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ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

○カスマン(P)ターリッヒ四重奏団(CALLIOPE)2001/11・CD

タコマニアって言ってることがわけわからないことが多いのだが、理屈屋か思想マニア(思想家とは言わない)が多いせいなのかな。同時代者として一方的な愛情を感じる向きも多いんだろう。しかし音楽を作る側にとってみればそれは二の次の感覚で、まずは純粋に譜面を読み解きアンサンブルを計画するのである。現代はそれが極められていないと受け容れられない、音楽は一期一会ではなくメディアを使って残り続けてしまう、20世紀前半の様相とは全く異なるものになっていて、だからミスはおろか音色の瞬間的なブレすら許されない(演奏する側にしてみれば聴く側の指摘できるくらいの「些細」って物凄く大きな失敗として即座に感じ取れて当然のものなんだけど)、高精度は当然、そこに何かプラスする余裕のある人は指揮者だけ、ってことばかり。指揮者なしで現代の曲はなかなか難しい。ショスタコの同曲のように単純であっても。ソリストは異質。

この演奏はまったく現代のもので、極めて高い技量をもつ同士の組み合った、それでも窮屈さを感じさせない自然な歌心を(盆踊りに響く怒鳴り声ではなく春風のような歌心を)感じさせて秀逸だ。この曲はそれだけで十分の素直な曲なんですよね。プラスするものは無い。これでいいのです。作曲家の同僚であった人たちや、同じ空気を吸っていた人たちの名状しがたい深刻なものは差異としてあるけど、それはもう過去のもの。素直に喜んで終演すればいい。○だが一般的に聴くには、ほぼ新団体によるこれが一番。冒頭にのべたような人たちがさかんに薀蓄をたれるたぐいの、変な色付けが無いから。時代性からそろそろ切り離してあげたほうがいいよショスタコは、皆々様。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

○ブラウニング(P)パレー指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1961/1/5live

一点の曇りも無いラフ2が聴ける。爽快。バリ弾きブラウニングはセルなんかともよくやっていた人だけれども、パレーにも言えることだが1楽章あたりはわりと重く表現しており、2楽章は夢見るような調子だけれども、終楽章はテンポの起伏が非常に激しく、しかしスムーズにうねるようなロマン派音楽を描くのではなく変化が比較的デジタルで、いかにもアメリカというか現代的センスを感じる。ブラウニングがその指の廻るがままにどんどん突っ走っていってしまうご愛嬌の部分もあるし、パレーがいつになく感情的な厚い響きでわたりあっていくさまも面白い。惜しむらくは録音。ブラヴォー喝采。○。

ブラームス:交響曲第3番

○クレンペラー指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/10/26LIVE

端整でそっけないテンポで流れる演奏だが楽団のロマンティックな性向が制御され、特殊なことはやっていないのに非常に聞きごたえがある。録音もノイズがない残響気味のモノラルで迫力がある海賊盤としては優秀なもの。古典的な構築性や正確な音響バランスは野暮なまでに堅持するも力強い音そのもののもつ魅力はまさにクレンペラー。正確さ、演奏レベルの高さ、音色の美しさ、籠もり気味の録音でも十分、正規化できる魅力あるものだとおもう。

ショスタコーヴィチ:交響曲第8番~Ⅰ.

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1945/4/7通しリハーサル

重く引きずるようなテンポで、かなり後ろに持っていかれる形で始まる。重苦しいというよりロマンティックな「操作」の感じられる音楽。革命やレニングラードに娯楽性を見る人には向くだろうし、逆に、ちっとも骨ばったショスタコ的洗練がなく、編成を厚くしてどんどん解釈を反映させている感じで、作曲家が駄目出しをしたのはまさにこの録音だったかもしれない(リハと銘打ってはいるが恐らく正規のお蔵録音でモノラルながら状態もよい板起こし)。歌謡性は強いもののそれを支える音響もまた分厚くロシア男子的な粘着気質を感じさせる。クーセヴィツキーらしいし、これはこれで面白く聞ける。○。

