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フランセ:ハープと管弦楽のための6楽章の詩的な遊戯

マリー・クレール・ジャメ(hrp)デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1973/11/7放送live

時期にしてはやや録音は落ちるか。ハープが典雅なひびきの走句を終始奏で続けオケがほとんど前に出ず、譜面めくりの音が入るなど、室内編成と思いきや管弦楽団との二重構造で仕上げられているようだ。なかなかフランセらしい巧緻さである。終盤で盛り上がりを見せてくると書法のメカニカルなところにマリ・クレール氏の感情が入ると少し揺れてしまったりオケのソロ楽器の一部に軋みを生じたりはするが、フランセがあくまで自分の音楽に忠実に、編成と書法を変えるだけでこんなロカイユ風組曲のような曲になってしまうのだ、BEAセレナーデに近い響きも換骨奪胎されてハープの新しい可能性を引き出している、まさに、ギターやハープシコードなどいろいろな楽器でやっていたことが、この曲では娘ジャメ氏のちからを借りてうまくいっていて、今でも演目に上がるのもわかる魅力がひときわ際立って聴こえてくる。デルヴォーは思ったより引きのスタンスで、むしろ後ろへ引っ張る感もあるが、協奏曲ではこういうこともあるだろう。客席反応も悪くない。アナウンス等なし。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

ストランスキー指揮NYP(columbia/sony)1917/1/22・CD

SP(市販初出)をNYP175周年記念ボックスでCD化したもので最古の記録の一つになる(同ボックスは残念ながらほとんどがLP,CDの復刻であるが最古期のものに数トラック程度聴きものがある(トスカニーニの運命ライヴと近年のコステラネッツの秘曲のみが市販レコード化されていない完全初出、メンゲルベルク最古のさまよえるオランダ人は訂正が入り市販SP化していたことが判明))。今までのディスコグラフィ上では同年10月の録音をNYP最初のものとしているが本復刻は2017/3であり、データ不備の可能性もあるが、こちらのほうが古いとみなせる(この時代の録音日は正確な記録がない場合もあるのでNYPの全面協力のもと復刻した今回版元の最新データを信用すべきだろう)。世界初演オケとして最古の記録というのもいかに同曲がアメリカに歓迎されていたかがわかる。NYS合併前のNYPとして後年のオケとは同等とはみなせず、今のイメージと違い凡庸な面もある。休符を詰め、テンポ感がやや性急で前に行くのはアコースティック録音の制約だろう。それにしてはよく音が拾えている。音色はよくわからない。ノイズは一か所でかいのが入る。マーラーの直接後任の貴重な録音として好きものは聞いてもよいか。転調前に終わる。

プロコフィエフ:交響曲第5番

チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/9/21live・CD

過渡期的だ。なんとも半端で、「四角四面さが足りない」。重量感はこのオケとしては出ており音に迫力はあるが、スピードが前に流れるようで、統率が緩い感がある(とちったりつんのめったり。。)。全体の構成感よりその場その場の表現に囚われがちに感じた。弦の艶のある音色に拘泥するなど、昔の覇気に満ちたライヴ感あふれるスピーディな芸風と、晩年の高精度の響きと構築性に重きを置いた遅い芸風のどっちでもなく、この曲では後者的な立場でドイツオケを振ったものが「通俗的作品の浅薄さを取り去る独特のもの」として評判になった(当時海賊盤)だけに、もちろんプロコフィエフらしい内声部まで独特の動きをふくませる緻密な書法をしっかり再現したりはしてはいるが(三楽章特有の内部構造はほんとうによくわかる)、他の楽章は空疎にやかましかったり、音量変化も場当たり的と感じる。横が今ひとつ流麗さを欠く。違和感を覚えさせる表現の極端さも目立つ。これが徹底されると流麗さを排したタイプの演奏として耳を切り替えて聴けるから、極端とも感じないはずである。最後の方になると昔の芸風に依る。他でも聴けるタイプの破裂的なフィナーレだ。派手で扇情的ではあるが(ブラヴォが飛ぶ)、晩年のチェリビダッケらしさを求めるならこれはおすすめしない。

