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ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」~三つの抜粋

○ヴォルフ指揮グラモフォン大交響楽団他(andante他)1930・CD

3幕から情景1(Mes Longs Chevaux Descendent、間奏曲),2(Prenez Garde)の短い抜粋だが通しで演奏されたものか単発の細切れ感はなく、古録音期に多いあくまで歌曲とその伴奏という印象はない。しっとりした比較的ロマンティックな「演奏」も楽しむことができる。どうしてもSP原盤の抜けの良さはノイズリダクトとひきかえになくなってしまいがちであるが、これは原盤が良いのだろう、ノイズはもちろんあるけれども、ロマンティックな歌唱に負けずにオケ部のまるでディーリアスのような美観を垣間見ることが可能。これ以上の評は無理かな。○。
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タンスマン:弦楽合奏のためのトリプティク

○ジンブラー弦楽シンフォニエッタ(DECCA)LP

RVW「アカデミックな協奏曲」(ソリスト:フックス)の裏面に収録されているもので、題は「三幅画」等の意をはらむ。元は弦楽四重奏曲でクーリッジ夫人に捧げられたもの。初演直後に合奏曲編曲されゴルシュマンのセントルイスのシリーズに組み込まれ長く成功をおさめた。漂泊の作曲家34歳のときのことである。もっと大規模な編成にあうという本人の考えによる編曲のようだが、大体において下地が小規模アンサンブル曲である場合、例え作曲家本人の手によっているとしても完全には成功し難い。単純性を払拭しきれないのだ。

中欧の民族音楽に強く影響されたエネルギッシュな音楽、というライナーの記述からも「新しい音楽ではない」ことは伺える。抽象音楽指向だが新古典ふうではなく、時代性がある。いわば折衷的だ。耳馴染みのよい、適度に晦渋で少し不器用だが、部分的に個性的な透明感ある響きと書法がはっとさせ、ニールセンからマルティヌーといった作曲家のはなつ煌きと同じようなものを持っている。演奏はギチギチの弦楽合奏団であるこの合奏団らしさは依然あるが、若干の柔らかさと濁りが加わっているようにも思う。それは曲のロマン性、とくに三楽章後半に現れる清澄な・・・確か影響を受けたと言していたと思うが、RVW最盛期の感傷音楽に似たフレーズは印象的で、曲的には焦燥感の中にこれを持ち込むのはオネゲルのやり方を思わせちょっとあざといけれども、逆に一番の聴き所となっており、演奏もここで太い響きを滑らかにうねらせている。○。

シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

◎トーテンベルク(Vn)モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1955/1/28live・CD

DAと同じかどうかわからない(録音状態が違いすぎる)。十分聴くに耐えられる音でわりと迫力がある。この組み合わせはこの曲に向いているらしく、尖鋭で複雑な響きの交錯を精緻に割り出し再構築しながらも、一貫してロマン派の協奏曲であるという本質をしっかり意識した構成は聴き易い。モントゥにあっている曲だと思う。シマノフスキは難しそうでいて、同時代と比べればかなり簡潔な書法を駆使する職人的な作曲家だが、こういう演奏で聴くとそれが単純なのではなく「簡潔」なのだということがはっきりわかる。非常にいい演奏。◎。

ラヴェル:スペイン狂詩曲

○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(COLUMBIA)SP

初演者による記録だがピエルネの指揮の特徴である硬直したテンポとリズムがここでも気になる。オケには素朴なロマン性が生きているものの、解釈には正直人工的なところが否めず、モントゥの無難な録音のようなところもあり、そそられない。SP盤特有の無茶な末尾カットや裏返し断裂がどうしても気になる点含め、とうてい◎ではないのだが、これもまたピエルネの特徴である、しんとした和声のうつろいを聴かせる場面では整理され磨かれた硬質の響きが時代性を越えて印象的な表現に昇華されている。ドビュッシーの雰囲気音楽に適性があったのもさもありなん、ラヴェルにおいては理知的な演奏ぶりが効を奏していると言うべきだろう。○にはしておく。録音にSPに期待されるような明晰さや強さが足りない部分も大きい。盤のせいか。

