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ボロディン:中央アジアの平原にて

○ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(COLUMBIA)1929・SP

オリエンタリズムの受けるパリではさかんに演奏録音された曲だが、わりと即物的で素朴なこの演奏などきくと高音フラジオのハーモニーに低弦のスラヴィックなピチカートがのるあたりなど先鋭的な響きがして、それらが洗練された単純さの中に配されている。フランスの当時の前衛好きに受けたのもわかるし、演奏もまたロマンティック過ぎも整え過ぎもせず滑らかに、気持ちの良いもの。どちらかというと春昼さがりのバルコニーの情景。○。

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未復刻のSPものはどうやって聞いたらいいんでしょうということ

SPって今や投売り状態みたいだけど、輸入物は点数がそんなに多くないからなかなかめぐり合えないのが実情だ。

・ピエルネ指揮のドビュッシー「夜想曲」全曲?(少なくとも「雲」はある、「シレーヌ」は所持)
・グラズノフ四重奏団のショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第1番(流通している現物を見たことが無い)
・コッポラ指揮のレスピーギ「ローマの松」(うっかりして入手し損ねた)

こんなんどうやって聴いたらいいんだ。ほかにもあると思うけど今思いつくのはこれだけ。

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ラヴェル:ボレロ

○フバド指揮リュブリアーナ放送交響楽団(MEDIAPHON)CD

手慣れた演奏ぶりでからっと明るく楽しめる。派手過ぎも重すぎもせず、ボレロのイメージそのままを味わえる。演奏もうまい。

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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

○マルケヴィッチ指揮ベオグラード・フィル(MEDIAPHON)CD

ゆったりとした落ち着いた演奏で、ときどきこの人のとる重心の低い響きがここでもきかれる。ピッチが高いのが少し気になる。

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

○クーレンカンプ(Vn)シューリヒト指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(ARCHIPHONE)1947

技術的な意味含め甘甘で、えんえんとレガート気味の危なっかしい演奏ぶりは好き嫌いが別れるだろう。ロマンチシズムの極みといえばそうで、フレージング起因でフォルムが崩れそうなところ遅いが揺れないテンポとオケの磐石の土台があってしっかり足場ができている。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

○ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(COLUMBIA)パリ

慌てる1楽章は終始つんのめり気味だが颯爽としてリズムよく聴きやすい。音の頭のアタックがつねに強くいちいち気を煽る。オケは雑な往年のフランスオケだが健闘はしている。2楽章もわりと速いのはSPだからというわけでもなかろう。しかしトスカニーニのような無味で乾燥したかんじはしない。3楽章はおおいに盛り上がる。盤の継ぎ目を気にしなければ、時代を意識せずドラマチックなノリを楽しめよう。けっこうテンポ・ルバートしておもしろい。4楽章は冒頭の引き裂かれた主題が音量のバランスが悪く一本の旋律にきこえないが録音のせいだろう。スマートの一言では片付けられないまっとうな悲愴。録音は悪いしオケは雑だが○。

ほん:「クラシック私だけの1001曲」

宮城谷昌光著、新潮社

・・・あきれる本。たくさん書けばいいというものではない、巫戯けている。別に素人がいちいち細かく調べて論文のようなものを書く必要はないが、これはいくらなんでも、という浅慮や浅知識の項が多く読むに耐えない。私が言うのもアレだが、作曲家への冒涜、作品への冒涜、そして演奏家への冒涜とすらとれる根拠のない断定文や、感想とすら言えない殴り書きさえある。聴いていない盤にかんする記述など(昔はよくあったけど)呆れるばかりである。マニア向けムック本の出版社ならともかく、新潮社?ようは中身ではなくネームで本を書かせる出版社ということか。これは編集サイドのノーチェックな態度にも問題があると言わざるを得ない。1年半の聴き込みで書けるのは100曲がせいぜいだ。1000曲なら15年はかけるべきなのだ。

