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ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

プレートル指揮シュツットガルト南西ドイツ放送交響楽団(hanssler)1997/10・CD

冒頭から木管の音が硬く表情も強張り、鈍重な響きはドイツオケの悪いところが出ている。夜明けの感じがしない。ただゆったりとしたテンポで、柔和な交錯、法悦的な表情付けを連ねてから、やがて過度に人工的に表情が付加され(最弱音でやり取りされるソロ楽器への緩徐部の繊細な操作は耳を澄ませないとわからないほど細かいがとてもソリスティックでいながら予定調和的なまとまりを見せる)、良録音なりの内部の細かな動きまで聴き取れるのも含めて、チェリビダッケよりこなれていないものの、やはりその遅くじっくりとやる点において同傾向の構築的で壮大な演奏となった。さてしかし「全員の踊り」となると無骨で野蛮な面が出てきてピッコロが吹けていなくても関心なしに突き進むプレートルらしさが表立ってくる。整えたようなアンサンブルはまだ残るが、雑味を抑えまとめることにより迫力に昇華されていく。音符間に空気の通るようなデジタルな響きは現代的だが、破壊的に切れ落ちる終幕はきっぱりしていて清々しい。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

プレートル指揮パリ管弦楽団(ERATO/EMI/warner,icon)CD

後年よりかなり慎ましやかではあるが主として内声に独特の解釈が施され、音符の長さが長めに取られたり、響きが妙に雑(これはオケの力量の問題か)、さらさらしているかと思えば急激なリタルダンドをかけたり(四楽章ではポリリズム化寸前のテンポ感の極端にずれた場面がある)、表面上音色が変わらないのでわかりにくいがしっかりアゴーギグをつけている等、シルヴェストリには敵わないものの個性は感じ取れる。

ジョリヴェ:舞踏交響曲

作曲家指揮クリーヴランド管弦楽団(youtube)1959/1もしくは8live

正体不明の音源だが、ジョリヴェにしてはドビュッシー「遊戯」の範疇に留めたような作風で、妖しくもわかりやすく美しい曲だけに左右の安定しないモノラル録音なのは惜しい。オケはセルにきたえられているだけあって、超高音で酷使されようが弱みを見せることなく派手に弾ききっている。中間部で銅鑼にのって古臭くもわかりやすい妖気をはなつ箇所など全く舞踏的ではないが、その後にわかにストラヴィンスキー的な低音からのリズムの打ち出し方は、ジョリヴェに期待されるものを十分に示している。それはメシアンまではいかない、ブーレーズまではとてもいかない、我々の理解可能なコープランドレベルの現代性を提示するもので、長続きせず弱音に落ち着いて、銅鑼にのって中低音で奏でられる旋律はどことなく、ハルサイのオリエンタルなものより遥かに人好きするところが、ジョリヴェの「人間性」なのだろう。ヴォーン・ウィリアムズすら思い出させる良い民謡風旋律だ。不安げな終わり方も格好が良い。拍手カット。くれぐれも演奏は充実し音はよく出ている「よう」なのだがyoutubeのものはレンジも狭くボロボロで残念だ。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

ワルター指揮NYP(ASdisc他)1949/6/19live・CD

あからさま。リアルな音。ゆえに冒頭フルートから入り込めないが、止揚するテンポに噎せ返るような響きには渡米前のアグレッシブな芸風の残り香が強く感じられ、このともするとモノトーンになりがちなオケより引き出される豊潤な色彩については、文句のつけようがない。高音域でのぬるまゆい音の交歓はさすが熟練の指揮者によるものであり、バーンスタインより遥かにフランス的である。録音が生々しすぎるのかもしれないが、後半はワルターのフランス物も悪くないと思わせる、そんな記録となっている。きわめてノイジーだがそのぶん情報量はある。

リヒャルト・シュトラウス:家庭交響曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMORIES他)1959/2/28live・CD