シベリウス:交響詩「フィンランディア」

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA、vibrao:CD-R)1945/12/8live

ヴァイコンの前プロとして組まれたもの。合唱無し。比較的そっけないほうの演奏かもしれない。音は分厚く歌は無骨で男らしい魅力のある演奏になっている。ブラスは十分に力強いが派手ではなく、求心力が過剰というわけでもない。録音がやや遠いせいかもしれない。聴衆もおとなしい。既出か不明。○。

シベリウス:交響曲第7番

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA、vibrato:CD-R)1948/12/17(1945/10/13?)live

同曲の解釈的には特異だが、ロマンティックな性向が強く出ており、重量感力感溢れる音で、起承転結をはっきりつけて歌い上げてゆく。ブラスに無理な息の長さを要求する曲なのでさすがのボストンでもこのやり方で粘られると乱れを招き、前半に難のある箇所があるが、最後は感動的なフィナーレといった風情だ。録音はクーセヴィツキーのライヴとしては普通。聴衆反応は通り一遍。既出かもしれない。

マリピエロ:交響曲第4番「ナタリア・クーセヴィツキーの思い出に」

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1948/2/3(3/2?)LIVE

既に書いたASdiscの演奏と恐らく同じ。輝かしく気高い演奏ぶりにこの指揮者のいつもと少し違う意気込みが感じられる。曲は基調ミヨーで民謡音階やアメリカ的なブラス中心の「ぶっぱなし」というか「挽歌」などちょっと前時代的な魅力がある。20世紀の国民楽派好きには結構アピールするだろう。録音はノイズを抑えればまともに聴ける。迫力が伝わる。○。

シベリウス:交響曲第1番

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA、vibrao:CD-R)1945/10/13live

ナレーションや拍手はクリアだが演奏はノイズ多し。安定はしている。しかし1番はこの人に向かないのか?どうにも鈍重だ。スケルツォの攻撃的なテンポを除けば重くうねるロマンティックな表現が目立ち、かえって飽きてしまう。チャイコフスキー的というか。旋律が重視されている演奏なので構造的演奏を好む人には向かない。演奏的には精度も高く精力も強い。時代のせいか、目の詰まった音に何か非常に感情がこもっている。既出と同じかもしれない。

シベリウス:交響曲第2番

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/12/16

既出CDと同じ?板起こしの模様。それっぽいノイズと裏返し音が入っていて、ここが残念なところだが終楽章の盛り上がったところではっきり音とびがする。演奏はテンションが空回りせずこなれていて、始終スピードと野太い歌心は保たれるがシベリウスらしい清潔な叙情が失われず、つまりは音響的に濁りを発生させないよう整理が行き届いた現代的な構築性があるということである。この人は結果はわりと似たり寄ったりのテンション芸になるけれども、曲によって楽曲分析の方法が変わっているようにも思える。ロマン派以前の曲とラヴェル以降の現代曲の間に顕著だが、チャイコとシベリウスという国民楽派で一くくりにされる(両者とも相対的には西欧折衷派的なんだけど)二者の演奏をとってみてもオーケストレーションの違いだけには帰結できない表現方法の違いがあるように思う。チャイコの合理性は旋律主体で構造を非常に単純化するがシベリウスの合理性は音響(コードではなく響きあう「音響」)主体で非常に複雑化する。ドビュッシーの影響があるかなしかでの違いもあるのだろうが、クーセヴィツキーははっきり前者に向く指揮者なだけに、シベリウスだけは例外だったのだ(但し後期を除く)、と思わせる。名演、だが録音マイナスで○。