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI他)CD

少し重いがステレオ優秀録音の情報量の多さゆえそう感じるのかもしれない。内声部の緻密な動き、弱音部の繊細な響きがしっかりとらえられており、開放的で華やかな響きは録音マジックとは思えど、マルティノンの一歩引くもしっかりした音楽作りの成果として、曲を良く知る人にむしろ向く演奏かもしれない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽)

コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive

例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、盤によっては記載データが異なるが(語りをミュンシュ自身としているものもある)おそらく同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD

1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。

ブルックナー:ミサ曲第1番

アドラー指揮VSO&合唱団他(CRV:CD-R/SPA)1957・LP

アメリカ人でいながらマーラーの最後の使徒として、あるいは知られざる前・同時代音楽の紹介者として(SPAレーベルでは「VPO」と偽りVSOとの演奏を出すアメリカらしいやり方もとってはいたが)ブルックナーにおいても一家言ある指揮者による演奏。CRVは交響曲第1番も復刻した(unicorn原盤となっている)。ことのほかそつがなく、押しの強さもなくブルックナーらしさ(ロマン派的な表現)も強調せず、いかにも宗教曲の雰囲気を保っているのが特筆できる。良く言えば楽曲に変な解釈を盛り込まず、その楽曲の録音自体の希少性(マーラーなどはもはや希少とも言えない時期かもしれないがストラヴィンスキーの初期交響曲などはまさにそうだろう)をかんがみたうえで、当時としては率直に録音したことが同曲ではプラスに働いている。ブルックナー好きにアピールするというよりブルックナーにことさらの印象を持たない向きに勧められる演奏だろう。CRVは単なる板起こし。SPAの数少ない録音を、既に有名であったマーラー6番など除いては全部起こしたのではないか。

シェーンベルク:室内交響曲第1番

クレンペラー指揮ベロミュンスター放送管弦楽団(weitblick)1960/4/24チューリヒ放送スタジオ録音・CD

オケ名についてはweitblickでは当時の名称を勘案しこれで統一したとのことなので、今後海賊盤など出回ったとしてもチューリッヒないしスイス云々の名がついていれば同一の可能性がある。スタジオ録音だそうだが思ったより状態は悪い。ボロボロな印象を持つ人もいると思う。発掘音源レベルという印象そのもので保存状態が悪かったのだろう。モノラルなのは当然。情報量はあり、リバーブをかけると迫力が違ってくる。クレンペラーは個性的な表情はみせず正面から、マーラー的なものととらえ決して初期シェーンベルク特有の「臭み」を強調しない。和音はそのままの響きで提示され、創意より全体の調和と構成を重視する。オケのレベル(状態)はこの録音では何ともわからない。中庸の音色とは言えるか。この曲はシェーンベルク初期作品としては有名なペレアスや浄夜やグレの歌より聴きやすい曲種の「交響曲」なので、連続して演奏される事実上の一楽章制ではあるが、ここでもクレンペラーらしくもなく、自然に受け容れられる。一か所、欠落ではないかと思えるほど峻厳な断裂的表現があるがこれはクレンペラーらしさの唯一感じられるところかもしれない。

ミヨー:ピアノ協奏曲第1番

ドワイヤン(P)ミュンシュ指揮ORTF(ina)1966/11/22live(1966/12/4放送)

