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グラズノフ:コンサート・ワルツ第2番

◎スヴェトラーノフ指揮ボリショイ国立歌劇場管弦楽団(brilliant/melodiya)1961/5/27live・CD

1,2番どちらかを◎にすべきと思ったのだが、目覚しい個人技から強靭な合奏力を発揮して効果的な演奏に仕立てているこちらを◎とした。共にモノラルではあるもののbrilliantでは残響付加によりほぼ擬似ステレオ的に聴こえるので、楽しむのに不足は無い。同時期このオケが実質どこだったのかわからないが管楽器群が非常に強いことを伺わせる。弦楽器には雑味があり、残響でわかりづらくはなっているものの「ライヴなり」の出来であったことは想像に難くない。しかし力感はありプロとしての最低水準は当然大きく上回っている。もう既にスヴェトラのグラズノフになっており、分厚い響きはソビ響末期に比べ充実した聴感を与える。グラズノフの曲は一言で言えばマンネリズム、系譜的には19世紀帝政ロシア末期の二大流派を統一しただけの(さほど巧くは無いかもしれないが)教科書的作風で、特にハーモニーの感覚が鈍重でチャイコよりも古く魅力に欠けるが、補って余りあるメロディの魅力があり、それが最も発揮されるのはこういった小品である。◎。
スヴェトラーノフ・エディション(10枚組)
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グラズノフ:コンサート・ワルツ第1番

○スヴェトラーノフ指揮ボリショイ国立歌劇場管弦楽団(brilliant/melodiya)1961/5/27live・CD

グラズノフは結局バレエ音楽で本領を発揮した作曲家ではある。だから舞曲は巧く、書法の緊密さはチャイコフスキーの系譜を継いでいるし、旋律やオリエンタリズムといった「客引き要素」はクーチカの系譜を継いでいる。1,2番のどちらが名曲かといって、2番のほうがソリストの見せ場も合奏の見事さも表現しやすいものの、冒頭からのメロディだけで1番を勧める人がいるのはせんないことである。私も勧める。スヴェトラの演奏ぶりはまだ個性をがっと押し出してくるものではなく同時代では寧ろ現代的とも言えるものだったと思われる。しかし後年露骨にあらわれる煽るようなテンポ操作と微細なアゴーギグの操作法は既に会得されているようだ。オケの弱さや雑味もホール特有の残響(と更に音盤にて加えられた残響)によってよくわからなくなっている。巧く再生された録音であり、私はちょっとこのホールの生ぬるい残響は好きではないのだが(MELODIYAのステレオ録音でおなじみの向きも多かろう)、brilliantの硬質な整形音には向いているかもしれない。

スヴェトラーノフ・エディション(10枚組)

スクリアビン:交響曲第2番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(lanne:CD-R)1985/5/19ウィーンlive

ゴロワノフ以来のスクリアビン指揮者と言えるスヴェトラ、しかもその同曲演奏における最盛期と言える時期の西側エアチェック音源だが、録音が茫洋とし悪いのに加え演奏も覇気が感じられず精細に欠ける。もちろん白眉たる3楽章(中間楽章)の美しさといったらrussiandiscのライヴ録音(近年限定廉価再発されたボックスに収録)に匹敵する法悦感を漂わせるものだが、スヴェトラ本来の前へ流されずフォルムを明確に設定してしまう理知的な部分が出ており、オケの内圧が高まって暴発するような箇所はいくつもある曲なのにいずれ余り響いてこず迫力に欠ける。オケが萎縮しているようなさまは解釈の恣意性を際立たせてしまい、終楽章のゲーム音楽のような盛り上がりの演出が空々しく、まるで外様オケを振ったような、一瞬N響かと思うような変な固さが気になった。ペットの長い音符にスピットピアノから異様なクレッシェンドをかけていたり、こういうところは薄い書法のせいもあるのだが、何かしらの「勢い」が維持されていないと小っ恥ずかしくなる。聴衆も曲を知らないらしく第一部最後で拍手が入ってしまう。若干戸惑い気味でも少しだけブラヴォが入る。無印でもいいのだが恐らく録音の問題がかなりあると思うので、○にしておく。

それにしてもロジェストも早くから振っていて録音も早かったんだけど、今やスヴェトライメージがついてしまった。

ペンデレツキ:シンフォニエッタ

○作曲家指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(DIRIGENT:CD-R)2008/8/26live

