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グリフィス(グリフェス):「4つのローマのスケッチ」OP.7~白孔雀

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1943/2/7LIVE

オールアメリカプログラムをしばしばやっていたトスカニーニだが、これもグランド・キャニオン組曲の前に組んでいたプログラム。曲は生ぬるいオリエンタリズムを盛り込んだ印象派的といえば印象派的な小品で、トスカニーニは決して手を抜かずそつなく仕上げている。余り聴き映えはしない。○。
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シマノフスキ:交響曲第2番

○スティリア指揮ポーランド国立フィル(marcopolo)CD

今でもweb配信販売されている全集の一部。オケはそれなりといった感じで決して上手くない。雑味が多い。曲自体にも演奏が悪くなる理由はあると思う。とにかく前衛的なまでに半音階的な旋律は全て弦楽器を中心とする一部パートが担い構造的に振り分けられることは殆どなくグズグズ、初期シェーンベルクやツェムリンスキーあたりの影響が物凄く強いわりにブラームス的なかっちりした部分が少ない。構成や和声には工夫がありこの曲がウィーンで受けて出世作となったのもうなずけるところはあるが、短いので耐えられるけれども、当時の通常の交響曲並みの長さだったら途中で飽きてしまったろう。ただ新しい音でないと曲の工夫が聞こえないので、数少ない録音という希少性をかんがみて○。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(altus)1960/5/29来日live・CD

録音はホワイトノイズに塗れ決してミュンシュの海として上等の出来でもないのだが、ケレン味たっぷりの表現は揺れ動く海の情景描写としてはうまく機能していてそれなりに楽しめる。最後も爆発はしないが客席反応は上々。○。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live

オールドビュッシープログラムの最後を飾る大曲。引き締まった表現であるがゆえにスケール感が無くなっている感もあり、そこは録音のせいのような気もするが、ここまでの他曲の演奏と比べてそれほど魅力的には聴こえなかった。美しいアンサンブルは最後までその音のきらめきを失うことはなくブラヴォも飛ぶ終演後。○。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲~Ⅱ.祭り

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live

リズム系の楽章になると俄然強い指揮者だ。付点音符付の伴奏が溌剌として、引っかけるような表現は胸がすく。余りにスピードが速くつんのめっていく様子はたまにトスカニーニの演奏で聞かれるものだが、珍しい乱れといえば珍しい(ここでは走ってるとまでは言わないけど)。ブラス陣がやや窮屈か。楽章単独演奏。○。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live

夢幻的な雰囲気をかもす「印象派」の代表作だが、トスカニーニはその霧をウィンドマシーンで吹き飛ばして牧神を叩き起こし、筋肉のビリビリするような緊張感ある踊りを舞わせている。これはこれで一つの見識だ。ただ、個性的だとか、面白いとかはなく、旋律だけが頭に残る演奏。

ドビュッシー:管弦楽のための映像~Ⅱ.イベリア

○トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1948/3/27live

オールドビュッシープログラムの最初の演目として放送されたもの。はっきり言ってこれが現代の明晰な録音で提示されていたら寄せ付けるもののないダントツの名演として一位に挙げることができる。残念ながらトスカニーニの放送音源なりのノイジーさで○にとどめざるをえないが内声部までちゃんと聞き取ることができ、リズムや伴奏音形を担うパートの隅々まで行き届いた配慮が確かなアンサンブル能力と各個の技巧に裏付けされて明晰。ドビュッシーのスコア特有の構造的弱みというのが演奏側の配慮によってまったくカバー可能であることをはっきり示している。ブラスに一部弱みがみられるが弦楽器など脱帽の精度だ。とにかく両端部のリズム!このリズム感は旋律「以外」の声部が如何にしっかり音符を音にできているかを示すものだ。旋律はその上にのっかっていくだけでいい。いや、ここでは旋律も自主的にリズムを主張し、その間に一縷の隙もない状態であるのが奇跡なのだが。。

