ブラームス:交響曲第4番

○エリアスベルク指揮レニングラード・フィル(LANNE:CD-R)1960/5/9live

一見まるでムラヴィンスキーしかいなかったかのような「レニングラード」オケだが、そのじつ数々の知られざるロシアの名匠、もしくは後年西側に出てきて初めて知れ渡ったような大物が振ってきたオケであり、旧くはニキシュの時代より西欧から招聘された名指揮者が振ってきた歴史ある、比較的西欧色の強いオケである。中欧オケ同様歌劇場との結び付きが強く、もちろん別組織ではあるのだがメンバー的に重複したり、時代によっては歌劇場陣は事実上二軍オケというのも多聞に漏れない。ただ細かいことについては私もあんまり覚えてないのでマニアに聞いてください。そういう経緯で時期により指揮者により音が違うことも多く、レニングラード・フィルと称して録音していながらもムラヴィンスキーが”本国で”振っていた「一軍」とは違う、バラケ味のある(コンドラシンが振った時を除く)モスクワのオケのような音をさせることもままあった。ガウクが日本でムラヴィンスキーのかわりに指揮した悲愴などは寧ろ指揮者の個性に起因する「グダグダ」と「強引さ」があったとも言えるので(寧ろソヴィエト国立を思わせる音になっていた)オケだけの理由で音が変わるわけでは無論ない。

ムラヴィンスキーが個々の奏者の派手な技巧に強烈な力感を放散するような音楽ではなく、ひたすら内圧を高める全ての凝縮された音楽を指向したのはいうまでも無いが、レニングラード・フィルの歴史に残る”脇役”エリヤスベルクの解釈ぶりもけして拡散的になるものではない。ザンデルリンクの数少ない録音は既にやや横長の作りが出ていたが、比べてニュートラルで速いテンポに強い求心力と割とわかりやすい。とにかく実演で酷使された指揮者特有のストレートで強靭なスタイル、デトロイトのドラティのスタイルをちょっと思い浮かべたのだが、割と音の切れが悪く歌謡的な繋ぎ方をするところがあり雑味を呼び込む、そういう少々のアバウトさもある。3楽章などは曲のせいもあるが・・・しかしこの3楽章はこういった気を煽るも響きの重い舞曲であるべきなのかもしれない。クライバーより正統なのかも。ブラームスの楽曲自体がどうやっても堅固であるので、寧ろその雑味が重厚でメカニカルな書法に血の通った筋肉を加え俊敏さと感情豊かさの両方を倍加させることに成功している。ムラヴィンスキーの禁欲性もいいが、こういった程よく感情的な演奏もいいだろう。

ただ録音は最悪。特に1楽章は左に音が偏り、後半はノイズがひどい。放送か板起こしか、後者であることは間違いないようにも。○。
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リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

○ズーク(Vn)イワーノフ指揮モスクワ放送フィル交響楽団(THEATRE DISQUES:CD-R)1978/3/16LIVE

これはMELODIYAで流通していたLP原盤なのだろうか?何故か縁無いうちに裏青化したので買ったが、明らかな板起こしである。取り立てて名演ではないが何故中古市場にそれほど出回らなかったのか?

1楽章は落ち着いたテンポで足取りしっかりとドイツっぽさすら感じさせる。この人はベートーヴェン指揮者であることをしっかり意識して、余り拡散的な灰汁の強い表現をしないときのほうが多い(もちろんするときもある)。楽器の鳴らし方は全盛期スヴェトラとまではいかないが豪放磊落で倍音の多い分厚い音響を好む。だがこの頃のメロディヤのステレオ盤は盤質のこともあり心持軽く薄い響きがしがちで、これも例えばミャスコフスキーの新しい録音で聞かれたものと同じ、ロシア人指揮者にしては相対的に個性が弱く感じるところもある。中庸ではないが中庸的に感じられるのである。

中間楽章では1楽章ほどに遅さは感じず、でも常套的な気もする。ブラスの鳴らし方は思ったとおり、といったふうでロシア式。ヴァイオリンソロはすばらしい、D.オイストラフを思わせる安定感もあるし変なケレン味を持ち込まないのがいい。3楽章はでろでろしているのだが、生臭くない。これは不思議だが中低音域を強く響かせる少し中欧ふうの感覚の発露かもしれない。

