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レスピーギ:ローマの松

○ケルテス指揮ロンドン交響楽団(london)CD

困った。「どこにも欠点が無い」のだ。何を突っ込もうにも、どこにも欠けたところがないのだ。スタンダードで中庸といってもいいが寧ろ端正でかっこいいと言ったほうがいいだろう。たぶんこの曲を知らない人に薦めるのに一番いいたぐいの演奏と思う。どこかケレン味の欲しい人には物足りなかろうがそれでもこの演奏のどこをとっても「欠点が無い」ことには同意していただくしかない。従って◎にはできない。○。
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マーラー:交響曲第2番

○ワルター指揮NYP、シュターダー(s)フォレスター(a)ウェストミンスター合唱団(WME:CD-R/M&A)1957/2/17カーネギーホールlive・CD

既出(協会盤?)と同じ可能性がある。ただこの力強さはただ事ではない。トスカニーニの洗礼を受けたワルターというのはよく語られることだが、ここにはその勢いをまさに借りたかのような勢いとドライヴ感が満ち溢れており、表現の起伏も決して頻繁ではなく自然にここぞというところでしっかりつけられている。NYPがいかにこの指揮者を信頼しきって力を出し切っているかがわかる演奏でもあり、悪いがソリッドで耳に届きやすい音と共に轟音で終始圧倒してくる。終わらないブラヴォーにも納得。録音さえよければワルター屈指の名演としてもいいくらいだ。もっとも静かなマーラーが好きな向きには薦められないが、安心して「マーラーとして」聞ける板についた安定感も兼ね備えている。

アファナシエフ:弦楽四重奏曲第1番「ボルガ」

○モスクワ放送弦楽四重奏団(melodiya)LP

演奏は鋭く立派なのだが、

もんのすごーくロシア。

って感じの曲。それもそのはず、ニコライ・アファナシエフは(ピアニストじゃないですよ)1821年生まれの古い世代の人で、この作品にかんしては「ロシア民族楽派初の弦楽四重奏曲」と呼ばれるほどなのだ。これは「追随者」のものではなく「先駆者」のものに近いんですね。ロシア音楽協会コンペの第1回優勝作品だそうで。民謡旋律に貫き通された楽曲はボロディン2番に通じる簡明さとチャイコに通じる鮮やかな手腕が感じ取れ、「追随者じゃなくて先駆者ですよ」と言われれば「えっあのまだまだ中欧的なチャイコ以前の作曲家が活躍していた同時期にこんな作品が??」と驚き賞賛する気持ちもわかる。グラズノフみたいな変な臭気もないしマニアックな作為もない、垢抜けた民謡音楽です。個人的には聞き飽きたたぐいだがロシアマニアにはたまらないでしょう。○。1898年に亡くなっているのでチャイコとほぼ同世代といっていいのかな。

tag : 四重奏団

バルトーク:弦楽四重奏曲第2番

○ブルガリア弦楽四重奏団(HARMONIA MUNDI)

苦手です、バルトーク。いきなりそれはないだろうと思われるかもしれないが、よその国の、しかもかなりアクの強い暗い民謡音楽を、無調的に再構築しなおしたような作品と言うのは、私にとってよその音楽でしかないんだなあ、と思った。無調を聞きたいときでも、この構造的に整合し演奏的に整然とした綺麗な音であっても聞きたいと思わないだろう。確かに弾けば面白いと思う。しかし・・・ショスタコ晩年より聞きづらい・・・ちょっとまだバルトークというよりは同時代の無調作品の香りがする。

スクリアビン:交響曲第4番「法悦の詩」

○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(DA:CD-R)1947live

実に明るく音響的な演奏だ。このオケの硬質で開放的な響きが確実な技巧に裏付けられているさまは表現の奇矯さを除けばストコフスキの法悦を思わせるところもある。オケの実力が発揮されたシカゴ並の機能的な演奏として特筆される演奏であるが、反面「機能」が前面に出てしまっているがために情緒的な部分が金属質のアンサンブルに払拭されてしまいがちなところもある。しかし「音」としてこれは理想に近いものを表現できており、モントゥの構築性と計算ずくの推進力にめくるめく色彩の渦に巻かれてしまう感覚を覚える。惜しむらくは途中で録音の継ぎがあること(別日のつぎはぎかもしれない)、あと継ぎではないと思うのだが、ストコのような妙なパウゼが挿入される箇所があるところで、モントゥらしくもなく、不思議な感覚をおぼえた。○。