大して知らないのに書いてしまうのが私の傍若無人なところだが売りでもあるので勘弁。小交響曲的なまとまりはさほど感じない。ルトスワフスキとかと同じような、バルトーク晩年の日寄った作品を思わせる民族舞踊を激しいリズムで叩き出す作品であり、演奏もまたそういったもの。余り惹かれる曲ではないが前座プロにはふさわしいだろう。○。

ドヴォルザーク:交響曲第8番

○ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(DIRIGENT:CD-R)2008/8/26live

存外素晴らしい演奏で驚いた。基本的に縦ノリのガツンガツンくるドイツ的なドヴォルザークなのだが、音響と構造の整え方は中欧伝統の鈍重で非理知的なやり方とは異なって非常にしっくりくる。ここまで揃えばメカ大好きドヴォルザークが簡潔な書法の裏に忍ばせたもの、独創的な楽器の重ね方、音響的配慮の繊細さ、天才的な対位法、リズムの見事なパズリング、そのへんまで聴こえてきて、ただノリや旋律で押し切る方法が既に過去のものであることを今更考えさせられる。ここにはそういった主知的な観点だけがあるのであはない、この作曲家の民族的作品を思わせる、バルトークのような激しい打音にいざなわれ、決して前には流れないが後ろに引きずられることはそれ以上にありえ無い、3楽章などワルツを強調することはないがワルツとて舞踏音楽なのだから明快なリズムが重要であるし、ドヴォルザーク特有の楽想の躁鬱的転回をものともせず構成する指揮者には曲への信望以上の思い入れを感じさせるパワーの発露が伴っている。オケ含め素晴らしい演奏。ドイツ的なドヴォルザークが好きなら。ブラヴォのような言葉が叫ばれる。○。

ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲

○リフキン(P)スタイヴサント四重奏団(columbia)SP

これもネット配信されている音源だがノイズが烈しく非常に聴き辛い音。よく調和した演奏ぶりは戦前の室内楽団ではなかなか無いアンサンブルとしての技術の高さを感じさせる。ピアニストは主張せずタッチが柔らかい。引き気味ではあるものの必要なところに必要な音があるといった感じで聴き易い。スタイヴサント弦楽四重奏団については言うまでも無いだろう、ソヴィエトで言えばベートーヴェン四重奏団や昔のボロディン四重奏団のような緊密さと色艶を持ち、しかしもっとケレンが無くニュートラルな美観をはなつ。全般この曲にしては地味めではあるが、この曲だからこそ素直で美しい演奏であったと想像できるもの。録音さえよければねえ。○。

メモ:ハリウッドボウルライヴ・ホロヴィッツのラフ3について

余りにデータが紛らわしいので備忘しておきます。ホロヴィッツの独占状態だったラフマニノフのピアノ協奏曲第3番について。


(全部で5本に分割されています)

データ:1951/8/31ハリウッド・ボウルライヴ
ソリスト:ホロヴィッツ
指揮者:クーセヴィツキー
オーケストラ:ハリウッドボウル管弦楽団*

*ここで混乱が生じています。確かに常設オケとしてハリウッド・ボウル・オーケストラは存在するものの、当時の情勢からも、この演奏は夏季に同所で共に活動しているLAフィルが実体です。

従って、下記音源はすべて同じものと断言できます。

レーベル:ASdisc,Music&Arts,NAXOS(配信)等

ま、すべてようつべで聴けばいいんですけど。。クーセヴィツキーということもありかなり激しいものとなっています。

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ディーリアス:川の上の夏の夜

○バルビローリ指揮NGS室内管弦楽団(NGS)1927/1・SP

厚くもモダンで洗練された響きの移ろいを、纏綿とした旋律線で繋ぐやり方はまさに前時代の演奏様式ではあるものの、既に指揮者としての非凡な才能が開花していることを垣間見させる演奏。同時代のいろいろな管弦楽曲のアコースティック録音群の平均からすれば抜きん出ている。フランス音楽でもドイツ音楽でもないディーリアス独自の薄明の世界と同化したようなバルビと演奏陣の確かさに納得。録音は悪いが。正規ネット配信中。○。