4楽章は想定どおりの大団円をもたらしてくれる。これは勿論この人だけではなく同じような盛り上げ方をする人はいくらでもいるんだが、素晴らしく盛り上がる、とだけ言っておく。○か。強くインパクトを与える感じはしない。強いて言えばラフマニノフのシンフォニー2番と同じようなスタンスの録音と思った。

ラフマニノフ:交響曲第3番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1968/12/30live

録音はノイズの気になる古びたステレオ。演奏は晩年のあの落ち着いた薄いスタイルではなく、いわゆるドガジャーン・突進系。この頃が十分な練習を積んだいいオケさえ使えば一番上手くかっこよかったと言える。やはりイワーノフとは違う、スヴェトラと聞いてああやっぱり、というものは持っており、それは録音でもホールでもなく音作りそのものなのだと思った。分厚い旋律の歌わせ方も素晴らしい。最晩年を除きこの個性は一貫していたのだ・・・ラフマニノフのような個人的に思い入れの強い作品に対してだけだろうが。

しかしまあ、やっぱりブカブカ吹かせてジャーンと底から響かせる大言壮語が嫌いな人には向かない。この曲は小粒でこのくらいやらないと面白くないのだが、終楽章第二主題後の繰言のような長々しさはさすがにこのスタイルでは鬱陶しい。ラフ3はやはりロシアの指揮者だ、と思わせるザンデルリンクを凌駕するほどの強固な演奏であるが、作曲家の演奏記録とくらべるとやはりちょっとやりすぎ、作曲家スヴェトラーノフのかなり入ったものであるのかもしれない。併録は何せスヴェトラーノフ自作自演。○。録音がよければもっと、という高レベル。盤質注意。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

○マルケヴィッチ指揮トリノRAI放送交響楽団(HUNT)1967/3/10live・CD

恐らくHUNT/ARKADIAのマルケヴィッチ・海としては別にウィーン・フィルとのライヴがありオケのしなやかな表現力込み名演だった記憶がある。しかし手元にはない。何故って、劣化が酷かったのだ・・・最初から(見た目からして既に茶色かった)。独特のあのノイズは気になりだすと聞き続けることができない。そちらは確か最初のトラックだったので返品した。こちらは幻想のあと、最後のトラックとなっている。だからといってはなんだが、だから仕方ないということもないんだが、中古ではあるんだけど、劣化しているものの、見た目は全く問題ないので、ひょっとすると最初から劣化した音源だった可能性があるから残した。当時のイタリア盤では劣化というより最初から品質が悪くノイズまみれのものが相当にあった。現在のノイズ上等みたいな市場は無かったが(現在の耳からするとノイズレベルは問題にならないものも多かった)、殆ど流通量が限られていたので、十分通用した。誰でもそのへんのオッサンでも国外盤を偽装していくらでも増やせる「裏蒼」なんて無かったし、値段も「破格に高かった」。いま投売り状態なのはどうにもやるせないような、しかし手に入らなかったものは得した気分にもなる。

マルケの色彩的というかえぐい表現、ムラヴィンスキー的な強さと神経質さを担保したうえでの「速度」は気持ちが良い。ロシアのトスカニーニ、という言い方が頭をよぎるが打楽器の増強によるリズムの強調ぶりや旋律の単純な煽りぶりは壮年期のスヴェトラーノフに近い感もある。変則リズムや効果音的挿句の妙な強調などロシア流儀の感情表現だろう。だが下品にならないよう抑制し求心力を保てるのがマルケ、全体の流れはすこぶる強靭である。オケはライヴでは非常に調子のよかった時期で弦楽器の程よいバラケ味含め演奏を損ねる方向には向かってはいないが、録音が明晰なステレオであるため聞き方によっては気になる部分はあるかもしれない。このオケだからこそ上記のえぐさが出ているということもあるかも。○。劣化してなければなあ・・・

エルガー:帝国行進曲


○ボールト指揮BBC交響楽団(VAI/78classics他)CD

imperial marchと書かないと大日本帝國の曲みたいな感じがして変だな。。まあ大英帝国万歳委属曲の一つなんだけど。エルガーらしい非常に手馴れた行進曲。エルガーとしてはかなり常套的である。ボールトBBCシェフ時代の割と数少ない記録だが、即物的な処理が強い気もする(ボールトはかなり「意識的」な指揮者で古くはトスカニーニふうの乾燥した表現も目立った)。