クレストン:交響曲第2番

モントゥ指揮NYP(DA:CD-R)1955/11/20放送live

ややオケのデップリ感が出てしまったか。NYPらしい暗く重いロマンティックな芸風がこの曲の半音階的で暗い側面を引き出してしまっている。ストラヴィンスキーのバーバリズムの影響が強い楽曲でもあり、整理して綺麗に響かせればモントゥだからうまくきかせられるはずなのだが、シェフが同じでもタイミングによってはこうも印象が変わるものかと思った。終楽章の激烈な舞踏音楽は確かにNYPの威力が発揮されているがどこか揃わない感もある。何より音がくもって悪い。相対的に無印。

チャイコフスキー:交響曲第7番(ボガチレフ補筆完成版)

ギンズブルグ指揮ソヴィエト国立交響楽団(VICTOR/MELODIYA)1962/7

有名な珍曲で今更何をというかんじではある。断片だけなら企画もので取り上げられることもある。有名なところでは新し物好きオーマンディ盤があげられる(現役かどうかしらないが)。もともとは未完の変ホ長調交響曲として悲愴の前に位置づけられているもので、1楽章のほぼ完成版と他楽章はスケッチのみという形で残された。1楽章についてはとくに悲愴初演直前の93年10月にピアノ協奏曲第3番1楽章、即ち遺作として転用完成されている(2,3楽章はピアノスコアのみ)。ちなみにピーコン3番はタネーエフが1楽章初演をにない2,3楽章のオーケストレーションを施して「ピアノと管弦楽のためのアンダンテとフィナーレ」という作品に仕上げている。

ボガチレフはチャイコの原譜にピーコン3番とタネーエフ補筆版の「アンダンテとフィナーレ」を参考に4楽章の大交響曲を完成させたが、それはもう戦後55年になってからのことであり、西欧では61年に出版されたとたんオーマンディが定期で取り上げたのがよく知られるようになったゆえんである。したがってこれはまずもって「チャイコのシンフォニー」とは言い難いものであり、破棄された断片による校訂参考版としてはマーラーの10番にすら及ばない「薄さ」である・・・チャイコは事実上この交響曲を「断念」し、素材は他の曲に転用したのだから。「人生」という副題もチャイコが想定していたとはいえ完成しなかったのだから絵に描いた餅である。

正直、この曲は楽章ごとにかなり印象が異なる。1楽章など叙事詩的で、冗長な流れはマンフレッド交響曲に近いかんじもある。また全曲の印象としては「二流(三流ではない)ロシア国民楽派作曲家の交響曲」といったところもあり、チャイコらしい創意や気を煽る独特のノリは余り感じられない。特にグラズノフの作風を髣髴とさせるところが随所にある。

ギンズブルグはロシアでは端整な指揮をする人とされていたような感があるが、適度に客観的で引き締まっているもののロシア的な豪放さ・アバウトさも宿らせたメリク・パシャーエフとガウクの中間のような芸風をもっている。マニアにはそれなりに人気があるものの余り録音が出てこない。1901年生まれであったか、その点からすると決して新しい人ではないのだが、ポストにそれほど恵まれなかった人であることからしてそうそうたる大指揮者の間に埋もれてしまったということだろう、現在の知名度の低さは。ポーランド生まれのモスクワ音楽院育ちであり、指導者としてご記憶の人も多いかもしれない。