ina配信でもAmazonデジタル等でも聴取可能。ミュンシュはこの時代の指揮者としてはミヨーを振った方で、ドワイヤンも腕は確かだが、にもかかわらずこの演奏の失敗はオケが全くついていけなかった点にある。簡潔な書法を旨とする新古典主義に立ちながら、複調性であったりポリリズムであったり瓦解しやすい要素を盛り込んでくるゆえまとめるのが難しいミヨーが、それでも一番わかりやすい小交響曲系の、短く牧歌的で耳易い楽曲として、ロン御大による素晴らしい記録以降演目にも上がりやすかったこの曲(実際ミヨーのピアノ協奏曲では唯一録音が複数手に入る曲ではないか)。難しさは一楽章既に各声部がバラバラになりそうなところで感じ取れる。これはドワイヤンのテンポ感がやや安定しない、ミュンシュも何故か取り纏める力が弱く空回りする、そのうえで、オケのソロ楽器やセクション毎に出来不出来があまりに違いすぎる。三楽章も込で言うとミヨーの無理な高音域の無理な音符の詰め込み方など色々あるだろうが、これは吹けなさすぎだろう、というピッコロ等、一方でホルンなど立派に吹いており、弦ははっきり言って曲慣れしていなさすぎ。ミュンシュなら力づくで押し通せそうなものだが、アントルモンと作曲家が再録したもの同様、やはりテンポを落としてキッチリまとめていかないと瓦解する曲なのかもしれない、ライヴにはとても向かないのではと思わせる。二楽章は晦渋さも寸止めの叙情味で気を落ち着かせてくれるが不安感は拭えない。と、三楽章、何と物凄いテンポで煽り始めるミュンシュ!もうオケは狂乱状態というか、ある程度は理知的に構築されていないとミヨーの当時として冒険的な響きの良さは出ないので(翻ってこれに比べれば一楽章はWW1前の猥雑で世俗的な旋律やサティ的な和声など聴きやすい要素が耳を和ませるところもあるから良い)、みっちり詰まった響きを持つ曲なら総体的に押し通せるからともかく、空気の通るような簡潔な曲の各声部の出来がバラバラでは押し通すこともできずきつい。ソリストは攻撃的で指も確かなのでやはりバックが惜しいのである。無理矢理のフィナーレ後、いくらカリスマのミュンシュであっても拍手には戸惑いが感じられ、ピアニストに対してであろうブラヴォが少しずつ混ざってはいくが、六人組時代の単純な曲と最盛期を過ぎた職人的な曲以外ミヨーが全般としてあまり演奏されないのもわかる気がする。カルテットの譜面をわりと持っているが、一本で弾くと素晴らしいメロディなのに四本で合奏すると調性もリズムも合わずとんでもなく聴きづらくなるものが幾つもあった。

マーラー:交響曲第4番

イヴァネヴァ(msp)D.オイストラフ指揮ORTF(ina配信)1968/4/30live放送

中低音域のしっかりした分厚い響き、その統制ぶりでフランスオケではないような演奏を引き出している。しょっぱなから派手な左ヨレが二か所ありがくっとくるがおおむね良好なステレオ。テンポよく(速い!)リズムよく、正面切って颯爽と進むが軽量級ではなく、分厚いオケを堂々と動かし新即物主義からの影響も感じない。打楽器を派手に鳴らすのはロシア流儀だろう。パウゼの多用も強調処理としてロシアを感じさせる。3楽章もいきなり左側がノイジーになってしばらく情報量自体の削られた状態が続き清浄な音楽を損なうが、こういうところが正規盤化されなかったゆえんか、これは放送エアチェック音源なのだろうか(それにしては撚れのない部分の音がノイズレス過ぎる)。情緒的なものをよく分厚い弦楽セクションに伝えている。徹底しており、チェロのポルタメントなど他では聴けない。耽溺することなく雄渾に表現していく。4楽章も僅かな録音歪みはある。イワノワは声が若く滑舌の甘く感じるところもある(言語的問題だろうか)。ここでもオケの調和を厳しく統制し、フランスオケではないかのような錯覚をおぼえる。しばらく沈黙が続き、盛大な拍手となる。ブラヴォも飛ぶ。演奏日は推定。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/7/25live・CD

この人のラ・ヴァルスはミュンシュのように揺らさず煽らない直線タイプだが、リズム感の良さが際立ち(かといってズラしてウィンナーワルツ風にするとかいったものではなく自然と舞踏的なのである)、派手で色彩感あふれる響きを全て統制して首尾よくまとめる。フランスの伝統的な各楽器演奏上の流儀を、アバウトな部分も込みなこともあるが、このオケに持ち込み、そしてこの晩年に至っても忠実に守っているといった、保守的ではないのだがやはりそれを感じさせずにおれない。何分聴かないとわからない、解釈に仕掛けを入れるタイプではないから、最後大ブラヴォーで終わると書いておけば、ミュンシュに較べればねえ、なんていう聴かず憶測も払拭できるだろうか。録音は弱い。モントゥーの真価たる迫力を収録しきれていない可能性がある。