フランセ:三つのエピグラム

○レーヴェングート四重奏団他(A.Charlin)LP

男声・女声と小規模室内楽という編成や5分程度の演奏時間からしてもミヨーのミニチュア歌劇を思わせる音楽で、いつもの子供っぽい心地も旋律にはあるけれども、実はけっこう声楽を伴う曲も書いている人らしく、サティのソクラートに近い極めて削ぎ落とされた音楽はしんと響くものである。かなり真摯でアルカイックな雰囲気をかもし、演奏陣の精緻で注意深い配慮も効いている。言葉と音楽の不可分な感じはフランスの近代作曲家の多聞に漏れない。○。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団?(DA:CD-R)1937/3/21live

聴衆反応は悪いがロジンスキの近代、特にこのての曲に外れは無い。クーセヴィツキーに似た、でももっと論理的に整理し設計したうえでの厳しい訓練・・・「締め付け」が筋肉質の快感を呼ぶ。オケがNYPに似た濁った力感を発揮しているのは印象的。録音はいつもどおり悪い。○。

空しいマイナーレーベル買い

如何わしさ満載だったANDANTEレーベルの高額組物があらゆる店舗で一斉処分にかかったのは昨年後半あたりか、既にタワーやHMVはほとんど処分完了しているようですが、ネットとなると何と3枚以上の組でも2000円切る始末。

アルベール・ヴォルフのペレアス抜粋伴奏の入ったやつ、迷ってるうちにどこでも(廉価では)手に入らなくなってしまった。。。まああれだけしか聴くものはなくて、メインのデゾの全曲はじめトリュックはLPでもCDでもあるしコッポラもある。うーむ、しかし2000円切るというのは・・・

と思ったらネット配信が背を押したらしく山野がMEMORIES処分のときと同じような感じでNAXOSとSCRIBENDUMを処分!!後者はやっぱりか、というかんじ。スヴェトラ軒並み半額涙目。涙目っていえばAndanteは下手すると5分の1なのでまあ・・・三枚買ってしまった。ケンペのチューリヒの新世界もこのさいどうしようかな。

うむむ。。。Andanteは中古も出ないんだよね。元が高いから出さない・・・この機会を逸したのは大失敗だったな。

それにしてももう、高額設定のマイナーレーベルを先を争って買う意味はありません。

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日々雑聴

昨晩はアンゲルブレシュトのドビュッシーEMIボックスとDM三セットをMP3に落としながら(sonyのエンコードソフトは速くて音も秀逸ですわ)INEDIT版のペレアスを聴いていた。今はなき御茶ノ水ハーモニーで最後に買った箱だよなあ、、ってせっかく綺麗にしてあったのが湿気で紙袋にシミがっ!

しかも一箇所音飛びが出るようになってる!ペレアスにそういうのはダメだ!

へこんだ心を聖セバスティアン全曲でなごませたけど、結局ドラティの悲劇的ライウ゛で溜飲を。

バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」

○作曲家(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1949/4/9live

初演翌日の演奏とされる。雑音は酷いがクーセヴィツキーにせよバンスタにせよぎちっと合った勢いのある丁々発止なところが聴ける。マニアにはいいものだろう。一般向けの音質ではない。

この作曲家の本格的な楽曲には時代性を強く感じる部分・・・特にヒンデミットとブロッホと、同時代のアメリカ・アカデミズム寄りの作曲家・・・があり、今の耳には暗くささくれ立った「若者特有の前衛性」を印象付ける。題材もそれを象徴するかのようなものである(アメリカという「戦勝国」にいながら)。しかしバンスタが作曲家として優れていたのはコープランドにも増してジャズと庶民舞踏の理解表現に長けていたところで、真摯で金のないクラシック作曲家としての側面と、時代の「良いところ」に寄り添ったゴージャスなミュージカル作曲家としての側面が組曲ふうの表題交響曲の中に融合しているさまはなかなかに堂々とした才気煥発なところを見せている。

