ストラヴィンスキー:組曲「ミューズを率いるアポロ」

○ボイド・ニール指揮ボイド・ニール弦楽合奏団(decca)SP

どことなくイギリスっぽい感傷性のある演奏で、ストラヴィンスキーには少々似つかわしくないスタイルかもしれない。擬古典的なこの作品にふくよかなロマンチシズムを持ち込むと何故かヒンデミットのように聞こえるなあ、とおもいながら結構聴けてしまった。余り個性や集中力を発揮した演奏ではないが、聴きやすい。響きはアイヴズ中期みたいだなあ。ということはシェーンベルク。うーん。いややっぱり、ストラヴィンスキーとアイヴズは縁深いのだ。
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(TAHRA)1956/9/19シャンゼリゼ劇場live・CD

かなりリマスタリングが効いていてノイズが無い反面、やや音域がカットされ狭い聴感がある。音粒が立たず細部が不明瞭になるのは元音源のせいだろう、リマスタリングが良すぎて聴こえないのが不思議に感じられるのだ。ミュンシュの凱旋公演みたいなものでいつもの即興的な盛り上がりは無く、落ち着いた精緻な表現が特徴的。1楽章などねっとり丁寧で、ドビュッシーらしい響きが明瞭に研き出されているのが意外でもあり、ミュンシュの芸の幅を感じさせる。格調が高く、2楽章の一部を除けば崩れて走るようなこともなく、ただ、ちょっと格調が高すぎるかな・・・とも。オケ側の表現力や技巧がどこも素晴らしく、フランスへの挑戦ともとれるような完璧に近いものでこれもミュンシュにしては面白い。いつものミュンシュを期待するとやや遅すぎると感じるかもしれないが、これはこれでいかにもフランスなミュンシュ、ということで。ひさびさtahra買ったが高いなあ。○。

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オーリック:バレエ「水兵たち」組曲

○E.クルツ指揮ヒューストン交響楽団(columbia)LP

サティ(パラード)でぶっ壊れた頭を優しく治してくれるB面曲、ディズニー漫画のような曲。エフレム・クルツは巧緻なオケを繰って、50年代的なロマンティックな表現で過不足なき音楽を提供している。飽きないうちに終わる組曲。まあ、オーリックは上手いです。

サティ:舞踏音楽「パラード」

○E.クルツ指揮ヒューストン交響楽団(columbia)LP

まるでチャイコかブラームスのようなパラード。最初はけっこう楽しめるが、ミニマル的書法とデジタルな展開がレガートなロマンティックな表現を拒否し始めると違和感が否めなくなってくる。高音域でハープを交え奏でられる(演奏的には美しい)曲と中低音域でうねるように重厚に表現される曲があいまってくらくらさせ、とくに後者がミニマルではなくマンネリズムと感じられ始めると、早く終わらないかな、という感覚に囚われる。まあ、でもサティなのであり、編成が大きすぎることもあろうし、ロマンティックな表現もある程度は許容できる度量のある曲なのだな、といったところで○にはしておく。

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

○シェリング(Vn)ブール指揮コロンヌ管弦楽団(odeon/EINSATZ)1951・CD

かなり攻めた演奏で我が曲のように自在に操っていくシェリング最盛期の凄みを味わえるもの。板起こしでやや硬い音だが後年のシェリングの冷えた細い音とは違う、「肥えた女性演奏家のような」我の強さが音の太さにもあらわれたものとなっていて、1楽章など小さい音符を思いっきり詰め引っ掛けを多用したりカデンツァを極端に煽ってみたり、不要と判断したのか音の存在はわかるものの殆ど音として認識できないような加速指廻しをしてみたり、まあコンクールならアウトである(コンクールなど盤には無意味だが)。2楽章の印象的なロマンティシズムはシェリングにドイツ的な重みある表現も可能だったことを認識させる。だがロマンティックにはけしてならない。ヴァイオリンの名手だったシベリウス、そのチャイコフスキーの一歩前を行く書法の特徴でもあるのだが、民族音楽的な表現を更に極端に煽るような弾き方をしているにもかかわらず、まったく舞曲風味が出ない。3楽章に顕著である。これは強弱コントラストが強くしかし余り主張してこないデジタルな透明感のある伴奏との併せ技でもあろうが、シェリング自身が後年芸風として確立していく「冷めた音による熱い音楽」の萌芽が既に十分見えていたということだろう。私はこの頃のシェリングは好きだ。ライヴ感溢れる、瑕疵もあるが、なかなかのテンション系演奏。○。

チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」~Ⅱ.抜粋

○ハンブルグ(P)ヘイワード(Vn)エヴァンス(Vc)(HMV)SP

同曲第二部前半の主題と変奏抜粋。SP両面1枚なのでかなりはしょられており、かんじんの終曲が無かったり、取り上げた変奏もカットが多々あるためこちらは不完全燃焼気味。しかし、これは恐らくピアノを前面に押し出した録音であり、実際緩急極端な唖然とする超絶技巧が強い民族性と共に発揮されており、とくに「急」の物凄いテンポや、おのおのの変奏の原曲を思わせる民族的な「揺らし」が、オールドスタイルのロマンティックな解釈としてではなく、厳しい「表現主義」にたった演奏のように聴こえる凄いものとなっている。悪い録音なのとピアノの伴奏的扱いゆえ弦二本はかなり聴こえづらいが、ヴァイオリンはよくつけており、ただチェロだけが時代柄仕方無いのかもしれないがメロメロになっている。テンションの高く、胡麻を撒くようなピアノの素晴らしい指回しだけでも聴く価値はある。○。

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番~Ⅱ.

○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

最後まで落ち着いた表現で、ただファーストの音だけは纏綿として綴られていく「アンダンテ・カンタービレ」。実直とすら思えるテンポ運びは第二主題でも決して変化しない音色と共に、やや平板で時代なりのケレン味を期待したら裏切られるが、「トルストイも泣いた!」というような看板文句をこのさい取り外して、ゆっくり聴けば悪い録音の奥から、何かしら静かに訴えるものを感じ取ることができるだろう。○。

ブラームス:交響曲第3番

○ロスバウト指揮ACO(RICHTHOFEN:CD-R)1950年代

作為的なところや音色への配慮以外に、客観主義的な部分はほとんど感じられないのがロスバウトのライヴだが、この演奏もイメージと実際の乖離を実感させる柔軟なものだ。終楽章で作為的な表現が感じられはするもののおおむね自然で、ドイツ的な重厚な響きよりもウィーン的な軽やかな流麗さすら感じさせるのが更に意外でもある。ただ手兵ではないせいかライヴのせいか、瑕疵が無いわけではなく、相対的に雑に感じられる要素もある。それは録音のせいかもしれないが。良演。

シューマン:トロイメライ(ワイナー編曲)

○レナー四重奏団(COLUMBIA)SP

編曲は1stの独奏にリズムとハーモニーを重ねる伴奏三本というありきたりの簡単なものだが、そのぶんレナーのヴァイオリニズムを楽しめる。オールドスタイルのボウイングにフィンガリングで、ニュアンスがとても懐かしい、今は聴けないであろう「卑近な音楽」が魅力的。音域のせいもあるがヴィオラを思わせる深い音色には金属的なものがまったく感じられず、まさに蓄音機から流れ出すのにふさわしい演奏。主張やアクの強さは無いものの、素直に落ち着いて聴ける、そくっとした演奏。○。