こういう個人的趣味の色の強い「一見啓蒙本に見える感想集」は序でご本人が書かれているとおり、初心者は極力避けた方が良い。著者は批判的態度の根幹に己の主観を臆面も無く置いている。言論者としては当然の態度である。そこをわかって、自分の主軸と照らし合わせて「感性が合えば」読むが吉である。私のように完全に合わなければ、以上参せず手許より離すべきだろう。

何を書いても、まあ、各個の文章が面白ければまだしもね・・・ロシア好きを標榜しておきながらリャプノフの一つも書いて無いとはこりゃまたどうしたことだ。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番

○ザンデルリンク指揮ボストン交響楽団(WME:CD-R)1991/4/11live

録音は安定しているが撚れが目立つ。ザンデルらしい情緒的な音が最初から聴こえる。遅くて重い解釈で、ザンデルらしい有機的な揺れもあるわかりやすい演奏。オケがアメリカにしては重心の低い分厚い音を出すのでザンデルの時折感じさせる骨ばった部分もここでは全くなく、相性はいい。三楽章などショスタコにしてはちょっとロマンティックな深刻さを醸しすぎている部分もあるが、往年の映画音楽のように聴けるという意味では楽しめる。四楽章など楽想のおもむくまま派手なところはルバートしてガシャーンとやるのが少し違和感。ショスタコはそういう作曲家ではないような気も。○。

ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

○コンドラシン指揮クリーヴランド管弦楽団(hervest:CD-R)1979/10/9live

エアチェックゆえ音のバランスは悪いがステレオ。クリーヴランドが今もって世界の五大オケに数えられているのは少し不思議な気もするが、いい意味でも悪い意味でもその「弦」が機能的でよく動く名器の「A線」であることに異論を差し挟むつもりはない。音色の好みや技術の理知的に整えられた末生じるある種のマンネリズムがアメリカオケの場合好悪を別つ要因になるのは明らかで、クリーヴランドとシカゴのオケに私はその種の首傾感をおぼえることは多々あるのだが、しかしコンドラシンのような指揮者にとってかつてセルに鍛えられたこの鋼鉄のオケがよき「楽器」となっていたであろうことはこの演奏を聴くと如実にわかる。ライヴとは思えない高い技術の精度に反映された演奏である。音をスコアどおりに組み立てれば自ずと深情が染み出してくる、ショスタコにもそれはある程度言えることだ。木管の響きなど改めてマーラー的な曲だなあと思わせながらも、よりすっきりした現代の音楽であることを意識させる。ここにはモスクワのオケでやっていたような「渋さ」や「力み」がない。ショスタコの本来持っている「フランス的」ともとれる「軽さ」が、過度の恐怖や情に関する雑念なく聴こえてくる。それがメリットだろう。

まー、とにかく美しいですよ。金属質の美しさだ。下手に聴かせどころを強調しないコンドラシンのやり方も流れよい音楽の美しさを助けている。三楽章のプレストでさすがに乱れもみられるが、ライヴでこのくらいは仕方ないだろう。余りに娯楽的なパーカスの弾ける終幕はどよめきを呼んでいる。○。

オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

○ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省管弦楽団(MELODIYA)CD

こういう上でも下でもなく真ん中に向かって凝縮的な交響曲はドイツにもロシアにも無いものだなあと思う。内省的な曲想はハーモニーの移ろいによる進行を中心とした昔の単純なフランス音楽を思わせ、南欧ふうの暖かな空気感をサウンドスケープ的に描き出している。洒落た雰囲気の映画音楽的な展開は夢想的で気まぐれな、六人組の「実用音楽」を抽象化したような、回想的なものすら感じる。演奏は注意深く下手に派手になりすぎない配慮が感じられる。場所によって音量も音色もテンポもアゴーギグももっと起伏の起があってもいい。例えば強いリズムや低音が欲しい気もするが、構成感を重視したのだろうか。音色もまったく西欧的でこのオケ特有の透明感がプラスに働いている。オネゲルは弦が重要だが、やや弱体とされることもある文化省管はここでは室内楽団的な精度の光るアンサンブルを保っている。三楽章などソヴィエトなのだからパワーを見せ付けるべきだという人もいるだろうが、むしろ非常に計算されたスコアの美観を重視し、演奏で崩さない配慮を籠めたものではないかと思う。たしかに曲自体の煮え切らなさも含め物足りなさを感じる人もいるだろうが、これは見識かもしれない。