チャイコフスキー:交響曲第5番

クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1943/10/9live

録音がノイズまみれで極端に聞きにくい。不安定。演奏は荒れ狂う。計算された波乱ではあろうが、急進部と緩徐部の表現が極端に違う。テンポ変化もデュナーミク変化も全然違う。ルバートしまくる緩徐部はボストンの弦楽器の底深い音が唸る凄まじい表現。ただ他の録音とは大した解釈の違いはなく、名人芸的なもの。チャイコはこの亡命指揮者にとって新作発表とは違う個人的思い入れが強い作曲家であることはそのスタイルに伺える。力強さは並みではない。録音マイナスで無印。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1947/3/4live

Guildで出ていたものと同じ演奏と思われる。録音は安定せずノイズも酷い。

RVWの書いた最も美しい交響曲とされる・・・第二次世界大戦当事国で戦時下に書かれた全交響曲中でも最も美しいであろう・・・作品だが、クーセヴィツキーはいつも通りアグレッシブでドラマティック、しかしこの曲はそういった表現も許容するしっかり書き込まれた作品であることが逆にわかる(3番だったら上手くいかなかったろう)。ポリフォニックな書法が印象的な1楽章からこの楽団弦セクの分厚さ滑らかなアンサンブルぶりが印象的で、スケルツォはRVW特有の田舎っぽい和声が強いリズムと速いテンポで野暮ったさを完全に払拭され、ひたすら気を煽る。3楽章はリアルすぎて憂いが無いが、あっけらかんとした勝利から1楽章の淡い回想で収束する終楽章は楽団の機能幅を感じさせる繊細な響きもみられ、老練ぶりが感じられる。シベリウスの影響を受けながらも晩年は寧ろ派手な音響表現に向かっていったRVWがその最後の方向性を定めた曲とも言えるけれども、その意味ではクーセヴィツキーにとっては後期シベリウスより「やりやすい」曲だったかもしれない。○。

ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(アンセルメ管弦楽編)

○アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/25live

シカゴとは思えない生身の力強さを感じる。アンセルメは理性の指揮者のように思われがちだが音作りがオケに左右されがちなだけで割りとロシア的な太い音による男らしい演奏を指向するところがある。この演奏はアメリカ交響楽団のものとさほど期間をおかずに行われたものだが、芸風は同じだけれどももっと何か、適性を感じるというか、求める音を持ってなおかつ技量もプロフェッショナルな意識も高い、そういう楽団を相手にアンセルメもドビュッシーの初期的な安易さのみならず和声の複雑な様相を高精細に表現し、機微のよりはっきりした幅の広い表現を行っている。ちょっと世俗的に盛り上がってしまい尻切れのように終わるが、聴衆反応もいい。録音はこのてのものにしては極上。ただエアチェックなのか、天井がやや篭る。○。

オルウィン:交響曲第1番

○バルビローリ指揮BBC交響楽団(DUTTON,cedar)1952/6/11・CD

何に似ていると言ったらいいのだろう?ジョン・ウィリアムズの映画音楽だ。心なしか楽団のボストンにも似た技術の高さと硬質な音、ダイナミズムを派手に表現する能力もあいまって、個性はよくわからない正直、しかし面白い。壮年期バルビも音楽を舳先で先導し娯楽性を高める。なかなか復刻状態もよくステレオにすら聞こえる。ただちょっと遠い音。○。

ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」

◎チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(exclusive)1978/4/19シュツットガルトlive・CD

