ベルリオーズ:幻想交響曲

○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1965/4/15live・CD

かなり日フィルの調子がよく、巧さが光る。軽く明るくスリムな音楽が鮮やかに紡がれてゆく。4楽章まではそんなに強い印象はないがスピード感とフランス的な美質をかんじる演奏だ。しかしこの人、やはりドハデな響きがお好きなようで、終楽章ではとにかく打楽器とブラスを叩きぶっ放し、弦はもともと持っているベートーヴェン的なひびきをいっそう強め、重厚まではいかないが深い音で支えている(気を煽るまではいかない客観性はある)。終楽章は聞きものだろう、鐘の音がうるさいほどにがなりたてるさまは如何にも空疎な幻想者の夢のようであり、ベルリオーズの書法の独特さをかなり的確に描き出している。終演後の大ブラヴォも納得か。個人的に強い印象や感傷は受けなかったので○にとどめておく。

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ラヴェル:ボレロ


○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1975live

パレーのオハコであるがここではいつもの剛直直進演奏という超ドライな芸風からやや落ち着いて、小気味いいボレロのリズムを終始楽しむことができる。オケのひびきも心なしか華やかだ。録音が悪いので最大評価はできないが、終演後の大ブラヴォがパレーの晩年評価を物語っている。今なぜ忘れられているのだろう?○。

サティの夜想曲第1番


よく見たらメイエ(ル)に献呈されてるんですね。。似合わない、、録音もしてない。

それにしても美しい譜面です。「幕間」ピアノ版の機械工業製品みたいな即物的譜面とはえらい違いの「横の音楽」です。時期の差もあるんだろうけど。それぞれ異なる単純さが美しい。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1968/2/29東京文化会館LIVE・CD

下品な音が崩壊寸前の爛熟ぶりを示しているようで、一つの見識ともとれる。重ったるく弦などはっきり言って余り巧くはないが、終盤のブラスとパーカスの無茶な破裂具合と終止形の大ルバートにはブラヴォが乱れとぶ。前半ぱっとしないがマルケらしいはじけっぷりでドイツ的なオケを無理して鼓舞し仕舞いには明瞭なワルツのリズム感を獲得させるさまが面白い。○。

チャイコフスキー:序曲1812年

○マルケヴィッチ指揮モンテカルロ劇場管弦楽団(ConcertHall/SCRIBENDUM)1968・CD

颯爽としたスリムな指揮にフランス的な軽さのある楽団なのだが、最後には大砲も鐘も号発乱打で「指示に忠実に」ランチキ騒ぎを繰り広げ、さながらサーカスのような鄙びたキッチュさを前面に出して、しかし爽やかに終わる。まったくロシア的ではないが、子供向けの冒険談を聞いているような感触のある演奏。○。

プロコフィエフ:交響曲第5番

○マルティノン指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/2/1live

重厚な音響に支えられた力強いうねりには一切の曖昧さもなく、それほどテンポが速いわけでもないのに異様なスピード感と迫力と精緻な表現が見事にマッチしたライヴとは思えない完成度の演奏。単純な熱気という言葉では片付けられないものがあり、透明感のある音といえばそうだがシカゴ的な「薄さ」はなくドイツ的に感じるほど。しかし鈍重さは微塵もない。やや篭る録音のせいかとも思えるが、フランス録音とほぼ同じような解釈なのに(終楽章には驚嘆すべき極端なダイナミクス変化やコーダ前カット(?)といった変化がみられるが)、ライヴだからというわけでもない、こんなに異なった印象をあたえる演奏というのは面白い。決してテンポアップするわけでもないのに迫力で押し切った終楽章最後で間髪入れず大ブラヴォというのは妥当だろう(他楽章間にも拍手が入りかかるほど全ての楽章が見事だが)。ではなぜ○なのか・・・私の盤だけかもしれないが3楽章で音飛びがするのだ!

