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ベネット:ソング・ソナタ

○カウフマン(Vn)ザイデンベルク(P)(forgotten records:CD-R/concert hall siciety)LP

通俗音楽系の作家のようだが寡聞にして聞かない。曲自体はいかにもアメリカ近代のもので、適度にモダンに書き込まれているが、「歌謡ソナタ」とあるとおり基本は平易な旋律音楽。印象派的な感傷性を孕んだハーモニーがふんだんに盛り込まれているが、寧ろフランクやサン・サンのものに近いか。俗謡主題をラプソディックに展開するところなど初期ディーリアスのようなみずみずしい表現がみられ、構造的には生硬さもあるものの比較的手馴れた作曲手腕・・・部分的に新味はあるけれどブルーノートを混ぜる程度の通俗的な「幅」の中に納まってしまう程度で複雑ではない・・・を素直に楽しむのには向いている。珍しく四楽章制のヴァイオリン・ソナタだが、それゆえ交響曲的発想を思わせるところがあり、終楽章終盤でピアノから主旋律が対位的に再現されるところなど「ヴァイオリンソナタでそれをやるか!」といった具合で、それが面白いといえば面白い。カウフマンは太くブレの無い音を駆使し、この単純な曲に多用される長い音符をだれさせない。下手な奏者だと陳腐に過ぎる結果を招きかねないから、ここはクラシカルな演奏家としての腕の見せ所だろう。演奏的には過不足ない。○。
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選んでいるからスパムではない・・・けどコピペ・・・

誰も指摘しないのかな。というか年齢層的なものなのか、ご本人から直接紹介いただいたと素直に感想を書いている人もいるみたいだけど、純正律の玉木宏樹氏の関係者が新刊の宣伝にいわゆるコメントスパム行為を行っているようだ。このかたの著書についてかなり前に書いたおぼえがあるが、例によって私は書名や著者名をぼかして書くことが多いので自分でも探し当てることができない。マニアックでおもしろかった、程度だと思うが、私ごときが四の五の言える相手ではないものの、その手段にはいささか違和感をおぼえる。

恐らく対象ブログ(BBS)を閲覧はしている、多忙なご本人でないにせよ関係者が・・・数はそんなに多くないから。そうしたうえでコメントをつけている。

・・・ただ、文章が「完全に」コピペなのである。更にコメントする対象記事がまったく「無関係」な場合が多いようなのである。

何らかの手段による無作為抽出、即ち宣伝スパムとみなされても仕方ない。

何故これに気がついたかといって、巡回しているブログの一つにたまたま氏の名義のコメントがついていたこともあるのだが、ここのブログに残っていたアクセスログに、google検索ワード「玉木宏樹&(書名)」というのがあったのである。

あれ?この人の名前と書名で記事書いたことなんてあったっけ?googleで検索しても出ないぞ?というのはよくあることだからまあいいとして、そもそもこういう検索をするというのは何か宣伝目的の場合がほとんどである。

そしてうちのアクセスにこの手合いは極端に少ない。護符のようにべたべた貼り付けたアフィリバナーのためだろうことは想像に難くない(前にも書いたがバナーでべたべた飾っている理由にはそういうのもある)。このブログ自体「スパムブログ」を「偽装」している・・・機械的に検索する人間(ロボット?)に対して。変な虫を寄せないためである。

うーん・・・うちはわりとコメントは厳しいがトラバはゆるいのでトラバで送ってくれれば載せるんだけど、その価値なしと思われたなら複雑な気分(;^^でもまあ、いいんだけどね。面倒だし。ネット上で生きながらえるためには永世中立を保つことは必要。そのためには余りメジャーどころに寄りかからないのが身のためである。このかたがメジャーどころかどうかは、「年齢によって」評価が分かれるところだろうが。

”作曲とヴァイオリン演奏の玉木宏樹です。”から始まるコメントに注目してみてください。WEBリテラシは難しいモンダイだ。

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ソーゲ:ピアノ協奏曲第1番

○デヴェツィ(P)ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(le chant du monde他)