ミャスコフスキー:交響曲第5番

◎ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立交響楽団(revelation)1982/2/12・CD

非ロシア的な先鋭さをはなちシベリウスの交響曲に匹敵する霊感が独自の方法論とあいまって完成された見事な作品。1楽章冒頭より奇妙な揺らぎをもつ主題が、大きなハーモニーのよろめきの上でフランス風の不安定な魅力をはなっている。独逸墺太利の匂いが抜けたわけではないが殆ど感じさせなくなっており、ミャスらしい語法のはなつ体臭もここでは灰汁抜きされ、更にロジェストの手によって20世紀的な硬質な響きの中に聞きやすく昇華されている。アメリカ音楽的ですらある。オケの中低音がしっかりしているので楽曲の構造的な弱さも目立たない。2楽章は繊細なディーリアスのような楽章で(きわめて半音階的なメロディを使えば容易に作れるたぐいの音だが)、冒頭の高音トレモロからして美しく、主題がロシア民謡ふうの暗い筆致でかかれていても、音の少ない心象的な流れの上ではあくまで叙事詩的表現の最小限度の発露のようにとらえられるのみだ。ロジェストは弱音表現ではとても研ぎ澄まされた空気感を演出するが、クレッシェンド過程で少し雑味を呼び込んでしまっている。だからどうもペット以下とくにロシア的な楽器の主張とともに、せっかくの「汎世界的価値」がローカリズムに戻されてしまったような残念さが残る。終端でグラズノフ8番に通して使われとくに二楽章に象徴的に使われた暗い分散和音がちょっと入る。意味深だ。三楽章は民族的な舞曲だがやはりソヴィエトの素朴な民族音楽というよりはルーマニアの先鋭な作曲家の抽象化された国民楽派音楽を彷彿とさせる。ダイナミックで洗練された、アメリカ・アカデミズムのようなからっとしたもの。響きが新しい。終端の響きの美麗さはロジェストのわざのなせるところだろう。四楽章はあきらかにソヴィエト・アカデミズムに沿ったような曲想でロシア産交響曲の終楽章ということを意識した作りに見せかけており、いつものミャス節が顕露する。だが細かい音符で込み入った変化をつけ、けして先例と同じ方法論で片付けようとはしていない。皮肉な調子の行進曲主題は親友プロコを思わせ、闘争的で常套的な主題との対比を見せている。ブラスが無理やり「ソヴィエト」を主張するものの、何か腹に一物ある、そういった楽章だ。ほぼユニゾンの末尾はいつものミャスだが、ロジェストは臭くならないように開放感ある清新な響きを強調し、見事に収めている。

ブラームス:交響曲第3番

○アンセルメ指揮バイエルン放送交響楽団(ORFEO)1966/3/17・CD

冒頭からいきなりヴァイオリンのすかすかな音にガクリ。音のバラケが酷い。本数が少ないのか?クーベリックのBRSOらしいといえばらしいのだが。うーん、ドイツものにこの方法は響きが薄くなりすぎる。メロディ表現は美しいしリズムも浮き立つように愉しいが、中低音域が物足りない。モーツァルトのような音楽になっている。音色透明。だから2、3楽章は美しい。3のニュアンスは特筆すべきだろう。ヴァイオリンのソリスティックな音の束がここではプラスに働いている。4楽章は急進部で1楽章同様の雑味が出てしまう。しかし輝かしいブラス含め設計のよさはあり、ひとつの見識はうかがわせる。何よりメロディ表現の綺麗さは異論の余地がない。

チャイコフスキー:交響曲第4番

○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)