ディーリアス:楽園への道

トーイェ指揮ロンドン交響楽団(DUTTON)CD

これは古い録音だけれども、即物的というか古い録音にしばしばある、全く感傷的な音を出さずに機械的に構じられたものの印象が強い。ビーチャムを更にあっさりしたような速度に、悉く「棒吹き」の管楽器、無難に「イギリス的」な範疇を出ない弦楽器、いずれもバルビとは対極の表現である。それでもアーティキュレーションはしっかりつけられておりオケ自体も非常にいいわけで、聴けてはしまうのだけれども、いささか職人的に過ぎる。

ディーリアス:イルメリン前奏曲

○ビーア指揮国立交響楽団(DUTTON)1944/6/8・CD

SP期にはよくわからない指揮者の名前が比較的多く見られ、楽団名も定かではない場合が多い。イギリスは音楽消費国として今も一大市場を保っているが、録音に関してもエルガー自作自演を頂点として様々な、多くの録音を作ってきた(もちろん今もそうであるが中欧の有名オケに名を売る踏み台になってしまっている感も強い)。この演奏は古い録音ならではの感傷性があり、ビーチャムの速度感に近いものもあるのだが、気持ちの良い演奏となっている。録音の悪さはもうし方なく、DUTTONなのでこれ以上を望んでもしょうがない。最初ビーチャムかと思ったくらいだが、まあ、そのあたりは。○。この曲、私も記憶が曖昧なので申し訳ないのだが、ほんとにイルメリン前奏曲だったかなあ・・・

ブリス:チェロ協奏曲

○ロストロポーヴィチ(Vc)ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団(intaglio)1970/6?live・CD

ブリスを聴くのは10数年ぶりで、カラー・シンフォニーで相性があわない、と思って以来だ。古臭い、ドイツロマン主義の香りをエルガーほどの旋律的才能もなく漂わせる人というイメージがあり、指揮記録もけして出色の出来ではなかった記憶があるが、この曲を聴くと、確かにドイツ・オーストリアの世紀末あたりの臭いは残るけれどもむしろ、近現代音楽のごちゃまぜ、言うなればイギリスの同時代のもしくはもう少し後の世代の保守系作曲家のやっていたことと余り変わらない、更に、気分としては決して悪くは無く、特にこの曲はソリストとオケが引き締まって取り掛かれば(そうでなかったら結果は目に見えている気もするが)ある種の感傷的な気分や諧謔的な気分を醸す佳作として聴けるレベルのものであることがわかる。録音のせいもあろうがロストロはやや引き気味で熱することがない。そのせいで逆に繊細な書法の施された(明らかにディーリアスに近い部分)、もしくは現代風を模した(明らかにウォルトンに近い部分)諸所の描き分けが自然になされて、純粋にこの人の音とフレージングの美しさが曲を引き立てる、なかなかいい状態で聴ける。ブリテンがこのコンビならではの引き締まった、若干強めのバックをつけておりロストロとの相性もいい。終楽章冒頭の打楽器主義的な出だしなどなかなか面白く聴けた。○にしておく。データによってはコンチェルティーノとしているものもある。

ストラヴィンスキー:ロシアのスケルツォ

○ドラティ指揮デトロイト交響楽団(DA:CD-R)1978/3/2live

まあさすがというべきか、ドラティにこういう曲はとてもあっていて、愉悦的に聞き流すことができる・・・いい意味で。逆に真面目過ぎたり芸風が偏ったりしているとこういう曲は活きて来ない。職人指揮者向き、現場指揮者向き。面白い曲だし、録音も時代なりのよさがあるし、○。

ストラヴィンスキー:花火

○ブール指揮南西ドイツ放送管弦楽団(lanne:CD-R)1960年代

リムスキー色の濃い初期作品で色彩的な拡散性や個人技的側面を演奏的にどう自然に纏め上げるか結構面倒なところがあると思う。ブールにかかればしかし勢いを失うことはなく、注意深く色々な音の煌きを余すところ無しに表現される。録音が単色的なので今ひとつなところも否めないが、ブールの実力は発揮された演奏と言える。