ブラームス:弦楽六重奏曲

スペンサー・ダイク四重奏団、ロッキア(2ndVa)、ロバートソン(ロビンソン?)(2ndVc)(NGS)1925/5・SP

だんだんとよくなってくるが1楽章冒頭からのぎごちなさの印象を払拭するまでには至らない。ダイクが他でも見せている、旋律のままに伸縮しようとしたりボウイングが弓に支配されてぎごちなく、短い音符にヴィブラートがまったくかからないなどまるでスムーズさがなく、同曲のような旋律重視の曲には致命的である。低弦が聴こえない録音としての難点もあり、いくら後半楽章できびきびした律動性とプロフェッショナルな演奏家としての意地をオールドスタイルの名のもとに示せているとしても、やはり1楽章がよくなくては。移弦の試金石のような曲がブラームスは多いですね。無印。セカンドチェロは恐らく浄夜と同じJ.E.ロビンソンと思われるが表記上はJ.E.ロバートソンとなっている。ネットで非公式に配信されている音源(権利切れではある)。

レビュツキー:交響曲第2番

○ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)LP

素直で個性の欠片もないが、裏を返して清澄で耳馴染みのよい、民族的なのにちっとも灰汁が浮いてこない薄い書法でえんえんと音楽が流れていくのに身を任せているだけで結構もつ。楽想が極端に少なくしつこいにも程があるほど繰り返し繰り返し主題が表われてくるが、ソヴィエト「社会主義レアリズム」音楽の「寧ろ形式主義」に辟易するより、ミニマル音楽を聴くような浮遊感に捉われてくる。ラフリンのモノラル期の特徴である雑味のあるぶん味もある表現が支えている面もあると思うが、このチャイコフスキーともボロディンともつかない、でも全体的にははっきり半音階的な響きのうねりを伴う前期ミャスコフスキーの影響の強い大交響曲の不思議な魅力は、聴いてみないとわからないかもしれない。寧ろ交響詩的だろうか。モダンさが全く無いかと言えばそんなこともなく、それはミャスコフスキーからの影響を更にジョン・ウィリアムズ張りのメタミュージック的に昇華させたようで、作家性が美観を損なわない節度がある。私はコレに比べたらプロコフィエフやストラヴィンスキーのほうがよほど民族臭が強いと思う・・・スコアからは全くそうは見えないだろうけど。○。録音が古い。

ミャスコフスキー:交響曲第25番

○スヴェトラーノフ指揮モスクワ放送交響楽団(brilliant/melodiya)1957/10/9・CD

これは曲がやや弱い。晩年ミャスコフスキーの形式に囚われすぎた作品で、27番のような締まった様子が無くマンネリズムが気になる。ミャスコフスキー特有の濁ったハーモニーや半音階的にうねるフレーズに奇怪な転調が排除され、ただメロディとそれを支える他の要素、といった構成ではどんなに充実した書法でも飽きてしまう。チャイコフスキーを狙っても(狙わされても)チャイコフスキーは越えられない。3楽章制だが、楽想の弱さもあって曲の長さがあだとなっている。演奏はオーソドックスで現代の一流どころの演奏と変わらぬ真面目さ。後年の演奏とはちょっと緊張感が違う。同曲の旧録でスヴェトラ若き日の数少ない記録(スターリンが死んでまだ4年余り)、オケはボリショイ劇場管となっている場合もある。brilliantは包括的にライヴ表記がなされているが、リマスターが非常にしっかりなされモノラルだが残響により聴きやすく仕立てられているとはいえ、想定される原音が良すぎるので恐らく放送用スタジオ録音のお蔵か何かであろう(50年代くらいのソヴィエト録音だと特殊な再生方法が必要になり、そうなると非常に音質が上がることから、完全否定もできない)。brilliantの抱き合わせ商法は一枚頭が安いとしてもどうかというところがあり、このスヴェトラボックスもまとまった初CD化音源は少なく、再発もしくは記録データのみ違う同一音源とごちゃごちゃしたソヴィエトらしい雑曲が占めている。

スヴェトラーノフ・エディション(10枚組)


新録(全集収録)
Miaskovsky: Complete Symphonies & Orchestral Works / Evgeny Svetlanov, USSR State SO, Symphony Orchestra of the Russian Federation


