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超合金メカ・ショスタコ

で、どうやら機関紙もとい気管支まで風邪が入ったらしく今日は殆ど外出しなかったのだが、そのおかげで音楽を(多少無理やりだが)聴けている。ショスタコばかり聴いていて、マルケORTFのショス1を見ていたらそういえば譜面があったと持ち出して楽器を手にとってみる。体のことを言ってもしょうがないのだがとにかく病みついた体に檄を入れるために楽器は有効なこともある。

だが。

なんじゃこりゃ。

人間のさらう譜面じゃない。

最後のページを見て思った。

・・・どこが最後なんだ。

ショスタコはメカである。メカ好きにはたまらないだろうが、五線の上で半音を駆使されても困るし、断片的なフレーズが連なるだけではとても、よくわからないっす。だめだこりゃ。

マラ9の冒頭を弾いておしまい。体調悪くなった。
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スラヴァ

ショスタコーヴィチ・フェスティバルのソナタの演奏を聴きなおしている。音程も幅もテンポも大味不安定で聴きづらい場面が多々あり、衰えは隠せない様子だが(当時は年齢かとおもっていたが今になってきいてみると練習か健康状態のせいであるように思われる)、右腕は雄弁で、大きく歌い、ひたすら歌い、あのオイストラフを思わせる骨太の赤銅色の音からは師匠であり友人であったショスタコへの思いのたけが、あらわれている。弦のソナタというものを私は好まないし、このときも余り興味を惹かれなかったのだが、どうにもやはり、こうなってしまった今、ここに何も感じるなというほうが無理がある。このとき、曲りなりにもショスタコとの約束をはたしたロストロ先生、もう引退なのかと思ったら指揮中心ではあるが精力的な活動を続けていた・・・だがそれも余りきかれなくなったのはここ数年。

スヴェトラもいない。「あの」ロシアは遠くなってゆく。

ウォルトン:チェロ協奏曲

○ピアティゴルスキー(Vc)サージェント指揮BBC交響楽団(EMI,BBC)1957/2/13live・DVD

作曲家にmagnificentと評されたイギリス初演時のライヴ映像である。まあ誰しも巨漢ピアティゴルスキーの左手、とくに2楽章の唖然とする超絶技巧に釘付けになるだろう。音だけ聴いていたら余り魅力をかんじないかもしれない、個性的ではない音の人だが、映像の力はこのオーダーメイド作品(もちろんピアティゴルスキーの委属)が決して皮肉屋ウォルトンのドル獲得の道具であったわけではないことを直感させるに十分である。

耳で聴くならせめてスコアと首っぴきで聞かないとわからない込み入ったところのある(ウォルトン自身は事故で入院中であったためラジオで聴いたようだ)、ウォルトンの長い滑空的晩年の入口際に咲く最後の花のような作品であるだけに、映像で見るとこのチェロに要求するには首を傾げざるを得ない跳躍の多さ音線のわかりにくさ、音響の複雑さとリズムのせわしなさ、そして変則的な重音の多用、確かに映画音楽のように煌びやかな叙情をたたえているはずの、旋律的な「はず」の楽曲をどうまとめるかがじつに難しげで、そこの巧妙な描き出しかた、やはりフルヴェンのオケで長年鍛えられた現代作品に対する確かな耳と腕が「ウォルトンなんてわかりやすい、簡単カンタン」と言わんばかりの余裕をもって楽曲をまとめてみせる。

TREview

そう、チェロのハイフェッツと言われてもおかしくはなかった(ハイフェッツのガルネリもそうだが楽器がかなり小さいのもヴァイオリン的なカンタービレをあわせもつ超絶技巧的な演奏を可能とした一つのゆえんだと思われるが)ピアティゴルスキーの腕はやはり音盤オンリーではわかりにくい。録音よりライヴを重視したためか録音媒体には渋さと技巧ばかり目だったものが多い。これは確かにライヴだし、何より弦では最も有用音域が広く難しく筋力もいるチェロだから、ウォルトンのような弦楽器に無為に苛烈な要求をする人の作品においては、音が決まらなかったり指が滑ったりするのは仕方がなく、いやコンチェルトでは敢えて要る音要らない音の強弱を強調するためになめらかに音を飛ばしたりひっかけたりして味にすることもあるのだが、ピアティゴルスキーは超スピードの間断ない流れを重視しているがゆえ、音符を全てしっかり音にできているかといえばそうではない。