バンスタのピアノは素晴らしい、テクニックというよりニュアンスだが、この時代のピアニストはスピードとリズムが重要。バンスタ自身の重い音響音楽(そのしつこさがブロッホを思わせる)が何故に光るかといって、もちろんストラヴィンスキーに倣ったようなそういう近現代作曲家は多々いたが、硬質なソロピアノによる音線を多用し、ぶよぶよした大規模楽曲の「引き締め」に使っているせいに思う。この時期くらいまではピアノ協奏曲ふうの交響曲が流行っていたこともあるが、この曲はアップライトピアノまで導入しミュージカル作曲家らしい視覚効果や後年を思わせる空間的発想(誇大妄想)も投入されているが、戦争末期の四人の孤独な男の内面世界、ということを考えるとちょっとむさい。クーセヴィツキーの音楽もどちらかといえばむさいので、一度聴いたら十分という向きもいるかも。好き物なら。○。

アイヴズ:ロバート・ブラウニング序曲

○マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1976live

アメリカで常任を振る人は必ず通るアメリカ音楽の道、その(生前の大半はそう扱われていなかったのに)要にでんと座る雑然音楽の元祖アイヴズであるが、ちょっと前まではポストモダンな作曲家としてわざと雑然と「書かれたまま」やるのが常道とされたがゆえに一般の理解を遠ざけてしまったきらいがある。アイヴズの未整理の煩雑な音楽は思想的には確かに新しいものを目指していたが素材は素朴で非常にわかりやすい、多くは(プロテスタントの賛美歌の孕む程度の)ロマンチシズムを湛えたものなのであり、演奏側が整理して響きを整えれば前衛音楽の祖としてもアメリカ民族主義音楽の祖としても立派に通用する音楽たりえるものを作っていた。

晩年俄かに巻き起こったリヴァイヴァルブームは後者の見地に立った演奏家主体のスタイルであり、本人は余り好まなかったようだが(かれの歪んでいるとはいえ異様に明晰な頭脳には(ストラヴィンスキーもそうであったように)この異様なスコアがありのまま全く簡素で当たり前のものとして見えていたのであるから、一部ならともかく全体の趣意すら曲げるような改変は好まなかった)、音盤や、世界のほとんどのコンサートホール(の座席)において彼の望んだような自在で立体的な響きの再現は土台不可能なのであり、後半生コンサートに行くことをやめ自宅のピアノでしか音楽を想像しなかったかれの机上論的な部分を何とか「まともに」修正しようというのであれば、アイヴズ協会考証版の正規スコアにかぎらず手書き譜や使徒の見解を入れて、もしくは「入れずに趣意を汲み取って」適度に拡散的・騒音主義的で適度にアカデミックかつロマンティックな一貫性も維持しつつバランスよくやるのが常道であろう。ドイツやロシアよりもフランス近代音楽の影響を受けているとは一時期よく指摘された。特に旋律構造へのドビュッシーからの影響は分析的に見出すことが容易と言われる(宗教性の裏付けのうえ主要素材に旋法的なものをもちいることを好んだだけの感もあるが)。

極端にどちらかに振れない穏当な演奏はなかなかない。アイヴズは無秩序ではなく在る程度理論的な音響実験を投入しているが、それも実演主義的では全く無かったから、はなから無かったものと考えるのも妥当かもしれない。話がそれまくったが、まずアイヴズの座標を何となく示したところでその基点よりマゼール闘士時代の演奏がどこに位置するかというと、やや拡散的なところ、即ちとっちらかったスコアをとっちらかったままに、しかし一応時間軸は意識しておく・・・ただ、音量変化が滑らかではなくデジタルなニュアンス変化が、シェーンベルク程度には前時代の作曲家であるアイヴズをやるうえでは少し「騒音主義過ぎる」ように思った。奇矯な「びっくり」をやらかすのが目的ではない、音塊の密度が濃くなり薄くなりを繰り返すのがアイヴズ・・・アナログな波形を形作る無数の音素材の堆積を一個一個に拘泥せず全体として認識させる・・・というのはライヴのノイズだらけの非正規音材では無理だな。