単品
Myaskovsky: Symphonies Nos. 1 & 25

マニャール:交響曲第3番

○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(CASCAVELLE)CD

非常にアカデミックな作風で踏み外しの無い曲。ずっと洗練されてはいるけれど、1楽章と2楽章の大半はしょうじき凡庸な亜流ロシア国民楽派(しかも中欧ロマン派交響曲+ワグナー派の影響を受けた)。民謡主題の扱いや和声展開のごく一部に師匠ダンディからの影響が新風を吹き込んではいるものの、個性的な新しさ・・・大して新しくは無いが・・・といったら終楽章の旋法的で謎めいたフレーズの交錯まで待たなければならない。フランク的な3楽章制で形式主義的ではあるが、厳密ではなく曲内容的にはアーチ構造の効果はさほど感じられない。2楽章で楽天的に派手に盛り上がるのは奇異でもある。書法は緻密で対位法の見事さといったら100点の答案のようであり、さすが「センセイ」である。アンセルメは国民楽派音楽もよくやっていて、ボロディンが有名だが、案外理知性が際立たない気を煽るような録音も残している。もっともロシア人がやるたぐいの気の煽り方はせずリズムを引き締め響きを整え、風通しのいい演奏に仕立てていく。この曲も国民楽派交響曲的に普通に楽しめる出来となっている。2楽章などなかなかのボロディン風味である。曲的にはまったく興味を惹かれないが、演奏の出来含め初心者向きではあろう。○。DECCA録音とは別との説があるが個人的に確かめる手段も気もない。

アイヴズ:ピアノ・ソナタ第2番「コンコード・ソナタ」

◎J.カークパトリック(P)(COLUMBIA/iTunes)1945

使徒カークパトリックによる同曲の初録音盤。譜面のとっ散らかり含め難解な「曲」を史上初、弾けて聴ける形に校訂しただけあり・・・協会が出来て決定版が出るまでは交響曲すら氏の手書きスコアのコピーが通用していたくらい「貢献」しているのだが、改変と言える部分も多く、この曲の(必須ではなかったと思うが)フルートやヴィオラを省いた主観的な校訂も批判の対象となった・・・密度の高い音楽の細部まで非常にこなれた演奏に仕上がっている。(後補)2016年現在itunes配信されているとのこと。

ライヴ感に溢れ、アーティキュレーションが強く付けられており、テンポ・ルバートも自然ではあるがかなり派手目で印象的だ。ロマンティックな起伏ある流れや美しく感傷的な響きを強調することで非凡なるアイヴズの才能の唯一の欠点「人好きしない」ところを補うことに成功している。完全にミスタッチに聞こえる(しかも細かくたくさんある)重音が随所に聴こえるはずなのに、ラヴェルが狙った”寸止め”の範疇として受け止められる。衝突する響きとして気にならない。

カークパトリックの技術力も高く表現も的確で、確かに同時代アメリカのルビンシュタイン的な押せ押せドライなピアニズムの影響もあるにせよ、思い入れの強さが心を揺さぶる音に現れている。とくにアイヴズの真骨頂と言える静かな音楽、懐かしくも逞しいメロディ、解体され織り込まれた運命のリズム、南北戦争後・世界大戦前のアメリカイズムを宗教的・哲学的側面から体言した、やはりもう「過去」となってしまった世界を音楽にうつしたものとしてセンチメンタリズムのもとに整理し、表現している。

シェーンベルクと同い年だったか、ドヴォルザーク・インパクトが強かった頃のアメリカである、つまりは完全に前時代の空気の中で活動した人である。ロマンティックな香りや膨らんだスコアリングも無理も無い。この演奏は多分譜面がどうであれアイヴズの内面的本質を突いている。コンサートには行かなくなったけどマーラーの指揮するときだけは出かけたという、そういう時代の人である。ウェーベルン後の無駄の無い抽象音楽と比較して批判するのはおかしい。戦後派ではない、戦後に評価されただけである。

ステレオの薄盤による新録(1968)が知られているが、旧録のほうが壮年なりの力感があり、揺れも小気味よく、アイヴズを前衛と捉えた、もしくは「真面目な音楽」と捉えた後発他盤には絶対に聴かれない世界観が私は好きだ。モノラル。

オッフェンバック:バレエ音楽「パリの喜び」(ロザンタール編)

◎ロザンタール指揮RIAS交響楽団(REMINGTON)

ロザンタールはモンテカルロバレエ団のために上演用としてこの編曲をなし、この演奏も初演に忠実になされたと表記がある。もっともロザンタールにはモンテ・カルロのオケによる新しい録音(NAXOSに入っている)があるので、レミントンマニアでないかぎりこれを聴く意味は無い・・・と思ってびっくり。

いやーオッフェンバックってケルンの近くで生まれたんですよね、ドイツだ。この演奏、余りにオケが中欧色濃すぎて面白いのだ。重い響きや動きがロザンタールの拡散的で明るい音楽と程よく調合され、実に充実した聴感の深みある演奏に仕上がっているのである。RIASがこういうノリ方をするのも面白いし、木管を始めブラスに弦楽合奏、全てがまるでワグナーを聴くよう。フレンチカンカンの後にはいきなりマーラーになってしまう。