でも、この白黒映像でもうかがえる伊達男、いやテクニシャンのサージェントとピアティのコンビにおいてそんな瑣末さは大した問題ではない。新曲をまとまった大きな絵画として描き出すためには細部へのこだわりは寧ろ仇となる。

BBCはそつない。しかしその冷たい音とじつに規律正しい・・・ドイツ楽団の「締め上げられた規律」とは明らかに違う・・・キビキビ正確に決まるアンサンブルはウォルトンの冷え冷えしたランドスケープに非常によくあっている。イギリスの楽団はじつにいいなあ、と思いつつ、その冷静さに若干の物足りなさを感じることもあるが、だがこの2楽章、「ウォルトンの2楽章」のピアティの超絶さには、結部でさっと弓を引く顔色変えないピアティに対し、会場から「舞台上からも」ざわめきが起こり一部拍手まできこえる。背後でささやきあう楽団員の姿を見ても・・・BBC交響楽団ではそうそうないことだ・・・恐ろしい技巧を目の当たりにした人々の「恐怖」すらかんじとれるだろう。ピアティは心をこめて演奏している、でも、まったく体は揺らがないし、表情を歪めたり陶酔したりすることもない。ラフマニノフを思わせる顔つき髪型で、性格的なふてぶてしさを表に出すこともなく、ルビンシュタインやハイフェッツにやはり似ている天才的技巧家特有の肩の力の抜き具合と演奏のすさまじさのギャップがすごい。

ハイフェッツの演奏を見て何人のヴァイオリニスト志願者が弓を置いたろうか。ピアティについてもそれはあてはまることだったろう、そういったことを思う。近現代チェリストにとっての神様カサルス~ピアティにとってもその存在は神であった~、あらゆる意味で20世紀最高のチェリスト故ロストロ先生(嘆きの声は次第に盛り上がっている、カサルスがなくなったときもそういえば楽器違いの演奏家からも悲痛な声があがっていたなあ・・・)のような天上の存在は別格として、しかし、あの大きなかいなをまるで機械のように正確にフィルムのコマよりも速くうごかし、工業機械のように力強く目にも止まらぬ速さで指を連打しつづける姿を見てしまうと、今現在目にすることのできるチェリストの何と弱弱しく、音の小さいことか、と思ってしまう。

このような演奏は、コノ曲においてはとくに絶後だろう。終わったあと、曲が静かで心象的であるだけにそれほど盛り上がらないのだが、それ以上に通り一辺ににこにこと挨拶したあと、左手でネックをつかみ軽々高々とチェロを持ち上げ楽団員の間をぬってさっさと袖にはけていく大柄のうしろ姿に・・・つまり全く疲れていないのだ・・・、亡命時にチェロを頭上に持ち上げ川をわたったというエピソードはマジかもしれない、とおもってしまった。恐るべき国ロシア。短命はその能力と体力のひきかえにもたらされるものか。純粋に音楽としては○。

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TROYの音楽

THE BLOW MONKEYSのSPRINGTIME FOR THE WORLDを聴いていた。ロストロ先生というとどうしても、崩されるベルリンの壁の前でひとりチェロを弾いている場面が思い起こされる。あれはこの政治的バンドのイデーの一つが華々しく失われたときでもあり、民主主義の理想が手放しで喜ばれた時代に、あからさまに喜びを歌っているアルバムだ。スタカンに比べ珍妙なアマチュア臭、偽物臭がして、そこがイカモノ好きな私は好きだったのだが、今、80年代ダンスミュージックが見なおされている中で若年層に着目され始めたかれらを聴きなおすと、偽物臭はじつはかなり確信犯的、むしろ古さを感じさせない入念な曲作りが意外に思われた。ブルーアイド・ソウルの名に恥じないソウルフルな楽曲にいきなり電子音をつっこんできた当時は古いファンを引かせたが、今のソウル系ダンスミュージックなんてみんなその口であるから慣れたということもあるか。いや作り込まれた本物だったのだなあ、と感慨深く思った。バンドも巧く、大量生産的な今のシーンにあらわれる有象のアルバムにくらべ丁寧でゴージャスだ。しかし結局音マニアやミュージシャンしかついていかなくなり、ヴォーカルが今の親友ポール・ウェラーと足並みそろえアコースティックなソロ活動に転じたため解散したのは、奇しくも壁が壊れたお祭り騒ぎに暗雲がさしかかってきたころだった。ロストロ先生はうちの父より年下。やはり今の時世享年80才は若すぎる。日本国憲法制定の当事者関係者が90才に及んでまだカクシャクとNHKに出ているのを見ながら思った。

