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ブラームス:交響曲第1番

○ガラグリ指揮ベルリン放送交響楽団(ETERNA)LP

いたって堅実な演奏。爆発も解剖もせずひたすら愚直なまでにインテンポの歩みをやめない。引き締まったキレもまとまりもいいリズム取りもいたって模範的なドイツ的表現、うーん、まさか最後まで堅実を通すとは。演奏レベルという点で悪くはないので○だがとりたてて特徴のない演奏。

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オネゲル:コンチェルティーノ

○イオケレス(P)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト放送交響楽団(MELODIYA)LP

6人組のミヨーやプーランクあたりを思わせるうららかな曲想からはじまり、最後にはあのバッハ的なメカニカルな構造があらわれるがそれほど緊密ではない。小品を手だれの奏者がそつなくやった、といったかんじか。○。

ドビュッシー:小組曲(ビュッセル管弦楽編)

○コンドラシン指揮モスクワ・フィル(venezia/MELODIYA)CD

2012年ヴェネツィアレーベルより復刻、ボックス収録。ステレオ。しょっぱなからいきなり恍惚としたテンポにのけぞる。何というロマンチシズム!それが4楽章の緩徐部にいたるまで続くのだ。コンドラシンらしい前進性は4楽章のワルツ主題にしかあらわれず、それも音のキレだけで、テンポはかなり穏やかだ。意外と色彩的な広がりは好録音ゆえのことだとは思うが、かなりガウク的なフランスものであり、万人向けでもコンドラシンマニア向けでもない。個人的にはロマンチシズムはアリ。○。

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」

○パスカル四重奏団(CLASSICS CLUB他)LP

楽しく情緒たっぷりのオールドスタイルがなつかしい。こういうフレージング、こういう倍音の無闇に詰め込まれた音、豊潤な演奏というのがあまり聴かれないのはどういった訳だろう?かんじんの東欧が比較的乾いた精緻な演奏スタイルでお国ものにのぞんで成功したものだから、それを範とした後進がみな情趣の押し売りよりメカニズムの浮き彫りだといった結果、骨をかちゃかちゃいわせる民族舞踊がカルテットの定番になってしまったのか、これも社会のデジタル化の弊害か。いま一度この素直な感情の表現に戻って、たのしく歌いさわぐ感覚をアメリカに取り戻すといい。パスカルのよろこびはカルテット業界の陥っている精緻化の狭い穴の存在に気付かせる。つまりはおもしろいってことです。

キャプレ:赤死病の仮面~E.A.ポーの幻想的テキストによる

◎F.スラットキン指揮コンサート・アーツ管弦楽団、M.ストックトン(hrp)(capitol)

テスタメントのシリーズでCD化されているかもしれない。とにかく迫力の演奏である。分厚い弦楽合奏の筋肉質な働きによるところが大きいが、多少幻想的な意図のあるハープの挿入も冒頭以外ではかなりギタリスティックな効果と化けているところがあり、まあ、原作の雰囲気がこんなにアグレッシブで前向きに明るいものではないにせよ、合奏曲としての純粋な音楽的興味は惹かれる。テキスト設定は個性的だが内容的には決して個性的でもない、同時代のハープを利用したフランス楽曲の一つと言ってしまえばそれまでだが、しかし、ここにはほんとに赤くなり死んでしまうアグレッシブな病がこれでもかと猛威を振っている。しかも邪悪じゃない、ビリーのように明るくアグレッシブだ。アメリカだ。でも、はっきりいってアンサンブル曲としてこういうリアルな描き方、面白いです。◎。

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

○ヴェス指揮ウィーン交響楽団(REMINGTON)LP

リアルな肌触りのけっこう輪郭線のぼやっとした演奏だが、純粋にベトの神的なアンサンブルを楽しもうという雰囲気がオケの内面からこみ上げてくるかのような力強さが特徴的。描写音楽であり、幻想交響曲あたりの元祖であり、わりと構造的ではなく簡素な絡み合いで叙述的に音楽が広がってゆく曲ゆえ、ヴェスのただ純音楽として分厚い響きをかもす熱気ある演奏スタイルにはやや不向きな感じもある。しょうじき後半は飽きた。だが演奏自体はいい。○。

大手CD屋番付(2007年上半期版)

一位:HMV

店頭品揃えはイマイチだけど、店員が丁寧で親切。余り知らない人もインフォに立っているけどちゃんと調べようとしてくれる。取り置き措置もスムーズ。ネットは更に使い易い。ずいぶんと改善された模様。