ウォルトン:ブリテンの即興曲による即興

○クリップス指揮ACO(RO)1972/1/27live

なるほど単純な即興である。構造的な部分の殆ど無い、旋律を厚ぼったく味付けしただけの単線であり、一部、ハープと木管ソロの断片化したフレーズの連環だけによる表現などウォルトンらしくない室内楽的な単純さが却ってブリテン的な冷えた印象派世界を思わせ秀逸だが、全般として筆のすさび感は否めない。ブリテンふう音楽をウォルトン語法でやってみました、というような感じだ。クリップスはさすが流れよくリズミカルな表現が光る部分はあるがおおむねオケの鈍重さに引きずられているように感じた。聴衆もやや戸惑い気味である。録音も正規ものとしてはそれほどよくない。曲はともかく演奏的にまあまあなので○にしておくが、マニア以外は無理して聴くこともあるまい。

ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

○バルビローリ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1959/1/30live

録音は極めて明瞭で抜けがよく迫力のあるものでダントツなのだが、媒体撚れや放送撚れもかなり目立ち、1楽章前半と3楽章の一部にみられる左右の位相バランスの崩れ、更に2楽章のホワイトノイズは(情報量が増えるぶんホワイトノイズが増えるのは仕方ないのだが)相当に聞きづらい。演奏自体も落ち着いてきており精緻と言えるレベルまでたっしているのでとても勿体無い。バルビの演奏は乱れがちなわけではなく昔のステレオ録音では捉えきれない細部への拘りが縦横に敷き詰められているために乱れて聞こえがちなのだ、という話もうなづける部分がある演奏ぶりで、ボストンの管楽ソリストや弦楽セクションの演奏レベルの高さのほうに耳がいってしまい全体がぼやけて聞こえてしまうほどである。3楽章はそのためにバイエルンとの晩年の録音に近い、テンポを煽るよりゴージャスに落ち着いて響かせるほうに神経がいっているのがよくわかる。そこが長々しくて飽きるゆえんでもあるのだが・・・これは作曲家のせいだろう。○。ボストン初演というナレーションが入るがこなれ具合からして30日のほうの録音であっていると思う。

ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

○バルビローリ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1959/1/29live

初演後まもない演奏でDAはエアチェックの音のみ。一部情報ではVAIの映像が同じものとされるが(ブラ2など30日のライヴとのカップリングという説)VAI盤には2月3日の表記と同日プログラム写真を含む詳細が記載されているので別としておく。ステレオでソリッドで高音域も比較的よく捉えられているがボストンライヴ記録の常、輪郭がちょっとボロけている。演奏はちょっとバルビのコントロールでは無理なくらい早くかなりのバラケ味が感じられる1楽章からあれ、と思わせる感じがある。ごちゃっとしてしまうのがウォルトンの複雑な書法だが、太鼓などのリズム要素強調とアーティキュレーションの強さで力づくで押し切る方法で乗り切っているのはいかにもバルビの50年代といったふうで好きな人は好きだろう。セルを意識しているのかもしれない。アメリカ的ともいえ、比較的軽く明るい感じがある。2楽章はシニカルで末流ロマン派の香りたっぷり。軽妙で妖しい調子はラフマニノフ晩年に似ていなくも無いが、バルビは引き締まった音響表現で魅せている。晩年とはまた違った若いドライヴ感が維持されている。この楽章ではソリストの表現の深さや独特さ含め、合奏協奏曲的な楽曲構成を繊細に、しかし芯の通った表現でまとめて秀逸である。旋律性がよく浮き彫りにされている。3楽章は一段と速く、そのスピードによってリズムを生み出そうとしているような感じがあるが、オケコントロールはさすが巧い。フレージング指示に弛緩がなく、スピードだけにならずリズムだけの舞踏音楽にもせず、アメリカ的な破天荒なペット以下ブラスの咆哮のおかしみ、また中低音域でうねる余りにシニカルな半音階的楽想がバルビの旋律的な音楽美学とあいまって重層的な深みをかもし、単なる表層的な喜遊曲ではないところを魅せて面白い。乱れなのか意図なのかというところもあり、この演奏ではなかなかに聞かせる楽章となっている。やや浅さもあるものの○。