オネゲル:夏の牧歌

クーツィール指揮ACO(RCO)1943/7/22live放送・CD

冒頭中音域がほぼ聴こえないなど録音は極端に悪い。ノイジーなうえ、演奏がまたねっとりして、コンセルトヘボウらしいといえばらしいのだがポルタメントをかけまくったりなど、オネゲルらしい涼しげな雰囲気はゼロ。ホルンソロもこのオケらしい無骨さがある。それでもオネゲルが施した旋律と響きは強固なもので、解釈によりどうこう左右されることはないので、面白い演奏として消化していくことはできるし、だいたい同曲はどう転んでも牧歌そのもの。ノイズが無かったら普通に聴けるレベルかもしれない。拍手あり。

ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲

モントゥ指揮ボストン交響楽団&合唱団(whra)1958/7/25live・CD

円熟した解釈、熟達した演奏ぶりで、ごく一部緩く感じるのも色彩性や前進性を優先したモントゥーの自覚的なものだろう。録音がもう少し良ければ現代にも通用する演奏で、このオケにフランス音楽の伝統を根付かせたと言われるモントゥー(クーセヴィツキー前の早い時期に常任であった)が、それを確認するような大人の演奏となっている。聴衆反応は普通だが、並ならぬ演奏である。

ミヨー:戦没者への頌歌(オード)

作曲家指揮ORTF(ina配信)1966/9/15放送

同曲の録音が別日で配信されているが別のものと思われる。印象はそちらと同じで、録音状態はやや籠もって良くはなく、指揮ぶりも地味で(曲の性格上あたりまえだが)、ただ晩期ミヨーに特徴的な、マンネリな構成要素が最後に向かってしっかり盛り上がるように用いられ、演奏も盛り上がりを作り上げ、客席反応も穏やかに普通のものとなっている。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)シュザンヌ・ダンコ(メリザンド)モーリス・ド・グロート(ゴロー)
クリスティアーヌ・ゲイロー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)マージョリー・ウェストバリー(イニョルド)
マルセル・ヴィニュロン(医者)
アンゲルブレシュト指揮ORTF(INA)1952/4/29・CD

データは過去にまとめたアンゲルブレシュトのペレアス録音データを参照されたい。最初に抜粋が詰め合わせCDで出たがモラーヌ生誕100周年記念で全曲盤が出た。今はamazonデジタル等からweb配信されている。拍手等はない。音質はモノラルだが音が明瞭に捉えられ、演奏ともどもステレオのDM盤に次ぐ出来だろう。この曲はあきらかにフランス語の抑揚に合わせて作られたような歌謡の応酬(といってもほとんどペレアスとメリザンド)だけによる大曲であり、器楽的に聴いても初期から全盛期の過渡期的な明るく多少の起伏を含むも平坦で長々しいものとしか認識できない。正直私も苦手の類になるが、あくまで醒めた観点からドラマティックに煽ることも厭わないアンゲルブレシュトのおかげで筋を追えばなんとかついていける。ドラマティックといいながら朝にはとても気持ちよく目覚めてから家事を終えられた、そのくらいのもので、あとはモラーヌとダンコのはっきりした声がわかりやすく、少々耳圧強くも、全体のフォーレを超進化させたような和声的な雰囲気の中で面白くも聴き通せた。

バーバー:弦楽のためのアダージオ

テンシュテット指揮フィラデルフィア管弦楽団(PO)1985/11/21放送live・CD

弦楽のためのアダージョは戦争とは切り離せない。トスカニーニの依頼で編じられた(原型は弦楽四重奏曲第二楽章として聴ける)あと、第二次世界大戦中以降アメリカのかかわる戦争においては必ずと言っていいほど、演奏されてきた事実上のレクイエムである。敗戦後の日本で占領軍により最初に流されたラジオ放送は同曲だったと言われている。名旋律の常として歌詞を付けられてうたわれることも多く、本人が歌曲に編曲したものはケネディ暗殺後にも演奏されている。ベトナム戦争の惨果との関連性も「プラトーン」に象徴されるとおり深い(作曲家は近年まで存命であった)。テンシュテットは分厚いオケを相手に、丁寧な音楽つくりを行っている。これを激情に駆られてやるならばフィラデルフィアoの明るく圧倒的な表出力により陳腐な音楽に成り下がっていたであろう、響きに非常に配慮し、重層的構造を注意深く再現するさまはテンシュテットらしい。特徴の強い演奏ではないし心を強く揺さぶられるようなところもないが、その真摯さにはブラヴォも少し飛ぶ。放送収録であり新しい演奏にもかかわらず環境雑音がとても気になる。惜しい。