二位:石丸

店員に当たり外れあり。よく知っている人が多い印象があるものの、てきとうにあしらうすべを身に着けてしまった店員にはうんざり。品揃えがずいぶん壷をおさえているのは石丸の特徴だが、さいきん混乱しているような。。。それに海賊盤CD-R以外は遅い。

三位:タワレコ

店員が基本的に無知。客の要望にこたえようと努力せず、できれば諦めてくれ的に右から左へ受け流す向きが増えた。商売したくないらしい。但し品揃えは広く浅くあることは確か。

ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

○プラハ四重奏団(DENON)1977/11/8,9荒川区民会館

何か足りない・・・「憂い」だろうか???民族的な部分も近代西欧的室内楽な部分も適度に盛り込まれ、ライヴ感あふれる鋭い饗宴を楽しめるのだが、どこかのりきれない。。

プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

○プラハ四重奏団(DENON)1977/11/8,9荒川区民会館

オデオンとしている資料があったがDENONお得意のPCM録音です。ただ、ソリッドで金属質という感じは一昔前のデジタル録音特有の不自然さでもあり、もっと生音はやわらかくしなやかだったろう。演奏は民族的な部分は多分に残しながらも過度なヴィブラートやアタックをつけることもない。単純な曲なだけに各声部がかなりしっかり調整できていないとほころびがすぐに耳についてしまう、だが来日録音というハプニング的なものであったにもかかわらずほとんどほころびがない。力みすぎもそんなに気にならない。中庸の演奏とはいえ楽器の音はでかく雄弁であり、どの向きからもこの曲に期待されるものが全部列されていると言ってもいいだろう。○。

ヴェルディ:弦楽四重奏曲

○パレナン四重奏団(VEGA)LP

ロマン派バリバリの曲をロマン派バリバリの押せ押せスタイルでやっている、パレナンなのに!オペラティックとはいえけっこうちゃんとした型式感のある楽曲であり、なかなかしっかりした演奏ぶりで聴きとおせる。音色の爽やかさがそうさせているのかもしれないが。ただ、後期ロマン派共通の問題として、長い!!

tag : 四重奏団

ボロディン:弦楽四重奏曲第2番

○パレナン四重奏団(VEGA)LP

わりとよく見る中古LPなのに昨今のなんたらブームでやたらプレミアンになっている盤だが、VEGA自体かつては見つけたら即買いくらいの勢いだったのが、今やフランス盤全般が高額安定、VEGAは再発が多いばかりか再発時にステレオ化されたり(VEGAは同時期のETERNAなんか同様に、きほんステレオ収録しても普及盤としてはモノラルで出していた)しているせいかあんまりピックアップされなくなり、デュクレテ原盤よりディスクフランセのプライヴェートが高いとか、もちろんレーベルで決まる話ではないのだけれど何か腑に落ちない。わりと手ごろなものが出ていたので即買い、聴いてみた。前評判は意外な演奏、というものだった。

確かに。初期パレナンの音はカルヴェらの伝統にのっとっているように聞こえる。後年の倍音の少ない純度の高い音への指向の萌芽はあるものの、モノラルであるせいか拡散的にならず、曲の構成のままに素直に譜面を表現している。過度に客観でも古臭く民族的でもない。新世代の演奏家、としてもまだ発展途上でいた、だからこその緊張感がいい方向に働いている。さらっと聴きやすい。それにかなり巧い。パレナンにそんなに巧いイメージは無いのだが、ファーストは伝統的なフランス派の表現としてはかなり精緻に激した演奏を可能としている。

この時代にしては清新、しかし今の耳からすると郷愁の範疇に未だいる。ボロディンはこのくらいの演奏がちょうどいいのかもしれない。何度でも聴ける演奏だ。

ラヴェル:序奏とアレグロ

○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮交響楽団(MELODIYA)LP

ガウクはドビュッシー、ラヴェルの両者のハープメーカー注文作品を録音しているわけだが、ラヴェルの場合かなり淡く軽い演奏スタイルが要求されるのに、ここではしょっぱなから異常にロマンティックなフレージングで入ってくる。とても重い。そしてその表現方法が最後まで続くのだ。録音がメロディヤなので、盤質というかティッカーノイズはともかく(このへんは再生針の問題でもあるし)録音自体はモノラルながらとてもレンジも広く深いので、聞こえ方がハッキリしすぎるというのもあるが、それにしても凄いアーティキュレーション付けだ。いや、この曲は何かいつも味が薄いというか京風の感じがして、関東人としてはもっと濃いい、どちらかといえば名古屋風の味噌味のほうが好きなので、「これもよし」。ドゥロ-ワは生々しく分厚いはっきりした音だ。○。