楽器用法などめくるめく個性的ではあるのだが、一貫して古風なロマン派協奏曲的楽想が支配している。2楽章はこの曲の白眉でサティ的ピアニズムの延長上にある単純さの美学が光る極めてフランス的な美観をはなっているが、両端楽章はどうしてロマンティックで、線的で構造性の希薄な書法が裏目に出ていることもありグリーグからチャイコフスキー、ラフマニノフに至る近代ロマン派ピアノ協奏曲の系譜を「受け継ぎ損なった」だけのように感じられるところが痛い。それでなくても設計が甘く冗長感があり、何か、いやこの録音自体が独特の響きを持つソヴィエト録音であることも多分に働いている印象だと思うが、カバレフスキーなど社会主義レアリズムのピアノ協奏曲に近似した「二流感」が漂う。演奏陣に不足は無いと思うが、解釈に対して主張する強さも繊細さも感じ無い。ソゲは個性的ではあると思う。響きに初期ミヨーの協奏曲を思わせるところもあるが構造性を否定した数珠繋ぎのような書法は独特で、フランス風でもロシア風でもない個性が底流にはある。ただいかんせん・・・楽想が足りない。○にはしておく。

ブラームス:大学祝典序曲

○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代live

よく鳴り明快な音楽になっているが、いささか明るく軽く感じる。このコンビというとペトルーシュカの名演を思い浮かべるが、寧ろああいう現代的且つ非ドイツ圏の音楽にあっているのではないかと思うことがある(ロスバウトのラヴェルもなかなかしっくりくるものである)。ブラームスでさえロスバウトにとっては「単純すぎる」のかもしれない。○にはしておく。インパクトは余り無いが聴衆反応はフライング気味でいい。

tag : ロスバウト

ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲

○スタンスケ(Vn)作曲家指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(M&A)1955/4/22放送live・CD

重音進行ばかりで一縷の隙も無い、ストラヴィンスキーのヴァイオリン曲特有のトリッキーな技巧のつぎ込まれた曲ではあるが、このソリストにとっては決して難度が高いわけではないと思う。しかし1楽章でどうもハイポジの音程が悪い。これは演奏自体の「色調」の変化に着目すると理由がわかるように思う。1楽章から2楽章第一部にかけてどうも、特にワルツふうの主題において「色気が出すぎている」・・・ウィーンふうというか、ベルクの協奏曲のような艶があらわれ、それはそれでこの無味乾燥な曲を非常に効果的な「音楽」に仕立てて魅力的な表現なのだが、ストラヴィンスキーの意図から外れていることは言うまでもない。

とにかく冒頭より四角四面のリズムが厳格に指示されているようで、もともと無理な運指が必要な書法であることもあり、ソリストの表現にかなり「窮屈さ」を感じさせる軋みが生じているのは、一方でよく感じ取れる。重音表現も荒々しく濁るが、アリアも後半になると抜けていく。そして音程も的確に、ただの「音」として、正確に表現されていくようになる。3楽章だけ冒頭の重音表現が短縮され単音による狂詩曲に変化するせいもあるが、音楽が軽くなり、新古典主義の曲であることが改めて印象付けられる。結果としてよくまとまった演奏になっており、雑味はあるが聴きやすい。四角四面と言ってもストラヴィンスキーの指揮には独特の野趣がありオケも非常にこなれている。環境雑音あり、○。

フランセ:ほぼ即興で

○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

書き散らかしたかのような小片の多いフランセだがこれも思いっきりそのひとつと言える。まったくブレのないマンネリズムの範疇にあってまるで80年時を遡ったかのような雰囲気を持つが、それでもこの短い中にきちんと序破急を組み立てているのは職人技。晦渋なソロだけでいくのかと思ったら結局世俗ワルツか、みたいなところもあるが、まあ。。○でいいでしょう。

