

○スティング(T,ARCHLUTE)カラマーゾフ(LUTE,ARCHLUTE)(DG)CD

5のみロバート・ジョンソンの作品。クロスオーヴァ活動に積極的で、クラシックへも注意深いアプローチを行ってきたスティングが遂に「編曲ではあるが」古楽という分野を使って積極的に踏み込んだ「作品」として注目される。声質が非常に独特で必ずしもロック的なだけに留まらない魅力をもったものであるために(ソプラノ領域に近いところから完全にテノール領域に移り安定したせいもあるが)クラシックでどう展開するか、というと結構クラシックとして表現できているのである。かなり以前より相互的な交流はあった。ジャズ出であることもあり近代にメリットがあると思いきや最近は静謐なもののほうがより魅力的と受け取られる傾向にあっただけにこの世界はけして遠いものではなかった。よくある商業ロッカーの余技としての付け焼き刃ではけしてないところは、これが滅多に交渉のないクラシックレーベルDGGより、しかしスティング名で発売された正規のアルバム「ラビリンス(原題:迷宮からのソングス)」であることからも伺える。長大なライナーは全面的に本人の筆により、勿論起死回生のグラモフォンのマーケティング戦略ぶりはデザインのノンクラシックさに顕れてはいるが、ロック側にしてみればかなりシンプルでまじめである。本格的に習ったのはカティア・ラベックから十数年前だそうだが、ここで聴かれる声はあきらかに最近のロックアルバムとは異なり、かすれ声を味としていたのに(正確さへの厳しい完璧主義者ぶりは元からなのだが)見事に(とくに高音の)透明感を獲得し、老齢にさしかかったとは思えぬ多彩さを発揮したものとして認識される。

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メニューヒンに倣ったわけではあるまいがヨガにより声量も伸びも極めて伸長した時期があり、ロック方面で見事商業的な再起をはたしたのは新世紀になる直前あたりだったが、その成果がしかし、「完全にクラシック化するのではなく」、己の表現手段として取り容れたまでで、この世界を「クラシックとすら意識せずに」吟遊詩人の世俗歌への共感を「ロッカーにしては」抑制された声で示している。リュート伴奏による二者の編曲作品となっているが、ナレーションや控えめな効果音が有機的に組み込まれ、ダウランドと言われ聴いて違和感をおぼえる向きもあろう、しかしこれはかっこいい。「どちら側から聴いても」かっこいいのである。クラシック奏者がクロスオーヴァをやるときの野暮ったさ、ロッカーがクラシックをやるときの滑稽さが全くない。ガーシュインの一部のしかも「そのまんま」しかやらずに「ジャズやりました」言ってるマネジャーの言いなりの若いクラシック奏者とは違う、どんなジャンルであれ音楽概念への広い見識や人生経験の違いはやはり、歴然としてあるのだ(権力も)。そういったことを考えさせられながら、最先端のポップスアルバムの手法で作り上げられたこの一枚を参考に、クラシックのかたがたも外実共にカッコイイ板を作ることを学んで、ましなものを作ってほしい、クラシックの新作が売れないのは音楽が悪いわけではないのだ。

クラシック的には○。消しきれない生臭さは気になるだろう。
ラビリンス
スティング
ユニバーサル ミュージック クラシック

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ブルックナー:交響曲第8番

○ベイヌム指揮ACO(TAHRA)1955/4/21LIVE・CD

最初に言っておきますとワタクシ版問題にはまっっったく興味がございません。しかしこれだけは言えます。これ、前期スクリアビンじゃん!!

物凄く後期ロマン派的解釈というか、クナ?ブラスは力強くゴージャスな重厚さ、露骨に煽情的なカンタービレはブラームスだ。いやまあベイヌムなのでそこまでデロデロではないのだが、スケール感はなく、主観的な解釈がわかりやすさと違和感のせめぎあいの間隙を突き進む。ブル嫌いや苦手な人向きではあり、私もこういう「起承転結」のはっきりしたもののほうが今は聞く気になる。