アイヴズは音盤を音盤芸術として作る「ポストモダン的クラシック音盤職人」がもうちょっと出てくると面白いリヴァイヴァルを呼ぶかも。ぜんぜん違う音楽だけどナンカロウみたいに、演奏家は最初のパンチ穴の打ち込みだけでいいのだ。その再現を如何にアイヴズの趣意に沿って整形するか・・・カラヤンに象徴される録音職人兼演奏家が、かつて演奏家兼作曲家がそうなったように、今や録音技術者と演奏家に完全分化しているだけに、ここは時代を気長に待ちたい。ってこの音盤についてぜんぜん語ってない・・・技術は素晴らしいです。

バルトーク:ピアノ協奏曲第3番~Ⅱ.

○リパッティ(P)ザッヒャー指揮バーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団(MEMORIES)1948/5/30live・CD

最近は端切れのような非正規記録を詰め合わせ商法で売りつけてくるmemoriesだがこれも、いやらしいのはアンセルメとのリストとこの曲くらいしか私には価値がないことで、しょうじきリストだけでは買おうと思わないので、結局10分少々のために3000円以上の二枚組・・・うーん。演奏はザッヒャーらしさのほうが耳を惹いた。リパッティは少し重い。粒だっているがその粒が大きい。録音がかなり悪いので、ぼわんと音符がふやけることもあるのだが、この曲唯一深みを感じさせる楽章だけれども、ロマンティックな重さによって表現しようという部分が若干感じられ気になった。ラヴェルの両手のような透明感ある透明かつ硬質な表現のほうが向いているのではないか。くらべてザッヒャーはもともと透明で薄いバックオケを更に磨き上げ特有の叙情をかもしている。望郷の念を篭めたと言われる楽章だがそういうのとはまた違う抽象的な感傷を示すものになっている。客観的であるがゆえに曲そのものの簡潔さの美学が引立つ。○。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1957/4/13live・CD

迫力の重量級演奏でかつ俊敏、モントゥの統率力、それに従うボストンオケ各パートならびにアンサンブルとしての技量の高さが伺える良録音。見通しのよいリズム構造に響きへの配慮が行き届いたさまはあくまで不協和的でありながらも合理的な音楽性を浮き彫りにし、ただ精一杯に元スコア通り振った日々より長年をへて、モントゥがこの曲に対して得た個人的見識が膨大なスコアへの書き込みになったんだろうなあ、とボックス表紙のスコア検証中写真を見て思った。作曲家本人の意思とは恐らく違う娯楽性やドイツ的な構築性が持ち込まれているとしても。◎にしてもいいくらいだが録音が若干悪いので○。どうも既出の気がする。。このてのものの録音月日はあてにならないので、レア演目の場合は特に注意。ハルサイはメジャーなのでわかんないゆえ別としておく。

プロコフィエフ:交響曲第1番「古典交響曲」

〇モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1958/1/3live・CD

ボストンライウ゛はいつもそうなのだが曲によっては分厚過ぎると感じることがある。しかしながらこの曲でこの響きの重量感でいながら一糸乱れぬ気合い漲るアンサンブルが、破綻せず最後まで突き通せるだけでもあっぱれなものだ。モントゥの技術と統率力の凄みを感じさせる。拍手盛大。前時代的な古典だが懐かしい。このボックスはまたもや放送録音集だが音はまあまあ。データはおしなべて初出であることを強調しているが少し疑問はある。〇。

ベルリオーズ:幻想交響曲~Ⅱ.