グラズノフ:交響曲第6番

○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya/venezia)1989・CD

スヴェトラが人生を賭けた壮大なロシア音楽アンソロジーの一部として、ソヴィエト末期にほぼ一発録りで録音されていったグラズノフ交響曲全集の一枚。これが出た当初は期待に反してスカスカなオケの音に当時高額だったCD代返せ状態だったわけだが今聴くとまったくそういうことは感じない。田舎臭いロシアオケを使って現代オケの響きに近い透明感を獲得しようとしたのだと言えば良すぎる言い方だが(スヴェトラの後年の活動を見ると嘘とも言えないと思う)、弦楽器の本数が(理由は何にせよ)減りブラスのソリスト級奏者が抜けているが依然、ロシアオケの馬力と特有の響き(ホール残響や録音含む)は健在で耳障りが悪いわけではない。演奏精度も当時感じたほどに悪いことは全然無い。8番など旧録のあるものは比較してしまうので(旧録も一長一短だ)そういうことを言いだしたくなるものだが、現在のロシアオケの状態を思うと、多少雑味混じりでもそれを跳ね除けるような楽団員ひとりひとりの意気・技術というのが感じ取れてまったく素晴らしい。

さてこの曲はブラームス風チャイコ、と言うべき曲でグラズノフでも保守的なほうに入るかと思う。だからグラズノフ慣れしてしまうと退屈さは否めなく、古風なまでに形式的で霊感を抑え込んでいるように感じる。逆にグラズノフを知らないと、旋律の美しさ、和声の自然さにすんなり入れようし、個性とも言える半音階的な進行が多声的な構造を持ちながらも響きの透明感を保ったままかっちりハマって進んでいく技術の確かさに感服するだろうし、この大編成を無駄なく隅々まで使い切る手腕にもロシアには殆どいなかったタイプのプロフェッショナルな作曲家という印象を感じることができるだろう。これはいつものことでもあるが、楽想の展開にはちょっと無理のある部分もあって、3楽章の再現部の唐突さや4楽章のマエストーソ的に表れる最終変奏の大仰さなど笑ってしまうところもあるが、私自身もこの曲で初めてグラズノフを認識したので、一度聴いてみてはいかがでしょうか。○。

フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番

○メルケル四重奏団のメンバー(アンリ・メルケル(Vn)アリス・メルケル(Va)ガストン・マルチェシーニ(Vc))エレーヌ・ツーフルー=エンロック(P)(gramophone)1933/11/29,30・SP

立派なアンサンブルで、このロマンティックな重みをもつ曲をよく理解した演奏。メルケルの演奏には前時代的なフィンガリングの甘さがあるもののこの時代の録音にしては精度は素晴らしく、まあ精度うんぬん言う曲でもないが、じゅうぶんに楽しめる。中間楽章にあらわれるフォーレらしい精妙な和声が絹のような肌触りで再現される部分など特筆もの。ピアノがやや強すぎる気もするがこれは楽曲や録音機材のバランス的に仕方ないか。○。

ジョリヴェ:リノスの歌

○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD

これぞジョリヴェ!という呪術的な曲。古代ギリシャの哀歌(のイメージ)から着想したふうに書いているが、旋法の影響関係はともかく、一般的に抱かれるアルカイックなイメージの雰囲気は無い。静けさとやかましさの交錯はむしろ「呪い」であり、けして日よってはいない。演奏は達者で緊密。○。

ヴィラ・ロボス:ハープ五重奏曲

○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD

ミヨーふうの軽い曲でチェロを中心に響きを作るところなどヴィラロボらしい書き方だなあと思った。とても耳心地がよく、演奏も典雅でやさしい。ヴィラロボの尖鋭な部分が無いので万人にすすめられる小品。○。

モートン・グールド:アメリカ協奏曲(インタープレイ)