フランセ:「モーツァルト・ニュー・ルック」

○作曲家監修マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

フランセお得意の剽窃音楽で、自分の作風に沿って楽器の組み合わせの妙を楽しませるといった軽い趣向の小品。ここではペトルーシュカふうのワルツにのってバス音域のモーツァルトを象のように揺らせていくという趣向。その上で高音木管楽器が小鳥のように囀り続ける。ベースのラインが技巧的で面白い。古くもなく新しくも無い、なかなか面白い聴感がある。わりと有名な曲。演奏は不可無し、といったくらい。○。

フランセ:羊飼いの時間

◎作曲家(P)レーヴェングート四重奏団他(A.Charlin)

うん、これは楽しい。猫の鳴き声から始まってパリ夜のランチキ騒ぎのような世俗的な音楽、メロディも和声も懐かしく馴染みよくレーヴェングートのねっとり、でも小洒落たアンサンブルに対してフランセ自身のピアニズムがしっかり芯を通す、やはりこの人の芸風は自分の作品に最もあっているんだなあと思う。フランセのあまたある作品の中でもかなり上位に置けます。◎。

ミヨー:四行詩の組曲

○マドレーヌ・ミヨー(語)作曲家指揮ランパル、モンタイユ他(Ades/everest)

これはアスペン・セレナーデと弦楽七重奏曲とともに録音されたもので、それらは別の組み合わせでACCORDよりCD化されている。ミヨー特有の、各声部の独立した音線(それぞれは美しいラテンふうの旋律を持つ)のおりなすポリトナリティが無調感を醸す曲だが、楽器数を絞っているのと典雅な木管楽器とハープを中心とした響きで統一しているため聞きづらい部分は少ないほうである。ミヨー夫人の語りはいつもの調子。何か比較対象がないので評しづらいし曲的にも小規模なので、○ということにしておく。奏者はいずれも一流どころではある。

ドビュッシー:チェロとピアノのためのソナタ

○ピアティゴルスキー(Vc)ルーカス・フォス(P)(RCA)LP

ピアティゴルスキーらしくない技術的に怪しい部分がいくつかあるにせよ、スケール感や構成力には天性の才能を依然感じさせる演奏で、力強く豪快さはあるもののロストロ先生とは違い音楽家としてはかなりニュートラルなところが繊細なドビュッシーにあっていて、強みに働いている。ラヴェルの作品のようなところのある難曲だけれども、決してテンポを弛緩させることなく描ききり、またフォスもアンサンブルピアノとして巧くサポートして付けている。打鍵が強くペダルをそれほど使わないいかにもアメリカ的なピアニズムを発揮しているが、晩年のドビュッシーの明確な彫刻には合うのである。○。

コンスタン・イワーノフ:宇宙交響曲~ガガーリンの思い出に

作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP

ソヴィエトを代表する「体制側指揮者」イワーノフが権勢にモノを言わせて?録音した自作自演で、正直こんなアマチュアリスティックな「作品」をこのレベルのオケが真剣に国家的に録音したことは、今となってはどうでもいいことだが、真摯な専門作曲家にとってはやりきれない思いであったことだろう。確かに響きに対する感覚はソヴィエトの「レアリズム」に沿った範疇での現代性が新鮮に捉えられる、しかしオーケストレーションは殆ど単線的な、古臭い合唱曲のような簡素なものしか聴かれない。苦笑を禁じえない。もちろん珍曲を面白がる、という意味では価値はあるし、演奏自体は立派。理想主義に燃える「60年代的宇宙」・・・2001年宇宙の旅が公開される前の、アポロが月に行く前の、手塚治虫が「火の鳥」で描いたような、スター・トレックのテレビシリーズが示したような宇宙・・・を描写的に落とした「音楽」として、この三楽章制の表題交響曲を、一度聴いたら十分。冒頭のフラジオが、地球との交信電波を示すということからしてゲッソリ。ちょうどアメリカとソ連の宇宙船がドッキングに成功した(懐かしい)70年代後半に出た当盤、ライナーには放送初演が「熱狂的に受け容れられた」とあるが、党員には表面上、という前提をつけるべきかもしれない。

ちょっと謎めいた晦渋な部分もあるが、ショスタコの爪の垢程度、ということはつまり単なる時代性。イワーノフはプロフェッショナルな作曲法は学んでおらず、歌曲については実際に評価を得ていたようだが、この裏面に入っているコントラバスのための曲の評価などは殆ど「強制された歓喜」であったと思われる。曲マイナスで無印。