フォーレ:レクイエム

カーティン、アレクサンダー他、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団他(DA)1962/4live

DA盤は音質はひどいが一応聴きとおせる。ミュンシュとは親和性のありそうなヴェルディのそれと対極にあるフォーレ、そこにほとんど死を思わせる要素は無く、私的で親密な、暖かな雰囲気すらあり、清澄で静かな旋律のおりなす緩徐曲だが、ミュンシュは厚いオケを使ってある程度は意志的に旋律表現を行い、響きについては特徴的な動きのみに耳を向かせる程度で、ロマンティックな志向を示している。ナチ統制下パリのレジスタンスとして自らフランス人としての道を選び積極的に文化的活動を主導し、ボストンオケもまたヨーロッパ移民の多いオケであり、フランス音楽演奏の伝統もあり、時期は下るが、そういう時代を生き抜いた人々の歌うレクイエムが録音として聴けるのは、こんな音質であっても幸いである。

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」短縮版

シリングス指揮シュターツカペレ・ベルリン(polydor/hindenburg)1924ベルリン

ベルリン国立歌劇場管弦楽団の戦前録音でも最古の類ではないか。ardmoreのhindenburg盤ではノイズを適度に残してよくレストアしてある(削ると音がなくなる)。短縮版だがしらべてもちょっとわからないので、2トラック25分半とだけ記録しておく。悟りを開いたような出だしは良いがその後はリヒャルト・シュトラウス節で、ライトモチーフなど用いて原作の要素を散りばめてはいるものの、ほとんど物語仕立てというか、哲学の雰囲気はない。ベルリンのオケとは思えないメロメロのウィーン風の生温い音楽で、シリングスもそれほど引き締めの強い演奏にならないというか、この録音条件では大規模な曲はこれが限界の収め方なのだろう。悪くないが、印象には残らなかった。もっとも時代からするとすこぶる意思的か。

フランツ・シュミット:交響曲第2番

ビシュコフ指揮VPO(DIRIGENT)2015/09/20ウィーンlive

きわめてウィーン的と言えるフランツ・シュミットに近年よく取り組んでいるビシュコフだが、そのウィーンの頂点のオケとの記録としてどうなのか。ビシュコフはかつてのイメージを覆しマーラーなど円熟した演奏ぶりを聴かせている。ただ、これは最近の同オケの変質というより恐らく録音の問題なのだろうが、肝心の弦が俊敏な一方で金属質で固い音を出し、生温いのが魅力のフランツの音楽を冷やして固めてしまっている(薄いノイズも耳に悪い)。テンポ取りなど聴くと確かにウィーン情緒を醸そうとしているのだが東欧や北欧オケのようで、ビシュコフ自身もそれほど旋律の魅力や楽想の変化を煽る表現をとらないので、頭からドライな印象があり、足をすくわれる。フランツはブルックナーの構築性、厚い響きとシューベルトの歌謡性、ブラームスの理知性を融合発展させたような作曲家だが(そのため結局マーラーみたいな管弦楽が出来上がる)、この曲の一楽章はほぼリヒャルト・シュトラウスである。この演奏はそれからすると寧ろ的確というか、リヒャルト・シュトラウスの指揮ぶりをも想起させ、純粋にやや複雑な音、楽器の交錯を捌き分けていくことで、一見旋律命のようなフランツのマニアックに造り込む側面、すなわち曲の本質的な魅力に気付かされる。新しい録音なので派手さも伝わる。変奏曲はそれぞれの描き分けが明確だ。ロシア国民楽派のような安直な音楽、教会音楽を思わせるブルックナー的な音楽、ワグナーを模した英雄的表現、それらの中での旋律の変容ぶり、通奏的なものを含む複数の主題の絡みを含め、フィナーレに向けての有機的な構成はフランツのなかなか技師なところに気づかせて、それをしっかりわかる形で伝えているビシュコフにも高度な技師ぶりを感じることができる。一方で即物的で耽溺できない部分もあり、ネックとなる。この曲など長大な変奏曲を聴き通させるためのプラスアルファが必要なところで、とくに最後の方になると意思的にコントロールして変化をつけなければただの交響的大蛇となる。いつ終わるんだ?これで終わったのか?と思わせてしまった、終演後の戸惑い気味の拍手はまさに、フィナーレの持っていきかたを失敗したのだ。ずっと同じような動きを大声で吹かせ弾かせ続けるだけで何分ももたせるのは辛い。これは表層的な感が残るのは仕方ない。