恐らく正規再発されているだろう。このシリーズが出たときは高額海賊盤CDにもかかわらず演奏会に行けない人が「録音をしないチェリが良録音で聴ける!」とあって値段不相応の安っぽくいかがわしいジャケにもかかわらず買いあさっていたものだ。私はチェリのよさは8番で開眼はしたものの(ブルックナーはチェリで理解したようなものだ)高いので全部あさるわけにはいかなかった。だがそのうち海賊盤狩りや不景気があって各店在庫一掃の売り叩きがあり、プロコなど他の名演にも触れられたのだが、まあ、チェリが亡くなってしまい、正規録音と称したEMIやDGらしい企画ライヴ盤が大量に出回ってきて、データの定かではない海賊盤群はまちまちな検証を受けてはいるが、現在一部を除いては殆ど価値を失っている。チェリについてはベルリン・フィルとのセッションでロシアやフランスものなど違う魅力に目覚めイタリアでの荒れるライヴ盤に興味がいってのち、人工的なたたずまいの晩年には惹かれなくなった。更にCD-Rなど出て何でも振るかのような無節操なレパートリーに辟易もし(後期チャイコフスキーは私は全く受け付けない)解釈の硬直振りと録音の音響的不備が気になりすぎて、今はもう飽きてしまったから追ってもいない。

でも、10年くらいをへてこれをきくと、海賊盤にもかかわらずこの音質、音場の広さ、分離の程よさに殆ど正規盤と言ってもいい、しかも、やはり素晴らしい。ブルックナーにつきまとうドイツ・オーストリア伝統の重み臭みを透明で美しい音響によって万人に受け容れられよう高精度の純音楽に昇華させている。オケもいいのだろう。最初から最後まで旋律におぼれることも構造に執着することもなく全てがそこにあるべきところにあって、これだけ単純で長い曲なのに、ベートーヴェン的かもしれないがブラームス的では無いロマン性も薄い曲なのに、スピーカの前で息をするのも憚られるほどの圧倒的な崇高さを示すのである。くれぐれもブルックナー的なるものがこれとは限らない、でも、ブルックナーの表現者として稀有の存在であり、この演奏が中でも非常な名演であったことがわかる、◎にするに躊躇のない演奏である。音だけではわりと冷静な演奏ではあるが、終楽章も末尾になってはじめて唸り声掛け声をはなつチェリに、美学の実現に対する真摯さを知ることもできよう、ま、いつものことだけど。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

○クレツキ指揮イスラエル・フィル(DA:CD-R他)1955

板起こしで、恐らく正規録音の音源である(旧サイトに記載)。クレツキ・イスラエルフィルのマーラーは9番と共に最近CD化されていたような気がする。演奏は初期イスラエル・フィルというウィーン・フィル並みのボリューム感溢れる素晴らしい楽団によってしなやかな起伏を織り交ぜながら非常な盛り上がりをみせており、この指揮者とマーラーの相性のよさも感じさせる。奇を衒ってはいないのだが、たとえばロスバウトなどと比べて格段に印象的。感情を煽るような攻撃的な突進をみせる終楽章コーダで突然のカット、これだけは何度聴いても慣れない。○。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

○ロスバウト指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1954/11/8・CD

TAHRAお得意の抱き合わせ商法である。すなわち散々既出のヘフリガーの歌った大地の歌とのカップリングで5000円以上也。CD-Rで出ていたものと同じかどうかわからないが、ノイズは少なく聴き易い音であるものの、モノラルで拡がりは無い。細部が不明瞭で分離が悪い。演奏はオーソドックスと言ったら悪いが、古いベルリン・フィルの雑さが1楽章には少し出るものの、あとは精度は維持され、素直でスコアに忠実であり、乱れなくて、表現主義のグロテスクに陥らない。3楽章冒頭はスコアに忠実にしっかり「下手に」弾かせようとしているが。しかし結局下手ではないし緩徐旋律もさらさらして粘らない。ライヴでないこともあって安定感がひときわありすぎる。

4楽章は盛り上がる。音楽自体がそうできているだけと言う事もできようが、ロスバウトはこういうやり方をすることがある。緩徐部ではベルリン・フィルが「お仕事」から「やる気(やる男ではない)」へと切り替えた感がひときわ強く、けして相性がよくない(と私は思う)ベルリン・フィルとの、珍しい幸福なアンサンブルぶりを聴くことが出来る。