ミュンシュ唯一の記録であり、非正規ライヴ音源なりの状態の悪さであるが、情報量の確保されたステレオなので迫力が違い、解像度もそれなりにある。ライヴだから当然このスピードでミスが皆無とは言わないが恐るべきブラスの力量を見せつける、特に4楽章は圧巻である。リヒャルト・シュトラウスを語るのにまずもって金管しか語られず(一部コンマスソロなど役割を持つ弦楽ソリストも入るが)管弦楽の扱いがきわめて巧みといってもほとんど金管好きないし金管奏者、およびオペラ寄りの大曲好きしか話題にしようとしないのは一曲でも聴けばわかることで、せいぜいウィーン情緒をかもすフレーズ(モチーフ)や響きが弦、木管により担われるだけで、聴き映えがするのは決まってホルンが吠えトランペットがトレモロを吹くような部分ばかりだ。したがってブラスに圧倒的なメリットを持つアメリカオケに、ミュンシュのような強力な統率者が加わるだけで成功が約束されているようなものである。私のようにたとえ表題があったとしても「交響曲」である以上中核には抽象的なものが存在してほしい向きは退屈さと腑に落ちなさで二度と聴かない類の曲である(明確な内容の対比を示す四楽章から構成されているとはいえ、どう聴いても同じムードに支配されつながった3部に終幕が加えられた長々しい「無歌詞オペラ」としか聴こえない)が、この演奏は奇跡的に最後まで聴けた。ミュンシュBSOコンビでもかなりコンディションの良かった演奏だと思う。強権的とすら感じられるミュンシュにはアルザスの血をも想起させる中欧的な色がしっかりあらわれている。ウィーン情緒的な部分はどうでもよい、中低音域の轟音は緩みない奔流を作り出し、超絶技巧を前に負けるわけないだろというブラス陣の底力も聞き取れる。

同じような調子が続くこの曲もアルプス交響曲もそうだがリヒャルト・シュトラウスにとって表題交響曲は型式的な交響曲ではなく表題をもつ拡大された交響詩であり、細かく配置された無数の具体的モチーフ同士が音の律動によって舞台上で演劇を繰り広げるものだ。この曲をそういった前知識なく聴くのはほかの短い曲より難しい。アルプスのように想像のしやすいダイナミックな気象を相手にしているのではなく、夫婦と子供という登場人物のおりなす生活の機微を大げさに増幅してやっている。しかしミュンシュ盤は前知識なく聴いても「わかる」だろう。その意味で稀なる演奏といえる。

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1962live

いささか乱暴な録音だが(全曲からの切り出し?)まとまっていてミュンシュのものとしては聴きやすい。外しがなく、不格好なデフォルメもない。なかなか聴き応えがある。ラスト近くできついノイズが入るのは痛いが、物凄いスピードにもものともせずやりきったオケにブラヴォが飛ぶ。

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第8番

ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文科省交響楽団(melodiya)live・CD

スピーディーでさっさと進み即物的傾向を示す。アンサンブルは緩く音響は派手で起伏の伏に欠け憂いがない。ヴォーン・ウィリアムズの晩年作品でもともと耳やかましい響きを孕んでおり(難聴を患う身ですべて自分で確かめて作れた作品なのかどうかわからないが)それは指揮者の責任ではないかもしれない。ニ楽章などリズミカルな表現に利を感じるし、弦楽合奏による三楽章はしめやかではあるが、あまり良くない録音のせいだろうか、まだ押しが強過ぎると感じるところもある。もっとも、ヴォーン・ウィリアムズらしさの点では最もしっくりくるし、さらにオケの技巧的メリットを誇示する楽章にはなっていると思う。盛大なフィナーレである四楽章の重さは好き嫌いがあると思う。低音打楽器を鳴らしまくりテンポは遅く前に向かわず、どんくさいと感じもするものの、交響曲のフィナーレとしては構成的にバランスが取れている。楽章内の構成はあの映画音楽的な美しさを際立たせるようなものではなく、あくまでスコアをドイツ風の音響的に整えメトロノーム的に追っている感。この曲の軽快なイメージとは違うが、ひとつの見識ではあろう。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1966/9/13live(1966/10/13放送)