1楽章はチャイコの習作としてみなしていいものだろう。非常に冗長である。同曲の中ではやはりだんとつに創意がみられるものの、シンコペとか音選びがフランクぽかったりワグナーふうだったり迷いがみられる。西欧折衷派ならではの表現と言うならばそれこそグラズノフの中期以降の交響曲に非常に接近していると言ったほうが適切だろう。この年代にはチャイコにとって子供のような年のグラズノフも既に交響曲作家としては晩年にあり、当時のロシア・アカデミズムの混沌が象徴されているとも言うべきところなのかもしれない。ギンズブルグの切っ先は決して鋭くないが雄弁ではある。とにかくこの曲はこの楽章でまずは判断すべきで、あとの3楽章は蛇足。

2楽章・・・何この幸福感。切羽詰まらないところがチャイコの晩年らしからぬ安定感を煽り、むしろアメリカで安定しきったころのラフマニノフ晩年の作風に似た雰囲気をもっている(3番交響曲のような)。雰囲気というか、息の長い木管ソロの扱いが似ていて、震えるロシア奏法でやられると完全に同じ領域にいる感じがする。1楽章との統一感に欠ける感は否めない。グラズノフ的なところもある。

3楽章は弦楽器の短い装飾的な音符によるかけあい・フーガ構造やらチャイコ特有のフレーズの癖やらが、やっと「らしい」感じをもたらす。だがわざとらしい。ほとんど旋律の魅力と、バレエ曲から剽窃した素材がモザイク状にでこぼこに組み合わされたような感じである。普通に聴けば楽しめるが、この位置で、しかもチャイコ晩年作として聞くとどうか。

4楽章は「それらしく」大仰な構えで始まるが。オーケストレーションの薄さは否めない。「西欧折衷派ならでは」という感じの曲で、チャイコというより「あのあたりの作曲家」といった風情のモスクワ臭いものだ。教科書的によく作られているが正直威容をほこる5、6番に挟まれた交響曲として扱うのはやはりどうかと思う出来である。強いて言えばチャイコ交響曲の奥座敷第3番(奇しくも?「ポーランド」)の終楽章に近い感じで、諸所チャイコらしさや面白みはあるが、とりたてて喜ぶほどではない。きちっとした構成なのに散漫で冗長に聞こえてしまうのである。

演奏はとても立派だが、このオケらしいと言うべきか弦については妙にアンサンブルの歯切れのよい部分とごちゃっと雑然と崩れてしまう部分がランダムにあらわれてやや聴きづらい。4楽章で精彩に欠けるのは疲れてしまったせいか?曲の盛り上がりとオケのテンションが比例しないところに、曲の限界もまた感じた。

ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS)

意外としっとりした繊細な音楽を作りあげている。音色がいい。ヴォルフやエネスコのような震えるような音でロマンティックな気を煽ることはもちろんしていないが、すっと入ってくる。そんな演奏。

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ラヴェル:ボレロ

○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS)

やはり構造の見えやすいクリアな演奏ぶりで、直線的で情緒的な揺れのなさ、曲そのものの持っている力だけで聞きとおさせる啓蒙性には、アメリカで活躍したのがうなずける。「棒吹き」にはやはりどうも違和感があるのだが、各ソロ楽器の名技性を数珠つなぎしていくだけが能の曲でもないだろう。こういう演奏のほうがラヴェルの理想に近いのかもしれない。けっこういいです。情緒派には薦めないけど。○。

ラヴェル:道化師の朝の歌

○ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS)

突き進む感じ、クリアで立体的な音作りが曲に非常にあっている。リズムどりも素晴らしい。中間部の幻想的な情趣もこの人にしてはうまく描いている。○。

ラヴェル:マ・メール・ロワ組曲

ゴルシュマン指揮ラムルー管弦楽団(PHILIPS)

現代的な演奏であり、直線的で揺れの無い構造的な演奏である。中音域以下の木管の「棒吹き」がどうにも気になってしようがなかった。演奏的には別に悪くは無いのだが、リリシズムの表現がどうも足りない。チェレスタなどの鮮やかな響きなど細かい構造の見えやすい諸所には耳新しく感じるほどの局面もあるにはあるのだが。5曲版でパヴァーヌから始まる。○にすべきなのだろうがちょっと相対性を考えて無印。