マーラー:交響曲第1番「巨人」

○ワルター指揮ロンドン・フィル(TESTAMENT他)1947/11/6live・CD

国内代理店売りしているためレーベルを「他」という書き方にした。非常に激烈なワルター壮年期そのままの演奏で10年遡ったような感じがする。ただ、ロンドンの聴衆は騙されない。拍手は冷静でよく聞くとブラヴォが混ざる程度である。かなり高精度で終楽章のコーダなどワルターにしても異様な迫力ある力感をぶつけてきていながら、全般には醒めた音で生硬さを感じさせる。音色の綾やスムーズな横の流れの作りがワルターらしくないというか、最初ボストン交響楽団の演奏かと思ったくらい機械的な作り方が目立ち入り込めない。3楽章冒頭のコンバスソロからしても中途半端な表現で、決してこのオケと相性がよくなかったことを伺わせる。ただ、技術的には凄い。BBC交響楽団の調子のいいときのようで、ボールトの曇りをオケから一切取り去ったような明快さは、この指揮者が同時期にトスカニーニ的演奏を求められていたのではないかと推察させる。バンスタ的起伏もバンスタに増して人工的、、、更にこの演奏、録音が極端に悪い。ノイズ慣れしていないとまず、聴くに耐えないだろう。演奏的に精度を求めるなら、あるいは30年代的なワルター解釈を求めるなら(そしてウィーン風を求め「ない」なら)薦めてもいいが、まずもってマニア向け。個人的にはワルターでも歌心の少ない特異な高精度志向とリアルな世界観が作られている点興味深かった。○。

Mahler: Symphony No.1 "Titan"; R.Strauss: Tod und Verklarung Op.24 / Bruno Walter, LPO, etc

スクリアビン:交響曲第2番

○ネボルシン指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団他(VISTA VERA)1950/6/27・CD

このあたりのmelodiya音源まで発掘してくるとなるとこのレーベルも凄いが、同時に中堅指揮者というのはプレミア感なしではやっぱり中堅指揮者でしかない、という印象もあたえる。典型的なロシアスタイルをもう少しトスカニーニ寄りに安定させたような、ムラヴィンスキーに近づこうとしたような芸風だが、処理は荒っぽく武骨で、同曲のアーチ構造の頂点に位置づけられる天国的な緩徐楽章においてはスヴェトラーノフの繊細な音表現にはとても敵わないリアリスティックな楽器表現に終始している。録音は悪い。この指揮者は余り長生しなかったがクーセヴィツキーの弟子筋あたりの世代ではなかったか。

Russian Conductors Vol.10 -Vassili Nebolsin / Vassili Nebolsin, USSR State SO, Bolshoi Theatre SO, etc


同曲について書くのはひょっとするとサイト初期以来かもしれない。スクリアビンの最も形式的な交響曲で、既に古い世代となっていたリムスキーらにもおおむねは好感をもって受け容れられたものだが、5楽章制で1,4楽章は続く楽章の序奏となっており、前半と後半がほぼ同じ、闘争的な暗い楽想、、、できて最後だけしっかり転調着地してベートーヴェン的大勝利というかなり恥ずかしい(ロシア的な)音楽となっているため、現代においてもロジェストくらいしか演奏せず、当人も恥じて後年は余り好まなかったようである。管弦楽法は正直単調だが下手ではなく、特に楽器法や音色操作には円熟したものを感じさせる・・・それがワグナーの模倣であったとしても。ピアニスティックな発想というと古い系統に属する弦楽器や木管楽器にはしばしば演奏困難な細かい装飾的音符の散りばめられパズル的に組み合わされたアンサンブルや、楽器毎の性格や音色の違いを加味せず数理的に処理された結果の複雑なハーモニー志向などが挙げられる。スクリアビンの場合、それはもっと素朴な程度で留まっている。シューマンのようなものだ。改訂も加えられていたと思う。スコアは極めて単純だがそれでここまでの演奏効果を与えられるというのは非凡以外の何者でもない。悪魔的な詩という副題をつけられることもある。スクリアビンのシンフォニーとみなされうる作品は全て後年の人智学的誇大妄想スタンスに基づき神秘主義的な題名を伴っており一部は自身による。

ガーシュイン:キューバ序曲(サックスアンサンブル編曲)