だがロザンタールの本領たる・・・録音では今一つ客観的に整え過ぎに聴こえるきらいもあるが・・・「舞踏性」「前進性」が活きている。とにかく積極的に引っ張って、この結局ドイツ的なオケに突進する勢いを持たせ派手な表現を可能とさせている。

曲自体非常に人気があるもので、ロザンタールの編曲も聴き映えする。だいたいオッフェンバック自体軽音楽的な見られ方をしがちだが、オケ本来の特色並びにロザンタールの手腕により、全く下品になっていない。寧ろ同時代の中欧ロマン派音楽からしっかり学んだよく出来た曲なのだなと思わせる。ちょっと吹くくらい真面目な演奏表現もあるが、抽象音楽として愉しむにはうってつけの演奏。

Offenbach, Rosenthal: Gaite Parisienne/ Offenbachiana/ Rosenthal, Monte-Carlo PO


Offenbach arr Rosenthal: Offenbachiana

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バックス:弦楽四重奏曲第1番

○マリー・ウィルソン四重奏団(NGS)1930/4/15-16・SP

この時期の録音特有の奏者のぎごちなさ窮屈さはあるものの、曲紹介には十分な演奏ではある。バックスは技巧的な表現を駆使することがままあるが、この曲でもファーストは酷使というか名技性を発揮させられる。何せ1楽章なんて殆どボロディン2番とチャイコのカルテットを混ぜて英国民謡で換骨奪胎したような曲だし、スケルツォなんて殆どドヴォルザークのアメリカなので(強いて言えば全曲そうなのだが)ファースト偏重傾向や構造的な限界を感じさせる。とはいえバックスの特徴はそこにウォーロックや(当たり前だけど)アイアランド前期のような前衛的な要素をスパイス程度に絡めてくるところで、この作品ではまだまだドビュッシーからしか「採集」できていないような感もあるが、東欧からロシアの国民楽派室内楽が中欧の影響を払拭しきれず鈍重さや野暮ったさから脱却できなかったのと比べては、軽く美しい印象をのこし、前進することに成功しているように思える。RVWのように露骨にフランス罹るのでもなくディーリアスのようにハーモニー頼りのややバランスの悪い民謡室内楽に仕上げるでもなく、特有のものの萌芽を感じ取ることができる。演奏の無難さと録音状態から無印でもいいんだけど○。

ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ

◎グリンケ(Vn)マリナー(P)(DECCA)LP

この底から響く深い音で初めて曲がわかった。メニューヒンでは音が明る過ぎたのだ。献呈者による演奏だが、二楽章の不恰好な変奏曲も変奏としてではなくひとつひとつの音詩として解釈し、最後に変奏であったことを思い出す程度の表現をすることによって、新古典派の影響を受けて以降型にはまったような書法に縛られるようになる作曲家の本質的な美質を別のところにしっかり構築し直している。ソリストとしての技量は高く、殆ど本国でしか活動しなかったため知名度は無いが数々の同時代の作曲家の献呈を受けていた「英国的なヴァイオリニスト」(フレッシュとブッシュの弟子であるが)の面目躍如たる大人の演奏をきかせる。サモンズとは別の音色の落ち着いた華麗さがある。同じ曲なのか、と思うくらい・・・それはDECCA盤の重量感がそう聞かせているだけかもしれないが・・・転脳を余儀なくされた。まったく、楽譜から入ると誤解したまま演奏を評するようになるなあ。というか、名曲ではない佳作程度の作品は往々にして積極解釈を施さないと意図通りの音楽として聞こえないものである、だからファーストインパクトは重要だ、と改めて思わされた次第。ちなみに曲の説明は面倒なのであんまりしないけど、RVW後期もしくは晩年の作風に拠るやや晦渋な新古典的作品、とだけしておこう。◎だ。

バルトーク:バレエ音楽「中国の不思議な役人」

○プレヴィターリ指揮ロイヤル・フィル(HMV,EMI)LP

引き締めるところは引き締め、派手に鳴らすところは派手にガシャンガシャン鳴らすプレヴィターリの音楽はこの曲によくあっている。野蛮主義的な側面のほうに耳をそそられる演奏で、ただ書法を抉り出すたぐいの演奏ではなくあくまで舞台演劇的なわかりやすさが通底しており、鋭いエッジの立った表現にも節度があるのはこの人らしいところだ。耳が痛くなった。もっと柔らかい演奏のほうが好きだけど、こういう音楽なのだろう、○。