トロイは新しい映画だが懐かしい。ベン・ハーなどを彷彿とさせるテーマだ。憲法番組とかけもちで見ながら、こういうストレートな歴史叙事詩は久しぶりなので楽しめた。古代ギリシャはそのアルカイズムに魅せられた人々によりよく音楽の題材に編まれたものである。しかしおもしろいのはかつてのハリウッド大作を意識しているせいか、音楽も当時映画音楽を作っていた作曲家たちが影響された近現代の楽曲に似たものが断片として織り込まれていることだ。

ホルンの提示する重いテーマにショスタコの革命四楽章のテーマが織り込まれていたのは気付かれたかたは多いだろう。また、最後の悲劇的なシーンではテーマとオーケストレーションの一部にRVWのタリス・ファンタジーが織り込まれている。どちらもパクるのではなくうまく取り込んでいるので、闘争の無情さと戦士の諦念をアピールする映画にあっていて、よかった。

病みあがりに


スラヴァなき世の哀しさに思わず病みついてしまったが、やらなきゃならないことをなんとかすませてひたすらニンニクを食い市販薬を片端から飲んで寝た。やっと歩けるようになったので散歩すると青い空。いま時分雲ひとつない空は沖縄にもなかった。ヘッドホンの左が壊れていることに気が付く。音楽をまったく聴いていなかった。病から立ち直るには何かショックをあたえるべきである。仕事か運動だ。しかしいちおうGWである。運動はまだ辛い。200GBたまりっぱなしのHDDプレイヤーを少しは消化しようと「のだめ」のアニメを一気に見る。展開早!なんか妙にリアルな音楽の部分とアンリアルな漫画の部分が継ぎはがれているこのマンガ、途中でやめたのだが、アニメはよくぞ綺麗に生々しくまとめたなあ、ドラマとは違う。ここまできてやっと楽器を弾くという選択肢がでてきた。まだ肘先は痺れがとれないが耳は(ここしばらく海水と飛行機圧のせいでおかしかったが)回復している。


もんのすごく衰えているはずだ、と曲をえらんで楽譜棚をあさる。しかし・・・どこいった「まともな曲」!

ぐらずのふの協奏曲!しろーとが弾けるかこんなもん!しかも音も運指もボウイングすべてよくできているだけに歯がゆい!あっ、左手の小指先にバンドエイド貼って音程とれるかっ!そんなことも忘れてた。イベールのハープトリオ!ボウイングが無理だ!


で、苦手なドビュッシーのソナタが意外にいちばんしっくりきた。


しょせんコンディションか。メニューヒンのヨガ本、どこいったけ?

ロストロポーヴィチ~2007/4/27


wikiから。。

Mstislav Leopoldovich Rostropovich
BornMarch 27,1927
Baku,Azerbaijan,USSR
DiedApril 27,2007
Moscow,Russia     

癌で闘病中だったが今年二月より入退院を繰り返し、午前中に癌医療センターにて息を引き取ったという。昨年秋ショスタコーヴィチ生誕100年記念演奏会での指揮が最後の演奏となった。

国家体制との闘争は人類愛と平和に浄化されたが、最後は自分の病との闘争におわった。それは余りに不幸であったが、生をまっとうできた芸術家自体稀であったかの国に生まれ、80歳という年令まで現役音楽家として活動できたというのは、幸せだったとも言える。思えばショスタコーヴィチ100歳記念交響曲演奏チクルスに名をつらねられなかったのも、健康状態によったものだったのだろう。奇しくも盟友小澤氏が病より再起した矢先のこと、、