△ロスバウト指揮フランクフルト国立管弦楽団(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代

聴力の弱い人は注意すべきだ、何故って私にはファーストヴァイオリンの音が8割がた聴こえなかったからである。あの怖いワルツの入りからして聴こえなかった。Vnだけではない、高音域がSP復刻も余程悪いもののように擦れ消えている。もちろん万全の耳を持つ諸兄はロスバウトの幻想ということで期待して聴いてもいいだろう。演奏は明るく軽くロスバウトが現代フランス(+ストラヴィンスキー)をやるときのそれで、ワルツの音線がすべて聴こえる人は即物的な速いインテンポに俊敏なニュアンスを載せた音楽を楽しめるだろう。伴奏しか聴こえない私には断続的な雰囲気音楽に感じ、この曲の感覚的がゆえの弱点ばかりが引き立つものに聴こえた。無印以下はつけない私もこれは録音として△。

フランセ:15の子供のポートレート

○モーリア指揮ツールーズ国立室内管弦楽団(PIERRE VERANY)CD

題名から推察できるとおり非常に無邪気で平易な小品集で、筆の遊びとはこのことを言うのだ。何も残らないし、何も感じない、けど穏やかで楽しいこれも紛れも無くフランセの世界。演奏も穏やかなだけにほんとうにフランセが自分の一般受けする作風のバリエーションを陳列しただけのものと受け取れた。軽く流しておくにはいい曲。サロン風というのともまた違うのだけど。パリの暗さはない。

ありゃ

リスニング環境によって、あれ、こんな演奏だったっけ、と思うことがある。

昨今流行りのデジタル圧縮音源再生となると、圧縮形式やソフト、変換に供するPC周辺のもろもろのこと、再生プレーヤー自体の特性、そこにそれぞれのリマスタリング(自動的にやるものもある)やドルビーサラウンドなどのイコライザ機能が加わるとほんと、わけがわからなくなる。

・・・原音はどれだ??

ありゃ、

フルヴェンのヒンデミット「世界の調和交響曲」って、こんなに硬くて四角四面だったけ?

・・・

ああ、

板自体がリマスタリングされ残響付加されているのに、更に圧縮・再現をへて最後にドルビーサラウンド効果が自動的に付加されているからだ。

・・・

つまりはいろいろいじくって違う音になったということか?

bluetoothヘッドフォンまで経由しているし。

・・・

いや、

でも他にもいろいろ聴いていると違うことに気がつく。原音より大元の情報量は減衰している筈だが、それ以上に、減衰した原音を整形復元し「想定原音」を作り上げようという操作が効いている。結果、原音を「上回った」のだ・・・

この音はそういう音だ。

エッジが不明瞭であるがゆえに脳内で勝手に補完作用が働き、自己催眠よろしく「自己印象操作」が行われることがある。アナログ音源やライヴ録音特有の、音符間を埋めるノイズが「倍音」として認識され、何となく迫力と感じられることがある(SP音源などノイズと残響が実際に分離困難な場合もなくもないが、マニアに言われるほど多くは無いのではないか)。

それら「脳内ノイズ」が取り除かれ、剥き身の「音」が「再現」される。

そして「印象」という曖昧なものを変えた。

うーん・・・

印象評論というものを私は否定しない、音楽なのだから。けど、やっぱりこういうことはある。認識はしておくべきだ。

FONIT CETRAの良復刻CDで認識を改めていたフルヴェンのヒンデミットだけど、しょうじき、ポータブルとはいえ最新の機器の連携の末にきかれる音は、いや、これこそ真実だと思わせる説得力があった。生硬でこなれていない、あきらかに「フルヴェンには向かない現代音楽」の演奏だということ。

そりゃ聴衆反応も一歩引いたものになるよなあ。ムラヴィンスキー並には迫力なんだけど、ムラヴィンスキー並にアプローチしあぐねている部分がとくに三楽章に、ある。あの単純にのぼりつめていく音楽の、しかし緻密に書き込まれ過ぎた内声を、生硬なテンポで整えるのが精一杯だったのであろう・・・一回性のライヴにあっては。