結論はこちら。

「ダイナミック、意志的で強靭。ロマンティックでブラス派手だが重厚でもある。ライヴらしさ溢れるものだが録音が弱い。」

録音部分的にはかなりひどい。○。

グリエール:交響詩「サイレン」

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

サイレンというと今の人はゲームを思い浮かべるのか。厄介だな。「海の精」という訳されかたもするが、船乗りを妖しい声で誘惑し死に至らしめる海妖セイレーンのことだ。「イリヤ・ムーロメッツ」二楽章に非常に近似した内容の比較的前期作品であり、たまに現れる師匠グラズノフの影響が主として曲想にあらわれている。即ち交響詩「海」の世界を更に西欧的に複雑化しようとした感じなのだ。若きラヴェルらが惹かれたあのイマジネイティブな描写音楽は、リムスキーの弁を借りれば「過渡期作品」であったわけだが、今聴くとのちの作品よりも広い魅力を持っているように聞こえる。やや生臭さがあるのがグリエールの特徴だが、そっくりそのまま個性といってもよく、ガウクらしさの発揮できる爆発音楽ではないが、この作品をお国の同時代人が表現した記録として貴重ではあろう。○。

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グリエール:序曲「フェルガナの休日」

○コンドラシン指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

まるでアメリカ音楽のようなけっこう清新な出だしからおっと思うが、すぐに伝統のロシア節に行く。コンドラシンらしい響きの派手さは冒頭でしか生きていないようにも思うが、ブラス陣のロシア吹きやヴァイオリンのロシア式フレージングがかなり明瞭に発揮される。一種コンドラシン・モスクワ放SOとは思えない、スヴェトラのような趣さえある磊落な演奏ぶりは、バラケ具合含め少し不思議だが面白い。それにしても私は多少飽きたが、曲想が豊かな展開を得て面白く聞ける曲ではあり、ロシア好きなら堪らない曲だろう。もんのすごくわかりやすい旋律がアメリカ的な明るい展開をしていく場面にはリムスキーの中央アジア節が根底にありながらも新しい世代の意地がまだ残っている点興味深い後期作品。最後のたたみかけはコンドラシンらしい。このあたりの妖しいコード進行も前期から途絶えずのグリエールの個性だなあ。

グリエール:交響的絵画「ザポロージュのコサック」

○ラフリン指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)LP

思いっきりロシアロシアした重厚な出だしから「シェヘラザードかよ!」というような旋律とハーモニー展開。リムスキー節を抜けるとロシア民謡のバレエ音楽的数珠繋ぎ。ラフリンは引き締まったアンサンブルを展開するがロシア劇音楽的な感情をいかにもロシア流儀のアゴーギグで表現している。一くさりカリンニコフかチャイコフスキーか晩年プロコかという民謡表現がすぎるといったんリムスキー主題が戻るが、このあたりのコード進行にグリエール独自の新しい表現が聞き取れる。グリエールはソヴィエト下で作風を穏健な方向に変化させてしまったとはいえ、リスト・ワグナーの衣鉢を借りて完成したロシア国民楽派の管弦楽の方向性を積極的に維持したという意味ではグラズノフ以上に右寄りな立場にあった。この作品も「穏健」というよりグリエールの世紀末的作風の昇華と聞き取れる。憂愁の民謡・・・チャイコだ・・・からふたたび冒頭主題に回帰して終わる。ラフリンはつかみ所の無い指揮者ではあるが聞いているうちになんとなくその立ち位置がわかります。いかにもロシアな人。○。

ドビュッシー:遊戯

○モントゥ指揮フランス国立放送管弦楽団(M&A)1955/6/9LIVE・CD

録音は篭って悪いがリアルで力感溢れる演奏ぶりはかなり楽しめる。ただロマンティックな演奏形態の範疇にあるかと思う。イマジネイティヴな曲感をやや損ねている感も否めない。現代の視点からすると繊細な美感に欠ける。ただバレエ音楽なのでありこれにあわせてダイナミックに踊るのだからアプローチ的に間違ってはいず、この曲にむしろ前衛性を求め過ぎているのかもしれない、私は。○。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

◎コンドラシン指揮モスクワ・フィル(MELODIYA)1972・CD

復活メロディヤ名義のコンドラシン復刻シリーズより。データは違うが既出音源と同じと思われる。しかし音がクリアで生々しい!音源由来の揺らぎや瑕疵はたくさんあるが、異常なハイテンションとギチギチ煽られまくり絶叫する各声部、荒れた演奏ぶりも圧倒的な力感、リズム表現の前に寧ろポジティブな印象となって跳ね返る。現代的な作品への造詣は第二部の硬質でリアルな音響感覚に反映されている。ねっとりしたフレージングがそこに更にロマンチシズムの異様さを持ち込み、金属系打楽器の耳痛い響きの強調(録音操作だろう)がドビュッシーの遊戯に通じる前衛性を強調する。すかっとするには最適のイベリアです。汚れ具合含め宗達雷神の迫力。