本編ステレオ。しょっぱなからミュンシュが猛り狂っており、掛け声だらけ。それに対してオケも荒々しく、性急で即興的な印象が強く(ほかの録音を聴くにつけミュンシュにとってはとっぴな解釈の入れづらい曲っぽいので細かな伸縮などはない)、けして名演とは言えない。強いライヴ感がカタルシスに昇華されておらず、大声を上げて終幕となっても客席反応は即時ブラヴォとはいかない。雑味は多いがオケはよくついてきたと思う。弱音部のニュアンスに欠けているとは思った。

ランドスキ:交響曲第2番

ミュンシュ指揮ORTF(ina配信)1965/11/16(1966/1/1放送)live

プレートルも録音しなかった番号で、表題を持たず(楽章には付けられているが抽象的)全般に1番とくらべオネゲルに回帰したような地味な響きと律動、ミュンシュだからその求心力(細かな動きのオケの統制含む)で聴いていられるが、とりとめなくフィナーレが(冒頭こそランドウスキらしい新しい響きも入るものの)どこで終わったかわからない感じもあり戸惑い気味の拍手が入るのも、けして当時前衛ではなくかといって古い見地からも新しくなかったことは窺い知れる。しかしランドウスキは「わかりやすい」。きちんとした楽想を持ち、それなりの創意ある音楽は戦後の「娯楽的空気」も伝えており、一部で揶揄されたのもわかる。テレビドラマの劇伴のような今や古臭いあからさまさも含まれるのだ。逆に、今こそ再評価されるべき「忘れられ方」をしているとも思う。ここでのORTFは細部までよくやっている。ミュンシュはボストンでの新曲演奏のように少し引いてやってはいるが悪くない。ノイズの少し気になるステレオ。

リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMORIES他)1955/9/30live・CD

ブラスのパワー、弦の技術、指揮からくる集中力を求める曲にピッタリの組み合わせである。モノラルだが情報量はあるため、覇気溢れる演奏ぶりを堪能できる。リヒャルト・シュトラウスでもこの曲は別格だろうし、ミュンシュも適格だろう。

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リヒャルト・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

バーギン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MEMOLIES他)1957/2/15live・CD

モノラルの録音状態は悪いが、曲がミュンシュ向きで、ソロの高度な技巧(半音階を正確に取り続けなければならない!)はこのオケに向くし、比較的平穏で幸福感にみちた中からラストに向かっての覇気を取り戻す雰囲気づくりに指揮者の適性を感じる。しょうじき、ドンファンほどの圧のある曲ではないので、ウィーン情緒を割と薄い横の流れで聞かせていく場面が多いため、ミュンシュらしさが発揮されるところは少ないが、引っかかりなく聞き終えることができた。

ドビュッシー:歌劇「ペレアスとメリザンド」

カミーユ・モラーヌ(ペレアス)ミシュリーヌ・グランシェ(メリザンド) ジャック・マルス(ゴロー)
マリー・ルーチェ・ベラリー(ジュヌヴィエーヴ)アンドレ・ヴェシェール(アルケル)フランソワーズ・オジュア(イニョンド)
ジャック・ヴィニュロン(医者)
、アンゲルブレシュト指揮ORTF(BARCLAY,INEDITS)1963/3/12シャンゼリゼ劇場live・LP

DMのCDが出るまでは唯一のステレオライヴ録音として珍重されたもので、言われるほど録音が悪くもなければ演奏がパッとしないこともない。ライヴだから独唱が音程を外すなど細かい点で瑕疵はあるものの、そして依然LPでしか出ていない(流通はしている)からノイズを気にする向きはともかく、一応音場の狭いステレオとして聴くことができるし、雰囲気もばっちりである。おそらく入手可能なアンゲルブレシュト最後の同曲全曲録音なので、マニアでなくとも機会があればどうぞ。

ラヴェル:マ・メール・ロワ組曲

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1958/2/19・CD

得意としたラヴェルであり、情感たっぷり、分厚い響きで盛り上げる。少し硬い音で、緩急の緩に柔和さ(響き含む)が欲しい向きもいるかもしれないが、ミュンシュのラヴェルの、これが標準であり、ライヴは派生するものとしてまずこれを聴くのが良いだろうと思う。