ウォルトン:管弦楽のためのパルティータ

○バルビローリ指揮バヴァリア放送管弦楽団(DA:CD-R)1970/4/10

フランス語放送のエアチェックのようだが元は正規録音か。同時代音楽の要素を貪欲に己が作風に取り入れていったウォルトンであるが、この曲は冒頭トッカータからはっきりルーセルの舞踏要素が取り込まれていることがわかる。新古典的な題名からして似通った作風になるのは必然かもしれない。ルーセルのようなアクの強さがなく、50年代の作品らしい円熟味をみせており、チェロ協奏曲と共通する構造もみられる。2楽章パストラーレ・シシリアーナはヴァイオリン協奏曲などより過去の自分の作風に近い世界に回帰している。同曲内では晦渋な楽章だが円熟期後のウォルトンにしては聞きやすい。マーラーなどかつてのウィーンの作曲家の世界を仄かに思わせるところがベルクらとも交流のあったこの人の才気煥発な頃を思い起こさせる。プロコを想起する向きもあるかもしれないが、ウォルトンはプロコから甚大な影響を受けていてアメリカで直接的交流もあり、その関係性は一言では言えない。ブラスとハープによる空疎でも独特の冷え冷えした感傷を秘めたひびきがこの人の鋭敏な耳を証明している。3楽章ジーガ・ブルレスカはウォルトンの作品らしい~ほぼ同時期のヨハネスブルグ祝典序曲を思わせる~喜びに満ちた、しかしどこか暗くシニカルな調子も含む楽曲で、調性にルーセルを思わせる雰囲気もある。この後やや才気に陰りをみせ60年代以降には代表作と呼べる作品がなくなるのだが、パルティータは現代でもよく演奏される洒脱な大規模管弦楽作品としてウォルトン評価に欠くことのできないものである。

バルビは同曲初演直後より取り組み演奏記録も数多い。この録音はバイエルンとの最晩年のもののわりにスピードがあり弛緩傾向がない。オケが鈍重でウォルトンの洒落たリズムを壊しているところも2楽章などに見られるが、おおむねバルビのドライヴィングの巧さが光る。3楽章ももっと飛び跳ねるような感じが欲しいがある程度は書法のせいでもあろう。リズムと楽想の洒脱なわりに音響が重い。そのへんもルーセル的ではあるのだが、バルビだから尚更気になるといえば気になる(もともとリズム系の指揮は巧いとは言えない人だ)。ゴージャスな響きはそれでも旋律とともに気を煽るに十分であり、胆汁気質の長々しい楽章を気品と下品の行き来する表現の切り替えの巧さで壮大に仕上げている。前半楽章のほうが締まっていていい感じもする。演奏自体は恐らくスタジオ録音なりの過不足ない出来である。ステレオで少し篭る感じもするがおおむね聞きやすい。一箇所放送撚れが残念。

ウォルトンの誕生日


この人もさいきん余り聞かれない気がしますね。清清しくて聞きやすいんだけど。

マーラー:交響曲第6番


○ドラティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1975live

普通。派手な解釈はなく、終楽章あたりにフィラデルフィアならではのゴージャスな音が男らしい一本木な展開の上に少し花を咲かせているが、基本的に渋く、解釈よりはテクニック系の指揮者であり、1~2楽章などはとくに全く特徴のない、揺れもしない「オシゴト的演奏」でどうかと思った。3楽章は若干の綾があるものの他の指揮者と比べて特徴的とは言えない。4楽章はドラティの他のもの同様ダイナミズムに溢れ・・・と言いたいところだが前半は少し客観的な感じがする。クライマックスが近づくにつれドラティらしい強いアクセントをつけて突き進む雄渾な表現が気を煽るようにはなるがヴァイオリンのテンポがずれてしまったりフィラ管らしくもない箇所があったりする。また録音は安定して良好なステレオなのだが、一部非常に聞きづらいエアチェック録音ミス・テープ媒体ノイズがある。音量に起伏が無いのは録音レンジの狭さゆえか。最後のコーダだけが特徴的に陰鬱さを示すほかは暗さがないのも気になるといえば気になる。こういうのが聞きやすいと思うときはあるとは思うので、○。

ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」


○ミュンシュ指揮トリノRAI放送管弦楽団(TAHRA)1951/6/8LIVE・CD

せっかちで焦燥感に満ちた「戦後的な」演奏。ものすごい速く、トリノもトリノらしいカンタービレとは無縁のドライなテンション芸を駆使し、余りに速いところは弦がばらけて散々なのだが、気持ちはついていくという、まるでシェルヒェンのもののような独特の魅力に溢れている。3楽章も前半やばいが、最後の夜明けにいたる前には初めてルバート気味のフレージングがきかれ、もちろんその後も異常な速さはかわらないのだけれども、情緒的な揺れが若干ではあるが音にあらわれる。結局激しい表現というよりスピードで押し切って断ち切れるように終わる。ミュンシュにしても独特、そこを買って○。