○アムステルダム・サキソフォーン四重奏団(brilliant)CD

超絶技巧だがいかんせんクラシカルだ。音は透明でリズムは四角四面、テンポも安定しすぎており地味さは否めない。悪くは無いし、アンサンブル的には特殊な面白みはあるのだが、基本的にガーシュイン晩年作品のカリブ的な楽しみは無い。丸にはしておく。

Gershwin : Rhaps In Blue , Cuban OV , etc / Wayenberg , Amsterdam Sax Q

ヴォーン・ウィリアムズ:連作歌曲集「ウェンロックの崖にて」

○マラン(T)ニュートン(P)ロンドン四重奏団(alto)1955・CD

これは原曲より伴奏管弦楽編曲版のほうが美麗で好きだったのだが、年を重ねるうちに若さと素朴さの素直な発露たる室内楽曲としての姿のほうが染み入るようになってきた。管弦楽は大仰で曲の内容をロマンティックに展開しすぎる。原曲ですら即物的なロマンチシズムが原作者に嫌われたのだし。

これは同曲の古典的演奏の一つ。時期的にはブリテンの録音に近い頃の盤だが、こちらのほうが情緒的で自然な演奏となっており聴きやすい。このレーベル、廉価盤ではあるが(廉価盤にはしかしよくあることで)なかなかの隠れた名演をCD復刻してくれており、同シリーズにウォルトンの曲集もある。ロンドン四重奏団は当然あのSP期の楽団とは違う面子ではあるが特徴は薄いにせよいかにもイギリス的な優しく剣のない音でRVWの世界を邪魔せずに彩っている。ピアニストは主張しないけれども曲に音色をあわせてきておりマッチしている。マランはちょっと生臭い。オペラティックとまでは言わないが仰々しさを感じさせるところが若干ある。

でも録音の古さを置いておけば常に脇に備えておきたいと思う、同曲の佳演の一つと言える。

Vaughan Williams -Anniversary Collector's Album / Various Artists

そうなんだよね

http://slashdot.jp/article.pl?sid=09/03/13/0529258


若者はMP3の「雑音」がお好き?
hylomによる2009年03月13日 15時46分の掲載
キンキンした音が嫌い? 部門より。

あるAnonymous Coward 曰く、

スタンフォードのJonathan Berger教授は毎年新入生にMP3や、より高品質な形式で録音した音楽を聞かせどの音源を好むか調査しているそうだが、年々若者はMP3を好むようになっているとのこと(本家/.記事)。

実験ではオーケストラやジャズ、ロックなどの音楽を生徒に聞かせているが、教授は当初生徒が圧縮されていない音を好むと予想していたそうだ。しかし圧縮されていない音より、またプロプライエタリなウェーブレットベースやAAC方式よりもビットレート128、160、192で再生したMP3の方が好まれたそうだ。ロックを聞かせた場合にはビットレート128のMP3が最も好まれたとのことで、教授が6年に渡り実験したところ、シンバルの音などエネルギーの高い音楽で特にMP3が好まれるようになっていることが分かったそうだ。


~これ単純じゃない話で、経験・刷り込みと好み、ジャンルや楽器の親和性以外にも、人間の聴覚のメカニズムの奇怪さがあるように思う。ライウ゛より録音がいい場合が稀にある。出来や環境やリマスタリングの問題だけではないかも。

ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1951/12/1live・CD

ジーグと遊戯の組み合わせというのは何度もやっているようである。しかしこちらは同日録音と思われるのにジーグに比べ音が(更に)悪い。ノイズが気になる。演奏自体はDAの別日とされるものと大差なくて、疑問符がなくはないが、遊戯に前衛的な音表現を求めずあくまで舞台上の動作を楽しむ劇伴として聴くには楽しいバレエ的表現となっている。モントゥのドビュッシーはライヴが格段にいい。○。

Pierre Monteux in Boston - A Treasury of Concert Performance 1951-1958; Haydn, Schubert, Schumann, Tchaikovsky, etc

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅰ.ジーグ

○モントゥ指揮ボストン交響楽団(WHRA)1951/12/1live・CD

これがDAの別日と言われる音源(録音状態は向こうのほうが格段に悪いがこちらも良くは無い)と似ている。ただモントゥなのでほんとに同じ演奏を何度もやることができたということだろう。オケがちょっと強すぎる感じがする。必要以上の音色表現、音量、アグレッシブさは所謂往年のアメリカオケらしく、下品なところが特にこのような「生臭さ」の払拭しきれない曲では強調されて聴こえてしまう。明瞭にスコアどおり彫刻されすぎている感もある。しかし、楽しかった。○。