作曲家(P、指揮)フィラデルフィア・ロビンフッド・デル交響楽団(columbia)LP

新古典期のストラヴィンスキーにガーシュインを注ぎ込んだような一楽章からして胡散臭さ満点の曲なのだが、ブルーノートを部品として取り込んだだけかと思いきや、三楽章はモートン・グールドらしい機知を感じさせるピアニズムを物憂げなオケに対峙させなかなか聴かせる。四楽章は依然協奏的なやり取りにストラヴィンスキーを感じさせながらも特殊なリズムに鞭など新鮮な打楽器のひびきを重ね、コープランドよりも世俗的で親しみやすい世界を展開する。オケもぱっとしなかったのがここにきてその力量を出し切っている。あっさりした短い曲でけして個性的ではないが、力のある作曲家の工芸品。オケはフィラデルフィア管弦楽団。一楽章マイナスで無印。

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲

アース(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(tahra)1960/11/11live・CD

これはいただけない。ソリストにもオケにもミスが頻発し、その原因は異常な遅さにあると思われる。第一部ではペットソロが派手に先走るところをはじめとして、ソリストのたどたどしいテンポ取りなど信じられないような演奏ぶりが展開される。ミュンシュはかつてはラヴェル振りとしてならした指揮者であるしアースも極めて著名なラヴェル弾きだが、これは重なる演奏会で疲労が出たとか何か事件があったとかそういったことを思わせるほどにひどい。第二部ではまともなテンポになるが決して速くは無く、これでもアースはテンポ取りに苦労している。もっと速ければ指が回ったろう。さすがにカデンツでは堂々たる演奏を披露してくれるし、終演後の拍手も盛大だが、この妙に重くてぼろぼろな演奏は、単独復刻に値したのかどうかtahraに問いたい。無印。

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ファリャ:ハープシコード協奏曲

○ラルフ・カークパトリック(hrps)アレクサンダー・シュナイダー(Vn)ミッチ・ミラー(o)H.フリーマン(cl)B.グリーンハウス(Vc)(mercury)SP

おそらく40年代末から50年代の録音だろう。当時気鋭の奏者による演奏である。カークパトリックが力強く先導していく形で進み、はつらつとした音楽が展開されてゆくが、アンサンブルはややぎごちない。ザッツが甘いようなところがあり、思い直すようなリズム取りによってテンポを保っているように感じた。しかし悪くは無く、おのおのの技量にも音にも瑕疵はない。ブダペストQのシュナイダー、言わずと知れたミラー、後後まで活躍したグリーンハウス、それにハープシコードの第一人者カークパトリックという取り合わせが決して悪かろうことはない。SP録音ということで音は少しノイジーだが、LPで出直していたかもしれない。○。

ラヴェル:ボレロ

○チェリビダッケ指揮デンマーク放送交響楽団(放送)1971live

確かCDで出ていたと思われるが最近webで出回っている映像。まだ精力的に棒を振り回し長い髪の先から汗を飛び散らかして音楽をドライブしていく若きチェリの勇姿が見られる。神経質に細かい指示を与えていく晩年のスタイルの萌芽はみえるがまだまだフルベンスタイルに近いと言えるだろう。ソリストのピッチがあわず、一部珍妙な歌い回しを厳密なリズムの中に押し込んでいく者もいて面白い。イタリアオケを振っていた頃を思い出させる。過渡期の演奏ではあるがわりと満足げな表情で終わるところをみるとそれなりに納得はいっていたのだろう。○。

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ウォルトン:オラトリオ「ベルシャザールの饗宴」

○ロジェ・ワーグナー指揮ロイヤル・フィル、合唱団、ジョン・キャメロン(B)(CAPITOL、ANGEL/PACO)1960/9/19-22

スピーディで明るく魅力的なベルシャザールだ。シャープで攻撃的な声楽のコントロールぶりはさすが合唱指揮で名をはせたロジェー・ワーグナーといったところである。オケコントロールもたいしたもので透明感あふれる響きから迫力ある表現を引き出している。ミスもあるがそれくらい熱した演奏になっている。ダイナミックで速い。曲の内容などどうでもよい。他演が単線的な旋律表現を追いがちなのにたいしこれはただ立体的に重層的に迫ってくる。何も考えず楽しもう。SP初出。