ボリス・チャイコフスキー:交響曲第2番

○コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya他)

線的に紡がれてゆく民族的現代音楽。まさにそういったイメージを冷たく静謐な世界の上に時に世俗的な素材を使って展開していっている、50分に及ぶかという大作である。ルトスワフスキとかそのへんを思い浮かべたが、この長さの中には古典からショスタコまでいろんな要素が昇華されているのでいちがいには言えない。ただ、非常に細かなフレーズを非構造的に線で繋いでいく(しかしそれでいて非常に聞き応えがありカッコイイのは特筆すべきだろう)さまは同時代のいろいろな作曲家に見られるやり方であり、ミャスコフスキーからショスタコを経たロシア交響曲の姿としては典型的な部分もあり、その中では極度に洗練されているとは言えるだろう。コンドラシンの緊張感に満ちた張り詰めた表現だと純粋な音の饗宴という意味ではとても満足いくものになりうる。ロマン派はイヤだ、でも「交響曲らしい交響曲」がききたい、という向きには格好のものだろう。元々金属質の音響を巧く使う人ならではの静謐な世界がききもの。

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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番

○ケレル(P)コンドラシン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP

コンドラシンのものはリヒテルの覇気溢れるものが有名だが縁ぶかいケレルのものも侮れない。この曲にしては振幅を大きくとりしかしパキパキしたじつに明快なタッチで若々しい音楽を仕立てていくさまはリヒテルより聞きやすいだろう。元がロシア暗い野暮さのある曲なだけにリヒテル盤よりやや音がいいことも加えて、こちらのあかぬけたほうがすきな人もいよう。少し表現が若すぎるが。コンドラシンは職人的に支えるのみである。

ガーシュイン:パリのアメリカ人

○ジョン・ワルサー指揮コンサート・ホール交響楽団(CONCERTHALL/MMS)LP

ガーシュインのまとまった管弦楽曲ではダントツに面白い曲で、他人の手が(ほとんど?)入っていないからこそ独自の夜の色彩感と濃厚な感傷の煽られる旋律がいっそう生で感じられる。かなり感情的起伏が大きくジャジーな奏法への理解もある、かつスケール感ある指揮ぶりゆえ、恐らくユルゲン・ワルターではないとは思うが、アメリカの職人どころの中堅の指揮者だろう。血のメリット。オケは弦楽器がなつかしくイイばらけかたをしていてザッツ・ハリウッド!だがブラスしょっちゅうコケている。しかしイイ。クライマックスなんて崩れるのもいとわずルバートつけまくり。懐かしくて感動します。瑕疵引いて○。

ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

○ゲール指揮コンサート・ホール交響楽団、アントルモン(P)(CONCERTHALL/MMS他)

ちょっと真面目にクラシックをやってしまっているかアントルモン。滅法上手く詩情あふれ美しいが、ガーシュインとして面白いかというとどうか。ガーシュイン(グローフェ)は割合積極的に表現することを求めるが、その点ややつまらないかもしれない。ゲールのほうは、オケが余り上手いどころではない仮面オケなのが、人により好嫌別れるところだろう。比較的解釈的なものを入れてきているが激することはない。総じて知見だけを評して○。

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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

○ユルゲン・ワルター指揮ハンブルグ・フィル(SOMERSET)LP

ハイテンションで弾ききる娯楽的スピードの演奏で、生々しい録音が更に気を煽る。余りに率直だと感じられるかもしれないが、この力感にメタ・クラシックらしくハスッパな発音で応えるオケもまたやる気が漲り、クラシカルな演奏家にもジャジーな演奏家にも見られないまさにライト・クラシックはこれだ、という自信も漲り清々しい。◎にしたいくらい飽きないが、解釈上の工夫がないので○くらいが妥当か。

シベリウス:交響曲第7番

○ザンデルリンク指揮ACO(WME:CD-R)1990's

重厚壮大なシベ7で、純粋に繊細で透明なアンサンブルを聞かせるよりも、初期テイストを残したロマンチシズムの中に可能性を広げるといった一昔前のドイツ流儀の解釈を重々しく展開している。そのため美感という点で後期シベリウスの磨き抜かれた書法を純粋に味わいたい向きには物足りなさと違和感を覚えさせるところもあるだろう。しかしこれは「交響曲」と名付けられてしまったのである、このくらいのスケール感が欲しい思うのも道理、「交響的幻想曲」ではないのだから、しかもじっさいこうやって効果的に響くのだから、こうやるのも邪道とは言い切れない。現代的ではないところにザンデルリンクの魅力はあったのだ。○。

ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

○ザンデルリンク指揮ニュー・フィル(VIBRATO:CD-R)1973/3/15LIVE

なかなか渋く立派な、マジメな演奏だがいかんせん、録音が悪い。テープよれが割と頻繁に聞こえる。勢いのある演奏ぶりはこのオケらしからぬドイツっぽい重厚な音響に支えられ壮年のザンデルリンクらしさを示している。よく理解した演奏だとは思う。娯楽的要素は薄いが、10番らしい10番である。とにかくオケがいいですね。終楽章のアレグロ部で声部が薄くなる場面ではやや甘さが出ますが。最後は期待どおり盛り上がり、ブラヴォの渦。これでいいのか?○。

ブラームス:交響曲第1番

○クレンペラー指揮ケルン放送交響楽団(WME:CD-R)1966live

まずはこの発音の威容と、まだ壮年期?クレンペラーの有無を言わせぬ推進力に力づくで押さえ込まれる。1楽章や4楽章序奏最後のあたりとコーダのあたりの横にぐいーーーーっと引き伸ばされる音には後年の異常なクレンペラーのテンポ感の萌芽が聞いてとれるし、3楽章や4楽章主部あたりは颯爽としたテンポとしっかりした発音に胸がすく。やはり録音が悪すぎること(一部途切れあり)が問題であり、ベートーヴェン的なブラームスをやらせたら右に出る者のいないクレンペラーの迫力に圧倒されることはされるのだが、イマイチ乗り切れない部分もある。終演前にかぶさって入ってくる拍手は正直聴衆のフライングというより編集上の都合というようにも思え、「偽演?」という感じも受けるが、ここまで音が古いと特定も困難。オケがドイツ的で巧い、コンマスソロなんかもハマりまくってるという点少なくともケルンであることは間違いないとは思う(アメリカではないことは確かだ)。いずれクレンペラーの三大Bにハズレは無い。間違いはあるかもしれないけど。○。

マーラー:交響曲第6番

○バーンスタイン指揮VPO(DG/ユニテル)1976/10live・DVD

バンスタの残したライヴ映像全集の嚆矢に掲げられる(バンスタの動きが)ダイナミックな演奏である。視覚的にも非常に楽しめる。4楽章のハンマーにこだわる人には三回目のハンマーが見所といえる。非常にアグレッシブでテンションの高い1楽章から始まる演奏は「カッコイイ」のヒトコト。この速さはやはりカッコイイ。ウィーンとは思えぬほどの精度を伴ったテンションも特筆ものだろう。2楽章も攻撃的だがやや重いか。有機的に詳細に作り込まれた解釈ぶりは余りに板につきすぎているがゆえに違和感はない。しかしこれは独特の演奏であり解釈であり、バンスタの時代にバンスタしかなしえなかった演奏と言えるだろう。この相性のよさはウィーンの個性の薄まりとともに現れたものとも思えるが(音色的な魅力はそれほどないのだ)どん底まで暗い場面から天にも昇るような場面まで余りに劇音楽的な盛り立て方を施していて、好悪はあるかも、と3楽章を聴きながら思う。この緩徐楽章は確かにやや重い。重たいロマン派音楽の手法でまとめられ、マーラー独特の薄い音響の軽やかさ繊細さが余り際立たないので私などはちょっと余り好きではないが、素直に普通に感情を煽るブラームス的な音楽なので、普通好きだろう。4楽章は攻撃的にクル。これはいい。長いからこそ攻撃的テンポでいくべきなのだ。序奏部の地獄の暗黒世界から世俗的な闘争への展開はまったく、いかにもな煽り方が逆にすがすがしい。ウィーンはほんとにうまい。技術的問題など(ミスはあるが)ない。テンションの高さが物凄い。細かい音符の一つ一つまで物凄いテンションで弾き吹ききっているのが如実にきこえ、この時代の録音にしてはじつにクリアなのにも増して演奏自体すごいことになってるのがわかる。マーラーもここまでちゃんと細部のマニアックな音響的仕掛けを意図どおりに(?)やってくれたら本望だろう。それほどまでにバンスタは自分のマーラーを確立し唯一無二と思わせるまでにいたっている、まあすごいです。よく聞くと細かい改変もあるんだけど、それも全てマーラーの意図の延長上と思わせるところが凄い。もちろん、マーラーはバンスタだけのものではなく、他を聞けば他の魅力が出てくるし、確かにこの精度と音色のバランスを他の指揮者のウィーンオケものから引き出すのは恐らくもう無理かもしれないが(少なくとも音色については)、これはあくまで一つの素晴らしい見識とみなし余りのめりこまないようにしておかないと、という警句が浮かぶほどドラマの激しさは尋常ではない。起伏のつけ方テンポ変化とくに4楽章後半のねっとり感が極めて極端である。晩年様式にいたる前、NYPの一種マンネリ万能化した頃からの過渡期にまだ精力溢れる力づくの演奏ができたころの記録として非常に貴重である。後半弦楽器がややばらけてくるがこの音楽にバンスタだからそれもライヴの迫力のうちと捉えられるところがまた得している。うーん、これを基準にこの曲を他に聴き進めるのはなかなか難しい。卑俗にすぎる、わかりやすすぎる、何とでも言えるが、これは一時代前のマーラー像の権化である。よきにつけ悪しきにつけ、バンスタのマーラーはマーラーを聞くうえで避けて通れないものだし、画質の問題はあるがこの映像を見る見ないでは大きく違う。エポックメイクだったものの、最も精力溢れる記録として見ておきましょう。○。