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グラズノフ:交響詩「海」

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA/VENEZIA)LIVE・CD

もっさり厚ぼったく重いかんじもあるが壮年のスヴェトラらしいスケールとダイナミズムのあらわれた演奏。曲は完全にワグナーだが書法は後年までつづくグラズノフらしいメカニカルなものがはっきり示されており、理知性が内容の浅さを透かし彫りにしてしまっている、そのチープさには好き嫌いあるだろう。ストラヴィンスキー初期にはグラズノフの影響がみられるものがあるが、花火などこの曲の一部によく似たものがきかれ、リムスキーを通じての接近ぶりは想像にかたくない。○。

ショスタコーヴィチ:交響曲第13番「バビ・ヤール」


◎コンドラシン指揮バイエルン放送交響楽団&男声合唱団、シャーリー・カーク(Bs)(PHILIPS/TOWERRECORDS)1980/12/18、19ミュンヘン・ヘルクレスザールlive・CD

落ち着いた美観で円熟した演奏ぶりをみせている。ロシア時代に持っていた異様な迫真味は録音のバランスよさと演奏陣のニュートラルさの前に落ち着いてしまっているが、こういう曲は外様のもののほうが万人に受け容れられやすいものになる。それほどいい録音ではなく鋭さはいまひとつだが、同曲が「まっとうな」ショスタコーヴィチ交響曲の総決算的位置づけにあること(14番は内容的に「まっとうな」ショスタコーヴィチ交響曲ではないし、15番は個人的にかなり異質な感じがする)に余り拘泥することなく、素直に、暗黒の時代に生まれた近代交響曲の一つの希望として聞ける。陰鬱さも重くならず寧ろ清澄な響きやかつての自作のエコー~「レニングラード」など~のほのかな感傷のほうが爽やかにのこり、最後ブラヴォを叫ぶ聴衆が邪魔と思えるほど静かな抒情のうちに聞き終わることができる。この曲は歌曲としても交響曲としても聴けるが、個人的に後者として聞くならば、ここでショスタコーヴィチはあるていどの楽想の枯渇を意識したうえで、14番ほどでないにせよ自分の癖や作風のエッセンスを抽出しなおし無駄なく配置しているような印象を受ける。それを楽器数から削ぎ落とし更に内面的な単純なものに磨き上げたのが14番、しかし無理に復活をとげようとしたのが15番、と勝手な憶測をしているがそれほど外れてはいまい。だから、大交響曲作家としてのショスタコの作品としては白鳥の歌に近いのではないか、とこの終わり方を聞くと思う。この盤はまさにそういった静かな諦念の中に確かな希望をたくした真摯な音楽を聞かせて適切である。◎。昨年タワレコがCD復刻し話題になった。LP国外初出時に話題になった盤で数も多いが、10年以上前に正規CD化したとき殆ど流通しなかったこともあり、最近までかなりの希少盤の扱いを受けていた。じっさいには国内のネットオークション市場でのみの希少価値であり、中古LP自体は国外を探せば二束三文で見つかったものである(勿論高級店はプレミアをつけていたが)。曇り無い静謐な響きや明瞭な音のキレが聞こえてくることを求められる曲なだけに、CD向きであろう。歌詞は第二稿。

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(EMI)1995/3・CD

客観性が勝り生気がない感じがしたのは私だけだろうか。録音状態もそんなによくはなく、結果として(それなりの精度はあるのだとは思うが)それほど厳しい感じのしない柔らかさが、ゆるいテンポとあいまって逆に半端な印象を残した。爆発もせず怜悧な光もはなたず、莫大な中にロマンティックなうねりがあるのはチェリの本質的なドイツ気質によるものだと思うがどっちつかずで終わっている。無印。

