マルティヌー:ヴァイオリン協奏曲第2番

○カウフマン(Vn)ルコント指揮ORTF(cambria)1955・CD

録音は悪いがルイス・カウフマン(コーフマン)の無数に残された盤の多くは古いため音が悪いものも多く、中ではいい類か。ヨーロッパ滞在中で、しかもORTFというところがマルティヌーの出自を鑑みても面白い。作品ははっきり転向後のマルティヌーそのもので欧風のロマンティシズムの中にも露骨な折衷性が目立つ。ウォルトンの協奏曲に無理やりストラヴィンスキー初期のバーバリズムや連環する音列といった要素を加えたような冒頭からのけぞらせるものがあり、中欧的なくぐもりを含むロマンティックな音楽の中に開放的なアメリカイズムやフランス派から借りてきたようなフレーズ、新古典的要素の散発するさまが聴かれ、更にオルガン的な分厚いハーモニーを並べるのみの擬古典的書法の横溢(いつものことだが後半部どんどん簡素になってゆく)、終楽章は民族主義的な定番のやり口で、やばいほどに卑近な表現になっている。確かに面白い。聴き応えのある大曲で数十年遡れば大衆曲として残ったろう。同時代にも人気はあったであろうが、後世に残りづらい多産化マルティヌー後期の難点もまたあらわれている。しかし、弦の国の人だけありヴァイオリンの使い方は自然で巧みだ。名技性を求められてただ無茶を注ぎ込むのではなく、こうさらっと書けた人は古今少ないだろう。

依属者エルマンを彷彿とさせる「最後のロマンティスト」カウフマンは艶のある太い音に安定した技巧で友人の作品を盛り立てている。その並ならぬヴィルツオーソぶりに反し、タイタニックに乗り損ねることに始まる波乱万丈な人生は、一応純アメリカ人として市場主義に振り回されたとも言え、ミュージカル・アーツ弦楽四重奏団でヴィオリストをつとめる前後の逸話(無名の叩き上げにもかかわらずクライスラー、エルマン、カザルス、ジンバリストに室内楽団に誘われ名を上げたものの、ピアニストと結婚しソリストとして活動する道を選んだ)に始まるちょっときな臭い話はこちらの死亡記事に詳しい。そのきな臭さの中で「風とともに去りぬ」のソロヴァイオリンとしての「仕事」も含まれているわけだが、LAオケメンバーとしてのハリウッドとの密接な関係が「正統の」ヴァイオリニストと一線を敷かれたこともあり、ヨーロッパに逃げて活動を修正しようとしたものの、最終的には当時の同時代音楽の紹介者としての役割に終始し、大成せずピークを超えてしまった。とはいえミヨーやヴォーン・ウィリアムズなど初演作品の中には同時代の作品として重要なものが含まれ、いずれの録音も贅沢なほど完璧な演奏技巧と表現力に支えられたプロフェッショナルなものである。膨大な放送演奏に魅せられた記憶のある聴衆はLAに戻って後もカウフマンの演奏を求めたというが、しかし技巧の衰えを感じてのちはリタイアしてしまった。それが録音方式の変遷と巧く噛み合わず、一般的に評価可能なレベルの音質のものが、四季など「代わりはいくらでもいる」作品しか無いのは不幸なことだ。いずれにせよ近現代作品初演者としてこの名前を知らないのは、もぐりである。コープランド好きならとくに。
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マルティヌー:交響曲第4番

○アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(CASCAVELLE他)1967(76?)/3/15ジュネーブlive・CD