マーラー:交響曲第1番


○テンシュテット指揮シカゴ交響楽団(EMI)1990/5/31~6/4live・DVD

満席の客の入りがすごい。録画は数日のライブの楽章継ぎ足しである。テンシュテットは指揮を始めると微にいり細にいり全身全霊で表現しはじめるから視覚的にみごたえがあるが音楽は別だ。1楽章、やや重く引きずるようなテンポが気になる。丁寧で遅い。これは最晩年様式というにはまだ寿命はある頃、静かな場面が異常に暗く深刻なのはそれでも何かを予感したもののように錯覚させられてしまう。重厚で広がりのあるドラマはドイツ的で、再現部でのペットの威勢よいファンファーレからの展開がじつに巧く壮大感を煽っている。シカゴという生気より技術を感じさせるオケの「弱点」も聞こえてくる部分もあるが、テンシュテットの読みを純粋にきける、というのはサウンド的演奏を繰り広げる2楽章も同様のことだ。愉悦感はあるが浮き立つような舞踊のリズム表現より重厚な演奏の安定感をとったようにも感じられる。とはいえ弦楽器の強固に統率された表現には凡百を寄せ付けないキレのよさがあり、頑ななタテノリテンポを守る姿には裏でテンシュテットの鬼のような指示があったんだろうなあ、とも思わせる。タテノリはドイツ系指揮者のマーラー舞踊の特徴だからなあ、ウィーンの風情はないのだ。中間部のアンサンブルの優れたさまは認めざるを得ないがどうも「サウンド的」でもある。綺麗で統率され巧いんだけど、団員の表情からしても(誰一人として)愉悦という部分が・・・。ただ、テンシュテットの解釈は素晴らしく正鵠を得たものだ。派手さはないが細かい表情付けの自然さ(しかし独特の情緒表現)には感服させられることしきりである。細かい部分まで聞き取れる録音も素晴らしい。ブラス分厚いなあ。。

3楽章は重さが強みになる楽章だ。ちょっとチェロソロがうますぎるが(ヴィブラートをしないだけでフォルムを崩さないのだ)純粋に悲しい田舎の葬列の進むさまを思わせる音楽の流れよさはある。この楽章の連環のように継ぎ足しされていく民謡旋律(展開に伴う変形というより似ているが違う旋律を継ぎ足していくように私には思える)の流れよさ、しっくり感は瑞逸のものだ。崩れが無いのが気にはなるがそういうオケだしテンシュテットもそういう人だし。何気に現代指揮者でありワルターやバンスタの時代の指揮者ではないのだ。このひと存命のときはなんでこんなに一部で盛り上がってるんだとか思っていた。サバリッシュなんかと同じような頭の片隅の指揮者だった。しかし病で「行ったり来たり」しているうちになんだか異様な指揮をする鬼気迫る人という印象に変わっていく。今改めてこうやって振り返ってみるとしかし、音楽はそれほど変わってはいなかった。世間の情報、音楽外の情報が如何に印象を変え幻想を見させるか、そういうものを廃して純粋に音楽だけ楽しむにはもう年をとりすぎてしまった、と哀美をほこる3楽章中間部をききながら思う。ここはもっと噎せ返るような表現がほしいところだが端整で重い響きを指向しているようだ。この頃のマーラーのパート譜はもう白くて、いかにも機械的、中期以降の「意味のある無音少音」とはまた違う歌曲作曲家の穴におちたようなスコアなのだけれど、テンシュテットは音の少ない場面にあえて中期以降の「意味」を持たせている。タイタンで大地の歌を想起させるような涅槃の演奏をしたのはテンシュテットだけだ。末尾ブラスのランチ気の場面すら(珍しく音は下品だが)気品を持たせ、遠く見つめるようなテンポで堕ちていく。美しく哀しい3楽章にはしかしシニカルなヤング・マーラーはいない。