ヴォーン・ウィリアムズ:ミサ曲ト短調

○ロジェ・ワーグナー指揮マックネリー(SP)他合唱アンサンブル(CAPITOL、ANGEL/PACO)1960ハリウッド・LP

合唱指揮者として名をはせたアメリカのロジェー・ワーグナーのステレオ録音である。曲は田園交響曲と同時期かつ同傾向のしめやかなもので、それにしては押しが強い。人数が五名と少ないせいもあろう。強弱がはっきりした50年代(+)アメリカらしい表現、ともいえるか。もう少しクリアな録音で聴きたい気もする。PRISTINE配信ではウォルトンのベルシャザールの饗宴ならびにバッハのカンタータの抜粋がカップリング。○。

ミヨー:弦楽四重奏曲第1番

○パリジー四重奏団(naive)CD

ミヨーが既にして個性を発揮した魅力作ではあるがフォーレがいなくてもおそらくミヨーはこれを書いたであろう、数々の民謡主題を彩る多様な響きにはドビュッシーなくしてはありえなかった斬新さが散りばめられている。フォーレ的だがフォーレではない、この曲にはそういう表現がふさわしいようにおもう。楽団は楽曲を掌中におさめそつない。○。

マーラー:交響曲第9番

○ノリントン指揮シュツットガルト放送交響楽団(?)2008/9/5放送live

webで配信されていた音源でのちに再演されることになったほど人気を博したものである。凄まじい統制力で音符のギリギリまでズレることを許さず、弦楽器の長い音符は響きのブレをなくすため全てノンヴィブラートで通し、オケもよくついてこられるものだという極端なテンポ設定も独特のものだ。1,2楽章は完成度が高い。精緻さよりもそのうえでの異様な迫力に押される。附点音符付のフレーズをリズムを死なせずにここまでギッチリ合わせられるというのも凄い。おしなべてテンポは速いが2楽章の好戦的な調子は白眉だろう。だが3楽章は冒頭から乱れる。疲れというよりは楽章自体の難しさからきていると思うが、ミスも目立ち、「このての演奏として」聴いている側としては一服つけてしまう。4楽章はノンヴィブが光るがこの楽章はもはや線的なフレーズの弱い絡まりでしかないので、特殊な思い入れが必要となるぶんこういう解釈には不向きか。ヴァイオリンソロ前後で一瞬ノイズが入る(入らない音源もあるかも)。総じてはしかし、凄いものであった。○。

ドビュッシー:遊戯

○シェルヒェン指揮ヘルフォルド北西ドイツフィル(TAHRA)1960/2/1live・CD

まるでシェーンベルクのように始まり、スクリアビンのようにロマンティックな盛り上がりを見せ、再び新ウィーン楽派ふうの点景に戻る。重心の低いドイツ臭さが横溢するシェルヘンのドビュッシー。シェルヘンの系譜にあるロスバウトやブールのスマートなドビュッシーとはあきらかに違うものだ。しかしながらドビュッシーが時代に取り残され追い付こうとする過程で「半端な立ち位置の前衛音楽」を書いた、この曲の本質を衝いているようにも思う。月に憑かれたピエロから始まり、法悦の詩のような山場が築かれていく垣間に見えるのは若い頃傾倒しのち否定したはずのワグナー。この作品は完全ではない。こういう解釈を許してしまうのだから。シェルヘンのプロフェッショナルな指揮ぶりにも驚く。スコア片手に聴くと叩き割りたくなる盤ばかり残した指揮者だが、オーケストラのコントロールの腕前は本物。惜しむらくは録音の悪さで、楽しめるまでにはいかない。これは仕方ない。○。
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