クレストン:交響曲第2番

○モントゥ指揮オケ名不詳(NYP?)(DA:CD-R)1956/2/24放送live

クレストンは案外人気のあるアメリカ穏健派の作曲家で舞踏要素はコープランドに似ながらももっとアメリカ・アカデミズムに忠実な聴き易さと映画音楽的描写性を持ち合わせており、ハンソンやウォルトンを彷彿とするロマンティックな側面も垣間見せるまさに「アメリカ穏健派」の健全な交響曲を、しかしマンネリズムに陥ることなくけっこう複雑に聞かせることのできる人である。振る人によって曲評価が分かれるであろうことは明確だが、モントゥなどもうまさにうってつけであり、前半楽章の暗い中にも透明感のあるロマンティックなパッセージにはもたれることの決してないドライヴがきいており、舞踏楽章など猛烈にリズムを煽りモントゥらしさ全開のほんとに「クレストンが恐縮するくらい素晴らしい」演奏を繰り広げている。最後は少し失速してしかしきちっと締める曲ではあるが、モントゥはそこも的確にまとめて交響曲らしいまとまりを見せている。バンスタあたりがやったらどうなっただろう?恐らくのるかそるか、ロマンティックな側面をあおりすぎて一部信望者しかついていけないものになったか、リズムがグダグダになり曲自体台無しになったか。強引にミュンシュ的に突き進んだとしても、舞踏が主要素となるクレストンの交響曲においては舞踏伴奏のプロに任せるのが正解だろう。録音はいくぶん新しいが一般的水準からいえば悪い。オケ激ウマ。アンサンブルがここまできちっとかみ合って水際立った丁々発止を聞かせられないと曲の魅力が出ないのはウォルトンなんかもいっしょだが、ウォルトンの難点はスピードを出せないほどにパートを別けすぎているところなんだよなあ。サンフランシスコあたりの新鮮な音にきこえなくもないが恐らくNYPの調子のいいときの音だろう。○。

ファリャ:三角帽子第二組曲

○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(MUSIC&ARTS)1946/2/24live・CD

録音はめっさ悪いが非常に楽しめる。モントゥの颯爽とした指揮振りとオケのからっと明るく技巧的な表現力が噛み合って、ローカル臭もロマン派臭もしないまさにこの曲いやファリャの汎世界的な音楽がここに浮き立つリズムにのって表現されている。録音がよければねえ。バレエ指揮者にしかできないことがある。バレエ指揮者にはできないこともまたあるのだが。○。

チェイコフスキー:弦楽セレナーデ

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA/BMG)1957/3/13・CD

録音は初期ステレオで安定せずぼやけておりはっきり言って悪い。1楽章はとくに雑然としながらもさっさとあっさり進んでしまい何ものこらない。2楽章ものこらない。3楽章あたりでロマンティックな暗い情念がミュンシュらしいうねりとなってあらわれてやっと聞けるようになってくる。4楽章はボストンの威力とミュンシュのチャイコといった趣の楽しいものになっている(雑然感は変わらないが)。総じて無印でもよかったのだが、後半楽章を買って○にしておく。殊更に取り立てる演奏ではない、ミュンシュとしても。

ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り

○マルケヴィッチ指揮ソヴィエト放送交響楽団(lys/MELODIYA)LIVE・CD

オケ、とくに木管あたりにかなりほつれがみられるものの非常にスマートでスピーディでいかにもバレエ指揮者に向いてそうな揺れの無い演奏である。「らしい」演奏であり、そのぶん正直食い足りない気もするがまあこのスピードでさっと通されるとああそうですか、というくらいには楽しい気もする。なんかネガティブだなあ。ロシアオケなのになんかロシアオケらしくないんですよ表現が。