深みのない音表現はオケ由来かもしれない。1楽章はダイナミックに盛り上げるが、ドラマが拡散的にもかんじる。2楽章も明るい音だがしっとりした情感が表現されている。ヴァイオリンの感情表現が少し人工的だがアタックが明確で印象にのこる。木管ソロも美麗。3楽章は白眉。このオケのアンサンブル力の遺憾なく発揮された完璧なスケルツォ。4楽章はいったん落ち着く。ダイナミクスが結構大きくつけられている。録音ですら突っ走るガウクに比べイワーノフは意識的にコントロールをする人だ。音が引き締まっているので弛緩した音楽の気はせず、1楽章の警句が甦るところもただ起伏をつけるのではなく注意深く心象的な表現をとっている。フィナーレも設計の行き届いた合理的なもの。シンバルが派手に煽る。わりといい演奏です。

チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

○イワーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)

やや雑味があるが一貫して力強く推進するスタイルで、1楽章の第二主題の最初の提示と4楽章が厚く粘る他はドライなテンポで奔流のような音楽を造り上げる。3楽章冒頭が少しごちゃっとして、そのせいかテンポも落ち着き気味にかんじた。

チャイコフスキー:交響曲第4番

○ホルライザー指揮バンベルク交響楽団(VOX)

一楽章はなかなかスケールのあるしっかりしたドラマが印象的。この指揮者にはめずらしくソロ楽器のニュアンス表現にソリスティックな揺らしも入る。しかし二楽章からがぱっとしない。所々ぎくしゃくしたテンポは実直な表現を求める指揮者と柔軟性を示したがるオケのソゴに起因するものだろうか。ソリスティックな表現にもぎくしゃくした雰囲気がただよう。4楽章はドイツ的で悪くはないが結局ぎくしゃくした感のまま少し拡散的に終わる。1楽章を評価して○にはしておく。

チャイコフスキー:交響曲第5番

○ホルライザー指揮バンベルク交響楽団(VOX)

どうも音色といいアバウトな演奏ぶりといいリズムの小気味よさといいウィーンの気がする。つまりはオトもリズム取りも好きということである。指揮は実直で解釈は直線的だが柔軟性がないわけではないからこそ、ライヴに近い雰囲気を楽しめる。後半楽章でとくにテンポが前にいきっぱなしになり弦が走り弓の返しがあわず、木管がつんのめりまくるスタジオ録音とは思えない箇所が気になるが、艶ある音色と覇気のようなものに騙されてよしとしてしまう。BRSO的ではないが4番も同じオトがしているので、ホルライザーの指示が音色にまでうまく反映されているのだろう。○。

リャプノフ:交響曲第1番

ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

ステレオ。だが・・・ステレオだからこそ、グズグズの演奏ぶりが露骨に聴こえてしまう。曲はリムスキーやボロディンの気配もするがおおむねグラズノフ風の渋いものであり、長々しく非構造的で余り上手ではない感のある楽曲になっており、演奏者が如何に料理するかで印象が大きく変わるたぐいのものだが、とにかく木管を中心としてオケの統率がなっておらず、音程すら悪く感じられ、どうにも聞いていられない箇所が多い。無印。

リャプノフ:交響詩「ジェラゾーヴァ・ヴォーラ」

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(MELODIYA)LP

ステレオ。リムスキー風のオリエンタルな曲で、極めて色彩的で単線的な取り止めの無いところがいかにもシェヘラザードを彷彿とさせる。表面的な幻想性の強いムードに対してガウクはフランスものやレスピーギで見せた意外と適性あるところを見せていて、美しくもわくわくさせるような楽しい演奏にまとめている。作品的には凡作だが、○。

タネーエフ:交響曲第4番

○ガウク指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(MELODIYA/LMC,A440records)

タネーエフ作品としては近年4曲の交響曲が数えられているが、1,2番は習作として作品番号すら振られておらず、3番についても演奏譜が出版されなかったことから、かつてはこの4番が「1番」とされた(但し「2番」以降は無い)。参考までにハンス・モルダーの解説抄訳

~この曲は1898年に作曲されモスクワにてジロティの指揮で初演された。出版は1902年、交響曲第1番作品12としてグラズノフに献呈された。実際にはタネーエフの四番目の交響曲である。1番~ホ短調~は音楽院卒業試験のために作曲された。2番は1878年に書き始められたものの放置され再び筆をとるのは音楽院の仕事を引き受けたのちのことであった。交響曲第3番ニ短調はアレンスキーに献呈された素晴らしい作品であるが、1884年に書かれ後年インペリアル・ミュージック・ソサエティによって初演された。しかし1947年まで出版されることはなかった。