ラヴェル:歌劇「子供と魔法」~冒頭

○サバータ指揮他(COLUMBIA,serenade:CD-R)1948

これブールの録音だと思っていたが「平林先生」のデータによるとサバータだそうで、serenade盤に基づき書き記しておく。さすが音に拘った明瞭で生々しい復刻でノイズも気にならない(注:マニアに限る可能性あり)。サバータの演奏が晩年のラヴェルを魅了した話はわりと有名だと思うが、ラヴェルは確信犯的なドビュッシーよりはましとはいえそれでもけっこう場当たり的な感想を漏らし、それを誰かがきっちり記録していることがあると思う。超客観主義的でスコア至上主義者だとされる反面、「風見鶏」に思えるほどその場その場の実演の「印象」だけで「感動」を示したりもする。トスカニーニのボレロ実演に関する「伝説」がいい例だが、サバータも歌劇場を主戦場とする主情的な指揮者だからラヴェルの作曲家絶対主義とは相容れないところがあった筈。この演奏は非常に短い断片なので何とも言えないが、RVWやサティのソクラートを思わせるアルカイックな単純な伴奏音形より始まり得意のすべらかな和声処理による感傷的な序奏をへて、独唱の意思の強い表現、そして晩年の他作品、とくにピアノ協奏曲の簡潔な書法と不協和的な室内楽曲あるいは独唱曲と共通する運動性やオリエンタリズムを色彩的に描き抜いてゆく。場面転換が鮮やか・・・だがそれをしっかり認識する前にさっさと終わる。全部でどのくらい残っている録音なのか知れない。○。

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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

○パウル・クレナウ指揮ロイヤル・フィル(COLUMBIA)SP

ロイヤル・フィル録音最初期の指揮者の一人。デンマーク生まれオーストリア中欧圏で活動した作曲家でもあり、ブルックナーなどの影響ある交響曲が今も聴かれることがある。やや性急でしゃっちょこばった始まり方をするが、その後は英国的な慎ましやかさを感じさせる、雰囲気のある演奏ぶり。SPは片面ずつ録音されるため、この録音も途中で演奏自体一旦終わり、再開するが、音色も音量も違和感はない。SP的な音の近さリアルさが、ハイフェッツ版ピアノとヴァイオリンのための「牧神の午後」を思い出させた。あれ、かなり変だけど、考えてみれば学生時代はハープトリオのフルートをVnで無理やりやってたような・・・

ありかなしか

何でも集め聴いていては際限がないので、じっさいの購買については一線を設け、そこまでを一応の守備範囲と定めている人はいると思う。私はかなり柔軟になりがちなので、折にふれ振り返り、(あくまで自分にとって)失敗購買や、単なる「希少盤コレクション」に成り下がったような買い方をしているものを認めて、一線を引き直すようにしている。

そこでこんかい現時点での「線」を一部記録しておこう。ノーチェックで「守備外」とする作曲家をあげ、今の自戒としたい。


ブラームス、なし。(クレンペラー盤を除く)
ブルックナー、なし。(クレンペラー盤を除く)
フランク、なし。
ダンディ、なし。
サン・サーンス、なし。
イベール、なし。(室内楽を除く)
オネゲル、なし。
フランセ、なし。(自作自演盤を除く)ランドスキ、なし。
ムソルグスキー、なし。
リムスキー・コルサコフ、なし。(シェヘラザードを除く)
コープランド、なし。(交響曲第三番を除く)
ファリャ、なし。(三角帽子ならびにフレイタス・ブランコ指揮ものを除く)
レスピーギ、なし。(松を除く)日本人作曲家、なし。
バックス、なし。(自作自演盤を除く)
ロドリーゴ、なし。
イタリアオペラ、なし。
ワグナー、なし。
ベートーヴェン、なし。(クレンペラー盤を除く)
メシアン、なし。
ケージ、なし。
チャイコフスキーでチェリビダッケ、モントゥ指揮、なし。
バルトーク、なし。(ピアノ協奏曲第三番を除く)
コダーイ、なし。
スクリアビン前期、なし。
ショスタコーヴィチでコンドラシン、バーンスタイン、ストコフスキ、20世紀中盤までのロシアないしフランス系指揮者以外、なし。
プロコフィエフ、なし。(テンション系指揮者、ならびに室内楽を除く)


(書きかけ)

アルボス:ボレロ

○サモンス(Vn)スクアイア(Vc)マードック(P)(COLUMBIA)