追記・読売オンラインより

世界的チェロ奏者、ロストロポービッチ氏が死去
 【モスクワ支局】AP通信などによると、チェロ奏者、指揮者として世界的に有名なロシアのムスチスラフ・ロストロポービッチ氏が27日、モスクワ市内の病院で死去した。80歳。
 ロストロポービッチ氏は、ソ連時代に祖国の人権状況を厳しく批判し、市民権を剥奪されたことでも知られる。
(2007年4月27日18時39分 読売新聞)

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旅程より


まったく音楽とは無縁の生活を送っていましたのでここの更新もとどこおっておりました。まだクラシックは聞いていないのでアップするものはありません。そのうちアップするでしょう。

某コミュニティサイトにて音楽関係の場を置いているのですが、最近つづけて素朴な書き込みがあり、ほほえましく感じられました(いま自分が音楽モードにはないので反応はできてないですが)。音楽にせっすることにおいて素直であるというのは、遠く忘れていたことだけれども、とてもとおといことだなあと思いました。

多分そういう中にほんとうにいいものを見つける芽がある。知識や経験や専門性やもろもろのスノビズムに毒されないまったくの白い状態で聞く者は、きっと素直にもっともいいものを選ぶことのできる特権を持っている。

ただ、膨大な音源を取得可能で、多々のライヴに接することのできる社会的状況にあって、こういう選択肢もあるのだ、こういうものもあるのだ、というただ「あること」を知らせること、それについて若干の補足的事項をわかりやすく付け加えるだけでいい。

このブログ(本体は元が古いので別)は基本的に自分の備忘録であり自分用のwikiですが、当初はそういう意図もあり始めたものです。抽象的で印象中心の記述を多用しているのは意図ですし、厳密さに重点を置かないのもとにかく数を挙げることを念頭においているからです。

なんとなく意に沿った形にはなっているので、けっしてやめることはないでしょう。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

○チェリビダッケ指揮デンマーク放送交響楽団(VIBRATO:CD-R)1970年代LIVE

脳天にガツンとくる名演なのだがいかんせん録音が悪い。終楽章後半で左チャネルに入りそのままフィナーレまでつづくどうしようもない放送雑音にいたってはとても最高評価にはできない。やや不安定なステレオでエアチェック特有の音の軽さがある。この時点ではまだスピーディでテンションの高いガチガチのアンサンブルを構じているチェリが、晩年には特徴的となる透明感ある明快な音響を既に指向していたのか、たんなる録音だけの問題なのかわからないが、焦燥感と掛け合いのカタマリであるこの独特の癖ある曲を聞きやすくすっきりしたものにしていることは確かだ。わずかにピアノの非力さが気になるほかはオケ的にも非常によい。解釈の余地のない線的な単純構造のメカニカルな曲ゆえ、構造にきびしいチェリにはあっている面もある。組曲ふうの楽曲内容でともすると散漫に終わる曲だがチェリならではの緻密な設計は成功をおさめている。とにかく録音だ。○。

シベリウス:交響曲第1番

○バルビローリ指揮ヘルシンキ祝祭管弦楽団(DA:CD-R)1964live

終始激しい演奏で好きな人は非常に好きなタイプの演奏だと思う。最初はかなりオケが弱体な感じがして、朴訥とした表現と変なカンタービレ音がイタリアオケを彷彿とさせるが、リズムを強く打ち出しぐいぐいと引っ張りまた矢継ぎ早にしかし非常になめらかにルバート表現をつなげてゆく方法がオケの重心の低い響きと合致してくると、依然音にはアマチュアっぽさのようなものは残るものの、シベ1演奏としては解釈の行き届いた充実したドイツふうのまとまりあるものに聞こえてくる。音が分厚くて初期シベリウスにはうってつけという感じだ。録音がまるで50年代前半のもののような悪さゆえ○より上はつけられないが、聴衆の普通な反応が信じられないほど盛り上がる、さすがバルビのシベリウス・ライヴといったふうでおすすめです。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲

ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1964live?(1962/3)

もう録音のことくらいについてしか書くことがない。。他のライブ記録と変わらないのである。昔のステレオ放送ゆえの左右の乖離が激しく浅薄な音響状態で、厚みが無く前面真っ平らに展開された「軽い音」は正直聞きづらい。しかも要素の主張が弱く冒頭の木管アンサンブルが聞こえなかったり、録音媒体としては問題が多い。終盤はさすがに盛り上がりが伝わり聴衆もブラヴォ大喝采だが、正直、録音として聞くとほんと、他の録音と同じ。オケの表面的な派手さが目立つくらいか。無印。 以前の1962/3記載の音源との同一性未確認。