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デュカス:魔法使いの弟子

ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1957/11/4・CD

どこか突き放したようなところはあるが正規録音だけあって細部まで緻密に作り上げられミュンシュの長所であり弱点でもあるライヴ性にひそむごちゃっとした構造軽視の部分もなく、やはり、ライヴが全ての指揮者とは思うけれどまずは正規盤で腕の確かさとオケの力量を確かめてから、ライヴ録音に挑んでいただきたいと思った。

フランセ:ハープと管弦楽のための6楽章の詩的な遊戯

マリー・クレール・ジャメ(hrp)デルヴォ指揮ORTF(ina配信)1973/11/7放送live

時期にしてはやや録音は落ちるか。ハープが典雅なひびきの走句を終始奏で続けオケがほとんど前に出ず、譜面めくりの音が入るなど、室内編成と思いきや管弦楽団との二重構造で仕上げられているようだ。なかなかフランセらしい巧緻さである。終盤で盛り上がりを見せてくると書法のメカニカルなところにマリ・クレール氏の感情が入ると少し揺れてしまったりオケのソロ楽器の一部に軋みを生じたりはするが、フランセがあくまで自分の音楽に忠実に、編成と書法を変えるだけでこんなロカイユ風組曲のような曲になってしまうのだ、BEAセレナーデに近い響きも換骨奪胎されてハープの新しい可能性を引き出している、まさに、ギターやハープシコードなどいろいろな楽器でやっていたことが、この曲では娘ジャメ氏のちからを借りてうまくいっていて、今でも演目に上がるのもわかる魅力がひときわ際立って聴こえてくる。デルヴォーは思ったより引きのスタンスで、むしろ後ろへ引っ張る感もあるが、協奏曲ではこういうこともあるだろう。客席反応も悪くない。アナウンス等なし。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」~Ⅱ.抜粋

ストランスキー指揮NYP(columbia/sony)1917/1/22・CD

SP(市販初出)をNYP175周年記念ボックスでCD化したもので最古の記録の一つになる(同ボックスは残念ながらほとんどがLP,CDの復刻であるが最古期のものに数トラック程度聴きものがある(トスカニーニの運命ライヴと近年のコステラネッツの秘曲のみが市販レコード化されていない完全初出、メンゲルベルク最古のさまよえるオランダ人は訂正が入り市販SP化していたことが判明))。今までのディスコグラフィ上では同年10月の録音をNYP最初のものとしているが本復刻は2017/3であり、データ不備の可能性もあるが、こちらのほうが古いとみなせる(この時代の録音日は正確な記録がない場合もあるのでNYPの全面協力のもと復刻した今回版元の最新データを信用すべきだろう)。世界初演オケとして最古の記録というのもいかに同曲がアメリカに歓迎されていたかがわかる。NYS合併前のNYPとして後年のオケとは同等とはみなせず、今のイメージと違い凡庸な面もある。休符を詰め、テンポ感がやや性急で前に行くのはアコースティック録音の制約だろう。それにしてはよく音が拾えている。音色はよくわからない。ノイズは一か所でかいのが入る。マーラーの直接後任の貴重な録音として好きものは聞いてもよいか。転調前に終わる。

プロコフィエフ:交響曲第5番

チェリビダッケ指揮LSO(concertclub)1979/9/21live・CD

過渡期的だ。なんとも半端で、「四角四面さが足りない」。重量感はこのオケとしては出ており音に迫力はあるが、スピードが前に流れるようで、統率が緩い感がある(とちったりつんのめったり。。)。全体の構成感よりその場その場の表現に囚われがちに感じた。弦の艶のある音色に拘泥するなど、昔の覇気に満ちたライヴ感あふれるスピーディな芸風と、晩年の高精度の響きと構築性に重きを置いた遅い芸風のどっちでもなく、この曲では後者的な立場でドイツオケを振ったものが「通俗的作品の浅薄さを取り去る独特のもの」として評判になった(当時海賊盤)だけに、もちろんプロコフィエフらしい内声部まで独特の動きをふくませる緻密な書法をしっかり再現したりはしてはいるが(三楽章特有の内部構造はほんとうによくわかる)、他の楽章は空疎にやかましかったり、音量変化も場当たり的と感じる。横が今ひとつ流麗さを欠く。違和感を覚えさせる表現の極端さも目立つ。これが徹底されると流麗さを排したタイプの演奏として耳を切り替えて聴けるから、極端とも感じないはずである。最後の方になると昔の芸風に依る。他でも聴けるタイプの破裂的なフィナーレだ。派手で扇情的ではあるが(ブラヴォが飛ぶ)、晩年のチェリビダッケらしさを求めるならこれはおすすめしない。