ヒンデミット自演の正規録音復刻を思い出した。あれも最良とされるプレスのアナログ盤でさえ響きが濁り精細に欠けるものに聴こえた。しかしここは逆にDGがボックスCD化したところ、目の覚めるようなノイズ除去に復調ぶりで、ここまで磨かれた演奏になっていたのかと驚嘆したものだ。everestの覆面オケによるステレオ録音に負けずとも劣らない迫力。

このセットで一度聴いてみるかな。

結論としてこの曲が駄目だということになったりして。それはない。

スコアがある。

ストラヴィンスキー:ロシアのスケルツォ

○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/3/2live

ザ・職人ドラティだけに小品では冴えた演奏を聴かせる。ただ無難といえば無難に気を煽りすぎて「高尚ではない」とか「浅い」とか思わせてしまう部分もあるのだろうか、単純に曲のせいか(楽しくもストラヴィンスキーらしいオスティナートリズムに貫かれた「オーダーメイド作品」なんだけど)、拍手がいかにも戸惑うようでまばら。何故。録音状態はこんなものか。○以上にしてもいいんだけどなあ。

コダーイ:歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」組曲

○ストコフスキ指揮ブダペスト放送交響楽団(DA:CD-R)1967/2/3

こういう冷えた金属質の音は東欧の音だよなあ、と思いつつ、ストコの拡散性と色彩味が巧緻なオケにより整えられ、明るく派手な響きだけれども踏み外した感じのしない、肉汁滴る自己顕示欲のアメリカぽくもない(ストコはイギリス人だけど)、かといって有名な主題を持ち上げてわかりやすさを強調することもなく民族性もそれほどそそられない、聴きやすいものに仕上がっている。長々しい組曲だが長さを感じさせない設計の巧さが光る。コダーイはバルトークと共通の民族主義を掲げ、実際にこの曲でもバルトークにみられるものと同じ舞踏リズムや音響表現を用いているけれども、きほん前衛性は後期プロコに似た領域に留まるため新古典的な古趣を感じることがある。ロマンティックにやろうとすればできる部分もあるし、19世紀国民楽派音楽のように民族的表現を誇示し民族楽器を派手に打ち鳴らすこともできるのだが、ストコは何故かそこまではやらない。外様オケということもあるだろう。比較的明晰な録音(DAお得意の断裂や撚れ揺れはある)。ライヴではなく放送音源かスタジオか。

ラヴェル:道化師の朝の歌(管弦楽編)

○チェリビダッケ指揮ORTF(DA:CD-R)1974/6/4ローザンヌ音楽祭live

非常に明晰でスケールのあるAC録音で、放送雑音や経年劣化による撚れ断裂は避けられていないものの、DA水準では最上の位置に置けるバランスのいいステレオだ。何のことはない日本の放送ソースなのである。それはそうと演奏は依然バス音域が強すぎるもののバレエ音楽的な躍動性は全く失われずスピード感も維持され、イタリアで多彩に活躍していた頃の経験が活きていることを伺わせるとともに、マニエリスティックなまでに整えられた音響や研ぎ澄まされたオケの表現にはスタジオ録音かと聴き惑う緻密さすら感じ取れ、フランスオケらしくもない精度と揃った迫力に驚かされる。晩年の神経質な厳しさと透明壮大な音楽への繋がりもまた感じるのである。この曲の包蔵するローカリズムの魅力は全く引き出されていないと言っていいが、純度の高い汎用ラヴェルとして○。

チェルビダッケ

きのう古いラジオ録音を聴いていたら、アナウンサーが

チェルビダッケ

って言ってたよ。

チェリビダッケ

なのにね。

ちなみに私はサイトで「注意」されるまで、ずっとチェルビダッケと呼んでました。チェリは愛称かと。

耳学問とはこのことだ。

私だけじゃなかったわけだね。

日本語なんだから別にいいじゃん。方言だってあるんだし。

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