ヘンデル:ハープ協奏曲

○ドゥローワ(Hrp)ガウク指揮交響楽団(MELODIYA)LP

音量変化の極端なアクの強い演奏で、ドゥローワはまるでグランジャーニのように野太い音を出す。ハッキリしていてわかりやすいが、ロマン派のようにきこえ、軽やかさがないわけでもないのだが、どこか変。面白いけど。

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tag : ガウク

ルーセル:ピアノ三重奏曲

○フローラン・シュミット三重奏団(cybelia)

かなりロマンティックでフォーレ以前の作曲家の影響色濃い生硬な曲で、とつぜん理知的に現代的な尖った響きが出てくるあたりはウォルトン若書きのピアノカルテットを思わせる。旋律がとめどもなく美しいので演奏を選べばフォーレやフランクらの室内作品にひねりが少し盛り込まれた様を楽しむこともできるだろう。けして技術的に評価できない団体だがフランス派の音を楽しめる。○。

gooブログて。。


三つくらい同時に用事をすませていたら、のだめのアニメの最終回が始まった。さいきんマンガ系のものは筋より絵や編集や細かい部分に興味がいってしまうので、とりあえずの区切り的なおわり方をみながら、すごい力技でまとめたなあ、うまいなあ、ということと、やっぱり絵のクオリテは最終回になると妙に上がるんだなあ、ということでした。昨晩は久しぶりに寝たんですが、今晩は月下美人を撮ってたら、既にこんな時間に・・・



あああああああ楽器弾きまくりたいいいいいい


gooブログの不具合、目に余るなあ。ついにコメお知らせメールが出なくなった。間違いなく末期症状。問い合わせガン無視なのは、あんな人数でやってるからだな。

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

○バーンスタイン指揮ORTF(VON-Z:CD-R)1966/11/30LIVE

きわめてクリアなエアチェック音源でカペルマイスターの76年とされるものと比べてもはるかに楽しめる。バンスタは粗い。雑味をも味とした典型の人で、あたえた影響はけしていいことばかりではない。変に厳しさのない勢いや起伏だけのアンサンブルをこうじるトップ指揮者はバンスタ前にはそんなにいなかったのではないか。逆にバンスタは唯一無比のアバウトさを感情のほとばしりと聴かせる指揮者だったのだ、とこの解釈の行き届いた、しかし雑音も多い演奏を聴きながら思った。バンスタははっきり、ショスタコ適性があり、作曲家の内面に踏み込めたからこそどんなに曲から遠いオケでもここまでやりきることができたのだ。録音が僅かな混信を除けばほぼ満点なので◎をつけたいがいかんせん、それゆえ聞こえてしまう雑味が気になったので○。3楽章なんて自作じゃないかというくらいないきおいだ。しかも晩年のようなフォルムの崩れはない。

プロコフィエフ:弦楽四重奏曲第2番

○レーヴェングート四重奏団(DG)LP

よく見る盤だが昨今の初期盤ブームとおフランスブームで高値安定の中古市場。DG盤の質や録音特性の好き好きはおいておいて、演奏はなかなか大人である。フランス的な甘い軽やかな響きと不安定な細い描線がかもすのはかつて作曲家が憧れた往年のフランス派、たとえばミヨーのプロヴァンスふう室内楽のような雰囲気であり、清澄さと繊細さをもたらして民族的な凡演と一線を画している。現代的な団体だなあと思わせるのは2楽章冒頭からの教会的な音楽の部分で、まるでショスタコ晩年の諦念のような悲痛なかなしみが滲み出ている。ユーモア溢れる終楽章でさえ、随所に深淵をのぞかせている。この演奏は素直に民謡室内楽として聴けない何か踏み込んだものをかんじさせる。技術的にはそれほどでもなかろうが、曲理解のために聴く価値はあります。

ケクラン:交響詩「バンダー・ログ」~ジャングルブックより

○ヴァント指揮ケルン放送交響楽団(Profil、Hanssler、WDR)CD

ケクランではわりと演奏される曲だが文字面の意味内容よりも音楽そのものの前衛性に着目したようなヴァントの慧眼には瞠目させられる。いったいこのブーレーズのような音響は何だ??オネゲルの気ぜわしい構造物やジョリヴェの騒々しい野蛮主義の側面がカリカチュアライズされ大きな枠組みの中に取り込まれている。通常は「気ぜわしく騒々しい音楽」として描かれるべき「描写音楽」であるのだろうが、書法の緻密さ隙のなさと老齢においても音楽への挑戦的な態度を堅持し続けた静かなるケクランの「爆発する音楽」が、ヴァントによって律せられここまで磨かれてくるさまを見るにつけ、この人はまったくメシアンの隣人と言っても過言ではない存在であったのだと改めて感服させられる次第である。落下眼鱗の演奏。人によってはもっとボリュームやスケールが欲しいという人もいるかも。録音は素晴らしくよい。