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ストラヴィンスキー:花火

○プレヴィターリ指揮ロイヤル・フィル(HMV,EMI)LP

プレヴィターリにしては鋭さが足りない気もするが、反面プレヴィターリにしては派手で拡散的な演奏ではある。ちょっと緩緩に思えたのは曲のせいもあると思うけれど、この曲には名演も多いので、刺身のツマ的に付加されたトラックとしてみておくべきだろう。○。

ヴォーン・ウィリアムズ:二台のピアノのための協奏曲

○ホイットモア&ロウ(P)ゴルシュマン指揮ロビンフッド・デル・フィラデルフィア管弦楽団(RCA)LP

RVWはピアノが不得手という近代作曲家には珍しいタイプの作曲家で、ピアノのための曲を書いていなくは無いがきわめて単純な旋法的書法に拠り、専門ピアニストがレパートリーとするにはいささか物足りなさを感じさせるような代物だ。壮年期のものには旋律の平易さとハーモニーの美感に特有の魅力があるため、それが何故弦楽器ではないのか疑問に思う部分もあるにせよ、私は好きである。この曲はまだ「才気だけ」で曲の書けた頃のRVWが、「美しいだけ」の音楽から脱却しようとした境目にあたる「ヨブ」と同様の作品で、原曲のピアノは一台だけである(殆ど演奏されない。二台使うには音数が少なすぎるがそういう問題ではない・・・ほらピアノ不得意でしょ)。いずれの曲も後半突如デモーニッシュで構造的になるが、これらのうちはまだ生温く、4番交響曲をもって諧謔性を含むヒンデミット風の新古典主義に移行することになる。この曲は比較的よく受け取られ、書法上参照されたと思われるバルトークから民族性の昇華の面で賞賛も受けている。

RVWはしかし真面目な作品となるとどうも単純で美しく描いてしまう。反面シニカルさを表現しようとすると、緻密さに欠けるところもあって、通り越して滑稽に聴こえてしまう。もともとそういうコミカルな部分を聴かせようという意図もあるのだろうが、結局演奏家が取り組むとなると大真面目にやってしまうものだから、楽想に脈絡の無い「ちぐはぐな曲」という側面が強調されてしまう。だから演奏機会が少ないのだろう。でもこの曲の大半は美しくあろうが滑稽であろうが非常にRVWらしい表現の魅力に満ちており、ただ身を浸らせたくなるような部分は多くある。ウォルトンの「オブリガード・ピアノと管弦楽のためのシンフォニア・コンチェルタント」もピアノ向きではない作曲家のぎごちないピアノ協奏曲として記憶される曲だが、聴感も割とこの曲と似ており、旋律やハーモニーの素直な魅力という点ではもっと演奏されてもいいものだ。

同デュオは主として20世紀前半から中盤に活躍し若々しい録音を数多く残している。演奏スタイルはデュオとは思えない融合振りで技巧的にも高いものを感じさせるが同時期主流だったアメリカ的なドライさはそれほど際立たず、でもやっぱり即物傾向はある。音色は特に特徴的ではない。ゴルシュマンは編成を小規模化したため弱体化したオケをそれでもしっかり取りまとめ、モノラルであることも手伝って求心力の強いアンサンブルをこうじている。拡散的で長ったらしい曲に対しこのソリストたちとバックオケはばらけることなく一貫した強い演奏スタイルを貫いており、RVW節では英国風の中庸に軽い響きでかなり意図に肉薄したものを作り上げられていると思う。曲の魅力を汲んだなかなかいい演奏であり、良い復刻が望まれる。webで聴ける模様。

ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲

○バートレット(HRP)バルビローリ指揮NGS室内管弦楽団(NGS)1927/1/3・SP

バルビローリ指揮活動初期の録音群のうちのひとつで、前にCD化していたと思うのだが・・・別記したWEB配信元によればバートレットはピアノとの表記があるがハープ。演奏は時代なりの纏綿としたフレージングを多用しそうなものだがそれは世俗的な舞曲の最後だけで、それ以外はテンポ設定もそれほど遅くは無く、音色はいいのだが解釈的には寧ろ無個性にも感じる。特に後年有名となった弦楽器の連綿と繋がるボウイングはここでは聴かれない。SP期ならではのやり直しのきかない、そのあたりの多少のアバウトさは仕方あるまい。全般私は普通に楽しめた。○。
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