アンセルメは40年代に集中的に作曲されたマルティヌーの交響曲を好み地域初演も担ったが、録音は非正規含めても僅かである。これはモノラルだが残響で聴き易い正規ライヴ音源として貴重だ。戦争終結への喜びに満ちた表現から始まる前半楽章は変拍子が多用されるもわかりやすい旋律に繊細で細かな明るい響き、しかしそれを根っこで支えるのは低音楽器の刻む極めて単純なリズムというところ、ほとんど師匠ルーセルのバレエ音楽を中期交響曲に合成したようなものである。旋律性が強く、書法に一種の限界もしくはダンディやデュカふうの「欧風形式性」を彷彿とさせる古風なものが枷となって働いているため単純さが目立ちすぎる箇所もあり、特に後半楽章にきてやや前衛ふうの硬質な響きが目立ちだしても、突飛な感じはせずルーセル3番の2楽章程度の印象しかあたえず、叙情性はそれを上回り、前衛嫌いのアンセルメはやりやすさも含めて同時代者としての共感を持ったであろうことは想像にかたくない。速筆で薄っぺらな感も否めないもののよく書き込まれた1楽章には魅力が溢れており、アンセルメもまた現代バレエ指揮者としてキレのよいリズム表現に構造の鮮やかな「整理整頓」を加えて、共感に満ちた演奏を繰り広げる。ライヴならではの迫真性とそれでも崩れない美しいオケのレベルの高さに瞠目。○。既出と同じ音源でCASCAVELLEの76年表記は誤りとのこと。


H.Dutilleux: Symphony No.1; Martinu: Symphony No.4 / Ernest Ansermet, SRO

ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容

○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(orfeo他)1958/9/29live

ボックス収録の一曲で珍しいものだが恐らく既出海賊盤の何度も出たものの一つだろう。海賊盤に比べて音質向上しているかといえばそういうわけでもなく、環境雑音もしくは電気的雑音にも聴こえるようなものがアンプ増幅するとかなり目立つ箇所があり、一楽章の一部で撚れが聴こえるのも少し残念。迫力はあり、ヒンデミットというフォルム重視の作曲家の作品において後年もっとチェリが取り組んでいたらけっこうなものが聴けたであろう残念さを感じさせる「発展途上」の勢いある演奏が聴ける。両端楽章で音線がややはっきりせず奇妙な音階に乗って刻むバックのリズムのキレがやや甘いところもあり、だがそのぶん勢い重視で激しい壮年期チェリの熱意が伝わり、いい意味でも悪い意味でも聴きものか。○。

ラヴェル:バレエ「ダフニスとクロエ」第二組曲

○チェリビダッケ指揮ケルン放送交響楽団(orfeo)1958/10/5live

発売直後に中古が出回ったことでもわかるように海賊版を含めればけっこう再発を含むボックス収録の一曲。私は新品で買いましたよ。しかし、チェリのダフニスはわりと古くても新しくても変わらず、晩年のような重厚長大さは無く若々しい前進力が魅力的だが、冒頭から木管ソロの極めてリアリスティックなはっきりした音表現、オケ全体の響きをあくまで純音楽的な迫力として提示していくドイツ的な表現方法はフランス流儀とはかけ離れたチェリらしいものである。ま、チェリのダフニスはどれも一緒といえば一緒で、orfeoなので案外原音重視でリマスタリングが行き届いていないゆえ、このての固く重いラヴェルが好みではない人には向かない。

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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

○ライナー指揮クリーヴランド管弦楽団(WHRA)1945/1/14live・CD

WHRAは本格的に往年の放送音源を集成し始めたらしい。これもアメリカ国内流通は禁止なのだろうか、しかし主としてDAが出していたへっぽこ音源をより質よく(恐らく放送ライヴ如何にかかわらず原盤?)データも正確に出しているらしい、ライナーにかんしてはこれは第一巻となっているので、マイナーレーベルにありがちな第一巻で終了ということのないようにしてほしい。クリーヴランド管弦楽団はセル以降ヨーロッパ色が薄まりすっかりアメリカ五大オケの名にふさわしい腰の軽さと明るい音を売りにできるようになったが、この時代はまさにヨーロッパからの流入組がそのまま音を出しているといった風情で重く迫力のある音で後期ロマン派的な音楽が展開される。ライナーの指示は厳しくキレよく統制が行き届いているが、しかしショスタコーヴィチをやるにあたってトスカニーニふうの乾燥し何の思い入れもないような表現には陥らない。抒情的な悲歌の1楽章を含めて非常に娯楽的な演奏でもあり、そこが逆に「ソヴィエトの偽善に対するシニシズム」を殺している感もあるくらいで、特に終楽章の盛大などんちゃん騒ぎはライナーという「チョッキ幅の指揮者」のイメージを「聴かないで想像している」向きには意外と感じられるだろう。強いて言えばセルよりはフルヴェンであり、そこに計算が行き届いている、といった感じか。もともとヨーロッパ戦線が終結に向かうことへの祝祭的意味合いが篭められて然るべき時代背景である(太平洋ではこれからが地獄だったわけだが)。この演奏はショスタコらしくなくても、ある意味正しい。6番でカタルシスを抱きたいならぜひ。