どんな時代でも名前の残った演奏家の録音からは一歩抜きん出るものが感じ取れるわけで、室内楽団で知られたサモンズの雄弁さと色艶は圧倒的(技巧は重音など少し怪しい)。曲はファリャ的なセミクラシカルな楽しい曲だが夏の夕べにピッタリの南欧の楽天性がこのイギリスの都会人の指から紡ぎ出されているわけである。うーん、アナログ盤ならではの味もあり。

フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番

○ベアトリス・ヒューウィット・ピアノ四重奏団(HMV)SP

纏綿としたヴァイオリンの音色、含め弦楽器三本の小ポルタメント多用、しかしテンポはぶれず低音が明確で引き締まった表現。ピアノがそれほど派手に活躍しない(=アンサンブル曲としてよく書けた)作品ではあるが、フォーレの真骨頂たる精妙な響きの揺らぎが、この骨董盤からも美しく香ってくる。フォーレは20世紀にはけして前衛ではなく、同時代のサン・サンの折衷的大胆さに近い程度で、ドビュッシーらが追い越して回顧する相手ではあった。フォーレのこのての室内楽はとくに弦楽器を使うことで強いロマンチシズムを印象付ける。あくまで旋律音楽であり、ユニゾン進行や転調の新しさといったよく言われる要素は「過剰な臭み」を取り去り、自然に聴かせるべく感覚的に書かれているだけのようにすら思える(じっさいそれら手法もフォーレの創出したものとも言えない)。構成感は伝統的で旧来の国民楽派室内楽より保守的なくらいだ。だが、ここまで古い録音であっても、演奏スタイルが古風であっても、煌めきと清らかさを失わないのは確か(イギリスの演奏だからかもしれないが)。単純なのに技巧的でプレイヤーを引き付ける、そういったところも含めてフォーレの魅力なのだろう。この盤は強い押しはないがSP期のマイナー盤によくあったダメダメ演奏では決して無い。○。

フランク:ヴァイオリン・ソナタ

ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1959頃・CD

さーて難しい曲、ロマンティックで形式に拘る余り長々しく繰言をし、ヴァイオリンは音の種類が少ないがゆえにどう解釈していくか?一方でピアノが技巧的に主張するから、ここもきちんとアンサンブルになっていなければならない。のっぺり長い音符が不規則な附点音符に左右されるシンコペ主題に象徴される不安定な(スラーの切れ目の無い)ヴァイオリンに対して、絡んでしっかり組み合う必要がある。単なる伴奏でもないのだ。この演奏はアンサンブルという点は非常にしっかり押さえている。だが・・・ドゥーカンの音色や表現が単調で、この長さにこの現代的客観スタイルでは、寝てしまう。しかも気持ちよくて寝るのではなく飽きて寝てしまう。美しさの起伏のなさ、全部美しい曲ゆえにその美しさの種類をたくさん持っていないとならない、その点で手札のないのがはっきり伝わってしまう。リマスターにも問題があるかもしれない。録音がやや悪く僅かにノイジーでぼやっとした雲に音符が覆われてしまうさまにちょっと首をかしげる。ディジタル化がその雲の中の音符を強引に整形して取り出している、これがどうも耳に馴染まない。フランクの演奏は世にたくさんある。フランスのヴァイオリンの典型のような演奏でもあり品は認めるが、これを第一に選ぶ必要はなかろう。温度の低さも・・・まあこのへんにしといたるか。

ルーセル:ヴァイオリン・ソナタ第2番

ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD

これ駄目だったなあ・・・アナログの印象ではこうではなかったのだが・・・ルーセルの野趣が全く感じられず、透明な音のドゥーカンがただ無機質に譜面を音にしているようで、理解というか解釈というか、そのへんがよく伝わらない。ゆえに非合理的な晦渋さが前面に立ち、現代演奏家がロマン派をやったような、何か変な感じが最後まで続く。ルーセルの表現方法はエキゾチシズムを前提にすることでただシニカルなままで終わらせないのが常道である。前半部分が薄まってしまうと、機械的に攻撃しておいてシニシズムで終わる、ただ厭な奴である・・・って演奏でもないのだが、とにかく耳に馴染まない。頭が痛い。無印。