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI他)CD

少し重いがステレオ優秀録音の情報量の多さゆえそう感じるのかもしれない。内声部の緻密な動き、弱音部の繊細な響きがしっかりとらえられており、開放的で華やかな響きは録音マジックとは思えど、マルティノンの一歩引くもしっかりした音楽作りの成果として、曲を良く知る人にむしろ向く演奏かもしれない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」(音楽)

コプレフ、エイコス(双子)カーティン(vox sola)ヴァロン合唱指揮ニューイングランド音楽院合唱団、モス(語)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1956/1/27ボストンlive

例によってRCA正規録音(1/29-30)直前のライヴで、盤によっては記載データが異なるが(語りをミュンシュ自身としているものもある)おそらく同一メンバーによるもの。モノラルで敢えて選ぶ必要はないかもしれないがSLSにしてはノイズレスで聴きやすく、リバーブをかければほぼ楽しめるレベルまで持って行ける。3時間にもわたる長大なオペラの音楽部分だけを取り出し、必要最小限の語りを残したものは映像でも出ている。その版によるコンサート形式の演奏だと思われる。このての歌劇を音だけで1時間以上聞くこと自体苦痛を伴うものであり、語りが少ないことは救いであるが、一方でカプレが管弦楽配置を手伝っていることによりドビュッシーの難しい、まだ印象派を引きずった曖昧模糊としたものを含む管弦楽がきれいに整理された感があり、言いたいことがきちっきちっと場面場面で簡潔にまとめられ、そつのない書法はまるでイギリスのヴォーン・ウィリアムズやホルストやウォルトンの歌劇ないし合唱曲を髣髴とさせるわかりやすいものになっている。それでも何か楽想を羅列して語りなどでつなぎ最後はすとんと終わるから、ミュンシュでさえ盛大な盛り上げは作ることができず、あけすけにわかりやすい合唱を恣意的操作によってフィナーレっぽく仕上げることも本来はできようが、そこまでのことはしないので、拍手もなんとなくの感じで入ってくる、しょうじき、それほど盛り上がらない。わかりやすい部分部分のパーツだけが印象に残る曲で、そのバラバラ感はすでに別項でのべていることなので、これ以上は書かない。

ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」抜粋

モントゥ指揮ボストン交響楽団(whra)1958/1/10・CD

1951年の放送録音も同じレーベル(一連のボックスシリーズはモントゥーの弟子等からの直接提供)から出ており、10分あまりの抜粋となっている。いわゆる交響的断章までも至らないので原題からの抜粋としておく。長大な劇の一時間余りの音楽部分(おおざっぱに協力者だったカプレ管弦楽編曲とされることもある)より、神秘的な初期サティ風の響きから日本ぽい音階もまじえた箇所をへて、初期の明るく単純な響きの音楽、さらに「海」以降を想起させる真骨頂ないしマンネリな表現へところころと表情を変えていくのが抜粋の妙である。モントゥーはチャイコフスキーの録音など掴みどころのないというか、魅力を伝えにくい指揮者だが、ここでは官能的なねっとりした印象派的表現から明確な輪郭を持つ旋律表現まで、プロフェッショナルな技でドビュッシーとは何たるかをハッキリ伝えている。演奏精度の高さ(フランスオケよりフランスらしい輝かしい音を出す)、拍手のなさから放送用スタジオ録音音源だろう。短いのが残念だが、このくらいが丁度いいのかもしれない。音楽の要領の良さからキャプレ編曲版なのだろう。
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