ただ、録音は悪い。


The Art of Fritz Reiner Vol.1: 1942-1952 Live

ブラームス:交響曲第3番

○エリアスベルク指揮ソヴィエト国立交響楽団(vista vera)1948/4/19・CD

荒々しいオケを相手に引き締まった音楽をひたすらインテンポでドライヴしていくが、両端楽章の強靭でリズミカルな処理の巧さと3楽章のカンタービレの纏綿としたさまが聴きもの。エリアスベルグの叩き出すものはけして大きなスケールの演奏でもムラヴィンスキーのような抽象度を高めた演奏でもなく比較的直球ではあるが、1楽章の弱音部で若干生硬さが出ている以外はとにかくリズム、これに尽きる。設計的に突き詰めたものでもなく、クライバーのような感覚的な処理が活きているように感じた。ロシアの演奏としては特徴的表現だと思う。オケの個人技や力強さ、その半面バラケ味の妙もちゃんと聴くことができる。このシリーズ復刻は音質が比較的よく、値段は多少上がるが興味があれば手に取って損はない。○。もちろんモノラル。荒さからライヴかとも思われるが拍手はなく、メロディヤの性質からいってスタジオ録音もしくは放送用音源だろう。


Karl Eliasberg Conducts Brahms / Karl Eliasber, USSR State SO, David Oistrakh, etc

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第6番

○ボールト指揮ニュー・フィル(bbc,medici)1972/7/7ヴォーン・ウィリアムズ生誕100年記念コンサートlive・CD

ボールトにとってみれば最も掌中に納まった曲という意識はあるのだろうが、いくつもある演奏のいずれもどうも曲の浅さ、しかしRVW自身の灰汁の強さをそのまま表現してしまっているように思える。「映画音楽的」コケオドシを真面目に表現することによる違和感がしきりで、特にそういった書法は前半楽章に顕著なのだが、この「戦争交響曲」が結局戦勝国による確かに「抽象化」された回想にすぎないといった感を強くさせてしまう。

とはいえ首尾一貫した表現を追及するボールトの姿勢は各楽章のがらりと変わる性質を極端に強調して例えば3楽章を娯楽的に派手派手にやっつけ4楽章ですとんと落とすような指揮者とは違った、RVWの意図したところの「抽象性」に挑んだものとして評価できよう。それは3楽章からの流れが断絶されず4楽章の「死の静謐」がきちんとクライマックスとして認識できるよう設計されていることからも伺える。同曲ではこの楽章のみがRVWらしい美しくも哀しいしらべの横溢する印象的な音楽となっているのだが、単純に静かな死として表現するのではなく旋律性を意識した音楽作りは同曲初演後いくつか残されている他の指揮者の録音でも施されているもので、逆にプレヴィン以降これが他の楽章同様「情景描写音楽」としてひたすら低カロリーの「音響」に終始するほうがバランス的にもおかしかったのかもしれないと思う。

演奏的には弦楽器が弱い。楽器数が少ないのではないか(前座のタリスと同じ数でやったのか)?旋律の裏の細かい動きをメカニカルにしっかり律しないとラヴェルの使徒たるRVWの特長が活きてこないのだが、完全にばらけており聴きづらい。タリスではあれほどまとまり音も美しかったのに、ここでは単に薄くて存在感のない下手な弦楽器になってしまっている。ボールト後期のRVWは細部の纏めが甘く太筆描きのような流れでそれを補う、一種ミュンシュ的な力づくの表現がメリットでもデメリットでもあるが、この曲のようにかなりRVWにしては「無理をした」細かく書き込まれた作品では一流オケでも纏めるのは難しかろうし、仕方の無いことかもしれないが。全般オケとしても弱い感がある。○。