ラヴェル:ツィガーヌ

○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD

これは異質の作品だけにソナタなどとはちょっと違う。ダラニだったか、ジプシー(と言われる)の民族表現を模したテクニカルな絢爛さをひたすら煽るわけで、人工的な持ち味のドゥーカンはもちろん技術に瑕疵があるわけではないのだが、冷め過ぎていて曲の包蔵する内面的起伏が感じ取れない。スピードも安定しすぎ、ただ技巧を無難に聴かせられた、といった感じ。ラヴェルの本領に寄った表現ということで○にはしておく。

ラヴェル:フォーレの名による子守唄

○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD

雑誌企画モノ(贅沢な時代だ)の小品だが譜面がどっかへいってしまうほどペラッペラな紙におさまる2分半。音列はもちろん無調的、そこへ耳優しい初期ラヴェル風の和声を乗せてオーダメイド臭ふんぷんだが、フォーレ的な音線と響きの紡ぎ方、更に最後は単発の和音だけでフォーレというよりサティになる。まあ、これをブラインドテストしたらサティと言う人は多いだろうな。この演奏家だからこそ特にサティのようなとんがった硬い響きが耳に突き刺さるのかもしれない。曲にあっている演奏。○。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

○ドゥーカン(Vn)コシェ(P)(ERATO,warner/tower records)1960頃・CD

硬質で純度の高い音、フランスのヴァイオリンに多い縮緬ヴィブラートが美しいドゥーカンだが、反面単調でロマン派的な楽曲など長く聴いていると飽きてくる。反ロマン的なラヴェルが最も相性のいい作曲家であったと思うが、中でもこの曲のように世俗的要素を抽象化させて(アメリカ場末的要素をフランス都市部的に昇華させて)メカニカルな構造との融合をはかった作品においては、安定感のあるテンポでジャズ的な自由な雰囲気を無くしラヴェル的な機械的な律動のみを提示し、もちろん解釈のケレン味無さに物足りなさを感じる向きもあると思うが、旋律も和声も相対的には主張せず断片的な提示に終始する同曲では、このスタイルでも十分許容範囲だし、音色的にはまったくマッチしたものである。録音はいいほう。相変わらず一部マニア店ではフランス盤が高騰し、エラートは権利的にしっかりユニバーサルに移管されているから待てば再発もしようものなのに、アナログ高値が続いている模様。エラートも一時よりだいぶ下がったとはいえ店によりけり、こういうレコード会社主導の企画モノは歓迎だ。もっとも、室内楽はデジタルは向かない・・・ドゥーカンのような無機質スレスレの表現者は特に。ラヴェルは確かヴァイオリンソナタというような表記を避け、ソロ楽器とピアノのためのソナタ、のような表記をしていた筈である。従って是はアンサンブル曲であり、器楽曲ではない。ヴァイオリンとチェロのデュオソナタと同じような独特の丁々発止が楽しめる。

ドビュッシー:前奏曲集第1番~10.沈める寺

○バシュキーロフ(P)(MELODIYA)

多分全曲に近い録音を行っているのではないか、バラバラでB面埋めのように出てくる前奏曲集抜粋の中の一曲。これはもうマイクが近すぎることも含め、珍演に近い「豪壮な寺」である。最初こそ美しく(でもリアルに)すべらかに入るものの、次第にスクリアビン末期作品をやるようなふうに熱があがっていき、しまいにはバシュキーロフの叩き付ける最強音が耳をつんざく。気合の余りの荒い息遣い、余りに強い打鍵に白鍵の隣に当たってカチャカチャ鳴る音まではっきり聴こえ、水面こそ油を打った様に静かだけれども、いざ潜ってみるとゴテゴテな大伽藍がカツオの群れの中に威容をはなち、海流がぶち当たって烈しく渦を巻くさまが壮絶、そういったドビュッシーとは程遠い世界を想起させるのである。しかしまあ、ほんと、単にマイクセッティングのせいかもしれないが、優秀録音もあいまってなかなか楽しめる演奏。他の曲はけっこう曲想にあわせて変幻自在なんだけどね・・・技術は完璧。センスが問題か。○。
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