オルフ:カルミナ・ブラーナ

○ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団&合唱団、ヴェヌッティ(SP)他(Profil、Hanssler、NDR)1984ハンブルグlive・CD

ちょっと冷静な演奏だがいつもの狂乱的なカルミナ・ブラーナではなくケーゲルらのやったような「構築物としての」ブラーナが聴ける。ここには歌詞の意味内容より純粋音楽的な興奮をそそられるものがあり、もちろんそういうものはこの曲にはほしくない、という向きにはまったく薦める気はないのだが、静謐さや純粋さ、鋭さといったヴァントならではの持ち味がこの曲に違和感なく入り込んでいるさまには感銘を受ける。○。

ベートーヴェン:交響曲第7番

◎ヴェス指揮ウィーン交響楽団(REMINGTON)

この人はもっと有名にならなければならない人。見事。オケにいつもの技巧的アバウトさはあるものの、それが「憂い」となって堅実な解釈を生き生きした血肉で彩るさまが極めて調和して素晴らしい。オケを乗らせるのが巧いのだろう。1楽章の第二主題への鮮やかな移行など、並の表現ではない。録音が古いのでなかなかおすすめするのに躊躇があるが、でもウィーンの音に対してドイツ的な解釈をゴリ押しせず、個性を押し付けないことによって汎世界的な偉大な価値を生み出しているように聞こえる。舞踏の神化と言われたこの曲は余り縦を重くしすぎたりきっちりしいすぎるとアウトである。オペラティックな表現もある程度必要であり弱音部の歌謡的な抒情性も必要不可欠である(逆説的だがブラームス的なものが必要なのだ)。抑制にVSOの音色の艶めいたバラケ具合がくわわると、何ともいえない味を産む。オケの特性にあわせた見事にさりげないアーティキュレーション付けに尽きるかもしれない。

解釈自体は直線的で奇をてらっているわけではないが、あきらかに凡百の演奏とは違う微細な配慮が行き届いている。やわらかでいながらも「そうでなければならない」という確信がそうさせているのだ。他の表現方法へ頭を回させることがない。とにかくこのオケでこの演奏は立派という他ない。いや、このオケにこういうテンションを保たせたことで既に勝利を得ている。

私は基本的にスピードが好きである。7番はあるていどはスポーツだ。2楽章においても決して遅く武骨になりすぎてはならないと思う。この録音はトラック間が詰まっているせいかもしれないが、1楽章からの流れで余りコントラストを感じないくらいのスピードになっている。甘さを感じさせる音色のままに弦楽合奏が開始されると、そこには仄かという範囲を超えたロマンティックな流れが生じる。こういう感傷的な演奏は生臭くなるのがオチなのだが、ウィーンの音色は絶妙にそれを感じさせない。

3楽章は生き生きした舞踏が再び舞い戻る。しかしそれ以上にロンド的に続く緩徐部のコラールが人間的なぬくもりを感じさせ印象的である。俗っぽいと言われればそれまでだがベートーヴェンの簡潔な書法が過度に俗物的なものを寄せ付けない。いくらねっとりした壮大な表現を弦楽器がとったとしても、スピットに音量が落ちる部分でのコントラストとしての極端な静謐さがその気分を引き伸ばすことなく打ち消してくれる。この人はアグレッシブで精力的だが、案外ピアノ表現が巧い。表現主義的かもしれないがその移行はあまりにスムーズで無理が無い。

4楽章はそれほどテンポを上げないが中身の詰まった音が気分を高揚させる。音量バランスもまとまりもこのオケとは思えない素晴らしい出来だ。多少リズムがぼやけていると感じる向きもあるかもしれないが、打点は確かである。ベートーヴェンになっている。これはホール残響のせいだろう。木管に若干の不安もあるが、全体の喜遊的な雰囲気の中で大して気にならない。クライマックス近くになると異常なテンションで弦楽器が荒れ狂いだす。VSOとは思えないヴァイオリンの一糸乱れぬ見事なうねりがティンパニやブラスを含む中低音部と見事な饗宴を繰り広げ、とても言葉で尽くせない強靭な終幕をむかえる。壮絶である。クライマックスでホール残響がいくぶん多くなるのはマイク位置をかえているのか、操作しているのかよくわからないがそれだけ凄まじい音量だったのだろう。

もっといい音で聞きたい。私の盤は辛すぎる。でも、ハッキリ7番が伝わってきた。7番が古来のイメージどおりに伝わってくる演奏というのは結構少ない。

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