Vaughan Williams: Symphony No.6, Fantasia on a Theme by Thomas Tallis; P.Hadley: One Morning in Spring, etc / Adrian Boult, NPO, LPO, BBC SO

ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

○ボールト指揮ニュー・フィル(bbc,medici)1972/7/7ヴォーン・ウィリアムズ生誕100年記念コンサートlive・CD

軽くも美しい響きのニュー・フィルの特質をしっかりしたコントロールのもとに引き出した佳演。ひょっとするとメインの交響曲第6番よりも出来がいいかもしれない。速いインテンポでさっさと進むが抑制されたカンタービレが胸を衝く。もちろんたっぷりケレン味をふくんだ演奏のほうがこの曲の味は出ると思うのだが、本来的には擬古典的意匠を持った曲であるがゆえ、理論家ボールトの手にかかるとこういった表現になる。ちょっとセルを思わせるスタイルである。最後の「返し」の一音が「伸ばし」とちゃんと分離して聞こえる演奏は初めて聴いた。しばらく沈黙ののち静かに拍手が入るのも演奏の印象深さを裏付ける。○。

Vaughan Williams: Symphony No.6, Fantasia on a Theme by Thomas Tallis; P.Hadley: One Morning in Spring, etc / Adrian Boult, NPO, LPO, BBC SO

ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ

○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1950/12/30フィレンツェ・CD

異様な迫力のある曲で、内容のある曲とはこういうものを言うのだろう。同年代の作曲家でも前衛的感覚の鋭さや新しいものへの貪欲さの強い、しかし同じくらい民族楽派としての立ち位置にこだわった作曲家もいまい。冒頭よりやや古風な国民楽派的メロディが続くがフランクからドビュッシーなどフランス派的な響きやフレーズが断続的に現れ、フォーレをエキセントリックにしたような音楽というべきか、思索的な繰言、あるいは短い叫びのようなものが何度も地面に向けて叩きつけられる、形式的なものなど殆ど無視され音楽は盛り上がっていくが、最後はアダージオの闇に沈む。個人的なもののみならず時代性とも切り離せない陰のある音楽で名技性に依ることなく円熟した書法が反映され、何か病んだ自己韜晦的なものも抽象的に昇華されている。演奏はある意味ニュートラルであるがゆえに本質に迫っているようだ。ヴァイオリニストは巧い。ダラピッコラは伴奏として完璧な表現を提供している。

シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番

◎トーテンベルク(Vn)ヴィスロツキ指揮ポツナン交響楽団(VQR)CD

モノラルだがモントゥBSOとの素晴らしいライヴ録音で知られざる姿を見せ付けた名教師若き日の正規スタジオ録音になる。これもまた素晴らしいバックオケに支えられ、ウィウコミルスカを彷彿とさせるアグレッシブなスタイルにやや冷たい技巧派の音であるが、ああいったヒステリックな荒々しさが無く、中期シマノフスキの透明感ある繊細な動きとスクリアビン的な音線・響きの妖艶さの両立するこの曲の特殊性を巧緻に描き出す。とにかく「欠けたところがない」。押しが弱いかといえばそうではなく、トーテンベルグ個人だけでも同曲のエキスパートたるところを見せ付け強靭な流れを作っている。民族性を打ち出した演奏ではないので(この曲に民族性はいらないと思うが)ややロマンティックに傾いたようにも聴こえるが、オケも含めて音が東欧的な鋭い響きをほどよく帯び、決して中欧やロシアふうの重ったるい音楽にはならない。ロヴィツキとは雲泥のヴィスロツキの職人的な腕前にも感服するし、このオケの安定感や丁々発止のアンサンブル能力にも驚いた。