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ベルリオーズ:幻想交響曲

○シェルヒェン指揮ロンドン交響楽団(TAHRA)1953/9/21,22・CD

コンドラシンを聴いた後だから尚更この演奏には感動した。重量感溢れるドイツ的な音響に責め立てるリズムの機関銃。このての底からくる推進力はフランスのバレエ指揮者には少なくとも無い。クレンペラーのようなごく一部の「ドイツノリ」指揮者にしか無いような響きと力強さが聞こえてくる演奏で、まったくシェルヘンと意識しなくても十分に楽しめる。表題交響曲は特にベルリオーズのように概要と主題の意味を説明してビラ配って廻ったような作曲家においては単純に音だけで楽しむ態度は誤解を産む側面もあるのだが(洋楽の歌詞を無視して音だけで楽しむのと同様)これだけの情報量の演奏であれば他に知識は要るまい。デモーニッシュと言わなくても十分に暗黒舞踏が繰り広げられる終楽章に戦慄。◎にしたいが古いし一般的な演奏というに躊躇もあるので○。

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ベルリオーズ:幻想交響曲

コンドラシン指揮ロス・フィル(harvestclassics:CD-R)1979/7/12live

コンドラシン亡命後の外様オケ客演ライヴにはろくなものがないと誰かが言っておかないと伝説だけが一人歩きしそうな気がする。苛烈な要求(おおむねスピードとテンションにかかる部分)についていけるゴリゴリの技巧派オケだけが「伝説」を残しえたといえよう。いえようって言葉は誰かの専売特許でもないと思うので敢えて言う。「いえよう」。コンドラシンのグダグダな記録というのもアメリカ方面にはけっこうある気がする。特にあまり慣れない曲目はどうかというところもある。まずもってまぬけな演奏としか感じられなかった。木管はいいのだが(唯一聴けるのはロシアっぽい響きの聞ける3楽章くらいだ)弦あたりになってくると2楽章旋律冒頭のような合って当然のザッツすらあわないアマオケ状態であり、テンションで引っ張っていくのも無理があると考えたのかテンポやリズムすらグダグダなままスカスカな響きで最後まで突き通している。田舎っぽい演奏。シンシナティとかピッツバーグあたりの軽くて明るいオケだと思ってレーベル面見たらロスフィルだったのか・・・ちなみにコンドラシン晩年はこの曲でいえば3楽章のような情緒的な緩徐楽章の表現がやわらかくなり聴き易くなる一方、テンションやスピードに対しての迫力がやや失われていったようにも思う。これは振っているオケに逆に影響されたということなのかもしれない、かつてのロシアオケを想定していたらどこでも失敗する可能性はある。

シベリウス:交響曲第4番

○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA)1963/9,10・CD

アンセルメの国民楽派は清清しくも盛り上がる名演が多い。これも非常に楽しめた。ほんとは基本は印象派的に沈潜し続けるべき曲なのかもしれないが、研ぎ澄まされた音できちんとスコアから組み立てると「盛り上がってしまう」ことを抑えられない。まずは美しい、そして気持ちがいい。それでさらに熱気が伴うところがこのコンビの録音した国民楽派交響曲のすばらしいところである。○。

シベリウス:交響曲第5番

チェリビダッケ指揮スウェーデン放送交響楽団(WME:CD-R)1972/1live

音響が綺麗でワグナー的な構築性を強調した演奏ではあるのだが、、、ノれない。多分に録音音質の問題はある。終楽章のクライマックスで音が途切れ途切れになるのはいただけない。録音の問題で無印より上にしようがない。

ラヴェル:弦楽四重奏曲

○ボロディン四重奏団(BBC,IMG)1962/8/29live・CD

この団体にしてはものすごく情緒纏綿なかんじの演奏である。この遅速はちょっと調子が悪かったのかもしれない(もっとも後年の演奏でもスピードはそれほど上げられないが)。とくに2楽章の中間部から再現部への複雑なピチカート・アンサンブルが完全に「崩壊」しているところはちょっと驚いた。ラヴェルを得意とする団体とは思えない非常に危険な楽章になっている(パスカルの失敗を思い出した、のるかそるかの一発勝負みたいなところのあるパッセージではある)。カップリングのボロディン2番(とあとショスタコ8番)に比べて妙に人間臭いことは確かで、演奏の完成度で言えばまったく話にならないとはいえ、面白みでいえばずっと上である。私はこのラヴェルは好きだ。無印にする人もいるかもしれないが私は○にしておく。往年の演奏解釈を彷彿とさせる。
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