Pierre Monteux in Boston - A Treasury of Concert Performance 1951-1958; Haydn, Schubert, Schumann, Tchaikovsky, etc

シマノフスキ:交響曲第2番

○フィテルベルク指揮ポーランド放送管弦楽団(POLSKIE RADIO)1951live・CD

別録音とは較べ物にならないほど生々しい音質で、そのぶん荒っぽさも引き立っている。もちろんこちらをお勧めするが、人によっては枝葉末節が気になって曲の全体構造に気がいかないかもしれない。マイクがより近く、冒頭のコンマスソロからして大きく捉えられすぎており、生臭い前時代的な半音階旋律と、ベルク的な清澄な大胆さを兼ね備えた音響的表現の融和した独特の表現が、強引でごり押しの指揮演奏によって繊細なバランスを失い、依然ロマン派交響曲ではあるものの、金属のぶつかり合うような軋みがそこここに聴こえる、寧ろ聴きづらさと捉えられる部分もある。いずれにせよこれはフィテルベルクの盟友の純交響曲における最高作のライヴ記録であること、それだけで価値はあろう。○。

Polish Conductors -Grzegorz Fitelberg / Grzegorz Fitelberg, Polish Radio National SO, Eugenia Uminska

シマノフスキ:交響曲第2番

○フィテルベルク指揮ポーランド国立交響楽団(LYS)1947/11/2・CD

時代なりとも言えないくらい茫洋とした音だが荒々しいこの指揮者の粗雑さが和らげられ「融合的な音響」が形作られており、調和して聴きやすく、より楽曲自体の本質と思われるものが見える録音となっている。これを聴いて思うのは必ずしもリヒャルト・シュトラウスではなく寧ろフランツ・シュミットの趣味に近似しているということである。もちろん実験性の方向(後者は楽曲形式的・和声的な実験にのみ向かっていたように見える)や嗜好性の違いはかなり大きいし、オーケストレーションにはおのおのの独特の部分がある・・・ピアニストであったシマノフスキのほうが細かく構造的密度が高くチェリストでもあったフランツは旋律とそれに寄り添う和音進行にのみ集中しているように聴こえる・・・が、ともに同じ空気を吸った、ロマン派の末期の水をとるような生暖かい雰囲気はなかなかである。

オネゲル:交響曲第3番「典礼風」

○ザッヒャー指揮バーゼル交響楽団(PAN CLASSICS/ACCORD)CD

オネゲルの「人受けを狙った作品」はずるい。とにかくこの人、職人なので芸術と商売のバランスの重要性を熟認しており(六人組出身ということもある)、音楽は「聴かれなければならない」という・・・普通の音楽ファンにとっては当たり前のことなのだが・・・大前提をもって、このような「あざとい」作品を作り、同業者に揶揄されたりもした。結局現代においてその中途半端な立ち位置ゆえか、演奏「されない」のだが、それでも学生団体や室内合奏団のようなところは密度の高い書法に惹かれるのかやらないわけではない。極東の島国においてそういう状況であるのだから案外本国近くでもやられているのではないかと推測する。

そのあざとさは晦渋に聴こえてそのじつ、「情緒的な作曲家である」バッハの模倣を基調にしっかりした旋律を徐々に出していって最後にはこれもよく指摘されるところだがRVWの「無難な音楽」に近似した美しい牧歌を、「希望」という看板を掲げて歌い上げ、形式的に再びバッハに戻りはするものの、最後には木管の響きに2楽章の情緒の再現をもって印象的に終わる。

ザッヒャーは即物的な処理が向かないと思ったのか個人的な思いいれのせいか、似つかわしくないくらいロマンティックである。といってもテンポ・ルバートや表情記号の過剰な強調をなしているわけではない、音色への配慮が繊細で、機械的なアンサンブルをやかましく聞かせるのではなく、十分に入り込ませるような壮大な表現になっている。むやみな構造偏重ではない。そもそも構造なんて一寸聴きで感じるほどには複雑ではないこともある。無難にも感じるし、現代の他の演奏家のものと置き換え可能な範囲のような感じもしなくもないが、それでも何かしら残る演奏。やはり二楽章の表現の美しさが肝要なのだろう・・・○。
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