ショスタコーヴィチ:交響曲第1番

○チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(VIBRATO:CD-R)1990年代・LIVE

既出か。インホール録音とあるがそれにしては安定して雑音も少ない。ロシアのカケラもない表現は作曲当時西欧におけるこの曲の受容ぶりがうなづける、是非はともかくモダニズムな側面をきちんと掬い取ったもので、淡色系の音を出す俊敏なオケを相手に、ルーチン的ではあるがだからこそ変なケレンの無い演奏に仕上がっている。拍手も極めて冷静、なるほどチェリの神格化直前だからこそ、実は1番真価が伝わりやすい。1番なんかで9番並の諧謔性を表現できたのはこの人だけではないか。普通にやろうとしても、これはへっぽこになる。○。

チャイコフスキー:交響曲第3番「ポーランド」

○A.ヤンソンス指揮モスクワ放送管弦楽団(MELODIYA)LP

小ムラヴィンスキーの趣のあるヤンソンス父の、若々しくも引き締まった派手な演奏ぶりが楽しめる。三番に名演すくなし、だがこれはその少数派で、本来的な散文性を感じさせず、楽章毎に散漫なメロディが、一つの音列の変奏のように聞こえてくるほど曲を解析しつくしたかんじ。隙間的演目をやる指揮者のイメージもあるが、これもモノラル末期という時期的なものもあるにせよお国録音の殆ど無いものだけに貴重でよい。MRSOはステレオアナログ録音期を含めるとかなりムラがあるオケだが、一部はち切れそうなバラけや突出があるものの、黄金期そのものの充実した個人技も発揮されていて、記録としての価値も大きい。駄々長さがない半面小粒に凝縮されてもいるが、ロシアの音にロシアの残響、しかし西欧的に洗練されたアルヴィット先生のやり方がここではしっくりくる。○。

ムソルグスキー:禿山の一夜(リムスキー・コルサコフ編)

○アンゲルブレシュト指揮ORTF(STEF)CD

モノラルであるが50年代くらいのものと思われる。これがライヴか放送用録音かは不明だが、ノイズの程度から後者である可能性があると思う。ただ音像が安定せず最初はやや聴きづらい。オーソドックスな演奏で、拡散的ゆえに色彩的なリムスキーの書法(によるムソルグスキー作品編曲)の欠点をただ演奏の求心力で剛速球にするのではなく、ある程度拡散性を持たせたままにすることで派手さと立体的な書法の面白みを際立たせている。多少はラフであるが。わりと軽い、フランス伝統の禿山と言うべきかもしれない。フランス人に禿が多いと言っているわけではない。○。

エネスコ:ルーマニア狂詩曲第2番

○作曲家指揮コロンヌ管弦楽団(REMINGTON)LP

「1番2番の法則」というのがある。2曲組という管弦楽曲は多いが(交響曲でもエルガーやカリンニコフという例がある)、おうおうにして1番が出世作もしくは結果として当たった作品、2番が作曲家本人にとっての意欲作もしくは1番人気に乗じての作品となるため、客受けはあざとさのつぎこまれた(時には受けるために本来やりたくない方法まで使った)1番のほうが圧倒的な場合が多い。くらべ2番は技巧に走っているとか1番ほどの強い霊感が働いてないとかいうことになり、その法則はエネスコのこの作品でも働いている。

ルーマニア狂詩曲は1番が大受けしたからこそ2番が作られた。1番ほど「掴み」が重視されておらず(1番2番の法則における1番の特徴として「冒頭から速攻で鷲掴みにする(メロディや派手な音響・リズムで)」点が挙げられる)、しかし簡潔巧緻な書法でラヴェルの同窓生だったことを少しだけ思い出させる現代的な部分があり、楽想的にも1番にひけをとらない。ただ構成的に「落ち着いている」だけである。演奏は1番より心なしか大人しいが、しかししっかり民族性を打ち出したもので、エネスコが他者の作品で見せる生硬な指揮ぶりは解消されている。○。

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エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番

○作曲家指揮コロンヌ管弦楽団(REMINGTON)LP

これはCD化していたかどうか記憶が定かではない。作曲家エネスコ一番の「当たり」作品で現在も頻繁に演奏される。前座プロとして丁度いい長さと客受けする民族舞踊的要素を兼ね備え、前衛性は2番に比べて皆無と言っていいか。コロンヌでピエルネが初演したのではなかったか、だからこれは初演団体による自作自演ということになる。エネスコは民族色全開で荒っぽい音を出させ、ラフになるのも厭わず、しかし娯楽性を煽る方向にも行かず真面目な態度で感興を引き出そうとしているかのよう。このLPは何度か組み合わせを変えて再発され(1,2番ばらばらでもあり)、他レーベルにても再発されている。