マーラー:交響曲第9番

バーンスタイン指揮イスラエル・フィル(vibrato)1985/9/8東京live

モノラル膝録。歪み、情報量の少なさからリバーブをかけてもつらい音質。環境雑音は仕方ないが高音が弱く、弦楽器、肝心のヴァイオリンの音が遠く薄霧がかかったようで、音量変化すらとらえづらいのは残念。そんな状態なので細部は聴き取れないし音色も評価不能である。基本解釈は他の同時期の正規非正規盤と同じなので、それら幾分音のましなものを聴いたうえで、脳内補完できる人向けの音盤。この実演を聴いてバンスタにハマった知人が確かにいたが、ここで聴こえるものは実演とは程遠いと思われる。変な「伝説」に惑わされないほうがいい(この夜バンスタの枕元にマーラーが立ち「ありがとう」と言ったというが~当時そのての作文は多かった~アルマの枕元にすら立った記録がないのにありえない)。1楽章冒頭はそれでも迫力がある。物理的な迫力ではなく異様な音楽の始まる緊張感だ。マーラー9番としてはさすがのこなれっぷりでオケも演奏瑕疵のない点は晩年のバンスタの達していた境地を察して余りあるが、、、解釈は他と同じなので新味を感じず私は次第に飽きてきた。この時期にバンスタの導入していた(これは譜面改変なのだろうか)ヴァイオリンへの一部スルタスト奏法はここでも一応聴こえるが、ほとんどの人にはこの音では差がわからないと思われる。これ自体意味不明の「ミョ~ン」という効果を狙ったもので導入しないこともあったから、まあ聴こえなくても問題はない。細部はともかく、解釈はこなれており起伏に富んでなお自然な流れの寸断されない大きく有機的な演奏で、印象的には他の記録より激情に駆られて急激なテンポ変化など行う率が高く、しかしながらオケに一切乱れがないのは迫力の源である。三楽章でパチン系ではない音飛びがある。そしてこの後半楽章になると音質が一層不明瞭で、アンサンブルが明快には聴こえない。音楽そのものの力で押し通す前半楽章と違って構造的な魅力をみせる後半楽章は録音状態の影響を強く受ける。四楽章になるとさらに弦主体なので正直きつい。伸び縮みと流れを追うことしかできないが、その点でいうと異常に清澄で異常に引き延ばされた結部近くは印象に残る。余韻を無音部分含め全ておさめてからでいいのに、音は一応なくなってはいるが、あっさり切れて拍手カットなのは勿体ない(元のテープが足りなかったのだろうか、四楽章だけで30分超は長すぎではある)。以上、やはり既出盤で十分な録音であり、海外っぽくしておきながら国内焼き臭いこの盤の、そらぞらしい浮世絵ジャケを眺めながら、どこぞの音楽評論家の檄文でも読み返し、なんとなくその場にいたような気分になるくらいのものである。その場にいたのであれば、終演後に当日のライヴ盤を手売りされた気分で、あくまで思い出の記録としてとっておくのもよい。

<参考>バーンスタイン最後のマーラー9番記録について(現時点でのデータ)

NYP(65/12/16)、VPO(71/3live映像)、VPO(71/5/9live)、BPO(79/10live)、BSO(live)盤を承前として(一部疑義・編集・無編集版あり、以下含めまとめブログ参照)

1985年

・5/29-6/3ACO live編集版(stereo):DG
・8/25IPO テルアビブ、マン・オーディトリアムlive(stereo):Helicon(IPO) ☆これを聴きましょう
・9/3IPO大阪フェスティバルホールlive(stereo):LANNE、ETERNITIES※
・9/5IPO名古屋市民会館大ホールlive(stereo):LANNE、ETERNITIES※
・9/8IPO東京NHKホールlive(mono):VIBRATO(本盤)※
・9/12IPO東京NHKホールlive(mono)2017/4発売※

※来日公演(CD-R)。M9については4公演行われ、うち5,8日が評判となった。同曲は大阪万博時1970/8/29(大阪フェスティバルホール)9/7(東京文化会館)NYPとも来日公演を行っている。
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