ホルスト:日本組曲

○ボールト指揮LSO(lyrita)CD

有名な珍曲で以前書いたおぼえがあるのだが消えているようなので再掲。ボールトの指揮はホール残響のせいで細部がわかりにくくなっているものの、客観性が勝っており、しかし精度的にはボールトなりのアバウトさが感じられる。曲はまさに「オーケストレイテッド民謡」で、ドビュッシー後のイギリスの近代作曲家たちが自国内の民謡旋律に施したオーケストレーションを、単純に日本の民謡に対して施した6曲からなる組曲。だから旋律は完全に日本の馴染み深い民謡からとられているものの、ハーモニーは西欧の語法によっており、そこに歩み寄りやどちらかへの傾倒はみられない。変な作為がないだけ違和感も薄いが、それでも「ねんねんころりや」などが出てくるとむずがゆい。「まんが日本むかし話」とか、そのへんのBGMを想起するが、これはつまり「日本の国民楽派」がやっていたものと同じ路線であること、NHKのドキュメンタリーや時代劇で慣れっこになった「音世界」を先駆けたものであるせいが大きい。リズム的には西欧のものが使われるので、「水戸黄門」にみられるエンヤコラドッコイショ的な感覚は皆無である。オーケストレーションはおおむねわかりやすい。RVWのあけっぴろげな民謡編曲にかなり近いが、「惑星」を思わせる楽器の組み合わせが時折耳新しい。演奏的にそれほど惹かれなかったが、曲の希少価値を買って○。

ショスタコーヴィチ:交響曲第14番「死者の歌」

◎バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団他(VENEZIA/MELODIYA)1969/10/6初演LIVE・CD

余計な音や楽器を削ぎ落としたショスタコーヴィチ晩年を代表する極めて純度の高い連作歌曲集であり、ロマン派のマーラーとは異質の文字通り骨と皮だけの作品であるものの、交響曲と名付け量産したそれまでの作品の必要な部分だけを必要な形で最小限にとりまとめたようなところがあり、大げさで長たらしいショスタコーヴィチが苦手な向きにはお薦めである。13番もそうだが、言いたいことが言えるようになってきた時世において、歌詞をともなう歌曲の形をとっているところがわかりやすさに輪をかけている。言い淀んだり余計な形式感にとらわれる必要もない。バルシャイは厳し過ぎるくらいにアンサンブルを磨き上げ、厳しくテンションの高い、しかし一種怜悧な美しさをたたえたバックを整えて対話的な歌手の背景を決めている。バルシャイの持味である現代的な冷たさは同時代性の前に影をひそめている。迫真味ある演奏である。個人的には室内合奏を得意とした焦燥的なオネゲルと静ひつなRVWが諦念をたたえつつ交互にあらわれるような、やはり少し作風的には時代を遡るショスタコーヴィチという存在の、しかし時代とは隔絶した価値をよく示した曲であり、演奏であると感じた。

ストラヴィンスキー:3楽章の交響曲

○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1971/6/16ウィーンLIVE

エアチェック状態がかなり悪く、ハルサイよりは抜けのいい高音の伸びる録音ではあるが冒頭の歪みから雑音、バランス崩れまでかなり辛い箇所がある。こういう純管弦楽曲は激しくも単純な変拍子をきっちり守って縦を強くテンポをただ煽ればいいところがあり(演奏は大変だけど)、余り舞踏表現がうまくない猪突猛進クーベリックにはあっている。ピアノや弦がやや怪しくても勢いで聴けてしまう。2楽章はクーベリックの熱い中にもひんやりした肌ざわりの抒情が、フランス的な幻想を生々しく描き出し魅力的。だが肝心なところで放送雑音が興を削ぐ。ともかく旋律構造がわかりやすくリアルな2楽章だ。3楽章は冒頭で音量がやや落ちるのがやはり録音の問題として耳につく。高音の伸びがなくなり籠もってくる。演奏は一部辛いながらもなかなかに激していくので惜しい。テンポ感がいい。ピアノが大きすぎるのは好きずきだろう。疲れやバラケもどこかが補い流れを阻害しないのがすばらしい。録音マイナスで○。

ストラヴィンスキー:春の祭典

○クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(KAPELLMEISTER:CD-R)1971/6/16ウィーンLIVE

籠もり気味のステレオで高い倍音域がすっぱり切れて聞き辛い。重低音でガシガシ攻める暴力的なリズム系の演奏にちょっと聴ききこえるが、冒頭よりあきらかに旋律を中心に据えたロマンティックな演奏と言える。ロマンチシズムが表面的な起伏に余りあらわれないので、BRSOの音質や激烈で重いパーカスのせいもあって野武士のような表現に聞こえがちだが、途切れることの無い長い旋律の数珠つなぎとして聴けてしまう作りになっており、わかりやすい。クーベリックのテンポは前向きのアグレッシブなものだがいささか直線的で、リズム旋律的な色は薄い。おもしろいが、この時期でこの録音では○以上は無理。
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