ソーゲ:バレエ音楽「旅芸人」

作曲家指揮ラムルー管弦楽団(le chant du monde/KING)CD

楽しいキッチュな作品で、「パラード」から毒気を抜き職人が書き直したようなバレエ音楽、と言えば大体想像がつくだろう。職人性という意味ではミヨーに近いが冒険は無く、ガーシュインに対するグローフェのような感じ、と言っても作風はぜんぜん違うけれども。派手で色彩的なオーケストレーションが演出する刹那的快楽の連環を辿り、哀歓の興に気を揺らせる、世俗的ではあるが決して焼き直しやマンネリズムには陥らない、まさに20世紀初頭パリ的な、コクトーの六人組の方向性を受け継いでいたことを示す代表作。映画音楽作家というのもうなずけるそつのなさ、わかりやすさだ。国内盤オムニバスCDに一度なっているが廃盤の模様。私はデヴェツィ・ロジェストのピーコン1番との組み合わせLPで聴いているが別にCDで構わない類の音だと思う。意外なほど演奏精度も録音も良く、ソゲの指揮も作曲家自演に多い堅さを殆ど感じさせない手馴れたものである。わりと派手に鳴っているが下品ではなく、透明でニュートラルな音色。とりあえずこれとプラッソンくらいあれば十分ではないか。○。

tag : 作曲家

フランセ:8つのエキゾチックな踊り(二台のピアノのための)

○作曲家、クロード・フランセ(P)(A.Charlin)

邪気の無いラテンミュージック集だが、いつもながらドライな演奏振りで特有の素っ気無さが不思議である。これだけ思いっきりふざけた小品集を書いておきながら、奇妙に面白さを引き立たせることもなく、かといって構造の職人的な紡ぎ方を魅せつけようとするわけでもなく、旋律構造だけは明確にくっきり、いわばラヴェル的な表現で再現しようとしている。ただ楽天的でシンプルなわけではなく不協和で複雑な諧謔性があるのは確かで、演奏も意識的にやっているのだろう。曲集自体はクラシックとしてはどうかと思う。が音楽的には文字通り楽しめるし旋律も往年を思わせる閃きがあり、晩年作にしてはいいものだ。wergoに残した協奏曲を含む自作自演集と同じ匂い、何か筆のすさび的な、マンネリズムの産物であるとわかっていてそつなくやっている感じがする。まあ、80年代にもなってまだこういう曲を書いていたというのは、クラシカルな感覚ではなく、ライトミュージックの感覚であったのだろう。○。

フランセ:8つのエキゾチックな踊り(11の器楽と打楽器のための)

○作曲家監修・マインツ管楽アンサンブル(wergo)1987/1

ピアノ版もあるが音的にはこちらのほうがしっくりくる。ほんとに軽い冗談のような、フランセらしい洒落た小片集である。ただ軽音楽のようにいかないのはフランセにはよくあることだが、机上論的なパズル構造を持ち込んでいるところで、管楽アンサンブルにやらせるというのは、リズムを揃えるだけでも厳しい。三曲目あたりでは微妙なポリリズムが危ういところで何とか折り目正しく無理やり揃えられている、という感じを抱かざるを得ない。しかしまあ、ほとんどの曲が馴染みやすいラテンミュージックなので、「マンボ」や果ては「ロックンロール」まで(ロックというよりジャズと思うが)、時折変奏曲ふうに共通の主題が表われたりするのを面白がりながら、多彩な響きと職人的な作曲手腕に感心する、それだけの曲か。演奏的には○以上ではない。ちょっとしゃっちょこばっている・・・仕方ないんだけどこの編成では。

ディーリアス:「ハッサン」のセレナーデ(チェロ編曲)