オネゲル:交響曲第4番「バーゼルの喜び」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965LIVE

レンジのきわめて広い明瞭なステレオだが不安定で傷だらけのエアチェック盤ゆえ、左右チャネルのバラバラ感もあいまって曲自体の散漫さが目立つようになってしまっている。いわばベートーヴェンの5番と6番の関係性がオネゲルの3番と4番の間にも性格として成り立つわけで、オネゲル自身も必然的な存在だったと述回しているが、散漫さもひとつの主張なのであるが、案外冷え冷えとした音の硬質な叙情が際立ち、3番の中間楽章に特徴的にきかれる牧歌的な暖かさと比べて寧ろ晦渋な印象を残す。作曲家の盟友であったミュンシュは開放的で透明感のある表現をほどこし、BBC交響楽団かとききまごうようなボストンの機能的な面が非常によく引き出されている。しかし聴衆には少々馴染みのない曲であったせいもあろう、楽章間に拍手が入りかけ、ミュンシュらしくもない構成上の求心力の弱さが露呈している。確かに晦渋なようでじつは構造上わかりやすすぎる3番より「要素の上で進歩があ」る、だが解釈者は聴衆との仲立ちとして少し工夫すべきところがあると思う。美しい曲だがそれを磨くとともに肉付けする必要、ミュンシュの得意技と思うがここではやや足りない気もした。

オネゲル:交響曲第3番

◎ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1956LIVE

安定したモノラル録音でノイズもなく聴き易いがやや音量がない。演奏は極めて集中力が高く、鬼気迫るものがある。ミュンシュとオネゲルは相性抜群で、オケが比較的ニュートラルだがパワーのあるアメリカの老舗楽団というところも、お国オケで出させてしまう一種のアバウトな癖がなく強みになる。立派な演奏ぶりは静かに哀しみを告げるピッコロの一節より立ちのぼる盛大な拍手~ここにブラヴォはいらない~からもうかがえる。世俗的な旋律要素を引き立たせながらもそれ以上に構築性を強く打ち出した毛埃の隙もない名演。どちらかといえば前半楽章が凄い。

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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1964LIVE

ノイズは気になるが録音は比較的生々しい。演奏はロマンティックで時折半音階的な動きがスクリアビンののたくるようなワグネリズムのエコーのように聞こえてくる。ミュンシュの造る分厚い響きはドビュッシーからやや遠ざかるような恍惚感を孕むが耳にはわかりやすい。ひんやりした幻想のくるくる回る不可思議さはないが、おもしろいとは思った。ミュンシュのライヴにしばしばきかれるお定まりのものではない、しっかりしたブラヴォが飛ぶ。正統かどうかは別にしてライヴならではの即物的な感興を愉しもう。○。

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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

◎ミュンシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/3LIVE

前半は突き放したような醒めた音でぶっきらぼうなソロが目立ち、デジタルな表現の力強さが印象的で、作為的とまでは言わないが極めて良好な録音状態(BSO盤と同じ可能性あり)とあいまってやたらリアルな感じが強い。しかし後半ねっとりしたフレージングがなめらかな情緒を臭気たっぷりに煽り始め、朝のあたりでの凄まじいテンポ・ルバートは比類ない誇大妄想が指揮者オケ混然となって圧倒してくる。そのあとはやや金属質な表現に戻り、ルバートも意図と類推可能になるものの、全員の踊りはこれまた強いリズムで軍隊のように破裂し見得を切ってブラヴォを強要する。合唱付きでこの一体感は並ではなかろう、ライヴとは思えぬ精度といいミュンシュの全曲版の記録としては最高峰。ライヴであることは下卑たブラスの響きにしか伺えない。

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ミヨー:弦楽四重奏曲第14番

○パレナン四重奏団(EMI)