ダラピッコラ:二つの習作

○マテラッシ(Vn)作曲家(P)(stradivarius)1958/1/21フィレンツェ・CD

タルティニアーナ2番のあとに録音されているが寧ろこの作曲家らしいウェーベルン的な前衛性(?)と簡潔な新古典主義を両立させたもので、短いが聴き応えはある。演奏はややロマンティックかもしれない。荒々しさも兼ね備えた民族性のようなものも感じさせる。ここでのソリストは巧い(ピアノはそつなく巧い)。モノラル。

ダラピッコラ:タルティニアーナ第2番

○マテラッシ(Vn)作曲家(P)(stradivarius)1958/1/21フィレンツェ・CD

イタリアの国民的作曲家にしてフィレンツェ音楽院ピアノ科教師として長らく教鞭をとったダラピッコラであるが、このアルバムにおいては伴奏ピアニスト指導者としての腕を見本のように提示しており、「主張はしない」が「存在ははっきり」した演奏振りである。戦後作品で明らかな擬古典志向を打ち出した作品であり、メロディも明確でまるで戦前に逆戻りしたような印象を与えるほど古風で簡潔なものである。まあ、無難だけど聴きやすい。演奏はオーソドックス。モノラル。

ストラヴィンスキー:ヴァイオリンとピアノのためのデュオ・コンチェルタンテ

○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1952/4/3フィレンツェ・CD

楽章ごとの性格別けがきちんとできていて、新古典というより擬古典に近いストラヴィンスキーの書法を、よりこなれた表現によってわかりやすく提示する。ここでも作曲家ダラピッコラはまるで簡単な曲のようにはっきりそつなく、ヴァイオリンもここでは安定した技術で噛み合っている・・・丁々発止ではないが。モノラル。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1958/4/28フィレンツェ・CD

1、4楽章など技術的にやや不安定なところもあるが、おおむねオーソドックスで楽しめるソリスト。50年代らしいオールドスタイルなフィンガリングに音色もまじえるがそれほど際立たず、かといって無個性でも無機質でもない。悪く言えば半端かもしれない。ダラピッコラのピアノはそつなく、難しい曲も簡単に聴こえる。はっきりした発音だが特にタッチに繊細な配慮があるでもなく無造作と言うほど下手でもなく、デュオとしてはあっているのかもしれない。アグレッシブさはあり、オーソドックスに楽しめる演奏。モノラル。わりと柔らかい音で聴きやすい。

エルガー:序曲「コケイン」抜粋(偶発的ステレオによるサイド3)

○作曲家指揮BBC交響楽団(HMV,EMI/NAXOS)1933/4/11・CD

面白い企画であると共に信じられないノイズレスな擬似ステレオで自作自演を愉しめるもの。NAXOSのボーナストラックで一部違うマイクで拾っていた音を最終版録音(全曲録音)の同部分と合成して作成されたもので通常の擬似ステレオとは違いかなり「正しいステレオ録音」に肉薄している。それは楽器位置はめちゃくちゃだがモノラルを擬似化したような残響付加ではなく、不思議なのはノイズすら無くなっていて、5分弱ではあるがその長さがまたエニグマの1変奏を聴いているような丁度いい長さである。個人的にエルガーの曲は選り好みするほうだが、代表作といっていいコケインはその範疇外にもかかわらず、余りの音のよさに愉しんでしまった。タイムマシンに乗っているようだ。そして、BBCは上手かったのだ。エルガーの老齢にも関わらず厳しくしっかりした指示にきっちりつけているようで、同時代の他指揮者の録音にありがちな緩い気に比べ前進力と構成力の感じられる立派な演奏になっている。この時代のステレオ実験録音というとストコが行っていたらしいが未聴。
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