アタッカでの終楽章はいきなり激しく、重くて緩いテンポながらもテンシュテットらしい見得を切るルバートが気を煽る。オケがしかしひたすら律せられて楽しそうじゃないのが気になる。楽しそうなのは指揮台の上の人だけだ。でもシカゴはこういうもんだろう。だって演奏精度は素晴らしいのだから。ブラームス的な威厳を持ったタテノリの音楽が展開されていく。落ち着いてウィーン・マーラーが顔を出す法悦の場面は、陶酔のきわみである。テンポと音の静謐で張り詰めた、しかしとても陶酔的な詠嘆にはテンシュテットの凄さを感じざるを得ない。ここにきてこうきたか、といった感じである。シカゴのヴァイオリンもできうるアーティキュレーションのわざを出しまくっている(もちろんアンサンブル可能な範囲で)。音色が生臭くないがとても感情的な揺れにこの曲の聞かせどころは上手くいったのだなと思う。後作でもリフレインされるホルンのワンフレーズがしっかり「9番にまで繋がるように」詠嘆を表現している。静謐さも胃が痛くなるほどに統率されている。決して激しはしないが必要十分な破滅が訪れ2番への布石をはなち、勝利の予感があらわれると愉悦感が煽られ始める。このへん設計の妙だなあ。。挽歌に戻るとヴァイオリンあたりの伴奏音形がやや甘くなる。つまんないとこだけどね。そりゃブラスはいいよ。もちろんプロとして最高の技術は聞き取れる。物凄いレベルでの話だ。

そして最初の勝利に至る場面はテンシュテットのルバートでベートーヴェン的な頂点がいったん築かれる。音には余りのめりこめる要素はないが、巧緻に計算された表現には乗らないわけにはいかない。1楽章の朝の情景が再現されるところではフラジオではなく実音がきこえる(あれ、譜面では実音だったっけ?)。音楽が厳しすぎてなかなかあの情緒に戻れないところもあるが、噎せ返るような主題の仄かな再現から「マーラーのアダージエット」的な静謐さが相変わらず厳しい静寂の中に表現されていく。この厳しさはタイタンじゃないよなあ、大地の歌だよなあ、と思いながらきいていると、朝の情景がやがて「しっかり」現れ、テンシュテットの大振りが非常に情緒的な揺れを弦楽器にもたらす。コーラングレの憧れの予兆から壮大なロマンへといたる場面などもなんだかワグナー的な大仰さがあり、コントラストが余り感じられない人工性にちょっとのめりこめない要素がある。2番の予告編が始まるところも余りコントラストがない。同じ暗く律せられた雰囲気から出てきた主題のように思わせる。弦楽セクションの機械のようなアンサンブルが歯切れよく身を揺さぶる。いつのまにか現れる1楽章の再現(ファンファーレがイマイチ効果的じゃない)、モザイク状に入り交ざる闘争の主題から全てを突き破り勝利のファンファーレが現れるわけだが、ここは大仰な表情付けが物凄く効果的にきいている。テンシュテットの独壇場だろう。アメリカのブラスならではの重量感とアンサンブルが、この解離性人格障害的な終楽章を一貫して論理的に進めてきたテンシュテットの王道の壮麗なゴールを高らかに表現する。ブラスがやや下品だがここまできたら下品も芸のうちだ。ミスなんかどうでもいい。ブラヴォもさもありなんな「計算」、団員はちょっと疲れているけど観客は大喜びだ。上の席までスタンディングオベーションで鳴り止まぬ拍手のままに。ステージ狭いなあ。○。
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