ハ短調交響曲は大規模オーケストラのために作曲されているが、ベートーヴェンの古典的なオーケストラ編成が未だ根本にある。古典的な交響曲の基本である4つの楽章により編まれている。第一楽章(アレグロ・モルト、3/4)はヴァイオリンと木管による主題提示から始まり、他の弦楽器とブラスが主題の第二パートに入ってクライマックスに持っていく。著しいコントラストを示す第二主題のワルツはその後すぐに低弦からモルト・エスプレッシーヴォで提示される。

第二楽章はヴァイオリンの美しい旋律から始まる(アダージオ、2/4)。中間部(ピュー・モッソ)はチェロとベースから律動的で唸るような音形が現れ、オーボエの短くなだめるような旋律によって応えられる。

第三楽章スケルツォ(ヴィバーチェ、6/8)は軽く淡い。オーボエ・ソロの主題から始まる。中間部~三部形式で書かれてはいないが~は6/8から2/4に変わり、リズムのみならず遅いテンポへの変化で印象が変わる。この「トリオ」はアダージオ主題の三~四小節目に基づいており、ヴァイオリンによって再現される。

最終楽章、フィナーレ(アレグロ・エネルジコ、アラ・ブレヴ)でタネーエフは主題の素材を再び第一楽章ならびに第二楽章に求めている。この楽章はまず第一楽章の最初の主題のリズムを変容させた行進曲的なムードから始まる。第二並びに第三主題は第二楽章の中間部からとられている。前者は小さなオーボエの旋律がヴァイオリンに用いられている。後者は唸るような音形の最初からなる。ヴァイオリンとチェロのために編まれているが、暗いムードを保つためにG線で演奏される。解決としてそれら主題を違うスピードで同時に用いているが、まさにタネーエフの対位法的技術の熟練を示している。クライマックスとしてタネーエフは第一楽章のワルツ主題に還り、フルオーケストラによるハ長調・モルト・マエストーソに至る。

~訳してどうこういうこともないし譜例が載せられない以上余り意味が無い気もするが、まあ、こういう曲ということはわかると思う。非常に西欧的な曲であり、メンデルスゾーンやら(作曲技術の練達さが髣髴とさせる)フランクやら(両端楽章の循環的な構造や主題のムードが似ている)、とりわけブラームスやらといったロマン派先行交響曲をかなり意識した作風である。構造的なところは特筆すべきでグラズノフ以上のものがあり、メロディも鮮やかでチャイコフスキーのようによくできている。ガウクはやや弱体なオケを煽りに煽り荒れ狂って、かなりテンポの起伏もつけ、アタックも激しくつけて盛り上げてくる。グラズノフ風スケルツォである三楽章など舞踏リズム処理の巧いガウクの真骨頂だが、一方ゆったりとした表現では音色が痩せがちで、終楽章のワルツ主題回帰など効果的にやろうと思ったらいくらでもできそうなものだが、テンポが急くように速く仰々しさがないから盛り上げ方が足り無い。もっと潤いが欲しい。全般トスカニーニ的で力強いが、同曲の魅力を拡げるものではなく、○にとどめておく。好み的には◎だが。

ミャスコフスキー:交響曲第1番

○ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(REVELATION他)1986/3/10・CD

西欧折衷派らしい世紀末中欧ロマン派交響曲!書法はしかし単純なメロディ+ハーモニーで構造的なものはなく初期らしい生硬さをみせる。スヴェトラのように音響バランスの悪さや体臭がなく、曲そのものを客観的に聴ける。気持ちの悪い半音階的進行も目立つが清々しいミャスコ節が既にあらわれており、ワグナー+ブルックナー的な世界の中に初期シベリウス的な単純美が光る。言い淀んで先に進まない長長しい感じはいかにもロシア交響曲でもあるが、ロジェストヴェンスキーならではのリズムの強さと表出力で、通して聴かせる演奏にはなっている。
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