◎ベアトリス・ハリスン(Vc)マーガレット・ハリスン(P)(SYMPOSIUM)1929/10・CD

初期作品の編曲だがやはりボロディンの影響を受けていた頃のディーリアスは旋律が瑞々しくわかりやすい。ハリスン姉妹の中でベアトリスは際立って巧い。ヴァイオリンのような音色でまさに歌そのものを素直に聞かせる。アンコールピースに適した曲だが、見本のような演奏なので◎。

ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第2番

○マックス・ロスタル(Vn)ホースレイ(P)(westminster)LP

M.ロスタルが大人の音で落ち着いた雰囲気を醸す。技巧的にも余裕がありなお、ただ演奏するのではなく含みを持たせたような、ディーリアスの中に一歩踏み込んだような解釈をみせる。ディーリアスのヴァイオリン・ソナタは1,2番がほぼ同じスタイルの、気まぐれな半音階進行を駆使し旋律性を失わせる煩雑な曲となっており、最晩年の3番だけは使徒フェンビーが調整したせいもあり旋律があやういところではあるが原型を保っている。ロスタルで1番を聴いてみたかった。○。

ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第1番

○カウフマン(Vn)ザイデンベルク(P)(forgotten records:CD-R/concert hall society)LP

最初こそ無愛想で素朴だが、やはりルイス・カウフマン、只者ではない。安定感のある表現を駆使してぐいぐいと曲を引き立てていく。ドイツ・オーストリアや東欧のヴァイオリニストのような鋭く金属質で耳に付く感じが無く、この曲には太くてざらざらしたこういう音が似合う。連続して演奏される3楽章にいたって技巧派たる部分も見せ、ディーリアス特有の名技性を浮き彫りにする。これは最初で投げ出したら駄目。メイ・ハリスンとは対極的な設計。○。

ディーリアス:ヴァイオリン・ソナタ第1番

メイ・ハリスン(Vn)バックス(P)(SYMPOSIUM)1929・CD

SP復刻で音が悪いせいもあるが、冒頭こそオールドスタイルの音色で引き込まれるものの、運指のアバウトさが目立ってきて、旋律線を見失うほどにわけがわからなくなる。曲のせいでもある。ディーリアスの室内楽や協奏曲は独特である。旋律が途中で半音ずれていくような進行、瞬間的で無闇な転調の連続、不規則な入り組んだ構造が気まぐれ感をかもし、非常にわかりにくい(しかし何か秩序だってはいるのである)。ある意味とても前衛的で、習作期の素直さが微塵も残らない番号付きヴァイオリン・ソナタや協奏曲は、作曲時期的には頂点にいたはずなのに、弾いている当人ですら根音がわからなくなるほどマニアックだ。そういう曲にはこういうソリストやメニューヒンのような柔らかいスタイルはあだとなる。鋼鉄線のように鋭く正確な音程を機械的に放っていかないと本来の意図は再現できまい(弦楽器向きではないという批判はあるにしても)。こういった晦渋さはRVWよりはホルストに受け継がれた。しかし、牧歌的なひびきの中に一種哲学的な抽象性が浮かび上がるような演奏では、疲れたものへの慰めになるものではある。その意味でもやや適任ではないと思うが、作曲家ゆかりのヴァイオリニストであり、むしろヴァイオリンより力強く個性的なコントラストをつけて秀逸なピアノは同僚バックス、資料的価値はある。無印。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live

冒頭からハーモニー、特有の音色感が素晴らしい。悪い録音に鄙びた音だけれども、動きが出てくると非常にわかりやすくなる。舞踏音楽としての遊戯を強く意識した演奏である。どうしても戸惑いを感じさせるドビュッシーの奥座敷で、この前のジーグ単曲同様余り聴衆反応はよくないが、録音としては楽しめた。○。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅰ.ジーグ

○モントゥ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958/7/25live

モントゥのドビュッシーにはめったに当りが無いのだが、これはリズムと音色が素晴らしい。絶妙である。ソロ楽器が鄙びてフランス風に響くさまはなかなかに懐かしい情緒をかもす。録音次第ということもあるのだろうが(DAなので極めて悪いがマイクが妙に近いらしい)。。この次に遊戯という演目も凝っている。なかなかツボを押さえた選曲。○。
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