例によって15番と八重奏曲(14,15番を同時に演奏することにより八重奏曲としたもの、ベルネードQとの合同録音)の組み合わせだが、この14番は、最初の旋律だけが目立つ15番にくらべ対旋律まできちっとした旋律になっている(ミヨーは旋律重視の人です)がゆえの、ミヨーならではの弱点が目立つ。高音二本と中低音二本がしばしば完全に分離し、おのおのが違う楽想を流し、構造的には組み合っているが和声的には「耳ごたえのある」分厚く衝突するものになる場面がやや多いために、楽器元来の威力的にどうしても高音部が負けてしまう。耳に届く音として、とくにミヨーのように高音旋律の作り方が巧く、更に超音波に達するくらいの(大げさ)高音を個性として駆使する人においては、確かにはっきり届きやすい要素はあるのだが、もちろん音量的に(倍音含め)出る音域ではないため、チェロが楽器角度に左右されずしっかり収録できてしまう「録音媒体」となると、土台のしっかりした深い響きに消し飛ばされてしまう。ミヨーの低音はかなり低い位置でひびくことが多いが、音が永続的に鳴り続ける擦弦楽器となると通奏「重」低音としてアンサンブル全体の響きをかき乱してしまうことがあり、低すぎて明確な音の変化まで聞き取れなくても、牧歌的な楽想にたいしては「強すぎるデーモン」になりうる。小規模アンサンブルでこのような明るい主題の曲で、どうしても両方に主張させたい場合弱者側にはピチカートなどの奏法を織り交ぜさせ書法的に対抗するか(ミヨーもやってるが)、演奏者側が意識して音響をととのえないと、数学的には合理でも音楽的には非合理になりうるもの。この演奏が、あきらかに耳ざわりのよいはずの14番より15番のほうが聞きやすく感じがちな理由は、チェロとヴィオラが「田園に射し込む一握の雲の綾なす陰」を逸脱し「田園を覆い尽くさんとする暗雲のドラマ」になってしまっているせいだと思う。まあ、録音のせいかもしれないが。ミヨーの厚ぼったい書法を解決するのにパレナンの透明感はマッチしているので、ちょっと惜しかった。○。しかし・・・この曲に更に4本追加して8本にするなんて無茶だ。この曲だけで十分お腹一杯な音響なのに。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」抜粋

○アンゲルブレシュト指揮ORTF、ダンコ、モーレーン(INA)1952/4/29live・CD

素晴らしい記録である。モノラルの抜粋ではあるが丁寧なCD起こしをしていて聞きやすい。輪郭線が決して太いわけではないが明確で、未だ初期の香りを残した同曲のわかりやすい部分を明示し、起伏もあり楽しめる。盤としては歌唱を聞かせるようなものになっている。ダンコの声は通りよく伝わり易い。

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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1967/7live

恍惚とした演奏ぶりで雰囲気は満点。静かで透明感のある音がよくマッチしている。春向きの演奏。ただ、冒頭僅かに切れる。

ラヴェル:ダフニスとクロエ第二組曲

○パレー指揮ピッツバーグ交響楽団(DA:CD-R)1968/6/28

不安定なステレオでホワイトノイズも大、終曲の電気的雑音もかなりひどい。しかしすべて音は明瞭で非常にきらびやかで迫力がある。冒頭から伴奏音形の頭拍にアクセントがつきリズムがはっきり打ち出され煌びやかな響きとともに、夢幻性よりリアルな音楽の魅力がしっかりしたタッチで描きだされる。パレーらしい太筆描きでそれほど揺れないがソロ楽器のニュアンス表現はかなり自在である。そのソロをはじめとしてオケははっきり巧い。マスとしての迫力もそうとうのものだ。テンポ自体はそれほど上がらないし響きは重いが、全員の踊りはやはり騎馬民族的なリズムの攻撃性が心地いい。○。

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ヒンデミット:気高き幻想組曲

○パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1961/12/21

終曲までは割合と実直な表現で進むのだが、フィナーレに近づくにつれ次第にリズミカルで力強いアクセントが付き始め、一気に盛り上がりをみせる。ダイナミックな表現はスコアが示す以上のカタルシスを感じさせる。方法論的に正しいのか知らないがシンフォニー的なまとまりのあるなかなかの演奏だ。○。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

○モントゥ指揮サンフランシスコ交響団(CASCAVILLE/VICTOR)1941/4/21

颯爽と揺れない直進性はならでは。ワルツが怒濤に迫るさまはトスカニーニ感がある。○。
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