ただ、傑出も突出もしない演奏であることは確か。

○。

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ワグナー:ジークフリート牧歌

ワルター指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R他)1946-47

アメリカ時代のワルターらしい、ウィーンの頃の性急さ激烈さが、恐らくトスカニーニとアメリカ楽団の影響で即物的になり、性急でやや無味乾燥というか、ライヴとしての楽しみの無い「いつもの解釈の再現」に陥っているように聞こえる。団体が団体だけに硬質な音になってしまい、ワルターの芸が活きないのではないか。録音悪い。いつものワルター節ではあるが、いつもの芸すぎて何のひっかかりもなかった。

ベートーヴェン:交響曲第7番

○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/25live・CD

何故かしっくりこない演奏が多い気がする。粗いとはいえこの古典的名演は光っている。ワルターほどの激烈なテンションはないしストコほど変な解釈もないけど、トスカニーニやクライバーの一種即物的な軽さが無い、ベトとしての重量感を音響に保ったうえでハメを外さない絶妙なリズム感が、嗚呼この曲ってこうだよね、と思い出させてくれる。余りに有名ゆえに正統でない演奏が正統になってしまったというか・・・メンゲルベルクが正統とはスコア上決して言えないにせよ伝統的と感じられる。緩徐楽章は無難だが、リズム楽章は素晴らしい。ANDROMEDIAはいじりすぎ。○。

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

○メンゲルベルク指揮ACO(PHILIPS/ANDROMEDIA他)1940/4/18live・CD

デュナーミク変化が細かいだけでテンポは速めストレートの直球だ。ロマンティックな演奏ではありそれは音色変化にうかがえるが、当時のACOならではのものか。冒頭アンサンブルが乱れる。その後は気にならない。音がよければもっとアピールしたであろう娯楽性を秘めているが、基本的にベートーヴェンという構造をしっかり維持しつつのものである。それにしても裏拍からのメロディを持つ曲なんて作曲当時は異例だったろう。舞踏性を高め曲に変化をもたらすとともにひときわ注意させて引き締める効果もある。ただ、この「運命の主題」を後世の人がオマージュするさいは音のみそのままで、リズムは必ず表拍からに改変されるんだよなあ。じっさいメロディが裏拍からはじまり机上計算的に対位旋律と絡み進行していく理性の音楽を嫌ったり不得意とする指揮者は非ドイツ圏にままいて、バンスタあたりも余り巧くはなかったというか「そう聞こえていた」んだろうなあ。リマスターでも限界あり、ANDROMEDIAは残響付けすぎ雑音除きすぎ。○。

ニールセン:交響曲第2番

ストコフスキ指揮デンマーク国営放送管弦楽団(DA:CD-R他)1967live

演奏的には無難。最後、拍手は地味だけど徐々に盛り上がり最後は大喝采となるけど・・・お家楽団に対するものとストコのネームに対するものかな。ストコ特有の拡散的な音作りと職人的な無難なさばき、そこにやや力弱さを感じる楽団が、この「ちぐはぐ」な曲に対して、「何とかやりきった感」を与えてしまう。デンマークにとっては国民的作曲家、でもストコにとっては超幅広いレパートリーの一つにすぎない、そういった感じを受けてしまう。○にしてもいい演奏だとは思うけど、録音状態がとても勧められるものではない。

いちおう循環形式というのかな・・・ニールセンは鬼門なんです。古い人でもあるので仕方ないんですが、初期シベリウス以上にロシア国民楽派色が強い。そこがどうも匂う。当時としては恐らく尖鋭な、擬古典的フレーズや、音色指向のフランクふう和声展開は清新で、しかし基本線はいわば「末期ミャスコフスキー」・・・ミャスコフスキーを知らない人にはよくわかんない比喩か。いや、ようはオーダメイドに近いというか、社会主義レアリズムの国にもうちょっと後に生まれたらきっと、フレンニコフより大物になっていたような作風だ。
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